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フランス北部、ラ・フェルテ・ベルナール地方のユイヌ川。
穏やかに流れていた川が、急に激しくなる。氾濫して、濁流が橋を壊し、何もかも押し流していく。
当時、この周辺を荒らし回した凶悪なドラゴンがいた。
水面から大きな影が浮かんできて、水飛沫を上げて陸地に乗り上げる。その巨大な怪物は、背中に針山のような毛が覆うヤマアラシに類似した姿をしていた。
水を操り、口からは炎の吐息をまき散らす。復讐に囚われ深い海の底で研ぎ続けた、鋭く尖った爪で人肉を引き裂く。怪物は逃げ惑う人々を、片っ端から蹂躙した。
燃える炎の中で、その竜は吠え立てた。
「⬛⬛⬛⬛⬛⬛⬛──」
──許さぬ……決して許さぬぞ。ノアの一族ども……
貴様ら、ひとり残らず……全員、皆殺しにしてやる──
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…………
目をぱちくりさせ、ベッドから起き上がる。
「やば。なんかヤバい夢見たわ」
寝起きのせいか、語彙力が著しく低下しているミュアだった。
ベッドの脇に立てかけてある、自身のほうき型対アクマ武器──
「……早く戦いに出たいって思ってるのかなあ?」
それがイノセンスの意志なのだろうか。少なくとも、私の意志ではないような気がする。だって私、平和主義者だし。
夢の中のドラゴンは、とても哀しげな声で鳴いていた。悲しみとも怒りともつかない感情が渦巻いているように思えた。
あの夢に出てきたドラゴンは、私のイノセンスと関係があるのだろうか?
今はまだよく分からない、けど──
「……そんなにノアが許せない?」
箒は答えない。
「私はさ、まだ千年伯爵にもノアの一族とかいうのにも遭遇してないし、向こうが何考えてるなんて分かんないけど……どんな理由があったとしても、殺し合いなんてしたくないよ。ワルプーさんの事は好きだよ。好きだから、余計にそんなことして欲しくないんだ……」
そう語る彼女の部屋に、音もなく入って来たのはペルシャ猫だった。
「あ、サマンサ。おはよ」
「にゃあ~」
可愛い鳴き声を出し足元にすり寄ってきて、抱っこを要求してくる。
「もぉ、甘えん坊さんだなぁ」
抱っこをしてあげ、顎を撫でてやればゴロゴロと満足気に鳴いた。
(殺し合いたくない……それだけの理由じゃ弱いわ。もっと、自分にとっての最優先事項を、譲れない想いがないと……)
──七千年の答えの先に、この世界の平和があるのだから。
満足したサマンサは、ミュアの膝の上を飛び降り、部屋を出ていく。食堂にいって今度はシェフにご飯をせびりに行くのだ。
「待ってよサマンサ!」
ぴったりしたタンクトップの上に、ダボっとした上着に袖を通して後を追いかけた。サマンサは、後ろから着いてくる足音を聞きながら、物思いにふける。
(それに……散々アクマを清掃して殺人を繰り返してきたノアの一族を、人間がそう簡単に赦すものかしら……)
課題は山積みだ。そのためにもまずは……シンクロ率を上げてもらうのが一番。
(第二開放について……ここの支部長は、なんて言ってたかしらね?)
†
昼食後、バク支部長と私は、アレンが特訓している区域に様子を見に行くことにした。
その途中で、私のイノセンスの特性から第二開放の話になる。
「空間を……跳ぶ?」
「あぁ。俗に言う“瞬間移動”というものだ」
原理はというと我々が認識する空間である三次元──次元が上下・左右・前後の三つの方向に広がっている──その次元の結び目が無数に連なっていることで、世界は構成されている。その結び目を経由することで瞬間移動が可能になるらしい。
「キミのイノセンスの特性は、超光速の飛行。その気になれば宇宙にだって行けるほどの力を有している」
小さな手が握る箒に視線を下ろして言った。
「宇宙にも……」
そんな凄い力がイノセンスに秘められているのか。
「でもバクさん、そうなるとなんか私のイノセンスって逃げ回るのに最適っていうか……あんまり戦えないような気がするんだけど……」
「何。超光速航法は最大の特徴というだけのことさ。キミは魔法陣からエネルギー弾を放つ事で攻撃も防御もできる。心配する必要はない。それに、第二開放が出来れば
バクさん曰く、理想的な戦闘の流れは、
①飛行と瞬間移動で敵の攻撃を回避
②長・中距離から大出力のエネルギー弾の砲撃で相手を仕留める
……ということらしいのだ。
「それってワンショットワンキルで決めろってこと……?」
しかも常に後手に回るじゃん。それ。カウンター狙いで行けってこと?
「コムイとも話したんだが、それが一番良いキミの戦闘スタイルだろうという話でまとまってな。まだ戦闘にも慣れてないだろうし、経験不足も考慮した結果だ」
それを言われると、ぐうの音も出ない。
──ガチャッ。イノセンスの粒子が飛び交う部屋に向かうと、アレンがイノセンス発動に全力を尽くしていた。
「発動!」
呼びかけに応じて、粒子は彼の左手に集まっていくのだが──手首まで形成した後は崩壊して粒子に戻ってしまう。
「わっ」とか言いながら、アレンは吹っ飛ばされ、石柱に後頭部をぶつけていた。見るからに痛そう。
「シンクロは出来てるのに、どうして武器に戻らないんだよ!? なぁイノセンス!!」
八つ当たりするように怒鳴りつける。躍起になっているのが見て取れた。
「…………」
「…………」
その姿に、二人して言葉を失った。
アレンに近づいていくバクの背中を追って、ミュアが小走りになったその時、バクの顎に立ち上がったアレンの頭が激突。
「あれっ! バクさん! ミュアまで!」
「痛いじゃないか」
口と鼻から血を流す支部長。顔面がスプラッタだ。
「すいませんっ、ちょっと考え事してて……」
そう弁解するアレンとバクのやり取りより、散らばったファイルの資料の方に目が釘付けになった。
「!!?」
資料の中身は、なぜが全部黒髪の女の子の……というかリナリーさんが写っていたから。
「え、何コレ」
ドン引きしたまま指を差す。同時に、気が付かないアレンがその写真の数々を拾い始めた。
「あっ! すいません。バクさんのファイルの資料、バラバラにしちゃいまし……」
「わぁあぁぁぁぁあああ!!!」
目にも留まらぬ速さでアレンの手から写真を奪い取ったバクさんは、赤面した後、青ざめさせた。赤くなったり青くなったり、忙しい人だな。
「盗撮じゃない…………これは断じて盗撮じゃないぞ」
容疑者はそう供述し、容疑を否認している。
というかこれ、アレンキレるんじゃあ……だって、好きな子がこんなストーカー被害に遭ってたら誰だって、
「リナリーのこと、好きなんですか?」
……あれっ?
意外なことにアレンは特に非難することもなく、表情も一切変えずそんな疑問を投げかけた。
思ってた反応と違う……なんて思案している間、蕁麻疹を出したバクさんのために、ウォンさんを急いで連れてくる羽目になった。
†
「装備型と寄生型の発動の違い? そんなのあるんですか?」
バクさんは、現在粒子状のイノセンスが舞う中に敷かれた布団に横たわっている。隣ではウォンさんが健気にも林檎を剥いていた。
なんで重篤患者みたくなってんだこの人。
「まぁ感覚的なものらしいが、寄生型はイノセンス自体が体内に宿って対アクマ武器となるだろう?」
「はい……(ジンマシンのはずじゃ……)」
アレンの返事に合わせて、コクリと頷く。
「だが装備型は適合者とイノセンスに身体的な繋がりは無い。その分、装備型はイノセンスを制御するのが難しいんだ」
「えっ」
驚愕の声を上げたのは私だ。
「シンクロできてもあの強力なイノセンスの力を上手く抑えられないんだ」
そういう……もんなのか?
初めて発動させた時、武器化されてなかったけど……そんな手応えは感じなかったけどなぁ。イノセンスが勝手に動いてた感はあるけど。
「だから我々はイノセンスを対アクマ武器に『改良』するんだよ」
「へぇー」
「武器化はイノセンスの力を拘束し、適合者とのシンクロをより容易にするためのもの。そうして造られた武器に装備型は自分をシンクロさせて発動するのだ」
拘束だなんて……なんだか可哀想。猛犬に首輪で押さえつけるみたいなものでしょ。
「だが寄生型は改良していないイノセンスの原石とシンクロを行う。こう言うと失礼かもしれないが、寄生型の適合者はその体自身がイノセンスを拘束する武器のようなもの。存在自体が『対アクマ武器』なんだ」
「…………」
「僕が武器……?」
「わかりやすく言うとだ」
バクさんが自らの解釈を付け足す。
「キミは確かに人間なんだが……我々がイノセンスを対アクマ武器にする時は、まずそのイノセンスを知ることからはじめる。その能力に最も合った形状・性質・機能性……『スタイル』を導き出すんだ」
スタイル……バクさんがさっき言ってたのに通ずるものがある。
「キミはまだ、自分のイノセンスをよく知れていないのではないのかな。キミがイノセンス能力に合わせた『スタイル』になってないことが発動できない原因ではないかとボクは考えたんだ」
少し沈んだ空気の中で、勢いよく挙手した。
「はいはーい! 私のイノセンスはね、めっちゃよく飛ぶ! チョー働き者で、頼りになる! あと可愛い! 好き! それから……」
そこで今朝の夢を思い出し、膨らませた風船ガムが萎むように急速に勢いを衰えさせていく。
「……ノアの一族を恨んでるっぽい」
「え?」
「!?」
バクとアレンは、続くミュアの思いがけない台詞に驚いた。
「私のイノセンスって、本当にイノセンスなのかな──?」
†
あの夢に出てきたドラゴンは、人々を襲い回っていた。清純な神の結晶がそんなことをするのだろうか?
それとも咎落ち? いや違う。あれは……紛れもなく邪竜だった。
アレンがフォーと『追い込んで活路』作戦である戦闘を繰り広げている最中、バクさんに訊ねた。
「バクさん、川沿いで何か怪物が目撃されたとか、そういう奇怪現象知りませんか?」
「いや、そういったものは知らないが……一応調べておこう」
「ありがとうございます」
イノセンスはその不思議な力故に、何かしらの奇怪現象を引き起こすという。
その奇怪現象とあのドラゴンが関係しているのなら、何か分かるかもしれない。
私も、もっとよく知りたい。魔女ノ箒のこと、それからノアの一族のことも……
いつの間にか傍らに座っていたサマンサは、その青い両眼でじっとミュアを見つめていた。
「交代! 次はお前だ!」
ビシッと指を差され、背筋が自然と伸びる。
「えぇっ! 私もやんの!?」
「たりめーだっ! 第二開放を習得してもらわないとなぁ!」
言うが否や、フォーちゃんはアレンから私へとターゲットを変えて飛びかかってくる。ぎらりと光る鎌が怖すぎる。
「うきゃー!」
慌てて急上昇した。
「逃げんじゃねぇ!」
「逃げるよ!? それが私のスタイルだし!」
箒にしがみついて、騒がしく回避を繰り返すのだった。