「聞いたか!? ついこの間の海賊と海軍の戦い、新聞に載ってねェらしいぞ!」
「うるさいね……そんなこと知ってるよ。そんなこと言うためだけにうちに来たのかい?」
大騒ぎする黒いシルクハットと白衣の男──ヤブ医者と名高いヒルルクを相手に、くれははため息をつきながらお茶を淹れる。
新聞片手に身振り手振りで大騒ぎするヒルルクはくれはの冷ややかな目に気付かず話し続ける。
「一瞬で凍り付く海! 爆音と轟音! 巨人族の海兵と、その何倍も大きい怪物! そこそこ長いこと生きてきたが、あんなのはこの広い海でも見たことはなかった!」
わざわざ高い丘から双眼鏡で見ていたらしい。
ドラム島のすぐ近くでの戦闘だったので他人事ではなかったが、くれはにとってはどちらが勝っても自分に被害が来ることはないとわかっていたことだ。勝敗そのものにさしたる興味はなかった。
だが。
「……ヒッヒッヒ。随分大変なことになったじゃないか」
十二億もの賞金を懸けられた少女の手配書を見ながら、懐かしい顔を思い出す。
何かあると訪ねてきてはトラブルを起こして迷惑を掛けてきていた女を。
「知り合いか?」
「知った顔の娘さ」
初めて会ったのがいつだったかなんてことは覚えていないが、数年前までは何をしたかわからずとも名前だけは響き渡っていた。
思い出すと久しぶりに会ってもいいかと思ってしまう。
会ってしまえばきっと何かしらのトラブルに巻き込まれるのだろうけれど、それはそれで退屈はしない日々だろう。
「こんな面倒なことに巻き込んで」とぐちぐち言いながら、それでも結局手を貸してしまうのだ。
いつだって、そうだった。
「……十二億の女が知った顔の娘なのか? どうなってんだお前の知り合い」
「うるさいよ。あたしの交友関係があんたに関係あんのかい?」
「いや、そりゃねェけど……」
「だったら黙ってな」
人の思い出に土足で踏み込むものではない。
ヒルルクよりも長く生きているのだから、それ相応にたくさんの思い出がある。
「皆不安に思ってんだ。一時期世界を騒がした海賊団はとんと話を聞かなくなったが、最近は他の海賊もいっぱいいる。だが! 皆疲れて擦れてしまっても! おれの研究さえ完成すれば不安なんか消し飛ばしちまう!」
「……変なモン作ってんじゃないだろうね」
「変なモンとは失敬な! おれァ本気で万能薬を作ろうと思ってんだぜ」
「万能薬なんざないよ。だから医者がいるんだ」
「いーや、あるね。不治の病だって治ったんだ! 奇跡はきっとある!!」
聞く耳を持たないヒルルクにくれははため息をこぼし、椅子に深く座り込む。
しかし、とヒルルクは部屋の一角を見る。
山のように積まれた物資が所狭しと置かれている。生活用品から食料や服まで何でもありだ。
「この大量の荷物はどうした。また患者から奪ったのか、業突く張りのババアめ」
「向こうもちゃんと納得したんだ。それに、
「……弟子? お前に弟子なんかいたのか? そういやここ最近見慣れねェ連中が出入りしてたな」
「ヒッヒッヒ。お前さんよりよほど腕のいい医者だよ。あたしの全ては叩き込めなかったが、最低限のことは教えた。あとはあいつの勝手さね」
「いなくなったのか? ……いや、まさか、お前……」
「さて、どうだろうね」
ヒルルクが何か言いたそうな目をしていたが、くれはは答える気もなく新聞を読み始める。
もごもごと口ごもっていたヒルルクだが、最終的に諦めたのか、「帰る!」と言って帰ってしまった。
しばらくして暖炉の火が消えそうになっていることに気付き、誰かを呼ぼうとして口を閉じた。
この家にはもう、くれは一人しかいない。
「……この家はこんなに広かったかね」
物資が所せましと置かれていても、どことなく家の中が広く感じた。
☆
──
小さな船から一つの影が港に降り立ち、まっすぐに孤児院の方へと歩いていく。
この島には特に大きな産業もなく、捨て子となった子供たちを集めては日々を慎ましく生きる大きな孤児院だけが目立つ建物だった。
院長は人格者で、時折孤児院から出ていった子供が戻ってきては院長と話すこともあるという。
きっと彼女もその中の一人だろうと、微笑ましく見送る港の男たち。
彼らの視線を受けながら、金色の髑髏の仮面で顔を隠した女性は迷うことなく孤児院を目指す。
「……お姉さん、誰?」
警戒心の強い子供が孤児院の入り口で女性を見つける。
ボロボロのマントに節々のほつれた安物のドレス。さらには金色の髑髏の仮面をした女性など、それなりに長いこと孤児院にいる少年には見覚えがなかった。
「孤児院の院長に用がある。いるか?」
「……いるけど。誰? 名前も名乗れないの?」
挑発するように少年は鼻で笑う。
女性はそれを気にするでもなく孤児院の扉に手をかけるが、少年はそれをさせまいと手に持った箒でドアノブにかけようとした手を叩き落とそうとした。
面倒くさそうに一瞥し、覇王色の覇気で気絶させる。
また対応するのも面倒だと言わんばかりに、女性は覇王色の覇気を発したまま孤児院の中に入った。
その圧力だけで建物が軋み、現れた少年少女の全てが倒れ伏していく。
院長の部屋に辿り着いた女性は、ノックすらすることなく無造作にドアを開けた。
部屋の主は特に慌てた様子もなく、眼鏡をして書類とにらめっこをしている。その横には武器を持ったまま倒れている少年少女たち。
それを一切気にすることなく、女性は金色の髑髏の仮面を外し、その素顔を露にする。
艶のある黒髪を流し、翡翠の瞳を除けば院長にとって見覚えのある顔がそこにはあった。
院長はため息をついて眼鏡をはずし、肘をついて組んだ手の上に顎を置く。
「……久しぶりだね、オクタヴィア」
「ノウェムが賞金首になっている。お前に預けたはずだが、何故あの子はここにいない?」
「簡単なことだよ。
ピクリ、と女性──オクタヴィアの眉が動いた瞬間、一条の閃光が迸って院長の心臓を正確に撃ちぬいた。
部屋の中で轟く雷鳴に窓が割れる。しかし院長には傷はなく、隣に倒れていた少年の肉体が焼け焦げたかと思えば大きく痙攣して動かなくなった。
「せっかちなのは昔から変わらないね」
「お前のつまらない冗談を聞くためにここに来たわけじゃない」
「とはいっても、事実は事実だ。ノウェムは人買いに売り払った。それ以外の事実はないよ」
「…………」
「理由が知りたいって顔だね。ふふふ……さしたる理由があるわけじゃないけれど、そうだね。
院長は強くなるオクタヴィアの殺気に臆することなく、白髪を撫でつけて笑みさえ浮かべて話し続けた。
「ノウェムを売り払った時は心が痛んだとも。
優しそうな笑顔を浮かべる院長の瞳は、いっそ狂気的だった。
かつて愛した女性の面影を強く残す娘が、母親を殺し、孫を連れてきた。孫もまた血筋として当然のようによく似た容姿で──愛しさと憎しみがぐちゃぐちゃに混ざり合って、最終的に遠ざけることにした。
手配書を見れば、院長は自分の判断が間違っていなかったと安堵できる。
あのまま手元に置いておけば、きっと自分は彼女を殺していた。
「……言いたいことはそれだけか?」
「ああ、これだけだ。君が僕を殺しに来ることもわかっていたから、身辺整理も終わらせてある。だけど、死ぬ気もない」
「勝てるとでも?」
「ゼロじゃないさ。君、
院長はオクタヴィアに向かって指をさす。
まるで、自分には全てお見通しだとでもいうように。
「ゴッドバレーの一件を政府は隠していたようだけど、当時最強だったロックス海賊団の壊滅は裏世界にとって衝撃だった。君もあの時の戦いに参加したんだろう? 君がロックスを見捨てられるはずがない。激しくなる戦闘、いつ殺し合いを始めてもおかしくない仲間たち、ロックスの野望。そういったものを考えて、君は唯一頼れる僕にノウェムを預けた。
院長は立ち上がり、机を回り込んで倒れている少年少女を気にすることなく踏み越えていく。
「理由まではわからないけど、あの一件のあとで君はすぐにあの子を迎えに来なかった。もっとも、あの子を捨てたのはそれより前だから迎えに来たとしても無駄だったけどね」
「…………」
「そう怒るなよ。迎えに来ても僕には戦う準備はあった。けれども君は来なかった──随分酷い怪我みたいだね?」
ざわざわと床が変質する。
木製の建物が藁へ。そして院長自身も藁で覆われて足元からいくつもの人形が生み出される。
「降魔の相──」
両手の指にはそれぞれ五寸釘が握られ、覇気を纏ったそれらはすさまじい速度でオクタヴィアへと振るわれた。
彼女はそれらを気負うことなく全て躱し、右手で院長の胸部へと拳を叩き込む。
すると、先程倒れた少女の一人の胸部が破裂して即死した。
「いつ見ても妙な能力だ。気味が悪い」
「
「死ぬまで殺せばそれで終わりだろう。つまらん能力だな」
脅威足りえる能力ではないと判断したのか、右手に雷を収束し始める。
だが、これだけ強いということは院長は既に知っている。対策を何もしていないわけではない。
「
足元から広がる藁の床が倒れた少年少女たちを呑み込み、藁で覆われてゆらりと立ち上がった。
幽鬼のように覚束ない足取りでふらふらしていたかと思えば、オクタヴィアを敵と認識した瞬間に機敏な動きで襲い掛かる。
微弱ながら覇気を纏っている。元から使えたのか、それとも院長が自身の覇気を纏わせているのか。
それすらどうでもいいとばかりに、オクタヴィアは右手を軽く横に振った。
「──この程度か」
迸る雷撃は一切の躊躇なく中身ごと撃ちぬき、纏った藁ごと中身の少年少女たちを焼き殺した。
一拍遅れて雷鳴が響き渡る。
「ふふ、何の罪もない少年少女を殺すことに一切の忌避感無しか。悪魔のようだね」
「
「確かにそうだ──でも、死体でも使い道はあるんだよね」
再び足元から藁が纏わりつき、焼け焦げた死体が立ち上がって向かってくる。
死してなお操られるおぞましい能力だ。死体を操る能力は数あれど、無制限に使い潰すのにこれ以上の能力はない。
院長は笑いながら範囲を広げていき、孤児院の各所から悲鳴が飛び交い始める。
どこまで広がるのかはわからないが──この男は、全てを使ってオクタヴィアを殺しに来ている。
「君、さっきから攻撃は全部右手でやってるけど──左腕、動かないんじゃないかい?」
院長の背後に現れた巨大な藁人形から無数の五寸釘が放たれ、オクタヴィアはそれを受け流す。
ゴロゴロの実の雷人間──数ある自然系の中でも桁違いのエネルギーを誇る能力者だ。自然系の例に漏れず、肉体としての形を持った雷のようなものなので攻撃を受け流すことも造作ない。
オクタヴィアは院長の言葉を否定も肯定もせず、再び右手を振るって周りの藁人形たちを薙ぎ払っていく。
「当たりのようだね。海軍大将にやられたのか、それともロックス海賊団の仲間にでもやられたのか……どちらにしても好都合だよ」
藁人形だけでは飽き足らず、足元から藁が伸びてきてオクタヴィアの体に纏わりつき始める。
覇気を伴ったそれらは自然系の肉体であっても逃がさず、縛り付けて動けなくしていく。
その間にも藁人形はオクタヴィアへと殺到し、両手に持った五寸釘を次々に突き刺しては引き抜き、突き刺しては引き抜く。
「……?」
先程から反応が薄いこともそうだが、余りにもあっけなさ過ぎる。
懸賞金三十五億というのは並の金額ではない。広い海でも上から数えたほうが圧倒的に早い。
それほどの実力を誇る彼女が、この程度の攻撃でやられる? まるで嵐の前の静けさのような空気を感じ取った院長は、やることは変わらないと切り札を切る。
藁が鋭い針のようになり、覇気を纏って黒く染まったそれらはオクタヴィアの全身を隙間なく狙う。
「──死ね、オクタヴィア」
狙いを定めて殺到する藁の槍を前にしてもオクタヴィアは微動だにせず、全身でその槍を受ける。
それでもなお──彼女の体に傷はない。
血の一滴も流れず、かすり傷一つ負った形跡もない。
何故か。理由は実に単純──すべての攻撃を見聞色で感知して受け流しているからだ。
「お前の見聞色では私の見聞色を破れない。何時間やろうと傷一つ負わせられん」
「バカな……だったら、逃げる隙間もなく叩き潰してやる」
「別に何時間かけて戦ってもいいが──鬱陶しい」
先程までとは桁違いの雷撃がオクタヴィアから放射状に放たれる。
纏わりついていた藁や少年少女を覆っていた藁は全て焼け焦げ、燃え上って炭化した。院長は咄嗟に武装色の覇気で防いだが、無造作に放たれた一撃でもこの威力。
政府が脅威と判断するのも道理というもの。
「ぐ──!?」
「私の一族は〝暗月〟の名の下にその全てを継承してきた。私と私の母も例外ではない」
そこに他者の入り込む余地はない。
時代を見定め、その時代の〝Dの一族〟に手を貸し、あるいは敵対する。
オクタヴィアはロックスこそ時代を変える者だと判断して手を貸してきたが、ガープに敗北してその全ては水泡に帰した。
それでも、戦ってきたことすべてが無駄なわけではない。
「私は母を殺すことで全てを受け継いだ。戦い続けることが使命だとしても、
「……だが、それでも! 僕は彼女を失いたくはなかった!」
「誰だってそうだ。失いたくないから戦っている」
──そして、オクタヴィアは天へと右手の人差し指を向けた。
「
天より無数の、音が飽和するほどの雷鳴が連続して炸裂した。
院長が貫かれたのは一撃だが、これは彼一人を狙ったものではない。
(──馬鹿な!? 今の一撃ですべての
見聞色の覇気を使って探知しても、船着き場以外の全てで生命反応が消えている。
天から降り注いだ雷が、この島に住む全ての生き物を皆殺しにしたのだ。それほど大きい島ではないとはいえ、たった一度攻撃しただけで寸分違わず住人全てを狙い撃ちにした。
「お前の能力は生き残るという点に関しては有用だが、傷を押し付ける相手がいなくなれば発動しないだろう?」
「……そこまでお見通しか……」
肉体から次々に焼け焦げた
この島で最後に死ぬのは自分だと、そう思っていたが──こうもあっさりやられると、いっそのこと笑みすら浮かべたくなる。時間をかけて用意した手段を使う暇もなかった。
ボロボロに焼け焦げた肉体も悲鳴を上げている。足は体を支える事すら出来ず、膝をつく。
「……僕は無力だ」
うつぶせに倒れ伏した院長は、孤児院だった残骸の中で小さく呟いた。
「神様になれなかった。彼女を救うことも、仇を討つことも……何も、出来なかった」
「…………」
震える手で胸元から一枚の古い写真を取り出し、こぼれた涙は地面を濡らす。
止めを刺すこともなく、オクタヴィアは背を向けて港に帰ろうとする。
その途中で藁に変換されず一部残った孤児院の中に、唯一傷のない机があった。その引き出しの中には、大事そうに写真立てに入れられた二枚の写真があった。
一枚はオクタヴィアと、院長と、母親の映ったずっと昔の色褪せた家族写真。
もう一枚は……記憶の中にあるよりもずっと大きくなったノウェム──カナタが、つまらなそうに本を読んでいる姿だった。
「…………」
一枚だけ写真を抜き取り、オクタヴィアは孤児院を後にする。
思い残したことはない。
☆
「おかえりー。どうだった?」
「全部終わらせてきた」
「そっか。その大事そうに持ってる写真は?」
「……唯一残ったあの子の写真だ」
船着き場に辿り着き、オクタヴィアは小さい船に乗り込んでどかりと椅子に座り込む。
同乗者の少女は笑いながら水をコップに注ぎ、オクタヴィアの前に置く。
「次の目的地はどうする?」
「ドラムへ行く。いい加減この動かない腕をなんとかしなければな」
「前の海軍大将って凄かったんだねぇ。君にこんな後遺症を残すなんてさ」
「毒を使う能力者だった。殺しはしたが、流石に大将二人を同時に相手取るのは少しばかり無理があったらしい」
「そりゃあね。普通は一人相手するのも難しいんだよ」
疲れた様子のオクタヴィアを気遣ってか、少女は明るく話す。
戦いそのものはすぐに終わったが、相手が相手だった。何も思うところがないかといえば、そうではないのだろう。
「でもまあ、ドラムに行っても駄目だったらこの万能の天才に任せることだ。数年以内に何とかして見せるとも!」
「頼もしいことだな。ついこの間海賊に襲われて泣いてた小娘が」
「うっ……それは言わないで欲しいなあ」
「ふふ……船を出すぞ。もうここに用はない」
錨を外し、港を離れて程なく。
オクタヴィアは空へと手をかざした。
「何をしてるの?」
「立つ鳥跡を濁さず、だ──
立ち込める暗雲の真ん中に雷を打ち込むと、それを契機に無数の雷が島へと降り注ぐ。
島そのものは破壊できずとも、その表面にあるものは全て灰塵に帰すだろう。
無駄な破壊は好まないが、この島に残したものをそのまま自然に朽ちさせるよりは自分の手で葬りたかった。
──オクタヴィアの暴れた場所は焦土と化し、ただ雷鳴だけが虚空に響く。
故に、彼女は〝残響〟と呼ばれたのだ。
後書きは夜にでも活動報告にて。
END 追走劇/チェイスバトル・グランドライン
NEXT 激突/スプリンター