パサリ、と紙面をめくる音がする。
雑多な音に交じり、人々の声が響く。
男の前にあるテーブルには淹れたてのコーヒーが置かれており、風になびいて湯気が立つ。
紙面にはここ最近の〝新世界〟の動きが書いてあった。
元〝白ひげ海賊団〟のナワバリを行脚し、その平定を終えたこと。
いくらかのナワバリはその庇護下に入ることを拒否して〝百獣・ビッグマムの海賊同盟〟に下ると宣言したこと。
〝超新星〟と呼ばれるルーキーたちが各地で暴れていること。
情報は武器だ。常に新しい情報を仕入れ、それを元に動く。そのためにはいろいろなところに耳が必要だし、金も必要だった。
コトリ、と対面に誰かが座る。
「首尾はどうだ?」
「船は手に入りました。ただ、少しばかり古い船になりそうです」
「使えるんならボロ船でも構わねェ」
新聞を置き、対面に座ったダズ・ボーネスを見やる。
ファーコートに葉巻をくわえたその男は、かつて七武海の一翼を担っていた男──クロコダイルだった。
「〝王下七武海〟制度はもう崩壊寸前だ。明確に解体されるのは〝
元々空席がひとつあった。
そこからクロコダイルの称号剥奪、カナタの追放、ジンベエの裏切り、モリアの死亡、くまの奴隷落ち……今や残っているのはミホークひとりだけだ。
これだけの不祥事が続けば、七武海の有用性について疑問を抱く王は出てくるだろう。特に直接的な被害にあったコブラ王などがその筆頭である。
世界政府加盟国として、お互いに利益を得ることが目的だ。被害が出るようなら考え直すのが道理だろう。
もっとも、〝黄昏〟の影響力が強い〝
少なくともクロコダイルなら、次の〝
「資金が必要だ」
何をやるにも金がいる。
ましてや、〝黄昏〟を相手取るなら万全に万全を期してもなお足りない。
何より必要なのは、あの〝白ひげ〟を下しガープを打ち倒したカナタを倒すための戦力。
クロコダイルが七武海制度が崩壊する前に動こうとしているのは、現七武海のひとりであるミホークを味方に引き入れるためだった。
「しかし、〝鷹の目〟をそう簡単に引き入れられますかね?」
「〝鷹の目〟は本質的に他人を信用しねェ男だ。〝海兵狩り〟と呼ばれたあの男が、海軍や世界政府に成り替わろうとしている〝黄昏〟と手を組むとも思えねェ」
シャンクスとライバル関係にあったことはある種の伝説として語られているが、〝
勢力としては及ばずとも、単独での戦闘力ならシャンクスに比肩するか上回る以上、クロコダイルにとってこれ以上ないカード足りうる。
あとは、多額の資金を用意して盤面を引っ掻き回せば──カナタを討つチャンスは訪れる。
「〝鷹の目〟の力がありゃあ、あの女の首を獲れる」
「……出来ますか?」
「やるさ」
昏く沈んだ瞳のまま、クロコダイルは静かに告げた。
かつて何を目指していたのか、もう思い出せもしない。
かつて己を負かした男は、既にこの世にいない。
かつて目的としていた理想郷の建国を再び目指してこそいるが、それとて果たして本当にやりたいことなのか──今のクロコダイルにはわからなかった。
だが、先の戦争でクロコダイルを歯牙にもかけずに暴れまわったカナタを斃さねばならないと思った。
それが〝白ひげ〟に対する彼なりの弔いなのか、あるいは勝ち逃げされたことへの八つ当たりなのか、それすらもあいまいなまま。
ダズはクロコダイルのその姿に危うさを感じながらも、この男についていくと決めた以上は口を出す気はなかった。
「そういや、ミス・ダブルフィンガーはどうした?」
「……あいつなら、必要なものを買ってくると言って市場に」
「……船の用意をしている間に手配したと、おれは言ったハズだが?」
「おれにはわかりませんが、女には色々と用意するものがあるんでしょう」
クロコダイルはダズの言葉に呆れたように脱力して椅子にもたれかかり、大きく息を吐きだした。
女の買い物が長いのはどこも同じらしい、と思いながら。
☆
新世界、とある島。
世界政府加盟国であるこの国は、天上金を差し出すために爪先に火を灯すような生活を細々と続けていた。
食べるものも多くはなく、産業と呼べるものも多くはない。天上金を支払うだけで精いっぱいの、貧しい島であった。
そんな島でも世界政府加盟国という立場に固執するのは、非加盟国になった国がどのような末路を辿るのか、王族が正しく認識しているからである。
島民が人間扱いされることはなく、海賊に襲われたところで海軍が助けてくれることもない。
およそ人権と呼べるものを失うことに等しい。
その島は今現在──海賊に襲撃されていた。
「ぎゃはははは!! テメェら、略奪の時間だ!! 金銀財宝、全部まるっといただいちまえ!!!」
「ウオオオオ!! キャプテン・バギー最高だぜ!!!」
ふよふよと宙に浮かぶ生首が笑う。バギーの能力で体はバラバラに分解出来るため、大きな服を敢えて着て巨漢に見せることで威圧感を演出しているのだ。
彼に従う海賊たちもまた、情け容赦のない〝インペルダウン〟の脱獄囚たちだ。
略奪を優先しているためか人に対する暴行などは少ないが、金目の物を奪っては袋に詰めていくその姿は市民にとってこれ以上ないほどの恐怖だった。
「んん~~……お、国軍が出てきたか。野郎ども、作戦通りいくぞ!!」
「了解です、キャプテン・バギー!!」
完全武装の国軍は強い。そこらの海賊が相手なら負けることはない。
だが、必ずしも国軍が海賊に勝てるわけではない。海賊側が卑怯な手を使うこともあれば、そもそも新世界まで来れるほどの実力ゆえに単純な強さに敗北することもある。
今回の件においては後者が該当する。
〝インペルダウン〟に収監されるほどの海賊たち。さらにはそこで看守長を務めていたシリュウの実力は頭一つ抜けている。国軍と言えど、太刀打ちできるものではない。
国軍と一度ぶつかり、その強さを見せつける。そうすれば国軍と言えど腰が引けるものだ。
「怯むな! 我々が戦わねば、市民たちが略奪されるばかりだぞ!!」
「おおっと! やる気のあるやつもいるみてェだな! だが無駄だ、お前らじゃあおれ達には勝てねェ!!」
バギーは恐怖を煽るようにハリボテの体を震わせる。
実際、複数のガレオン船に乗っている面々が全員上陸して戦えば、この程度の国を蹂躙することくらいわけはない。
やらないのは、単に利益にならないから、というだけなのだ。
それを理解してか、隊長らしき人物は苦々し気に口を開く。
「……何が目的だ?」
「理解が早くて結構! おれたちの要求はただ一つ!! ──天上金を寄越しな」
「なっ──」
市民たちが爪先に火を灯すように生きて、何とか貯めた天上金を奪うと言う。
天上金を払えなければ当然ながら加盟国からは除外され、あらゆる権利を奪われる。海賊から守ってさえ貰えない。
普通なら呑めるはずのない提案だ。
しかし、ここで渡さなければどのみち滅ぶというのなら同じことではないのか──苦悩する隊長は、自分が判断できることではないと王の下へ伝令を走らせた。
しばしのにらみ合いの後、伝令が電伝虫を持って戻ってくる。
『──天上金を渡せと言うのか』
「そうだ。お前ら全員が生きていたいのなら、おれ達の要求を呑むんだな」
『それが、結果的にこの国を亡ぼすことになるとわかっての要求なのか……!?』
「おれの知ったことじゃねェな! だが、そうだな……世界政府がダメなら〝四皇〟にでも頼んで助けてもらうしかねェんじゃねェか?」
実際、〝四皇〟の名のもとに治安が保たれている島はそれなりにある。現状でナワバリに入っていない島は、その多くがナワバリにする旨味がないか、価値を見出していないかのどちらかだった。
ナワバリ争いは陣取りゲームだが、陣の内側を発展させるゲームではない。少なくともリンリン、カイドウにとってナワバリとは搾取するための果実に過ぎないのだ。
ナワバリにした島になんらかの思い入れか気に入ったものが無い限り、まともに守ってもらえるものではない。
その点、シャンクスやカナタのナワバリは比較的まともだ。
ラジオで各地の海の情報が流れている今、選択肢などほとんど有って無いようなものだった。
「で、どうする? ここで滅ぶか、天上金を渡すか」
『…………天上金を、渡す。だから我が国の民には手を出さないでくれ』
「ぎゃはははは!! 懸命な判断だ!! これからのお前らの幸運を祈るぜ!!!」
嘲るように笑うバギーの笑い声が響き、海賊たちの笑い声も続いて木霊する。
俯いて絶望する市民も、兵士たちも、一様に顔は暗く……これからどうやって生きればいいのか、誰も口に出せなかった。
☆
「ひぃ、ふぅ、みぃ……この量の札を数えるの、これはこれで手間だな……」
「手に入ったのはいいんですけどね……」
首尾よく天上金をせしめたバギーたちは、実際にいくら用意されていたのか数える作業に追われていた。
基本的に国土の広さによって納める金額が変わるため、測量した海図ないし地図があれば大雑把に天上金の金額はわかる。
バギーの部下はメモに書かれている先ほど襲った国の天上金の額を確認して、大きく乖離が無いことを確かめる。
インペルダウンから連れてきた元囚人組にもそれなりに頭を使えるものはいるが、大半はやはり考えるより先に暴れるような面々だ。この手の作業を任せられる者はあまり多くはなかった。
ついでのように〝黄昏〟の中でも最低限の仕事すら任せられない最底辺の連中も押し付けられているため、バギーの負担はそれなりに大きかった。
「はい、確かに。これで3つ目っすね」
「儲かりはするが、ボチボチ世界政府に目を付けられる頃だな」
天上金は基本的に海上を輸送している時に襲われることが多い。その方が護衛の数は少ないし、金額を誤魔化されることもないからだ。
敢えて国に残っている天上金を狙うのは、世界政府や海軍に頼れない状況にしてやった方が都合がいいからだ。
払うものを払わなければ世界政府は冷たい。その下部組織である海軍も同様だ。
護衛の軍艦を付けていれば責任は海軍にも及ぶので、面子を潰された海軍の捜査は大々的になる。だが陸で奪われたとなれば、海軍も世界政府も自分たちの面子が潰されたわけではないので動きは鈍い。
それでも、流石に三度目ともなれば海軍も重い腰を上げるだろうと予想していた。
「そうだな。そろそろおれ達の名前が広がっている頃だろう。次は斬りがいのある相手がいるといいが」
「こっわ……おれ達の動きについて、カナタさんはなんて言ってるんだ?」
「今のところは何も聞いてねェな。ひとまず、今回分まで引き渡すときに確認してェところだ」
世界政府加盟国は150を超える。
一つ二つから天上金を奪って加盟国から外したところで影響力はそれほど大きくはないが、それでも世界政府が使える金の総額は減っていく。
シリュウは大事そうに金を抱えるバギーを尻目に、欲求不満とばかりに刀の手入れをしていた。
「少なくとも、しばらくは同じように動くことになりそうだ。お前らは何か不満があるのか?」
「いえ、おれたちは何も」
「キャプテン・バギーは何かあるんですか?」
「おれもねェけどよ……」
正直なところ、この行為は世界政府や海軍に真正面からケンカを売る行為だ。最悪大将が出てきてもおかしくはない。
そのあたり、かなり戦々恐々としているバギーである。強さだけなら全幅の信頼を置けるシリュウがいる今、怖くはない……とまでは言えないにせよ、大体のことは何とかなると踏んではいるのだが。
どちらにせよ、金策は考えねばバギーのことを慕ってついてきている者たちを食わせていくことも出来ない。
カナタに天上金を渡し、物資を買う。
ひとまずはそれで生活が安定しているのだ。莫大な量のお金がある今、取れる行動はいくらでもある。
いくらかはカナタに上納する必要があるが、それはそれ。
「この金を元手に、傭兵稼業とか……やってみるか?」
「〝黄昏〟の利権を脅かさないならいいんじゃねェか? 下手なことをやると敵に回しかねないから、確認はしろよ」
「そりゃするだろ」
「おれは何でもいいから人を斬りてェ……不満だぜ」
シリュウは手入れの終わった刀を鞘に納め、ちらりとバギーの方を見る。
バギーは後ろを向いていて何も気付いていない。シリュウは即座に鯉口を切り、バギーの頭部を横にスパッと切り飛ばした。
「ギャアアアアア!!? って何すんじゃクラァ!!」
「ら、乱心か!? 〝雨〟のシリュウ!!?」
「いや、無性に何かを斬りたくなってな……お前なら斬っても斬れないし、斬ってみるかと」
「そんな軽い気持ちで人を斬るんじゃねェよ!?」
バギーの能力は肉体をバラバラにされても元通りにくっつく、という能力だ。
その能力の性質上、あらゆる剣士は彼の体に傷を付けられない。斬っても斬れないバラバラ人間なのだ。
最初はシリュウにビビっていたバギーも、割と雑に扱っているのはカナタの命令でバギーのお目付け役をやっているだけで裏切ることはないという以外にも、剣士ならば脅威足りえないという理由もあった。
もちろん峰で殴れば普通に痛いので勝てはしないのだが。
胸倉を掴むバギーをバラバラに切り裂くシリュウは、ひとつため息をついて刀を納めた。
「斬った感触がしねェ。ダメだな」
「ふざけてんのか!! 人をいいように斬っておいてその言い草かよ!?」
「お、落ち着いてくださいキャプテン・バギー!」
何はともあれ、仕事は上手くいっている。
〝千両道化〟のバギー率いるバギー一座は、今日も愉快に海を渡っていた。