翌日。
イガラムと数名の部下がカナタの船を訪れていた。蛇の切り身を土産にしようとしたらしいが、血抜きもせずに凍らせたので食べられたものではなかったそうだ。
用件はすぐ済むことだったのでお茶を飲むこともなくすぐに帰ってしまった。色々あったので彼も忙しいのだろう。
ジュンシーは熱めのお茶をすすりながらカナタへの用件はなんだったのかと問いかける。
「賃金の支払いだな。ただ、現物が無いからアルバーナまで取りに行くと言っていた」
「……それだけか?」
「いや、出来れば昨日の件の礼も含めて私についてきて欲しいそうだ」
たまたま同席していたフェイユン曰く「嫌な感じはしなかった」そうなので、罠にかけようと思っているわけではなさそうだ。
荷運びも一人では大変だろうから、あちらで人手は出すと言っていた。
断ったが。
「ジュンシー、お前も来い。あとはサミュエルだな。金を運ぶ係だ。何かあったとしてもお前たちなら自分の身くらい守れるだろう」
「何か起こること前提か。随分と慎重だな」
「あまり他人を信用するな。我々は──というのは違うかも知れないが、少なくとも私は世界的に賞金がかけられている犯罪者だ。何をされても文句は言えない」
イガラムがたとえ好意的でも、コブラがたとえ敵意を持っていなくても、現国王や国王軍も同じだとは限らない。
誰であれ、善意や正義だと思えば罪悪感なく行動を起こすことはあるものだ。
正しさは時に目を曇らせる。
もっとも、カナタは世界的犯罪者だ。この場合は確かに通報する方が正しいのだろう。
「追われる身だ。面倒ではあるが、海軍や世界政府を正面から相手にして跳ね返すだけの戦力も地盤もない……嫌なら、それ相応の力と勢力を整えなければな」
少しだけ遠くを見つめるようにして、カナタは呟いた。
〝新世界〟の海を支配する四つの海賊。その一角を落とせるレベルにまでなれば、迂闊に海軍も手を出さなくなるだろうが……現状では望むべくもない。
逃げ回るだけではいずれどん詰まりに陥るだろう。奪うだけで生産性のない海賊など長くやるものではない。
何か、政府にとって無視しえない──しかし手出しが難しい立場を確立しなければならない。
「……何をやるにも、賞金首であることが足を引っ張るな」
「お前の選んだ道だろう。後悔はないのではなかったのか?」
「過去を悔やむことに意味はないからな。単なる感傷にすぎん。失くしたならまた積み上げればいいだけの話だ」
だが、実際問題どうしたものか。
下手に目立つと海軍大将が飛んできかねない現状、ろくに動くことも出来ない。逃げ回るにも限界はある。
こうなると手詰まりを起こしてしまうだろう。いっそ覚悟を決めて正面から跳ね返せれば気持ちにも余裕が出来るのだが。
「……いっそ本当に海軍に仕掛けてみるか」
「また何かろくでもないことを考えているな?」
「追われるくらいなら一度立ち向かうというだけの話だ。準備はするがな」
どうあれ、アラバスタでこれだけ目立ったのなら海軍がここに来るのも時間の問題だろう。
それまでに迎撃の準備を整えておかねばならない。こちらの動きの方が早ければ接触することもないだろうが……。
「いつかはぶつからざるを得ない相手だ。逃げてばかりもいられないだろう」
賞金首である以上は狙われ続ける。鬱陶しくはあるが、連中もそれが仕事だ。
訓練は積んだが、まともに戦力として数えられるのは五人だけだ。多少質は落ちるが戦えるというレベルなら他全員が該当する。
カナタ、ジュンシー、フェイユン、ゼン、サミュエル。当面主力として扱えるのはこの五人だけだろう。クロは対能力者であれば切り札になり得るが、直接的な戦闘は得意とは言い難い。
デイビットは基礎的な身体能力に難がある。スコッチとスクラは基本的に非戦闘員だ。
「では、今回は儂とサミュエルが付き添いでいいな。ジョルジュにも伝えておこう」
「もし私たちが出ている間に海軍が来たら外海に逃げろとも伝えておけ。スコッチがいれば船は出せるし、必要な物は買ってあるだろう」
「我々はどうするつもりだ?」
「私が
とんでもない提案を受けた。
確かにカナタの能力であればそういった移動も可能だろうが、いくら何でも力業過ぎないだろうかとジュンシーは呆れた顔をする。
「だが有効な方法ではあるか……」
「あくまで保険だ。戦ってもいいが相手次第だな。フェイユンとゼンがいれば大抵の相手なら何とかなるが、将官クラスになると少し厄介だ」
准将、少将クラスだと多少覇気を使えるものが交じっている程度か。中将クラスになると覇気を完全に使いこなしている。
巨人族の海兵もいるにはいるが、フェイユンとの質量差なら押し負けることもないだろう。覇気が使えるならなおさらだ。
流石にセンゴクやガープと同等レベルはそうそういないだろうが、それでも危ない橋は渡らないに限る。三十六計逃げるに如かずだ。
「倒せそうなら戦ってもいい。この島にいる連中が相手ならゼンが戦えば負けはないだろう」
〝リトルガーデン〟で一年修行している間、単純な武術だけならカナタをも上回る技量をまざまざと見せつけられた。
あれに覇気が加わればこの島でゼンに勝てる者はいないだろう。
何事にも絶対はない。カナタだって決死の覚悟で格上のセンゴクと戦って生き残ったのだから、他人がそうである可能性もゼロではないのだ。
「伝えておく。だが残念だな、儂が残っていいのなら儂が戦いたかったが」
「ゼンもこの国は辛そうだったからな。私だって本当は砂漠を渡るなどしたくないんだ」
カナタも暑いのは苦手だが、ゼンは余計にそう見える。
へばってこそはいなかったが、外を移動する際は常に汗だくだった。それも高い体温と気温ですぐに蒸発していくので空気が揺らめいていたほどだ。
海岸近くならまだ気温も落ち着いているので戦いやすいだろう。
「……そうだな。あやつもこの国はきつそうだ」
「その点、お前とサミュエルは平気そうだったからな。私の方でも戦闘になったらお前たちに任せる」
ほとんど自分で戦う気がないカナタ。
先日も派手に戦ったし、やる気もない。突進を止めて凍らせるだけの行動を戦闘と呼んでいいのかはさておき、やる気があるなら戦いは完全に任せるつもりだった。
この国で過ごすのはカナタにとってだいぶ気力を消耗するのだ。
雨が降って多少マシになっているとはいえ、長時間雨が降り続くわけではないのだから。
「用が済んだらさっさとこの国を出る。聞いた話だとドラム王国は冬島らしいからな」
「現金な奴だ。この調子では先が思いやられるな」
「夏島は出来るだけ避けて進みたいが、先の島のことはわからないことも多い。何もわからないからこその冒険だ、というやつもいるだろうがな」
少なくともカナタたちは前人未到の最後の島を目指している身だ。多少は情報がなくとも楽しめるくらいでなければ、この先のつまずくこともあるだろう旅を続けられない。
それはそれとして暑いのはもう勘弁願いたいというのがカナタの正直な気持ちだが。
☆
首都アルバーナ。
雨期の砂漠は危険と聞いたが、流石に雨期だからと言って四六時中雨が降っているわけではない。
涸れた川──いわゆる
アラバスタ最速を誇る超カルガモ部隊に乗り、コブラとイガラムに護衛二人。それからカナタたち三人は王宮を目指していた。
「ここが首都なのか」
「ええ、入り口は階段のみで、有事の際にはすべての扉を閉めることで守りを固めることが出来るのです」
「ふむ……階段を上るのか。街の足場を高くしているのは雨期でも沈まないようにか?」
「そうです。元々の地形ということもありますが、雨期には近くを流れるワジもありますからね」
サンドラ河の氾濫は流石にここまで流れてこないが、小さい砂丘だと大雨で形を変えることもあるという。
王子がいるので門はすぐに通れる。
王宮までそれほど距離はなく、超カルガモ部隊に乗って街道を歩きつつ向かうことにした。
「活気があるな。流石は首都ということか」
「この時期は外に出るのは危険ですから。多くの人は街中で雨期が過ぎるのを待ちますし、それゆえ稼ぎ時の者もいます」
「興味はあるから少し見ていきたいが、それほど時間もない。急いでもらっても?」
「構いません。元々こちらから言い出したことですから」
王宮で手続きをして、即金で払って終わりだそうだ。
カナタたちの正体に気付いていることもあり、早めに国を出たほうがいいというコブラからの配慮でもあるのだろう。
あれだけ派手に動けば海軍にかぎつけられる、と。
王宮の中に入ってもいいと言われたが、カナタたちは固辞した。
「気付いているだろうから言っておくが、不用心に我々のような存在を王宮内に入れないほうがいい。いつか寝首をかかれる」
「……少なくとも、私は貴女がそういうことをしないと判断しています。コブラ王子もです。そうでなければ、王宮はおろかアルバーナへ招くこともしません」
「悪党は何を考えているかわからないものだ。軽く信用しない方が身のためだぞ」
「理解しています。それでも、貴女にはコブラ王子を守っていただいた恩もありますゆえ」
そう言って笑うイガラム。
そもそも、そういうことを考えているならわざわざ口に出すことはないでしょう。と言われてカナタはそっぽを向く。
王宮に招くと決めたのはコブラだと聞き、「一度命を救われたくらいで悪党相手に心を許さないほうがいいと思うが」と呟く。ロジャーに絆された女の言うことではない。
イガラムと話している間にコブラは経理担当の者を呼び、賃金の清算をしている。
少しばかり時間がかかるだろうと、王宮の入り口にある庭園で待つことにした。
今日も暑いな、と空を見上げていると、ふとこちらに近付く気配があった。
「──カナタ」
ジュンシーの言葉でフードを被り、後ろから来る人物が通り過ぎるのを待つ。
『正義』の文字を刻んだコートを羽織り、堂々と歩く二人の偉丈夫。片方は銀髪碧眼に眼鏡をかけた美男子だ。もう一人の男も同様のコートを羽織り、黒い髪を撫でつけて鷹のように鋭い瞳をカナタの方へと向けた。
数人の部下を連れるその男たちは、緊張した様子のイガラムの前で立ち止まった。
銀髪の男性が穏やかな笑顔で一礼し、イガラムへと話しかける。
「──失礼。海軍本部大佐ベルクです。イガラム殿、コブラ王子は戻られたと聞きましたが」
「海軍の……いえ、失礼。王子は現在執務室にいらっしゃると思いますが……急用でしょうか?」
「急用というほどのことではありません。駐留部隊としての任期が満了に近付いていますので、引継ぎと後任の顔合わせをと思った次第です」
「それは……なるほど。王子に伝えますので、応接室にてお待ちいただけますか?」
「ありがとうございます。では、我々はそちらで待たせていただきます」
カナタたちの方は特に気にせず、イガラムとにこやかに会話するベルク。
そのままイガラムが先導して応接室に向かおうとしたところ、視線をカナタの方へと向けた。
「……貴殿の顔を、当方はどこかで見たことがある気がするのだ。どこかで会ったことはないだろうか?」
ぴたりとイガラムが動きを止めた。
緊張した様子を見せるが、カナタは特に気負うことなく自然体で肩をすくめて答えた。
「その手の質問はよく受ける。何しろ男というのは私と親密になりたい奴が多いからな。だが海兵、口説きたければ休日かつ王宮の外にすることだ」
「これは失礼した。そういった意図はなかったのだが……」
「構わない。私も慣れている」
サミュエルが口を開こうとしていたがジュンシーに無理やり口を閉ざされている。この男が口を開けばまず口を滑らせるので、そうさせないためだ。
イガラムも最大限の注意を払ってベルクたちを応接室へと連れて行き、姿が見えなくなってから緊張した空気がようやく弛緩した。
視線を動かさないまま、カナタとジュンシーは小さく言葉を交わす。
「……あの男、かなり強いな」
「あの覇気で本部大佐か。肩書は当てにならんな」
同時にカナタの存在が海軍にバレたと見て良さそうだ。
留まる理由は無くなった。金をもらったらさっさとこの島を出るべきだろう。
しばらくすると急いだ様子でコブラが現れ、確認してほしいとケースを渡される。ジュンシーに中身を検めさせている間に、コブラはカナタを心配して口を開いた。
カナタは自分が賞金首だとバレているため、猫を被ることなく自然体で接している。
「港まで超カルガモ部隊で送ろう。私も君に命を救われた身だ、恩を仇で返す真似はしたくない」
「超カルガモ部隊はありがたく借りていく。だが、我々のことは下手に庇わないほうがいい。貴方の立場を悪くする」
「……正直なところ、最初は警戒していたのだよ。私たちネフェルタリ家はかつて世界政府を創設した二十の家の一つだ。私を殺しに来たのではないかとね」
八百年前に世界政府を創設した二十人の王たちの一人であり、唯一聖地マリージョアに移り住むことを拒否した一族でもある。
天竜人と同じ血の流れるネフェルタリ家を殺しにアラバスタに現れたのではないかと、コブラは当初警戒していた。
「だが、全くの杞憂だった。君たちは真面目に働き、汗を流し、誰にも偏見なく接していた。噂とはあてにならないものだ」
「天竜人を殺したのは事実だ。その時点で通報されていても、私は何も言えなかっただろう」
「それでもだよ。今ではあの時の判断は間違っていなかったと胸を張って答えられる。何しろ、君に命を救われたのだから」
コブラの妻──ティティにも、「危ないことはしないでください」と怒られたとコブラは笑う。
カナタはそれに苦笑し、ジュンシーが中身に間違いが無いことを伝えてきた。
やや金額が高いようだが、怪我人が少なく済んだことで金額を上乗せしてくれたらしい。
「よし。では帰るとしよう」
「またいずれアラバスタへ来てくれ。次は海軍にバレないようにもてなそう」
「考えておこう」
出来る事なら二度と訪れたくはない国だが、こう言われるとまた来ることもあるかもしれないとカナタは思う。
もうちょっと涼しく過ごせる方法があればいいのだが。
コブラの見送りを受けてアルバーナを出立し、港へととんぼ返りする。
「……ジュンシー、気付いたか?」
「ああ、海兵がいくらかいたな」
「海兵くらい居たって普通じゃねェのか?」
「阿呆。私たちの顔を確認しようとしていただろう。あの調子では包囲網を組まれるのも時間の問題だな」
まだ疑惑の段階だとは思うが、急いだほうが良さそうだ。
砂埃を巻き上げながら、カナタたちは砂漠を渡る。
☆
『アラバスタ駐留部隊全体に告ぐ。〝竜殺しの魔女〟を含む魔女の一味を発見。すべての港を封鎖し、直ちに包囲せよ』
『繰り返す。〝竜殺しの魔女〟を含む魔女の一味を発見。すべての港を封鎖し、包囲せよ。海軍本部へは連絡済み。ゼファー大将の到着まで持たせよ』
今回の後書きは活動報告にて。