『また失敗……この遺物では、これが限界ね。どうしたって辿り着けない』
それが、わたしが目を覚まして久し振りに……初めて?……耳にした、お母さんの声だった。
お母さんの背中が歪んで見える。わたしは大きなガラスの筒の中で、生暖かい透明な液体に漂って身体を丸めていた。
……なんだかとっても眠い
ふと横を見ると、幾つも幾つも、大きなガラスの筒が並んでいる。その中には長い金髪を揺らめかせる、わたしそっくりの女の子が、わたしと同じように丸くなり、死んだように眠っている。
……すこし、こわい
『もう此処は破棄ね…………アルハザード、その先へ手を届かせる……アリシアのために』
……え? わたしはここにいるのに
微睡みの中、お母さんは台座に浮かぶ紅い宝玉の指輪を手に取り、投げ捨てた。
指輪は硬質な音を響かせ、わたしの漂うガラスの筒へ小さな罅を入れる。しかし、お母さんはそれに気付かず、気にもせず、扉の向こうへ歩み去ってしまう。
『あの程度では、孔を穿つだけで精一杯。……私の身体ももう……フェイトに探させ……』
そこで、眠気に身を委ねた。
☆
夜空に浮かぶ巨大な月が、深い森の暗闇を照らす。
普段ならありがたいことなのだろうが、今のフィーにとっては全くありがたくなかった。
「はっ、はっ、は……」
出来るだけ音を立てないように木々の間を走り抜ける。夜とは思えないほど明るい視界。こんなに明るいと、隠れてもすぐ見つかってしまう。ただ精一杯走るしか、フィーには出来ないのだ。
……はやく逃げないと
頭の中をぐるぐる掻き乱す焦燥感と無理な運動によって、滝のような汗が全身を濡らしていく。目的へ向けて、まさか一歩目から躓くとは思わなかった。汗で張り付く簡素なシャツの上で、紐で首に掛けられた赤い宝玉の指輪が跳ねる。
近くの街までどれほどだろう。遠くに見えた街灯の光を頼りに森を突き進むが、フィーには見当も付かなかった。
「はっ、はっ……も、もう……走れ、な……」
十歳にも満たない幼い少女の身体では、もう限界だった。フィーは足を止め、暴れる心臓をなんとか静めようと荒々しく息を吐く。
腰まで伸びた金色の髪はボサボサに乱れ、白かったシャツはもう泥だらけだ。
「なん、で……こんなところ……に」
フィーがそこまで呟いたところで、ふいに背後から灰色の魔力弾が飛んできた。拳ほどの大きさのそれが、よける間もなく少女の背中に直撃。
「きゃぅ!?」
吹き飛ばされて地面を転がる。
非殺傷設定で放たれたらしい魔力弾は肉体を傷付けこそしないものの、抉られるような激痛をフィーへと与えてくる。
歯を食いしばって、少女は泣くのを堪えた。
「おいおい、あんまり商品に傷をつけんなよ」
軽薄そうな男の声が立ち並ぶ木々の奥から近づいてきた。
「せっかくの上玉なんだからよ」
「わりぃわりぃ。必死に逃げてる背中があ~んまり可愛いもんだから、ちょっと意地悪したくなっちまってよ~」
出てきたのは、如何にも悪そうな笑みを浮かべる細身の男と、筋肉の鎧に覆われた太めの男だった。
自分のことを商品なんて呼んでいる時点で、完璧にまともな仕事をしている人種ではない。なんとか立ち上がろうとするのだが、今まで逃げてきた疲労と魔力弾の一撃のせいで、身体が言うことを聞いてくれない。
「……う……くっ」
……ど、うしよう!?
誰か助けて、と叫んだところで、こんな夜の森の中に都合よく白馬の王子様が現れるはずもない。
絶望しそうになる心を奮い立たせ、フィーは男たちを睨みつけた。
「……うぅん? なんだよその目は」
醜い筋肉の男がぴくりと眉を上げる。
「おいおいよしとけって」
「うるせぇ!! 今から躾とくんだよ。こういうのは始めが肝心だからなぁ」
そう言って近付いてきた男は、フィーの腹に蹴りを入れてきた。
「ぐ……ぅ」
めり込む爪先。内臓が口から飛び出してしまいそうな衝撃と激痛に耐える。
「あん? まだそんな目をするんか? おらっ」
身体が宙を舞う。
地面に叩きつけられ、転がり着いた先は険しい崖だった。
あのまま走り続けてもどのみち捕まることになったのか、と涙でぼやける視界で思った。
「どぅだ? 少しは素直になったか~?」
そんなことを嘯く男を、再びフィーは睨みつける。こんなろくでなしに負けたくなかった。それに自分はまだ目的を果たしていない。いや、その一歩すら踏み出していないのだ。
しかし、そんな少女の瞳が気に食わなかったらしい。男は何処か壊れた笑みを浮かべると、待機状態にしてあったのだろう杖型デバイスを起動させ、フィーに向けてきた。
「へへ……へへへへへ。い~い度胸じゃねぇか。お前みたいな勝気な小娘が、どんな風に許しを請うのか、楽しみだな~おい」
杖の先に展開される環状魔法陣。灰色の魔力光が集まっていき……もう一人の細身の男に杖を掴まれ止められた。
「おい、いい加減にしろ! 崖から落ちたら商品どころじゃなくなるだろうが」
「うるせぇってんだ! 俺の邪魔をすんじゃねえ!!」
手を払い除け、筋肉男が魔力弾を放つ。
虚空を駆けるそれは、フィーの身体数センチ横の地面に着弾した。
ドン、と小さな破裂音が響き……直後、少女の転がる地面が小刻みに揺れ、
「あぁ!?」
「だから言っただろうが!!」
崩れた。
男たちの汚い罵倒を耳に、宙へと投げ出されるフィー。
……死んじゃう
間違いなく、死ぬ。
ちらりと映った崖下までの距離は、優に五十メートル以上。そんな高さから真っ逆さまに落下して、魔法も使えぬ自分に生き延びる術などない。
「……やだ」
嫌だ、と。自分はまだ目的も何も果たしていない。こんなところで死ぬのは絶対に嫌だ!
現実を拒絶する思考が頭の中で走馬灯のように浮かんでは消え、浮かんでは消え……無情にもフィーは落ちていく。
もうだめだ、と目を瞑りかけたその時、
「……え?」
紐に通しておいた指輪が、胸元で白く輝き始めた。
徐々に徐々に眩さを増していく光は、紅い宝玉の破裂と共に爆発的に増大。フィーの視界を白一色に塗りつぶした。
☆
水の底から浮き上がるような、息苦しさを伴う解放感と共に、急速に意識が覚醒する。
自分はどうなったのだろう。あの光の奔流に巻き込まれて、無事で済む筈がないのだが。ネギは虚ろな視界を瞬かせ、次いで、自分に迫る地面に気付いた。
……落ちてる!?
長年の経験から瞬時に意識を冴え渡らせ、とっさに飛行魔法を駆使して浮かび上がる。
赤毛の長髪が、ふわりと舞った。
……赤毛の、長髪?
おかしい。自分の髪はこんなにも長かっただろうか?
当然の如く浮かんだ疑問の答えを探し、ネギは身体を確かめてみるものの、
「……うえぇぇぇ!?」
おかしいどころか、全くの別人になっていた。
随分久しぶりに情けない嘆きが喉を通る。そんな嘆き声さえも、随分と高い。これではまるで、幼い少女の声音だ。
元の身体と同じなのは、髪の色ぐらいだ。身体の調子はおかしいし、魔力容量はこんなに少なくなかった筈だ。
空回りする思考で、それでも何とか現実を直視しようと回していると、突然頭上から灰色の魔力弾が襲いかかってきた。
あからさま過ぎる殺気に、目を向けずとも首を傾げるだけで回避。
「危ないな……」
魔力弾の軌道をたどり、ネギは崖の上に二人の人影を見つけた。状況も何もわからなかったため、話を聞こうと近づいてみて、すぐさま後悔する。
「あ~? 髪の色がちげぇぞ? どうなってやがんだ」
「魔力は無かった筈なんだが……こりゃ、高値で売れるかもな」
世界を駆け回っているうちに見かけた、奴隷商や人買い、人攫いと同じ匂いをネギは二人から感じ取ったのだ。そう、女と薬、そして血の匂いだ。
「……ゲスが」
呟く。
「おら、さっさとこっちに……っ!?」
「なっ!?」
拳に伝わる肉を裂き、骨を砕く感触。気付けば、ネギは男二人を殴り飛ばしていた。溜まっていた恨みを晴らすような拳撃にあっさりと意識を彼方へ旅立たせる男二人組。
「……?」
自分の拳を眺め、首を傾げる。
確かに不快な気分にさせる二人だったが、それだけで殴りかかるなど、自分はそこまで短気だっただろうか、と。
考えても埒があかない。今は自分の身体のことが先だ。
ネギは自身の状況を調べるため、解析魔法を展開する。魔王の自爆によって何らかの呪いを受けてしまったか、或いは自分でも思い至らぬ数奇な運命に巻き込まれたか……
「……どうにかなるさ」
後ろではなく、前を向いて歩くのだ。例え、絶望しか待ち受けていないとしてもその先を、未来を見据えてただ足掻くことこそが、全ての命に唯一平等に与えられた権利なのだから。
☆
白い。
辺り一面、目が痛くなるほど真っ白な空間にポツリと一つ、丸いテーブルがあった。その両端には背もたれの長い椅子があり、二人の人影が向かい合うように座っている。
二人のうちの一人、赤毛の男がフィーへ声を掛ける。
「紅茶、飲まないのかい?」
テーブルの上には湯気を上げる二つのティーカップ。
「……え~っと、あなたはだれ? ついでにここはどこ? あ、わたしの名前はフィーだよ」
優雅な動きでカップへ口を付ける十代後半ほどの赤毛の男に、フィーもカップを手に取りながら問いかける。
気が付いたら此処にいたのだ。状況が全く理解できていなかった。
「僕はネギ・スプリングフィールド。ネギでいいよ。此処がどこだかは……」
「どこだかは?」
「わからない」
あっけらかん、と真顔でふざけたことを言う男の言葉に、思わず椅子からずり落ちる。
「ちょっと! わかんないってどう言うこと!? いきなり何もないところからテーブルとかティーセットとか出して、そんなに寛いでるのにっ!!?」
ガー、と吠える様に捲し立てる。
最初のミステリアスな雰囲気はどこへやら。整った容姿に、憂いを帯びた瞳。正直、白馬の王子様が本当にやってきたのかと思った。このネギとか言う男、残念イケメンとでも呼んでやろうか。胸のトキメキを返して欲しい。
そんな荒ぶるフィーにネギは苦笑を浮かべる。
「まあまあ、落ち着いて。正確にはわからないだけで、推測することは出来る」
「すいそく?」
ぱちくりと目を瞬かせるフィーにネギは頷き、カップを置いた。
「おそらく、此処は君と僕の精神世界が触れ合って、融合した場所だと思う。他者と他者の精神が融合することによる精神崩壊をどうやって回避しているのかは多少の疑問が残るけど、此処へ人格を置換して擬似的な二重人格のような##&&%$&%#%$……」
ネギの話はフィーには難しくてよくわからなかった。
……簡単に言うと、わたしって二重人格になっちゃったってこと?
「……解析魔法の結果とさっきの感覚を鑑みるに、君の肉体がベースになっているから、僕よりフィーの方が負担が少ないみたい。だから普段は君の人格が表に出ることになると思うよ。……わかった?」
「ん~……まあ、たぶん」
頭から煙を噴き出すフィーを心配そうに見つめ、紅茶で一息入れてからネギは続けた。
「……それにしても、君はすごいね。自分の中に他人がいるなんて、気持ち悪いと思うんだけど?」
そんな言葉に、フィーはついさっきの崖から落ちた瞬間を思い出して苦笑する。
「ネギさんが来てくれなかったら、ほとんど百パーセント死んでたしね。わたしにはどうしてもやるって決めてることがあるの。だから、逆に頼れる人がいるのは助かる、かな」
ずずっと紅茶を啜りながらジト目を送る。果たして、このお兄さんは本当に頼りになるのだろうか?
「そっちは? 気付いたら人の中に居たって割には、ぜんぜん動揺してなさそうだけど」
「僕かい?」
気遣われると思っていなかったのか、少し驚いた様子で眉を上げ、ネギは遠くを見つめる。
「こう見えて、僕は外見よりも随分歳をとってるからね。だからってわけじゃないけど、粗方の珍事は体験してきたつもりだよ。……それに、君と似たようなものさ。正直、死ぬものだと思ってたから」
「ふ~ん。じゃあ、似た者同士ってわけねっ! これからよろしく、相棒!」
「あ、あいぼう?」
「なによ、ダメ? これから同じ体を使う者同士、一蓮托生なんだから、仲良くしたほうがいいじゃん!」
そんな言葉に何を思ったか、ネギは一つ目を瞑って頷くと、柔らかな笑みを浮かべた。
「相棒……か。うん、そうだね。これからよろしく。それじゃあ……」
ぼん、と男の身体が煙に包まれ、
「え?」
十代後半だった外見が、いつの間にか十歳前後の幼い姿に変わっていた。
「こっちの方がいいかな」
「ちょ、ちょっと!? それってどうなってるのっ!?」
「この姿? ああ、ここは精神世界のようなものだから、自分の姿形ぐらい多少は変えられるよ。大人の男が居るより、気を使わないで済むでしょ?」
こうして、精神世界での対話は弾むのだった。