魔法とは、魔導とは何だろう。
ついこの前までは、物語の中で夢や希望を叶えてくれる不思議な力。今の自分にとっては、進むべき道を示してくれる道標。友達との絆を感じさせてくれる、優しい力。
……ホントニ?
不意に響いた声に首を傾げる。
魔法とは、自然摂理や物理法則をプログラム化して、それを任意に書き換えたり、書き加えたり、消したりすることで作用に変える技法。
質量兵器……テレビの向こうで使われている、人を殺す道具とは違うのだ。あんなものとは違う。あの黒い執務官だって言っていたではないか。安全でクリーン。それが魔法なのだから。
……ホントニ?
響く声は止まらない。何がそんなに不思議なのだろうか。
嗚呼でも、魔法を見てもらっている小さな先生は、こうも言ってはいなかったか。わたしクラスの魔導師がその気になれば、街一つを滅ぼすことも可能だと。だから、時空管理局は魔導師の犯罪者の対策に追われているのだ、と。
この手の中にある力は、使い方を誤ればそれこそ大切な人達すら殺しかねないのではないか。
安全装置は自分の意志。
言い方を変えれば、自分の意志だけしかないのだ。人間は間違える生き物だ、と誰かが言っていた。ならば、このわたしが正しいと感じた道が本当に正しいのだ、と誰が保証してくれるのか。正しいと信じていても周りを傷付けたなら、それは悪ではないのか。
何かの間違いで、わたしはわたしの生きる世界を壊してしまえるのだ。勿論、そんなことをする筈がない。けれど、決して出来ないわけではないのだ。やらないだけ。自分が何処かで道を誤れば、それは容易く、強大で不条理な暴力へと変貌し得るのではないか。
いや、大丈夫。自分の周りには強い味方が居てくれる。大切な友達が居てくれる。ならば、自分が道を誤る筈がない。安全でクリーンな魔法と言う力で、人を助ける。その行為は正しい。それに純粋魔力の攻撃ならば、非殺傷設定ならば人を傷つけないではないか。自分は一体何を心配しているのやら。
……ホントニ?
あの、時の庭園。友達の母は、魔法によって身体を壊した。黒い執務官や赤毛の子は、魔法によって血を流してはいなかったか。
魔法とは、魔導とは、見方を変えれば鉄砲なんかとは比べ物にならないほど…………
瞼の向こうに光を感じた気がして、高町なのはは目を覚ました。
時刻は午前四時を少し回った頃。窓の外はまだ明るいとは言い難い。早寝早起きは三文の得と言うが、それにしたって早すぎる。一体どうして目が覚めたのだろうか。
『Good morning my master』
ここ暫く続く目の覚め具合に首を傾げていると、なのはの覚醒を感知したインテリジェントデバイス、赤いビー玉のような待機状態で机の上に置かれたレイジングハートが声をかけてきた。
「うん……おはよう、レイジングハート」
完全に目が覚めてしまった。こんなにも朝早く起きてしまっては、やることなど一つしかない。
「……今日も練習、頑張ろ」
レイジングハートの横。カゴの中で眠るのは、半年近く教えてもらっている魔法の師匠、フェレット状態のユーノ・スクライアだ。
「ユーノ君、ユーノ君。朝だよ、起きて」
「……むぅ? ぅうむにゃむにゃ」
手早く着替えを終えたなのはは、悪いと思いつつも、タオルケットにくるまるユーノを揺すり起こす。
こうして、なのはの一日は始まるのだった。
☆
「守護する盾、風を纏いて鋼と化せ……」
夜が明けて空が白みだす午前五時の海鳴市、桜台の登山道にて。
ユーノ・スクライアは欠伸をかみ殺しながら、目の前で広域防御の魔法を詠唱中の少女を見学していた。
焦げ茶のツインテールを靡かせるなのは。桜色の魔力光によって象られるミッドチルダ式魔法陣に、少女の歳を考えれば恐ろしいほど精密に制御された魔力が流し込まれていく。
「全てを阻む祈りの壁。来たれ、我が前に……」
「…………」
魔法の制御に集中するその姿。愛くるしい外見とは裏腹に、何故か張り詰めるような焦燥感をユーノは覚えた。
……まあ、遊びでやられるよりは全然良いんだけど
脳裏を過ぎるのは、意地悪そうに笑みを浮かべるアホ毛娘。出会い頭に拳が飛んでくるのだから、たまったものではない。残念ながらユーノには特殊な性癖は無い……筈なのだ。
閑話休題。
ユーノから見たなのはは、教えたことをスポンジの如く余さず吸収していく、天才的な魔導師だった。以前の事件では有り余る魔力任せの砲撃しか出来なかったが、今ではバインドや誘導弾のコントロールも熟練の域に達しつつある。
他にも、日々の生活一挙手一投足に魔力を消費する負荷を掛けているようだ。学校の授業中でもマルチタスクで戦闘訓練を怠らず、夕方からは魔法の実戦訓練。何処の管理局員だ、とついつい突っ込んで仕舞いかねない程のハードスケジュールだ。夜も夜で高速機動訓練。
ここまでくると、何か鬼気迫るモノを感じざるを得ない。
一日中ほぼ全て魔法漬けの毎日。何が少女をそこまで駆り立てるのだろうか。考えてはみるものの、ユーノには分からなかった。聞いてみても、楽しいからだよ、としか答えてくれないのだ。
思い返せば、フィーに出会った当初も先生紛いのことをした記憶がある。その時は肝心のフィー自身に才能が乏しく、複雑な術式は組めなかったのだが……
……もしかして、僕って教えるの下手なのかな? それでなのはも、頼りにならないからって心配事を誤魔化してるんじゃ
なんて悪い思考が頭の中を何周もしたところで、ようやくユーノはなのはが広域防御を解いていることに気が付いた。
「……ユーノ君? ユーノ君てばっ」
「あ、うん、大分スムーズになってきたね。もうデバイスなしでも広域防御が出来るなんてスゴいよ」
「もう、そうじゃないの! ユーノ君ってそろそろ本局に行くんでしょう? 何時ごろこっちにこれそうなの?」
「あは、はははっ、ちょっと考え事で悪い癖が。……ぇえっと、そうだね。中継ポートの状況にもよるけど、十二月の一日か二日くらいには…………」
考え事をしていると周りの声が聞こえなくなる癖が出てしまったようだ。苦笑しつつ言葉を返し、ユーノは嘱託魔導師になったフェイトを思い浮かべた。
それに比べ、時たま出没する逃亡中のフィー。
手に職持ったしっかり者の姉と、何時までも自由にふらつく自堕落な妹。そんな構図が頭の中で展開されて、ユーノは小さくため息を吐くのだった。
☆
向かいの屋根に止まったカラスが、黒い羽を一杯に広げて偉そうに鳴き声を上げている。
フィーはテーブルに頬杖をつき、その姿を窓越しにぼうっと見上げた。
店の奥から飛び出してきたエプロン姿の太めのオバチャンが、手にしたデバイスを起動。身の丈ほどの杖を握ると、見事な杖術で以てカラスを追い払う。どうやら常習犯らしいカラスはその攻撃を巧みにかわし、軒先の陳列棚に並べられたパンを狙って足を突き出す。顔を真っ赤にして杖を振り回すオバチャン。一見出鱈目で隙だらけに見える攻撃はフェイント。カラスがそれに引っかかりパンを奪いに接近してきた瞬間、杖の柄がカラスの足を捉える。焼き立てのパンを掴み損ねたカラスは、悔しそうに鳴き声を残して飛び去っていく。
通りを行く人々が次々と足を止め、たちまち拍手喝采が巻き起こる。
オバチャンは杖で足もとを一つ叩くと、ここぞとばかりに自家製パンの素晴らしさを宣伝し始めた。
そんな平和(?)な光景に小さく笑みを浮かべ、窓越しの風景にゆっくりと視線を巡らせる。フィーが座っているのは大通りに面した小さなカフェの窓際のテーブル席。レンガを敷き詰めた大通りが、ガラスの向こうで左右に走っている。
広い通りを行き交う人々は、六割方が何かしらの装備で武装したフリーの魔導師だった。道なりに連なる無数の商店には質量兵器こそ無いものの、アームドデバイスやジャンクパーツのショップでごった返している。
十月二十九日。東の空には太陽が輝き、時刻はようやく朝の九時を過ぎたところだ。第十六管理世界リベルタの東端に位置する小さな島国『ジャパング』の中心都市『セントラルタウン』の街に、新しい一日が始まろうとしていた。
グラスを掴み取り、ストローをくわえてオレンジジュースを味わう。
「ふぃ~、落ち着く~」
一般人にとっては兵器メーカーのヴァンデイン・コーポレーションで耳にすることもあるだろう、管理世界リベルタ。
と言っても、紛いなりにも犯罪者であるフィーの様子からも分かる通り、ここは普通の管理世界の街とは違う。別名、『便利屋の街』と称されるこの都市には、ギルドと呼ばれる次元規模の巨大組織、その本部が根付いており、管理局でも下手に手出しできない勢力と化しているのは裏の世界では有名な話だ。
『ギルド』とは同業者組合のことだが、ここでは便利屋組合を指す。所属する何十、何百万ものフリーの魔導師を束ね、依頼の斡旋を主な職務としている。犯罪者として広域次元指名手配でもされていない限り登録に必要な制限はなく、出身や経歴も問われないため、様々な事情を持った魔導師達が所属しているのだ。
「……一般人の店員でもアレだけ動ける物騒な街で、フィーも落ち着けるようになったか。それを成長と見るべきか、僕としては複雑な気分だよ」
グラスをテーブルに置いて、嘆くようにため息混じりに呟く相棒へ目を向ける。
木目調のテーブルを挟んだ向かい側には、初めて出会った頃のように大人の姿でティーカップを握るネギの姿。
精霊……相棒の魔法体系における概念的上位生命体?……で構成した身体を、遠隔操作でフィーの精神世界から操っているらしい。流石にこんな街に子供一人で居ることは目立ちすぎるため、ご登場願ったわけだ。残念ながら強い衝撃を受けると掻き消えてしまう上、燃費もヨロシくない為、戦闘ではあまり役立たないのだが、絡まれないための保護者の幻影としては有効だろう。
カーキー色の大きな外套の下に黒のハイネックにスラックスという格好で優雅に紅茶を啜る様は、正しくイケメン。無駄に苛つくほど様になっている。逆にその容姿にムカついたゴロツキに絡まれそうな勢いだ。
飲んでいるのは勿論、ミルクティー。本人談によると、レモンは紅茶の風味を壊す上、アイスなど以ての外。ミルクティーこそが紅茶のパーフェクトな飲み方らしいのだが、正直、フィーにとってはどうでも良いことだ。
「だってしょうがないじゃん。管理世界の店でここまで寛げる場所なんて、そうないでしょ? ミッドじゃ相変わらず闘技場関連で手配されてるみたいだしさ。なんでか知らないけど、隠蔽がどうたらこうたらでわたしの写真がマスメディアで報道されてたみたいだし」
「……多分、お偉いさんが何かやらかして、それが露見しちゃったんだろうね。人の噂も七十五日って言うし、ほとぼりが冷めるまでミッドに近付かないことだね。……それにしても」
そう言って、ネギはテーブルの上に置かれた携帯端末のキーボードを叩いた。
立体映像の空間ディスプレイが浮かび上がり、件のメールが表示される。とある事件で出会った知人からの、その文面を要約すると『内密に会って頼みたいことがあるから、セントラルタウンに来て欲しい』という内容だった。
「確かにあの人なら、知ってるだろうけど……代わりに厄介事を押し付けられるかも知れないよ?」
ネギはわざとらしくため息を吐き、ふと、視線を出入り口の扉へと向けた。
一瞬遅れてフィーも人の気配に気付き、待ってましたとばかりに振り返る。
二人の見つめる先、通りに面した扉が鈴の音を立てて開いた。
ゆったりとした足取りで店内に入ってくる、スーツ姿の初老の男。
男はフィー達を一瞥するとカウンターの前に立ち、傍らに積まれたグラスの山を軽く弾く。
すると、カウンターで突っ伏して眠りこけていたはずの酔っ払いが立ち上がる。酔っ払いを装っていたらしい男は初老の男に深々と礼をすると、店から出ていった。
「全然気付かなかった……」
「ああ、見張りだったんですか? 尾行してくるから、何か狙ってるのかと思いましたよ」
「……流石だな。アレでも一応、暗部の一員なんだが」
ネギの言葉に初老の男が振り返る。
「こちらもいろいろと危ない身でな。儂の首を狙う輩が後を絶たない。最低限の手は打ったつもりだ」
テーブルへと歩み寄るとフィーの顔を見据え、ようやく相好を崩した。
「八ヶ月振りぐらいか? 良い顔付きだ。一回り、大きくなったな」
「
「こら、流石に失礼だよ」
フィーの頭にチョップを見舞ったネギは、そのまま手のひらを男に差し出す。
「お久しぶりです、ヘカートさん。相変わらずお元気そうで」
「まだまだ現役さ」
ニヤリ、と口の端を吊り上げて、男はその手を取った。
「そろそろ代替わりなんだが、しっくり来る後継者がどうにも見つからなくてな」
「七席議会……マフィアの最高幹部なんだから、適当に選んじゃ不味いでしょ」
「フィー、ギルドだってば」
「カカカッ、まあグレーゾーンな仕事だけどな。一応、治安維持にも貢献してるんだ。マフィアは勘弁してくれ」
なんて返しにフィーは肩をすくめると、ゆっくりと椅子から立ち上がって握手した。
ヘカート・E・ウルティマラティオ。
「良く来てくれた。正直、お前達がここに現れるかどうかは分の悪い賭だったが……」
「はは、まぁ、わたしも聞きたいことがありましたから」
ヘカートはフィー達へ座るよう促し、自分はテーブルの空いた席へと腰を下ろした。
「それで、何が聞きたいんだ? 儂の話はそれなりに長くなる。先に聞くぞ」
ネギと並んで自分の席に腰掛けたフィーは、そんな言葉に頷き、氷で薄まったオレンジジュースを飲み干すと、噂に聞いた大会のことを尋ねてみた。
「裏DSAAチャンピオンシップって知ってます? ついこの前に噂で聞いたんだけど、詳しく分からなくって。なんか優勝者には大金が出るって聞いたんだけど」
すると驚いた様子でヘカートは目を開き、小さく頷いた。
「奇遇だな。今回お前達を呼んだ用件もその大会に関わることだ。……どうやら、こちらの用件を先に話した方が良いようだな」
「?」
いまいち意味が分からず、フィーは首を傾げて相棒と顔を見合わせる。
「どう言うことですか?」
ネギの言葉にヘカートは目を閉じて息を吐き、
「……先ずは、これを見てくれ」
おもむろに空間ディスプレイを展開した。
赤髪の若い女。緑髪の優男。金の短髪をした男。etc……
ディスプレイに映し出されるのは、五十にも及ぶ顔写真と簡単な経歴が記されたリストだった。
「これは?」
「…………魔拳、と言う名を知っているか?」
言葉と同時に、画面が切り替わる。表示されたのは小麦色の肌、立襟で裾に深いスリットの入った民族衣装に身を包む、二十前後の女。
「……まさか」
「ネギ? なんか知ってるの?」
ガシャン、と荒くティーカップがテーブルを叩く音に顔を向けると、柄にもなく相棒が目を見開いていた。
「いや……」
「知っていたか。こいつは広域次元指名手配されている凶悪犯だ。過去には管理局の編成した特務機動隊すら、単独で撃破したらしい」
特務機動隊と言えば、管理局でもエリート中のエリート集団だ。かつて闘った騎士、ゼスト級の実力者の集団、と言っても過言ではないだろう。そんな化け物集団を単独で返り討ちにするとは、この女は一体どんな超人なのだろうか。
そして、ネギの反応。
ここまで狼狽した相棒の姿を見るのは、初めてかも知れない。表面上こそ取り繕っているが、長いこと一緒に生活を共にするフィーには、その内心が乱れに乱れていることが窺い知れた。
……何にそんな驚いてるんだろう
気にはなるものの、今はヘカートの話に耳を傾けるのが先だ。
「今見せたリストは、ここ一年で魔拳によって消されたギルドに所属する魔導師だ。…………おそらく、累計すれば百や二百ではすまないだろう。それだけの魔導師が、要人警護や施設警備の依頼中に殺られた」
「「っ!!」」
「七席議会はこの情報を重く見ている。先日行われた会議で、ギルドは魔拳の捕縛又は抹殺を決定した」
「な、なんか思ってたより…………」
ヘビーな話題ですね~、と言い掛けて隣のネギがなるほど、と頷いた。
「話が見えてきました。その……魔拳と言う凶悪犯が次に現れる場所の情報を掴んだ、と言うことですか」
「へ?」
一瞬だけフィーは首を傾げ、ヘカートの大会に関わる云々、と言う言葉を思い出した。
「察しがいいな。これは極秘情報だが、魔拳が裏DSAAの本戦トーナメントに特別枠で参加する、と言う情報が暗部の情報網に掛かった」
しばしの間。フィーは嘆息混じりに口を開いた。
「それで、わたし達にその凶悪犯と殺り合えって依頼ですか? 流石にそれは……」
速攻で話を切り上げて席を立とうとしたフィーに、ヘカートは押し止めるように手を上下させる。
「まあ待て。話は最後まで聞け。儂だってわざわざ危険と分かり切っている依頼を持ち掛けるほど、お前さんを嫌ってはいない」
むむ、と口を窄めて腰を下ろす。
「……どうやら先に、大会について話すべきだったな」
そうして『裏DSAA』と呼ばれる大会について、ヘカートはテーブルの上で手を組み、話し始めた。
裏世界のDSAAチャンピオンシップ。
裏DSAAと呼ばれるが、それは表の世界で開かれる公式魔法戦技競会に因んだもので、本来の開催者は不明。何処かの世界の大富豪なのではないかとも噂されているそうだ。
四年に一度開催され、本戦トーナメントの一年前から選抜大会が各次元世界で開かれる。
六十五年、今年の十月から十二月に掛けて地区選抜予選。
六十六年、二月から四月に掛けて世界代表選抜。
そして、同年七月に全次元世界から選抜された裏世界の強者による本戦トーナメント。
その本戦トーナメントを勝ち抜いた者には裏世界最強の栄光と、賞金として一千万ミッドドルが送られる。
……以上が大会の概要である。
「い、い、一千万、ミッドドル!?」
それだけあったら、一生遊んで暮らせるのではないだろうか。想像の遥か上を失踪する優勝賞金の額に、フィーは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「……フィー、よだれ。垂れてるよ」
「っとと、これは失敬」
じゅるり、とピンクジャージの袖で口を拭い、フィーはヘカートへと顔を戻した。苦笑していた初老の男は軽く咳払いし、フィーとネギを見据えて、
「……お前達には裏DSAA、その本戦トーナメントまで勝ち進んでもらいたい」
頭の中では、札束のお風呂に浸かる天使が手を振っていた。迷わず頷こうとして、ギリギリで理性が明らかに変な話の流れに疑問を抱く。相棒のネギも同様に疑問を持ったらしく、顎に手を添えて口を開いた。
「質問、良いですか」
「おう。
「一つ、何故僕らに依頼を? ヘカートさんには優秀な部下が居るはずです。二つ、そもそも何故、大会本戦まで勝ち進まなければならないか。……魔拳とやらを襲撃したいなら、大会に出場する必要は無いはずです」
的確な質問に、フィーも大きく頷いた。
集中する二人の視線に苦笑すると、ヘカートは組んだ手を解き、首をすくめる。
「信頼、と言うモノは買う事が出来ない。儂はこれでもお前達を信頼している。実力と信頼度を鑑みた結果の人選、と言ったところだ。それに、残念ながら儂らギルドも管理局同様、腰が重くてな。襲撃隊の編制を待っていたら、予選など終わってしまう」
なるほど、とフィーは納得する。初めてヘカートと出会った時、彼は味方の裏切りによって窮地に陥っていたのだ。
「そして二つ目だが、裏DSAA本戦は巨大な次元航行艦船……それこそ、有名なスクライアの移動都市並の船で行われる。入艦出来るのは世界代表とその一定数の関係者、そして限られた富豪だけだ」
「……僕達に本戦まで勝ち進んでもらいたい、と言うのはつまり」
「ああ。編制された襲撃隊を、関係者として連れて行って欲しい。無論、強制するつもりはない。どうだ? 受けてもらえるか」
そう言ってこちらを見据えてくるヘカート。少し考えてから隣を見れば、どうやらネギは乗り気なようだ。その理由何となく分かっている。
……魔拳だっけ。ぜったいあとで問い詰めてやろっと
明らかに画像を見た後から様子がおかしかった。もしかして、
ひとつ頷き、フィーは不適な笑みを浮かべる。
「それで、予選の開催地は?」
「カカッ、そう来なくちゃな。日程的にここから一番近いのは……」
☆
「……第二十三管理世界ルヴェラ北部、ハバロフ地方の街アムール、か」
そう低く野太い声で呟いたのは、狼の形態を取る盾の守護獣ザフィーラ。彼は悩ましげに頭を振るうと、頷いた。
「ああ、私とシャマルは暫く帰りが遅くなる。口裏合わせ、頼んだぞ」
「ちょっと待てよ、シグナム! あたしも行く!」
そう甲高い声で言うのは、十にも満たない外見をした赤毛の少女、鉄槌の騎士ヴィータ。主はやてに特に懐いた彼女のことだ。自分も役に立ちたいのだろう。しかし、シグナムは首を横に振るう。
「ヴィータ、そしてザフィーラには主はやてに着いていてもらいたい」
「……けど!」
「分かってくれ。お前達の外見で夜遅くまで外出する用事が続けば、流石に不思議がられるだろう」
沈痛な面もちで俯くヴィータ。その頭に慰めるように手を乗せる。
思えば、機械のように命令を遂行していた我々、
だからこそ、一刻も早く平穏な暮らしに戻るためにも、強力な魔導師が集う彼の地での蒐集を成功させなければならない。
「……心配するな。お前達の将は、誰にも負けはしない」
静かに軋み、回転を始める運命。
彼の秘術により歪み、壊れ掛けた世界の流れは、それでも止まることを知らずに進み往く。
その先に待ち受けるはどんな結末か。この時の彼らに、知り得るはずもない。