半分氷漬けにされかかっていた彼らは、医療の心得のあるものを筆頭に風呂場で水を使って氷を融かし、温かいスープで冷えた体を温めていた。人体の氷漬けなど皆初めての経験だったし、ジュンシーもまた同様に腕が凍っていたが、ほかの面々よりも遥かに軽傷であったため、カナタとマフィアのボス──坊主頭に強面の大男であるジョルジュとともに話し合いを始めていた。
一番奥の部屋でソファに座り、足を組んで長い黒髪をポニーテールにまとめた少女を前に、ジョルジュがお茶を置く。ジュンシーは毒がないことを証明するために三つの器にそれぞれ口をつけ、カナタはそれを理解して信用を見せるためにお茶を飲む。
まず最初にカナタの事情を話し、その上で今後の予定がないことを伝える。
「……なるほど。そういった事情か」
「私には特にこれと言ってやりたいことがあるわけでもない。だが、生きるのに金が要る」
赤い瞳を向けられ、射竦められたように身を縮こまらせるジョルジュ。
びくびくしながら話を聞いている彼の隣で、ジュンシーは思案する。
元々このマフィアはこの島で幅を利かせていただけの小さい組織だ。島の官憲とも少なからずつながりはあるが、それほど大きいものではない。
既得権益があるにしても、島と島の交易はそれほどあるわけではない。奴隷商船が通ろうとした理由の一つでもあるが、この辺りは
だが、カナタがいれば話は別だ。
彼女の能力があれば、ほかの船よりも比較的安全に物資を運ぶことができる。
「ジョルジュ、良いか」
「へ、へいっ! なんでしょう、旦那!」
随分と卑屈な態度になったものだ、とジュンシーは思う。
これでも先日まではそれなりに気骨があったのだが、カナタにぼろぼろにされてからはこの有様だ。
滅多に見かけない悪魔の実の能力者、それも希少な部類に入る
ジュンシーはそうでもないが、能力者に対する差別は根深い。
子供が間違って口にし、悪魔の子──そう呼ばれて迫害されることもそう珍しくはない。
理解の及ばない力を行使する彼女が、怖いのだろう。
「海運を営む者に心当たりがあるだろう。お主、渡りをつけてこい」
「て、手伝うんですかい!?」
「このままつまらん小遣い稼ぎばかりやっていたところで先はないぞ。うまくいけば儲けられる」
「そうか……わ、わかった。行ってくる。後は頼んだぞ!」
そういって部屋から出てドタバタと走り去っていくジョルジュ。ジュンシーは思わずため息をついてソファに座りなおす。
組織のトップがいなくなってしまったが、さして問題はないだろう。ジュンシーとカナタでやることを決めてしまえばジョルジュに反論する気骨もないのだから。
「すまんな、あれは体躯の割に臆病なのだ」
「構わない。それで、どうするつもりだ?」
「船があるなら海運だろう。この辺りは船もあまり通らんからな、交易をやればそれなりに利益にはなろうさ」
「そうか」
「お主にも手伝って貰うことになるだろう」
「わかった」
言葉少なく、カナタはそう告げた。
実際のところ、ほかにやることがあるわけでもない。何をやるにも金は必要なのだから、自分の力で稼げるならばそれでいいと思っていた。
降って湧いたようなこのヒエヒエの実の力も、利用価値があるならそれでいいと。
「私は何をすればいい?」
「船の護衛だ。儂もつくが、船の上ではお主に分があろう」
「私もこの力を手に入れて日が浅い。力を使う練習をしたいのだけど」
「こちらもしばし時間がいる。町の西、港は反対方向に浜辺がある。そこで練習するといい」
「おあつらえ向きだな」
ほかにやることもない。細かい制御も出来たほうが色々と便利だろうと、カナタは浜辺に向かうことにした。
ジュンシーは他の面々を集めて決まったことを通達するといい、明日またここに来るようにと言い含める。
誰がこの組織のボスなのかわからない状態だが、トップが予想以上の腑抜けだったし仕方ないな、とカナタは納得していた。
殴って気合入れたりはしないのだろうかと小さく思う。
この建物の中にいても遠巻きに恐れられるだけだ。
ため息をつきたい気分になりながらもそれを隠し、建物を出て西へ向かう。
潮の臭いとさざ波の音、わずかに聞こえるカモメの鳴き声。
砂浜を歩いて適当な石に座り込む。
(……何故、あれだけ怯えられるのだろうな)
ちょっと凍らせただけなのだが、と。
当人はそれほどのことはしていないつもりでも、周りからすれば脅威だということに気付いていなかった。
なまじ能力が強力なだけに、少しばかり力を込めただけで出来たことにそれほど驚かれても困る、という状態らしい。
ひとまず、全力で能力を使えばどうなるのかだけ確かめよう。そう考え、浜辺の端で海に手を付ける。
悪魔の実の能力者は総じて海から嫌われ、水につかると動けなくなるという。流石にこの程度ならどうにもならないが、泳げなくなったのは痛いなとカナタは思う。
船に乗る仕事で海に落ちて泳げないのは致命的だ。対策を考えなければならない。
まぁそれはあとでいい、と思考を切り替える。
(──さて、全力でやればどうなるか)
──目をつむって集中し、文字通り全力で能力を発動させた。
吐いた息が真白に染まる。
辺りの気温が一気に下がったのを肌で感じる。
さざ波の音が止んだのがわかる。
──目を開けば、辺り一面が完全に凍り付いていた。
(……ここまでか)
なるほど、これは恐れられるだろう。
これほどの力があるとは思っていなかった。そこらにあった大きめの石を投げても氷が割れないし、浜辺付近の浅瀬で何度か氷の上を跳ねてもヒビすら入らない。
これなら海に落ちても海面を凍らせれば泳げなくても不便はなさそうだ、とカナタはぼんやり考える。
次に思ったのは「これどうやって戻そう」ということだったが、凍らせた後は自分でも操作できないようなので、諦めて氷で槍を作ったりしてみる。
ヒエヒエの実の名の通り、基本は冷気を操る能力なのだろう。凍らせた後のものには干渉できない。もしかすると練習次第で操れるようになるかもしれないが。
それだけわかれば十分と判断し、今日は船に戻ることにした。
次の日、ジュンシーに滅茶苦茶怒られた。
☆
一週間後。
海運の準備が出来たとジョルジュの部下から報告があったので、ジュンシーを引き連れて港へと足を運んだ。
荷物、人夫、その他必要なものを船に積み込みながら、カナタはジュンシーに目を向ける。
腑抜けのトップよりこの男に聞いた方が色々早い。
「最初はどこの島に向かうのだ?」
「より
ちなみにカナタは凍らせた次の日から行っていないが、氷はまだ融けていないらしい。
「巨大な生物を相手にしたことはない。相手取る機会はない方が良かろう」
「呵々、確かにそうだ! 海獣程度ならばまだしも、海王類となっては儂も手を焼く」
「……素手で戦うのか?」
「槍も使えるが、まぁ基本は素手だ。覇気使いならば素手で鋼鉄くらいはたやすく砕くぞ」
ハキ? と首をかしげるカナタ。うろ覚えの知識を総動員して思い出そうとするが、その前にジュンシーが明朗に答えた。
「お主のような能力者の実体をとらえる“武装色”、相手の気配をより強く感じ取る“見聞色”。そして周囲の相手を威圧する力、“覇王色”。この三つを総じて覇気という」
「そのようなものがあるのか。お前、最初に相対したときは使わなかったようだが」
「当然だ。見聞色で探っても素人の小娘一人、それだけの相手に武装色など使わん」
必要とあらば躊躇せず使うが、あの状況では不要と判断しただけらしい。
運がよかったというべきか、なんというべきか。
こうして味方に引き込めたのだから、良しとすべきなのだろう。必要ならば覚えたほうがいい技術でもある。
「……時間だ。俺はここに残るぜ、旦那」
「良かろう。儂はお嬢と出るが、既に一蓮托生であることを忘れるな」
「わかってる、わかってるよ旦那。心配すんな。もう腹ァくくってる」
がりがりと坊主頭をかきながらジョルジュはため息をつく。カナタと会ったのが運の尽きだ、と。
そんなジョルジュを尻目に、カナタはジュンシーと共に船に乗り込んだ。
「出航だ。帆を張れ!」
ジュンシーの声に合わせ、人夫たちが一斉に帆を張る。甲板で動き出した船から陸の方を一度だけ振り返り、ジョルジュを見る。
彼もカナタが見ていることに気付いたのか、軽く手を挙げて「しっかりやって来い、お嬢!」と声をかけていた。
それに微笑みを浮かべながら一度だけ手を振り返す。驚いたジョルジュの顔を見納めに、カナタは船室へと入った。
お嬢呼びは固定なのか、と思いながら。
☆
ティジャ島まではおよそ三日でついた。
道中は特に何か起こるというわけでもなく、予定通りに航海は終わった。
「ここは何か珍しいものはあるのか?」
「さて、俺っちは知らねえっスね……この島、確か
「そうか。私は少し出歩くが、問題はあるか?」
「了解っス。旦那にも伝えておきやす」
「ああ。それほど時間をかけずに戻る」
ジョルジュの部下の中でもほぼ唯一といっていい、カナタ相手に普通に喋れる船員にそれだけ言って船から降りる。
ジュンシーは交渉役の護衛としてついて行ったため、暇になったのだ。
この三日間はニュース・クーの新聞を見るくらいしか娯楽がなかったこともあり、久々の陸地に足取りも軽くなる。
それほど大きい島ではなく、ちょっと大きめの街が一つあるくらいで、あとは山間部に畑と牧草地帯が広がる程度。見て回るのに時間はかからないだろう。
港から町の方へと繰り出す。
余所者ということもあるが、カナタが幼いながらに常人離れした美貌を持つということもあり、非常に目立っていた。
交易品となりそうなものはあまりなさそうだが、ジョルジュたちの島にない食料なり織物なりを売買できれば利益は出るだろう、とカナタは考えていた。
町は一通り見て回り、少し山を登って農作物を見る。
この辺りは
(……ん?)
牧草地帯でのんびりしている家畜たちを尻目に、複数人の大人たちが山を登っていくのを見つけた。
足元を見れば通った道がしっかり踏み固められており、普段からよく通られていることがわかる。
何かあるのだろうかと好奇心の赴くまま、カナタはこそこそと彼らの後をつけていく。
それほど歩かないうちに開けた場所に出た。見つからないようにカナタは近くの茂みに身を隠す。
そこにあったのは、大きめの一つの檻だった。
その中にいる誰かに向けて、大人たちは聞くに堪えない罵詈雑言を浴びせ、時には檻の中に向けて石を投げる。
(罪人でもいるのか?)
田舎の島ではよくあることだが、犯罪が起きた際に市長の一存で罪が決まることがある。王国と呼べる程度に大きい島だったり、世界政府加盟国であればまた話は別だが、この島はそうではない。
この島独自の司法で動いているのだろう。
やがて大人たちは踵を返し、同じ道を通って山を下りて行った。
カナタは茂みから姿を現し、檻の中の罪人と思しき人物を見る。
全身余すところなく刺青が入った褐色肌の青年だ。石を投げられたりしていたようだが、ケガは見当たらない。
檻の中で横になっていた彼は、近づいてくるカナタに対して怪訝な顔をする。
「アンタ誰? 見ない顔だけど、この島に最近来た人?」
「私はカナタ。この島には交易の一環で来ている商人だ」
間違いではない。船自体は彼女の持ち物だし、それを使ってジョルジュたちが商売をしているだけなのだから。
それを聞き、彼は「へぇ」と笑う。
「そりゃ珍しい。何にもない島だけど、楽しんでいってくれよな」
「檻の中から言われてもな」
「全くだ」
けらけらと笑う彼を、カナタは不思議な顔で見る。
あれだけ聞くに堪えない罵詈雑言を受け、石を投げられ、悪意をぶつけられていたというのに。彼はひねくれてこそいるが腐ってはいない。
そんな表情を読み取ったのか、彼は口を開いた。
「オレはずっとああやって悪口言われたり、石投げられたりしてきたからな。それしか知らない」
「……」
「いつだったか忘れちまったけど、とびっきりのお人好しがオレを助けようとしたこともあった。けどまぁ、今こうなってるってことはそういうこと」
そうか、と簡潔にカナタはつぶやいた。
話し相手が出来たことが嬉しいのか、彼は聞いてもいないのに次々と話し出していた。
ある日、この島の人たちに自分が悪魔の実を食べたことがバレて、そのままここで虐げられていること。
一時期、どこかから来た『正義の味方』を名乗る誰かが自分を助けようとして失敗したこと。
その『正義の味方』とやらに色々教えてもらったこと。
話したいことはいくらでもあったのだろう。カナタはそれを相槌を打ちながら聞き入っていた。
「──っと、もう夕方か。わりぃな、オレばっかり話しちまって」
「構わぬ。面白い話を聞けた」
「そう言ってくれるなら嬉しいね。ここしか知らない、オレのちっぽけな話だ」
石を投げられるのはまだ軽い方で、四肢を潰されたり喉を潰されたり火で炙られたこともあると彼はいう。
それでもまだ五体満足なのは、おそらく彼の食べた悪魔の実の力なのだろう、とカナタは思っていた。
自分も同じ目に遭っていてもおかしくはなかったのだろう。
そう考えると、自分でも意識しないうちに口を開いていた。
「お前、名は?」
「あん? オレはもうずっと名前で呼ばれることもないからな……自分の名前も忘れちまった。好きなように呼んでくれていいぜ」
「ならクロとでも呼ぼう。お前、私と共に来る気はないか?」
クロ、と呼ばれた男は、カナタの言葉に目を見開き驚く。
「おいおい、こんな不気味で何の役にも立たない貧弱男を連れてどこ行こうってんだ。奴隷として使いたいの、アンタ?」
「まさか。面白そうな男だから誘ったに過ぎんよ」
「オレは化け物だぜ。さっきも言ったけど、色々拷問まがいなことされてきたけどピンピンしてるくらいには」
「私も似たようなものだ。化け物同士、仲良くできると思わないか?」
右手に冷気を起こしながら、なおも諦める様子を見せないカナタに対してクロは笑った。
「ははははは!! なるほど、化け物同士で傷の舐め合いか! ま、それも悪くないかもな!」
「どうする?」
「そうだな……よし、じゃあ連れて行ってくれ。アンタの傍にいると面白いことが起きそうだ」
「決まりだな。ついてくるがいい」
檻を極低温まで下げた冷気を使って砕き、クロを中から出す。
久々の外に背伸びしながら、カナタの方へと向き直る。
「そんじゃ、これからよろしく頼むぜ、嬢ちゃん。オレはクロ。ヤミヤミの実を食った闇人間だ」