海軍本部〝マリンフォード〟。
多くの海兵たちが勤め、鍛えられているそこで、ひとりの男が半壊の軍艦を前に拳を振るっていた。
気合を入れる声と共に轟音が鳴り、それを何度も繰り返す。
〝英雄〟ガープの日課──俗に〝軍艦バッグ〟と呼ばれている鍛錬法である。
「ガープ中将、センゴク元帥がお呼びです」
「ふんっ! ふんっ! ……わしァ今忙しいと言っておけ。どうせしばらく動かんのじゃろう」
「しかし……」
伝令に使われたセンゴクの部下も決して暇ではない。それに、相手は海軍における最高権力者の元帥だ。如何にガープの破天荒さが知れ渡っているとはいえ、大佐でしかない部下にとってセンゴクの命令を達成出来ないのは色々と困る。
その困っている様子を見かねたのか、手慣れた様子で子電伝虫片手にガープ直属の部下の准将が現れた。
いつもなら色々と策を講じてガープを無理くりセンゴクの下まで連れて行くのだが、今回ばかりはガープの意思を尊重した形である。
『ガープ!! 会議の時間は過ぎているぞ!!』
「喧しいわ。どうせ奴らが動くまでまだ時間がある。鍛えなおさにゃァ、今のままじゃいかん!!」
〝軍艦バッグ〟とは、覇気を使わず素手で軍艦をひたすら殴りつけるという無茶苦茶な鍛錬法である。昔から習慣と化した鍛錬をしながら、ガープは真剣な様子で部下の方を見た。
「それとも、〝黄昏〟が本格的に動いたのか?」
『……五老星から連絡があった。モリアは招集に了承したようだ。これで現〝七武海〟の半数は戦力に数えられる』
「フン! 元々カナタありきで作られた〝七武海〟が、今更使い物になるのか!? そもそも信用出来るかどうかさえ怪しいわ!!」
クロコダイルが称号を剥奪され、
そのうちのひとりであるカナタが反旗を翻し、カナタの推薦で〝七武海〟に入ったジンベエがまず政府の味方をしないであろうことを考えれば、実質的に政府側の〝七武海〟は3人のみ。
〝七武海〟はそれぞれが称号にふさわしい強さを持っているとはいえ、半数以下の人数しか集まらないことを考えると戦力として当てにできるかどうかも怪しい。
カナタは──というか、〝黄昏〟は〝七武海〟の一角ではあるが、戦力的には実質五番目の海の皇帝と言っていいのだ。
本来なら海軍と〝七武海〟全ての戦力を結集して当たるべき相手だが、それが出来ない状況である。
「あの女は強いぞ。〝ウォーターセブン〟で戦った小紫っちゅう小娘も相当じゃった。海軍が確認できていないだけで、億超え相当の実力者は恐らくかなりの数がおる! カナタ本人も、わしらの想像もつかないほどに力を付けていても不思議はない!!」
『そんなことは分かっている! だが、カナタが〝白ひげ〟と衝突するという情報も含め、もはや静観出来る状況ではないこともわかるだろう……!!』
子電伝虫越しにセンゴクの苦渋に満ちた声を聴き、ガープは軍艦を殴っていた手を止める。
長年肩を並べた戦友だ。上からの圧力も含め、どうしようもない立場に置かれているのだろうと想像は出来る。
しかし、それでもガープはその判断を批判した。
〝白ひげ海賊団〟と〝黄昏の海賊団〟の衝突は、およそこれまでにないほど世界を揺らす出来事になる。その情報が入った時、海軍も世界政府も情報の真偽を懸命に探った。
どうか、誤報であってくれと願いながら。
──だが、もたらされた情報は真実だった。
カナタの出自が知られ、政府と海軍の上層部は機を見て〝黄昏〟と一戦交える予定だったが、これに不確定要素が追加されたのだ。
何を考えているのか分からないが、長年犬猿の仲だった2人がぶつかるのだ。最善は両方の勢力が弱まり漁夫の利を得る事だが、カナタが百獣・ビッグマムの海賊同盟を前にそのような愚を犯すとは思えない。
『我々に出来るのは、何が起こっても世界への影響を最低限に抑えることだ……!』
「じゃからこうして、鍛えなおしとるんじゃろうが!!」
〝ウォーターセブン〟で小紫と一戦交えたガープは、肌でその強さを感じ取った。
小紫ほどの強さがあって、先の百獣・ビッグマムの海賊同盟との小競り合いの時に出てこなかった理由はわからないが……〝エニエスロビー〟でも赤犬を退けた以上、カナタの秘蔵っ子と考えていいだろう。
同じくらい強い幹部がそれほど多くいるとは思えないが、いずれにせよゴロゴロの能力を含めて厄介な敵であることに変わりない。
カイドウでさえほとんど傷を負わせられなかったカナタを前に余力などあるはずもないのだ。海軍大将でさえ苦戦は免れない以上は、ガープも覚悟を決める必要があった。
「カナタはわしが倒す!! 奴の娘ならなおのこと、わしがやらにゃァならん!!!」
『……!!』
──かつて、〝ゴッドバレー〟と呼ばれる島があった。
天竜人の遊び場として使われ、景品に〝ハチノス〟の秘宝を奪ったことでロックス海賊団が呼び寄せられ、それを追ってロジャー海賊団が乱入し、政府及び海軍と戦った。
ガープの戦歴の中でも、唯一と言っていい
当時、肩を並べたロジャーは既にいない。
己も随分衰えた。〝ウォーターセブン〟でカナタが言い放った「ガープの倍強い」という言葉も、ハッタリとは言い切れないだろう。
〝金獅子〟を討ち、〝ビッグマム〟を抑え込み、〝百獣〟を叩きのめし、遂には〝白ひげ〟の首を獲ろうとしている。
これ以上ないほど警戒すべき敵になった以上、始末をつけるのは己の役目だとガープは考えていた。
「どこまでも祟ってくれるわ、ロックスめ……!!」
船長亡き後にバラけた船員は各自で力を付け、今の混沌の世になった。
その娘が後始末をしてくれるのならこれ以上のことはないが、それだけで済むと思えるほど、カナタに対して楽観的にはなれなかった。
☆
新世界、〝ハチノス〟。
夏島に分類されるこの島は基本的に気温が高く、雨の日もそれなりに多い。
今日もまた雨が降っており、小高い丘に作られた墓碑の前で、傘を差したままひとりの女が佇んでいた。
誰あろう、〝黄昏の海賊団〟の首魁たるカナタである。
「…………」
今日の天気は酷く、強い雨にゴロゴロと雷まで鳴っているが、カナタはさして気にした様子もない。墓碑を静かに見つめ、何かに思いを馳せていた。
──そこへ、タバコを咥えたジョルジュが現れる。
手には傘を持っていないが、彼はその能力によって浮かぶ水の膜によって風と雨を遮断していた。
「ここにいたのか。今いる幹部は揃ったぜ。会議、やるんだろ?」
「……ああ」
この世界において、死んだ者は海に葬るのが習わしだ。船乗りならばなおのことである。
船の上で亡くなった船員をいつまでも乗せていては病気の発生源になる。なるべく早く対処するためにはそれが最善であったため、このような風習が出来た。
陸で何らかの理由で亡くなった場合でも、土地の関係で火葬の後に骨を砕いて海に葬る。これまでそうしてきたし、これからもそうするだろう。
故に、カナタと長く肩を並べて来た船員も、命を奪い合った親も、遺骨そのものはここにはない。ただ、彼ら彼女らを思い出すための場として墓碑を用意しただけだ。
やがてカナタは墓碑に背を向け、島の中心にあるドクロ岩へと戻る。
ジョルジュを伴って進む彼女はいつになくピリピリとした空気を纏っており、声をかけるのをためらうほどである。
「傘をお預かりします」
ドクロ岩の入口で傘を預け、雨で濡れた髪や服は一瞬凍り付いたかと思えば何もなかったかのように普段通りになった。
ジョルジュもカナタに続いて中に入り、幹部たちを集めた広間へと入る。
中には〝
本来、この部屋は幹部が集まって会議をする部屋だ。巨人族が入れるので相応の広さがあり、それ故に机を片付ければそれなりの人数が入る。
「ご苦労、諸君。良く集まってくれた」
カナタの声は大きくないが、音吐朗々と部屋に響いた。
集めた理由は単純なもので、これまで秘密裏に〝白ひげ〟との戦争準備を進めていたことを幹部と直属の部下に周知し、これまでより大々的に動くためである。
「長々とあれこれ話すつもりはない。端的に行こう──私は〝白ひげ〟エドワード・ニューゲートと一騎打ちをする」
ティーチから交渉の報告を受け、カナタとニューゲートの決闘が確定した。
予定通り、互いの勢力に傷を付けず、最も穏当に〝四皇〟の一角を落とすこととしたのである。
もちろん、それはカナタがニューゲートに勝てれば──という前提の話だが、当の本人はその結果を全く疑ってはいなかった。それでも事前に伝えておくのが組織の長の役目であるため、こうして集めているのだ。
彼らは一様に驚くも、私語を話すことはない。幹部は元より知っていたし、部下たちもそれで浮つくような教育はしていない。
「勝者が全てを得る決闘だ。私が負けることがあれば、今後は奴の指示に従うように。私が勝てば〝白ひげ海賊団〟は全てうちの傘下になるが、顎で使える程我の弱い連中ではない。頭に入れておけ」
それと、今後の事を通達する。
「私は〝七武海〟から脱退する。今後はお前たちにも懸賞金が付くことになるだろう。情報はなるべく漏らさないに越したことはないが、今後は仕事の達成を第一に考えるように。情報は多少流出しても構わん」
「はい、ひとついいですか?」
「なんだ、フェイユン」
「つまり、
「そうだ。恐らく、今後は情報を伏せながら行動するほどの余裕はない」
これまでは〝七武海〟としての立場上、海軍や政府と協力してことに当たることもそれなりにあった。〝黄昏〟のナワバリで起こったいざこざを海軍が対処するなど、共助の関係が出来ていた。故にあちらこちらからスパイが入り込むことはあったが、それに対処出来るだけの人的余裕があったのだ。
立場を失えば海軍も政府も敵になる。彼我の勢力比を考えれば易々と手を出してくることは無いハズだが、それも絶対ではない。
そうなれば、情報がある程度漏れるのも仕方がないと言えるだろう。
まぁフェイユンはあまり器用ではないので、別にこれまで本気ではなかったとかそういうことでもないのだが……気分的な問題だろう。
「水面下で我々に協力するいくつかの王国から、多少なりとも軍を徴集することも出来た。使えるかどうかはわからんが、頭数だけならそれなりに増える。スコッチ、巨人族はどうなった?」
「ロキがちっとばかしゴネちゃいるが、まァおおむね味方と言っていいと思うぜ。〝ビッグマム〟相手に戦うってことで、士気も高ェ」
「結構。世界最強の軍隊が力を貸してくれるのであれば、リンリンとカイドウの同盟も決して勝てない相手ではない」
巨人族の力は強大だ。
その力を味方に付けられれば、〝海賊王〟になる最短ルートにもなり得るだろう。無論、彼らに戦う理由を用意出来ればの話ではあるが。
〝黄昏〟がこれまで長く経済を牛耳り、国の首根っこを抑えることでいくつかの国の軍隊に口出しすることも出来るようになった。数は知れているが、それでもいないよりはマシだろう。
「〝白ひげ〟との決闘に水を差す馬鹿はいないだろうが、漁夫の利を狙ってくる者は多かろう」
世界政府、海軍、百獣・ビッグマムの海賊同盟、その他有象無象の海賊たち。
ニューゲートは〝海賊王〟のライバルとして有名だ。あまり表立って動かないカナタが負けると予想する者もいるだろうし、どちらが勝っても疲弊した方を叩けばいいと考える者もいるだろう。
しかし、カナタはそれら全てを相手取っても負ける気はなかった。
片手をあげ、握りつぶすような動作を見せる。
「私は──我々は、これら全てを叩き潰す」
ビリビリと漏れ出る覇気が肌を打つ。生半可な覚悟では彼女の前に立つことさえ許されず、意識を保つことは出来ない。
この場にいる者たちは誰一人として意識を揺るがすことはなく、正面から覇王色の覇気を浴びていた。
「案ずるな。お前たちの後ろには私がいる。誰が相手であろうと恐れる必要はない。目の前の敵だけを見よ! 軍靴を踏み鳴らせ! 我々こそがこの海の覇者であると知らしめろ!!」
海の皇帝を食い破り、正義を体現する秩序の守護者たちに成り代わり、天上でふんぞり返る腐った竜を地に落とす。
それこそが、カナタが武器を取る理由に他ならない。
「──征くぞ、勇士たちよ」
カナタの言葉に、その場の勇士たちが吼えた。
☆
「おう、お疲れさん」
「ああ。やはりああいうのは慣れんな」
「中々様になってたぜ。経験あんじゃねェのか?」
「昔、少しだけな」
士気が高いまま解散させ、今後の動きを確認するカナタ、スコッチ、ジョルジュの3人。
現場で動く戦闘員たちは今から戦いを待ち遠しく思っているようだが、やることはそれなりに多い。
「だがまァ、物資の集積も部隊の帰還もほとんど終わりつつあるしな。おれ達がやることっつったら、あとは当日に合わせて体調を整えるくらいだろ」
「おれは〝楽園〟に行って回収してこなきゃいけねェんだが」
「そりゃまァそうだな」
ジョルジュの能力でマリージョアの上を通り、〝楽園〟側に散っている戦力をこちらに持って来なければならない。
逆に言うと、細かな指示を出す段階は既に終わっていると言えた。
そうなると、カナタは「ふむ」と少しだけ考え込むような仕草をして……何かを決めたように頷いた。
非常に嫌な予感がする2人。
「私も〝楽園〟に行こう」
「なんでだよ!!」
「おめーは大人しくしてろよ……」
「何、ここを逃すと会うことは難しくなるだろうからな。顔を見に行きたい者がいる」
「誰だよ」
「レイリーと……そうだな、今ならロビンと会えるかもしれん」
それに、ルフィにも。
口に出さずに決めたカナタは小さく笑みを浮かべて指示を出した。
「船を出せ。〝シャボンディ諸島〟へ向かう」
END 絶海怪奇地帯スリラーバーク/霧に映る影
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