リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第一話

 

 

 

 扉の向こうには、床がなかった。

 

 反転して振り返れば、視界一杯に殺到する電磁加速された銃弾の嵐。

 

 音速の二倍超で飛来する特殊金属弾の軌道を、辛うじて銃口の向きと強化された動体視力で以て見切り、急所のみを手甲で防御。

 

「ぬッォオオウ!?」

 

 身体がバランスを失い、闇の中へと真っ逆さま。しまった、と思ったときにはもう手遅れだった。

 

 ……ヤバイヤバイヤバーッイ!!

 

 百分の一秒ほど考えて、とりあえず今度からはもう少し慎重に行こうと反省した。

 

 風の唸りが鼓膜を叩き、大気の壁が背中を打ち据える。ほんの数秒前まで自分が居た扉は、遙か頭上の彼方。

 

 重力に引かれ、背中から落下していく。

 

 くるり、と体勢を立て直し、足を下へ。

 

 円筒形の広大な空間。直径は少なく見積もっても三十メートル以上はある。壁面に埋め込まれたライトの小さな明かりに照らされるのは、そこかしこから飛び出た小口径の自動銃座。

 

「……なんてねっ」

 

 魔法を発動。白い魔力光を輝かせて、直径三十センチほどの魔法陣の足場が現れる。全体重と落下の運動エネルギーを両脚のバネで完全に打ち消し切る。

 

 一息吐こうとした矢先、

 

「へぅっ!?」

 

 唐突に魔法陣が霧散した。

 

 再び浮遊感が全身を包み込む。

 

 ……アンチマギリンクフィールド!?

 

 AMFと略称される高位のフィールド魔法。魔力結合や魔法効果を無効にするそれは、稀にではあるが古代遺跡の防衛機構として使用されていることがある。この施設もそうだったらしい。

 

「っとぉおおお!?」

 

 とっさに身を捻るのと同時、自動銃座から放たれた電磁加速弾が胸元を掠めた。ご丁寧に弾丸自体に障壁貫通の特殊加工が施されているらしく、バリアジャケットをたったの一撃で貫通。ピンクのジャージが宙に散る。

 

 魔法の発動を感知した防衛システムがAMFを発生させ、侵入者の排除に動き出したらしい。

 

 周囲の壁に輝く無数の銃口が一斉に紫電を散らす。

 

 電磁加速弾の発射の前兆。

 

 ……マズい

 

 本格的な窮地に冷や汗が一滴、頬を滑る。

 

 更に飛来する弾丸を手甲で弾き、その反動で身体を回転。霧散することを前提で、一瞬だけ足場の魔法陣を展開して蹴る。

 

 垂直な壁を床代わりに着地し、その下の自動銃座へと落下。足場にしようとするも、電磁加速した弾丸に銃座を

壊され、そのまま自由落下。

 

 ……潰れたトマト的に、床に叩きつけられちゃうんだけど

 

 問題はAMFだ。広大な円筒形の空間全体を覆うフィールドが、魔法の発動を阻害している。

 

 魔法展開効率は通常の五分の一ほどにまで低下してしまっている。これでは身体強化魔法程度しか、まともに発揮できない。 

 

「こんにゃろ」

 

 焦る心を落ち着けて、精神を集中。この程度の危機など腐るほど乗り越えてきた。

 

 空気の壁に叩かれて、後頭部で一纏めにした赤毛が棚引く。

 

 研ぎ澄まされた精神集中によって魔力の流れを読み、フィールドの基点を見抜くと同時、再び一瞬だけ足場を作り、空中で回転。姿勢を整えて、両脚を跳ね上げる。

 

 薄闇の中を裂いていく二足のサンダル。ここ何カ月かでブランド品にまでグレードアップしたそれは、いつかの安物とは比べ物にならないほど丈夫だ。魔力による身体強化もあわせて強力な投擲武器となり得る。

 

 金属音と破砕音が闇に響く。

 

 狙い違わずAMFの基点を打ち砕いたサンダル。全身に掛かっていた負荷が消えたのを感じ、笑みを浮かべる。

 

「よっしッ!!?」

 

 そこで気を抜いたのがいけなかった。まだ自動銃座は落下する侵入者に狙いを定めているのだ。

 

 飛び散る紫電に気付くのが、百分の数秒、遅れる。狙いは……額のど真ん中。

 

 小さな炸裂音が響くよりも先に、並の障壁、バリアジャケットなら貫く特殊弾が飛来する。

 

 知覚速度が命の危機に一気に加速し、世界が遅く、体感時間が引き伸ばされる。それでもなお、弾丸は野球選手の剛速球並の速度で迫ってくる。

 

 空気が粘土のように、身体が鉛のように重く感じる。

 

 ギリギリ、紙一重で右手の中指と人差し指の先が弾丸に触れ、挟み込むことで押し止める。当然止まらないが、その刹那の遅延の間に掌が間に合った。

 

 刹那の死線。

 

 百分の一秒単位の攻防を制した少女の手の中には、煙を上げる弾丸が収まっていた。

 

 ……わたし、ズゴイ!?

 

 次に同じことをしろと言われれば、確実に死ぬだろう奇跡の超反応。

 

 しかし、それに喜ぶ間もなく、弾丸の運動エネルギーを吸収しきれなかった握り拳が額を強打。中空を錐揉み回転しながら落下することとなる。

 

「なぁんでぇぇエエエエッ!?」

 

 吐瀉物を吐き出さないのが不思議なほど上下が入れ替わる最中、落下の終着点が視界の端に迫り来るのが見えてしまった。

 

 ……ちょっ

 

 もう十メートル足らず。頭が潰れたトマト的な惨事になるまで、一秒もない。

 

 魔法陣の足場を展開するにも、今からでは間に合わない。

 

 残された手段は、全身に纏うバリアジャケットを限界まで強化して、衝撃緩和機能に期待するくらいか。それにしたって内臓の一つ、骨の数本は持って行かれそうだが、死ぬよりはマシだ。

 

 覚悟を決めたその瞬間、腕が勝手に跳ね上がり、

 

 ……風よ《ウエンテ》

 

 風のクッションが、少女の身体を包み込んだ。

 

「……へ?」

 

 思わず間の抜けた声をこぼすと、精神世界で微睡んでいただろう相棒の苦笑が頭に響く。

 

『いや、危なかったね』

 

 目前まで迫っていた衝突の瞬間は、いつまで経ってもやって来ない。風が少女の身体をふわふわと浮かび上がらせているのだ。

 

「…………ありがと」

 

『そうむくれない。なかなか頑張ってたよ。フィーの弱点は詰めが甘いところだね。気を抜いたのも減点だけど』

 

「む~、何も言えねぇですよーっだ」

 

 抗議の意を込めた言葉にそう返されて、フィーと呼ばれた少女は頬を膨らませる。

 

 今回の仕事は自分一人だけで達成してみせる、と嘯いていたのだ。あの研究施設から飛び出して、もう一年近く経つ。相棒に頼り切りは、少女の矜持が許さなかった。が、まだまだ未熟、と言ったところか。

 

 風のクッションが消え、軽い音を立てて着地。五百メートル近く落下し、久方ぶりの地面に安堵する。

 

 落ちてきたサンダルを履き直して、フィーは胸に手を押し当てた。

 

 心臓が痛いほど脈動し、今更ながら激しい攻防による緊張と興奮に、頬が上気する。

 

 ……愉しかった

 

 悪い傾向だと分かりつつも、フィーは小さく笑みをかみ殺した。

 

 幸せに生きなさい、なんて母の遺言に従った結果、フリーの魔導師として危険満載の生活を送っているフィーだったが、何時からかその危険の中に悦楽を見出す自分が居ることに、少女は気付いていた。

 

 こんな事が癖になったら、長生きなんて出来ない。分かっている。分かっているが……

 

「止められないんだよね~」

 

『フィー……』

 

「っとそうだ、連絡連絡」

 

 背負っていた小さなリュックから、魔力を用いない充電式の通信機を取り出し、フィーの雇い主、グレーゾーン一歩手前をひた走る発掘団のリーダーへと連絡を入れる。

 

『……そっちはどうだ?』

 

 野太い男の声が通信機の向こうから響いた。

 

「えーっと、D3-5の扉の先は空洞でしたよ。防衛システムがまだ生きてるから、入らない方が良さそう」

 

『……了解だ。B6区画で合流しよう。こっちは成果無しだ。悪いが、今回の依頼の追加報酬は期待しないでくれ』

 

「え~……りょうーかいです」

 

 スイッチを切り、少女は赤毛の頭をわしゃわしゃ掻き乱してため息を吐いた。

 

 旧暦以前、質量兵器が飛び交っていた時代に建てられたこの研究施設には、お宝……つまり、今の時代では造れない貴重な品や、ロストロギア紛いの代物が転がっているという情報があった。それを狙う発掘団の護衛に、フリーの魔導師として雇われたフィー。あまり給金は宜しくない契約だったが、一攫千金が発掘出来れば、かなりの分け前にありつける筈だった。しかし、どうにも今回は運に恵まれなかったようだ。

 

「あ~、デメキング号の整備代とか引いたらほとんど残んないじゃん……」

 

『まあ、それが自由の対価ってことだよ』

 

 母を失った事件から、もう五ヶ月が過ぎた。

 

 フィーとネギ、二人が出会ったのは新暦六十四年の十月のこと。

 

 右も左も分からず、暗い培養槽の中で目覚めた金髪の少女。五十番目《フィフティス》と名付けられたフィーが、ただ母の背中を目指して施設から飛び出したその日、運悪く奴隷商に狙われたのが運命の始まりだった。

 

 母の投げ捨てた指輪。次元干渉型のロストロギアを首から下げて、夜の森を逃げ惑った。ついには追い詰められて、崖の上から落ちて……白い世界でネギに出会ったのだ。

 

 平行次元の彼方から流れ着いた異世界の魔法使い、ネギ・スプリングフィールド。

 

 金の髪は赤に染まり、ネギと身体を共有するフィー。

 

 多くの出会いと戦い、そして悲しい母との離別を経て、フィーは今、自分の意志で此処にいる。それが正しい選択かなんて分からない。ただ、後悔だけはしないと決めた。

 

『フィー? なんかぼうっとしてないかい? もしかして、侵食が……』

 

「え? ……っと、な、何でもないから大丈夫! 発作はここしばらく無いしさ」

 

 考え事に耽っている場合ではない、とフィーは頭を振るう。今は遺跡の中に居るのだ。何時何処から防衛システムが起動して、襲い掛かってくるか分かったものではない。

 

 誤魔化すように通路の闇へと視線をさまよわせる。

 

 ネギの魔法。その中でも禁術に相当する闇の魔法《マギア・エレベア》に、少女は自分の道を貫くために、手を染めてしまっていた。

 

 戦闘力の飛躍的な上昇を対価に、ヒトの身から魔へと堕ちる狂気の業。普通なら死ぬらしいのだが、ネギは相性が良かったらしく、化け物に生まれ変わったらしい。視点を変えれば上位種への転生な訳だが、死ぬほどしんどい上に、下手すれば自我が消える……らしい。フィーの身体で同じ事が起こるかどうかは分からないそうだが。

 

「封印しておけば、今のところは大丈夫なんでしょ?」

 

『なんとかね。でも、油断は禁物だ。闇の魔法を多用すれば言うに及ばないけど、封印していても、進行を緩めているだけなんだ。何処まで抑制できるかは、正直、未知数としか言えないよ』

 

「ふ~ん…………っと、そろそろ合流地点かな」

 

 第十六管理世界リベルタ北部。八千メートル級の山脈が続くその中腹をくり貫き、旧暦以前に建造された研究施設跡。入口をカモフラージュされ、手付かずのまま残っていたその施設の深部にフィーとその依頼人の発掘団は侵入していた。

 

 動力が生きているのか、薄いライトの明かりが通路には灯っている。手製の暗視ゴーグルを装着し、薄闇の中を行く赤毛の少女。

 

 床を覆う埃の山に、錆びて壁から落ちた案内板。崩れて建築材が所々剥き出しになった壁。天井には蜘蛛の巣が張られ、通気孔の奥からは、小動物の鳴き声が聞こえる。

 

 扉を見つけて開いてみれば、中には埃まみれの端末の群。高値で売れそうな貴重品は見当たらない。端末内の情報が引き出せればまた違うのだろうが、こんな戦争真っ只中に造られた施設に残されたデータなんて、質量兵器か禁忌兵器の類に違いない。そんなものを闇ルートに流したなんて管理局にバレたら、非常に今後の生活がし辛くなるし、もしそのデータのせいで不幸になる人が居たならば、自分で自分が許せなくなりそうだ。

 

「…………これは、ホントに期待できなさそう」

 

 小さく呟き、扉を閉じる。

 

 溜息を吐いて、さっさと発掘団と合流しよう、と思った矢先、

 

『ヒジョウジタイハッセイ』

 

 頭上のスピーカーが警報をがなり立て、薄闇を照らしていた淡いライトが、血のように濃い赤に染まった。

 

『チュウスウクカクニシンニュウシャヲカンチ。キミツホジノタメ、センメツヲカイシシマス』

 

 酷く聞き取りにくい機械音声が通路を木霊する。

 

『……毎度のことだけど、なんか嫌な予感がするね~』

 

「言わないでよ、ネギ。わたしもそう思ったけど、フラグ立っちゃうかなーと思って我慢してたのに」

 

 なんて言ってる内に、通信機が発掘団からの無線を受信。

 

「はい、こちらフィー。どうぞー」

 

『悪いな、ドジッちまった。B6区画にすぐ来てくれ。このままだと全滅する』

 

「っ、了解!」

 

 思ったより切羽詰まった状況らしい。自業自得だとは思うものの、それでも護衛することが仕事である以上、逃げ出すわけにも行かない。

 

 埃の積もった通路を、急いで駆け出す。

 

 何だって毎回毎回、遺跡に潜る度に厄介事に巻き込まれるのだろう。

 

 入り組んだ通路を強化された身体能力で駆け抜け、合流地点までようやく到着。通信を受けてからまだ三分ほどしか経っていない。

 

 十メートル四方程の広場に、血だらけの団員が倒れていた。全員がBからAランクの魔導師だというのに、こんな簡単に全滅するなんて、一体何があったというのだろうか。

 

 比較的軽傷そうな、壁に寄りかかり肩を押さえる青年に駆け寄り、頬を叩いて意識を戻す。

 

「ちょっと、え~っと、手下A! 何があったの? リーダーは!?」

 

「う、ぅう……化け物、が…………リーダーは、あの、隔壁の先…………」

 

 そこまで言って青年は再び気を失う。

 

『化け物、か』

 

「ま、いつも通りだよね」

 

 頭を振るって通路の先へと向かう。依頼主のリーダーがやられてしまっては、給金がピンチだ。

 

「ぁあ、でもこの音、どんだけヤバい相手なの」

 

 何かを壊す、重低音。地響きすら感じる。

 

『逃げるかい?』

 

「はっ、冗談! 寝覚めが悪くなるってば」

 

 見えてきた巨大で頑丈そうな隔壁の扉を押し開く。

 

 そして、

 

「…………犬?」

 

 場違いな柴犬を、フィーは目にした。

 

 部屋、と言っていいのだろうか。剥き出しの構造材が柱のように立ち並び、直径三百メートルはある半球形の広大な空間が、そこに広がっていた。

 

 そして、尻尾を振る、柴犬。

 

「やっと来たか」

 

「っおわ!? びっくりしたっ」

 

 隔壁の左脇には、壁に半ばまで埋まり込み、口から鮮血を垂れ流す、発掘団のリーダーの姿があった。

 

「な、なんか、スッゴいボロボロです、ね?」

 

 何処ぞのインディでジョーンズなトレジャーハンター風の戦闘服《バリアジャケット》は引き裂け、焼け焦げたりと散々な様子だ。

 

「ゴフッ、な、ナメてかかったらこの有様だ。頼むぞ、用心棒……」

 

「りょうかい」

 

 と言ってはみたものの、犬如きに負けるはずがない。ましてや魔力も感じないし、とフィーは思っていた。

 

 瞬きした拍子に、目の前から犬の姿が消える。

 

「!?」

 

 フィーの左側から、床のタイルを踏み砕く音。

 

 咄嗟に振り向けば、物理的に可笑しいほどの大顎を開く犬の姿。短剣じみた鋭利な牙が、ずらりと並んだそれに噛まれれば、下手すれば死ぬ。

 

「っとぉおおおおおッ!!」

 

 両の手甲を上下で構え、防御。火花が散り、魔力で強化した身体能力に、犬の顎の力が拮抗する。

 

 信じがたい。まるでプレス機にでも潰されるような馬力に、フィーはもう笑みを浮かべるしかない。

 

 顎でフィーをくわえたまま、柴犬が中空へ錐揉み回転。上下が忙しなく入れ替わり、つい先ほどの垂直落下を思い出させられた瞬間、少女の身体は勢い良く遠心力で吹き飛ばされ、突き立った建築材の柱に叩きつけられた。

 

「かふっ」

 

 全身を貫く衝撃に、肺の空気が吐き出される。

 痛みに霞む視界。

 

 断じて、普通の柴犬なんかじゃない。

 

 しかも更に驚愕するべき事実は、あれだけの戦闘能力を見せつけておいて、柴犬から全く欠片も魔力を感じないことだ。

 

 頭を振るい、立ち上がる。三十メートル近く跳ばされていた。もうアレが犬だとは思わない、と心に決める。

 

『気を付けた方がいい。アレは尋常な生物じゃないと思う』

 

 そんなネギの言葉に頷く。フィーの上半身がともすれば丸呑みされてしまいそうだったのだ。口の大きさを考えれば、物理的に不可能なのに。

 

「やってくれんじゃんか……」

 

 のんびりと無警戒に寄ってくる四足歩行の獣が、少女から十メートルの距離まで近付いてきた瞬間、

 

「……よッ!!」

 

 フィーは瞬動術によって、高速で踏み込んだ。

 

 顎の下から拳を振り上げるアッパーカット。ベキ、とまるで普通の犬のような肉体強度に、呆気なく下顎と首の骨が砕ける。

 

 ……え? あれれ?

 

 あまりの手応えの無さに目を見開くも、念には念を入れて右回し蹴り。ボキボキ、と肋と背骨をへし折る嫌な感触。

 

「ラァッ!!」

 

 そのまま弾き飛ばし、二十メートルほど先に突き立つ建築材の柱へとお返しとばかりに叩きつける。

 

 轟音と共に十メートルはある太い柱がひび割れて倒壊。無惨な柴犬の屍は砂塵の中へと消えた。

 

 確実に死んだ、筈だ。少なくともまともな生物なら頸椎を損傷した時点で致命的。

 

「終わった、よね?」

 

 あまりにも呆気ない幕切れ。

 

 しかし、どうにも胸騒ぎが収まらない。

 

 警戒して砂塵を見据えていると、轟、と光の束が迸った。フィーの身の丈を優に越える、極太の砲撃。

 

「なっ!?」

 

 紙一重で身を捻って回避。背後で壁が爆発を起こし、大音響が鼓膜を叩く。衝撃波に身体を揺さぶられる。

 

 バリアジャケット越しにも感じた、膨大な熱量。しかし、これほどの至近距離においても魔力が感じられない。

 

 ここに来て、フィーはようやく敵の正体を悟った。

 

 ……純粋な科学力による生体兵器っ!?

 

 ミチミチ、と生々しい肉の軋む音が響く。砂塵の向こうから現れたのは、全長五メートルにまで巨大化した柴犬だった。

 

「なに、アレ」

 

『……分からない』

 

 流石のネギでも、あんな不思議生物に心当たりは無いらしい。

 

 犬が身を屈める。後ろ脚の筋肉が膨れ上がったと思えば、次の瞬間には二十メートルの距離を無視して目の前まで獣が突っ込んできていた。

 

「ちぃ!?」

 

 巨体からは想像も出来ない素早さに、不意を突かれた。

 

 避けきれず、手甲とシールドで防御。壁際まで弾き飛ばされると、息吐く間もなく鋭利な爪を露わにした前足が振り下ろされる。

 

「く、ぅう、ううううッ」

 

 轟轟轟ッ、と地面が揺れる。

 

 リズムなど皆無。本能の赴くままに振り下ろされる、超重量の連打。次いで獣の口から零れ出る燐光。

 

 先程の破壊光線を吐き出すつもりか。

 

「そう簡単にッ!」

 

 重撃を右の手甲で受け流し、その大きな顔の側面に左拳を叩き込む。

 

 仰け反る巨体。動きの止まった一瞬で、フィーの右拳に巻き付いた環状魔法陣はチャージを完了している。

 

「やれると思ってんじゃないッ!!!」

 

 ……FDSP《フィー・デンジャラス・スペシャル・パンチ》

 

 全身運動によって放たれた渾身の拳が、巨大柴犬の鼻先に直撃。その瞬間に解放される短距離砲撃魔法。設定は勿論、物理破壊。

 

 白一色に呑まれる頭部。拳と砲撃、相乗された威力は絶大。巨体が吹き飛び、緩やかな放物線を描いて百メートル以上先の地面へ衝突。轟音と共にタイル張りの地面を盛大に抉った。

 

「はあ、はあ、はあ……こ、こんどは、どうよ!?」

 

 確実に頭部を破壊した。脳味噌を無くして生きていられる生物など居ない……筈だ。

 

 ズン、と振動が迸る。

 

 砂塵が吹き飛び、柴犬が立ち上がっている。

 

 引き千切れ、赤黒い断面がさらけ出されている。損傷部分が泡だったかと思えば、グチャグチャ、と生々しい異音を上げて巨体が更に肥大化。

 

 一回り以上大きくなり、今度は全長十メートルだろうか。一体どんな生命体なのか。いや、そもそも生き物なのかすら疑わしい再生力だ。

 

 まるでこちらの攻撃を吸収し、己の力としているかのようだ。

 

「どうなってん……っ」

 

 十メートルの巨体が動く。百メートルの距離をコンマ数秒、超音速の馬鹿げた速度で突っ込んでくる。

 

「のぉおおおおッ!?」

 

 フィーに出来たのは、全力でその場から離れることだけだった。着地など気にしない、全開全力の瞬動術。

 

 刹那、世界から音が消えた。

 

 三層構造の強靱な半球形の壁が歪み、床のタイルが獣の軌跡を辿るように一直線に抉れ、そこから波のように破壊の旋風が広がっていく。

 

「きゃぁぁあああああああッッッ!!!!!

 

 大質量の猛威。ただ突進するだけで広大な空間の大気全てを激震させる。

 

 旋風に巻き込まれたフィーは、そのまま風に舞う落ち葉のように吹き飛ばされ、天井付近の壁に埋まり込んだ。

 

「……が、ぁ……で、出鱈目すぎ……でしょ…………」

 

『フィー、交代だ。奴は恐らく受けた力をエネルギーを変換して、パワーやスピードを強化していくんだ。これ以上成長する前に大呪文で倒し切る』

 

 全身が軋む衝撃に、悪態を吐く。もう自分の力だけで仕事をどうたらなどと言っている余裕も無くなってきた。

 

 恐るべきは、あんな化け物を生み出した旧暦の大戦か、それとも柴犬か。

 

 

 

 

 

 

 フィーに代わり肉体の主導権を握ったネギは、壁に埋まり込んで悲鳴を上げる身体に、気休めながら治癒魔法を施した。

 

 飛行魔法によって宙へと浮かび、眼下で繰り広げられる獣の暴走を眺める。

 

「…………さて」

 

 下では巨大化した柴犬モドキが暴れ回り、衝撃波を撒き散らしていた。

 

 そう言えば、と発掘団のリーダーが埋まり込んでいた壁を見ると姿がない。流石に逃げたのだろう。

 

 ならば、思い切り殺れる。

 

「ラス・テル・マ・スキル・マギステル……」

 

 本来ならフィーひとりで達成させるはずだった依頼に、まさかこんな化け物が出てくるとは予想の範疇外だった。

 

 自分はもう、己の人生を全うした。ならば、相棒が独り立ちできるよう鍛え、行く行くはネギに頼らなくても大丈夫なようにしようと思っていたのだ。自分の存在は、フィーが彼女自身の生を過ごす上で邪魔にしかならない、とネギは思っていた。

 

 今はいい。しかし、人は成長するのだ。いずれはユーノやそれとも別の誰かと色恋に発展したり、と色々あるだろう。それが今は亡きフィーの母、プレシアの願いでもあった筈だ。そんな時期に差し掛かったなら、自分はどうするべきだろうか。魂魄レベルで融合してしまっている以上、無理に引き剥がすことは出来ない。ならば、精神世界の奥深くで眠りに着き、一定周期やフィーの緊急時にのみ目覚めるような……と、ネギは色々と考えを巡らせていた訳だ。

 

 まさか、初っ端から出鼻を挫かれるとは思いも寄らなかった。

 

 迸る稲光。

 

「……百重千重と重なりて《ヘカトンタキス・カイ・キーリアキス》走れよ稲妻《アストラプサトー》」

 

 正直に言って、少しだけ頭に来た。

 

「消えろ」

 

 魔力の高まりを察知したのか、巨躯の猛獣と化した柴犬が大跳躍で衝撃波を生み出しつつ、こちらへと迫って来る。しかしもう遅い。詠唱は完了済み。

 

 解き放たれるは巨神すら滅ぼす燃ゆる立つ雷霆、超広範囲雷撃殲滅魔法。

 

 手を翳す。

 

 ……千の雷《キーリプル・アストラペー》

 

 雷鳴が、空間を激震させた。

 

 白一色に染め上げられる視界。

 

 全身に余すところ無く膨大な雷撃を浴び、高熱によって瞬時に柴犬の肉体が融解を始める。途方もないエネルギーの奔流に呑み込まれ、さしもの不死身の化け物も吸収しきれずに爆発四散。その欠片すらも稲妻に焼かれ、消滅した。

 

 轟雷が降り注ぐこと十秒。今のフィーの魔力容量では、全力を振り絞ってもこれが限界だった。

 

 直径三百メートルという広大な床面積の凡そ半分が融解し、赤熱した溶岩と化していた。至る所で帯電した雷が弾け、火花を散らす。稲妻の轟音が魔法の終わった後にも永く反響し、その莫大な威力を物語っている。

 

「はあ、はあ、はあ……流石に、殺しきったか」

 

『いやいやいや、明らかにオーバーキルだからっ! 何これ? そこらかしこが煮えたぎってるじゃん!?』

 

「いやいや、あの化け物の性質を考えると、念には念を入れてだね……」

 

 もう魔力は雀の涙ほどしか残っていない。

 

 再生する様子がない事を確かめて、苦笑混じりに呟く。

 

「骨折り損、とは正にこの事だ……」

 

『ホントよ、もう~ 発掘団の皆はボロボロだし、探索はここで打ちきりかな…………ああもう、こうドカンと儲けられる良い話はないのっ』

 

 重くのし掛かる疲労感に、ネギはゆっくりと床へと降り立ち、その場を後にするのだった。

 

 

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