「へっくしッ」
昼とは一変して閑散とした住宅街に、間の抜けた少女のくしゃみが木霊した。
ずずっ、と鼻をすすったフィーは慌てて周囲に人の気配が無いかを確認して、小さく息を吐く。こんな真夜中に自分のような子供が出歩いているのが見つかれば、面倒なことになるからだ。
『風邪でも引いたの?』
そんなネギの言葉に首を振る。
『ん~、きっと誰かがわたしの噂でもしてるんじゃないかな』
再び歩き出すフィー。
少女は今、海鳴山間部の森林の中に光学迷彩で潜ませたデメキング号へと向かっていた。
念話による対話でユーノやなのはと共に今回の事件に協力する旨を伝えたのは、つい先程のことである。明日の早朝には海鳴臨海公園にアースラから転移ゲートが開かれるので、それまでに船の修理状況を確認しようと思ったのだ。
サンダルがアスファルトを擦る小さな足音が静寂に響き、消えていく。
「…………」
しばしの無言の間の後、独り言のように小さな声でフィーは呟いた。
「フェイトちゃんの理由が知りたい……か」
先程の念話での話し合いの中、なのはのが口にした言葉だ。
『あの子の容姿を見るに、フィーと同じ……』
「うん。アリシアのクローン……でも、わたしと同じとは言えないよ。多分、プロジェクトF.A.T.Eの最初期……一番目に近い個体の筈。完成形ってやつじゃないかな? でも、お母さんからしたら違ったんだろうね。だってアリシアには元々魔力資質なんて無かったわけだし……色々試して、五十番目《わたし》まで試作してみたんじゃないかな?」
淡々と自身の出生についての予想を口にしていくフィーの瞳に、悲観の色はない。
考える時間は半年以上もあったのだ。もう、少女の想いはそんな現実程度で揺るがない。
『……そうかも知れないね』
山に入ると、フィーは樹木の枝に跳躍して飛び乗り、道無き道を船のあるだろう方角へ向かって跳ねるように進んだ。
今はブレスレットと化している待機状態のデバイスにのみキャッチできる信号により、フィーが光学迷彩に騙されることはない。
『それにしても……フェイト、か』
何か懐かしむようなネギの声音に、フィーは興味を引かれた。普段、相棒のネギは己の過去をあまり喋ろうとしないのだ。
「なになに? 友達に同じ名前の人でも居たの?」
『うん? うーん……宿敵と書いて友と読むなら、友達だった……のかも知れないね。もうだいぶ昔のことだよ』
「ふ~ん……?」
『出会った当初は手も足もでなくてね……彼に追いつくために、自分の想いを貫くために、相当な無茶をしたもんだよ。そんなアイツも……いや、昔話はいいか。それよりも今だ。プレシアさんはジュエルシードを集めてどうするつもりなのか。フィーは予想できるかい?』
なんて話を逸らされてしまったものの、正論なので顎に手を当てて考え込んでみる。
願いを叶える宝石。それを集める理由なんて、一つしか思い浮かばない。
「やっぱり、アリシアを生き返らせることじゃないかな? でも、ジュエルシードってそんな願いも叶えられるの?」
『難しい……いや、おそらく不可能だろうね。ユーノ君に聞いた今までの発現例と、木の化け物を見る限り、膨大な魔力で力押しできる願いくらいしかまともに叶えられないと思う。……魔法は、決して万能の力って訳じゃないんだ』
「う~ん……それじゃあ、なんだってお母さんはあんなのを」
思い返すのはプレシアを……母を初めて見た、始まりの記憶。
「……むむむぅ」
彼女はロストロギアを、それも次元干渉型ものを集めていたのではないか。そして、ネギと出会うことになった崖での一件。思い返せば、自分の強い感情に反応して指輪型のロストロギアが発動、次元に孔を開けたのではないか。つまり、極小規模の次元断層。
そして次元断層の向こう側は、虚数空間だ。
虚数空間にあるものと言えば……?
「……」
……虚数空間って、墜ちたら最期の謎空間じゃないの?
今まで紛いなりにもトレジャーハント的なことも行ってきた関係上、次元空間学や超常現象といった分野にはそれなりに詳しいつもりだった。だが、どうにも欠けているピースが多すぎて答えなど想像出来そうもない。
『まあ、直接会って聞けばわかるよ』
「直接って……! はぁ~、よく考えたら管理局が来てる時点で、お母さんを犯罪者にしないって目標は無理じゃんか……」
ため息混じりに愚痴る。自分ではどうしようもなかったことは理解出来る。しかし、理解するのと納得するのは別物だ。
『しょうがない……と言うよりも、今この状況だってかなり奇跡的だよ? そもそもあの遺跡で次元探査の手段を見つけられたこと自体、かなり天文学的確率だったろうしね』
「そう、なんだよね……よし!」
頬を叩いて活を入れる。ポジティブ、ポジティブ……と呟いている姿は、傍から見ると妙にしか映らないが、ここは森、しかも枝の上をかなりのスピードで移動中。少女の奇行を訝しがる人間など居ない。
「よっしッ! 元気いっぱい、とにかくがんばるぞーっ、おーっ!!」
夜闇に響く少女の気合い。
……とにかく一言。わたしを放置したことぐらい、文句言ってやらないとね
☆
「……っと、言うわけで今回協力してくれることになった、ユーノ・スクライアさん、フィー・スクライアさん、そして高町なのはさんです」
次元航行艦アースラの会議室。
艦長であるリンディの紹介の最中。何気ない言葉でユーノは点と点が繋がった気がした。
勿論、フィーの事についてである。
少女とスクライアの都市で再会したとき、ネギはフィーの捜し物の目処がようやくついた、と言っていた。なのに次元震に巻き込まれた。つまり捜し物はこの世界の近くにあったはずだ。
「…………」
この話を思い出した当初、ユーノはフィーもジュエルシードを求めているのかと疑った。しかし、ネギが目処がついたと言っていたのは自分が発掘する前。ロストロギアは関係ないと見て間違いない。
……なら、なにを見つけた?
答えはフィーの行動が示しているように思えた。
どうも少女は普段名乗っている『フィー・T・N・スプリングフィールド』と言う名前を管理局に知られたくないようだ。フリーの魔導師が管理局と小競り合いを起こすことはよく聞く噂なので、もしかしたらユーノが知らないところで犯罪を犯していると言えなくもないが……
彼女のミドルネーム『T』と『N』、『N』はネギの略として、
「テスタロッサ……か」
「そしてこちらが、結界魔導師のユーノさんです」
テスタロッサの略がミドルネームに含まれているのではないか。そして、前々からの探し物……もしや、探し人なのかも知れない。かなり仮定の部分が多いが、そこは遺跡発掘と同じ。推理、推論、推察を重ねて真理へと近付くのだ。
「……ノさん。ユーノさん?」
「あっ、は、はい! ユーノ・スクライアです! よろしくお願いしますっ」
自分へ集まる視線。羞恥から頬が赤くなるのを自覚しつつも、そこはスルー。少年はミーティングへと意識を戻すのだった。
☆
高町なのはは天賦の才に恵まれた魔導師だ。
本来なら魔力資質を持たない筈の血脈にあって、極稀な資質を持った少女だ。
学校帰り。仲良しの友達と一緒に通った帰り道で、なのはは傷付いたフェレットを助ける。その夜、なのはは助けを求める不思議な声を聞き……魔法に目覚めたのだ。
そして今、少女は次元を渡る船に居る。
フェイト。悲しげな瞳をした金髪の少女と話をするために……
「おばちゃん、焼肉定食おかわりっ」
「あいよ、ちょっと待ってな!」
話をする……為、に?
なのはの目の前でお茶碗一杯の白米をフォークで口にかき込む赤毛の少女。そして、それをいさめる少年、ユーノ。
……フェイトちゃんと雰囲気が違いすぎるの
フェイトそっくりの顔にご飯粒をくっつけるフィーの姿は、なのはの中で崩れかけていたフェイトによく似た人、という印象をぶち壊すのに十分な威力を持っていた。
「ちょっと、フィー。少しは遠慮しなよ」
「んぐっ、んむっ、んん? えんりょってな~に? それって美味しいの? ただめしほどうまいものはないよっ!」
「……はぁ、もういいよ。なのはは食べないの?」
ユーノがなのはの手元を見てそう言った。
なのはの前にはざる蕎麦が置かれ、その量は食べ始めてから減っているように見えない。食堂のメニューで見つけた、如何にも地球産らしき料理に驚き、頼んでみたのだが、特に変な味がするでもなく普通の蕎麦だった。
「あ、あはは。フィーちゃんの食べっぷりに驚いちゃったの……」
ジュエルシードの捜索はアースラが請け負う、なんて言い渡されたのは三十分ほど前のことだ。やることもなく、緊張しつつも案内された船の一室で待機していた少女をユーノとフィーが食事に誘ったのだ。
「……ふぅ」
息を吐く。
フェイトと話をするためとは言え、慣れない環境になのはは気疲れを隠せなかった。
そんな少女の様子に気付いたのか、赤毛の少女が焼肉を飲み込み、口を開く。
「休めるときに休んどいた方がいいよ、なのは」
「え?」
食べかけの蕎麦を呑み込み顔を上げると、フィーがお茶碗を左手、焼肉を突き刺したフォークを右手に、ウィンク。くりっとしたフェイトと同じ紅い瞳がなのはを見つめていた。
「そんなに思い詰めなくてもいいじゃんってこと。休むときは休んで、戦うときはきっちりシトメる。そんで食べるときはしっかり喰らう。おばちゃん、ご飯おかわりっ! それが人生を楽しむ秘訣ってね~」
なのはにはよくわからなかったが、どうやら自分を励ましてくれていることだけは何となく理解出来た。
「……ありがと、フィーちゃん」
「ん? んー、どういたしまして? あ、そうだ。あとで親睦をかねて三人でアースラを探険してみない? こんな時でもないと、管理局の次元航行艦の中なんて見る機会ないしさ」
そんな言葉に苦笑する。気付けば、少しだけ緊張が解れた気がした。
☆
一時間ほどアースラを探険していると、
「お~い、そこの三人組~」
三人は十代半ば、管理局の制服姿の少女に呼び止められた。
「あ……エイミィさんだ」
なのはの言葉でフィーは思い出した。確か、執務官のクロノの隣にいたオペレーターの人だったはずだ。
話を聞くと、なんでも協力する上でフィーの実力がわからないため、これから模擬戦を行って欲しいらしい。
「急なんだけど、どうかな?」
陽気な口調でそう問いかけてくるエイミィに頷く。
「ぜんぜんオッケーです。どこで戦るんですか?」
「うしっと、じゃあ着いてきて! 場所はトレーニングルームだよ。なのはちゃんとユーノ君はどうする?」
「あ、それなら見学させてもらっていいですか? なのはもいいでしょ。フィーは近接戦じゃかなりのものだから、いろいろ参考になると思うよ」
なんてユーノの言葉になのはが目を大きく開いて驚いた。
確かにフィーはなのはよりも年下だ。戦ったところは見たことがないだろうし、何より初対面では転んで涙目になっていたのだ。まだまだ魔法に触れて経験の浅い少女がフィーの実力を見誤るのは致し方ないことだ。
「ふふふん。砲撃の撃ち合いじゃ勝負にならないだろうけど、近接戦《クロスレンジ》に持ち込めればあっという間だよ。まあ、その辺は地の利とか絡んでくるし、言い出したら切りがないわけだけど……戦闘魔導師として今後も生きてくつもりなら、相手のおおまかな実力ぐらいは見抜ける観察力は重要だからね。追々、鍛えておいた方が吉だよっ」
エイミィの背を追って歩きながら、柄にもなく真面目なことを喋るフィーにユーノが、
「まさかフィーがこんな真面目な話をするなんて……」
なんて茶々を入れてくる。
「むぅ!?」
「にゃははは、でも、ちょっと意外なの」
「ぅぬ、なのはまでっ!? むむむむむ……こうなったら今度からなのはのこと、にゃのはって呼んでやるからーッ」
そう吐き捨てて、フィーは駆け出した。目的地のトレーニングルームの扉が見えてきたからだ。
「ちょ、ちょっとフィーちゃん!? にゃのはってなんなの!?」
「うぅん? なんか言ったのにゃのは? 聞こえなかったんだけど、にゃのは? にゃのは、どうかしたの~?」
ブチ、と栗色の髪の奥、なのはの頭の中で堪忍袋の尾が引きちぎれる音が聞こえた気がしたが、きっと気のせいだろう。
「にゃぁぁあああああああッッッ!!!」
なんて奇声と共に追いかけてくる少女をさらにからかい倒し、フィーはトレーニングルームの扉の向こうへと消える。運動神経の切れているなのはでは、すばしっこいフィーには追いつけない。
そんな二人の掛け合いを見て、少年はため息を吐く。
そんな三人組を微笑ましそうに眺め、この中で最年長の少女は一言、
「若いっていいねぇ~」
なんて呟いた。
エイミィ・リミエッタ。アースラの通信主任兼執務官補佐を務める、ピツチピチの十六歳であった。
☆
扉の向こうは三十メートル四方はある開けた空間だった。天井も高く十メートルはあるだろうか。艦内とは思えぬ充実したトレーニングルームに、フィーは口笛を一つ、内心の驚きを表す。
「さっすがは管理局~」
そう嘯く少女を、黒衣のバリアジャケットに身を包んだ執務官の少年が一瞥する。
「やっと来たか。エイミィから用件は聞いてるな?」
トレーニングルームの中心でカード型の待機状態のデバイスを起動させ、杖を握りながらクロノが言った。
それに頷き、少女もデバイスを起動。両手の甲から前腕の半ばまでを無骨な手甲が瞬時に覆う。
準備完了。
リンカーコアへ熱を入れ、全身を駆ける魔力の密度を高めていく。
「それで、ルールは? く、く……クロのん」
「クロノだっ! ……んんっ、ルールはシンプルに行こう。非殺傷設定、魔力ダメージでどちらかの行動不能、もしくはギブアップで模擬戦は終了だ」
「!」
ツッコミから鮮やかに説明してくれたクロノの手並みに、フィーは戦慄を隠せない。
……コイツ、からかわれ慣れている、だと!?
最早、条件反射的にユーノをからかっているフィーには、いや、そんなフィーにだからこそわかる。目の前の少年は、
「……できる」
「何を考えているか知らんが、しょうもないことだってだけはわかるぞ」
「!!?」
と、そんな感じで言葉のキャッチボールを楽しみ(?)、二人は十五メートルほど離れて向かい合った。
「エイミィ」
『はいはーい、聞こえてるよ~』
クロノ言葉で現れたのは、空間モニター。二人の間に漂うそれには、別室で観戦するエイミィ、そしてなのはとユーノが映し出されている。
『フィーちゃんっ! 後でお話があるの!!』
『ジュエルシードの封印は僕となのはが居るから、フィーは頑張ってやられてね』
モニターの向こうで頬を膨らませるなのはと、応援だかよくわからない言葉を送ってくるユーノ。
一つ、深く息を吐く。
「ふぅっ」
それでフィーの心身は臨戦態勢へと切り替わった。
気配で察したのだろう。僅かに笑みを浮かべ、クロノが杖を構える。
「エイミィ、合図を頼む」
『りょーかい! それじゃあいくよっ、試合……』
跳ね上がった集中力で引き延ばされる時間感覚。その中で、フィーは静かにクロノを見据えた。右手で軽く握った杖を下段へ。全身に無駄な力みはなく、ただそこに佇む自然体。
……いや
内心で首を振る。
自らよりも遥かな高みに立つ相棒に基礎を叩き込まれたフィーは知っていた。自然体とはリラックスしてただ立っている状態ではないのだ。単にリラックスしている人間は、前傾姿勢のようになる。あのクロノの構えは、相手がどんなことを仕掛けてこようとも、後の先を可能とするためのものだ。
……勝てるの? ううん、勝とうとしていいの?
あれほどの隙のない構えを取る相手だ。その技量は生半可なものではないだろう。ミッドチルダ式魔法を使うと見るが、おそらく相応の近接戦闘技術も有しているに違いない。
流石は若くして執務官になっただけのことはある。
だが、だからこそ、フィーは迷った。
管理局は少女の味方と言うわけではないのだ。紛いなりにも犯罪歴がある以上、どこでバレるかわかったものではない。そんな相手に、自分の本気を見せても良いものか。
『僕が居るんだから、思い切りやってごらん。これも経験だよ』
フィーの内心を読み取ったように、ネギが背を押す。
「……うん」
頷き、少女は口端を微かに上げた。
これほどの強敵は、そう巡り会えない。
かつて立ち塞がった槍使い、ゼストを前にフィーは戦うまでもなく敗北した。あれから幾つもの修羅場を潜り抜けてきた。
自分の力は格上相手に通用するのか。地下闘技場の一件から今まで、自分は本当に強くなっているのか。ネギが相手ではダメなのだ。魔法体系がこの次元世界で主流のものと異なる上に、そもそもの技量が天と地ほども離れていて勝負にならない。
だからこそ、確かめたい。
『……開始!!』
エイミィの合図と同時、フィーは床を力強く蹴った。
瞬動術。魔力運用によって高速移動魔法並の加速を得る技法。一陣の風と化した少女の身体は十五メートルの距離を一息に駆け抜ける。次の瞬間には拳の間合いへと、クロノの身体を捉える。
眉間、顎、鳩尾、人体の急所を狙った突き。瞬き一つの内に走った三連撃が、クロノの手のひらに展開された魔法の盾に、ことごとく受け止められた。
「「っ!!?」」
息を呑む。
一方は己の初撃をあっさりと防がれたことに対して。もう一方は易々と防御を強いられたことに対して。
ガラスに罅の入るような、硬質な音。砕けたシールドが蒼い魔力の燐光を散らす。
互いの脳裏を走る驚愕をそのままに、両者は動いた。
クロノが後方へ飛び退くと同時、その右腕が跳ね上がる。握り込まれたデバイス『S2U』の先端には、魔力弾の煌めき。
蒼が迸る。
速度と障壁貫通機能に優れた射撃魔法『スティンガーレイ』が、コンマ数秒、瞬時に放たれたのだ。
自身へ向けて迫る閃光に怯まず、直線軌道を見切る。首を傾げて魔力弾を躱し、フィーは躊躇なく踏み込んだ。格上相手に距離を取れば、追い込まれてじり貧になることが目に見えていたからだ。
瞬動による瞬間加速で背後を取る。サンダルが訓練場の床と擦れ、煙を上げる。
「っ!?」
「シィッ!!」
踏み込みの勢いを円回転に巻き込み、回し蹴り。少女の右足が螺旋を描いて少年の右腹部を襲う。
「つっ!!」
吹き飛ぶクロノ。
軽い手応え。自ら飛ぶことで衝撃を逃し、バリアジャケットで蹴りの威力をほとんど防がれてしまった。そう悟ると同時、空中で体勢を立て直して勢いのまま飛行魔法を発動しようとするクロノへ向けて、少女は追撃を放つ。回し蹴りの回転のままその場で左足を跳ね上げ、前蹴り。
大気を裂いて飛んでいくサンダル。
続けて右足。
弾丸と見紛うほどの霞む速度で二足のサンダルが虚空を駆け、浮き上がっていたクロノへ衝突。シールドで弾かれるも、地面へ叩き落とすことには成功した。
着地したそこは、フィーの間合いの内だ。上下左右、角度をつけ、虚実織り交ぜた拳の嵐にクロノを巻き込む。
「ぐっ、ぉ……!!」
「らららららららららぁっ!!」
十、二十と拳を繰り出し、クリーンヒットは一つもなし。
ゼストの槍術を思わせる洗練された技術でもって杖を駆使し、クロノが直撃をさせまいと捌いているのだ。
バリアジャケット越しに拳が掠める程度。有効打は入らない。しかし、見方を変えれば執務官を相手に防戦一方に持ち込めているとも言える。近接戦に限るなら、僅かにフィーへと軍配が上がるようだ。
……攻めきる!
衝突する杖と拳がトレーニングルームへ甲高い金属音を響かせる。手甲と杖が火花を散らし、何十もの花がフィーとクロノの間で咲き乱れる。
防いだ杖を強打で強引に弾くも、そのまま流れるような動作で足払いに変形。それを回避と連動した宙返りで足を跳ね上げ、顎先を蹴り上げようとするも、紙一重で避けられた。
蹴りが掠め、クロノの髪が数本舞う。
体勢の崩れを見逃さず、追撃。宙返りの途中で足場の魔法陣を虚空へ展開し、それを足場とすることで踵を落とす。
魔力で強化された素足とデバイスが衝突し、重低音が反響した。
「……やるな」
頭上の死角からの踵落としすら、届かない。掲げられた杖にしっかりと防がれてしまった。
「チィェィッ!!」
呼気と共にもう片方の踵も落とし、弾かれるように距離を取って十メートル。
……距離が
そう思うや否や、視界の端に霞む蒼光。刹那の判断で頭を下げ、飛来した魔力弾を回避。
螺旋軌道を描くその猛威は、一度では終わらない。
「スナイプショット」
クロノの発したキーワードで魔力弾が再加速したのだ。
「っ!?」
複雑怪奇な軌道を描く蒼。フィーの周囲を目にも止まらぬ速度で駆けるそれの、凄まじい誘導性。
避けても、手甲で弾いても、魔力弾はフィーへと喰らいついてくる。
加速。加速。加速。
その動きに一瞬見入った途端、背筋に悪寒を感じて飛び退く。タッチの差で魔力の鎖が空を切った。足を止めればバインドにすぐ捕まる。
アッパー気味に顎先へと伸びる誘導弾を半身でやり過ごし、フィーは再度クロノへと踏み込んだ。
身体ごとぶつかりに行くような拳の突撃。瞬動術の加速でもって繰り出されたそれは、クロノの体捌きにあっさりと空振った。が、そのまま止まらずクロノの横を抜け、突き出した勢いのまま右拳を床へと突き立てる。
ベキ、と乾いた音が響くのを尻目に身体を捻り、右手を支点に回し蹴り。意表を突いたはずのそれは、
「っと」
なんて軽い声で避け切られてしまう。そのまま飛び退くクロノを見据え、床のタイルの破片を握りながら立ち上がる。
……見切られた
今の流れは完全に読まれていた、と胸裏で毒づく。
追い付いてくる誘導弾。
射撃魔法の発動は間に合わないし、そもそもそこまで得意ではない。軌道を見切り、手に持つ破片を投擲することで相殺。
四散する蒼い弾丸とタイルの欠片の向こう。
「あれを見切るか」
十メートル先で佇むクロノが賞賛を投げ掛けてくる。それに小さく笑みを返す。
「クロのんもね」
瞬動術が見切られ始めた。もう簡単には懐へ踏み込ませてくれないだろう。十メートルという一息で詰められる間合いが、今のフィーにはとても遠く感じた。
クロノの発する威圧感が、より一層強く全身を叩くのがわかる。
それでも。
「あははっ」
それでも今、自分は格上相手に紛いなりにも渡り合えている。
胸が躍り、思わず笑みが浮かんだ。
床を蹴る。
半ばまで間合いを蹂躙し、拳を握り込んだその瞬間、クロノの口元が微かに歪んで、
「なぁっ!?」
……ディレイドバインド
強制的に掛けられる急制動。蒼い鎖が唐突に出現し、フィーの全身に巻き付いたのだ。
クロノがあらかじめ空間に施した魔法。特定空間に進入した対象を捕縛する、設置型のバインドだった。
……いつの間に!?
縛られ、棒立ちのフィーへ向けられる『S2U』の先端には、魔力球が膨れ上がっている。
「ぐぅっ!?」
砲撃魔法だ。いっそ鮮やかと言いたくなるほどの手並みだが、そう易々と喰らってやるものか。
「らぁッ!!!!」
全身の戒めを瞬間的な力の爆発、ネギの言うところの『寸勁』に似た至近距離における力の出し方で引き千切り、身を屈めることで砲撃の下を行く。
……チャンス!
砲撃魔法の技後硬直を狙い、フィーの束ねた赤毛が一条の赤を空間へ刻む。
「これでも……」
右腕に展開される、白の環状魔法陣。いつぞやの指輪《ロストロギア》から溢れ出してきた光と同じ色が、フィーの魔力光なのだ。少女としてはなのはのような桃色や、髪と同じ紅色が良かったのだが、魔法の威力に関連はないので今はどうでもいい事だ。
拳の先では、小石から一抱えはある大岩程まで膨れ上がった光球が白銀の輝きを宿している。
「っ!!」
見開かれるクロノの眼。完全に虚を突いた、そんな確信と共に拳を振りかぶる。
「喰らえぇぇえええ!!!」
名付けて『フィー・スーパー・ミラクル・デンジャラス・パンチ』
インパクトの瞬間、解放される短距離速射砲はクロノを完膚なきまでに打倒する、筈だった。
が、異様に短い技後硬直にフィーの企みは瓦解してしまう。
クロノの砲撃魔法『ブレイズキャノン』は、大威力の瞬間放出を上手く制御し、砲撃魔法としては破格の隙の無さを実現していたのだ。
「ぁれ……」
気の抜けた声が漏れる。
拳が杖に逸らされ、あらぬ方向へ砲撃が飛んでいく。トレーニングルームの結界が施された壁に衝突し、轟、と大気を揺るがす砲撃。しかし、どれだけ威力があろうも、当たらなければゼロに等しい。
コンマ数秒、頭が漂白される間に手足をバインドに縛られ、クロノの魔力弾が眼前で止まる。
「ギブアップするかい?」
「……ギブで」
戦闘時間、計二分十七秒。
短くも濃密な模擬戦は、こうして幕を閉じた。
☆
「それでフィーさんはどうだったかしら、クロノ執務官」
ミーティングルームに、リンディの声が響く。
室内は艦長であるリンディ、執務官のクロノ、そしてその補佐としてエイミィの三人が長方形のテーブルを囲んで佇んでいた。
リンディの言葉にクロノは、三十分程前の模擬戦を反芻して頷く。
「強かったです。少なくとも陸戦AAランクの力は十分ありました。危うく良いのを貰いそうな場面も何度かありましたしね」
そう言って、戦闘記録データをモニターに表示する。
「あの年でこれ程とは、すごいわね~……うん、十分戦力になりそうで良かったわ」
なんて微笑む母の姿に、クロノは何となくその内心が聞こえてくるようだった。おそらく、この事件が終わったら管理局に勧誘する気満々だろう。優秀な魔導師はいつでも足りないのだから。武装局員、執務官、捜査官に教導官。なのは程の資質やフィー程の実力があれば、どれを狙っても達成できるに違いない。
特に直に戦闘したフィーに関して、クロノは高く評価していた。
あの年齢で赤毛の少女は戦闘者としての心構えが出来ていたのだ。思考の切り替え、優れた状況判断力、変幻自在の戦闘スタイル。魔法を使わず、魔力運用のみで高速移動してきたのには驚いた。インターミドル・チャンピオンシップ都市本戦に出場してくる格闘戦技者レベルの踏み込みだった。
あんな子が部下や同僚にいれば、確かに良いなとぼんやり考え、首を振る。
「かわいい子だったもんね~、フィーちゃんとなのはちゃん。クロノ君はどっちが好みだった?」
「か、からかうなよ、エイミィ! 仕事をしろ、仕事を」
意地の悪い笑みを一つ。エイミィが手元のディスプレイを操作する。
「それで、フィーさんの調査結果は?」
「はい、黒いバリアジャケットの子と魔力の質を比較してみましたが、全く異なりました。双子や姉妹はどこかしら似通ってくる筈なので、あの子たちの関係性は無いと判断できます。あと、念のため身許調査もしてみましたが、確かにスクライア一族の一員として住民登録がされていました」
「そうですか……」
顎に手をやり、リンディは頭を振るう。
「考えすぎ、だったみたいね。さて、それでは次の……」
そうして、クロノたちは今後の事件への対応を打ち合わせしていくのだった。
少しでも被害を少なく、事件を解決するため。起こらなくていい悲劇を、絶対に起こさないために。