崩れ落ちる巨人の少女。
いたるところに火傷の跡があり、多くの血を流して倒れ伏せる彼女を見て、最も動揺したのはゼンだった。
親代わりとしてフェイユンの面倒を見続け、カナタの船に乗るまではずっと二人で旅をしてきた。如何に強靭な精神を備えた武人であるゼンと言えど、彼女の敗北に動揺せずにはいられなかった。
「──く」
すぐさま助けに行こうとして、目の前の海軍大将を睨みつける。
しかし精神的に
氷の大地とゼファーの拳に挟まれ、血反吐を吐きながらその身で衝撃を受け止める。
「仲間想いなのはいいことだが、まだ甘ェな」
見聞色は冷静でなければ発動しない。
動揺すれば当然、相手の動きを見切ることなど不可能。格上を相手にそれをやってしまえば──こうなることも必然だった。
ゼンの武装硬化とて並の強度ではないが、それもゼファーを越えるものではない。
「ゼン!」
「余所見をするほど余裕があるのかァ!」
ゼンがやられたことに気を取られ、カナタの意識が一瞬そちらに向かう。その一瞬を見逃さずにセンゴクは巨大な拳を振り下ろし、防いだカナタに膝をつかせた。
見聞色を乱すほどではなかったために致命傷にはならなかったが、真正面から振るわれたセンゴクの拳は重い。
何よりもまずいのは、今までゼファーを抑えていたゼンが倒れたことでカナタが二人を相手にしなければならなくなったこと。
「崩れたな──」
倒れ伏したゼンを尻目に、ゼファーの視線がカナタへと向く。
センゴクの相手だけで手一杯だというのに、これに加えてゼファーとなると勝ち目は限りなくゼロに近い。
だけど、それでも。
「私が崩れなければ、まだ負けではないだろう……!」
「その強がりがいつまで持つか、試してみようじゃねェか。おれはお前を格下とは思わねェ。全力で潰しに行くぞ──!」
カナタはセンゴクの拳から逃れ、追撃に走ったゼファーの拳を蹴りで逸らす。
そのまま懐に入り込んだカナタは、踏み込みと同時にゼファーの腹部へと肘打ちを入れて吹き飛ばした。
カナタの間合いは槍があるのでかなり広いが、だからと言って至近距離での戦闘が苦手なわけではない。『槍は手足の延長である』という考えの下で鍛え上げているため、当然素手でもそれなり以上に戦える。
それに、ゼファーとて無傷ではない。ゼンの与えたダメージは確かに蓄積している。
「二対一だろうと、そう簡単に崩せると思うな……隙を見せた瞬間にその首をへし折ってやる」
「……恐ろしい女だぜ、お前は」
「全くだ……ここで終わらせなければ、いずれ必ず脅威になる」
今はそうでなくとも、今後も一般市民に被害が出ないとは限らない。
強さだけで言えば現時点でも十分すぎるほどの脅威だ。ゆえに、此処で手を緩めることはない。
長期戦はカナタにとって不利になることはセンゴクたちにも十分わかっている。確実に、真綿で首を締めるように力を削いでいくだろう。
(私の力が尽きるのが先か、援軍が来るのが先か……期待は出来ないか)
そも、センゴクとゼファーを相手に正面から戦える者がいない。
ゼンは既に倒れているし、ジュンシーも今は船の防衛で手一杯だ。客人であるドラゴンやタイガーに期待するわけにはいかないだろう。
カナタ一人で乗り越えなければならない。
この怪物たちの相手を。
──火蓋を切ったのは果たしてどちらか。
三つの影がほぼ同時に交差し、氷の大地が軋みを上げた。
☆
まずい、と思った時には既に事態が動いていた。
並み居る中佐、大佐たちを倒しながらドラゴンはフェイユンとカナタで視線を迷わせ、近くにいたイワンコフに声をかける。
「イワ! おれはカナタの方に行く。お前はフェイユンの方を手助けしてやれ!」
「わかったっチャブル! でもドラゴン、ヴァナタここで派手に目立ってもいいの?」
「今更だ。それに、危ないなら助けるのが仲間だろう?」
「フフ、それもそうね! 武運を祈るわ」
「お前も気を付けろ」
イワンコフは船を降りて島の沿岸から走ってフェイユンの方へ。
ドラゴンはカナタの創り出した氷の大地へ降りて手助けに向かう。
「儂も行きたいところだが……」
「貴殿の相手は当方がしよう。他の大佐たちでは相手にならないようだ」
眼鏡をかけた銀髪の美丈夫が、剣を片手にジュンシーの前に立つ。
腰には短剣がいくつも下がっており、ジュンシーは槍を構えて警戒する。彼の覇気は他の佐官とは比にならないため、この中でも最も警戒すべき相手だと判断したからだ。
そして、その判断は決して間違っていなかった。
「こちらの戦闘態勢は万全である。来い」
「では先手を取らせてもらおうか──ハッ!」
ベルクは連続する高速の突きを紙一重で躱し、剣と槍のリーチ差を物ともせずにジュンシーへと切りかかる。
込められた覇気もさることながら、ただただ純粋に腕力が強い。
槍で斬撃を受けたジュンシーは動きを止め、受け止めきれずに数メートルほど後ろへ下がった。
「何という重さだ……これで大佐か……!」
「海軍が軍である以上、年齢その他の理由で階級が上がらないことはままある。将官が相手でも当方は負けるつもりはない」
「随分な自信だな」
だが事実だろう。
大将相手に防戦とはいえ戦えたジュンシーとまともにやり合えている。
まだ余裕も見て取れるあたり、甘く見れば切り伏せられるのはこちらだと気合を入れなおした。
現状は劣勢だ。フェイユンが倒れた今、相手をしていた二人の巨人海兵もこちらへ向かってくるだろう。
(今フェイユンの方にはイワンコフが行っているが……あやつ一人では厳しかろう。もう一人いれば……)
ゼンも倒れた上、カナタの手助けのためにドラゴンが向かった。船を守るための人員も割かれている現状、こちらも余裕はない。
サミュエルがこちらに向かっているだろうが、彼一人が来てどれほどの足しになるかというところだ。
それに、包囲されている状態では逃げることも出来ない。どこまで戦えば終わるのかも不明だ。
ゼファーとセンゴクを相手に退かないと言っても、あの二人を相手にして勝てるとも思っていない。どうにかして脱出の機会を作らなければならない。
「考え事か。だが、当方を前にしてそれは致命的な隙になるぞ」
短剣を数本投げ上げ、回転しながら落ちてきたそれの柄を殴りつけてジュンシーの方へと投擲する。
弾き、躱しながらジュンシーは距離をとり、踏み込んできたベルクの斬撃を受け流した。
「く……ッ! 考え事をする暇もないか!」
追い詰められていくのが感覚的にわかる。
どこかで巻き返さなければ、敗北は必然だ。
☆
巨大化が解け、普通の巨人サイズにまで戻ったフェイユン。
至る所に砲撃による火傷の跡があり、サウロとロンズの二人による攻撃で打撲と裂傷も出来ていた。
大きさという一点だけで二人の中将を相手取っていたが、地力の差は大きかった。
「ぐ……」
「人を見上げるのは初めての経験だったでよ」
「全くだ。海は広いな」
それぞれ大きな怪我もなく、倒れたフェイユンを前に一息をつく。
意識こそあるが、ダメージは大きく体を動かすことが出来ない。
だが、治療などで復活すれば脅威となるため、海楼石の手錠を用意しなければならない。抑え込むにはまだ二人の力が必要であるため、此処に残っていた。
「海楼石は持ってきているのか?」
「船に置いてあるでよ。今部下に持って来させてるところだで」
「そうか。〝巨影〟は落とした。あとは……〝魔女〟はゼファー大将とセンゴク中将が相手をしている。おれ達は船の方に行こう」
「そうだなァ……そっちがええか」
巨人族の中将二人が加勢に加われば、今手こずっている相手も倒すことが出来るだろうと判断し。
カナタの船に視線を向けると、巨大な顔面が視界に入った。
「は??」
「なんだ、あれ……?」
「ん~~
飛び上がったイワンコフが高速で顔面を移動させ、残像を作り出す。
カッ! と見開いた目がロンズを捉えた。
「
ただの瞬きによる爆風が超高速で放たれ続け、驚きで隙を突かれたロンズが吹き飛ばされた。
イワンコフは次にサウロに視線を向け、バチーン!! と巨大化した顔面で瞬きをする。
サウロはそれを受けても揺るがず、イワンコフを睨みつけた。
「〝魔女〟の一味の一人か? 結構強いみたいだが、ワシは手加減出来んでよ」
「ン~フッフッフ。手加減なんて不要よ! ヴァターシだって遊びに来てるわけじゃナッシブル!!」
とはいえ、巨人族二人を相手に勝てると思うほど、イワンコフは命知らずではない。どうにか隙をついてフェイユンに近寄ることが出来れば、〝ホルホルの実〟の力で復活させることができる。
多少無茶させることになるとはいえ、このまま捕まってインペルダウンに収容されるよりはいいだろう。
それを知ってか知らずか、イワンコフとフェイユンの間に体を入れるサウロ。
吹き飛ばされたロンズも服をはたきながら立ち上がり、斧を片手に鉄仮面をかぶりなおす。
「効いたぞ。だが、二度は通じない」
この二人には油断も慢心もない。
大きな怪我こそないが疲労はある状態で、ゼファーが警戒する〝魔女〟の傘下を相手取ることの危険性を理解しているためだ。
サウロは構え、イワンコフを相手に踏み出そうとして──横合いから飛びかかってきたサミュエルの噛みつきを咄嗟に腕で防いだ。
「グルルルル!!」
「こいつは……能力者か」
巨人族の分厚い皮膚を貫く牙を持ちはするが、圧倒的に体格が違いすぎる。虫を払うように腕を振ってサミュエルを振り払い、追撃するように拳を振り下ろした。
「うおおお!?」
咄嗟に避けてゴロゴロと転がり、イワンコフの横に並んで獣人形態に変わる。
イワンコフは肩を並べたサミュエルに対し、視線を向けずに声をかけた。
「ヴァナータ、どれくらいやれる?」
「体力満タンだ。だけど、勝てるかって言われると……」
「ヴァタシもよ。でも勝つチャンスはある。どうにかあの子に近付きたいから、手伝ってくれるかしら?」
「フェイユンにか? よし、任せろ!」
詳しいことを説明する前にサミュエルは走り出し、サウロへ飛びかかっていった。
頭が痛そうに額を抑えるイワンコフだが、このまま放ってはおけないと自身も飛び出し、斧を構えるロンズの前に立った。
☆
天が割れ、氷の大地が裂け、凍り付きそうな空気の中でカナタはゼファーとセンゴクを相手に戦っていた。
センゴク相手になら十分戦えていたが、ゼファーが入った今となっては劣勢になるのは免れない。
直撃こそしていないが、堅実にダメージを与えてくる二人の猛攻に体は軋みを上げていた。
「ゼェ……ゼェ……!」
日は沈み始めている。
限界は近く、既に覇気は酷使しすぎて尽きはじめた。
ゼンも気絶してからそれなりに時間が経ったが、まだ意識を取り戻していない。
万策尽きた状態でもなおカナタの目は死んでおらず、センゴクは最後まで気を抜かずに彼女を倒そうと全力でその拳を振るう。
──その、刹那。
「〝竜爪拳〟──〝竜の息吹〟!」
轟音を立ててセンゴクの拳が止まる。
カナタの目の前でその拳を受け止めたのは、誰あろうドラゴンだった。
「無事か、カナタ」
「なんとかな……だが、お前が助けに来るとは思わなかった」
「お前の信頼を得るにはこれが一番だろう? 共に飯を食い、共に海を渡る。肩を並べて戦うことでわかることもある」
「……ふふ、そうだな」
ドラゴンの視線はセンゴクから途切れていないが、カナタが笑ったことがわかった。
覇気すらまともに使えなくなるまで体を酷使しているせいで動くこともままならないが、だからと言って逃げ出すことも出来ない。
横合いから姿を現したゼファーの拳が間近に迫り、ドラゴンに当たるその寸前で氷の下から誰かが現れる。
「──おれもいるぞ!」
ゼファーの拳を正面から受け止めたのは、海中を通って移動してきたタイガーだった。
ドラゴンとタイガーはそれぞれカナタを守るようにセンゴクとゼファーの前に立つ。
「どれくらいで覇気は復活する?」
「……あの二人相手なら三十分程度で最低限戦えるまでには戻る。だが、やれるか?」
「それくらいならおれ達にもやれるだろう。なァ、タイガー」
「ああ。おれ達だってそれなりに戦えるんだぜ」
船に乗っている間に仲良くなったのか、ドラゴンとタイガーはそれぞれニヤリと笑ってそう言った。
勝てるかどうかはまだわからずとも、手札は残っている。
ならば──諦める理由などどこにもない。