ルヴェラの惑星周回軌道上に停泊する小型次元船舶、デメキング号。その脱衣室にて。
寝起きに浴びたシャワーの水気を簡単な生活魔法で弾き飛ばす。ささっと手早くパンツを手に取ると、プリントされたクマさんと目が合い、フィーは小さく笑みを浮かべた。
次いで袖を通すのは、黒い防刃素材の特殊インナー。身体にぴったり張り付くような着心地と、浮き彫りになる自身のささやかな胸部装甲に顔をしかめる。
次はピンクジャージの上下。防弾素材の勝負服を身に纏い、上着の中に挟まった鮮やかな赤毛を背中へ流してから腕捲り。洗面台に転がるブレスレットを手に取ると起動させて、手甲の調子を確かめる。
生と死が薄皮一枚先を通り抜けていく実戦においては、コンマ一ミリの感覚のズレも命取りになり得る。手甲の重さや形状、攻撃を受け流す際の角度や強度を手や身体に忘れさせない為に、フィーは確認を怠らない。
しばらくしてから頷き、自分の装備を最終確認してからもう一度頷いた。
サンダルには紛失防止の発信機がしっかりと貼り付けられ、手甲の調子も良好。言うことなしだ。
最後にゴム紐で後頭部へ髪を束ねて、準備完了。
「よしっと、ネギはどう?」
『そうだね。とりあえず、試合前になったら表に出て
遅延呪文とは、ネギの操る魔法体系における詠唱省略の技術の一つだ。あらかじめ呪文の詠唱を施し、ストックしておくことで、本来なら不可能な魔法展開速度を可能とするのだ。
ミッドチルダ式やベルカ式で言う、デバイスへのキーワード登録に少し似ているかも知れない。
「おっけー。それじゃ、勝ちに行こっか」
当然のようにそう口にして、フィーはメールに記載された決戦の場へと歩を進める。
目指すはルヴェラの街、アムールの高層ビル並び立つ中心部。張り巡らされた地下道にあると言う、違法賭博闘技場だ。
☆
一般人にはあまり知られていないが、違法賭博闘技場と言うのは案外、次元世界のあちこちに点在している。
ルールも賞金もまちまち。規模も、フィーが何時だったか入り浸っていた比較的小さな場所もあれば、それこそDSAAの主催するチャンピオンシップ都市本戦会場並みの大きな場所もある。
そして、アムールの地下闘技場はフィーが見る限り、かなり大きな部類に入るようだった。
『着いたね』
「うん。これは、……ずいぶんおっきいね」
感嘆の息を吐きながら、手甲型デバイスで展開したアムールの地下マップを確認する。数百からなる空洞とそれらを繋ぐ細いバイパス道によって構成されたこれは、かつて途中放棄された広大な地下鉄道工事の名残だそうだ。
空間ディスプレイの脇にある日時は、ちょうど正午を示していた。
現在地を示す光点がゴールの地下闘技場付近にあることを見て取り、フィーはもう一度、巨大な全体像を見据える。
並木の如く等間隔に並ぶコンクリートの柱を抜けた先には、錆びた鋼材が格子模様に絡み合う、崩れかけの高層建築を思わせる空間が広がっていた。少なくとも半径数キロに渡って広がるその空間の中心には、ドーム状の巨大建築物が聳えている。比較的高い位置からその空間に出たフィーには、足下に埋め込まれた照明が光の道として薄闇の中、ドームから広がる根っ子のように見えた。
あのドームの中で、観客席に囲まれた決戦の舞台がフィーを待っているのだ。
眩いライトに照らされる巨大ドームのお膝元。
「おぉ~、やっぱりおっきいだけあって、ミッドの闘技場とは規模がちがうな~」
人、人、人…………ドームの中に入って受付に向かったフィーは、想像以上の観客の列に驚かされた。これほどまで大規模な賭博闘技場に初めて来た。カジノやレストラン、最先端の医療設備、充実した施設の数々に目を丸くする。
ミッドで流行りのアップテンポの曲がBGMとして流され、がやがやと何処と無くお祭り気分にさせられる。
『大会の予選があるから、今日は混んでるのかも知れないね』
『なるほどねー』
何て会話をしながら、列に並び待たされること十五分。受付のお姉さんに幼い容姿のせいもあってか勘違いされ、紆余曲折あったものの、無事に選手控え室にフィーは通された。
ヤクザで短気な者も多い裏世界。喧嘩騒ぎで死傷者やら建物への被害やらを出されては困るらしく、控え室は一人一人完全な個室だった。
簡素なパイプ椅子に腰掛け、壁に埋め込まれた時計で時間を確認。
「十二時五十五分、か」
プログラムを見てみればフィーの出番は一回戦の最後、第四試合だ。今日はそこまでトーナメントを進め、明日の同じ時間帯から二回戦と北部地区代表決定戦を行うらしい。
手慰みにストレッチで身体を解すなりしていると、頭上のスピーカーから、
『さあ、賭博試合もそこそこに、大変ながらくお待たせしました! これより裏DSAAチャンピオンシップ・第二十三管理世界ルヴェラ北部地区代表決定トーナメント、一回戦第一試合を開始しますっ!!』
なんて、威勢の良い司会役の声が響いてくる。
空間ディスプレイで試合の映像がリアルタイムで見れるらしく、フィーは身体を解しながらも一試合目の様子に目を向ける。
聞いたことのない名前の女と、同じく知らない男の試合だ。女がスタンダードな杖を持つミッド式魔導師、男が純正の
「…………あの程度の奴らばっかりなら、楽勝なんだけどな~」
初手の一打。それで仕損じても三手以内に仕留められる、と思考の上でシュミレートして、フィーは息を吐く。
『やっぱり、この前の最後に戦った人かい?』
そう尋ねてくるネギに頷く。
魔力量だけ見ればAA程度……それでも十分に多いが……だが、あの独自で編み出しただろう格闘スキルも合わさって、陸戦AAAオーバー並みの戦闘力を有する強敵だ。
「ガライヤ・トライベッカ。北部地区の平均レベルがこの試合程度なら、決定戦で絶対当たることになるよ」
『それにしては、楽しそうだね?』
「あっまりまえじゃん! あんな歯応えある奴と殴りっこ出来るんだから。やっぱり、男なら正面からのど突き合いでしょ」
『……否定はしないけど、フィーは女の子だからね?』
「分かってるって。あれだよ、ひゆひょーげんってやつ?」
はあ、と相棒がため息を吐くくらいには、自分はテンションが上げっているらしい。
頭は冷静に、でも身体は熱く、と内心で繰り返しているうちに、一回戦はミッド式の女が勝利を納めていた。十代半ば、女豹を思わせる少女の笑顔が画面一杯に映し出される。続く第二試合では、ガライヤと近代ベルカ式の槍使いの戦いだ。
『それでは第二試合、開始!』
司会の合図と同時に、二人が動き出す。一般人では影も追えないほどに速い踏み込み。爆炎と共に繰り出される拳が槍の間合いに入った瞬間、打ち払われる。
炎熱加速のスピードに、槍使いはきちんと反応できているようだった。が、その程度では駄目だ。反応して、尚且つ反撃するくらいでなければ。それにフィーが唯一知る槍使いがゼストのせいもあってか、そこそこの実力者だろうガライヤの相手がショボく感じてしまう。
都合、五度の槍と拳の衝突の後、突きを見切られた槍使いの男は呆気なくガライヤに懐へ踏み込まれ、咄嗟に展開した障壁なんぞお構いなしに顔面へ拳を受けてしまった。
直径百メートル高さ五十メートルの円筒形、三重の結界に包まれたフィールド内を派手に吹き飛ぶ槍の男。なんとか立ち上がるものの、追撃の左ストレートを避けられず、更に吹き飛ばされて試合終了だ。槍の男は倒れたまま動かない。あれは相当なダメージを受けただろう。脳が揺れて、しばらくは立ち上がれないに違いない。
『試合終了~!! 予選でも圧倒的な力を見せてくれたガライヤ選手! その実力は本物だーッ!!! 続きまして第三試合は、……』
「さってと、そろそろ出番かな」
『そうだね。それじゃあ、少し出るよ。遅延呪文を唱えておくから』
そんな相棒の言葉に頷き、フィーはゆっくりと身体の主導権をネギへと委ねていった。
『……
「うん」
フィーには理解できない言語で紡がれる呪文詠唱が終了し、表人格として身体の主導権を取り戻す。目を瞬かせ、首や肩の関節をコキコキ鳴らしていると、スピーカーからようやくフィーを呼ぶ声が響いてきた。
「さーてと、いっちょぶっ飛ばしてこようかな」
『わかってると思うけど、油断しないでね? わかってると思うけど』
「そんな二度も言われなくてもわかってるってば。獅子は兎を狩るときでも全力をだすってね。初手から全力だよ」
なんて嘯き、踵を返す。
もうひとりの相棒である無銘の手甲へと唇を軽く付け、フィーは戦いの舞台へと向かうのだった。
☆
もうすぐ日付の変わる深夜。赤髪の青年ガライヤ・トライベッカはあてどなく夜の町を練り歩いていた。脳裏に過るのは予選にて拳を交えた少女、フィー・T・N・スプリングフィールドの姿だ。
「やっぱ勝ちやがったか。思った通り、おもしれぇ奴だ」
真っ向からのぶつかり合い。どちらが強いか、どちらが弱いのか、明日の決勝で決まるのだ。もう一回戦あることなど頭の隅にも置かず、ガライヤはそのことだけを考えていた。
「へへっ、あんなチビッ子相手にガチで殴り合いしてるなんざ、アイツにバレたらやべぇな」
ふと頭に浮かんだのは、アパートに借りた一室で出張と偽った自分を待っているだろう妻の姿だ。こんなヤクザな仕事で金を稼いでいるなんて知られれば、砲撃魔法を撃ち込んでくるかも知れない……それも殺傷設定で。
「それだけは勘弁だな、マジで」
なにしろ、愛しの妻が相手では殴るわけにもいかない。甘んじて罰を受けるしかないのだ。
……まったく、何時からこんなに甘くなっちまったんだか
かつての自分ならば、勝つためには卑怯なことだろうが何でもやった。欲しいものは何もかも力で奪い、そのおこぼれを狙うハイエナどもを従えて、お山の大将を気取っていたのだ。それが、そんな生き方が違うのだ、と教えてくれたのがアイツだ。
だから、
「でけぇ大会で上を目指す」
ガライヤの目指すべきことはそれだけだ。裏の拳闘世界で名を売り、より多くのファイトマネーを手に入れる。自分は強敵と闘えて燃え上がれ、懐には金がガッポガッポ転がり込んできて一石二鳥。シンプルだ。
「だから、明日はぜってぇに勝つ」
自分自身へ言い聞かさせるように呟き、
「…………ぁん?」
その気配に気が付いた。
何処からかは分からぬが、自身を見据える視線。うなじがちりちりと粟立つ感覚。
……上等だ
予選落ちした大会参加者の報復だろうか。それとも別口か。何れにしろ、向かってくるなら容赦はしない。不敵に笑みを浮かべ、ガライヤは人の少ない裏道の方へと足を進めた。
薄暗い夜道を歩くこと十数分、数日前大会の受付を済ませた広場に到着する。
「出てこいよ」
首をひとつ回す。
最早、隠す気もなく夜の空気を震わせる闘気の元凶へ、挑発を投げ掛ける。同じく全身から闘気を溢すガライヤの言葉に触発されたのか、物陰からひとつの人影が現れる。
ポニーテールに括られた桃色のロングストレート。騎士風の装い。片刃の大剣型デバイスを見る限り、恐らくはベルカ式の術者か。凛とした空気を携えた女が問答無用で大剣を構えた。
アムールの路地裏。凍てつくような真夜中の静寂を、局所発生した地獄の業火が融かし尽くした。