リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第四話

 

 

 

 何処とも知れぬ、世界の何処か。

 

 無数のケーブルが血管の如く這い回り、数多の機器が駆動音を奏でる空間。

 

 闇に沈んだ室内。その中に、大きな円卓を囲むように三つのモニターは表示されていた。

 

『、次の重要案件ですが……』

 

 変声機によって改変された奇妙に音声が、闇に響く。

 

 声に合わせ、円卓の上に無数の空間ディスプレイが浮かび上がった。

 

『……闇の書か』

 

『そろそろ暴走が始まる時期ですかな』

 

 表示されたディスプレイには様々な……表の世界に流出したならば、暴動の一つや二つは確実に起こるだろう、非人道的なデータの数々。

 

 知りうる限りの、歴代の闇の書の主の詳細な情報。

 

 暴走する魔導書が、どのように世界を侵食していくか記録した情報。

 

 彼等が捕らえた主を、時空管理局に敵対的な勢力圏へ護送し、暴走した際に起きた『不幸な事故』に関する情報。

 

 暴走した際にどれ程の被害を出すかを予測した情報。

 

 時空管理局のネットワーク上に散らばる、闇の書事件に関わるだろう人物のプライベート情報。

 

 それらの情報が、半透明のディスプレイの形を取って三人の評議会メンバーのモニターの前を漂う。

 

『問題はあるまい。手は打ってある』

 

『と、言いますと?』

 

『特務零課を動かした。魔拳、そして欲望が既に現地へ向かっている』

 

『魔拳に、欲望ですかな。議長、それは些か過剰なのでは?』

 

『書記よ。確かにその通りだが、如何に魔拳と言えど、暴走した闇の書を単体で対処は出来まい。奴の底は未だに掴めてはおらんが……仮に捕獲に失敗しようとも、欲望が船の中枢を乗っ取る』

 

『そうして、周辺の管理世界の平和が保たれる訳ですか。管理外世界に住む一部の住人には悪いですが、管理世界と管理外世界、天秤に掛けるまでもありません』

 

『言い方が悪いぞ、評議員よ。起こるのは不幸な事故だ。魔導砲の暴走と言うな。我々にコントロール出来ない力は、世界の秩序を乱す源。最善は闇の書の破壊ではなく、暴走のコントロールだ』

 

『無論、分かっていますとも』

 

 言葉と共に新たに表示されたディスプレイには、幾つかの世界座標とその映像が映し出されている。

 

 管理局の支配に否定的な管理外世界の一部紛争地域。

 

 次元世界に流通する違法ドラッグ、様々な利権に守られ合法的に手の出せない栽培地。

 

 巨大犯罪組織が根城にする管理世界の一部地域。

 

『捕獲した主の護送予定地は、……これらが妥当です』

 

『ふむ……平和と繁栄の為には、犠牲は付き物ですな。我々、天秤の測り手が決断しなければ』

 

『うむ。この案件が成功した暁には、より一層、時空管理局の支配は磐石のものとなるだろう。だが、まずは主の捕獲が成らねばな』

 

『ですな。では、この件は一先ず保留として次の案件へ……』

 

 次元世界の、時空管理局の、恒常的平和と繁栄の為に世界の裏側の奥底で蠢く者達。

 

 彼等こそ、旧暦の時代に次元世界を平定し、時空管理局設立を成し遂げた三人。

 

 議長、書記、評議員。

 

 こうして、天秤の針は人知れず傾けられる。

 

 

 

 

 

 

 ……それは、遠い日の光景

 

 歩けど歩けど続く亡骸、一面の焼け野原。

 

 小河の縁に敷き詰められたのは、岩ではなく誰かの髑髏。風に運ばれ吹き荒れる死臭は、遍く世界を覆っていた。

 

 争いの絶えぬ時代。

 

 未だ人の手には兵器と呼べる程の道具も無く、互いの手で互いを殺める、明日無き日々。

 

 弱いものが強いものに虐殺されるのは世の常だ。

 

 弱肉強食、等と言う言葉が生まれる以前から在る世界の理。

 

 強き者にとっては、過しやすいだろう。だが、その他大勢に取っては、蹂躙されるのをただ待ち続ける事しか出来ぬ地獄だ。そんなことが罷り通る不完全な世界など、認められる訳が無い。

 

 争いが起こると聞けば、その地に赴いた。

 

 搾取する国家への反乱だと民草は武器を手に取り、人が死ぬ。

 

 民の暴動だと国家が鎮圧に動き、人が死ぬ。

 

 理由など無く、ただ相手が気に食わないと戦が始まり、人が死ぬ。

 

 貧困に喘ぎ、食物を求めて戦が始まり、人が死ぬ。

 

 死ぬ。

 

 死ぬ。

 

 死ぬ。

 

 間に合ったこともあり、間に合わなかったこともある。どちらにせよ結果は変わらない。残されるのは屍の山でしかない。

 

 どうしようもなく、人は死ぬ。

 

 嗚咽を、憤怒を、無意な嘆きを遺して死に往く者がいた。

 

 飢えに苦しみ、それでも誰も憎まず死ぬ者がいた。

 

 我が子のために全てを投げ棄て、泣きながら死ぬ者がいた。

 

 積み重ねた善行も、犯し続けた悪行も、何もかも関係なく理不尽なまでに、人は死ぬ。

 

 それでも、彼等を救おうと世界を歩いた。

 

 何処かに必ず在るはずだ、と。

 

 神の創造した完全なる世界には、全ての嘆きに散り逝く魂を満たす、完全なる解が存在する筈だ、と。

 

 そうして探し続けた末に目にしたモノは、果てしない絶望だった。

 

 全てを満たす解など、何処にも存在しなかった。

 

 絶望の帳は下り、世界を覆う。

 

 人間でしかない己には、人間を救うことなど出来はしなかった。そして天上の神々は、下界の些事に干渉などしようとしない。

 

 ……ならば、私が完全なる世界を造り出そう

 

 ヒトでは人間に救いを齎せぬと言うならば、ヒトを超えよう。

 

 完全なる解が存在しないと言うならば、次善解を己が示そう。

 

 そうして、悠久の道程を、”それ”は歩み始めた。

 

 幾千の年月を越え、幾万の試行錯誤の上に完成した術式は、星そのものに異界を重ね、広大な実験場として機能した。

 

 しかし、それでも絶望は続いた。

 

 魔法の溢れる世界を造り出そうとも、そこに根付いた生物達は人間と同じように殺し合いを始めた。

 

 幾星霜と続く絶望の帳。

 

 結局、人間は前へと進むことしか出来ない。その先に破滅が待ち受けていようとも、止まることなど出来ないのだ。

 

 ヒトを超えた己の人間性は、徐々に薄れていく。

 

 自身の名も、

 

 自身の性も、

 

 自身の欲も、

 

 もはや全てが曖昧な泡沫のなか。

 

 絶望に涙した心は何時しか無感へ達し、然れど、人類救済を遂げる目標だけは己の裡に色褪せること無く残っていた。

 

 聴こえるのだ。

 

 絶望に打ち砕かれ、今なお苦しみ続ける遍く弱者の怨嗟の声が。

 

 ヒトを救う。

 

 人間は度し難い。

 

 ヒトを救う。

 

 人間とは身を捨ててまで救うに足るものか。

 

 ヒトを救う。

 

 ヒトを救う。

 

『人間をなめんじゃねぇ』

 

 武の英雄に未来を造ることなど出来ぬ。

 

『貴方のそれは、救済なんかじゃない』

 

 如何に知を巡らせ、言を労そうとも、世界の理を根底から覆すことは叶わない。

 

 親子二代に渡る彼等の抵抗は、確かに多くの民を救ったのだろう。そして、それに倍する弱き者達を死へ追いやったのだろう。

 

 秘術によって穿たれた時空間の孔。観測できぬ特異点へと堕とされ、肉体は原子の粒にまで分解された。然れど、ヒトを超えたこの身の根源にまでは届かない。

 

 そうして、行き着いた平行次元の異界。

 

 それでも、成すべきことに変わりはない。

 

 ヒトを救う。

 

 己の裡に響き続ける憎悪と怨恨の声音。色褪せぬ願望がこの身に有る限り、不滅の存在として己は在り続けるだろう。

 

 そして、全ての魂を満たした時。ようやく私は……

 

 …………

 

 ……

 

 ごう、と一際強く頬を撫でる冷たい風に彼、或いは彼女は目覚めた。

 

 遮られることの無い星々の煌めきがその身を照らす、雲海の更に上空。夜闇の中にあって尚、輝かんばかりの人々の営みを眼下に眺め、始まりの魔法使い……かつてはヨルダ・バオトとも呼ばれていた存在は、風に靡く長い黒衣を翻した。

 

 少し、微睡んでいたようだ。

 

「……私が夢を見るとはな」

 

 顔を覆ったフードが外れ、隠れていた女性の素顔が露になる。

 

 プレシア・テスタロッサ。悠久の時を過ごした魔法使いが宿る、仮初めの肉体。本来の彼女の意識は奥底に微睡んだままだ。

 

「夢を見るなど、何百年振りか。いや、自らの願望を目の当たりにしたのは初めてだろうか」

 

 虚空に向かい、魔法使いは呟いた。

 

 最早、存在自体が一種の現象に近い己が微睡んだ事すら、驚きであった。まだ、自分に夢を目指す青々とした心が残っていたのだな、と。

 

「…………ふむ」

 

 懐から取り出した望遠鏡で眼下の闇夜を見通し、一人の少女が人形と共に暮らす住宅を覗き込む。

 

 望遠鏡など必要ないが、これもまた風情である。遥か上空一万メートル程から幼い少女の生活を監視する姿は、見ようによっては変質者のそれだ。だが、そんな事実すら彼/彼女にとっては、

 

「風情だな」

 

 なんて一言で済んでしまうのだ。

 

 今更、人間らしい欲も無い。

 

 魔法使いは、ただその時を待っていた。

 

 闇の書、と呼ばれる魔導書が真の姿を現す瞬間を。悠久の時を旅しただろう叡智の集大成が、一人の少女に託される瞬間を。

 

 虚数空間からの脱出を果たした魔法使いにとって、彼の魔導書の存在は正に渡りに船と言えた。

 

 その最奥に封じられた存在を手に出来たならば、天体の位置や聖地の魔力溜りを利用すること無く、自身の願望を成就させることが可能となるからだ。

 

 そしてそれは、人類救済の手をこの地球だけではなく、全次元世界にまで伸ばすことが可能、と言うことでもある。

 

 プレシアの知識から数多の次元世界の存在を知った彼/彼女にとって、知ってしまったからには数多の世界、そこに住まう膨大な数の魂全てを満たさなければならない。計画の短縮は、一人でも多くの人間を救うために必要不可欠だったのだ。

 

「……」

 

 夜空へ伸びる、四色の魔力の光。

 

 主が眠りに着き、行動を始める哀れな人形達を無言で見送り、魔法使いは淡々とその時を待つのだった。

 

 

 

 

 

 

 十二月の初め。

 

 クリスマスや年末で慌ただしい師走の、ある日の夕暮れ時の事。喫茶店『翠屋』のマスター、高町士郎は本日の営業を終えようと後片付けに勤しんでいた。

 

 命など脅かされない、血生臭さなど何処にも無い、ごく普通の生活。

 

 今日もまた、何事もなく一日が終わる。

 

 そんな、当たり前の幸福。

 

 当たり前の幸福が、当たり前ではない世界に生きていた男は、そんな幸せを噛み締めて、

 

「こんな街中で剣士とは、面白いアルネ」

 

 声がした。

 

 女の声。

 

 入口の扉から客が入店した気配など無かった。にも関わらず、背後から掛けられた、妙な訛りを有した声音。

 

 唐突に脳裏を駆け巡ったそれは、直感ですらなかった。

 

 全身の細胞が粟立つような感覚。

 

「ッ!?」

 

 反射的に手元にあったキッチンナイフを握り、振り向く動作に合わせて全身全霊でもって振り抜く。

 

 御神流と言う剣術に精通し、引退したとは言えかつては世界を股に掛けるボディーガードを生業としていた高町士郎が握れば、例え木の枝とて凶器に変わる。故に、たかだかキッチンナイフとて、彼にかかれば人を殺めるに十分以上の代物と化す。

 

 ただ声を掛けられた程度で何故、そんな凶器を一閃させたか。

 

 理由は至極単純だ。直ぐ背後に、異常なほど強大な殺気が生まれたから。殺らなければ、殺られる。一瞬でも躊躇えば、自分の肉体が挽き肉になる光景すら脳裏に過る。故に、士郎は今の自分に出し得る全力の斬撃を、背後の何者かへ解き放ったのだ。

 

 空気を裂く鋭い風切り音。

 

 虚を突く完璧なタイミング。腰の回転が生み出す遠心力。床を踏み締める靴底から捻出した無色の力をあらゆる技法でもって増幅し、累乗した上で切っ先へと込める。

 

 鉄すらも両断しかねない、鋭利極まる斬撃が、

 

「な……っ」

 

 ピタリ、と音もなく停止した。

 

「素晴らしい。が、素晴らしい故に、その程度カ」

 

 目を見張る。

 

 黒い立襟の民族衣装に身を包んだ褐色の女に。全霊の剣撃がその女の人差し指の腹、何の守りも無い素手を傷付ける事すら叶わなかった事に。

 

 心臓が早鐘の如く鼓動を早め、意識が遠退きかける。

 

 ……なんだ、コレは

 

 そこに立っていたのは、人の形をした『ナニカ』だった。あえて言葉にするならば、孔だろうか。ブラックホールの如く、ありとあらゆるものを呑み込んで消し去る恐怖の具現。

 

 目の前の空間がぽっかりと闇に呑み込まれたかのように錯覚する。

 

 虚無だ。

 

 その広がる虚無に、斬撃の威力が全て吸収されてしまったかのよう。そんな非現実を、内心ですぐさま否定した。

 

 指先にナイフの刃が接した瞬間、斬撃に込められていた全ての運動を散らされ、結果として指の皮一枚も破けない程に弱められてしまったのだ。……それを実現するのにどれ程隔絶的な技量が必要なのか、想像することさえ士郎には難しいが。

 

「全盛期のお前なら、私の糧にしてもよかったガ……」

 

 刃から指を離し、ぷらぷらと手を振るって背を向ける女。

 

「ま、喫茶店のマスターにしては、退屈しのぎになったアル。縁があればその内、殺り合うネ」

 

「……」

 

 その背中に、士郎は返事を返すことすら出来ない。

 

 扉を通り、街並みへ消えていく女の姿。

 

 生き延びた。そんな安堵に胸を撫で下ろす。強烈な精神的、肉体的緊張によって疲労した身体が勝手に膝を折り、思わず片膝立ちになる。

 

「……なんだったんだ、一体」

 

 そう、掠れた声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 なのはやフェイト、ついでにアルフが傷付いた襲撃事件から早五日間が過ぎた十二月七日。

 

 閑散としたホールの隅に、クロノの溜め息が漂う。

 

「ふぅ……疲れが溜まっている、と言うことか」

 

 なんて呟き、時空管理局本局内部にある巨大なデータベース、無限書庫の一般解放区画にて待ち人を待つ暫しの間、クロノはこの五日間に起こった出来事をぼんやりと思い返した。

 

 アースラが担当することになった闇の書事件。捜索拠点として地球に本部を置いたものの、遅々として解決に向かわない闇の書の騎士(ヴォルケンリッター)による魔力蒐集被害。

 

 破損した少女達のデバイス、レイジングハートとバルディッシュによるカートリッジシステムの導入によって、騎士達と渡り合えてはいるものの、逮捕出来るほど追い詰めることは出来ていなかった。

 

 数日でリンカーコアが回復したなのは達の治癒力には驚かされたものの、騎士達を捕まえるにはまだ足りないのだ。それに、仮に騎士をどうにか出来たところで、闇の書の主を捕まえないことには、暴走の危険は無くならない。

 

 情報収集に、騎士との戦闘。

 

 義務教育機関へ向かうなのは、そして同じ小学校へと編入したフェイトと違い、ほとんど休息も挟まずに稼働し続けたクロノの肉体が、そろそろ疲労を訴え始めていた。

 

「…………焦っても仕方ない。そんなこと、分かってはいるんだが」

 

 エントランスホールに設けられたソファーに身を沈め、高い天井で等間隔に輝くライトを見上げて呟く。

 

 とりとめの無い思考に身を委ねてどれ程の時間が過ぎただろう。約束の時間ちょうどに、待ち人は姿を現した。

 

「や、お待たせ、クロノ」

 

「やっと来たか」

 

 外套のようなスクライアの民族衣装。相変わらずの服装に身を包んだ少年、ユーノの言葉に頷く。クロノはソファーから腰を上げて、少年が連れてきた同じく民族衣装を着込む若い女性に目を向けた。

 

 協力者を迎えに次元港へ向かったユーノが連れているのだ。つまり彼女こそ、スクライア一族から派遣された頼もしいトレジャーハンター、と言う事なのだろう。

 

「そちらが協力者の……」

 

「そう。こちら、僕が小さい頃からお世話になってる宿屋の女将、カノンさん。普段は少し独特な感じだけど、発掘の腕は確かだよ。僕の師匠の一人だ」

 

 視線の先、腰まで届く焦げ茶のポニーテールをゆるやかに揺らし、十代後半から二十代前半程の女性が柔和な笑みを浮かべて頭を下げる。

 

「うふふ、どうも。ゆー……、こほん、ユーノ君のご紹介に預かりました。カノン・O・スクライアと申します~」

 

 そんな女性、カノンの挨拶を聞き、クロノの脳裏に不意に『天然ボケと鋭い突っ込みを兼ね備えた癒し系美人』、なんて少しばかり失礼な文面が浮かんだが、きっと疲れている為だろう。

 

「……こちらこそ、今回は情報発掘のご協力、ありがとうございます」

 

「いえいえ~、なんと言っても可愛いユーノ君の頼みですもの。それに、有名な無限書庫に入れると聞いたら、スクライア一族の誰でも飛びついちゃいますよ~」

 

 間延びした妙な口調に苦笑しながらも、クロノはエントランスホールの一画に設けられた受付フロントへと二人を促した。

 

「……そう言えば、準備はもう出来ているのか?」

 

「当然。収納空間には多目に見積もって三週間分の食糧は準備してあるし、爆発魔法符も経費で落ちたから問題なし」

 

「スクライアでは小さな内から発掘に必要な魔法を叩き込むから、特に準備と言った準備も無いんですよ~」

 

「はは、そうですか。それは頼もしい限りです」

 

 二人の回答に頷き、クロノは受付係の職員に空間ディスプレイにて許可証を提示。エントランスから三つ程セキュリティゲートを潜り、一般の立ち入りが許可されていない、奥まった場所に設置された転移ポートへ足を進めた。

 

 巨大な転移魔法陣が煌めきを放つポートの前で足を止め、クロノはゆっくりと振り返る。

 

 ここから先は、未だ人の手の入らぬ未知の領域。無限書庫開拓の最前線とも呼べる区画。

 

「さて、ここから先はベルカ方面の未整理区画だ。一次調査もろくにされていない、命の保障なんて何処にも無い場所だ。……本当に、大丈夫なんだろうな」

 

 それは情報が発見できるのか、と言う意味だけではない。彼らの身の安全を心配しての事だった。だが、そんな問い掛けにユーノは笑みを浮かべ、

 

「危険があるのは何時もの事だ。今回はカノンさんも居るし、期待してくれても良いよ」

 

 なんて嘯いてくる。

 

 ……次元世界屈指の発掘一族相手に、愚問か

 

 発掘の最前線を疾走するスクライア一族に、そんな言葉は釈迦に説法に他ならないのだ。そう悟り、クロノは一歩後ろに下がって道を譲る。

 

「頼むぞ。僕は絶対に、ここで闇の書事件を終結させたいんだ。力を貸してくれ」

 

「僕達は、やることをやるだけだよ」

 

 なんて言葉と共に、二人の発掘者は転移の輝きへと消えて行った。

 

 その後ろ姿を暫しの間、クロノは見届ける。そして、頬を叩いて己に渇を入れた。

 

「……よしっ」

 

 やれることをやる。

 

 彼等なら、必ず闇の書に関する重要な情報を掴んでくれる筈だ。ならば自分の成すべきは、それまでに騎士達を確保して書の主を特定する事だ。

 

「スクライア一族の力、見せてくれよ……」

 

 最後にそう呟いて、クロノは無限書庫から去るのだった。

 

 

 

 

 

 

 時空管理局の創設以前より、それは存在していた。

 

 無重力に保たれた広大な内部には、数多の世界で発行された有形書籍が今現在も集積され、その規模を拡大し続けていると言う。

 

 連綿と連なる世界の歴史を納めたそこは『世界の歴史が眠る場所』とも呼ばれる。有限の敷地に無限の空間を内包した、存在自体が一種のロストロギア。

 

 無限書庫。

 

 それが、今回の標的だった。

 

「……っと言うわけで、やって来ました無限書庫!」

 

 なんて、元気な声を本棚だらけの空間に響かせるのは、スクライアの民族衣装に身を包んだ赤毛の少女、フィーだ。

 

 ユーノが連れてきた女性、カノンはフィーがネギ直伝の変身魔法で化けていた姿だったのだ。内心では何時バレやしないかとドキドキではあったものの、流石は世界に指名手配されていた逃亡者が使っていただけはある。

 

 クロノがカノンと初対面だったこともあり、あっさりと書庫内に侵入出来てしまった。

 

『いや~、時空管理局にこんな場所が在ったなんて。……本だらけの場所を探索なんて、なんだか懐かしいな』

 

 なんて精神世界でしみじみ呟くネギの言葉を華麗にスルーして、フィーは今回の首謀者に目を向けた。

 

 久々の親友との遺跡発掘……今回は情報発掘だが……だ。道中で騎士達の正体も教えて貰い、なのは達の無事も確認出来た。心配事の一つが消えたこともあってか、少女は何時になく上機嫌だった。

 

「それにしてもありがとね、ゆーのん。こんな場所、わたしだけじゃ来たくても来れなかったよ」

 

 と、感謝の言葉を投げ掛けた相手は、

 

「ぉおお、素晴らしい。一体どうやってこんな空間を維持してるのか、皆目検討もつかないよ。無限の空間拡張を常に制御し続けるなんて、今の魔導科学じゃ不可能だ。有限から無限を造り出す、なんてことがそもそも可能なのか? 管理局創設以前から現存している、と言うことは、古代魔法的な呪術的魔法体系によって創られたのかな? むー、そうなると、少し書庫内部でブラックホールでも生成すれば解析に役立つかな? 古典魔導物理学における空間の概念には、無限の質量なんて想定されていない筈。展開された空間内部に無限の大きさを持った時空の歪みが存在する可能性は想定されてないだろうし……ぁ、でもそれで生まれた自己矛盾によって無限書庫が弾けでもしたら、本局自体が吹き飛んじゃいそうかな? でもまぁ、試してみる価値は、」

 

 何時も通り、遺跡オタクスイッチが入っていた。トリップして独り言をぶつぶつ呟き続ける親友の姿に、少女の堪忍袋の尾はあっさりと千切れ飛ぶ。

 

「ゆーのん(怒)!!」

 

「へっ?」

 

 無重力で浮かび上がる肉体を完全に意識の制御下に置き、拳を握りつつ足場を生成して踏み込む。瞬動術の要領で足場を蹴った衝撃を余すところ無く全身運動で拳へ集束し、更に腰、肩、肘、手首の捻り、全ての動作に超精密な魔力運用を加算。爆発的に跳ね上がった拳の打撃力を、何時もの突っ込みのノリで解き放とうとして、

 

「ぁ……」

 

『ちょっ』

 

 それが、今までの出会い頭の挨拶とは桁の違う威力を有していると気付き、慌てて止めようとするものの、既に半ばまで拳は繰り出されていた。慌てた声を聞く限り、ネギによる制止ももう間に合わない。

 

 咄嗟に張られたユーノの堅固な障壁を障子を破くようにあっさりと貫通し、少年の頬にめり込むフィーの凶拳。

 

「ぶるぅどぉおざぁあああああっっっ!!!???」

 

 メキョメキョ、なんて嫌な怪音が響き渡り、吹き飛ぶユーノが大音響と共に頭部から本棚に激突し、腰の半ばまで埋もれてしまう。

 

 肉を叩く生々しい手応えに、胸の奥底に眠る暗闇が蠢いた気がした。

 

 散乱する書物の数々。

 

 亀裂の走る本棚。

 

 死んでいても可笑しくない惨状。

 

「ぁ、あぁ……ぅそ」

 

 氷水を頭の上から被ったように少女の顔が青褪める。呆然とそんな光景を見つめることしか、フィーには出来ない。

 

 頭が完全に停止していた。ほんのちょっと、何時もの調子で殴ろうとしただけなのに。

 

 大怪我してたらどうしよう。死んでしまったら……嫌な予想がぐるぐると頭の中を巡り、

 

『死んでなければ僕がなんとかするから、早くユーノ君を!』

 

 なんて、少し焦りを滲ませる相棒の言葉でフィーは頭を振るった。弾かれるように、祈るように少年の激突した本棚へ駆け寄る。

 

「っ! ご、ゴメン、ゆーのん! 大丈夫!? い、生きてるよ、ね?」

 

 足を引っ張り引っこ抜いた少年は、

 

「けほけほ、……いや~、なんか何時もより激しくないかな?」

 

 少し頬が腫れ、頭にタンコブが出来ているだけだった。

 

 ……生命の神秘だ。って、そうじゃなくてっ!

 

「ほ、ホントに大丈夫!? ちょっと、ヤバそうな音がしてたんだけどっ」

 

 ペタペタと身体を確かめるように触るフィー。直前になって緩めたとは言え、あれほどの拳の直撃を受けた筈のユーノの身体は、何故か本当に軽傷で済んでしまっているようだった。

 

 某女子寮の難関大学を目指した青年すら彷彿させる不死力(ギャク補正)。流石のフィーやネギでも、世界からの補正を予想することは不可能だ。

 

 そして、慌てるこちらを訝しげに見上げてくるユーノ。

 

「え? いや、なんとか無事だけど……」

 

 言葉を濁す少年の様子に首を傾げる。

 

 何か変なところがあっただろうか、とたった今の行動を思い返して、

 

「フィーが僕を心配するなんて、いったいどうしたの? なんか落ちてる物とか食べてないよね?」

 

「ふんぬっ」

 

「ごぶぅるふっ!?」

 

 反射的に止めを刺していた。

 

 

 

 

 

 

 探索を始めるまでもなくボロボロになったバリアジャケットを修復し、ユーノは一つ頷いた。

 

「……さてと、それじゃあ冗談はここまでにしてっと」

 

「冗談?」

 

「ごほん。当然だろう? 今回の目的は無限書庫の解析じゃなくて、あくまでも闇の書に関する情報だからね」

 

 なんて、訝しげに眉に皺を寄せる少女のジト目を咳払いで誤魔化す。

 

 焦らせないでよね、と頬を膨らませる少女の様子に小さく笑みを浮かべ、自分が毎度のこんなやり取りを楽しんでいた事に、漸くユーノは気が付いた。

 

 知識欲を暴走させる少年に容赦ない突っ込みを叩き込んで来る少女。

 

 何時からだろう。被虐性欲の気は無い筈だが、突っ込みの無い遺跡探索が味気無く感じるようになったのは。

 

 ……いやー、殴られ過ぎて頭のネジが外れたかな

 

 内心でそう呟き、親友の様子を窺う。

 

 メールで打ち合わせ、次元港で予定通り落ち合った親友。久し振りだからだろうか。再会した当初感じた壁のようなものが、今の一連の流れで無くなったようにユーノは感じた。

 

 フィーの様子が何処か可笑しいと感じたのは、自分の気のせいだったのかも知れない。

 

「…………で、どうやって調べるの? こんなバカ広い書庫から情報を探し出すなんて、簡単にはいかないでしょ?」

 

「そこはほら、スクライアのとっておきの出番だよ」

 

 無数の書物に囲まれた空間を見渡すフィーに、自信たっぷりのウィンクを返す。

 

「それじゃあ、防衛機構が動いてたら、対処よろしく」

 

「りょーかい」

 

 気安い返事に小さく頷き、ユーノはゆっくりと目を瞑り、精神を集中する。

 

 ……とは言え、こんな広大な空間、一度で済むかな?

 

 一次調査の済んだ危険度の低い表層域での探索を、ユーノは少女の到着を待つ五日間で既に終了していた。

 

 結果は予想通り外れ。

 

 夜天、と言う単語こそちらほら見掛けはしたものの、闇の書へ繋がる手掛かりは得られなかった。故に、ユーノ達は危険満載の深層域を探索しなければならないのだ。

 

 そして、無限とまで比喩される広大な書庫内部を、チマチマと検索魔法や読書魔法で探索していたのでは、何ヵ月、或いは何年掛かるか分かったものではない。

 

 浅い呼吸を切り返し、意識的に脳の思考速度を加速。

 

 デバイスの補助無く魔法を操る少年が、それほど精神集中しなければ成し得ないほど、非常に高度で繊細な魔法なのだ。

 

 これから発動する魔法こそ、遺跡発掘に生きてきたスクライア一族が代々受け継ぐ十八番。

 

 ……超々広域単語検索魔法(おたからどこかな♪)

 

「指定単語『夜天』…………発掘スタート」

 

 魔法を発動するキーワードを呟くと同時に、目を見開く。

 

 ユーノの両眼の前方に幾重もの魔法陣が展開され、そこから無数の魔力粒子が全方位に向けて散開を開始した。

 

 散らばった無数の魔力粒子は、その一つ一つが検索魔法の類いであり、展開された魔法陣へ膨大な情報を映し出すのだ。無論、そんな溢れ出んばかりの情報の洪水を直接脳髄へ叩き込まれれば、あっという間に気絶必至の為、幾重もの魔法陣が指定単語に従い情報を篩いにかけてくれる。

 

「…………っ!」

 

 が、流石は無限書庫。その万分の一の範囲すら探索し終えていないにも関わらず、限界が先に来た。

 

「キッツいな~……」

 

「ちょっと、大丈夫ゆーのん!?」

 

 なんて、心配そうな声に魔法を終了して、

 

「…………なんとかね」

 

 鈍い頭痛を堪え、眉間を指で解しながら応える。

 

「それで、結果は?」

 

「探索範囲内にヒットは二ヶ所。いや~、僕の『おたからどこかな』の探索限界は十キロを超える筈なんだけど……先は長そうだ」

 

「うげ~、まじで?」

 

「まじで」

 

 顔を顰め、薄暗い本棚が延々と並ぶ通路を見渡すフィー。そんな少女の様子に苦笑を浮かべ、ユーノは魔法で推力を生み出す。

 

「さ、探索開始と行こうか。フィーはあんまり興味ないかも知れないけど、こうしてる間にも闇の書は頁を増やしてるんだから」

 

「むぅ~、興味ないって訳じゃ無いからね? ゆーのんが無事だ……イヤイヤ、フェイトやなのはが襲われたんだし、わたし自身も危なかったんだからねっ」

 

 頬を膨らませてへそを曲げるフィーと、それを見て笑うユーノ。無限書庫への挑戦はまだまだ始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 十二月九日の昼頃。

 

 美しい冬晴れの空を八神家のダイニングテーブルに腰掛けながら眺め、シグナムは少し眠そうに頬杖をついた。

 

 室内は久し振りに和気あいあいと暖かな空気に包まれている。

 

 キッチンではシャマルとはやてが昼御飯の支度を進めている。

 

 ソファにはザフィーラが狼の姿で寝そべり、そこへ身を預けるように腰掛けたヴィータがテレビで古い映画を視聴している。

 

「なぁなぁ、シグナム。エイリ〇ンってヤバくねぇか? あんなんが次元世界にウヨウヨしてたら、正直死を覚悟するぜ?」

 

 なんて声を掛けてくるので、そちらへ目を向ける。

 

 画面の中では、強酸の体液をぶち撒けながら襲い掛かってくる化け物を相手に、主人公らしき女性が逃げ惑っているところだった。

 

「な?」

 

「酸で魔法障壁も溶かせるなら、危ないかもしれんな。……って、何を真剣に考えているんだか」

 

 シグナムが応えると、ヴィータはやっぱり魔法かー、なんて呟きながら映画の視聴に戻る。そんな空想上の怪物とまで戦ってはいられない。正直、ここ最近は管理外世界の魔物と連戦続きなのだから。

 

「シグナム~、もうすぐあったかシチューの完成やで~」

 

 と、キッチンからはやてが言う。

 

「もう、はやてちゃん。私だってお料理出来るんですからね?」

 

「あはは、もうちょい上達したら考えよか」

 

 シャマルがサラダの入ったボウルと取り皿を持ってきて、テーブルに並べていく。それをシグナムも手伝い、映画に夢中のヴィータとザフィーラを呼んで、全員で食卓を囲む。

 

「「「「「いただきます」」」」」

 

 と、家族の団欒が始まる。

 

 心暖まる空気が、そこにある。

 

 シャマルが。

 

 ヴィータが。

 

 ザフィーラが。

 

 シグナム自身も。

 

 そして、主はやての笑顔がある。

 

「……」

 

 こんなことをしている場合じゃない、とヴォルケンリッターの全員が理解していた。状況は悪い。主の身体を蝕む闇の書の呪いは、その侵攻を徐々に早めている。このままでは二ヶ月と保たないだろう。

 

 いや、或いは一ヶ月も経たぬ内に、主は死を迎えてしまうかも知れない。

 

 もう明らかに、家で楽しく笑い合っている場合ではなかった。

 

 だが、それでもシグナム達はこの時間を取ることにしている。

 

 主に蒐集を気付かれないため、と言うのもある。主の笑顔が陰らないため、と言う理由も勿論ある。

 

 だが、何よりも大きな理由は大切なものを再確認するためだ。

 

 自分達はこの日常に帰ってくるために死線を潜り抜けているのだと、再確認するため。

 

 劣勢に置かれ、諦めかけてしまいそうな場面でも、この何気無い平和な時間が脳裏に明確に思い浮かべば、最後まで戦い抜けるからだ。

 

 それは、かつての彼等には無かった弱さだ。

 

 そして、かつての彼等には無かった強さでもある。

 

 ……今、五一〇頁。危うい場面もありはしたが、アムールでの泊まり掛けの蒐集はかなりの収穫だった

 

 あと、一五〇頁と少しで、闇の書は完全覚醒を遂げる。管理局の捜査に焦らず、確実に蒐集を進めれば、十分に主の命を救うことが出来る筈だった。

 

「……」

 

 暖かな団欒の最中、シグナムは胸の内の覚悟を人知れず新たにするのであった。

 

 ……守護騎士達が思い思いに団欒を心に刻んでいた八神宅。その、遥か上空。

 

 シャマルの隠蔽結界によって探知魔法に掛からない細工が施された家屋を、ただ静かに見詰める黒い影。

 

 それは、本来なら居る筈の無かった存在。

 

 彼の者の秘術により歪んだ運命の環。

 

 その因果が人知れず回転を始める。

 

『……』

 

 刻一刻と迫る平穏の終わりに、シグナム達は誰一人として気付くことが出来なかった。

 

 

 




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