リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第十一話

 

 

 

 拘束された四肢が、意識に反して跳ねる。

 

「がぁああああっ!?」

 

 心臓を鷲掴みにされるような、言い様のない不快感がネギの全身を駆け巡るのと同時に、抜き取られていく魔力。

 

 ……これは、不味い

 

 相手の狙いに気付いた時には、既に手遅れ。物理的な追い討ちを掛けてくるのであれば、まだ対処のしようはあったのだが……

 

「■■■、■ッッッ!!」

 

 心臓が軋む。

 

 魔力を抜かれていく不快感とは別に、身体の内側、最奥部にてナニカが蠢く。

 

 第一から第十三層に及ぶ封印術式が、魔力の枯渇によって機能不全を起こし始めていた。

 

 それは、本来ならあり得ないことだ。手甲に施した封印術式はフィーの身に宿る魔力の三割を用い、ネギ自身の経験に基づいて設定した特殊なものであった。どれだけ魔法を使用して枯渇状態に陥ったとしても、基礎魔力値の三割は封印にあてられ使用出来ない。最大魔力容量を減らしてまで施した封印だったのだ。

 

 しかし、そんなことは構いもせず、目前の魔導書は魔力を一滴残らず搾り取っていく。

 

 不快感の中、なんとかリンカーコアへの干渉を遮断しようとするものの、恐らくはロストロギア級の書なのだろう。ネギの施す防御壁などあっさりと蹴散らされてしまう。

 

 ……このままだと

 

 脳裏に過る闇の魔法の暴走。かつても経験したアレが、再び振りかかろうとしていた。しかも、その試練を乗り越えなければならないのはネギではなく、この肉体の元々の持ち主であるフィーだ。

 

 ……早すぎる

 

 遅かれ早かれ何時かは来るだろうと予測はしていたし、もしもの場合に備えてフィーにも話だけはしていた。だが、まさかこんな早くその時が訪れるとは、想像すらしていなかった。

 

 侵食が進行するのを承知で術式兵装を使用していれば、こうまで追い詰められることも無かっただろう。敵の狙いを読めなかったネギの判断ミス……と言うには酷だが、もはや事態は挽回不可能なところまで来てしまっている。後悔しても遅いのだ。

 

『ね、………ギっ……』

 

 精神世界から届く掠れたフィーの念話。

 

 全身を襲う不快感に抗い、それに返答しようとして、

 

『フィー、気を付け……』

 

『……ちょっとどいてね、お兄さん』

 

 遮られた。

 

 相棒の少女とよく似た、しかし決定的に異なる内側からの声だった。

 

「っ……!!」

 

 誰だ、なんて言葉すら発する間もない。

 

 強制的に人格の表から弾き出され、遠退いていく意識。ネギの視界は黒一色に染まった。

 

 

 

 

 

 

「シャマルッ!!」

 

 一瞬の出来事だった。

 

 ガラスの砕けるような硬質な音が響いたと思った次の瞬間には、シグナムの横に佇んでいた筈のシャマルが、身体をくの字に折り曲げて吹き飛んでいたのだ。

 

「……っ!?」

 

 ドス黒い魔力の煌めき。

 

 視界の端、樹林に衝突したシャマルの姿が薙ぎ倒れる樹木と砂塵の中へと消えていく。

 

 ……バカな、一体どうやって

 

 只でさえ支援特化の魔導師による強固な拘束を受けていたのだ。蒐集によりバインドを解除する力も奪われていた筈の赤毛の少女は、理論的に脱出不可能な筈だった。

 

 空回りする思考を無理矢理にでも抑え付け、愛剣のレヴァンティンを構える。

 

 俯き気味に、幽鬼の如く脱力したまま佇む少女は、シグナムの目前三メートルの位置から動いていない。後ろ髪を纏めていた紐が千切れたのか、赤毛の長髪がゆらゆらと蠢いている。

 

「……くっ」

 

 先程までの唸り声が嘘のように、不気味なまでの静けさを湛える少女。

 

 瘴気の如く噴き出す闇色の魔力光に、その場から微動だに出来ない。肌に突き刺さる不吉な気配。永い闘いの記憶が、シグナムに次の一手を躊躇させた。

 

 無防備を晒す少女へ、斬り込むべきか。

 

 先までとは異なる気配に、撤退するべきか。

 

 手汗に滑る柄を握り直し、一挙手一投足を見逃さぬよう少女を見据えて思考すること三秒。

 

 ベキバキリ、と骨の砕け、靭帯の裂けるような怪音が鼓膜を叩く。

 

 垂れる前髪の隙間からこちらを見つめ返す、色の反転した狂気の視線。

 

 息を呑む。

 

 少女の全身が痙攣を始める。明らかな異変がその小さな身に起きていることに、遅れながらもようやくシグナムは気付いた。

 

 両腕から体表を覆い尽くすように領土を広げる、蜷局を巻いた翼を思わせる紋様。解き放たれた長髪の隙間から、刺々しく曲がりくねった一対の角が悪魔の象徴の如く飛び出す。シャツや手甲の隙間から覗いていた透き通るようだった珠肌は、心なしか黒く染まっていた。手の爪は禍々しく伸び、足の爪も同様。尾てい骨の辺りからは、少女の身の丈ほどもある長大で刺々しい尾がジャージを突き破って生え出した。

 

 その姿、控えめに表現しても人とは言えぬ異容。ヒトガタの龍種とも見て取れる、完全な人外。

 

 目前で人が化物へと変貌する様をまざまざと見せ付けられたシグナムは、表面上こそ平静を保ってはいるものの、その内心は混乱の最中にあった。

 

 ……なんだ、コレは!?

 

 変身魔法の類いではない。なら一体、目の前の”少女だった”モノはなんなのだ。

 

 しかし、そんな混乱は永くは続かない。

 

 シグナムへと向き直った化け物は、

 

「ガァ■■■ァア■アア■■■■アアッ!!」

 

 咆哮と同時、途方もない殺気を浴びせかけてきたのだ。

 

「っ!!」

 

 鼓膜を揺るがす金切り声。

 

 全身を突き抜ける殺意の矛。

 

 心臓の弱いものならそれだけで心停止に陥るだろう狂気の烈風が巻き起こり、その小さな身体から噴出した膨大な魔力が大地を隆起させる。だが、その明確な敵意がシグナムの内心で渦巻いていた迷いを吹き飛ばした。

 

 ……奴は魔法生物の類いで、あの姿が第二形態なのだろう

 

「いや……」

 

 真実はどうでもいい。自分の成すべきことは、目の前の敵を倒してシャマルを救助、中断された蒐集を再開することだ。

 

「グルゥアアッ!!!!」

 

 化け物が隆起した大地を蹴り崩して踏み込んでくる。咄嗟に飛行魔法を発動し、同時に後方へ跳躍することで距離を稼ぐも、出鱈目な加速で少女は既に目と鼻の先。

 

 振りかぶられる拳に集中する莫大な魔力。身を捻れば薄皮一枚先を、死の剛風が突き抜ける。

 

 掠めた騎士甲冑が千切れ飛び、背後の樹木がダース単位で消し飛んだ。

 

 馬鹿馬鹿しいまでの剛腕。守りの上からでも直撃を受ければ胴に穴が開く。しかもそんな致死の拳打がコンマ一秒で十を超え、嵐の如く繰り出される。

 

「ガアァぁぁッぁあAAarアアあああAッ!!」

 

「ぬぅっ!!」

 

 正にヒトガタの暴風。

 

 少女は制御しきれぬ力の奔流によって、身体の至る所から鮮血を迸らせていた。しかし、肉体の痛みを感じていないのだろうか。そんなことは気にせず暴れ続ける。

 

 まともに受ければ一撃で死に至る拳打の嵐の中を身を反らし、鞘で、時には鎬でシグナムは受け流して凌いで見せる。

 

 周囲の樹木が余波の衝撃波だけで薙ぎ倒れ、もはや広大な針葉樹林帯の一角が焦土と化していた。

 

 ポニーテールに結わえた長髪が煽られ、元からボロボロだった甲冑は、もはや服の体をなさぬほど。拳を避けた暴風だけで千切れ、端から見れば痴態を晒す有り様だ。

 

 それでも、

 

「舐、め、るなっ!!」

 

 シグナムは慌てなかった。

 

 確かに、異形に変じてからの少女の力は、魔力・筋力共に桁違いに跳ね上がっている。それこそ人の限界など通り越してしまうほどだ。だがその技に、その瞳に、理知の色は見られない。

 

「ァアアアアアアアアアアッ!!!!」

 

 龍種の類いか、はたまた悪魔の如く伸びた禍々しい五本の爪。少女の右腕が振り上げられ、その一本一本に蒼白い煌めきが迸り、

 

 ……断罪の剣(エン■ス・エ■■クエ■ス)×五

 

 膨れ上がり、吠え猛る魔力が凝縮される。

 

 つい先程、シグナムが危険を感じた魔力の刃。対象を相転移させる恐るべき魔法剣だ。それが同時に五本。

 

「っ!!」

 

 振り下ろされる右腕。

 

 解放される魔法。

 

 爆発的に膨張した断罪の刃は、そのまま地平の彼方まで相転移の斬撃を伸ばし、五条の深い傷痕を針葉樹林の森に刻み付けた。

 

 視界を光が塗り潰し、極低温の爆風と魔力の余韻が大気を掻き乱す。

 

 しかし、

 

「暴走すれば勝てるほど、武は甘くない」

 

 その斬撃の延長線上に、シグナムの姿は無かった。

 

 少女の左の肩口から、鮮血が噴き出す。

 

「ガッ……」

 

 あんな見え透いた大技を受けてやるほど、シグナムの目は曇っていない。すり抜けるように剣を走らせ、少女の左体側へと身を逃していたのだ。

 

 肩口を狙った斬撃は、少女の肉を確かに断ち切っている。主の道を血で汚さぬために不殺を決意をした。しかし、そんな甘いことを言っていては、目前の存在は止められない。

 

 ……あるいは、殺してしまうかも知れんが

 

 血飛沫が地を濡らさぬ内に、振り抜いた片刃の剣を翻して右八双へ。

 

「そのポテンシャル……」

 

「ァアアアアアアアッ!!」

 

 振り向き様に振るわれる手刀。死神の鎌の如く禍々しい魔力に満ちた一閃の下へと、身を屈めることで潜り込む。

 

「正しく運用出来ていたなら、恐ろしかったぞ」

 

 シグナムの背後。無形の魔力が手刀によって刃と化し、雑草を刈り取るように易々と数十の大木が裂けて散る。余波だけで長髪が数本持っていかれ、髪を纏めるリボンが千切れてポニーテールが解けるも、そんなことは意識の外へ。

 

「ぉおおおおお!!!!」

 

 一足一刀の間合いへ踏み込む。

 

 無防備に身体の正面を曝け出し、コンマ数秒、少女の動きが不自然に停止した。

 

 化け物に変じ、限界を超えた魔力と筋力にものを言わせ、肉体へ蓄積するダメージを無視して暴れていたのだ。自分へ跳ね返ってくる反動を無視していれば、いずれ肉体が限界を迎えるのが道理なのだ。

 

 そして、その一瞬の隙をシグナムは見逃さなかった。

 

 先程までの尋常ではない武芸者の風格を醸し出していた少女の方が、シグナムにとっては恐ろしかった。如何に力はあれど、今の相手に積み上げてきた業は感じられない。出力任せに暴れる、ただの餓鬼だ。

 

 袈裟に一閃。

 

 鎖骨を、肋骨を切断し、肺を抉り、左脇腹を抜ける斬撃。

 

 戦乱の時代に慣れた手応えが伝わってくる。

 

 深く入った致命の一刀。袈裟懸けの軌跡に沿って鮮血が噴き出し、少女の口から血反吐が撒き散らされる。

 

「……くそっ」

 

 薄皮一枚先を行き来する生死の競り合い。加減する余裕など微塵もなかった。僅かばかりの後悔を胸に、シグナムは付着した血糊を払う。

 

 鮮血の弧が地面へ描かれるのと同時、少女の身体が崩れて膝をつく。

 

 致命傷だ。幾ばくもなく少女は息絶えるだろう。どれほど深く斬れば致命になるか、闇の書の守護騎士としての永い経験から嫌になるほど知っている。幾度となく凄惨な戦場を経験してきたシグナムにとって、その予想は確実なものだった。

 

 主の道を血で汚してしまった。その認識がシグナムの心を空虚に蝕み、注意力を鈍らせる。

 

 膝をついた少女の口角が、裂けんばかりにつり上がる。

 

 ……解放・雷の投擲(■クラーティ■ー・フ■ゴーリス)

 

「っ!!?」

 

 眉間に激痛。

 

 何が起きたのか理解するよりも先に、稲光を目にした肉体が脊髄反射で体を捌く。騎士甲冑を抜けて、衝撃が脳を揺さぶった。

 

 ……槍?

 

 歪む視界の端に雷で編まれた長大な投げ槍を確認するのも束の間、次の瞬間、更に迫る五本の雷槍にシグナムは気付いた。剣と鞘を駆使して軌道を逸らし、飛行魔法で空へと逃げる。

 

 眉間に刻まれた浅い裂傷から、鮮血がこぼれ落ちた。

 

 上空二十メートル程で滞空し、眼下に佇む化け物を見据える。頭を掠めた槍による軽度の脳震盪と、そして何より致命傷を与えた筈の相手に攻撃された驚きが、シグナムを混乱させる。

 

「馬鹿な……」

 

 幾度目の驚愕か。

 

 佇んだ少女の身体から袈裟斬りの致命傷が跡形もなく消えていたのだ。

 

 色の反転した眼球が、ギョロリとこちらを追い掛けてくる。嘲るような、歪なほどつり上がった不気味な嗤いが、シグナムの目に焼き付いた。

 

 

 

 

 

 

 世界が染まる。

 

 漆黒が広がる。

 

 黒のペンキをブチまけたような真っ黒が、精神世界を一瞬にして蝕んだ。

 

 そしてそんな光景を、

 

「これって…………」

 

 フィーは以前にも見たことがあった。

 

 少女の始まり。壊れた培養槽の中で漂う虚無の暗闇。そして、初めて闇の魔法を使用した際に、自身の闇と対峙したあの時。

 

 暗い。

 

 クライ。

 

 くらい。

 

 一寸先も見通せなぬ、透明な空の色。

 

「…………ネギ?」

 

 拳を構え、警戒をあらわにしながらフィーはそう呟いた。相棒の返事は、予想通り返ってこない。

 

 いったい何が起こったのだろう。

 

 フィーはつい先程の女騎士との戦闘を思い返した。ネギがシグナムと名乗った剣士を圧倒し、けれど隠れていた敵の仲間に不意打ちされて……自分はどうなったのだろうか。

 

「…………」

 

 時間感覚が曖昧になる暗黒の中で、ただでさえ苦手な光一つない暗闇の中で、それでも精神を落ち着けて思考する。

 

 思考停止は死んだも同然。自分の闇と戦ったあの時よりも、フィーは成長しているのだ。

 

「……暴走、したの?」

 

 何が起きたのかわからない。けれど今、フィーが置かれたこの状況を鑑みるに、それしか考えられなかった。闇の魔法が暴走しないよう、ネギと共に幾重もの対抗策を練っていた。しかし、どうやら想定外の事態が発生したらしい。

 

 ……だったらネギの師匠の偽者さんか、化け物っぽい相手が居るはず

 

 闇の魔法(マギア・エレベア)とは、全てを受け入れ呑み込む術法。此処に現れた敵対者を倒すことが試練に打ち勝つことではない、らしい。

 

 タネが割れてしまえば簡単なものだ。

 

「……ようは、受け入れればいいんでしょ」

 

 呟くと、それに背後から返事があった。

 

『そうはいかないんだよね~』

 

 毎日聞き慣れた、自分と瓜二つの声音。

 

 次の瞬間、闇が晴れた。視界に広がるのは広い石造りの空間。母を亡くしたあの、時の庭園最奥部の儀式の間。

 

 頭の中、精神世界ならばこの場所の再現は可能だろう……あまり良い趣味ではないが。

 

「……だれ?」

 

 顔をしかめ、半ば声の主を予想しながらも背後へ振り返る。

 

『わかってて聞いてるでしょ?』

 

 嘲るような響きを含んだ言葉。その声の主の姿に、

 

「…………」

 

 フィーは思わず声を失ってしまった。

 

 予想が外れた、と言うわけではない。予想通りの少女(じぶん)がそこには佇んでいた。

 

 しかし、

 

『ずいぶん久し振りだね、わたし』

 

 自分とは似て非なる姿をして。

 

 頭から生えた二本の角。鋭利な手足の爪。尾てい骨の辺りから突き出た長い尻尾。全体的に禍々しく、黒くて暗くて、まるで怪物のような有り様だった。

 

 アカとシロ、色の反転した眼球がこちらを視る。そして、口角をつり上げて、

 

『ああやっと、やっとこの時がきた』

 

 なんて、嬉しそうに嗤う。

 

 何故、嗤っているのか理解できず、フィーは化け物と化した自分を睨み付ける。

 

「……どういうこと? あんたは確かに、消えたはずでしょ」

 

 すると化け物は、馬鹿にしたように肩をすくめて見せる。

 

『はじめにいったよね? あなたはわたし。わたしはあなたの影。あなたが生きている限り、わたしは消えない。滅びない…………けど』

 

 禍々しく変貌した右手を見せびらかすように持ち上げて、

 

『何時までも影に甘んじてるのは馬鹿みたいじゃん? こうして力も手に入れたことだし、あなたとわたし、立ち位置も力量に準ずるべきだと思うんだよね』

 

「……は? え? ちょっと、それじゃ試練は!?」

 

『お兄さんも話す前に言ってたでしょ? これは僕の時の事例だ~って。だからさ……』

 

 抜き手が形作られた。

 

 彼我の距離は十メートル以上。予想外の事態の連続に驚きを隠せなかったフィーだったが、相手がそれこそ熟練の実力者でもない限り、不意を突かれても十分に対応できる自信があった。

 

 少なくとも、自分と同等程度の相手に易々と遅れはとらない。

 

 その、筈だった。

 

「……ぇ?」

 

 鳩尾に、灼熱が迸る。

 

 内臓を掻き混ぜられる激痛が、一瞬遅れてフィーの全身を痙攣させる。

 

『……死んでよ』

 

「ぁ、ぐ…………っ!?」

 

 いつの間にか、腹部を貫通する抜き手。

 

 喉を逆流する血反吐。

 

 正気が消し飛ぶような、気の狂ってしまいそうな痛みの奔流に焼かれる精神。

 

 化け物の抜き手に腹を貫かれ、フィーは死んだ。

 

 

 

 

 

 

 嘲笑うようにこちらを見上げる化け物。

 

 確実な致命傷から不可解な復活を遂げた怪異に、シグナムは手汗に滑る柄を握り直すことで心を切り替えた。

 

 思考をリセットする。

 

「…………」

 

 回復魔法の類いではない。いくら優れた治癒魔法の使い手でも、一瞬で致命傷を跡形もなく消すなど不可能だからだ。

 

 ならば何故、あの少女は死んでいないのか。

 

 ……愚問だな

 

 化け物と化した人外に、一般常識が当て嵌まる筈もない。シグナムはまだ心の何処かで眼下の少女を人間だと決めつけていたのだ。

 

「……あれは、人間ではない」

 

 そう考えれば理解出来た。

 

 秘境と呼ばれるような場所に棲む古龍や真竜、神獣の類い、管理外世界に生息する強靭な生命力を誇る魔獣の類い、精霊とも呼ばれる上位魔法生命体。

 

 あの化け物がヒトガタのそんな類いの生命体であると仮定すれば、致命傷からの再生も納得できる。

 

 そして、

 

「往くぞ」

 

 そんな類いの化け物すら、シグナムはこれまでに幾度となく屠って来た。

 

 愛剣をひっさげ、飛行魔法で虚空を駆ける。

 

「ガァアアアアッ!!!」

 

 翳した手のひらに集束し、猛り狂う魔力の奔流。

 

 ……解放・雷の暴風(ヨウィ■・テンペ■タース・フル■■エ■ス)

 

 シグナム目掛けて容赦なく解き放たれる魔法の猛威。どんな技法によるものか、たったの一行程で行使された砲撃魔法が距離を詰める彼女を呑み込まんと迫り来る。

 

「……っ」

 

 魔力の流動を読み、一拍先んじて迎撃を予見することで人一人を優に呑み込む雷を宿した砲撃の射線をギリギリで回避する。

 

 全身を包む騎士甲冑が、砲撃の周囲に吹き荒れる暴風に軋んだ。

 

 たまらず煽られる。

 

 体勢が揺らぎ、飛行魔法を制御してバランスを取り戻すコンマ数秒以下の一瞬の隙に、紅い髪の小さな悪魔は踏み込んできた。

 

「ルゥォオアアアア……ッ」

 

 ……解放

 

 解き放たれたのは、先程も目にした無数の魔力の矢。しかも今度は弾幕を張るのではない。膨大な量のそれらが渦巻き、振りかぶられた少女の右拳に集束していく。

 

 その姿、異形と化した化け物が銀河の輝きを握り潰すかの如く。

 

「チィィィッ」

 

 回避は不可能。先までの出力任せの動きと打って変わり、その踏み込みは何処か洗練された、肉食獣の躍動をシグナムに思わせた。

 

 致死の一打。直撃を受けずとも、ボロボロの騎士甲冑では掠めるだけ肉片にされるだろう。

 

 故に、先を取る。

 

「ェストォオオッ!!」

 

 ひっさげた剣を掬い上げるように走らせる。音より疾く銀の剣閃を虚空へ刻む。

 

 突き出された右拳がシグナムを蹂躙する一刹那前、手甲の裏側から右腕の肘関節部分を音もなく刃が切断する。

 

 化け物の腕があらぬ方向へ跳んで行く。

 

 収束していた魔力が暴発し、稲妻を迸らせて広範囲に渡って地表を焦がした。

 

 切断された断面から鮮血が噴き出し、爆発の衝撃波ですぐさま霧散。シグナムの鼻孔に鉄錆の臭いを張り付ける。

 

 しかし、

 

「ガァアアアアアアッ!!!!」

 

 化け物は怯まない。

 

 片腕が吹き飛んだことなど気にもせず、より一層激しい魔力を迸らせて、左拳が頭部目掛けて突き込まれる。

 

 振り上げた剣を引き戻して防御。刃に半ばまで食い込む拳。損傷など考慮せず、その上から強引に振り抜かれ、シグナムは小石の如く弾き飛ばされた。

 

 全身を貫く衝撃。

 

 歯を食い縛り、足から着地。数十メートルは地面を抉って体勢を立て直す。中空にとどまったままの化け物を睨み付ければ、既にその身体は元通りに修復されていた。

 

「……化け物め」

 

 思わず、そう吐き捨てる。

 

 四肢の欠損すら、ほんの数秒で完全回復しているのだ。信じがたい再生能力と言わざるを得ない。

 

 ……どう倒す

 

 答えの見えない難問に頭を悩ませること数秒。シグナムの思考は唐突に打ち切られた。

 

「ガァア■■アアアアア■アアアアア■アアアッ!!!!」

 

 焦土と化した樹林帯全域に響き渡るような咆哮と共に、桁外れの魔力圧がシグナムの身を軋ませたのだ。

 

 轟き渡る漆黒の雷。

 

 中空に佇む龍種の如きヒトガタが頭上へ手を翳した瞬間、黒雷を凝縮したような長大な槍が出現する。

 

「っ!!」

 

 ……アレは不味い

 

 一瞥した途端、背筋が凍りつく。

 

 直撃を受ければ死ぬ、どころの話ではない。肉片すら残らない。シグナムの肉体を構成するプログラムが完膚なきまでに破壊され、修復不可能に陥るかも知れない。そう思わせるほどの、圧倒的な脅威。

 

 ……広域殲滅魔法を集束させた、のか?

 

 五十メートル近く離れているにも関わらず、纏った障壁が高まる圧に火花を散らす。

 

 ……避けるしかない

 

 そんな当然の結論に至ったシグナムの耳に、

 

「クッ、カカ、カカカカカカカッ!!!!」

 

 なんて嘲笑うような嗤い声が届いた。

 

「…………ッ!!!!」

 

 何が可笑しいのか、その理由に気付き目を見開いた刹那、

 

 ……雷神槍・巨神ころし(ラ■ジ■■ウ・■ィタノ■■ノン)

 

 巨神殺しの槍が、投じられた。

 

 避けることは、

 

「ッッッ、レヴァンティンッ!!!!」

 

 出来ない。

 

 シグナムの背後、十数メートル程の場所にシャマルが倒れ伏していると気付いてしまったから。あの化け物はそこまで計算して、シグナムをこの場所まで殴り飛ばしたのだ。

 

 悪辣にして効率的な悪魔のような思考。だが、悪態をつく暇などない。

 

 カートリッジロード。

 

 機構が作動し、今ある残弾六発全てが装填され、空薬莢が弾き出される。

 

 全身が破裂してしまいそうな激痛を歯を食い縛り耐え凌ぎ、一時的に跳ね上がった魔力を総動員して堅固なシールドを展開する。

 

 視界全てを黒が蹂躙し、染め上げていく。

 

 ……死ぬ、のか

 

 自身に展開し得る最大強度の障壁。並みの砲撃、否、たとえSランクオーバーの砲撃魔法が直撃しようと凌ぎ切れると断言できる防御すらも、迫り来る黒雷の長槍を前にすれば、あまりにも薄っぺらな守りだった。

 

 ……いや、自業自得か

 

 自分は多くの命を刈り取ってきた。それがかつての主による命令であったとしても、実行したのは自分に他ならない。その因果がこうして巡り巡って牙を剥いたのだろうか。

 

 脳裏を駆け巡る、主との、仲間たちとの平穏な記憶。

 

「すみません、主はやて。約束を破ったばかりか」

 

 ……解放・千雷(キー■プレー■・)招来(ア■トラペーン・■■ドゥカム)

 

 霞む速度で飛来する槍が、そのカタチを崩す。

 

 超高密度に凝縮されていた漆黒の稲妻が、空駆ける龍の如く吠え猛り、何もかもを薙ぎ払わんと膨張する。

 

 ……黒龍雷迎(コク■■ウラ■ゴウ)

 

「帰れそうに……」

 

 顎を開いた、死の奔流。

 

 広範囲を蹂躙する戦術規模の大魔法を集束し、圧縮し、只でさえ高い殲滅力を更に増大させた、馬鹿げた魔導技巧。

 

 ……死んだ

 

 確信にも似た予測がシグナムの身体を脱力させ、膝を折らせる。

 

 呑み込まれ、肉の一片も残らず滅されるまでコンマ数秒。

 

 そして、

 

「お嬢ちゃんが意思無く人を殺めるなど、見るに耐えん」

 

 巌の如く野太い声が、荒れ狂う轟雷の中に芯を通すように響いた。

 

「…………なっ」

 

 白のワイシャツに黒のジーパン。青いエプロンに身を包んだ大柄の男だった。

 

 見知らぬ男の唐突な乱入。突然現れ、シグナムと黒龍の顎の間に割り込んだのだ。

 

 意味がわからない。どうやって現れた。死ぬつもりか。何者だ…………頭の中でそんな疑問が高速で浮かんでは消える。

 

 ゆらり、と脱力して拳を構える男。その全身から噴き出るのは、カートリッジで強化した今のシグナムに倍する強大な魔力。

 

 刹那、

 

 ……絶招、

 

 男の姿が掻き消えた。ほとんど同時、眼前まで迫る黒龍が破裂する。

 

 視界全てを埋め尽くす黒雷。轟音と稲妻、衝撃波が展開した障壁を叩く。何が起きたのか理解するのに、たっぷり十秒の間を要した。

 

「なにが……」

 

 呆然と呟く。

 

 焦土と化して煙を上げる大地。自分はまだ生きている。黒雷の奔流がシグナムを避けるように裂け、そこから放射状に無事な地面が広がっていたのだ。

 

 ……まさか、拳撃でアレを

 

 そして、化け物のいた中空を見上げると、そこには意識を失い男に抱き抱えられた少女の姿。

 

 気を失ったためか少女の姿が、悪魔じみた異形から人間のそれへと戻っていく。

 

「…………、ぁ、は、はあっ、はあ、はあ」

 

 そこまで見届け、シグナムは自分の呼吸が覚束なくなっていることに気付いた。確実な死が目と鼻の先まで迫り来ていたのだ。その緊張と重圧たるや、計り知れない。

 

 全身が鉛に変わってしまったように重い。

 

 立ち上がることさえ、ひどく億劫に感じた。

 

「…………去れ」

 

 そんなシグナムを見据え、一言だけ男は呟くと踵を返す。

 

 こちらに背を向け、歩き去って行く男。

 

 地面に剣を突き立て、それを支えに立ち上がる。だがそこまでだ。度重なる無茶のつけが押し寄せ、シグナムはそこから一歩も動くことが出来ない。

 

「……見逃された、のか」

 

 ぽつり、ぽつり、と地に弾ける空の涙。

 

 シャマルの結界が解け、戦塵が雨雲を呼んだのだろうか。最初の数滴を羽切に深々と雨が降り始める。

 

 戦闘の余波によって生じた火災が消し止められていく。

 

 薙ぎ倒れ、焼け焦げ、消し飛び、つい数十分前まで広大な森林だったそこは見る影もなく変貌していた。

 

 そんな雨空の下、

 

「…………」

 

 男の背中が見えなくなるまで、シグナムはそこに佇んでいた。

 

 

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