兄として。 作:だれだよ
あと、どうでもいいですが、友人にツールの5面ダイスを振らせたところ、3でした。
「なんで五月がいるんだよ…。」
俺は早足で五月を振り切るように歩き、人気の無い廊下の端で壁に寄りかかるようにして座り込んでいた。
俺は最低だ。いくら動揺していたからとはいえ、妹に対してあんな冷たい態度を取ってしまった。
とりあえず何故この学校にいるのか、それを知る必要がある。
とは言っても誰の差し金かくらいは大体見当がついている。俺は携帯を取り出し、電話をかける。3回ほどコール音が続くと、その相手は出た。
『……何の用かな零児君?私は仕事中なんだが。』
「理由なんか聞かなくてもなんで俺が父さんに電話をかけてきたかくらいわかるだろ。」
電話の相手は勿論父さんだ。黒薔薇女子も名門だが、うちの高校も偏差値はそこそある。五月の学力で転入できているのがどうも怪しかったのだ。真面目が一番の五月だが、どこか空回りしている節があったため、もし中学の時のままの学力なら転入なんてほぼ不可能なはずだ。なんとなくどうやったのかは想像がつくけど。
「なんで五月がうちの学校にいるんだよ。黒薔薇女子を蹴られたのは何となくわかるけど、ウチもそこそこ偏差値は高いはずなんだが?」
『そうだね、大体零児君の言う通りだよ。一花君たちは黒薔薇女子を落第しかけたみたいでね。そこで知り合いが理事長をしてるこの高校に編入させたんだ。』
「一花達………?もしかして妹達全員ウチに来てるのか……!?」
『勿論。彼女達を離れ離れにさせることなんてできないよ。』
やっぱり、五月以外の四人も来てるのか……。
だとしても、どうしても腑に落ちない所があった。
「ここは公立高校だぞ。編入に至ったとしてもまた落第し兼ねないと思うんだけど。金じゃどうにかするのにも限界があるんじゃないか。」
私立高校なら金さえ出せば卒業までつなげることが出来るかもしれない。でも、ここは公立高校、お金を出して、はい卒業、というわけにもいかないだろう。それなら、もっと妹たちの偏差値に合った高校に編入させるべきだと思う。
『勿論、一花君達の学力が見合ってないというのも百も承知だ。』
「だったら……!」
『そこでだ、家庭教師を雇うことにした。』
「家庭教師……?たしかにこれから学力を上げていくしかないから、妥当かもしれないけど…。」
これから底上げして果たして定期試験までに間に合うのか…?
一年の頃に土台が出来ているのなら何とかなりそうなのだが、落第しそうになるくらいだからあまり期待はできそうにない。
あとは本人のやる気次第になるが……。
「外部の人間を雇うってことだろ?」
『いや、内部の人間だよ。外部の人間なんて雇ったら一花君達がどうなるかわからないからね。危険すぎる。』
この人も大抵親バカだな……。
まぁ、接しやすい相手の方が一花達も勉強しやすいか。
「内部ってことは江端さんを講師にでもするの?あの人って確か東大出てるんだっけ。」
『確かに江端でもいいが、彼は今、他の仕事で忙しいから講師は無理だよ。』
「じゃあ、誰を雇うんだよ。」
内部で講師なんてできる人は江端さんくらいしか浮かばなかった。
他に勉強を教えられる人なんていたか…?
『気づかないのかい零児君?』
「……江端さん以外にいたっけか?」
『………君だよ、零児君。』
「はぁ!?」
驚きのあまり、普段出さないような驚きの声が出てしまった。
それに、俺が家庭教師なんて……。
「なんで俺に一花達の家庭教師を?」
『君の成績は随時確認させてもらっているよ。この前の中間試験は496点で2位、そして、先月行われた全国模試の方でも順位は19位だったと聞いている。成績は文句をつけようのない位にいいじゃないか。』
「なんで俺の試験の結果が父さんにまで知れ渡ってるんだよ。」
『言っただろう、理事長と知り合いだと。試験の結果はいつも教えてもらっているよ。』
「………。」
『そこで、零児君を一花君達の家庭教師として雇わせてもらいたい。勿論給料も出すよ、そこらへんはやっぱりビジネスの話になるからね。そうだね、給料の方は通常の五倍でどうだろう。アットホームで楽しい職場だ。』
「………給料も出るのか。」
『勿論、君は一人暮らしをしている身だ。お金の方も前ほどあるわけではないだろう?零児君にはもってこいな職場だと思うんだが。』
給料は普通のバイトの相場の五倍。
相手は幼い頃からずっと一緒にいた妹たち。
俺からすればきっとこれほどにいい職場は無いのだろう。
だが、さっきから黙って聞いていて胸の奥から何か熱く込み上げてくるものがあった。携帯を持つ手はぷるぷると震えている。
この感情の名前は何かと聞かれたら俺はきっとこう答えるだろう。
ーーー『怒り』だと。
まるで交渉するかのように淡々と条件を述べる父さんに俺は怒りしか覚えなかった。
「ふざけんな!!」
俺は気づけば電話越しではあるが、父さんを怒鳴りつけていた。人をこんな風に怒鳴ることなんて人生で一度もなかった。だけど、この条件だけはどうしても許せなかったんだ。
「なんで父さんはこんなやり方しかできないんだよ!!確かに俺は前に比べたらお金の方もたくさんあるわけじゃないさ。家計簿つけて節約しながら上手くやりくりしてるよ。だけど金に困ったことなんて一度もねえ!!正直余計なお世話でしかねえよ!!」
父さんの出したこの条件は俺のことを思ってのことなのかもしれない。だけど、ひとつだけ、父さんであっても絶対に許せないことがあった。
「なんでこんなやり方でしか俺に妹たちの面倒見るのを頼めねえんだよ!?確かに妹たちにどこか引け目を感じて逃げるようにココに来たのも事実だ。だけど、妹たちのことを嫌いだと思ったこともないし、頼りにされたらもちろん助けになるつもりだったさ。義理とはいえ俺たちと父さんは家族だろ!!こんな金で釣るような汚い真似しなくても普通に頼めばよかったじゃねえか!!」
なんで父さんはここまで合理的にしか物事を見ることしかできないのか。親なのに恐ろしく淡白で冷めていることが本当に恐ろしくて仕方なかった。俺のことを金で釣らないと動かないと思われていたのが悲しくて仕方がなかった。思ったことを吐き出して、怒鳴り散らして、なにもかもをぶちまけて俺の胸の中に残っていたのはこの悲しさだけだった。
「………『妹たちが勉強で困っていたら教えてあげてくれ。』その一言だけで俺は動くよ。俺はそのために努力してきたんだから。妹たちを導くのが兄の役目だから。そこだけは離れ離れになっても見失ってないつもりだよ。」
『……。』
「俺のことは気にしなくていいよ。それよりも妹たちのことをもっと見てあげて欲しい。親として、もっと正面から向き合ってあげてほしいんだよ。五人で一人前じゃ、いずれきっとダメになる。いつかは、一人一人がそれぞれの道を進めるようになってくれれば……。」
俺はひとりで一人前になる、そのための努力を俺は積み重ねてきた。俺は妹達のような突出した輝きを、個性を持っていない。
妹達はそれぞれの個性を生かせば俺の何倍も輝ける、そんな可能性を持っているはずだ。
もしかしたら、俺はそんな可能性を、個性を持つ妹達に憧れてたから……、嫉妬していたから……、あんな行動を取ってしまったのかもしれない。
だけど、父さんの不器用だけど切実な願い、それを受け取ったことで俺の考えは変わった。いや、思い出したんだ。
ーーー俺は何のために努力してきたのか。
ーーー妹たちを導くためだろ?
それが、俺の原点だ。
突出した個性も輝きも何もない俺に出来ることは、妹達を正しい方向へ導き、支え、その背中を押してあげることだった。
母さんがいなくなっても何も感じなかった俺は最低だ。霊安室で皆が泣き喚いている中でも俺の胸の奥から込み上げてくるものは無く、ただただ冷静だった。動揺もなく、周りがよく見えていた。
妹達に感じていた疎外感、それはきっと同時に罪悪感でもあったのだろう。
そんな親不孝で最低な俺に出来る償いなんてこれくらいしか思いつかない。
そもそも一度逃げ出した俺に逃げ道なんてもう無いんだ。
ーーー覚悟を決めろ。
『………だったら、完全に無給になるが君は一花君たちの勉強の指導を受け持ってくれるのかい?』
「あぁ、もちろん引き受けるさ。」
このまま妹たちの面倒見を引き受けてもよかった。
妹たちに謝らないといけないし、もう一度向き合ういい機会だと思ったからだ。
だけど了承するその寸前、俺の頭のどこかでアイツのことが思い浮かんだ。
友達も少なくて、無神経で、でも、人の隠れた可能性、才能を、性質を見抜き、まっすぐ向き合い、正しく導くことができる俺のただ一人の親友のことを。
ーーー俺以上に適任な男がいるじゃないか。
俺は直ぐに行動に出た。
「………だけど、一花達を導くのに俺よりも適任な人がいるよ。雇うならそいつを雇ってあげてほしいんだ。」
だけど、この相場の五倍の給料が出るという仕事、家庭の状況や人柄からもってこいな男が一人いる。
『外部からの指導は断固拒否だと伝えたはずだが?』
「大丈夫だよ。なんてったって俺の親友だからね、それに学力もお墨付きだ。全国模試19位の俺なんかとは比べ物にならないよ。………………アイツは4位だ。それに定期試験ではいつも全教科満点パーフェクトだ。俺なんかよりも教えるのは断然上手だし、意欲も違う。この家庭教師、アイツほど適任なヤツはいないよ。」
『…零児君がそこまで推すのなら、その親友とやらに頼んでみるのもいいだろう。名前を教えてくれないかね。』
「上杉風太郎だ。」
『…………上杉の息子か。』
「ん、父さん?」
『あぁ、わかった。すぐに手配しておこう。』
「ありがとう父さん。」
『…零児君も、一花君達のことを頼むよ。』
「あぁ。」
俺は電話を切った。
携帯をポケットに入れ、ふぅ…と一息ついた。
「あー………、やっぱカツ丼食っとけばよかったなぁ…。」
お腹がギュルギュルと音を立てていた。今頃は風太郎が全て処理してしまっているだろうが、やっぱり何か食べないと辛い。
「……売店でパンでも買ってから教室に戻るか…。五月にも謝らないといけないしな……。」
俺は重い腰を上げ、食堂に戻ることにしたのだが、顔を上げると、俺の目の前に見慣れた顔があった。
「………レージ。」
「……三玖か。」
俺の前に立っていたのは三女の三玖だった。
五月と同じ赤い髪をしていて、セミロングなのだが五月の星形のピンのような留めているものが無いため、前髪で俺や五月たちと同じ青色の右目が少しだけ隠れており、俺が中学の時に買ってあげた青いヘッドホンを付けているのが特徴だ。それ以外は顔も体型もほとんど変わらない。
父さんから聞いた通り、妹たち全員ウチに来ているのは本当らしい。
「…やっぱりわかるんだね。」
「当たり前だろ。小さい頃はいつも一緒にいたんだから。」
ーーもう、逃げださない。
そう胸に決意を抱き、三玖としっかり正面から向き合う。
それが、今の俺に出来る償いのつもりだ。
普段感情を顔に出さない三玖だが、今回は様子が違った。
妹達と変わらない青い瞳から大粒の涙を零し、声を震わせながら言った。
「………っ、会いたかった……!れーじ………ッ……!」
涙声で喘ぎながら胸に顔を埋める三玖を俺は黙って受け止めた。
***
………レージは誰よりも強い人だった。
喧嘩に強いとかそういうことじゃない、精神的に強いってこと。
お母さんがいなくなったときも、みんなが泣き崩れているときもレージだけは涙ひとつ溢さずただ見守っていた。
そんなレージを見た私は薄情者だと、怒りに任せてレージを叩いてしまった。
でも、叩かれたレージは何も言い返すこともなく、やり返すこともなく、ただ俯いているだけ。
そして私は遂に絶対に言ってはいけないことを言ってしまった。
ーーーレージなんか私たちの家族じゃない!!消えて!!!
その時のレージの顔はきっと一生忘れられないだろう。
しばらくの間、レージはしばらくの間呆然としていたが、正気に戻ると一言だけこぼして、霊安室を出て行った。
ーーーごめん三玖。………母さんじゃなくて、僕が死ぬべきだった。
その時のレージの顔は何故か笑っていた。だけど、目は絶望に染まっていた。まるで死んでいるかのような、そんな目だった。そして、霊安室を出て行く時のレージの背中は寂しさや悲しみ、そんな負の感情であふれていた気がする。
だけど、それでもレージは私の兄でいてくれた。
お母さんの死を受け入れきれず、みんな部屋に閉じこもりっぱなしになってた時があった。
私もそうだった。食欲も何も起きず、ただ部屋の隅で座りこんでた。
「三玖、入るよ。」
ドアの向こうからレージの声が聞こえて扉が開いた。
その手にはお盆があり、その上にお粥とお茶の入ったコップが乗ってあった。
「………何?」
「三玖、今日も何も食べてないでしょ。食欲が湧かないのもわかるけど、何か食べないと死ぬよ?」
「…………。」
「……ここに置いとくから、食べ終わったらドアの前に置いといて。」
そう言ってレージは私の机の上にお盆を置いて部屋を出て行こうとした。
「……なんで……。」
「三玖……?」
「なんでレージはそこまで気にかけてくれるの……?私、この前あんな酷いこと言ったのに……。」
あの時のレージの顔は脳裏に焼き付いて記憶から消える気がしなかった。あんな絶望の表情を見せたレージがどうしてこんな妹のことを気にかけてくれるのかわからなかった。
するとレージは私の頭の上に手を置いて優しく撫でながら言った。
「……そんなの、僕が三玖達の兄だからに決まってるだろ?妹の心配をしない兄がこの世のどこにいるよ?」
「………ッ……!」
「僕は………、確かに最低な人間だ。そんな僕に出来ることなんてこれくらいしかなかったんだよ……。」
「レージ……。」
「立ち直ったら……、この事実を受け止められるようになったら出ておいで。それまでは全部僕がこなしておくから。」
そう言って、レージは部屋を出て行った。
レージは独りで、壊れかけたこの家庭を首の皮一枚で必死に繋ぎ止めてくれてた。
毎日、独りで五人のご飯も作って部屋に持ってきてくれたし、家事もずっと独りでこなしてた。
私たちには何も言わずにずっと待ってくれてた。
独りで何もかもこなしていたレージの負担は凄まじいものだっただろう。
でも、嫌な顔一つせず優しく笑っていつも通りご飯を持ってきてくれた。
そんなレージの姿を見たから、私も立ち直れたんだと思う。レージが私に前へと進む勇気をくれた。
私は中野零児という兄の、真の強さをそこで知ることができたんだと思う。
でも、レージは突然いなくなってしまった。
それは高校進学を控えた春休みのこと、二乃にレージを起こしてくるよう頼まれた時だった。
普段誰よりも早く起きてるレージが一番遅かったことにも違和感は覚えていたが、そんなこともあるよねと私の中で解決していた。
あくびをしながら一番奥のレージの部屋に向かい、部屋をノックする。
「レージ………、朝だよ。」
………返事がない。
「……レージ?」
不安になった私は恐る恐るレージの部屋の扉を開けた。
しかし、そこには私の思いもしない光景が広がっていた。
「………ッ!!」
ーーーレージがいない。
部屋の家具はそのままだが、本やパソコンなどの大事なものだけがなく、レージもいなかった。
その事実に気づいた瞬間、私の頭の中が真っ白になった。
ーーーなんで、いないの……。
ーーーやっぱり、あの時のことを……?
ーーー私が、あんなこと言ったから……!
ーーーやっぱり気にしてたんだ……!
ーーーごめんなさい……!
ーーーごめんなさい……!
ただひたすら謝ることしかできなかった。胸の奥から黒い何かが、罪の感触が背中を這いずって登ってくるのがわかる。
おまえのせいだとレージにいい迫られてるような気がした。
「ごめんなさい………!ごめんなさい……!」
「……玖……!三玖……!」
「ごめんなさい…!私のせいで………!」
「三玖ッ!!」
「……ッ!!」
突然の大声で現実に戻された。
恐る恐る振り向くと仁王立ちで立つ二乃がいた。
「……なにしてんのよ。もう朝食できてるわよ、早く来なさい。」
「二乃………。」
「………あなただけのせいじゃないわ。私だって……!」
顔を上げて二乃の顔をよく見ると目の周りが真っ赤になっていることに気がついた。……二乃は私に顔を見せようとはしないけど。
「……あとでパパに聞いてみるから。とりあえず冷めないうちに食べてしまいましょ。」
「………うん。」
お父さんから聞いた話によると、公立高校の方に進学したとのことだった。何故かお父さんは学校の名前は教えてくれなかった。なんとか探し出して私たちも行こうと思ったが、既に合格発表も済んでるし、レージの成績ならきっと偏差値の高い高校に進んでるだろうから、私たちじゃ進学は不可能だろうと悟らされた。
私たちはお父さんのお陰で黒薔薇女子に進学することができたが、そこも名門と呼ばれる有名なお嬢様学校だったため、勉強についていくことができなかった。
授業を聞いても、何のことを言ってるのかサッパリわからないし、教科書を読んでも理解ができなかった。勉強に苦しんでいると、ふとレージのことが頭に浮かんだ。
私たちはレージにわからないところを聞いて、レージはそれに当たり前のように答えて教えてくれてた。
だけど、レージはもういない。
その事実を突きつけられた時、私たちは思い知らされたのである。
今までレージがいてくれたおかげでやってこれたということを。
私たち姉妹だけじゃ何もできないということを。
私たちは黒薔薇女子で落第しかけて、またお父さんの伝手を借りて公立の高校に転校してきた。
初日ということで午前中を使って学校を回っていたときのことだった。
「ふざけんな!!」
「……ッ……!」
初めて聞いた、レージの怒号。
たまたまレージを廊下で見かけたので堪らず後をつけてきたら、携帯片手に怒りをあらわにしていた。
普段感情的になることなんてないレージの本気で怒っている顔を見たのは初めてだった。
廊下の端で座り込んで誰かに電話をかけているようだったが、少し遠くにいるせいで声がよく聞き取れない。
「なんでこんなやり方でしか俺に妹たちの面倒見るのを頼めねえんだよ!!……だけど、妹たちのことを嫌いだと思ったこともないし、頼りにされたらもちろん助けになるつもりだったさ。義理とはいえ俺たちと父さんは家族だろ!!こんな金で釣るような汚い真似しなくても普通に頼めばよかったじゃねえか!!」
レージの怒号、それはお父さんに向けられたものだった。
だけど、それが私たちを思ってのことだというのがわかって、すごく嬉しかった。
「………レージ。」
ーーーよかった……!
ーーー嫌われてなかったんだ……!
「三玖か。」
「……やっぱりわかるんだね。」
「当たり前だろ。小さい頃はいつも一緒にいたんだから。」
レージはさも当然かのように私だと見抜いてくれた。そのことが嬉しくて仕方がなかった。
レージの顔を見てると胸の奥から何か熱いものが込み上げてくる。
「会いたかった……!れーじ………ッ……!」
レージの目はまっすぐで、昔と変わらない優しい瞳で見てくれてる。こんなに心の底から安心することなんてなかっただろう。レージはいつも私たちの前に立って手を引いてくれてた。そんなレージは私なんかよりもずっと大人に見えたし、私もいつかはあんな人になりたいと憧れたりもしてた。
いつか私も、私たちも、レージから離れないといけない。きっとそれが大人になるということなんだと思う。
だけど………
ーーだけど今は、少しだけ……。
私のレージを抱きしめる力は自然と強くなっていた。
***
「すみません、焼肉定食焼肉抜きお願いします。」
「はいよ〜って、あれ?レイジ君さっきカツ丼頼んでなかったっけ。」
「あれ、友達の分です。僕まだ食べてないんですよね。」
「そうだったんだね〜、はい、200円ちょうどね〜。」
「ありがとうございます。」
そう言って貰ったお盆の上には茶碗に乗ったライスと味噌汁とお新香があり、これがいつも風太郎が頼む焼肉定食焼肉抜きだ。生憎、五月や三玖と色々あったお陰で昼休みが終わってしまいそうなのでとりあえず軽く小腹を満たしておくことにした。
「レージ……、普段こんなの食べてるの…?」
「いや、普段はもっとマシなの食ってるからな?今回だって本来ならカツ丼を食べてたはずなんだよ。てか、昼休みももう終わりそうだし、これが一番手っ取り早いんだよ。」
「言ってくれたら昼食代くらい私が持つのに……。」
「別に、金には困ってないからいいよ。心配してくれてありがとな。」
「ん……。」
俺は三玖の頭を優しく撫でてあげる。三玖も目をつむって気持ちよさそうな表情を浮かべる。
昼休みも終わりが近づき、人が少なくなった食堂の隅のカウンター席に座り、お盆を置いた。
「ご飯と味噌汁といえば、やることは一つしかない。」
俺は茶碗に盛られたご飯を少し食べる。大体茶碗の中のご飯が2/3くらいになるまでくらい減らした。
「何しようとしてるの?」
「まぁ見てな。」
俺は味噌汁のお椀を持ち、それをご飯にかけた。
そう、俺がやろうとしてたのは俗に言う『ねこまんま』というやつだ。
風太郎が試験期間中によりスムーズに昼食を済まそうとしていた時に使っていた手で、この方法を取れば、最速で30秒くらいで済ませることができる。
後、オマケで付いてくるお新香と一緒に食べるのも中々美味い。
俺は茶碗を持ち、かき込むようにご飯を口の中へ入れていく。
「ふぃー、ごちそうさま。食器返してくるからちょっと待ってな。」
「…わかった。」
俺は急ぎ足でお盆を返却口に返して三玖のところへ戻った。
「三玖はこれからどうするんだ?まだ学校を見て回るのか?」
「いや、午後からは教室に行くよ。」
「そうか。同じだといいな。」
「うん、レージと同じクラスになれるといいな。」
「そうだな。そんじゃもうすぐチャイム鳴りそうだし教室に戻るよ。」
「また後でね。」
「ああ。」
俺と三玖は食堂を出た辺りで別れた。
するとすぐに予鈴も鳴り、俺は急ぎ足で教室に戻ることにした。
***
『お兄ちゃん!!お父さんから聞いた!?』
妹のらいはからメールが来ていたのでトイレで電話をかけると第一声がこれだった。いきなりの大声に思わずびっくりしてしまう。
「どうしたらいは、落ち着いて話してくれ。」
『あ、ごめんね。うちの借金無くなるかもしれないよ!』
「は?」
『お父さんがいいバイト見つけたんだ。最近引っ越してきたお金持ちのお家らしいんだけど、娘さんの家庭教師を探してるんだって。』
「家庭教師だと……?」
『うん、給料は相場の五倍で、アットホームで楽しい職場だってさ。』
「裏の仕事の匂いしかしないんだが……。」
零児に一回相談すべきか……?
相場の五倍なんていくらなんでも怪しすぎる気がするし。
『成績悪くて困ってるって言ってたし、きっとお兄ちゃんならできるって信じてるよ。』
「おい、引き受けるなんてまだ一言も……!」
『これでお腹いっぱい食べられるようになるね!』
ぐぅぅと腹の音がまるでらいはに返事をするかのように鳴った。
確かにらいはの言う通りだ。これは借金を帳消しにするチャンスなのかもしれない。
『それに零児お兄ちゃんもいるし、迷ってるなら相談してみるといいんじゃないかな?』
「そうだな……。とりあえずその娘ってどんな人なのか教えてくれないか?」
『えーっとね、確か今日転校してくるはずだよ。確か名前は……。』
「おい……!」
「マジかよ、超かわいいじゃん……!」
「あれって黒薔薇女子だろ、お嬢様校じゃねえか…!」
「てか………、中野に超そっくりだ……!」
俺は驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
零児とよく似た赤い髪に、印象に残るあの星型のピン、間違いない……。
頭の中でさっきの食堂での二人のやり取りが想起される。
ーーー待って兄さん!!
ーーー………ごめん。
「はい、中野さん。自己紹介を。」
あの時の彼女と零児の表情。そして、中野という苗字、そう俺が家庭教師として勉強を教える相手は。
「中野 五月といいます。よろしくお願いします。」
紛れもなく、零児の妹だった。
続くかどうかは知りません()