リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第九話

 

 

 

 ポットからカップへコーヒーを注ぐと、芳ばしい香りが店内に広がった。

 

 ワンはそのまま淹れたてのコーヒーを一口すすり、テーブル席に用意した料理の数々を確認する。

 

「よし、準備出来たな」

 

 あと数分後には来るだろう赤毛娘を待つだけだ。

 

 ベビーベッドの上で眠るエリオを一瞥し、小さく笑みを浮かべる。

 

 ゆっくりと流れていく穏やかな時間のなかで、ふと、ミッドチルダ辺境の街で酒場を営んでいた頃を思い返す。

 

 裏の世界からは足を洗った。血で血を洗うような闘争の輪廻から、何もない空っぽの世界から。しかしそれでも、自分の魂はエリオと出会うまで乾いていたのだと思う。

 

 伝を頼ってルヴェラに店を移し、あの雨の日に出会った女から託された幼子。小さな命の炎は、握れば砕けてしまいそうな命の尊さをワンに思い出させてくれたのだ。

 

 そして、再会したフィー。過去を思い出したくないが為にワンが手甲を譲り渡した少女は、困った体質を持つエリオを恐れずに戯れてくれた。構いすぎて電気ショックの的になることもある少女だったが、ワンには、エリオが嫌がっているように見えて少女との交流をどこか楽しんでいることがわかっていた。

 

 こんな日々が続けばいい。いつの日かエリオが成長し、巣立って行くその日まで。

 

 しかし、そんな彼の祈りは、唐突に打ち破られた。

 

 異常なまでに鋭いワンの感覚が、店の付近で行使された魔法の気配を察知したのだ。

 

「……これは、まさか」

 

 覚えのある魔力の質だった。確か、ここ最近になって出没するようになった、連続通り魔事件の犯人、その片割れのものだったか。

 

 嫌な予感が、脳裏を過った。

 

 

 

 

 

 

 回復する視界。

 

「っ……」

 

 転移先の地に降り立ったフィーは、すぐさま周囲を警戒した。

 

 見渡す限りの木、木、木。アムールが北半球に位置するためだろう。周囲に生えるのは、針状の葉を冬でもつける常緑の針葉樹林だった。その中にできた自然の空き地に、フィーは佇んでいたのだ。

 

 薄暗い周囲一体の空間を薄緑色の結界が囲んでいる。

 

 ……閉じ込められた

 

 良くない展開だ。これでは術者を倒すまで、この場から逃げられない。そして、先程の強制転移を施した術者の技量が、ここで待ち構える敵が並みではないことを少女へ予感させた。

 

 跳ねる心臓。

 

 乱れる呼吸を無理矢理落ち着かせる。

 

 一呼吸毎に口から吐き出される息が、凍てつくような大気の温度に冷やされ、白く彩られる。

 

 突然訪れた危機的状況に、冷や汗がひとつ頬を伝って流れ落ちた。

 

「こりゃヤバイかな~」

 

 小さくそう呟き、そして、

 

「……お前の魔力」

 

 薄暗い樹木の影に静寂を従えて、その女は悠然と佇んでいた。

 

 騎士を思わせる、桜色を基調とした防護服(バリアジャケット)。同色のロングストレートをポニーテールに結わえ、凛とした空気を携えて。

 

 年の頃は十代後半から二十代前半。ただの立ち姿に感じる隙の無さ。静かな、しかし、大海の如く雄大な魔力も、その女が超一流の騎士であることを窺わせていた。

 

「悪いが、奪わせてもらう」

 

 女は手にした剣をゆっくりと鞘から引き抜いた。片刃の大剣、柄の部分に機械仕掛け……恐らくはカートリッジシステムの武装だろう。

 

 ……ゼストのおっちゃんみたいじゃん

 

 そんな連想をさせるほどの重圧を、フィーは感じた。

 

「何のつもり? なんでこんなことを」

 

「……参る」

 

 問答無用。言外にそう告げて、女騎士は踏み込んできた。

 

 

 

 

 

 

 シグナムは愛剣を右八双に構えを取りつつ、敵の姿を見据えた。

 

 ……まさか、子供とは

 

 ピンクジャージに身を包み、両の前腕に鈍色の手甲。長い赤毛を後頭部で纏めた、顔の割りに大きく紅い瞳の快活な少女だ。

 

 年は十歳前後。しかしそんな外見とは裏腹に、こちらを見定める目は鋭く、感ずる魔力は探し求めていた高位魔導師のものに間違いないだろう。

 

 魔力量だけを比べるならば、自分にも比肩し得るほど。

 

 だが魔導戦闘の勝敗とは、資質とは別次元の場所にある。

 

 ……私には、成すべき事がある。敵が例えどれだけ幼かろうとも

 

 瞳を細め、意識を集中。

 

「……参る」

 

 踏み込む。

 

 魔力を運用。身体強化魔法の出力を制御し、刹那の脚力強化。歩法を駆使して一歩目からトップスピードに入る。

 

 袈裟懸けに一閃。

 

 十メートルの距離を瞬時に詰め寄るシグナムの動きに、少女が目を見開く。が、

 

「あぶっ!?」

 

 紙一重でこちらの踏み込みに反応し、大きく飛び退ける。

 

 ……やはり

 

 己の初太刀を外された。当初の予想通り、この少女は只者ではない。

 

 剣閃が地面を切り裂く寸前、体重移動によって弧を描く大剣の軌道を斬り上げの一閃へと変化させる。

 

 甲高い金属音。

 

 火花が散り、手甲によって大剣が逸らされた。

 

「疾ィッ!!」

 

 逆手に握った左の鞘を叩き付け、次いで右足の前蹴り。手甲によって全て防がれ受け流されるも、少女の身体は吹き飛び、体勢を崩す。

 

 開いた間合いを、斬り上げた剣先を引き戻しつつ踏み込む。少女との距離を一瞬で零に戻してもう一閃。

 

 無防備な左足の腿。機動力の制限を狙った突きは、しかし、手甲によって剣の側面を叩かれ、不発に終わる。

 

 火花が虚空に散り、消え去るまでの一瞬で宙返り。少女はシグナムの一足一刀の間合いから逃れた。

 

 ……良く、防ぐ

 

 シグナムは剣を鞘へと戻した。無論、矛を納めたわけではない。

 

「カートリッジロード」

 

 デバイスに備えられた機構が作動し、空薬莢が排出口から弾き出される。

 

 一方、不敵な笑みを浮かべ続けるように見える少女、フィーは、

 

 ……危なかった

 

 全身から噴き出す冷や汗に頬が強張り、無意識の内に歪な笑みを浮かべていた。

 

 今の一連の流れで、下手をすれば終わっていた。それほどの太刀捌きだったのだ。

 

 心臓が痛いほど跳ね回る。

 

 女が剣を鞘に納める姿が、やけにはっきりと見えた。

 

 ……まずい

 

 その構えに、フィーの危機察知能力が最大の警鐘を打ち鳴らす。

 

 片刃の剣。どのような技かは知らないが、鞘に納めた状態から繰り出される技など、一つしかない。

 

 ……超速の抜刀術っ

 

 そう思考した刹那、それは来た。

 

「飛竜一閃」

 

 伸びる剣閃。

 

 連結刃(チェーンエッジ)が音にも迫る速度で飛来、無色のバリアジャケットを一切の抵抗を許さずに貫き、フィーのジャージの裾を引き裂いていく。

 

「うぉぅっ!?」

 

 紙一重の回避。あとコンマ数秒、身体を半身にするのが遅れていれば、砲撃クラスの斬撃の直撃を受けていただろう。

 

 背後で樹木が斬り跳び、轟音を奏でる。

 

 どれだけ分割すれば、あの刀身の長さでここまで伸びるのか。仕事しろ物理法則。

 

 内心の悪態を吐く暇もなく、追撃が迫る。フィーを囲うように連結刃が高速で動き、さながら刃の結界が形成される。

 

 ぞわり、と背筋が粟立ち、背後から魔力の流れを感知。意識が反応するよりも速く、肉体が動いていた。

 

「くっ!?」

 

 背後へ身を翻し、裏拳を閃かせる。

 

 盛大に咲き誇る火の粉の花束。衝撃が腕を痺れさせ、金属音が鼓膜を叩く。

 

 飛来した剣先が直撃の軌道を逸れ、ジャージの肩口を掠めて視界の外へ。

 

 ……さっきから、バリアジャケットが紙みたいに

 

 強力な貫通能力。変幻自在で高速の動き。魔力の流れから一撃を読めなければ、回避することは不可能に等しかった。

 

 ……手強いにも程があるっての

 

 目前の女騎士の腕前は、まるで師匠であるネギすら彷彿させる程だ。

 

 大剣の姿に戻る連結刃。

 

 冷徹な剣の銀光が、フィーの視線にやけに強く焼き付いた。

 

「名を聞こう。強き少女よ」

 

 構えを崩さず女騎士が呟く。そこから目を離さずサンダルを脱ぎ、張り付いているシール型の発信機を手の内に隠し持ってから応える。

 

 ネギならば、目の前の強敵を打倒できると信じている。しかし、或いは逃げられてしまうこともあるかも知れない。でぃなーのフルコースを邪魔した奴を、フィーは欠片も逃す気がなかった。

 

「フィーだよ。フィー・T・N・スプリングフィールド。……そっちは?」

 

「フィー、か」

 

 噛み締めるように瞳を閉じて、一呼吸。その間にも、フィーには踏み込めるほどの隙を見付けられなかった。

 

「私はベルカの騎士。ヴォルケンリッターが将シグナム。故あってお前の魔力をいただくが……すまんな。お前は強く、命の保証が出来るほど加減できそうもない」

 

 なんて嘯く女の言葉に、フィーは小さく苦笑する。

 

「気にしないで。わたしがこれからすることも、ある意味卑怯って感じ、」

 

 言葉の途中で、フィーはネギへと身体の主導権を切り替えた。

 

 初手の袈裟斬りの時点で、少女はシグナムに勝てないと悟っていたのだ。それでも相棒へ代わってもらわなかったのは、意地と、隠れているだろう転移を施したもう一人をネギが探す時間を稼いでいた為だ。

 

『頼むよ、相棒』

 

『了解』

 

 短いやり取り。それでも、全幅の信頼を寄せる相棒には十分だ。

 

「、だからさ!」

 

 右の掌底が、シグナムの腹部に強かに叩き込まれた。

 

 

 

 

 

 

「あ、がぁっ!?」

 

 咄嗟に自分から背後へと跳び、騎士甲冑(バリアジャケット)を貫通してきた衝撃を受け流しつつ距離を取る。

 

 並みの射撃魔法では小揺るぎもしない防御力を、ただの掌底で抜いてきたことは瞠目するべきことだ。しかし、それよりもシグナムを絶句させたのは、容易く己のパーソナルスペースへの侵入を許した事だった。

 

 ……虚を、意識と意識の間隙を突かれた

 

 喉から口内へ滲んでくる、鉄の味。

 

 目前のフィーと名乗った少女の戦力分析を上方修正。シグナムは鞘を剣に見立て右の剣を上段、左の鞘を下段へ構える。

 

「……ふ、ぅ」

 

 混乱する頭を呼吸ひとつで切り替える。どんな技法、或いはレアスキルかは知らないが、一瞬にして少女の気配が鋭利に変貌したのだ。欠片の無駄もなく制御される魔力の流れに、戦慄すら覚えた。

 

 己を凌駕しかねない強敵だ。だが、それがどうした。主の為、あの平穏を取り戻すために、自分は退いてなどいられない。

 

「二刀流、か……」

 

 先程までの少女には見られなかった、冷徹な眼光。触れれば切れる抜き身の気迫に、シグナムは内に秘めた己の衝動が騒ぐのを感じた。

 

 目前の少女と『武』を競い会いたい、と言う衝動が。

 

「…………」

 

 しかし、彼女はそんな己の衝動を、心の奥深くへと沈め直した。自分達は絶対に負けられない。例え、どれだけ”卑怯”でも、勝たなければ意味がない。欲求に身を委ね、正々堂々、突撃するわけにはいかない。

 

 自身のギアを最大へと押し上げ、身構える。

 

 十メートルの間合いをおいて、二人はぴたりと動きを止めた。衝突し、せめぎ合う魔力の圧が周囲の木々をしならせる。葉がざわめく中、二人は先程までの荒々しさが嘘のように静寂を保っている。しかし、それは表面上だけだ。脳内では何十、何百、何千回の攻撃を行いつつも、現実の肉体は一ミリたりとも動かない。

 

 永遠に続くかに見えた睨み合い。

 

 頬を伝った汗の滴が顎先から垂れ、地面に小さく染みる。その刹那、少女の身体がシグナムの視界から掻き消えた。

 

「っ!!」

 

 視界の端に映った赤の軌跡を見逃さなかったのは、僥倖に他ならない。

 

 左。

 

 思考と同時、身体が動いた。

 

「「破ァッ!!!」」

 

 樹林に響き渡るような気合いが交差し、鞘と拳が衝突した。

 

 撒き散らされる衝撃波。轟音が木々の中を駆け抜けるよりも先、視線すら向けずに右の剣閃を走らせる。

 

 なぎ、払い、突く。

 

 瞬きの半分の半分にも満たぬ刹那の内の三連撃がことごとく鈍色の手甲に流され、甲高い金属音と火花を散らす。

 

 一拍も開けず、額を狙って上段から鞘を降り下ろすも、上体を逸らした少女は紙一重で避けて見せた。

 

 摩擦によって前髪の数本が焼き切れ、しかし、それだけだ。

 

「チィィッ!!」

 

 右の剣先を翻してさらなる追撃を掛けようとして、だが次の瞬間、飛び退いていたのはシグナムの方だった。

 

 背筋に走った悪寒に逆らわず地を蹴れば、刹那の差で大地に刻まれる一直線の斬閃。極低温の烈風がポニーテールを氷結させるのも気にせず、一息に一足一刀の距離を逃れて、シグナムは剣を構え直す。

 

 少女の手に輝く青白い魔力の刃。いや、

 

 ……違う

 

 あれは、単なる魔力刃ではない。ただの魔力刃があれほどの魔力を帯びるものか。

 

 そして、シグナムの予感は的中していた。ネギが右手に纏う剣は、彼の操る魔法体系の中でも高位に位置する呪文”断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)”だった。

 

 触れたものを強制的に相転移させ、蒸発させるその刃は人体に対して高い殺傷能力を誇る。シグナムは類稀な戦闘勘によって、それの危険性を見抜いたのだ。

 

 ……妙な術を使う

 

 永き戦いの日々でも、目にしたことのない魔法を駆使する少女。他にどんな技法を隠し持っているのか。暫しの思考の後、シグナムは一切の余分を捨て去った。

 

 左足を前にした半身。

 

 鞘で正中線を隠し、右の上段に魂を込めるシンプルな構えだ。

 

「カートリッジロード」

 

 機構が作動し、爆発的な魔力が全身を駆け巡る。その膨大な魔力を剣へと集中。同時、

 

『頼むぞ』

 

『任せて』

 

 念話により、捕縛結界内に隠れるシャマルへと合図を送る。

 

 シグナムの持つ炎熱変換資質により、集中した魔力が大剣に纏わる業火と化して迸る。

 

「紫電、」

 

 これ以上なく高まる魔力に十メートル先の少女が身構えた刹那、二人の間の中空に小さな光球が出現する。

 

 ほんの一瞬、少女の意識がその光球へ向いた隙をシグナムは見逃さない。

 

 業火を携え、地を蹴る。

 

 瞬間、炸裂する光球。

 

 溢れ出した光の奔流に、二人の視界は真っ白に漂白された。

 

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