気が付くと、暗闇の中に立っていた。
何処までも果てのない闇。狂おしい程の無音に支配され、静寂に包まれた空間。
……また来ちゃったか
意識を失って、こうして精神世界の深奥に沈み込んだのは何度目だろうか。一度目こそ、暗闇にトラウマを刺激されて取り乱していたが、何度も経験すれば流石に慣れるには十分だ。何もかも塗り潰す黒をフィーはぼんやりと眺めた。
……大丈夫かな、ネギ
致命傷に近い傷を負った状態で窮地を押し付けてしまったのだ。あんな状態では治癒魔法で身体を治すことも儘ならないだろう。
早く目を覚まさなければ、なんて焦りともつかない思考のまま辺りを見回す。
自分に何が出来るか分からない。あのアンドロイドはフィーの手には些か余る難敵だ。だが、だからと言って寝ている理由にはならない。
そうして周囲の闇を見通そうと目を凝らしていると、ずっと遠くの地平線に光が見えた。
直感的に、フィーはあの光が現実世界への扉だと悟る。
……行かないと
命懸けの戦闘で負った傷のせいか、どこか動きの鈍い頭でそう思い、光に向かって歩き出そうとして、
『…………ホントに、目覚めていいの?』
背後から掛けられた唐突な声にゆっくりと立ち止まった。
半ば予想していた声だ。己自身、闇の魔法に手を出してから、ことあるごとにちょっかいを掛けてくる邪魔者。いや、自分が見たくない自分自身とでもいうべきか。
「またあんたね。いい加減、芸か無さすぎじゃないの?」
振り返ったフィーが目にしたのは、やはりと言うか、己と瓜二つの姿だった。
暗闇に浮かび上がるように佇む自分と鏡写しの虚像。だがしかし、この前のようにその姿は化け物のそれではなかった。
「なによ? また殺し合おうっての?」
『まさか。わたしはあなたに負けて、そんな力なんて何処にもないよ。出てきてあげたのは一応、忠告ぐらいしてあげようと思ってね』
そう肩を竦めて見せる虚像に、フィーは眉を寄せた。
目の前の存在からは、言葉の通り欠片の力も感じとることが出来ない。ならば何故、こいつは現れたのか。
『この前のわたしは化け物みたいだったじゃん? で、今はこの通り、何の力も持たない影。それじゃあ、その力は何処に行ったと思う?』
「…………意味わかんない」
虚像の言わんとしている事。それは何となく、いや、本能的にフィーが目を背けてきた事実。
『ホントはわかってるでしょ?』
バカにするように、哀れむように、少女の影は少女の胸を指差した。
それに触発されたのか、どくり、と胸の奥のナニかが蠢き鼓動が高鳴る。
「……っ」
『欲望。狂おしいほどの衝動。何もかも壊してしまいたくなる、そんな気持ちかな?』
視界が明滅する。
絶叫してしまいそうなほどの吐き気。
食欲、性欲、睡眠欲……生物としての欲求に加え、その他ありとあらゆる欲望が一斉に心の内側で跳ね回り、思わず何かを壊し、殺してしまいたくなる。
「ぁ、んたの、せい、ってこと」
絞り出すように毒づき、フィーは目の前の虚像を睨み付ける。しかし、こちらの眼光などお構いなしに肩をすくめ、虚像はお門違いだと言いたげに飄々とした態度を崩さない。
『……邪道に手を出した対価ってやつだよ。日常生活にも支障をきたしかねない衝動を、今まであなたは、無意識の内にわたしっていう仮想人格を作り出して、押し付けてたって訳』
「…………」
因果応報。
邪道へ手を出した報いは、いつの日か必ず己の身に降り掛かる。
かつて相棒にも告げられた言葉が脳裏を過った。
こんな暴力的な欲望の衝動に晒され続ければ、気が狂ってしまいかねない。
ゆっくりと深呼吸を繰り返し、心の内側で暴れ回る衝動を抑制。漸く平静を取り戻した頃には、全身に嫌な汗が滴っていた。
「…………ふ、ぅっ」
『おぉ、流石は拷問じみた殺し合いを潜り抜けただけはあるね。ま、この程度で暴走してるようじゃ論外だけど』
騒々しい自分自身の影の言葉を聞き流して、フィーは目を閉じて己自身に埋没する。精神を集中させ、深く深く、心の奥底へと潜り込み、
「……なる、ほど、ね」
そこで見付けた。
近頃、少女を蝕んでいた欲望の元凶。
暗く、黒く、醜く、けれど途轍もない力の塊。
闇の魔法……人の道から外れた、罪深き業に塗れた外法を。
目を開く。
持ち上げた手のひらは、禍々しい魔物のそれに変貌している。以前の影がそうだったように、全身がヒトガタの龍種の如き化け物の様相を呈していることが、見ずとも理解できた。
「…………覚悟の上、よ」
そう。
己自身の影に言われるまでもなく、フィーは理解していた。恥ずかしながら、言葉にされるまで目を背けていたのは事実だけれど。闇の魔法へ手を出した瞬間から、その決意に陰りはない。
それに何より、自分にはネギと言う最高の理解者が居る。この程度……身体が人間じゃなくなった位でへこたれるなど、自分自身の矜持が許さない。
……わたしはわたし。どんなに身体が変わろうが、それだけは変わらない
「……で? こんなことを確認するために、わざわざ出てきたって訳?」
『いやいや、そんなんじゃないってば。だから最初に聞いたでしょ? ホントに目覚めていいのって』
「……ふんっ」
なんて問いに返事の必要もないと背後の光へ踵を返し、小さく気合いを入れる。
元の肉体をイメージし、化け物に変貌した身体を人間のそれへと外見だけでも戻す。
自分自身の身体だ。変異の制御程度、気合いでどうにかして見せる。
「どうせ人じゃなくなったからどうこうとか言うつもりでしょ? おあいにくさま。そんなもん、随分前からわかってるっての」
光へ向けて歩を進めるフィー。その背中に、虚像は小さく頭を振るうと、呆れたと言わんばかりにため息を吐いた。
『まぁ、そうだよね。あなたにはネギも居るわけだしね。不安なんてないって感じかな? でも、わたしが言いたいのはそう言うことじゃなくて……』
……あなたが化け物だって周りが知ったら、どうなると思う?
特に、もう一人の相棒であるユーノ・スクライアは、自分を受け入れてくれるのだろうか。
「!!」
その言葉に歩みが止まる。
身体が強張る。
ひとりの少年の顔が、ふと脳裏を過ぎる。
時の庭園崩壊から今現在に至るまで、フィーは己の身に外法が宿っていることを、心配する少年には誤魔化していた。
知られたくなかったのかも知れない。拒絶されることを怖れ、無意識の内に真実を告げることを躊躇っていたのかも知れない。
図星を刺され、胸の奥にどす黒い衝動とは異なる、凍えるような震えが走った。
「……大丈夫に、決まって」
苦し気に溢した言葉は、闇に溶けて跡形もなく掻き消える。
振り返れば、虚像の姿は既に無かった。
☆
世界の歴史が眠る無限書庫。
その最深部に施設ごと取り込まれていた遺跡の、更にその奥。
機密資料保管庫へと続く真っ直ぐな広い通路。外部と隔絶し静寂に包まれた空間に、雷鳴が轟いた。
……術式兵装・雷天双壮
雷光に輝く肉体。
ただそこに立つだけで大気が震える、絶大な魔力。
広範囲雷撃殲滅魔法を己の肉体に二重装填すると言う、常軌を逸した発想が生み出したネギの奥の手の一つが、静寂を掻き乱す。
全身に満ちる全能感を呑み込み、ネギは眼前の壁に背を預ける女アンドロイドを見据えた。
そんな視線に、感情を感じさせない無機質な琥珀の視線がぶつかり合う。
『魔力反応ノ上昇ヲ感知。術式解析…………不明。未知ノ魔導体系ニヨルモノト判断シマス』
黒い長髪。スカートスーツにハイヒール。まるで受付の係員を思わせる装いは、強ち間違った予想ではないのだろう。
無限書庫に取り込まれ利用されなくなった悠久の時の間すらも、利用者を待ち続けていたのだ。
そんな姿に、
……茶々丸さん
かつての仲間がタブって見えた。
資料保管庫の守護者。女アンドロイドは与えられた役目を延々と実行し続けているに過ぎない。侵入してきたのは自分達の方であり、アンドロイドからすれば悪はこちら側なのだ。
利害は常に衝突し合う。大団円、全てが幸福を享受できる状況など、夢の世界にしかありはしない。
「……いや」
なんて躊躇いを、一秒で投げ捨てた。同時に重なる仲間の幻影は消え失せる。
激しく、そして凄惨な戦場を共に駆け抜けた彼女には確かな意志が、感情があった。
苦悩あるところに物語があり、物語あるところに意志がある。そして意思ある者にこそ、魂が宿る。
故に、
「苦悩もなく、意思もなく、疑問を覚えず、ただ与えられた役割をこなすだけの貴女は、ただの人形だ」
ネギは告げる。
人工知能の有無ではない。
そんな人形と同一視することは、仲間に対する侮辱に他ならないと気が付いたからだ。
だが、そんな言葉に反応せず、機械仕掛けの人形は、半ばまで壁にめり込んでいた身体を引き剥がす。
『排除』
「!」
アンドロイドが僅かに腰を下ろす。ミリ単位の微かな挙動を見逃さず、ネギは瞬時に右手のひらを翳した。解き放たれるは千にも及ぶ魔矢の弾幕。
……
通路を埋め尽くさんばかりの光の弓矢が、十メートル程の彼我の距離を瞬く間に埋め尽くす。
魔法を無効化するアンドロイドにこの程度の出力では意味がない。そんなこと承知の上だ。反魔法物質は、黄昏の姫御子が保有する完全魔法無効化能力のように魔法そのものを消し去っているわけではない。
魔力を光や熱、別のエネルギーへ瞬間的に変換することで、結果として無効化したように見えるだけなのだ。変換速度やエネルギーの蓄積、放射限界を見極めることで、女アンドロイドを破壊する為に必要な出力を割り出そうと考えたのだ。
だが、そんな思惑などどうでもいいと言わんばかりにアンドロイドは踏み込んできた。
魔法の射手の弾幕など見向きもせず、フィーを沈めた超高速の一撃が空間を歪ませる。
「っ!!」
爆音、炸裂音に破砕音。
思考加速、身体機動加速が付与された雷天双壮状態のネギの動体視力ですら、僅かに反応できる超速度。背筋に走る悪寒と踏み込んだ脚の角度から軌道を予測し、雷速瞬動による回避が千分の一秒単位で上回った。
頬を掠める衝撃波。
辛うじて半身になったネギのすぐ側に、女の抜き手がある。
この状態ですら躱すのに紙一重だ。肝を冷やしながらも、ネギは思わず内心で唸った。
生の肉体で直に見たからこそわかる途轍もない体感速度。見てからではなく、その動作の起こりを見切らなければ凌ぐことは到底不可能だ。
闇の魔法によるブーストもなく素の状態、いや、重傷を負ってそれよりも悪条件の中、この超速度の一撃をフィーは防御して見せたのだ。果たして同じ条件下で同等の対応が取れるか、ネギは首を傾げざるを得ない。
そんな次元まで相棒の少女は到達していたか、と先程の髪の槍を凌いだ神業的回避も含めて、フィーの成長に驚嘆する。そして同時に、そんな厄介な相手をどう仕留めるか、ネギの頭脳は高速で最適解を見出ださんと回転していた。
「ッ」
抜き手の余波が覚め止まぬ中、冷徹な琥珀の眼光が虚空に二条の線を描く。
突き出された右腕が神速で引き戻され、空間を握り潰すような万力の如き握力で以て、拳が握り込まれる。
ぞわり、と背筋が粟立った。
いくら単純な物理攻撃を無効化する雷化状態とは言え無敵ではないのだ。一定の、所謂超一流と呼べる域の達人が操る魔力や気は、当たり前のように雷化を貫通して本体にダメージを与えてくる。ましてや魔法無効化の拳など、直撃すればただでは済まない。
刹那、轟と大気が軋みを上げた。
「チィッ」
物理法則が甲高い悲鳴を撒き散らし、始まったのは巨岩を一撃で粉砕する重拳の連突だ。秒間百撃を優に上回る拳打の嵐。それだけではない。フィーの身体を貫いた髪の黒槍が、合間を縫ってひとりでに閃くのだ。
呑み込まれたなら致命傷は免れぬ連撃。弾幕すら超えて、それはもはや壁の様相を呈している。
「ぃぃぃいいいッ!!」
血の気を全く感じさせない握り拳の白。同等の速度で蠢く髪の毛が束ねられた槍の黒。迫り来るモノクロの死。そんな群れなす死神の行進へネギは引くことなく突き進む。
走る雷光。
雷速の捌き。
両腕が稲妻を伴って閃き、魂に刻まれた武の術理に従って身を翻す。
一瞬で頬が裂け、次の刹那で肩口と脇腹のバリアジャケットが千切れ飛んだ。極細塵の時の中で、ネギを貫こうとうねり来る無数の死線。二本の腕と十本の髪槍。都合十二の入り乱れる死線の牢獄を薄皮一枚で掻い潜りながら、三秒。
遂に迫る回避不可能な拳の一撃。百分の一秒先の未来で全身を粉微塵に砕かれる一刹那前、鋭い雷鳴が迸りネギの身体は女アンドロイドの背後にあった。
『ッ』
「破ッ!!」
向かい合わせの背中。背後に回られたことを感知したアンドロイドが振り返るよりも先に、莫大な魔力を込めたネギの肘鉄がその背中へ炸裂する。
鋼鉄が震えるような重低音と共に吹き飛ぶアンドロイド。上下左右、剥き出しになった合金製の壁や天井に衝突して五十メートルは錐揉みしながらも、手で床を抉ることで無理矢理その勢いを殺して見せた。
甲高い音が反響し、火花を散らして床に引かれる一条の傷跡。
高質化していた黒髪が纏めてへし折れ、女の髪は肩口ほどで千切れている。
背中から上がる煙は、身体強化に上乗せされた魔力を無効化仕切れなかった為か。
『・不・・可ガ、ゥ理オ???』
視線の先、操り糸が切れた木人形の如く、その動きが停止した。
如何に速く仕掛けても捉えきれぬネギの雷速。未だに解析出来ない不死の根源。そして、正体不明の未知の魔導技術。女アンドロイドの人工知能が処理しきれぬ案件と、物理的な衝撃にフリーズを起こしたのだ。
そんな絶好の機会を見逃してやるほど、ネギはお人好しではなかった。
「ラス・テル・マ・スキル・マギステルッ!!」
呪文詠唱。
「
掲げた右手に集束し、激しく迸る稲妻と旋風。
爆発的に高まった魔力圧と吹き荒れる暴風を従え、雷光に輝く長髪を靡かせる様は、正しく雷の神。
爛々と稲妻を湛える双眸が、五十メートル先で膝をつくアンドロイドを見据え、
「喰らえ」
次の刹那、鋭い雷鳴と共にネギはその目前まで移動していた。
『高魔力反応を感……』
見開かれる琥珀色の瞳。歩幅三歩分の至近距離で、人形の回避を許さず翳される右手。胸の前で両腕を交差させ、防御の姿勢を取るももう遅い。
……
雷と旋風を孕んだ砲撃が解き放たれた。
閃光。
轟雷。
爆風。
Sランク砲撃魔導師の全力砲撃にも匹敵する大魔法の直撃。どれほど強靭な生物だろうと、機械であろうとも、これほどの火力に呑み込まれればただでは済まない。
「……やはり足りない、か」
筈だった。
急速に掻き消されていく魔力の残滓。動き出す機械の軋みを、研ぎ澄まされたネギの知覚が逃さない。
相手は次元世界の勢力図を塗り替えるに足る存在だ。大魔法の直撃。死を意味するそんな常識は至極当然、当て嵌まりはしない。
床を抉って踏み止まり、その鋼鉄の身体は五メートルほど後方で健在だった。あちこちから煙を上げ、しかし、損傷は見当たらない。交差させた両腕のスーツの袖が焼け焦げ、千切れ飛んでいる程度だ。
だが、
……床を抉ったと言うことは、無効化仕切れてない証拠だ
ネギのターンは終わらない。
「これで詰みだ」
そう吐き捨てて、鋭い眼光を湛える少女の顔がその身体ごと掻き消える。
雷速の突撃。
『解析完了。周辺電位差ノ分布ヲ把握』
一方的に攻撃を受け、追い詰められているアンドロイドは、それでも淡々とした調子を崩さない。いや、崩す機能がないのだ。
ネギの突撃とほぼ同時に、その右手が鋭利な刃物へ変質する。
反魔法物質の煌めきが散る漆黒の刃だ。
魔法を消し去る斬撃が虚空へ繰り出されたのと、その場にネギの姿が現れたのは百分の一秒単位で同期していた。
自らの雷速によって斬撃へ飛び込む回避しようのない光景。鮮血が撒き散らされる凄惨な展開が次の刹那に起きる寸前、
『?』
その姿が頭から股に掛けて、真っ二つに弾けとんだ。残されたのは僅かな稲妻のみ。掻き消えるように余韻も残らない。
雷で編んだ囮。
女アンドロイドの知覚では、高エネルギーの塊であるデコイと本体とを判別出来なかったのだ。
僅かな躊躇いを経て、アンドロイドは動く。
上。
そこに突撃する少女の姿。
黒の刃が閃き、同じく真っ二つにしたところで、それもまた囮に過ぎない。
周囲の電位差を解析することにより、女アンドロイドはネギの雷速瞬動からカウンターを取ることに成功していたのだ。だがしかし、それでもネギ本体を捉えることは出来ない。同様のことが三度繰り返された後。
女アンドロイドが周囲へ視線を動かす。
上下左右、縦横無尽。幅四メートル、高さ三メートル、全長百メートル超の広いとも言えぬ戦場。その空間が溢れんばかりに雷の囮が出現し、
……千躰雷囮結界
「ぉおおおおッ!!!」
無数のネギから発せられる気合いが合わさり、空間を揺さぶらんばかりの魔力が解き放たれる。
女アンドロイドが雷速の秘密を解き明かし、反撃に転じてくると読んでいたからこその、この物量だった。
先程の『雷の暴風』の手応えから推測するに、如何に反魔法物質とは言えこの数の完全雷化による突撃を受ければ、少なくない損傷を被るだろう。
アンドロイド自身もその事は理解している筈だ。故に、
……
二重に取り込んだ『千の雷』の内の一つを解放し、その雷撃全てで以て現勢化された電場。極めて巨大な衝突電離による雷撃を、回避しようとすることは至極当然のことだった。
唸る轟雷。
無数の少女の身体が一際強大な稲妻を纏って発光し、雷の速度で突撃を開始する。
極々僅かな差で駆ける千磐破雷の群れ。紙一重に満たない差によってもたらされる隙間を縫って、アンドロイドは轟雷の直撃を回避していく。
床を、壁を、天井を蹴り、最後の一体が掻き消えた頃には、その身体はフィーが叩き付けられた通路の終点を背にしていた。
雷撃を回避した結果そうなるように、ネギは千磐破雷の軌道に隙を作っていたのだ。
だからこその詰み。
アンドロイドから直線で三十メートル。通路の虚空に浮かび、 突撃の隙間を掻い潜ったことで壊れた壁に背を預ける獲物へ狙いを定める。
逃げ場は左右の通路だが、そんな隙は与えない。
「
詠唱と同時に掲げた手のひらに、
……
全長十メートルを超える、巨大な槍が顕現する。
ドリルのように螺旋を描くフォルム。『雷の暴風』と『雷の投擲』を術式統合することで生み出したそれは、大魔法の破壊力を槍の形に凝縮したものだ。
「ッ!!」
掲げた手を振り下ろす。
ただそれだけで埋め込まれた術式に従い、螺旋槍が大気を巻き込み抉りながら霞む速度で駆け抜ける。
三十メートルの距離など有って無いようなものだ。瞬き一つに満たぬ間に螺旋槍が間合いを蹂躙し、アンドロイドの胸部に風穴を穿たんと襲い掛かった。
S級の高位魔導師が展開する防壁であろうと、或いは次元世界の奥地に棲息する真竜級の化け物の龍鱗であろうとも、大魔法を圧縮することで飛躍的に突貫力を増した螺旋槍の一撃を凌ぐことは困難だろう。その貫通力はネギの操る魔法体系において雷系最大の突貫力を誇る『
確かに、かつてユーノと共に対峙した反魔法物質の金属獣は、グングナールを無効化して見せた。だが『暴風の螺旋槍』の貫通力は、複雑な術式によるものではなく内包する莫大な魔力を源としているのだ。
容易く掻き消すことは出来ない。
『迎撃』
己の肉体を損傷させるに足る高出力の雷槍の一投を前に、アンドロイドは回避を諦め、その変形した右手の黒刃を繰り出す。
螺旋槍の穂先と、黒刃の刃先。
刹那の内に衝突する点と点。
全てを貫く一条の螺旋と、魔を絶ち切る鋭刃の刺突。
法則と法則が互いを否定しようと金切り声を撒き散らし、その余波で焼け焦げた大気が辺りにオゾン臭を充満させる。
そして、
『ッ』
アンドロイドの右手首から先が、刹那の拮抗を経て溶け崩れた。
まるで、一瞬で沸点を超える超熱量に晒された鋼鉄が蒸散するかの如く、刃が黒い液体に変質し、吹き荒ぶる衝撃波の渦に巻かれて飛び散る。
黒い液体。それは、人間で言う血液のようなものなのだろうか。何れにせよ、衝突に敗れたアンドロイドは、螺旋槍をその胸部に直撃させるかに見えた。が、やはり機械。肉体の損傷などお構いなしに、残る左手で槍の穂先を掴みに掛かる。
一瞬の半分の半分にも満たない、正しく刹那の超反応。刃による迎撃が失敗し、螺旋槍が肉体を抉る寸前。速度、体勢、消し飛んだ右手を考慮すれば、掴むなど到底不可能だ。
だが、アンドロイドは槍を掴んだ。
超高速でドリルのように回転する稲妻のそれを掴むなど、生身の人間が触れたなら一瞬で腕ごと消し飛ばされかねない。痛覚などなく、比喩でなく鋼鉄を超える強度の肉体を持つ絡繰人形だからこその暴挙と言えるだろう。
左の五指から鮮血の如く黒い液体が噴き出すも、琥珀の瞳に逡巡はない。
雷槍の勢いを左手一本で押し止める女アンドロイド。その背中が壊れて陥没した壁の溝に押し付けられ、半ばまで埋もれて破壊痕を広げるものの、押し切れない。
「まさか」
耳障りな金属音が反響し、徐々に螺旋槍の勢いに陰りが見えたことをネギは悟る。
刃との接触で少なからず内包する魔力を削られていたのだろう。掻き消されるのは時間の問題だ。
「だけど、そこまでだ」
まさか素手で掴むとまでは読み切れなかったものの、止められることぐらいは予想の範疇に過ぎない。
振り下ろした右手を翳し、再び唱えるは解き放つ言霊。
「
瞬間、螺旋槍を象る膨大な魔力の雷が、形状の維持を放棄する。触れただけで何もかも粉微塵に抉る槍は、爆発という形にその力を転換し、雷光を膨張させた。
通路の床から天井を、顕現した雷球が埋め尽くさんと迸る。
……
視界を埋め尽くす雷光。
遅れて轟く爆音と撒き散らされる衝撃波、気を抜けば身体ごと吹き飛ばされてしまいそうな暴風が三十メートル離れたネギすらも煽り、その長髪を激しく靡かせる。
空間が震える。
稲妻が壁や床、天井に走る。
突き当たりの壁には直径二メートルを超える巨大な風穴が穿たれていた。
如何に反魔法物質が含まれた特殊合金の壁と言えど、度重なる物理攻撃と大魔法の直撃には耐えられなかったのだ。
穿たれた大穴の向こう、アンドロイドが吹き飛んで行っただろう場所へ目を細める。
常識ならオーバーキルも良いところの大火力だが、それでも尚、仕留めきれていない確信がネギにはあった。
故に、雷速瞬動。
立て直す間を与えず、距離を詰める。
穴の向こう側は食堂だったのか、長テーブルが陳列された広い空間があった。そしてその並んだテーブルを薙ぎ倒して仰向けに倒れるアンドロイドの姿。
右手は手首から先が溶解し、左腕は螺旋槍の解放に巻き込まれ二の腕から先が黒い液体と化している。スカートスーツは原型を留めぬ黒い布に変貌してはいるものの、それ以上の損傷は見受けられない。
あれほどの爆雷を至近距離で受けて、このダメージだ。
確実に止めを刺す。
起き上がろうと藻掻いている魔導師殺しの絡繰人形を冷徹に見下ろし、その胸部へ拳を叩き込む。そして同時、術式を解放。
……雷神槍・巨神ころし《ディオス・ロンケーイ・ティタノクトノン》
かつて王族級の魔族……魔王の顕現体すら蹴散らした神殺しの巨槍を、墓標の如く突き立てる。
『ガ、ギギ、損損損傷、ダ大……』
「……言っただろう、詰みだ」
……解放・雷神槍
巨神を滅ぼす幾千の雷轟が、空間を照らし出した。
☆
遥かな悠久を超えて無限書庫の深奥に眠る施設。
かつては有形書籍のデータベースとして軍事関係者や学者、学生等、幅広い層に活用されていたその施設の管理中枢で、異変が起きていた。
施設管理や清掃、そして侵入者の排除を担うロボット。その制御を担当する処理端末が、不明なコードの羅列に埋め尽くされ、機能を強制停止に追い込まれたのだ。
セキュリティシステムの制御を担当している人工知能が不可解なコードの動きに疑問を抱くが、異変はそれだけに止まらない。
第一から第七までの
人工知能は三ミリ秒もの時間を掛けて、電脳攻撃を受けていることを認識。施設のセキュリティ確保の為に対抗策を次々と立ち上げ始める。
機能回復の為の命令を各処理端末へ命じるも、最上級の権限を有する筈の人工知能のパスワードが弾かれた。侵入者に好き勝手に書き換えられていたのだ。
パスワードを突破しようとする内に、レベルⅡまでのセキュリティが全て機能を停止した。
外部からのアクセスに対し、ほとんど絶対と言って良いほどの防壁を張り巡らせている電脳世界が、その半ばまでも落とされ掛けている。
事態を把握した人工知能は非常モードに移行。電脳侵入者の暴挙を見過ごすわけにはいかない。機密保管庫や、その他各重要部署の制御を一手に引き受ける、セキュリティレベルⅢを乗っ取られる寸前、人工知能は接続回路を辿って侵入者のアクセスを遮断した。
それでも尚、他の回路から侵入者は制御を奪おうと執拗に多種多様な手段を用いてくる。
そんな侵略に対し、真っ向から立ち向かう人工知能。
電子の世界で制御を奪い合う激しく、それでいて静かな闘争が火蓋を切って落とされた。
……
…
汗の雫が、小さく床に弾けた。
受付カウンターの椅子に腰掛け、据え置かれた端末のディスプレイを凝視しつつ、ケーブルで接続した五台の携帯端末のキーパネルに指を滑らせる。
流れるように十指が閃く。
明滅するように、処理速度の限界に挑む激しさで切り替わる画面の表示。
同じく限界を超えかねない程のマルチタスクが脳内で展開され、悲鳴をあげる肉体が鈍い頭痛を訴え始めている。
「っ!!」
それでも尚、ユーノは動きを止めない。
狙いは唯一つ。セキュリティシステムを強制的に停止させることだ。
無論、スクライアの電子戦部隊ですら突破は困難な程に強固な守りを誇る施設だ。如何に発掘隊の一部隊を預かるユーノと言えど、通常ならそんなことは不可能だ。
先程まで少年が幾ら手を尽くそうとも、ネット回線に仕掛けられた無数の防壁に阻まれて制御中枢へアクセスすることなど出来なかった。気合いでどうにかなる問題ではない。外部からこの施設をハッキングするなど、不可能と言っても過言ではないのだ。そう、
……外部からは、ね
受付カウンターに据え置かれていた端末はユーノの予想通り、他の回線に比べて防壁が薄かったのだ。
その端末を介し、施設の管制システムに悟られぬ内に、セキュリティへの侵入を成功させた。
中枢をハッキングし、機能を停止させていく。
不正アクセスを見破られぬように偽装すること三十秒。セキュリティレベルⅠの無効化まで二分。レベルⅡの無効化まで二分。しかし、資料保管庫を守護するアンドロイドの管制は更に上のレベルⅢ。掌握まであともう一押しのところで、遂に管制システムに不正アクセスを気取られてしまう。
幾つもの防壁、遮断される回線、それを回避して管理中枢を目指す。
セキュリティレベルⅢの機能停止命令が、あえなく弾かれる。
ユーノの想像よりも、管制システムは手強かった。
侵入に気付かれた以上、空き巣の如く家主の帰りを怯えながら動く必要は無くなった。ここからはもう、力と力のぶつかり合いだ。
一つ、息を深く吸い込む。
釣り鐘を頭の中で打ち鳴らされているかのように頭痛が酷い。まるで脳の神経がぶちぶち音を立てて千切れているようだ。それでも、赤毛の少女の相方として、こんなところで燻ってなど居られない。
「しっ!!」
鋭い気合い。
キーパネルが壊れんばかりの霞む速度で、両手の指が閃いた。
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