リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第七話

 

 

 

 もう一週間と少し先に一大イベントであるクリスマスが迫る、あくる日の夕刻。

 

 学校帰りの道を友人のアリサやすずか、フェイトと共に歩き、肌寒い空気に白む吐息を眺めていた高町なのはは、ふと友達である少年ユーノが今頃どうしているだろうか頭に過った。

 

「どうかしたの、なのは?」

 

 アリサの言葉に小さく苦笑を返し、

 

「……元の飼い主さんに返したユーノくんが気になっちゃったの」

 

 なんて言っておく。

 

 魔法のことを知らない彼女たちに、ユーノの説明は難しいのだ。それに、闇の書を調べてくれている少年の姿が気になったのは本当のことなのだから、嘘は言っていない。

 

 事情を知るフェイトも、なのはの言葉に小さく苦笑を浮かべていた。

 

「元気かなユーノくん。また私の家に遊びに来てほしいな~」

 

「そうね。また機会があれば遊んであげても良いわよ」

 

「あははは~」

 

 なんてすずかとアリサの会話に、猫の襲撃から逃げ惑うユーノの姿を思い出して、なのはは苦笑した。

 

 そんな雑談を続けていると、丁度クリスマスシーズンの装飾が施されたカフェの前をなのはたちは通り掛かった。デコレーションされたツリー。赤いサンタのコスプレをした女店員が、期間限定ケーキを売り出している。

 

「もうすぐクリスマスね。今年はみんなどうするの?」

 

 アリサの問い掛けに首をかしげるフェイト。

 

「くりすます? 学校のみんなも言ってたけど、それって何かのイベント?」

 

「何かのって……ぁ、フェイトの故郷だとクリスマスはお祝いしないの? あれよ、イエスさんの聖誕祭」

 

「ぇ? いぇすさん? ぇっと、わ、私の故郷だとそんなことはなかったかな~……」

 

 モゴモゴと言い訳をする金髪少女の様子になのはは内心で苦笑をこぼし、自滅しそうなフェイトに仕方なく助け船を出してやる。そもそも異世界であるミッドチルダに、キリスト教がある筈ないのだ。

 

「あれだよアリサちゃん。日本だって仏教やら神道やら、色々ミックスしてるでしょ? イベント感覚で祝うから感覚がおかしくなるの。自分の宗教以外の記念日も祝う日本の方が世界的には少数派なんじゃないかな?」

 

 本当のところはどうか知らないが、とりあえずそんなこんなで話題を煙に巻く。

 

「ぁ~そっか。日本の方がおかしい訳ね」

 

 納得気に頷くアリサに、そうそうその通りなの、なんて適当に同意してフェイトへウィンク。フェイトも苦笑いを浮かべながら小さく頭を下げた。

 

 と、そこへすずか。

 

「……そうだ。みんなはクリスマスの予定はもう入ってる? クリスマス・イヴでも良いんだけど、病院に入院しちゃったはやてちゃんに、サプライズプレゼントをあげようと思ってるんだけど……」

 

「はやてちゃん……ああ、すずかが図書館で友達になった子だっけ? 友達の友達は友達だしね! 会ったことないから良い機会かしら」

 

「良いかもなの。わたしは特に予定はないし、何時でも……たぶん、大丈夫だと思う」

 

「わたしも大丈夫、かな?」

 

 なのはとフェイトは守護騎士達の蒐集を阻止するため、いつ応援要請が入るか分からないのだ。クリスマスぐらいは大人しく過ごしてくれれば良いのだが。

 

「ありがとう、みんな。予定が決まったら連絡するから、ダメそうなら無理しないで言ってね」

 

 守護騎士達との戦いはあれど、平和が続く海鳴の街。少なくともこの時までは、なのはの日常は平穏と言えた。

 

『是非とも、面白おかしい喜劇を演じてくれたまえよ、高町なのは君』

 

「っ…………?」

 

 ふいに頭の奥がズキリと痛んだ。

 

 何故かは分からない。だがしかし、どうしてかなのはは胸騒ぎを感じた。

 

 何か大切なことを忘れてしまっているような。

 

 何か途方もないことが待ち受けているような。

 

 言い様のない、けれど確かな予感。

 

 ふと見上げた空は、曇天。

 

 未来を照らす陽の光は遮られ、重く垂れ込んだ雲に隠れて白く淀んでいた。

 

 

 

 

 

 

 通路を抜けた先、大きなコンテナが無造作に並べられた広い空間。

 

 高い天井に輝く照明は赤く染まり、警報音が鳴り響く。

 

 連続する銃撃音と破砕音、硝煙の香り漂う鉄火場の中を、悲鳴じみた叫び声と共にフィーは駆け抜ける。

 

「ヤバイヤバイヤバイって!! ゆーのん、まだなの!?」

 

 銃弾が大気を貫く甲高い音が、耳元のすぐそばを通り抜けていく。

 

 肉体と精神と魔力、培ってきた技術と経験を総動員し、四方八方から雨あられと降り注ぐ銃弾の間隙を掻い潜り、スクライアの外套のような民族衣装を翻して虚空を蹴る。

 

 コンテナの上からこちらを狙っていたミニドラム缶型の防衛ロボットを着地と同時に蹴り壊し、ゼロコンマの遅滞もなくその場を飛び退く。

 

 刹那の差でフィーの居た足下を穿つ漆黒の弾丸。

 

 反魔法物質で構成されたそれは、あらゆる魔法的防御を貫く魔導師殺しの遺物である。シールドやバリアジャケットによる防御は不可能。避けるか弾くか、はたまた弾丸に使われている反魔法物質(アンチ・マジック・マテリアル)の許容量を超える出力の迎撃で呑み込むかしなければ、凌ぐことは出来ないのだ。

 

 故に、フィーとユーノ、二人の探索者は絶体絶命のピンチに当然のごとく追い詰められていた。

 

 直撃を受ければバリアジャケットなど紙のように貫かれて肉体を抉られる。急所にでも喰らえば一撃で即死もあり得る状況。侵入前にユーノが口にしたハードモードと言うのは、強ち間違った推測ではなかった。

 

 あまりの危機に、なんだかんだでいつの間にかフィーが虚空瞬動を習得してしまう程だ。

 

 飛び退いた先に待つ垂直な壁を限界まで強化された身体能力で強引に駆け上がる。重力を無視して走るフィーの後を追い、壁面に突き刺さった無数の銃弾が足跡のように火花を散らす。

 

 視界の先、天井に逆さになってへばりつく三体のロボットの銃口が火を噴き、射出された弾丸がフィーの頭部を正確に穿たんと飛来する。

 

 秒間十発以上の連射が弾幕を形成し、刹那の内に少女を蜂の巣に、

 

「ッラァッ!!」

 

 する寸前、跳ね上がるフィーの両脚。

 

 音の壁を容易に引き裂くサンダルに包まれた足先からは、無形の魔力が衝撃波と共に唸りをあげて破壊の旋風を巻き起こされる。

 

 魔力は散らされるものの、引き起こされた衝撃波は無効化されない。反魔法物質の銃弾を弾き飛ばし、そのまま三体のドラム缶を爆発粉砕。

 

 だが、そんなことは些事だと言わんばかりに、僅かな間も置かずに継続される銃撃の豪雨。見れば破壊した数を優に上回るロボットが、通路の向こうやダクトから供給されている。

 

「ちぃっ」

 

 目前に迫る数百の弾丸。直撃コースの致命弾を瞬時に判別して手甲で弾き、それでも捌き切れないものは弾いた銃弾をぶつけることで対処する。そして一呼吸の隙をもぎ取り、渾身の魔力を右拳へ集中。通路付近のロボットが密集する場所へ全開の砲撃魔法を叩き込む。

 

 ズン、と爆裂する白光の奔流。爆風が大気を揺るがし、一括りにしたフィーの赤毛を荒々しくはためかせる。

 

 が、機械の照準はあくまでも正確無比だった。銃弾が視界の悪さなど関係なしに頬を掠める。

 

「っ! ぁっぶなっ!?」

 

 爆煙を貫く無数の銃撃に慌てて、フィーはコンテナの陰に飛び込んだ。

 

 頭の中を掻き乱すような甲高い金属音が空間に連続して反響し、火花の束があちこちで咲き乱れる。

 

 しばらくすると銃撃は止み、微かな駆動音が広場に無数に犇めいた。首だけ出すようにして様子を伺えば、広場中に散開した幾十、或いは幾百の銃口が、フィーが身を隠すコンテナに向けて一斉に火を噴く。

 

 首を引っ込めた次の瞬間に開始される銃撃のフルオーケストラに、なんだか愉しさすら感じ始める始末だ。

 

 フィーは隣で解析の魔法陣をこれでもかと展開し、同時進行で両手で五つの端末を操っているユーノに笑い掛けてみせる。

 

「あははっ、これは死ぬかも!? その前にどうにか隔壁を開けてほしいんだけど、ゆーのん?」

 

「あぁもう、無茶ぶりありがとうございますってね。だ~いぶ愉しくなってきたね」

 

 フィー達の目の前には閉じられた隔壁扉。どうにかこうにかこの扉が開いてくれないと、非常に困ったことになる。

 

「あと少し。あともう少しでセキュリティを突破……は微妙だけど、利用者IDに僕の生体情報を上書き出来る筈なんだ。言語の翻訳に手間取ったけど、それ以上に防壁が固い。これ、スクライアの電子戦部隊でも無理なんじゃ……」

 

 ユーノはスクライアでも発掘を主とする一部隊の隊長を務めてはいるものの、流石に専門家には敵わない。

 

 スクライアの電子戦部隊は優秀だ。数々の遺跡の主端末を乗っ取り、あらゆる情報を収集し、堅固な防壁のロックを解除するその手並みは、次元世界でも有数の実力を誇るだろう。しかし、ユーノはその電子戦部隊ですらこの施設を乗っ取ることは不可能だと言うのだ。

 

「ここをこうしてそうしてこうっ、でもないか~……くっそぅ、難敵だ」

 

「ゆーのんでも手こずるとか、かなり厄介なセキュリティじゃん。……ネギ、最大出力の攻撃魔法で、この隔壁を壊せないの?」

 

 刻一刻と増えていく防衛ロボットの軍勢。時間を稼ぐにも限界が近いと見たフィーはそう問い掛けるものの、

 

『この施設の壁、どうやら特殊合金と反魔法物質が何層にも重なってる代物みたいだ。隔壁は言うまでもないし……後先考えない全力なら突破も不可能じゃないと思うけど、その後が続かないよ』

 

 そう都合よく突破は出来ないようだった。

 

「ぐむ~、いざとなった時はやむ無し、かな……ゆーのん、後どんくらい掛かりそうよ?」

 

「うむむむむ、む、ま、まぁあと三分、く、らい、か、な?」

 

 限界までマルチタスクで思考を分割しているのか、ぶつ切りの返答にフィーは頷く。

 

「……りょーかい」

 

 フィーの動体視力ですら残像が見えそうな程のタイピング速度で端末が弾かれ、ギュンギュンと解析魔法陣が高速回転で唸り続ける様は、狂喜すら垣間見える程だ。

 

 ……そっちもそっちで極限状態を楽しんでるって訳ね

 

 ニヤリ、と口端を吊り上げて、

 

「流石はベリーハードモード。上等じゃん」

 

 軋むほど両拳を握り締め、胸の前で叩き合わせて渇を入れる。

 

「三分程度、余裕だっての」

 

 瞬間、フィーは一切の躊躇なくコンテナの陰から飛び出した。

 

 尖る耳鳴り。

 

 無数の銃声。

 

 防御不能の致死の暴風。

 

 前面に振り撒かれる弾幕には、小動物一匹分の隙間もありはしない。

 

 絶体絶命。故に、フィーの心臓は狂乱するが如く早鐘を打ち鳴らし、熱い血潮を猛烈な勢いで全身へと駆け巡らせる。

 

 高揚した精神が、圧倒的な集中力を生み出す。

 

「いくぞぉおおおおぉぁああああははははッ!!!」

 

 全身の魔力運用を同期させた、強烈極まる瞬動の踏み込み。

 

 されど、床は無傷。ネギとの模擬戦闘を経たフィーのそれは、踏み締めた地面を陥没させるという余分な力の分散すらも削ぎ落とされているのだ。

 

 大気が軋む。

 

 連鎖する金属音。

 

 襲い来る幾百幾千の銃弾を真正面から拳でもって打ち払い、無数の閃光と金属音を突き抜けて、銃弾のカーテンを掻い潜る。捌き切れなかった弾丸が数本の髪を散らし、スクライアの外套を裂く。

 

 みみず腫のような擦過傷が身体中に刻まれるものの、数秒で跡形もなく掻き消えてしまう。

 

 人間離れした人外の回復力。しかし、闘争の空気に身を任せるフィーは気付かなかった。いや、気付きたくなかったのかも知れない。

 

 音の壁を突破した拳撃が生み出す衝撃波。その炸裂音すらも貫き、嵐を前にした木っ端の如く少女の四肢は敵を蹴散らす。鈍色の手甲に包まれた拳は言うに及ばず、四肢による体技の衝撃すらも合金製らしいボディーを粉砕していくのだ。

 

 瞬く間に通路付近に沸いた防衛機構をスクラップに変えると、次いでその場から瞬時にフィーは掻き消えた。

 

 上方から降り注いだ弾丸の豪雨は少女の身体に掠りもしない。

 

「当たんないってのッ!!」

 

 天井付近のダクトから飛び出してきた新手の銃撃が床へ火花を散らすより先に、少女の拳が炸裂する。

 

 砲弾の如く、砕け散ったロボットの破片が周囲を薙ぎ払い、巻き込むように十体以上の防衛機構が機能を停止する。

 

 だが、息つく暇もなく今度は左右。

 

 鼻先を掠めるように紙一重で躱した次は上下。

 

 隔壁のロックを解除しようと集中しているユーノを、防衛機構の凶弾に晒すわけにはいかない。

 

 縦横無尽に広い空間を駆け巡る。

 

 しかし、いくら壊しても何処から補充されてくるのか、防衛機構の数は一向に減らなかった。

 

 集中力を維持するのにも限度がある。

 

 ……ヤバイかも

 

 刹那の弛みも許されぬ極限状態。民族衣装の下にはいつもの黒い防弾シャツを着ているとは言え、気休めにもならない。

 

 一筋の汗が、頬を伝った。

 

 らちが明かない。

 

 体感時間は何十、何百倍にも引き延ばされているため、約束の三分まであとどれ程なのかすら分からない。

 

 その時である。

 

「フィー!」

 

 待ちに待ったユーノの合図が、少女の耳に届いた。

 

「さっすがゆーのんっ!!」

 

 三分きっちりかどうかは分からないが、ユーノはロックの解除に成功したのだ。見れば、固く閉ざされていた隔壁扉が重低音を響かせながら開いていく。

 

 フィーは瞬時に虚空を蹴り、コンテナの陰へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 背後で閉じる隔壁扉。鼓膜を責め苛んでいた銃声の大合唱がようやく止み、ユーノ・スクライアは大きく息を吐き出した。

 

 あともう少しで全身を蜂の巣にされても不思議ではなかったのだ。

 

 防衛機構の銃弾が通常の鉛弾だったなら、ここまでの苦戦はしなかっただろう。防御魔法を張り巡らせて強引に突破できる上、対処法など幾らでもあるからだ。だが、生憎と放たれるのは魔導殺しの黒い弾丸。フィーのように極まった体術を習得しているならばまだしも、ユーノのような結界魔導師では格好の餌食だ。

 

「いや~、ぎりっぎりっ。わたしはもうちょい行けそうだったけど、あれ以上増えられると、ゆーのんの方に抜けられてたかも」

 

「フィーも無事そうで何よりだよ。流石は実用化されれば次元世界の勢力図が塗り変わるって言われるだけはあるね。ここまで反魔法物質が厄介だとは……」

 

 そうこぼしながらユーノは額の汗を拭うフィーを見詰めた。

 

「? なによ?」

 

「……ここまでの探索でも思ってたけど、随分と腕を上げたよね」

 

 先程の少女の活躍を目にして、ふと浮かんだ疑問だった。

 

 バリアジャケットの外套が裂けてはいるものの、フィーの身体には傷一つない。千体近い防衛機構、万を越える弾丸の嵐を駆け抜けた上で、無傷。次元世界広しと言えど、そんな神業と呼ぶに相応しい芸当をこなせるものがどれだけ居るだろうか。

 

 ……少なくとも、この前のP・T事件の時にはそれほどの技術をフィーは身に付けてなかった

 

 あり得るのだろうか。一年に満たない短期間で十数年、もしくは数十年分もの飛躍的成長など。なのはのように優れた資質を誇る魔導師の蕾が魔法との出会いで急激に開花するのとは全く別の話なのだ。

 

 確かにネギと言う先達が身近に居るだろう。だが、先程の少女の動き、ユーノの目算では体術に限ればネギに匹敵、或いは凌駕する次元にあるようにすら思えた。

 

 そして、少女の急成長に対する心当たりが一つ、少年にはあった。事件の後、スクライアの移動都市で再会した際にも問い詰めて、そしてうやむやにされた秘密。

 

 こちらの内心を読み取ったのだろうか。フィーは言葉を詰まらせて目線を泳がせると、

 

「ま、まあ、あれだよ。何て言うか成長期、みたいな? わたしにも色々あるんだってば」

 

 なんて言ってくる。

 

 そんな返事にユーノは、

 

「…………そっか。体術のことはそこまで詳しくないけど、この前より数段動きが良くなってるように見えたからさ。……フィーに負けないように僕も精進しなくちゃね」

 

 と、お茶を濁す。

 

 問い詰めてしまうことで、今のこの関係が壊れてしまう気がしたのだ。

 

 同年代で、いや、友人の中で最も気の許せる少女が、ユーノの目の前から消えてしまう気がしたのだ。

 

 ……今はここの攻略に集中しよう

 

 そして、何時かと同じように目先の難問に逃避することで、少年は少女の胸中に蠢く闇を直視することを避けてしまう。

 

「そうそう。天才的なわたしに置いてきぼりにされないように頑張ってよね。ほら、早く先に進むよ!」

 

 なんとなく感じるフィーのわざとらしさにはいはい、と同意を示し、ユーノは空間モニターを展開した。

 

 全五階層。何ヵ所もの階段や複雑に入り組んだ通路は、もはや迷宮の様相を呈している。だが、この施設案内図から作成した立体模型マップがあれば、迷うことはないだろう。

 

 小さな光点がユーノたちの現在地を表している。目標の反応は最奥部……案内図では資料保管庫と表記があった場所だ。そこまでにはまだまだ長い道程を踏破しなければならない。

 

「さて、油断せず行こうか」

 

「いえっさー」

 

 資料保管庫、と表記されていた部屋に向かうまでの道程は、意外にもあっさりしたものだった。だが、それはこの施設のセキュリティが甘いからと言うわけではない。ユーノの施した細工により、なんとか認証システムを誤魔化すことで隔壁を素通り出来なければ、恐らく到達まで数ヶ月、或いは年単位を視野に入れねばならなかっただろう。

 

 ようやく最奥部に辿り着いたのは、内部に侵入してから三時間が過ぎた頃だった。

 

 ……警告・コレヨリ先、機密資料保管庫。セキュリティレベルⅢ

 

 ものものしい警告文が掲げられた隔壁扉。ユーノはしばし扉の前で立ち止まり、その様式を観察する。同じく隣に佇む赤毛の少女も、隔壁には近寄らずに見に徹する。

 

「古代ベルカ文明の最初期っぽいかな」

 

「あぁ、それのタイプⅡが一番近いと見たね。魔力と網膜認証。いや、でもそれ以外の名残も感じられるか……端末のタッチパネルを見る限り、指紋認証もあり、かな?」

 

 有り体に言ってしまえば、ユーノはあんな様式のセキュリティを見たことがなかった。だが、全くの初見と言うわけでもないのだ。先ず、使用されている言語を見ても様々な文明の臭いが感じられる。

 

 ……これって、もしかしてホントにアルハザード文明じゃない、よね。まさかね

 

 かつて滅んだとされる超々高度な魔法文明を誇ったとされる伝説。

 

 所謂、歴史ロマンと言うヤツだ。しかし、ここまで見てきた施設の様相を鑑みるに、ふと過った思考が強ち間違っているとも思えなくなりそうだ。

 

「どうしようか?」

 

「どうするって……行くっきゃないでしょ」

 

「そう、なんだけどさ。何だか今までの隔壁扉とはセキュリティレベルが違うみたいなんだ。何が起こるか分からない。ロックが解除されるかどうかも不明」

 

 さてどうする、と考え込んでは見るものの、出来ることは限られているのだ。ネットワーク経由で出来ることは既に手を尽くした。これ以上の細工を仕掛ければ、システムに検知されかねない。そうなれば、ここから外への脱出も困難だ。

 

「……なら、やっぱり行くしかないでしょ。あれだよ、不意打ちは何時来るか分からないから不意打ちな訳で、来ると思ってればどうとでもなるし。何かが起こるって気を張っとけば、わたしたちなら対処できるって」

 

「ま、そうだよね」

 

 一つ、深呼吸。

 

 いつ何時、防衛システムが作動しても遅滞無く動けるように心構えを完了する。

 

「よしっ」

 

 隔壁扉へ歩み寄る。

 

 ここまでの扉は近付くだけで自動ドアのように開閉したが、ここでは変化はまるでない。

 

 隔壁扉と一体化したタッチパネル端末の前に佇むと、自動的に画面に光が灯った。そのまま手形のマークが表示される。

 

「ここに手を押し当てろってことかな」

 

 問題はない。生体情報を上書きする過程で既に登録済みだ。

 

 ゆっくりと背後を振り向くと、フィーが小さく頷いた。僅かに腰を落として瞬時に動ける体勢を取って不測の事態に備えている。ユーノも無言で頷きを返し、タッチパネルへ右手を合わせる。

 

 小さな電子音。

 

「…………っ」

 

 次いで天井付近から照射された細い光線は、ユーノの網膜認証。同時に魔力波形も調査されたらしい。ポン、と再び小さな電子音の後に端末の画面が切り替わる。

 

『照合中』

 

 映し出されたその文字を、ユーノは固唾を飲んで見守った。

 

 数秒の間を置いてもう一度電子音が響き、

 

『照合完了』

 

 固く閉ざされていた隔壁扉が滑らかに開き始めた。

 

 何事もなくセキュリティを突破したのだ。

 

「……よし」

 

 そう小さく呟く。

 

 ユーノたちの身の丈の三倍以上は大きな扉の向こうには、ドーム型の高い天井が広がっている。自然光に近い穏やかな光を湛える静謐な空気が頬を撫で、一瞬の安堵がユーノを包み込んだ。背後のフィーが小さく息を吐くのがわかった。

 

 僅かに弛緩した緊張の糸。しかし次の瞬間、その糸が引き千切れんばかりの事態が二人を襲う。

 

 目前に現れた存在に目を疑った。

 

「「っ!?」」

 

 直径にして百メートルはくだらないドーム型の空間。そこに並べられていたのは、有形書籍を詰め込んだ本棚。二メートル程の高さがある無数の収納棚が鎮座していた。

 

 それだけならば二人は驚愕に目を見開きはしなかっただろう。機密資料保管庫、と言う標識から鑑みれば至極当然の光景だ。

 

 問題はその手前。

 

 無数の収納棚を背景に設置された受付カウンターのような机。

 

 その手前、

 

『ヨウコソオイデ下サイマシタ。ユーノ・スクライア様。ゴ用件ヲドウゾ』

 

 一人の女性が佇んでいた。

 

「念話? まさか……」

 

「と言うか、何でゆーのんの名前を?」

 

 年齢は二十歳前後と言ったところだろうか。

 

 腰まである艶やかな黒い長髪に切れ長で無機質な琥珀色の瞳。黒を基調としたスカートスーツを思わせる服装に身を包んだ女性が、ユーノたちを出迎えるかのように頭を下げる。

 

 理解不能な光景に思考が停止しかけるものの、遺跡発掘のスクライア一族としてのプライドが、思考の漂白に待ったを掛ける。

 

 ……人間の筈がない

 

 そう。目の前の存在が人間の筈がないのだ。無限書庫の最深部に近いだろう座標に取り込まれていた施設。少なく見積もっても千年以上の悠久を経過しただろうここに、生きている人間が生存している筈がないからだ。

 

「……あなたは、いったい?」

 

 思わず口をついた言葉に、女は応えた。

 

『申シ訳アリマセン。貴方ノ用イル言語ハ、ワタクシニ登録サレテイマセン。思念通話デノ対話ヲオ願イ致シマス』

 

「……なるほど。アンドロイド……ヒト型の機械なのかな。この文明、そこまでの技術力があるのか」

 

 何らかの超技術によって、機械の人形が遥かな過去より朽ちずに機能し続けているのだろう。

 

 よくよく考えてみれば、防衛機構のドラム缶型ロボットたちも遥かな過去の遺物であるのに機能しているのだから、それほど突拍子のない事でもない。

 

 すぐさま頭の中を整理したユーノは動揺を飲み込み、念話でもって返事を返した。

 

 流石にユーノでも、この文明の言語を解読するならまだしも喋ることは難しい。次元世界でもポピュラーな言語体系ならば翻訳魔法が容易に手に入るが、全く新しい言語の翻訳魔法となると、その作成には膨大な時間が掛かるのだ。その点、念話ならば相手が似たニュアンスの文言を勝手に脳で読み取ってくれるので、文化的な剥離が激しくない限りは会話に不便しないのだ。

 

『ここで資料を探したいんだけど』

 

 相手に合わせる。

 

 下手に事を荒立てるのは下策と感じたユーノは、女アンドロイドにあたかも自分は施設利用者であるように自然に接した。

 

『カシコマリマシタ。検索端末ガゴザイマスノデ、コチラヘドウゾ』

 

 そう言ってユーノを促した女は、クルリと振り返り受付カウンターへと向かって行く。

 

「ふぅ」

 

 その背を追って保管庫内に足を踏み入れながら一つ、息を吐く。

 

 ……まったく、一時はどうなるかと思ったよ

 

 そこで気を抜いたのがいけなかったのだろうか。一週間以上に渡る探索、予測不可能な事態の連続で、想像以上に精神的疲労が蓄積していた為だろうか。いや、或いは避け得ぬ定めだったのかも知れない。

 

 とにかく、事態はフィーが資料保管庫に足を踏み入れた瞬間に激変した。

 

「なんとかなりそうだね、ゆーのん」

 

「いやほんと、どうなることかと、」

 

 フィーが隔壁扉の境目を踏み越えた瞬間、甲高い警報音が鳴り響いたのだ。

 

「へっ!?」

 

「なっ!?」

 

『同行者ノ許可ハ申請サレテイマセン』

 

 警報が作動した途端、ユーノとフィーの間に女アンドロイドが割り込んできた。それはまるで、侵入者からユーノを守ろうとでもするかのような動作。高速移動魔法じみた機動力は、このアンドロイドが単なる司書役の為だけにこの場に配置されたのではない事をユーノが悟るに十分なものだ。

 

「あ、くっ『そ、その子は僕の同行者で……』っ」

 

 アンドロイドはユーノの念話に耳を傾けない。

 

『再照合……失敗。対象を侵入者ト断定。排除ヲ開始シマス』

 

 利用者に登録出来たのはユーノの生体情報だけだったのだ。セキュリティシステムの複雑さから、これ以上の細工は危険と判断した為だったが、それが裏目に出た。

 

「フィーっ!!」

 

「へいきへい……ッ!?」

 

 途中で途切れる少女の声。

 

 ユーノの目前、女アンドロイドの黒髪が靡いたかと思うと、フィーと共にその姿が掻き消える。

 

 隔壁扉の境を越えた向こう。手甲と硬質なナニカが打ち合わされた金属音の残響に気付けば、瞬時に移動した二人の姿がある。右腕を黒く鋭利な刃物状に変形させたアンドロイドの振り下ろしを、交差させた両腕で少女が防いでいる形だ。

 

「くっ!!」

 

 悪態を噛み殺し、バインドを発動。

 

 アンドロイドの動きを封じ込めるように、その両手両足に枷を嵌め……刹那の拮抗も抵抗すらも許されず、鎖が溶けるように揺らいで消えた。

 

「ばっ」

 

 ……バカな

 

 その一言を口にする暇すらありはしない。

 

 ぞわぞわ、と風に揺らめくように黒髪が蠢いたかと思えば、その毛先が幾本もの黒槍を形成する。フィーから見れば背中と言う死角に隠されたその動き。もはや、言葉も念話も間に合わない。

 

「ッ!!!」

 

 ひとりでに閉まり始める隔壁扉。

 

 手を伸ばそうとも届かぬ場所に、愛しい少女が取り残される。

 

 完全に閉じる間際に見たものは、宙を駆る黒槍と噴き出す血飛沫。

 

 スクライアの外套を紅く濡らす、フィーの姿だった。

 

 

 




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