百合習作   作:SWORD Team HQ

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~ボイネコ、とろける、独占欲の夏2(7)19~

 短い前髪が好きだ。短い後ろ襟が好きだ。刈り上げたもみあげが好きだ。私はアタシが好きだ。アタシの見た目が好きだ。そうやって、超硬度アクリル複合透過パネルに反射した、自分の毛先を見る。

 その向こうに、お目当ての首が見える。距離600。レンジ、イン。ロック。

 

「メイ、バックアップ。私が出る」

 

「あ、ちょっと、シェリー」

 

「行くぞ!」

 

 アタシはハッチを蹴り上げると、時速200キロで滑空する航空/宙空間戦闘機から飛び出した。ぶわり、夏の風。ねっとりとした湿度が、私の頬を撫でる。

 

『でええ!? 馬鹿か、おまえ!』無線が絶叫。

 

「バカでケッコー! 無法も通せばただの法だぜ!」

 

 そのまま宙返りをずると、高速道路の上、必死に逃走する青いスポーツカーの上に、飛び降りた。と、言うには、いささか乱暴だったかもしれない。軋むフレーム、水素エンジンの悲鳴。

 

「うわあ! お前頭おかしいのか!?」

 

 先ほどとは違い、生の声で男が叫んだ。

 

「おかしいのさ、とっくになあ!」

 

 アタシはとっくに時代遅れになったリボルバーを腰から抜くと、粉々に砕けたフロントガラス越しに、銃口を突き付けた。

 

「おいくそったれ。罪状は公序良俗法違反、強盗殺人、誘拐、薬物売買、殺人教唆、詐欺、ええとあと……わかんねえや、鉛玉10発分ってとこだな」

 

「こんの……”市民の味方、名誉私立探偵シェリー”の名前はどこ行った! このメスゴリラめ!」

 

 がしゅう、とアタシの美しい義脚から、冷却用のガスが噴出。

 

「ただのトラブルスイーパーを勝手にありがたがって喜んでるやつの好きにさせてよお、何が悪いってんだ? とにかく、アタシは軍警ほど優しくないし、あいつらよりも馬鹿じゃねえ。見ろよ、このクレバーな捕り物を。ゴリラにゃできないぜ」

 

「ン馬鹿野郎! ゴリラは旧式戦闘機からジャンプしねえし、だいたいそんなペッタンコなムネが人間のメスかよ!」

 

「あー……? わかった、鉛玉20発分だな」

 

「おーい、わかった。わかった、話し合おう。実は今ハンドル握ってねえんだ。自動で直線走行はしてるが、このままじゃ次のヘアピンカーブで二人ともシリウスの彼方までブッ飛ぶぜ?」

 

「5秒あれば足りんだろ。ごー、よーん……」

 

「頼むよ、今額にアナボコが開いたらせっかく考えた口説き文句が流れ出しちまう」

 

「アタシが大事に拾ってやるよ。天国へのエレベーターがそろそろ来るぜ」

 

「俺ァ天国になんか行けるわけねえだろバカ!!」

 

 ぎゃり、とハンドルが切られる。

 

「ンなろっ」

 

 アタシは凹んだエンジンカウルに手をかける。蛇行するスポーツカーが、必死に追手を振りほどこうと暴れている。

 

「観念しやがれ! 明日の太陽はお前のためには上らないぜ!」

 

「ほざけチンピラ女!」

 

「テメーに言われたかねえぞ半グレがあ!」

 

『シェリー、次の直線、あと12秒、警察の検問がある。それまでに止めて』

 

「人遣いが荒いねえ、お嬢様!」

 

「ブッ飛べえ!」

 

 男がハンドルを切り返す。

 

「どわっ」

 

いきおい、リボルバーが宙に舞う。そのまま、車の後部座席、貴金属で膨れ上がった鞄の上へ。

 

「はっ、ヘヘッ、運の尽きだなア、私立探偵!」

 

 男は嬉しそうに、自分の懐から拳銃を抜く。その銃口は、ぴたり、

 

「そうかなあ」

 

 アタシに向く前に、やつの指ごと吹き飛んだ。答えは簡単。アタシがやつよりも早く、もう一丁の拳銃を――最新鋭のポリカーボン・オートピストルを抜いて、撃っていたからだった。

 

「は?」

 

「難しいなら、無理にわかる必要はねえよ」

 

 あっけにとられた奴に鼻を鳴らして、私は全弾を右のタイヤに撃ち込んだ。当然、車は激しいスピンを起こし――トンネルを抜ける、輝くオレンジのナトリウムランプ――火花をあげながら、停止。ちょうど、パトカーの列の目の前だった。

 

「やあ、お仕事ご苦労さんです。連続宝石強盗、善意の市民による現行犯逮捕権を行使し、ただいま捕まえましたあ」

 

 アタシはニヒルに笑うと、運転席で目を回している男の首根っこをひっつかんで、振り回した。

 

「動くなア!」

 

 ところが、信じられない事が起こった。その場にいる憲兵の銃口は、なぜかアタシに。

 

「へ、なんで?」

 

「毎度毎度、法治都市の上空を無許可の戦闘爆撃機で飛び回り、挙句の果てにカーチェイスならぬファイター・チェイスまでやらかしおって!」

 

 拡声器を手に、初老の男が大声で怒鳴った。

 

「ありゃ、話が違うぜハムチーズ警部。役所の許可は取ってあるし、対惑星爆撃用のAGモードAIは外してあるよう」

 

「橋藻棟図だ! 無能の都市運輸物流局の仕事ぶりはどうでもいい! 今日という今日は我慢ならんぞ! このどうしようもないアバズ――」

 

「キャーッッ!!! シェリー様ァー!!」

 

 突然、パトカーが文字通りひっくり返った。

 わあ、と悲鳴も上げる間もなく、重武装のSWATたちが女たちのピンヒールに踏みつぶされていく。アーメン。複合セラミックの防弾チョッキがあるんだから、死にはしないだろ。

 

「やあ、今日はどうしたんだ、えーと、マリアにナオミ、アリスにモモにまたマリアに……ええと」

 

「おおっと多くは聞かぬが街の華! 宝石強盗を追っかけてる変な飛行機ってニュースがネットに流れた瞬間、大熱狂!」

 

「つまり、シェリー様ファンクラブ……」

 

「大集合!」

 

「あれ、これって《シェリーちゃんを愛でる会》の緊急即応行動会じゃないの?」

 

「あっこいつ異端者だぞ、やっちまえ!」

 

「なによこのー!」

 

「あんたなんか名前なんて覚えてもらって、このっ、このっ」

 

「マリアなんてこの街に200人はいるわよー!」

 

「まあま、落ち着けよ……」

 

「キャーッシェリー様が私に声を……きゅう」

 

「バカッッ! 今のは私のよ! 起きなさいって、このっ、このっ」

 

「ね~え、シェリー? 今夜は誰と遊ぶの? 最近うちの店にも来てくれないじゃない」

 

「アーッ汚い手でシェリー様に触るなこの娼婦!」

 

「異教義派だ! 囲め!」

 

「こ、コラア! 君たち、無許可でのデモは都市基本法で禁止されているぞ! ただちに解散しなさい!」

 

「無能の軍警は黙ってなさいよ!」

 

「この無能ー! このっ、このっ」

 

「な、ぐわあ!」

 

「り、陸自のヘリに応援を! ナラシノから空挺団を……」

 

「このっ、このっ」

 

「わアー!」

 

「電磁警棒どこやった! あっこら、ライフルに触るな!」

 

「ねえシェリー、今夜久しぶりに……どう?」

 

「う、うう……あ! この隙にこっそり……って、手錠?」

 

「ワシが犯罪者を逃すわけなかろう」

 

「ゲエエ!? ”不死身のハムチーズ!?”」

 

「橋藻棟図だ! お縄だ、神妙にしやがれ!」

 

「ひーッ!!」

 

 ずるずると端っこのほうで、先ほどの強盗男が引きずられている。その間にも、アタシへの四方八方からの攻撃は止むことはなかった。

 

「あの、私実はず~っと前からシェリーさんに憧れてて……あなたの活躍を詩にしたためてきたんです! ざっと64ヘキサバイトくらい」

 

「ね~え、シェリー、たまにはいいでしょ? 昔みたいに、さ」

 

「キャーッシェリー様!」

 

「あんたは離れなさいよ、このっ、このっ」

 

 あまりにもカオスな様相を呈した状況に、アタシはもったいぶってため息をついた。

 

「あー、ったく、……しょおがねえなあ~! いいぜ、お願いは聞いてやるから一列に待ってろよ、アタシはこの街のトラブルスイーパーだからな」

 

 仕方がないので、彼女たちにウインク。正直、悪い気分ではない。女は好きだし、こんな扱いをされるのも嫌いじゃない。昔っから、女にはもてるほうだったし、アタシもそれでいいと思ってた。あらゆる浮名は第五次惑星間大戦の戦死者数よりも流してきたつもりだったし、今でも女に言い寄られることは星の数ほどあるし、アタシもそれを拒もうとしない。

 昔は、もっと無邪気に喜んでいた。嬌声をあげて熱狂する彼女たちのことを見て、ふと思う。

 ああ、私は汚れてしまった。

 ごう、とMRCプラズマ高周波インパルスエンジンが、高速道路の出口を吹き抜けた。

 

『シェリー、帰るわよ』

 

「……あいよ、相棒」

 

 

 

 

 

 地球を覆うアステロイドベルトの隙間を、一機の戦闘機が駆けていく。かつて、第9世代・空間邀撃爆撃万能複座戦闘偵察機《ファルコン》と呼ばれたものの一つ……今は《フルール・ド・リス号》と呼ばれているものだ。元々長距離・長時間の偵察行動を想定していたらしく、コクピットの内部は広く、生活空間すらある。飛行機というよりも、半ば軍艦と言っても差し支えのないサイズだったが、アタシはそのへんの軍事的事情とやらには詳しくないし、興味もなかった。ただ、アタシともう一人の体が寝られる場所があればいい。窓の外には昔の戦争の残骸でできた岩石の数々が、流れて行っているのだろう。

 

「今日も人気だったわね」

 

 そう隣で、美しいブロンドの女が告げた。狭い仮眠シートに寝ながら、物理キーボードをいじっている。

 

「妬いたか?」

 

「さあね」

 

耳元で、囁くように彼女は告げる。彼女の手は艶めかしく私の太ももを伝い……鋭利な針を突き刺した。鋭い痛み。まるで、それを待っていたかのように、アタシの体はその異物を受け入れる。アタシの体細胞に装備された可塑性の相互通信端子が、針の周りに瞬時に形成されたのだ。

 

「ずいぶん、無理をするのね」

 

表示されたアタシの脚部ユニットのエラー報告を見て、彼女はそっと言った。

 

「無理も通せば無理じゃない」

 

私は、いくつかの精霊合金製データバス・ケーブルが刺さって不自由な首を身じろがせて笑った。

 

「そうやって、私を否定するの?」

 

「おまえ自身でもあるからか? この体は」

 

 アタシの体は、ほとんどアタシじゃない。

 両脚、脊髄、左腕の全部、右手、両目、頭蓋骨、それらは全て強化タンパク能動アレイ素子――《始祖の骨》で構成された人工物だ。それとシームレスに接続された元の体も、拒否反応を強制キャンセルするために、常にナノマシンによる遺伝子コマンドプロセスを実行し続けている。その結果、アタシの全身は、完全に生態系から閉じた生物へと変貌しつつある。構成している物質的組成はほとんど人間と同じなのに、どちらかというとこの体は機械や工学に近い……その基礎システムを作ったのは、この女だ。

 

「メイ……」

 

「私が作った128ヨタバイトの身体制御プログラム。それがあなたの体を動かす妖精の正体」

 

「詳しいことはアタシには理解できないよ。けれど、おまえをあの世界から救い出したのはアタシだ。あの暗くて、狭くて、どろどろとした膿が溜まったあの世界から」

 

「けれど、私は呪いを受けて崩れゆくあなたの体を救った。世界の理から外れつつあったあなたそのものを、この世界につなぎ止めた」

 

 身を起こす気配がする。周りの様子は見られない。彼女のシステムが、私の中枢神経系にマスキングをかけて、シールドしている。きっと今彼女は、長いブロンドを垂らして、私の顔を見下ろしているのだろう。

 

「また、虐めるのか?」

 

「ねえ、人間はどこまで人間だと思う?」

 

 白く濁った私の瞳を、彼女の舌がつるりと舐めた。

 

「――エリザベス女王はトルーマン夫妻の娘じゃないぜ」

 

「様相的同一性か。あなたらしいね。でも、もし記憶の全てが消えたとして、この可能世界におけるあなたは連続性を保っていられる? それとも、誰か別の――あなたとまったく同じような身体的特徴を持った人間に、あなたの記憶をインストールしたら、それはあなたじゃないと言える――『あなた』のことよ」

 

「メレオロジカルな議論は嫌いだ」

 

「わざとやったくせに」

 

「なにがだ」

 

「私、あなたが好きよ」

 

 ばちり、と体に衝撃が走る。脳をいじったな。全身の感覚が一瞬失われる。自己診断プログラムは無駄だ。いま、アタシは完全にこいつの支配下にある――アタシが望んで、そうしている。

 

「どこまで切り分けても、どこまで分解しても、決して失われない、その芯にある何か――ねえ、知ってる? 昔、自分の脳波をネットにアップロードすることで、永遠の魂になれると謳った宗教があるそうよ。馬鹿ね、ゴーストはそんなところにはないのに」

 

「ゴースト?」

 

「意識を意識たらしめるものよ。クオリアの対角線上には実在があるけど、ゴーストの対角線上にあるのは虚無よ。無と有。ゼロと1。ねえ、これってディジタルに似てると思わない?」

 

「5世紀前の情報交換プロトコルか」

 

「人間はどうやってもメタ領域には上り詰められない。なぜなら、私たちは実在でしかないから。物質は、本質の影でしかないから」

 

「アタシは、アタシじゃなくなるのか」

 

「そういう問題じゃないの。あなたは私になりかけてる。私はあなたになりかけてる。でも、あなたはあなた。『アタシ』はそこに居続けるわ。だって、そうじゃないと前提の概念自体が崩れてしまう。『成り立たねば、世はあるまじ』」

 

「宇宙の教義とやらか」

 

「世界の教義よ。宇宙なんて狭すぎるわ、あなたと私には」

 

 ぐい、と股を押し広げられる感覚。

 

「私、あなたが好き」

 

「知ってるよ」

 

 貪るような口づけ。肩に食い込んだ彼女の爪が、新鮮な痛覚を意識へと流し込んでいた。

 

「あなたの体も、薄い胸板も、アスファルトを粉々にできる脚も、匂いも、首筋の色も、『ここ』だって……」

 

 メイの指が、私の生身の部分に触れる、ちかちかと頭が揺れる。きっと、彼女が脳をいじくりまわしているせいだけではない。ああ、煽ったのはアタシだ。こうなることを、知っていたから。

 

「やっぱり、妬いてんじゃねえか。スケベ」

 

「そうやってなんでも見える目、私は嫌いよ」

 

「好きってことだろ?」

 

 がちん、と四肢の感覚がロックされる。ああ、来る。

 

「あなたをあなたたらしめているのは、私なの。他の誰でもない。私があなたの臍の尾であり、テセウスよ。あなたという船は、美しい船は、私によってこの世界に浮かび続ける――永遠に」

 

 白皙を赤く染め上げた表情の奥で、二つの蛇の目がぎょろりと蠢くのを知覚した。

 

「ねえ、お馬鹿なあなたに教えてあげる。あなたは、私のものよ」

 

 知ってるよ。そう思考しようとしたシナプスは快楽の信号に塗りつぶされて、128ヨタバイトの明滅の奥に消えた。

 

 

 

 

 


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