リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

32 / 57
第十二話

 

 

 

「うーん……」

 

「……?」

 

 時空管理局本局内に点在する休憩所のひとつ。幾つかの自販機と丸テーブルが設置されたその場所に、少年の唸るような声音が漂っていた。

 

 フェイトは小さく首を傾げると、腕を組み眉間にシワを寄せて考え込む少年ユーノ・スクライアの向かい側の席に腰を下ろす。

 

「どうかしたの、ユーノ?」

 

 悩みでもあるのだろうか。裁判の証人として法廷に立ってくれた友人の悩ましげな表情に、思わずフェイトはそう声をかけた。

 

 自販機で二つ購入したカフェオレの片割れを少年の手前に置く。

 

 フェイトの裁判が終了するまで、もうあと一週間とちょっと。嫌な顔ひとつせず、貸し一つだよ、と言って付き合ってくれた少年に心配事があるならば、出来るだけ力になってあげたかった。

 

「……おっと、ありがとう」

 

 紙コップが目の前に置かれて初めてフェイトの存在に気が付いたようだ。

 

 ユーノはカフェオレに口をつけ、一息吐いてから続ける。

 

「いや~、少しフィーのことでね」

 

 フィー。

 

 それは、フェイトにとって闇の縁から自分を救い出してくれた恩人の一人。母、プレシアに創られた自分の同類。フェイトとは違った道を往く、赤毛が綺麗で快活な妹の名前だ。

 

「ユーノはフィーと仲が良かったんだよね。それで、どうかしたの? なにか悪い知らせでも入ったとか……」

 

「そんなことはないんだけど…………フェイトには言ったっけ? 僕とフィーは、たまに古代遺跡とかに発掘しに行ってたんだ」

 

 急な話題転換に戸惑いつつも小さく頷いたフェイトの前に、ユーノは収納空間に潜めていたのだろうか、何処からともなく割れた茶碗、縦に真っ二つに裂けた箸やフォークにスプーンが並べられていく。

 

「これ、フィーと山分けした『MEOTO食器シリーズ』って言う遺失物なんだ。鋼鉄の十倍以上の硬度があるんだけど、昨日見てみたら何でかこんな有り様でさ」

 

「…………ぇえ~っと」

 

 話についていけず、目が点になるフェイト。そんな反応をどう受け取ったのか、ユーノは食器型の遺失物について語り始める。

 

「あ、フェイトは聞いたことない? そっかそっか、結構マイナーだしコレクターでもないとなかなか耳にしないよね。『MEOTOシリーズ』の歴史は古代ベルカの戦乱時代にまで遡るんだけど、それぞれ一対の食器の間で何らかの因果関係があるって噂があるんだ……」

 

「…………ぅん」

 

 濁流のごとく押し寄せるユーノの言葉を頭から遮断して、フェイトは天井を見上げた。

 

 ……どうしてるかな

 

 眩い照明の明かりをぼんやりと見上げる。

 

 今頃、彼女は何処で何をしているだろうか。元気に次元の海を旅しているのだろうか。

 

 脳裏にちらついた赤毛娘の姿に思わず笑みを浮かべ、フェイトはカフェオレの注がれた紙コップに口をつけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 オーナーズ・カフェに借りた一室に、ネギとその相棒であるフィーの姿はあった。

 

 ベッドの上で荒い呼吸を続ける少女の頭に、氷水で絞った手拭いをのせる。

「…………フィー」

 

 そんな、思わず呟いたネギの言葉に返事はない。

 

 ベッドの脇の椅子に腰掛けて手を握る。精霊で編んだ仮初めの肉体に、四十度近い少女の高熱が感じ取れた。

 

 聞こえてなどいないと分かりきっていながらも、それでもネギは励ますように言葉を投げ掛ける。

 

「オーナーさんはしばらく泊まってもいいって、言ってくれたよ。大丈夫。フィーが目を覚ますまで、僕がなんとか保たせるから」

 

 ネギが意識を取り戻した時には、既に襲撃者の姿は何処にもなかった。ベッドに寝かされたフィーと、その看病をしてくれていたワン・オーナーと対面し、なんとか説得することで、二人はオーナーズ・カフェの一室に泊めてもらうことになったのだ。

 

 滝のように噴き出す汗。熱病じみた体温の上昇。普段の快活な少女の姿は見る影もない。あの騎士達の襲撃から既に一夜明け、少女が意識を失ってからもうすぐ丸々一日が経過しようとしていた。

 

「……くそっ」

 

 見ていることしか出来ない自分に言い様のない苛立ちを感じ、そう吐き捨てる。

 

 おそらく少女の精神世界では、何らかの試練が繰り広げられている筈だった。生きるか死ぬか、ひとつ間違えば命に関わる重大な試練が。しかし、そんな相棒の人生にとって重要な岐路に、ネギは手助けすることが出来ないのだ。

 

「…………っ」

 

 ……フィーが囚われている幻想空間(ファンタズマゴリア)は僕の行ける領域にない。下手に手を出せば、魂の均衡が崩れてしまうかも知れない

 

 一つの身体に魂は一つ、というのが原則だ。それがどんなロストロギアによるものか、フィーとネギの魂は互いに混じり合いながらも明確に意識を区切ることが出来ている。下手にフィーの領域へ干渉してしまうと、その境界が曖昧になってしまう恐れがあるのだ。最悪の場合、精神崩壊、或いは生きた年月の浅いフィーの魂がネギに呑み込まれてしまうだろう。

 

 今の自分に出来ることは、こうして少女の肉体が衰弱してしまわないよう看病し、自力で試練に打ち勝ってくれることを祈るだけだ。

 

「信じてるからね…………相棒」

 

 果たして目覚めるのか。目覚めたとして、フィーはフィーとしての意識を保っているのだろうか。ネギには、信じて待つことしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 血の雨が、時の庭園を赤黒く染める。

 

 度重なる戦闘につぐ戦闘。激しい戦いの余波が、広大な庭園の敷地に建造された古城を、瓦礫の山へと変貌させていた。

 

 繰り出された四肢による絶技が、解き放たれた魔法の奔流が、瞬く間に命を断ち消し飛ばす死線の牢獄。

 

 拳を握り締める。前腕を覆う鈍色の手甲に白銀の魔力が凝縮される。容易く人を殺める暴威をその手に、フィーは化け物と化した自身の影へと踏み込んだ。

 

「ぁぁああああああッ!!」

 

 十メートル。間合いの外で、拳を突き出した。

 

 腹の底から振り絞るような気合いと共に解き放たれるのは速射砲撃。ほぼノータイムで放ったそれは、瞬く間に化け物へと光の柱を伸ばす。

 

 迫る魔法の猛威を前に、しかし、化け物はまる無駄だと言わんばかりに泰然と佇むだけ。

 

 白銀の奔流が、悪魔の如き様相の少女を貫いた。

 

 確実に砲撃は化け物の身体を呑み込んだ。だが、この数時間、数十、数百時間といいように殺され続けたフィーだ。気を抜ける筈もない。

 

 精神をこれ以上ないほど研ぎ澄ませる。

 

 案の定、視線の先で化け物の姿が煙の如く掻き消えた。

 

 ……デコイ!?

 

 ぞわり、と粟立つうなじの感覚。

 

「うしぃろぉおおおおおおっっっ!!!!」

 

 転身すると同時に左の裏拳を走らせて、

 

『ざ~んねん』

 

「っっっ!!?」

 

 その肩口から先が、血飛沫と共に千切れ飛んだ。

 

 鋭く変貌した爪によって切断されたのだ、と神経を駆け巡る激痛を無視して思考が追い付き、

 

「、ぁああああっ!!!!」

 

 構わず右拳を化け物の頬へと叩き込んだ。

 

 全身が軋む。

 

 限界はすぐ目の前まで迫っている。

 

 思考とは裏腹に、腕を切断された肉体が横隔膜を痙攣させ、呼吸を乱して狂わせる。

 

 が、それら全て考慮する必要なし。当たり前のように限界を無視して、フィーは突き進む。

 

「ぁぁぁあああああああああああああああおおあああああああああああッッッ!!」

 

 少女にとって、いつの間にか痛覚は身体の状態を指し示す情報の一つに成り果てていた。そう出来なければあっという間に発狂し、正気を失う地獄だったのだ。

 

 ……わたしがほんとに正気か、怪しいとこだけど

 

 ぽつり、と脳裏に浮かぶ言葉。或いは、既に自分は狂っているのかも知れない。

 

 ……どうでもいい。むしろ好都合

 

 頭に浮かんだ思考は、猛り狂う戦いと殺戮の気配に呑まれて消え失せた。

 

 全身が砕けてしまいそうな出力で施される、身体強化。

 

 拳が、肘が、脚が、膝が、千切れ飛んだ左腕の肩口すら構わず叩き付け、狂気すら感じさせる連撃が化け物を襲う。

 

 切り刻まれたピンクのジャージは、鮮血によって紅く彩られている。

 

 拳が肉を叩き、脚が弧を描く。その度に撒き散らされる衝撃波に赤が混じり、周囲の瓦礫を真っ赤に染める。

 

 それはまるで、儚い生命を燃焼させながら死へと全力疾走するが如き様。

 

「らぁぁぁああああああああッッッ!!!!」

 

『おぉっとと。まだわからないかな~、無駄だってば』

 

 防戦一方の化け物。だがしかし、フィーには全くと言ってよいほど手応えが感じられなかった。まるで相棒のように、いや、まさに相棒その物の拳法の術理をもってフィーの攻撃が捌かれているのだ。

 

 化け物と化した自分の影はネギの体術や魔法すらも操っていた。闇の魔法である術式兵装こそ、使わないのか、はたまた使えないのか用いてこないものの、近中遠距離のすべてにおいて、フィーは圧倒されていた。

 

 勝ち目が見えない。

 

 一撃すら有効打が入れられない。

 

 圧倒的な力の差に蹂躙され、時には拷問のような激痛に苛まれ、一体何度殺されただろう。

 

 精神が磨耗していくのが嫌になるほど感じられた。この精神が死んだ時、自分は自分の影に呑み込まれてしまうのだろう。

 

 ……それでもっ

 

 フィーは思う。

 

 たとえ相手がどれだけ強く、どれだけ圧倒的であろうとも、一方的に殺られるのだけは我慢ならない、と。しかも敵は自分自身。相棒の力を借りて自分に取って代わろうとする卑怯者に、業火の如き苛立ちを少女は感じていた。

 

 全身が燃えるように熱かった。

 

「ちぃぃぃぃぃいいいッ!!」

 

 鋭い呼気と同時、フィーの右拳が霞む。

 

 破裂音が周囲の大気を引き裂く刹那、地を蹴り、後方へ跳躍することで化け物は拳を回避する。容易に捌かれていた今までの攻撃とは一線を画する神速の打撃。

 

 十メートルの距離を置いて佇んだその左頬には、一筋の裂傷が刻まれていた。

 

『っ!? ……へぇ~』

 

 目を見開いて驚きを露にする化け物。その頬を赤い滴が伝っていく。

 

 一の実戦は百の鍛練に勝る。度重なる死の経験、無数の死線と言う極限状態が、フィーの実力を一段階上の階層へと押し上げた。

 

 瞬動術では足に集中させる魔力を身体全身の関節要所要所に活用。百分の一秒単位の誤差も、筋繊維一本の無駄も無く全身運動で拳を加速した結果、少女の拳は音を遥か後方へ抜き去り、刹那の内に極音速に達したのだ。

 

 必殺の念を込めた一撃は、ほんの小さな裂傷を刻んだだけに終わってしまった。その傷も化け物の自然治癒力によって数秒もしない内に消えてしまう。

 

 だがそれでも、どんなに小さな傷だとしても、

 

 ……やっと一撃、入れてやったよ

 

 拳が届かぬ敵ではないのだと、フィーは痛む身体を無理矢理動かし、右手で化け物を誘うように挑発してみせる。

 

『……ちっ、たかが一発まぐれで掠めさせただけで、なに笑ってんの?』

 

「まぐれかどうか、確かめてみなよ」

 

 禍々しい爪を生やした指が、巌の如く拳を握る。

 

 意識の隙間を縫うようなネギの動きを再現し、十メートルの距離を無視して化け物が目の前に踏み込んでいた。

 

 が、その動きに、フィーは今まで蓄積した情報と恐るべき戦闘勘でもって反応する。

 

 既に突き出されている右拳。正面から顔を砕きに来たその初撃を、右腕で叩くように弾き捌く。

 

 二撃目。顎先を真下から叩き上げる高速の昇打を、拳を捌いた反動で右掌を翻して受け流す。

 

 続く三撃目。昇打の体勢から流れに逆らわず、化け物が転身。少女の身の丈ほどの尻尾が薙ぎ払われ、身を屈めることでその下を潜る。

 

 そして四撃目。尻尾がフィーの頭上を抜けた百分の数秒差で迫る右後ろ回し蹴りを屈みながら転がることで回避する。

 

 対応できたのは、そこまでだった。

 

 転がり起きた瞬間、機関銃の連射を思わせる鋭い拳打の嵐にフィーは呑み込まれてしまったのだ。

 

「ぐくぬぅううああああッ!!」

 

 一撃毎が途方もない重撃。必死に右腕を閃かせて拳の嵐を受け流そうと試みるも、受ける度に爆発じみた衝撃が身体を貫通し、体勢が崩されてしまう。

 

 耐えきれない。

 

 そんな思考が過ったのと同時、残った右腕の肘関節が異音を奏でて砕け散る。拳撃の重さに案の定、肉体が耐えきれなかったのだ。

 

 防御していた右腕すらへし折られ、死に体の胴をさらけ出すフィーに、一切の慈悲無く抜き手の凶刃が迸る。

 

 ざくり、と肉を抉られる湿った音。

 

 内臓を爪で切り刻まれ、とどめに喉を掻き切られて、フィーの意識は漂白された。

 

 …………

 

 ……

 

 …

 

 全身を支配する怠さ。

 

 凄惨極る死の記憶がフラッシュバックして、絶叫しそうになるまだ正気な心の何処か。

 

 それら全てを喰らい尽し、フィーは再び立ち上がった。視界に飛び込んでくるのは血のように紅く染まった世界と瓦礫の山、そして呆れたように息を吐く自分の影。

 

『……あなた正気なの? 実はもう狂ってるでしょ?』

 

 なんて問い掛けてくる化け物に対して、

 

「さぁ~ね……」

 

 首や肩をぐるりと回して調子を確かめる。

 

「だんだん愉しくなってきたかもね~」

 

 なんて、フィーは嘯いてみせた。

 

 ……わたし、もしかしてヘンタイさん?

 

 たった今嘯いた自分自身の言葉に、少女は内心で首をかしげた。その言葉が本当のことの様に思えてしまったからだ。

 

 数えるのも嫌になるほど殺された。心臓や目玉を抉られ、手足を潰され、魔法の雷撃に焼かれ、光の奔流に呑み込まれて……大方の惨殺パターンは全て網羅したと断言できるだろう。そんな、地獄のような幻想空間。精神の牢獄に閉じ込められていのだから、廃人になるのが普通だ。だと言うのに、

 

 ……愉しんじゃってるかも

 

 死線を一つ潜り抜ける度に、以前は出来なかったことが出来るようになる。

 

 全く反応できなかった拳が防げるようになった。

 

 意識の隙間を縫う踏み込みにも、徐々にではあるが反応できるようになってきた。

 

 そして遂には、傷一つ付けられなかった化け物に、一撃を掠めさせることが出来た。

 

 次はどこまで出来るのか。自分は何処までいけるのか。痛覚が肉体情報の一つに成り果ててしまったフィーに強く感じられるのは、高みへ駆け上がって行く快感のみだ。

 

 何時しか、少女は飢えに飢えた猫科の猛獣の如き笑みを浮かべるようになっていた。

 

『今ので百回目だよ? この眠ることも逃げることも許されない幻想空間(ファンタズマゴリア)で、わたしがあなたを殺したのは。だってのに、なんでそんなに愉しそうにしてられるの……』

 

「……はは」

 

 気のせいだろうか。それとも気が狂って幻覚でも見始めたのか。フィーは一瞬、目前の瓦礫の山に佇む化け物に、脂の滴る肉塊が重なって見えた気がした。

 

『魔法も大して扱えない出来損ないがなんで……』

 

「どうしたの? なんか最初より余裕が無くなった気がするけど?」

 

『……っ!』

 

 化け物が目を細めた瞬間、極上の獲物へ食らい付くが如く、フィーの身体は跳ねた。

 

 魔力集中の全身運用を手に入れたことにより、飛躍的に向上した魔力運用技術。衝撃の旋風を後に残し、フィーの身体は既に化け物の目前で回し蹴りを振り下ろしていた。

 

「ははっ!! あははははっ!!!!」

 

『っ、ちぃいい!?』

 

 爆音が生まれた。

 

 交差された両腕にフィーの蹴りが止められる。その周囲を破壊の衝撃が吹き荒れ、無数の瓦礫を吹き飛ばしていく。

 

 脚を弾かれ、お返しとばかりに迸る拳の弾幕。秒間にして十を、百を超えるそれら全てを防ぐことは、人間の反射神経では不可能だ。

 

 故に、予測する。

 

 自分の肉体を殺傷せしめる致命の気配を。拳よりも先に到達する殺意の形を。敵の視線や筋肉の動き、魔力の流れ、洞察力を酷使して読み切る。

 

 一手二手と打撃を捌き、三手四手と食らい付き、五手六手と業を交わし、七手八手と刹那を読み解く。

 

 拳撃の交差は瞬時に十手を超え、それら全てが刹那の内の出来事だ。

 

「かかっ、はっ、ああああああぁあぁぁあああはははははははッッッ!!!!」

 

 炸裂音と衝撃波が、破壊し尽くされた時の庭園に断続的に轟き渡る。

 

 拮抗。

 

 今までは対応し切れなかった化け物の連撃に、フィーは正面から打ち合えていた。

 

「らぁああああああッ!!」

 

『ッッッ!!!!』

 

 音速を凌駕した速度域の削り合い。

 

 ……此処だ

 

 身も心も磨り潰すようなせめぎ合いの最中、フィーは確信する。

 

 この刹那の読み合い、見切り合い。薄皮一枚先を死神の鎌が抜けていくこの場所こそが、かつて遭遇した強敵ゼスト・グランガイツや白髪の少女サーティ、そして相棒であるネギの立つ場所なのだ、と。

 

「ぉおおおおああああッッッ!!!」

 

『な……っ』

 

 急激な、それこそ化け物じみたフィーの成長に驚愕を隠しきれない影は、危機感を抱いたのだろう。後方へ跳躍することで瞬時に二十メートルの距離を取る。

 

『ちぃっ!!』

 

 舌打ちと共に放たれる魔法の奔流。巻き込まれれば死に至るだろう、千にも及ぶ魔法の射手(サギタ・マギカ)の弾幕。飛来するそれらに対してフィーは、

 

「つまんないことしないでっ……よぉおおおッ!!!!」

 

 渾身の力で足下の地面を蹴り抜いた。

 

 ズン、と地面が鳴動し、無数の瓦礫が散弾と化して吹き飛んで行く。轟音と炸裂音、爆音の洪水が鼓膜を揺さぶり、魔法の弾幕の到達が数秒ばかり遅延する。そして、フィーが化け物の背後へ回り込むのに、それだけあればお釣りが来る。

 

「ぉっらぉあああ!!」

 

『……ぐぅっ!?』

 

 瞬時に回り込んだ少女の拳が、その挙動を察知して振り向いた化け物の頬を捉えて吹き飛ばす。地面を抉って瓦礫を弾き、三十メートル程先に原型をとどめていた石柱へと激突。崩れ落ちる柱の粉塵に呑まれる。

 

 ……頼むよ、わたしの影

 

『ガアアアアッ!! な、め、る、ナァアアア■アアア■■ア■ア■■■■■■ッ!!!!』

 

 魔力の圧で粉塵を払い飛ばし、踏み込んでくる自身の影を見据えながら、フィーは凄絶な笑みを浮かべる。

 

「はっ、はははっ、あははははははははっ!!!!」

 

 重石から解き放たれたように、身も心も軽かった。

 

 何処へでも行ける。

 

 何処までも行ける。

 

 相手が誰であろうと負ける気がしない。ましてや自分の可能性を捨て、相棒の劣化品のように借り物の力を振るう自分自身になど。

 

 覚醒した天賦の才に、駆け上っていく悦楽に身を委ねて、

 

 ……頼むから、わたしが上りきるまで力尽きないでよね

 

 フィーは嗤った。

 

 どこか高い場所から堕ちる感覚。

 

 不思議な浮遊感と孤独感を覚えながらも、熱に浮かされたように闘争の狂気に酔った心は恐怖を感じない。

 

 加速しながら堕ちていく先に何が待つかなど、少女が知る由もない。

 

 フィーはただ、不思議な解放感に身を委ねて嗤い続けた。

 

 …

 

 ……

 

 …………

 

 影に貶されたように、少女の魔法の才能は優れているとは言い難かった。

 

 身体強化。魔力出力の割にはそこまでの威力を持たない短距離速射砲撃。大した硬さのないシールド。虚空で方向転換するための足場作成。同時展開は三発が限界で誘導性皆無の射撃魔法。必須であるバリアジャケットを除けば、実戦で使えるのはこの五つのみ。バインドもろくに扱えず、飛行魔法も儀式魔法も物には出来なかった。

 

 だがしかし、それはしょうがないことかも知れない。

 

 少女のオリジナルは魔法が使えなかったのだ。それと同じように調整された少女の身体には、異界の英雄が憑依するまで魔力など欠片もなかったのだ。

 

 むしろ、五つも実戦で扱えるだけ上等だろう。先天的に魔力を保有する者が、己の肉体を動かすのと同じ感覚で魔法を行使するのならば、少女にとって魔法を扱う感覚とは、背中に生えた空想の翼で空を羽ばたくに等しい。

 

 対魔導師戦。数多の魔法を扱う者と戦うには、少女は初めから部が悪かったのだ。

 

 だが、格闘戦だけは違う。己の肉体を魔力で強化するとは言え、実際に動くのは自分自身だ。その道において、少女は凄まじい才覚を眠らせていた。だからこそ、異界の英雄に師事したとは言え、短期間で違法賭博闘技場に並み居る強敵を打ち倒し得る力を手にすることが出来たのだ。

 

 神童と呼ぶに相応しい輝ける才。

 

 かつて違法賭博闘技場で少女と一戦交えた管理局員クイント・ナカジマが、いずれは地上の英雄ゼスト・グランガイツに並ぶ逸材と称した様に。ゼスト自身が、将来この身に届き得ると感じ取った様に。

 

 フィフティス・テスタロッサの武の才覚は、魔法の才の乏しさを鑑みても尚、測り得ないモノだった。

 

 故に、

 

『ご……ふぅ…………っ』

 

 その才の覚醒を促すが如く幾十幾百の死を経験させ、それに数倍する死線を潜り抜けさせた少女の影が、立場を逆転されることは必然だったのかも知れない。

 

 フィーの身体はボロボロだった。左目は潰れ、右腕は上腕部分が半ばまで抉れて垂れ下がり、自慢のピンクジャージは服の体を成していない。切り刻まれたその下には、生々しい傷跡を覗かせる肌が鮮血を噴き出し続けている。

 

 無傷の箇所など何処にもなかった。

 

 血の川が瓦礫を朱に染めている。だが、その赤色はフィーだけのものではない。

 

 死を経験すること百と八回。時間にすると優に三百時間を超える永い、永劫にも等しい戦いの末、少女の成長は遂に化け物を凌駕した。

 

 真っ直ぐ伸びた少女の左腕は、目前に棒立ちの化け物の胸の中央へ突き刺さり、脈動する心の臓を掴み取って背骨を粉砕。背中まで貫通していた。

 

「く、ふふっ、や~っと捉えた」

 

 頬まで裂けるような凄惨な笑みを浮かべて、血塗れの腕を引き抜く。

 

 滝のような赤が、化け物の胸から迸る。

 

 呆然と佇む化け物へ見せ付けるように、引き抜いた心臓を掲げ、

 

「さあ、早く再生してとっとと次に往こうよ。次はもっと圧倒的に殺れそうなんだよねぇ」

 

 握り潰した。

 

 肉片が水音を立てて赤い水溜まりに跳ねる。

 

 その音で我に返ったのか、化け物は一瞬目を大きくすると呆れたように呟いた。

 

『……まさか、相棒の力を使っておいて負けるとは、ね』

 

「はっ、相棒はそんなもんじゃないっての。いくら力だけ模倣しても、その力自体を振るうのがあんたじゃねぇ~」

 

『…………』

 

 挑発を投げ掛けてもピクリとも動かない化け物に、フィーは訝しげに首を傾げる。

 

『………ここまで、か』

 

 不意に、禍々しい姿から闇が払われ、化け物が元の少女の形に戻ってしまった。

 

「……は? ちょっと待ってよ? まさかこれで終わりじゃないでしょ!?」

 

『残念。あなたが覚醒する前に、精神を殺しきれなかったわたしの負け』

 

 砂の如く足元から粒子に変わり、掻き消えていく自身の影を止めようと左手を伸ばして、ようやくフィーは気が付いた。

 

『あとは……』

 

 自分の身体が、悪魔の如く変貌していることに。

 

「ぇ……ぁ…………ナニこれ?」

 

 醜く禍々しい左腕を右手で確かめてみれば、その右手すらも禍々しく変貌している。ボロボロだった肉体が全回復したのはいい。だが、その容貌が目前の自身の影と入れ代わったのはどういう訳か。

 

 混乱する頭に、ナニかが軋むような音が届いた。周囲を確かめれば、空間自体に亀裂が入り、今にも崩壊しそうな有り様だ。幻想空間が終わりを迎えようとしているのだ。

 

「ちょっと、なんなの!?」

 

『くくっ……』

 

 怒声を上げるフィーに反応せず、影は笑う。ざまあみろ、と嘲笑うように。

 

 ……あとは、堕ちていくだけだね

 

 影の肉体は掻き消え、残されたのはそんな不吉な捨て台詞だけ。

 

「こんな…………」

 

 ぽつり、と呟いた言葉は、崩壊していく世界の騒音に掻き消される。

 

 戦いの熱に浮かされていた頭に、氷水を掛けられた気分だ。フィーは、改めて自分の身体を確認して、背筋に走る怖気を抑えられなかった。

 

 自分が自分でなくなるような恐怖。

 

 嬉々として鮮血を滾らせながら殺し合い、素手で心臓を抉り出す。つい先程まで疑問にすら思わなかった自分の挙動が、明らかに狂気に染まっていた事に気が付いてしまう。

 

 いつの間にか、心まで化け物に変わったのではないか。そんな疑念が少女の胸の奥底に、汚泥のようにへばりつく。

 

「そんな筈は……」

 

 そんな筈はない。

 

 言葉に出せば簡単なそれが、最後まで言い切れない。

 

 何とか否定しようと首を振り、目を閉じる。

 

 抑えなければ崩れてしまいそうで、フィーは自分で自分の身体を、強く抱き締めていた。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。