リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第九話

 

 

 

 父が死んだ。

 

 『闇の書』と呼ばれるロストロギアの暴走に巻き込まれ、あっさり死んだ。家でそんな報告を母から受けたとき、心にぽっかりと大きな穴が開いたのを覚えている。

 

 母の涙を覚えている。涙が枯れ果てた葬式の記憶を今でも鮮明に思い出すことが出来る。

 

 だから、プレシア・テスタロッサの気持ちは少なからず理解できるつもりだ。こんな筈じゃなかった世界のすべてを取り戻そうとしているのだろう。

 

 目の前に行く手を阻む巨大な扉。それを砲撃で吹き飛ばし、クロノはついに辿り着いた。

 

「……っ」

 

 石の祭壇に寝かされる、フェイトやサーティのオリジナル。二十六年前に死去した五、六歳の少女の遺骸が、クロノの目に飛び込んでくる。白いワンピースの下には、瑞々しく生命力を感じさせる肌が覗く。今にも目覚めてきそうだった。

 

 祭壇の周囲には執務官であるクロノすら解読不能な、超々難解な魔法陣が怪しく輝いていた。

 

「今にも目覚めてきそうでしょ?」

 

「っ!?」

 

 目の前、十メートル程先にプレシアが佇んでいた。

 

 ……何だ?

 

 声を掛けられるまで、その存在に気付けなかったことを訝しみながら、気を引き締めて杖を構える。

 

 異様な存在感。

 

 稀薄なようで巨大。

 

 プレシアの瞳をのぞき込んだクロノは、その奥に幾分かの正気を見て取った。だからこそ、その正気に賭けて少年は告げる。

 

「世界は何時だってこんな筈じゃなかったことばかりで……」

 

 それは少年が幼い頃に感じた不条理。こんな筈ではなかった。執務官として数々の事件に携わってきたからこそ言える、世界の真理。

 

「ずっと昔から、誰だって、何時だってそうなんだ。不幸から逃げるか、戦うかは個人の自由だけど。他人を巻き込む権利は誰にもない! プレシア・テスタロッサッ!! 今すぐ次元震を止めて、投降するんだ!!」

 

 大切な人を失った悲しみは、理解できる。でも、だからと言って世界を壊していい理由にはならない。

 

 貴女は間違っている、とクロノは感情を込めて叫ぶ。しかし、そんな言葉に対するプレシアの返答は嘲笑だった。

 

「くっ……くく、あはははははははッ! そうね、確かに世界はこんな筈じゃなかったことばかりよね? でも、それがどうしたのかしら? 私は科学者なのよ? 輪廻を切り裂き、条理を歪め、この世のありとあらゆる法則に抗う者! なら、そんな世界の法則なんて、捻り曲げてあげるわよ」

 

「っ……自分が何をやろうとしているのか、わかっているのか!? 大規模次元断層でどれだけの犠牲がでると思ってる!?」

 

 隣接する次元世界が幾つも虚数空間へと飲み込まれ、滅び去った大災害。それが再び起きてもおかしくはないのだ。しかし、プレシアは心底可笑しいと嗤うように、首を傾げる。

 

「……それで? アリシアが生き返るなら、何人死のうが構わないでしょう? そうね。世界が滅べば人が死ぬわね。いけないことだわ。でもねぇ、アリシアの命に比べたら、そんなことは些事に過ぎないのよ」

 

「…………」

 

 言葉が通じない。いや、分かり切っていたことか。正常な判断力のある人間ならば、最初からこんな暴挙を行うわけもない。

 

 思わず嘆息した。

 

 ……説得は無理、か

 

 説得を諦め、クロノは数十通りの戦闘予測をマルチタスクで脳内に展開する。

 

 プレシア・テスタロッサは条件付きとは言えSSランクの魔導師だと資料にはあった。しかし、本格的な戦闘訓練を受けた経歴はない。保有魔力で負けているクロノは、そこに勝機を見出した。

 

「私を止めたいなら、殺す気できなさい」

 

 迸る紫電。

 

 高まる魔力が、クロノのバリアジャケットを荒くはためかせた。

 

 

 

 

 

 

「まだだ。この程度じゃないだろう?」

 

 ゆっくりと歩み寄りながら、そう呟く。

 

 石柱が砕け舞い上がる砂煙の向こう側に、今までにない魔力の高まりを感じた。

 

 禍々しい気配。

 

 ……それでこそだ

 

「……?」

 

 自分の気持ちがわからない。五十番目のアリシアクローン。フィフティスと戦うのはこれが初めてだというのに、かつて経験したことがあるような既視感をサーティは覚える。

 

 ……いや

 

 あれは本当にフィフティスなのか。感じる魔力は機械兵との戦闘時とは桁違いに研ぎ澄まされている。

 

 そう考えた矢先、

 

「ッ!?」

 

 目前に赤毛の少女が踏み込んでいた。

 

 鳩尾を貫く衝撃。積層多重障壁越しに掌底がめり込む。

 

「ぐ……っ!!」

 

 呻く間もなく、接触状態の手の平から流し込まれた勁によってサーティは吹き飛ばされた。

 

 螺旋勁。丹田の横回転により生じたそれが、雷を伴って全身を蹂躙する。障壁で軽減しきれず通った勁だけでも、サーティを悶絶させるには十分な威力を有していた。

 

 宙を舞う身体。そこへ背後から再びの衝撃が襲う。反射的に裏拳を振るうも、大気を切り裂くそれは空を切った。

 

 瞬間、背中へ再び衝撃が走る。今度は蹴りだ。

 

「ぐぁ……!?」

 

 ……速い

 

 打ち上げられる身体。それに逆らわずサーティは回転。敵対する赤毛の少女を視界に捉えた。

 

 白く帯電した肉体。膨大な魔力によってゴム紐とジャージのチャックが弾けたのだろうか。解けた長髪と前開きになったジャージの上着が、激しく揺れ動いていた。

 

 虚空を蹴って宙へと踏み止まったサーティはフィフティスの豹変に目を疑いながらも、何故か驚きはしなかった。

 

 目前の事象は次元世界で主流の魔法には見られない、詳細不明の技法の筈だ。にも関わらず、まるで初めから知っていたように、少女の口は動く。

 

「…………雷化か」

 

 無意識のうちに笑みが浮かぶ。目の前の存在に、誰かが重なって見えた。

 

 フィフティスの返答は、強烈な飛び膝蹴りだった。

 

 あまりの速度に反応できない。知覚できたのは少女の移動した軌跡に迸る稲光のみ。

 

 ……何故だ?

 

 危機的状況の筈だ。なのに、何故自分はこんなにも心躍らせているのか。自分で自分がわからない。こんなことは初めてだった。

 

「……くっ!」

 

 ……万象貫く黒杭の円環《キルクルス・ピーロールム・ニグロールム》

 

 床を踏み砕きながらも、無数の黒杭を展開。

 稲妻と化した少女を中心に、黒光りした身の丈よりも巨大な杭が檻を成す。四方八方、避けるスペースなどありはしない。音を置き去りに一斉加速。全方位から襲いかかる黒杭。

 

 しかし、そんな光景を前にフィフティスは小さな唇からぽつりと一言。

 

「遅い」

 

 視界がブレた。

 

 床を貫く無数の黒杭。連続した轟音が鳴り響く中、一瞬遅れてサーティは自分が頭部に拳撃を受けたのだと悟った。

 

 雷光。

 

 衝撃。

 

 雷光。

 

 衝撃。

 

 認識すら出来ぬ、神速の動き。それは正しく雷の速度。

 

 積層多重障壁が揺らぐ。

 

 そして何十度目かの拳撃の末、

 

 ……障壁破壊掌・改

 

 幾重もの高密度障壁が、掌底の一閃で貫かれた。

 

 為す術なく身体がくの字に折れ曲がる。吹き飛んだサーティは床を砕き、石柱をへし折り、壁に叩きつけられて倒れ伏した。

 

「ぐ…………ぁ……」

 

 強力な障壁貫通効果が付与された一撃。障壁を抜かれ、まともに受けた腹部は、魔力によって強化されているとは言え生身だ。身体の内を滅茶苦茶に掻き混ぜられたに等しいダメージがサーティを蹂躙する。

 

 内臓がひっくり返るような激痛を堪え、震える腕に活を入れて身体を起こす。

 

 治癒魔法を気休めに自らへ施し、口に溜まった鉄の味を吐き捨てる。

 

 片膝立ちになったとき、サーティはひび割れた床に赤い水溜まりを見つけた。ポタポタと飛び散る赤い飛沫。それが己の額から頬を伝って滑り落ちた鮮血だと気付くのに、数瞬の時を要した。

 

 ……赤い?

 

 血は赤い。それは当たり前のことだ。その赤がヘモグロビンの赤だとか細かいことではなく、人間の血は赤いのだ。

 

 ……本当に?

 

 赤い。

 

 あかい。

 

 アカイ。

 

 本当に自分の血は赤かったか? 当たり前のことに実感が持てない。

 

 ふとした疑問。しかし、その疑問がサーティの失われた記憶の扉の、鍵だったのかも知れない。

 

 少女の脳裏に白い閃光が弾けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 ……何かおかしい

 

 ネギがそう感じたのは、サーティへと繰り出した障壁破壊掌の手応えを感じる最中のことだった。

 

 自分の知るサーティ……フェイト・アーウェルンクスだったならば、強烈なカウンターによる反撃があってしかるべきなのだ。しかし、少女は今うつ伏せに倒れ、起き上がろうと腕を震わせている。

 

 ……記憶が無い?

 

 そんな考えが脳裏を過ぎる。好都合だ。術式解放、完全雷化のとどめの一撃を放とうと集中する。『雷天大壮』によって現勢化される電場を自身が取り込んだ雷撃全てでもって展開する呪文、千磐破雷《チハヤブルイカズチ》。千の磐も破るそれは、高位魔導師すら消し飛ばす威力を誇る。

 

 雷化したネギの身体が一際大きく放電を始めたその時、

 

「……ぐっ!?」

 

 間の悪いことに胸の奥でズグリ、と闇が蠢きだした。

 

 両腕に浮き出た蜷局を巻く翼の紋様が、脈打つように全身へと広がっていく。

 

『くぅ、ぁあぁぁっ!!?』

 

 そしてそれは当然の如く、フィーの精神を汚染する。

 

「っ、フィー!?」

 

『だい、じょう…………ぶ』

 

 手が、足が、魔物のように刺々しく、禍々しく変貌していく。

 

 闇の魔法の代償。修得したが最後、死ぬか魔物と化すかの二択。過去にもネギが経験した、肉体が魂魄から変質していく苦痛。

 

 ……そう、一度は経験したんだ

 

 故にネギは、

 

「がぁあああああああッ!!!!」

 

 絶叫じみた気合を一つ、己が闇を深く深く呑み込んだ。肉体の変貌が止まり、元の姿へと戻っていく。

 

 精神力が音を立てて削られていくが、その程度で参るほど柔ではない。

 

 身体を内側から苛む痛みを堪え、サーティを見据える。自然体。顔を俯かせ、いつの間にか佇む少女。

 

 瞬間、背筋が凍った。

 

「ッ!?」

 

 背後に気配。

 

 振り向けばそこには、

 

「千刃黒耀剣《ミッレ・グラディー・オブシディアーニー》」

 

 何百、或いは千に届く無数の黒耀剣。刃渡り一メートル程のそれらと共にサーティが凄惨な笑みを浮かべていた。高速回転する斬撃の豪雨。まともに受ければ微塵切りは免れないだろう。

 

 加速した思考の中で眼球の数センチ先まで迫る刃が、ネギには鮮明に見て取れた。

 

 雷速瞬動。

 

 秒速百五十キロメートルという知覚不能な速度で死角の背後へ回り込み、拳を振るう。

 

 無防備な後頭部を拳が打ち抜く、

 

「っ!!」

 

 寸前でサーティの手の平に受け止められた。まるでそこに来ることが分かっていたかのような動き。

 

 汗が一筋、頬を伝った。

 

 ……そんなに甘くないか

 

 内心で毒づき、十メートルの間合いを刹那に取る。このまま続けても雷速の拳はサーティへ届かないと悟ったのだ。

 

 『雷天大壮』による雷速瞬動は、単に稲妻の如き速さで移動する、と言うような単純なものではない。荷電粒子の塊となったネギは正電荷の粒子群を自らの肉体から分離し、配置することによってある程度の広がりを持つ電場を用意していた。この荷電粒子群と電場は『千の雷』を取り込んでいるネギによって恣意的に潜勢態から現勢態へ、またその逆へと移行させることが出来る。電場が現勢態になると、そこにある強大な電位差によってネギの身体を構成する負電荷の粒子群が凄まじい勢いで正電荷の粒子群へと引き寄せられる。これによって放電を媒介とし、ネギは超高速移動を可能としているのだ。

 

 簡単に言ってしまえばネギは今、意志を持った雷そのものなのだ。

 

 最強クラス、或いは原理を見破った熟練の実力者を相手にした場合、先行放電まである雷速瞬動はテレフォンパンチになり得る。

 

 眼前の少女は、最強クラスに片足を踏み入れる程の気配をネギへと感じさせていた。

 

 はちきれそうな静寂の中、白髪の少女が朗々と口を開いた。

 

「……こんな次元の彼方で再び会いまみえるとは、運命とは分からないものだね、ネギ君」

 

「!!」

 

 勘づいてはいた。外見的特徴、使用する魔法体系、先程までとは桁違いの技のキレ、雷速の拳を予測し見切る反応速度。それでも、ネギを襲った驚愕は大きかった。

 

 遥かな過去に消滅したはずの宿敵が今、目の前に佇んでいるのだ。

 

「フェイト・アーウェルンクス……」

 

 思わず呟いた名前に、少女は首を振る。

 

「違う。今はサーティ。娘を取り戻そうと愛に狂った、科学者の駒」

 

「…………そうか」

 

「そうだ」

 

 話し合いの段階は、とうの昔に過ぎ去っていた。

 

 世に正義も悪もなくただ百の正義があるのみ、とまでは言わないが、思いを通すのは何時も力ある者のみ……ネギがまだ幼く、麻帆良学園で教鞭をとっていた頃に、とある生徒から告げられた言葉。その後、世界を巡る間に嫌と言うほど実感した言葉。

 

 各々には何かしらの正があり、義がある。正しい方が思いを通すのではない。武力、知力、組織力……より力ある者こそが、その思いを世界に貫くのだ。

 

「「…………」」

 

 互いに、無言。

 

 己が決めたことを為すべく、精神を研ぎ澄ませる。

 

「「ッ!!」」

 

 踏み込みは同時。

 

 大気が破裂し、拳が交錯する。

 

「「オオオオオッ!!!!」」

 

 際限なく高まる魔力の圧に、床や壁に亀裂が走る。

 

 気合いの咆吼が衝突した。

 

 

 

 

 

 

 サーチャーによって映し出される時の庭園内部の映像。デスクの上に浮かぶ数十のディスプレイの中の一つに、エイミィは目を奪われた。

 

 タッチパネルを操る手を取め、眉をひそめる。

 

 ……なに、あの魔法? いや、どこかで聞いたことがあるような

 

 白髪の少女と、白く帯電して雷と化した赤毛の少女の戦い。Sランクオーバーの魔導師による全力戦闘すら彷彿させる死闘。その何かが頭に引っかかった。

 

 フィーにこんな力があるなんて聞いていない。

 

 確かにそうだろう。少女が模擬戦で見せてくれたのは、陸戦AAランク程度の実力。手を抜いているようには見えなかった。機械兵との戦闘も変わらず、幼い身体からは想像もつかない体術を披露してくれた。だと言うのに、白髪の少女と戦い始めてからはどうだ。

 

 ……まるで別人

 

 全身に纏った雷の魔法。それが術者の肉体と魂を代償に常人に倍する力を得ようという狂気の業だとは思いもせず、エイミィは何処か覚えのある事象に手を動かした。

 

 現場の管制を一時的に意識の端に置き、素早くある事柄について調べていく。

 

 それは地上の英雄、ゼスト・グランガイツが取り逃したという拳闘士が使った魔法。

 

 数分後、エイミィは小さな声で、

 

「ジャージの、小悪魔…………?」

 

 そう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 頬の薄皮一枚先を、死を引き連れた拳が通過する。鋭い痛みを無視して、左の縦拳を繰り出す。

 

 衝突する魔力が大気を掻き乱す。

 

 サーティもまた、ネギの拳を体捌きで避けて見せた。たがしかし、完全には避け切れていない。制服の脇腹が裂けて宙を舞う。

 

 そんな布切れを空中で細切れにし、鋭い足刀が駆ける。

 

 両腕を交差させて防御。常時展開型魔法障壁《バリアジャケット》と手甲による守りを貫き、衝撃が全身を貫いていく。

 

 十メートルの距離を床を砕きながら滑り、その勢いのまま雷速瞬動。サーティの背後、五十メートルの位置へ刹那で移動し、ネギは呪文を詠唱しようとするも、

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル! 契約に従い我に……くっ!?」

 

「させないよ」

 

 それを遮るようにサーティの拳がネギの鳩尾を打ち抜く。

 

 内から響く骨の軋む音を耳にしながら、間合いを離して十メートル。

 

「雷天双壮だったか……君の雷速近接格闘は脅威だ。そう易々と使わせないよ」

 

 額から垂れる鮮血を舐めとり、白髪の少女は凄惨な笑みを深くする。それにつられるように、ネギも無意識に笑みを浮かべていた。

 

 湧き出る高揚感が身体を支配する。

 

 枯渇するはずの魔力は、減るどころか溢れるようだ。肉体が『闇の魔法』に蝕まれていくのを感じながらも、ネギは『断罪の剣』を腕に纏わせる。サーティも身の丈ほどの石の大剣をその手に握っていた。

 

「それでこそだ」

 

「……君こそ、流石だ」

 

 息の詰まる動きの読み合い。

 

 互いの動きを脳内でぶつけ合わせ、幻想の上で何百何千と拳や剣を交える。

 

 ネギの頬を汗が伝い、滴が地面に小さく広がった。瞬間、

 

「「ッ!!」」

 

 刃が交差する。

 

 衝撃。

 

 刹那の内に十、二十、三十と剣戟を繰り広げた後、鍔迫り合いへ。

 

 サーティの瞳に自身の凄惨な笑みが映る。怪しく輝く瞳の光。

 

「っ!!?」

 

 咄嗟にネギが身体を捻ると、コンマ一秒、無詠唱で放たれた『石化の邪眼《カコン・オンマ・ペトローセオース》』が通り過ぎる。

 

 崩れる体勢。

 

 そんな隙を見逃してくれるほど、サーティは甘くない。断罪の剣が弾かれ、石の大剣が虚空を裂く。

 

 ……避けきれない

 

 肩に抉り込む刃。致命傷を負う寸前、雷速瞬動、雷化による回避を間に合わせた。

 

 再び間合いは十メートル。鮮血が、左肩から噴き出した。赤い飛沫が地面を彩るよりも前、一拍も置かずに追撃が迫る。何重にも連なり押し潰そうとする高速高密度の砂塵攻撃。

 

 雷で自分そっくりのデコイを五体編み出し、突撃させる。二体が砂塵に潰され、残る三体が雷速の体当たりをサーティ目掛けて行うも、あっさり見切られ拳に迎撃された。が、それでいい。

 

「!?」

 

「オォオオオッ!!」

 

 デコイによって稼いだ僅かな時間で障壁破壊の術式を拳に付与。同時に背後へ回り込む。

 

 全力。今出せる己の限界を超えて、踏み込む。繰り出すは崩拳。鍛えに鍛え、研ぎ澄まされた中段突き。如何なサーティとは言え、障壁を貫かれてこの拳を受けたなら、もう立ち上がれまい。

 

 震脚が舞踏場全体に届くような巨大な亀裂を走らせる。全身の力を無駄なく拳の面積へ集束し、音を置き去り拳が駆ける。

 

 直撃。

 

 硬い手応えと共にサーティが砕けた。

 

「!?」

 

 脆すぎる。障壁を貫いた感触さえない。

 

 石像。

 

 デコイ。

 

 気配。

 

 上!

 

 単語で走る思考に従う。

 

 やはり居た。天井へ逆さに着地している。二十メートル程の高さからサーティが天井を蹴り砕く。

 

 魔力は十分。障壁破壊掌の術式は未だ展開したまま。

 

 跳ぶと同時に拳を振りかぶる。

 

 衝突は一瞬。轟音と爆発じみた衝撃波を伴い、互いの拳が正面から激突した。互いに顔を狙った一撃は拳同士の衝突によって軌道が逸れ、互いの頬を裂くに止まる。

 

 弾かれるように距離が開く。

 

 両者同時に地面を踏み砕き、轟音と共に踏み止まっている。

 

 体勢を整えようと動きが止まっている。

 

「……っ!!」

 

 止まっているが、雷と化したネギにとって反動など無視できる。

 

 ……ここっ!!

 

 雷速瞬動。瞬動術の限界を遥かに超える超速で、敵の懐深く踏み込む。

 

 サーティの瞳に自身が映り込む。その自分の瞳にサーティが映っていた。

 

 足が動いた。

 

 回し蹴り。

 

 左から死が迫る。

 

 どちらが速いか。速い方が勝利する。

 

 積層多重障壁に接触、一瞬の抵抗の後、拳が制服に触れる。一瞬の抵抗が永すぎる。百分の一秒単位でロスした極僅かな時間で、回し蹴りがジャージに触れる。拳が鳩尾を捉え、肋を砕く手応えを感じて。

 

 刹那、ネギの脇腹を衝撃が貫いた。

 

 身体が折れ曲がり、吹き飛ぶ。地面へ叩きつけられ、白く帯電していた身体の輝きが失われる。術式兵装を維持していられるほどの精神的余力は無かった。

 

 ほんの一瞬の差。百分の一秒でもサーティの蹴りが速ければ、ネギは肋を根こそぎ砕かれ内臓を酷く損傷していただろう。 

 

「はっ……がっ」

 

 ……二、いや三本は折れたか

 

 蹴られた脇腹を押さえて、ネギはふらふらと立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 ……悔しいな

 

 全身を支配する激痛。

 

 口の中に広がる濃厚な鉄の味を噛みしめながら、サーティは思った。

 

 後悔はない。半分とは言え血潮が通った肉体でなければ無理に回復出来たのに、と思わなくもない。だが、それは向こうも同じ。条件はほぼ対等だった。

 

 砕けた瓦礫に腰掛ける身体。

 

「こ……、ふ………」

 

 動けない。

 

 この傷を癒すには、全魔力を用いてもしばらくの時を要するだろう。そして、そんな悠長な時間を与えてくれるわけもない。見れば脇腹を押さえた赤毛の少女が目前まで迫っていた。

 

 首筋に突きつけられる『断罪の剣』。

 

「……僕の、勝ちだ」

 

「その……よう、だ……ね」

 

 瞳を閉じる。

 

 鼓膜を叩くのは、剣から発せられる硬質な音。

 

 彼は自分を殺すだろう。以前は殺さずに止めてみせると嘯いていたが、今の彼は違う。凍えるような殺気が滲むのを感じた。

 

「…………」

 

 どちらにせよ、以前は着けられなかった決着が決したのだ。ならば、ここで終わりと言うのも、悪いものではないかも知れない。

 

 心残りがあるとすれば、自分に新たな生を与えてくれたプレシアの計画を完遂出来そうにないことと、折角得た生身の身体でコーヒーを一度も啜れなかったことか。

 

 ……ああ、悔しいな

 

 一瞬後には、胴と首が離れていることだろう。

 

 ………………

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

「へ?」

 

「…………?」

 

 間の抜けた声が、瓦礫の山と化した舞踏場に響き渡る。先程までサーティに当てられていた殺気が霧散する。

 

 不思議に思い目を開ければ、断罪の剣が解除されて呆然と右手をこちらへ突き出し、首を傾げる少女が居た。

 

 その頭部には少女の内心を表すように、ふわふわ揺れるアホ毛。

 

「ネギ? ちょっと、どうしたの? 返事してよっ」

 

 そんなフィーの言葉を耳にして、サーティは事情を把握した。

 

 ……どうやら、そっちも限界だったようだね、ネギ君

 

「君、は……フィフティス、だね? どうする? とどめを刺さないのか?」

 

 痛みを無視して、問いかける。

 

「? なんでわたしがとどめを刺さなきゃいけないの? なんか動けないみたいだし、先に進ませてもらうよー…………痛~っ」

 

 傷にたった今気付いた様子で、身悶えする少女。

 

 死に体の敵を前に迷いもせず言い放ったフィーに、サーティは僅かながら興味を覚えた。

 

 だからだろうか、

 

「先に進んで、どうするんだ? 己が、作られた人形であると、いう、真実を知ってなお、何故プレシアを止めようと、する?」

 

 なんて口に出していた。

 

「真実? 人形? そんなの知ったことじゃないよ! わたしはお母さんを止めたいだけ」

 

「……彼女、が、それを、望んでいなかったとしても、か?」

 

「もちろん! わたしを生み出したのが運の尽きってね。それに、置いて行かれたこともとっちめたいし……あっ、さてはこれ時間稼ぎね!? わたしはもう行くから!!」

 

 ビシッ、とサーティを指差し、少女は走り出す。

 

 取り残されたサーティは、小さくなっていく背を眺めて苦笑を溢す。

 

 地鳴りが、心なしか小さくなった気がした。

 

 ……庭園の動力が封印されたか

 

 ロストロギア・ジュエルシードをプレシアは庭園の魔力炉心から膨大な魔力を供給することで暴走させていた。封印によって、このまま行けば次元震は沈静化するだろう。

 

 彼女は娘の蘇生を諦めるだろうか?

 

 ……ありえない

 

 ありえないはずだが……フィー、あの少女なら止められるのだろうか?

 

 口から零れる鮮血を拭い、よろけながらもゆっくりと起き上がる。一ミリ動く毎に激痛が全身に駆け巡るようだった。

 

 ……先ずは回復に集中しなければ

 

 最後に、赤毛の少女が駆けていった通路を見やり、サーティは転移魔法を発動した。

 

 

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