それは、既に過ぎ去った分岐点だった。
自分に似た、けれど自分とは異なる声音が響く。
正と邪が入り雑じる、天使のような、悪魔のようなその声が問い掛けてくる。
……逆転不可能な窮地。あなたの願いはこのままでは決して叶わない。さて、どうする?
残された選択肢は三つ。
諦めて捕まるか、無理だと分かっていながら相棒を応援するか、それとも……邪道へ手を出してでも、想いを貫くか。
結果として、自分は邪道へ足を踏み入れて窮地を凌ぎ切った。数々の苦難を乗り越え、己の願いを、完全とは言い難いものの叶えることが出来た。
だが、業は廻る。
邪道へ手を出した因果は、必ず己が身へ応報として降り掛かるのだ。
何処か、仄暗い闇の底。
暗く。
黒く。
真っ黒なナニカが蠢いた。
☆
「……フィー。今、どうしてるかな」
夜。
時空管理局が捜索拠点としている地球の高層マンションの一室にて。ソファーにリンディ・ハラオウンと共に腰掛けて休んでいたフェイトは、ふいに頭に浮かんだ自分の妹、フィーの姿に思わずそう呟いた。
長い赤毛。屈託のない笑顔。性格もなにも違うが、彼女は道を違えたもう一人の自分なのだ。
フェイトは管理局への道を。フィーはフリーランスの魔導師として己の道を。
……なんで急にフィーのことを
考えて、隣に座る長い緑の髪を一括りにした女性、リンディ提督へと顔を向けた。
保護観察官として、そして、フェイトの親代わりとして親身に応えてくれた女性。そんな彼女から提案された養子の話が頭を過ったからかも知れない。
「フィーさんねぇ。闇の書事件に巻き込まれていなければ良いけど……今頃どうしてるのかしら。聞いた話によると
「フィーにはネギさんもついてますし、きっと、大丈夫です。フィーの為にも、早く事件を終わらせたいって思ったんですが……」
苦笑と共に頭を振るう。
カートリッジシステムを搭載した新デバイス、バルディッシュ・アサルトを携えて女騎士……シグナムに闘いに挑んだフェイト。レイジングハート・エクセリオンを携えてヴィータと再戦したなのは。
カートリッジのブーストも合わさり、少女達は守護騎士を相手に渡り合うことが出来たのだが。
「情報にもあったけれど、やっぱり闇の書が蒐集出来るのは一人につき一回みたい。蒐集済みのフェイトさんやなのはさんが相手だと、まともに闘おうとしてくれないのよね」
封鎖結界で閉じ込めなければ、閃光弾で目眩ましをされて直ぐ様逃走。閉じ込めることに成功しても、優秀なサポート役に結界構造を弱体化させられアッサリと突破されてしまったのだ。
「フィーさんが居れば、彼らを捕まえることも出来たかも知れないわね」
「ダメですよ。フィーは自分の道を貫く子ですから」
例えヴォルケンリッターが管理局法に違反していようとも、管理局に協力してくれたかどうか……そもそも、未だに指名手配されているのだ。その上、自由奔放なあの性格だ。
フィーの半生が込められた映画をフェイトは視聴した。紛いなりにも母の近くに居た自分とは違い、全く手掛かりもない状態からネギと言う協力者が居たとは言え地下闘技場でお金を稼ぎ、裏世界に入り浸って生きてきた少女だ。法ではなく、自分の矜持に従って生きているようにすら感じる。
それが分かっているのだろう。リンディは一つ息を吐き、マグカップに注がれた砂糖たっぷりの抹茶を啜る。
「ふぅ。ユーノさんが無限書庫から何か有力な情報を見つけ出してくれることを祈るのみかしらね。あとは……」
「? あとは?」
「アースラに最終兵器を少しね」
そう言って片目を閉じて微笑むリンディに、フェイトもまた小さく笑みを返すのだった。
☆
悪夢。
あの、化け物と化した自分自身との闘いを乗り越えてから、フィーは眠りの中でそれを見るようになった。
内容は覚えていない。だが、間違いなく悪夢だ。
覚えていないのに、どうして悪夢だと分かるのか。
理由は単純だ。近頃の目覚めは最悪で、寝汗でジャージがべとつくこともある程。そんなときに限って寝起きに思うのだ。夢の通りじゃなくて良かった、と。
黒くて暗く、叫び出してしまいそうな夢。
ネギに相談してみても、原因は不明。
兎に角、夢の通りになったら嫌だな、とフィーは思った。
内容は分からないが、それでも、明るい気分とは正反対のものだ。元気が取り柄の自分とは縁の無いものなのだ。
そこまで考えて、
『、ィー! 起きろ、フィー!!』
「くっ!?」
慌ただしいネギの掛け声に、弾かれるように意識が覚醒した。
顔を顰め、目を見開く。
少女は無限書庫の深層域に居た。正確には深層、と呼ばれる層をアルファベット順に二十六分割した中の、Q-23区画、書物庫ごと取り込まれた巨大な本棚の迷宮の中に。
虚空に浮遊する五冊の魔導書。
おそらく、書物庫の防衛機構だ。
開かれたその頁から解き放たれ、眼前まで迫る雷撃の大槍。人一人を呑み込んで焼き殺すに余りある稲妻の奔流に、全身の皮膚が粟立つ感覚を覚える。
そこまで思考を巡らせて、状況を把握するのにコンマ三秒。ようやくフィーは自身の状況を把握した。
「ぁっぶなっ!? わたし、意識飛んでた!?」
おそらく、本棚から突然飛び出してきた防衛機構に不意を突かれ、稲妻の直撃を受けてしまったのだ。その証拠に、未だに全身の筋肉が痙攣している。
この程度で済んでいると言うことは、ネギが直前で気付いて障壁を張ってくれたのかも知れない。
ピクピクと引き攣ってはいるものの、全く動けない訳ではない。ならば、問題ない。
……なめんなっ
痺れなど意に介さず、拳を握り締める。
魔力の猛りで全身の痺れを押し流し、繰り出した拳が雷撃を相殺。白く漂白される視界。雷撃の抵抗を突き抜ければ、
「げ!?」
他の魔導書が撃ち出した氷や鋼の弾丸、風の刃が無数に殺到してきた。
隙間など皆無、完全に侵入者を殺しに掛かっている弾幕だ。ちょっとばかし避け切れそうにない密度の攻撃に防御を固めて毒づくと、背後からもう一人の相棒が腕を取って身体をくるりと入れ替える。
展開される薄緑の障壁。
ユーノの堅固なシールドが轟音と炸裂音入り雑じる魔法の奔流を受け流している隙に、ダメージから完全に回復したフィーは動いた。
瞬動術によって瞬時に魔導書との距離を詰め、拳打の嵐に巻き込んで制圧。五冊を無力化するのに要した時間はたったの一秒。
千切れた書物の残骸が無重力下で漂う中、虚空で綺麗に一回転して静止したフィーは、
「油断大敵、大怪我するよ?」
『油断禁物、気を付けないと死ぬよ?』
「……ごめん」
二人の仲間からお叱りを受けてしまった。
…………
………
……
そもそも無限書庫が広すぎるのがいけないのだ、とフィーは思う。確かに、一瞬とは言え気が抜けていたことは認めよう。だがしかし、今回の探索は明らかに過酷過ぎはしないだろうか。
広大な書庫。
一つの区画を調査し終えるのに優に半日以上は掛かる上、複雑な内部構造を持つ書庫も珍しくないため、移動するにも一苦労だ。稚拙な罠ばかりかと思えば、急に魔法を行使する防衛機構なんかが飛び出してきたり、と気の抜く暇もない。
通常の転移魔法は無限書庫内に溢れる特殊な力場……おそらく盗難防止……のせいで行使できない。書庫内でも転移が可能なポートの設置には時間が掛かるため、休憩の度に一般解放区画まで戻ることも出来ない。更には、度々侵入者の存在を嗅ぎ付けた様々な種類の防衛機構が襲ってくるため、見張りを立てての睡眠だ。
疲れがたまって然るべきだろう。
「ホントさ。なんだってそう、ずっと生き生きしてられるの? ゆーのん」
本棚に囲まれた大広間で一息吐いて、フィーはユーノへと問い掛けた。視線の先では、爛々と目を輝かせて何十もの読書魔法を多重起動している変態が一人。
端末の情報によると、こんな探索を続けて早一週間が経過している。最初こそ物珍しい有形書籍の数々に同じく目を輝かせていたが、どちらかと言うと機械弄りに興味の大半が含まれるフィーだ。
幾度となく繰り返される探索→移動→調査。飽きるのにそう時間は掛からなかった。
「ん~、新しい知識との出会いは飽きが来ないものだよ? そもそもフィーは……っと、お客さんだ。ここの調査はもうちょっと掛かるから、殲滅よろしく」
「りょーかい」
応えるや否や、パラパラと書物の開かれる音が聞こえる。
フィーが目を向けると、広場に繋がる通路の入口に、先程も襲われた魔導書型の防衛機構が姿を現すところだった。
ハードカバーの書物。浮遊して漂うそれは、動き自体は速いものの小回りは効かず、次の動きを読みやすい。開かれた頁から飛び出す魔法の威力は中々ではあるものの、一撃で守りを貫通してくるような凶悪さはない。つまり、フィーにとって一冊程度ならものの数ではない。が、
『じゃないよ』
「ですよね~」
頭に響く相棒の言葉に苦笑する。
台所の黒い影よろしく、一冊見つけたら十冊は隠れていても可笑しくないのが防衛機構だ。
通路から姿を現す魔導書。その数をフィーは数える。
一冊。
二冊。
四冊。
十六冊。
三十二冊。
「あぁもう、あんたらはキッチンの黒いGかっての」
腕に巻き付く白銀色の環状魔法陣。拳を突き出すと同時に、ほとんどノータイムで解放した速射砲撃魔法が迸る。射線上の魔導書を十冊ほど巻き込んで吹き飛ばし、
「っらぁあああ!!」
次の瞬間、フィーの身体は天井を蹴り砕き、魔導書達の上にあった。
拳が、脚が、四肢が必殺の凶器と化して音の壁を穿ち抜く。無重力による体幹の揺らぎなどものともせず、炸裂音が響く毎に千切れ飛ぶ無数の書物の残骸。
何時の間にか、口角が吊り上がる。
獰猛な肉食獣を思わせる、そんな嗤い。
常とは異なるスクライアの民族衣装を身に纏い、鈍色の手甲が火花を散らす。
一括りにされた長い赤毛が無数の軌道を鮮烈に刻み付け、三十二冊の魔導書は瞬く間に千切れた紙束に変貌する。
通路の先に伏兵の気配を探るものの、反応は無し。どうやら処理しきれたようだ。
何処と無く物足りなさを感じながら漂う残骸を裏拳の風圧で弾き飛ばして、
「……っ」
一瞬だけ、血塗れになった自分の拳を幻視した。
慌てて確かめるが、そこにあるのは何時も通りの手甲に包まれた拳だ。
「…………」
白くなるほど強く握り込んだ拳を、引き剥がすように指を開いて、見詰める。
何時もの自分の手のひらだ。悪魔でも化け物でもない、人間の手のひらだ。その事に何処か安堵して、一つ息を吐いた。
『……んね、フィー』
「……え? 何か言った、ネギ?」
『いや……ユーノ君の調査が終わったみたいだ。早く行ってみよう』
「うん。まったく、どんだけ探しまくってんだっての」
相棒に促されてユーノの方へ近付いてみれば、読書魔法は既に終了し、少年は顎に手を添えて考え込んでいるようだった。
そんなユーノへ言う。
「蹴散らしたよ。そっちはどんな感じ? こんだけ調べてるんだから、少しは闇の書の情報が見つかった?」
「うーん」
「どっちよ?」
「いや、それっぽい情報はあったから、次の仮眠の時にでもクロノに連絡しようと思うんだけど……」
曖昧に呟いて、少年は頭を振るう。
「集めた情報を総合してみると……闇の書の本来の名は、夜天の書と言うらしいね。優れた魔導の保存を謳う集団が造り上げた魔導書で、その役割は莫大な容量に数多の魔導術式を記録することだったらしい」
「って、そこまでわかったの!?」
正直、こもりっぱなしとは言え、たったの一週間やそこらで今まで知られることの無かった情報を引き出すユーノの変態ぶりに若干引き気味のフィー。しかし、まだ少年の話は続いた。
「で、その夜天の書の歴代の主が改編に改編を重ねて、よろしくないものを組み込んじゃったっぽいね。ナハトヴァール……強力な防衛能力を有したプログラムだと、当時組み込んだ主の手記に記載があったよ。そこから代を重ねる毎にどんどん改悪が続いて、ナハトヴァールが暴走。防衛プログラムが過剰に反応した結果、主が一定期間以上魔法の蒐集を行わないとその身を蝕んだり……完成させても、周囲の世界を壊すだけ壊して、その負荷で主が死んだら転生機能で新たな主へって感じにバグったみたいだ」
「……そこまで分かったなら、もう調査止めてもいいんじゃ」
「いやいや、面白いのはここからなんだよ。その、ナハトヴァールを夜天の書に組み込んだ主が、なんだってそんな暴走の危険のあるプログラムを組み込んだのか気になって、当時の記録を調べたんだ。すると、夜天の書には何か恐ろしい存在が封じられていることを示唆する文面が幾つか見付かった。たぶん、その『ナニカ』に書の封印を破られないように、防衛能力を強化しようとしたんだと僕は推測するよ」
「……」
「で、そこまで来たからにはその『ナニカ』が一体何なのか知りたくなるじゃないか? そう思って調べてはいるんだけど、どうにも出てこない。今日はそれだけを調べるために色々と単語検索を掛けてみたけど、めぼしい情報が出てこないんだ。これは、何かあるってことでしょ」
ニヤリ、と不敵な笑みを浮かべる遺跡オタク。額に血管が浮かびそうになるものの、どうにか堪える。そして、ユーノが無限書庫より引き出した情報を吟味して、
「闇の書なんてどうでも良い。あのピンクポニーテールを一発ぶん殴れれば、わたしとしてはそれで終わりだと思ってたんだけど……」
思い返すのは、必死の形相で襲い掛かってきた騎士達の姿。
なぜ彼女達があれほどの決意を持って蒐集にあたっていたのか理解出来てしまい、フィーはなんとも言えない表情を浮かべた。
「……どんなに頑張っても、完成したら主は死んじゃうんでしょ?」
「らしいね。良くある話って言ったらそれまでだけど、胸糞悪い現実だ」
「そっか」
そう呟く。
そんなフィーにネギが言った。
『どれだけ強くなっても、叶えられない願望と言うものは存在するんだ』
その言葉に込められた感情に、フィーは肩を竦めることしか出来なかった。
世界を救えなかった男。
母を救えなかった少女。
当時の嘆きを言葉で言い表すことなど、到底出来ないからだ。
「……そっか」
もう一度だけ、そう呟いて頭を振るう。
「で、どうするの? 封印されてる何かについて、もっと調べるわけ?」
「……今のままじゃ闇の書を完全に壊すことも、ついでに主を救うことも無理そうだしね」
ユーノが言う。
「次のポイントへ急ごう。主と書の分離方法が無いと決まった訳じゃないんだ」
それにフィーは頷き、虚空を蹴って先を急いだ。
☆
十二月十三日、早朝。
夜通しの蒐集を終え、シグナムは八神宅へと帰って来た。目立った傷のないヴィータとザフィーラの姿を認め、小さく安堵の息を吐く。
「無事か、二人とも」
「当たり前だろ」
「問題ない」
自身のコンディションを見誤るほど、自分達は未熟ではない。彼等が大丈夫と言ったならば、例え負傷があり、疲労が蓄積していようとも、戦闘行動に支障がない範囲内なのだ。
玄関先では、一足先にはやての為に家路についたシャマルが騎士達を迎えてくれる。
「結局、夜通しになっちゃったわね」
なんて言葉に頷く。
はやてが寂しがっているのは、全員が理解していた。蒐集に時間を割いている分、全員が揃う暖かな団欒は以前とは比べられないほど減ってしまった。
それでも、シグナム達は止まることが出来ない。
主の、あの優しいはやての生命が懸かっているのだから。
「だがその分、蒐集は進んだ。あと少し……あと少しで、我らの悲願は……」
その時である。
がたり、と誰かが倒れる音が響いたのは。
「っ、はやて!?」
「はやてちゃん!?」
「……っ」
主が倒れた音だ。
それが、シグナムには何となく分かってしまった。
驚きはなかった。書の呪いが少女の命へ届くまで残された時間が少ないことは、随分前から気付いていたのだから。
腕の中に抱えられた闇の書を見詰め、
「お前に、主を殺させはしないさ」
悠久の年月を数多の主達と共に旅してきた魔導書。その奥深くには、管制人格が眠っている筈だった。
望まぬ戦いへと駆り出される守護騎士達にすら、優しい彼女は心を痛めていた。
管制人格が顕現するのに必要な頁が十分以上に集まった今、なぜ姿を現さないのか気になるものの、彼女が己の主を呪い殺すような現状を是とする筈がないことだけは確かだ。
故に、
「…………絶対に」
シグナムはそう呟くことしか出来なかった。
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