第5夜 ♪メルト 溶けてしまいそう 好きだなんて(ry
水鏡となった水面を、箒に跨った少女が進んでいく。
藍色に染められた東の空から、月が顔を覗かせていた。
「良かった、夜には着きそう」
ほっと胸を撫で下ろしたミュアは、そう独り言ちる。
激しい水音が聞こえてくる方向に向かえば、高い崖から轟々と流れ落ちる奔流を見つけた。そのすぐ傍まで高度を下げていくと、水飛沫が顔にかかる。
「冷たっ」
サマンサも顔にかかったのか、プルプルと頭を左右に振る。背中の翼がでんでん太鼓みたく揺れた。
日も沈む時間帯のせいか、赤く夕陽の色に染まったその様は、幻想的。
「わぁ……」
思わず息を呑んで魅入ってしまう。
そこは、竹林の中にひっそりと人目を忍ぶかのように存在する渓谷。その川沿いに低空飛行していけば……見えてきた。巨大な石柱が建ち並ぶ、一見、地下神殿のような洞窟が。
人っ子一人いなさそうだが、そこはアジア支部の出入り口だ。
洞窟内の天井は見上げるほど高く、『ガリバー旅行記』に出てくる巨人国ブロブディンナグの世界にでも迷い込んでしまったような気分だ。
箒に乗ったまま洞窟に入り、奥へと進んでいくと……これまた大きな石の扉が待ち構えているではないか。
箒から降りて、様々な幾何学模様が描かれた扉に近づいていく。
「行き止まり……じゃないよね。ここから入れると思うんだけど」
そっと石の扉に手を触れようとしたその時、
「お前がミュアだな?」
頭上から声がかけられた。
ん? と視線を上に向けると、壁から女の子の上半身だけが抜け出ている。
「んなっ……!?」
か、壁から人が──!? どんな科学技術持ってんの──!?
「おい? 聞いてんだけど」
あんぐり口を開けているミュアに構わず、女の子はヒラリと身軽に正面へと降り立った。
そして、呆然としている魔女っ子の頭部目掛けて平手にした手刀を振り下ろす。
べしっ!
「ふグゥ!」
厳密にいうと、長い袖の部分で叩かれたのだが、それでも結構な威力を持っていたようだ。
痛烈なチョップをかまされたミュアは、ハッと我に返った。
「はっ! わ、私、黒の教団本部から参りました! ミュア・アヴァンシアです!」
「うむ。宜しい。あたしはフォー。ここの守り神をやってる」
「守り神……?」
意味深長に微笑んだフォーちゃんに案内され、私は石の扉をくぐり抜けた。
扉の先に広がっていたのは、これまた広大な空間。ファンタジーで言うところの地下都市のような場所だった。
「わぁ……大きいとこだね」
「まぁな。地下の隠れ聖堂を掘りまくって作った場所だかんな〜」
「へぇー」
バタバタと誰かが走ってくる足音が聞こえ、その次にフォーちゃんを呼ぶ声が反響してきた。
こちらに駆け寄って来たのは、歳若い男性。
「遅せぇよバカバク」
「悪いな」
フォーちゃんとの掛け合いから、仲の良さが伺える。
「よく来てくれたな。ミュア・アヴァンシア。ボクはバク・チャン。アジア支部の支部長を務めている」
「は、はじめまして。こ、この度はお世話になります!」
緊張から、少しぎこちない挨拶になってしまったものの、それを笑い飛ばすような快活さで二人から歓迎される。
「──アジア支部へようこそ」
「ここでしばらく訓練受けていきな。あたしらがお前を万全の状態で送り出してやるよ」
「は……はいっ……! よろしくお願いしますっ」
──こうして、アジア支部での生活が幕を開けた。
†
後ほど、お世話役のウォンさんも紹介してもらい、訓練は明日から行うという事で話はまとまった。
「今日はゆっくり休みたまえ」
やった〜! 有り難い。こちとら飛びっぱなしで疲れてたんだぁ。昨日初めて野宿したけど、虫とか獣とかアクマとかに遭遇して、あんまり休めなかったし。
あと、ここに来て初めて「温泉」とかいうものを体験したんだけど……あれはいいね。すごくいい。入り始めは傷口にちょっと染みるけど。
温水に含まれてる成分の効果なのか、肌がモチモチで、潤ってます! ってのがよく分かる。鏡の前で思わぬ長居をしてしまったほど。
「未だかつてないお肌の艶……! 一体どんな仕組みなんだろ」
支給された服に身を包み、お風呂上がりに食堂に行く。夕食時とあって賑わっていた。
混み合っているため、窓口には長蛇の列が出来ていた。ゆっくり注文するメニューを考えていようと最後尾に並ぶ。
「どうしようかなぁ、やっぱり本場の中華料理? でも私、辛いの苦手だしなぁ。少食だからそんなにたくさん食べられないし……」
「じゃあ、天津なんていかがですか? 桃饅頭とか、甘くて美味しいですよ」
え?
思わぬマジレスに背後を振り向けば、白い髪が眩しい男の子がにこやかな笑みを浮かべている。
♪ 恋に落ち〜る音がした
「……あ、あの?」
「ハッ!」
思わず脳内で初音ミク『メルト』を自動再生してしまった。
気が付けば列の最前列にまで来ていて、注文受付のおっちゃんの視線がグサグサと突き刺さる。
「あ、えと、じゃあ、その桃饅頭にします! あと麦茶!」
「あいよー」
慌ててオーダーし、後ろにいた男の子に頭を下げてぱっと立ち去る。
(あぁ……)
受け取り口で待っている間、ガックリとミュアは肩を落とした。
(上手く喋れなかった……せっかく親切なイケメンが声をかけてくれたのに)
一生モノのチャンスを不意にした気がする。
『じゃあ、天津なんていかがですか? 桃饅頭とか、甘くて美味しいですよ』
あぁ、やめて! 脳内でイケボを再生させないで! しかも癖になる私のどツボな中性的な声だし!
「オムライスとカルボナーラとナポリタンとピザと麻婆豆腐とハンバーグとコロッケとカレーライスと肉団子と肉饅頭と……」
「どんだけ食うの!? あと栄養偏ってる! 野菜も食べなさい! おっちゃん、コイツにシーザーサラダ追加で!」
「ええッ」
「あいよー」
……あまりの栄養バランスにスルーできず、柄にもなくつい口を出してしまった。
そして、なんの因果かミュアと少年は同じテーブルに着いている。もう一度言おう、一体何の因果だ。
「いっただきまーす!」
食べ切れないだろと決め付けていた料理の山を、次々と平らげていく男の子。素晴らしく良い食べっぷりだ。大食いタレント顔負けだろう。
「…………」
あれよあれよと空になっていく皿を呆然と見つめる。対照的にミュアの食事の手は完全に止まっていた。
「あれ? 食べないんですか?」
「いや……食べるけどさ……キミ、すごくいい食べっぷりだね……」
見てるだけで胸焼け起こしそうだ。
「あぁ、僕、寄生型なので大食いなんです」
「そ、そうなんだ」
……ん?
「……寄生型? それって、イノセンスが適合者の体にくっついてるっていう……?」
今ここアジア支部にいるエクソシストって言えば──ひとりしかいない。
「あ、そうそう。それです。そういえば、自己紹介がまだでしたね」
忙しなくスプーンを動かしていた手を止め、彼は真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「アレン・ウォーカーです。よろしくお願いします」
…………マジ?
「……ミュア・アヴァンシアです。こちらこそ、どうぞ、よろしく……」
顔を引き攣らせつつ、なんとか挨拶をする事が出来た。
†
夕食をつまみながら、エクソシストになった経緯や、ここまでの道中の冒険談なんかを一通り話した後、遠慮がちに口を開いた。
それもアレンの方から。
「あ、あの。僕の事、覚えてませんか……?」
「え」
意外な展開に目を見開く。
「ミュアさん……いえ、ミュアとは子どもの頃に、ドイツのアイヒシュテットで、マナと会ったことが──って、やっぱり覚えてませんよね。すみません、忘れてくださ「覚えてる! 覚えてるよアレン!
忘れるわけないよ。忘れたことなんてないよ!
キミはずっと、私の心の支えだったんだから!」
ガタンっ!
立ち上がるだけに留まらず、テーブルから身を乗り出し、声を大にして言い切った。そこが大衆向けの食堂であることを忘れて。
「あ……」
四方から大勢の人々からの視線を一身に浴びて、かぁっと顔が熱くなる。ヤバい。恥ずかしい。てゆーか今の告白みたいだったような……!
アレンはというと、台詞の中身よりも、単純にミュアが叫んだことに驚いた表情をしている。
気まずそうに着席し、話し始めた。
「……アレンとマナさんのことは、ずっと覚えてたよ。私にとっては、命の恩人だし……むしろ私の命よりも大切な人っていうか……」
「……? すみません、最後の方もう一度言っ」
「だ、だからこそ! ちょっとビックリしたっていうか!」
「(誤魔化した……)」
「(誤魔化された……)」
だって、私が知ってるアレンは……言い方悪いけど、こんなんじゃなかったから。
白髪? 星のフェイスペイント? いや違う、見た目にとやかく言いたいんじゃない。性格的な部分だ。
幼少期のアレンは、もっと口が悪くて、可愛げがなくて。その分デレた時の萌えの破壊力が半端なかったんだ。なんだろう、自分でもちょっと気持ちの悪いな、この主張。
「昔会った時とは、ずいぶんイメチェンしたなって思って! すぐに同一人物だとは見抜けなくて──」
真実だ。あらかじめコムイさんから「アレン・ウォーカーがアジア支部にいる」という情報をもらっていなかったら、絶対気付けなかった。
「そうですね、僕もあれから、色々あって……」
変わったなぁ、アレン。いつの間にか僕っ子になってるし。すっかり英国紳士って感じ。ちょっとマナさんを意識してるのかもしれない。
「あ、そうだ。マナさんは? 元気にしてるの?」
アレンは、一瞬だけ間を空けてポツリと答えた。
「……実は、マナは……ミュアと出会った年のクリスマスに、病気で」
「……ごめん」
いかに察しの悪い鈍感な私でも、彼の言いたい事は分かる。
「そんな、気にしないでください。実はその時、伯爵にそそのかされてマナをアクマにしてしまって……」
額にある星のフェイスペイントを指差して、アレンは「これがその時、マナから受けた呪いです」と明かす。
「呪い……」
「ええ。ですが、その時初めて左腕のイノセンスが発動したんです」
その後クロス・マリアン元帥の弟子になって、各地を回り、半年ほど前に黒の教団にやってきて、正式にエクソシストとして登録されたそう。
「……そうだったんだね。色々あったんだね」
しかも、イノセンス失くして任務途中離脱とか……
桃饅頭はとっくに胃の中だ。お口直しに少し冷めた麦茶を一気に飲み干して、卓上に大胆に置いた。
「──よし! アレン、デートしよ!」
「は、はい!?」
突然の急展開に着いてこれてないアレンの口に、残りのシーザーサラダを突っ込んで、黙らせるのだった。
†
「……デートって、これですか」
「うん。そうだよ」
れっきとした
今、私とアレンはアジア支部を抜け出し、川の上に浮かんでいる。
箒に並んで腰掛け、月を眺めているだけの穏やかな時間を過ごしていた。
「勝手に出てきて、怒られないかなぁ……」
「大丈夫だよ! バレなきゃ!」
ミュアの回答に、不安しか湧いてこないウォーカー氏。
「でも、もしアクマが襲ってきたら──」
「その時はほら、尻尾巻いて逃げるし?」
「…………」
それでもエクソシストかと言いたげな横から突き刺さるジトーっという視線には、気付かないフリを決め込んだ。
「ちょっとだけだから! ね? たまには外の空気吸わないと! 気分転換は大事だよ。綺麗な月も出てるんだし、見ないと損だよ」
ビシッと夜空を指差し、話題をそちらに向け、無理矢理にでも話し掛けた。
「ほら、見て! あの星! あれは、えーっと………………なんか、あれだよ、えーっと」
──不味い、星の名前が出てこない。日頃の勉強不足が裏目に出た。
「無理しないでください」
いたずらっ子を
「だ、だってー……」
胸の前で、両手の人差し指を左右につんつんさせた。そして、少し不安げな表情で隣にいる少年を見やる。
「……楽しくなかった?」
「え?」
「空中散歩、楽しくなかった?」
ミュアの磨き上げられた鏡の如く澄んだ瞳に、アレンの目は無意識のうちに惹き付けられる。
「私、空飛ぶ事にずっと憧れてて、実際飛んでみても、楽しくて……でも、だからってアレンも楽しんでくれるはずだなんて、考え無しだったかな……?」
ミュアは、喜んで欲しかったのだ。
アレンの笑顔が見たくて、リスクの伴う空中散歩に誘ったのだ。
「……ミュア……」
「……アレン、ちゃんと眠れてる? 焦る気持ちも分かるけど、急ぎ過ぎないで。早く走る子は、転ぶんだから」
私なんて、歩いててもちょっとした段差にけっつまずいて転倒しかねないし。
顔を逸らしたアレンは、尚も食い下がる。
「……でも、早くイノセンスを取り戻して、みんなのところに……リナリーのところに行かないと──」
“リナリー”
リナリー・リーさん。資料で見かけた顔写真を思い出す。流れる黒髪が綺麗で。童顔な私よりずっと大人っぽくて、清純そうな女の子だった。
「そっ……か」
その人が、今アレンが大切にしている人なんだね。
「じゃ、また明日から頑張ろっ!」
私のイノセンスは、超光速航法が持ち味。江戸なんてひとっ飛びだ。
「ちゃんとイノセンスを発動できるようになったら、一緒に行こう。一人よりも二人の方がなんとかなるもんだよ」
「……うん、そうだね」
やっと笑顔が出てきたアレン。彼らは、それからアジア支部へと戻り、二人してこってり絞られるのだった。
噂によると、バク支部長とフォーからお叱りを受けているにも関わらず、時折笑い合う場面も見られたとか。
他に大切な人がいるキミに、好きだなんて言えない。
だからせめて、隣でキミとキミの大切な人を守らせて。