第九十七管理外世界、地球。その座標に程近い次元空間に停泊する航行艦船、アースラの船橋にて。
『……以上が、今のところ僕達が発掘した闇の書についての情報だね』
『そうか……貴重な情報、感謝する。スクライア一族のカノンさんにも、よろしく伝えておいてくれ」
『分かった』
ユーノによる調査中間報告を受けて、クロノは顔を曇らせた。
ここ数日に渡って様相が一変した、守護騎士ヴォルケンリッター達の蒐集被害。今まで個人が一度で次元転移出来る範囲に留まっていたそれが、明らかに複数回の転移を要する遠方にまで広がっていた。その理由の一端が、ユーノからの報告で察せてしまう。
……騎士達は終始、主の身を案じるような言動を繰り返していた。そして、行動範囲が変わったということは
主の身を魔導書が蝕んでいる、と言うことなのだろう。そして、騎士達はそれを止めたいがため、より一層蒐集を急いでいるのだろう。
「……そっちはどうするんだ?」
『もう少し情報を集めてみる。このままじゃ、主を魔導書から分離することも出来ないだろ? 調べている内に、幾つか不明な点が出てきた。今話した情報については、そっちにテキストファイルとしてまとめたものを送るよ』
「頼んだ。こちらでも進展があれば連絡しよう。渡航申請は出しておく」
『了解。それじゃ、なのはやフェイトによろしく』
そう言って、ユーノは次元間通信を切った。
砂嵐のようなノイズの走る空間モニターを見詰め、
「…………そうか」
クロノはポツリと声を溢す。
闇の書……いや、夜天の魔導書も、他のロストロギアと似たような、哀しい運命に囚われた代物だったのだ、と。
地球の捜索拠点に居るリンディ艦長へ通信を繋ぐ間、クロノはただ、静かに瞳を閉じるだけだった。
☆
終了した次元間通信の画面を虚空へ掻き消すユーノへ、本棚の後ろに身を隠していたフィーはようやく顔を出した。
一々カノンの姿へ変装するのも億劫だ。だからと言って、そのままの姿で画面に映ろうものなら、クロノが発狂しかねない。と言うことで、フィーは身を隠していたわけである。
「報告は終わった?」
「問題なくね」
そう言って肩を竦める少年へ、フィーもまた肩を回して力を抜いた。
「この前の事件でフィーが脱走した後、だいぶクロノは荒ぶってたからね~」
「いや~、あれはしょうがないでしょ? わたし的には逃げるっきゃないわけだし」
なんて世間話をしながら、フィーがデバイスの収納空間から取り出したのは、ピンク色の寝袋である。
人間である以上、睡眠は必要不可欠。気を抜いた瞬間に防衛機構が殺しに掛かってくるような人外魔境で一日中神経を尖らせているのだから、休息の重要性は大きい。
「それじゃあ見張りよろしくね、ゆーのん。夜這いなんかしないでよ?」
「あのね、僕をなんだと思ってるの?」
「遺跡オタクの変態」
「はは、またまた~」
四時間の仮眠。
無重力空間のなか交代で不寝番を立てる睡眠。最初こそ変な気分だったが、一週間も同じことを繰り返せば慣れてしまうものだ。
「……ねぇ」
「うん?」
「ぅうん。やっぱ何でもない」
そうして、フィーは目を閉じる。
だが、なかなか眠気が訪れない。とくんとくん、とゆっくり脈打つ心臓の鼓動を閉じた目蓋の裏側で聴く。
身体が緊張していた。それも当然だ。無限書庫の中で一日中動き回っていたのだ。そう簡単に全身に入った熱は鎮まらない。
そうして身体を休めていると、どうしても色々な思考が頭を巡る。
例えば、闇の書の主について。
どんな人物だろう、とか。どんな生活を送っているのだろう、とか。
騎士に襲われた位しか接点は無いが、助かるといいななんて思う程度の関心はある。
そして、更に深い心の奥底へ思考が沈む。
……あぁ、何時からだろう
そこにあったのは、黒く、暗く、醜い欲望だった。
どんな人間にでもあるだろう、欲。それをぐちゃぐちゃに混ぜて何十倍にも肥大化させたような塊が、胸の奥底で蠢いているのだ。
「……」
自由に動き回りたい。
邪魔する者をぶち殺したい。
山のようなジャンクパーツで機械弄りをしたい。
「…………」
旨いものが食べたい。
お金が欲しい。
大きな舞台で目立ちたい。
もっともっと強くなりたい。
「………………」
ぐるぐる、ぐるぐると廻り続ける欲望の螺旋。恐らくは、
普段は気にならない。だが、ふとした瞬間にそれは顔を覗かせる。
蜂蜜のように甘く、コールタールのようにどす黒い、粘着く欲望。精神世界での自分自身との対話、ですらない。そんな分かりやすいものではない。何時の間にか付着したそれに、知らず知らずの内に自分の心が変貌してしまうような、恐怖。
大元が自分の欲望であるため、気付くことすら難しい変異。
これが、邪道へ手を出した応報であろうか。狂気じみた欲の渦に身を蝕まれ、徐々に自分が自分であって自分でないモノへ変わってしまう。
変わっていく自覚すら無くなり、違和感を覚えることも無くなったとき、そこに立つのはフィーであってフィーではないナニカなのだろう。
フィーは怖かった。
何時の日か自分は、あの地獄で嗤いながら心臓を抉ったような、そんな狂気に満ちた存在に成り果ててしまうのではないか、と。
『…………フィー』
『……ネギ?』
脳裏に響いた相棒の声に、内心で首を傾げる。
すると、ネギは何処か後悔を滲ませる声音で続ける。
『僕が居なければ、君はそんな……』
『ネギ』
相棒の言葉を遮り、
『あのときの言葉に嘘はないよ。しないで後悔するより、して後悔したい。こうして今生きてるのも、お母さんまで辿り着けたのも、みんなネギが来てくれたからだもん』
『……そっか』
『そうだよ』
追い詰められた中でも、最後までネギは闇の魔法の行使を躊躇っていた。それは、今のフィーのような状態を予測し、慮っての事だったのだ。そして、その躊躇いを振り切り、後押ししたのは他ならぬフィー自身だ。
だと言うのに、この有り様はネギのせいだ、なんて身勝手に押し付ける事だけは彼の相棒として、そして自分自身の矜持に懸けても、絶対にしたくなかった。
『…………なら、辛いときは思い出すんだ。フィーは独りじゃない。ユーノ君や、なのはちゃんやフェイトちゃん、スクライアの移動都市のみんなも、勿論、僕自身も。フィーの側には沢山の仲間が居るんだってことを。その闇は独りで乗り越えるには深すぎる。でも仲間となら、自分を保っていられる筈だから』
何時になく臭い台詞に、フィーは思わず小さな笑みを浮かべた。
『ふふ、それってネギの体験談?』
『そうそう。その通り。でもね、人生で大事なことは、得てして恥ずかしくなるほど臭い台詞の中にあるものなのさ。だから、忘れないでくれよ?』
『そっかぁ~……ま、忘れちゃってたら、ネギがぶっ叩いてでも思い出させてよ』
肩を竦めるネギの姿が脳裏に浮かび、少女は今度こそ、眠りに落ちるのだった。
☆
世の中には、確かに存在する。
人によってはそれを運命と呼び、宿命と、因果と、神のシナリオと、理と、収束点と……様々な形で呼ばれる、それ。
この世に生まれ堕ちた瞬間から、夢幻と現世の狭間の彼方、何か超然的な力によって定められた、道。
カルマは廻る。
かつてのライバル、フェイト・アーウェルンクスとの決着が遥かな平行次元の彼方でも決されたように。
どれほど離れようと、逃れること叶わぬ檻。
ネギは思った。
フィーと出会い、そして闇の魔法に手を出させる事すらも、遥かな未来、遥かな過去より定められていたのかも知れない、と。
そして同時に感じる。
このぬるま湯のような生活の終焉が、直ぐ其処まで迫っていることを。
全ては運命の奴隷、捧げられし生け贄。業の先へと到達し、朽ち果てるのが理。
だが、それでも。
……未来を切り開き、道を造ることが人間には出来る
ネギはそう信じて止まなかった。
人の道を踏み外してしまったからこそ、ネギには理解できた。
ヒトは前へと進むことしか出来ない、のではない。ヒトだからこそ、檻を破り、理を貫き、前へと進むことが出来るのだ、と。
そして少女は、未だ人間だ。
既にその身の半分は魔へと堕ち、心の裡には邪な種が蠢いているかも知れない。だがそれでも、フィーは人間に留まっている。
ならば、道は開ける筈だ。
それはかつてのネギには出来なかった事だった。仲間と共に世界を救う。
傷付ける事を恐れ、仲間を信じ切れなかったからだろうか。
闇の魔法の手綱を取ることは、たった独りでは不可能だった。不完全なまま戦いに挑み、そして、失敗した。気付くのが遅すぎたのだ。
仲間、家族、友情、笑顔。そんな、恥ずかしさすら覚える青臭さが必要なのだ。
強い願望、決意、効率を考えていては、荒れ狂う狂気と欲望の螺旋を御すことは出来ない。だからこそ、ネギはフィーへと助言したのだが……
それでは足りない、かも知れない。
ネギはもともと死んだ筈の人間だ。それがどんな数奇な運命によってか、ロストロギアの干渉によって少女の裡に呼び出されたのだ。何時までも自分が無事で居る保障は、何処にもない。
……保険は、必要かな
そうして精神世界に佇むネギは、外の世界で不寝番をする少年を見詰めた。
☆
二日後。
フィーたちはZー26区画……補給や戻る時間を考え、自分たちに探索可能な範囲を簡易的に区画分けした無限書庫の便宜上最深部……に程近い場所まで到達していた。
「……ぅん。さて、ここから先の話なんだけど」
周囲を警戒しながらの移動中、収納空間から取り出したチョコバーをかじりながらユーノが口を開いた。
「なんかヤバイの?」
フィーもまた、同じようにチョコバーを取り出して口に入れる。一本五百キロカロリー。さくさくと芳ばしいピーナッツとチョコの糖分の絶妙なハーモニー。
疲れた身体に行き渡る燃料に小さく口角を上げていた少女は、何時になく不安げな少年の声音に首をかしげた。
「Zー26区画には、恐らく夜天の魔導書に封じられている存在の正体が記された書物がある筈、なんだ」
「? 筈なんだ、ってなによ。ゆーのんのチート魔法ならそこら辺は分かる筈でしょ?」
超広範囲単語検索魔法。スクライア一族の秘伝とまでされるこの探索に特化した魔法は、周辺十キロ内の情報を読み取る馬鹿馬鹿しいまでの高性能。ここまでの道程では、その魔法を用いて魔導書の情報を収集してきたのだ。
だが、そんな言葉にユーノは苦笑した。
「ここから先の防衛機構は、今までとは桁違いみたいでね。放った三千の検索端子が、悉く破壊されちゃったんだよね。で、ようやく最奥部の書物庫らしき場所に到達して、それらしい情報にたどり着いたんだけど……読み取る前に破壊されたんだよ」
「…………正真正銘、命懸けってことかな」
「まあ、今までもそうだったわけだけど、ここから先は難易度ベリーハードって感じかな」
ユーノの言葉に一つ息を吐き、真っ直ぐ続く薄暗い通路の先へと視線を向ける。
その先に何が待ち受けるのか。静寂を湛えて口蓋を開く姿は、まるで地獄か冥府への入口にすら思えてしまう程、不気味だった。
さしものフィーも固唾を飲み、精神世界の相棒へと尋ねる。
『ネギ、わたしと代わってこの先を攻略出来ないの?』
『……難しいね。僕がフィーの身体で表に出ていられるのは二時間くらいがいいところ……戦闘になればそれよりももっと短くなって休息が必要になる。今までの道程を考えると、そんな短時間じゃ攻略仕切れないだろうし……フィーでも対処仕切れない事態になったら、直ぐにフォロー出来るように準備しておくよ』
『りょーかい』
「着いた」
ユーノの呟きに反応し、目を凝らす。
「あれが……」
「うん。僕たちが歴史上初めて。無限書庫のほとんど最深部に手を掛ける探索者ってことになるのかな。いや~腕がなる」
「ブレないよね、ゆーのん」
次の瞬間、薄闇の中から静かに出現したのは、荘厳な装飾が施された巨大な扉。Zー26区画に居を構える、フィーたちの探索最後の難所だった。
自動的にスライドした巨大な扉の奥には、真っ直ぐな通路が延びていた。
二人が敷地内に足を踏み入れた途端、無音のうちに扉が閉まる。それと同時、二人は通路の床に足を着けていた。
「ここ、重力が……」
「……どうやら、今までとは一味も二味も違うみたいだね」
無限書庫内の無重力の支配すら拒絶する書物庫……いや、今までの有形書籍が集められた場所とは決定的に異なる無機質な空気は、もはや情報集積場とでも呼べばいいのだろうか。
重力があると言うことは、完全に内部と外部が隔離されている異界なのかも知れない。
「「…………」」
一瞬の精神の弛緩も許されない不気味な静粛。死神の鎌が首筋に添えられるような悪寒を感じ、ごくり、と固唾を飲み込む。
ここが正念場だ、とフィーは辺りを見回した。
三メートル程の天井には五メートル間隔で小さなライトが埋め込まれ、淡い光が通路の先を薄暗く照らしている。床も壁も全てが殺風景な剥き出しの金属で、所々にフィーには解読不可能な、恐らく案内標識らしき金属板が張り付けられている。
「……さて」
傍らのユーノの呟きが、無機質な空間にこだました。
「行こうか」
「……うん」
慎重に歩を進める二人。
踏んできた場数もあり、順調に探索を進めて先を急ぐ。
侵入から三十分程が経過し、入り組んだ通路を百メートルは進んだところで、施設案内標識らしき大きな看板がある分かれ道にぶち当たった。
看板に用いられているのは、ミッドでもベルカでも使われていない言語だ。つまり、この施設はベルカ文明のものではない、という事なのだろうか。フィーが周囲の警戒もそこそこに眉を寄せると、横のユーノが頭を振るう。
「……恐らく、ミッドチルダやベルカがまだ一つの勢力だった頃に使用されていた古代文字なんだと思う」
「一つの勢力……てそれ、アルハザードのこと!?」
「いや、それがアルハザードかどうかは分からないし、判別のしようがないけど……少なくとも、僕が解析したミッドの古代魔法には、これと似たような文字が使われていたんだ。可能性は高いと思う」
広大な敷地の案内図を携帯端末で撮影し、画像を保存。
ユーノの
「そう言えば前にフィーと一緒に探索した古代遺跡の文字も、これに似ているような……まさか、いやでも…………うん?」
「ゆーの、」
極々微かな駆動音に気付けたのは、経験の賜物だろう。
瞬間、二人の足下に火花が散った。
思考するよりも先にフィーの身体は動いた。
右足を軸に跳躍し、空中で身を捻って左足を一閃。音速を超過した衝撃波に魔力で以て指向性を持たせ、飛来した弾丸を蹴散らしながら、天井から二人を狙っていた銃口を正確に破壊する。
「ドラム缶?」
「防衛機構か」
ドラム缶を二回りは小さくしたようなボディーから銃口を生やしたそれ。フィーの放った剛脚の衝撃に耐えられず、破砕音と共に小さな爆発を起こすとあっという間にスクラップと化した。
だが、
「まだだっ!」
「わかってるって!!」
通路の薄闇の先からこちらを狙う銃口の輝きを、フィーは見逃さない。
そのままの勢いを殺さずに着地し、瞬動術によって刹那の間に間合いを殺す。一瞬に満たない僅かな時間で一発の発砲を許すものの、その黒光りする弾丸はフィーの身体に当たらぬコース。
「しっ!!」
射撃の発砲音が轟くのとほぼ同時、フィーの右手の抜き手がするりとミニドラム缶のボディーを貫通し、内部の機構を確実に機能停止に追い込んだ。
「口ほどにもないかな」
手を引き抜き、サンダルの爪先で床を弾いて調子を確かめる少女に、考古学者の卵は異を唱える。
「……そう簡単にはいかないみたいだよ」
「ぇ?」
ユーノの言葉に首をかしげる。
指差されているのは、外套のようなスクライア一族の民族衣装に設定を変更していたフィーのバリアジャケットだった。
「今の弾丸。掠めた場所に穴が空いてるよ」
確認すると、確かにマントの端に小さな穴。バリアジャケットが、一切の抵抗なく貫通されていたのだ。障壁貫通の術式や加工が施された弾ですら、一瞬のタイムラグが生じるというのに。
「……っ、これってもしかして」
「うん。アンチ・マジック・マテリアルに違いないよ……」
反魔法物質。
加工技術が確立されれば、次元世界の勢力図が塗り変わるとも言われている驚異の物質だ。その厄介さを、フィーはユーノとの遺跡発掘の際に対峙したトラップや金属獣で、嫌になるほど痛感していた。
「もしかしてここって、あの遺跡の文明が関係してるってこと?」
「そう、かも知れないね」
顎に手を当てて考え込むユーノ。
「ネギ、どう思う?」
『…………確かに、あの時に確認した魔法消滅現象に酷似している。あながち間違った考えとは言えない。……フィー、さっきの防衛機構が右側の通路から近付いてくる。数は十から十二』
「っ! ゆーのん、謎解きはここまでだよ! 今回のわたしたちの目的は、夜天の魔導書でしょっ」
「……そう、だね。よし、早く移動しよう。案内図を見る限り、目的の場所はもっと奥だ」
端末で撮影した地図を頼りに、フィーとユーノは慌ただしくその場を後にした。
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