リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第四話

 

 

 

 風が、吹き抜ける。

 

 鬼気を孕んだ風だ。

 

 そこに有るだけで空間が歪む程の存在感。感じ取れる力の質、密度、共に常軌を逸している。対峙している者が人間の姿をしたナニカ別のモノであるかのように。

 

 身体が震える。それは、寒さではなく恐怖。心臓を握りつぶされるような迫力を前に、神の使徒である己が、恐怖しているのだ。

 

「馬鹿な」

 

 だがしかし、アーウェルンクスシリーズが二番目……セクンドゥムは、そんな自身の感覚を錯覚だと断じる。

 

 主の手により最強に設定されている己が恐怖するなど、あってはならないからだ。人間如きに己が負けるわけがない。そう言い聞かせるように、結界を抜けてきた目前の存在へセクンドゥムは嘲笑を浴びせた。

 

「はっ、なんだ貴様? こんなところへたった一人で突貫とは、随分と我らを舐めてくれるじゃないか」

 

 迸る力は絶大。充溢する魔力は、久方ぶりの起動だと言うのに天井知らず。闇の書なる魔導書を制御下に置いた主に不可能はない。だからこそ、数ある使徒の内の四騎を起動したのだ。その四騎の内の一騎に選ばれた信頼に応えるためにも、侵入者を撃滅する。

 

「いや、貴様……ははっ、なんだ、あの時の雑魚ではないか」

 

 侵入者の女。黒いチャイナドレスに身を包んだ褐色の女を見据えていると、ふと、かつての光景が思い浮かんだ。

 

 新旧世界大戦以前、裏火星における『完全なる世界』発動の儀式を邪魔してきたあの英雄気取りの小僧とその仲間達。その中の一人に目前の女は酷似していた。セクストゥム……六番目の水のアーウェルンクスに秒殺され、火のアートゥルの二番に焼かれた雑魚だった筈だ。

 

 年の頃は二十前後と言ったところか。あの世界を『完全なる世界』に沈めようとした戦いの際には十代半ばの筈だ、つまり、あれから五年程度しか経過していない訳だが……

 

 ……まてよ。戦争時にも奴はいたが、その時すでに二十を越えていた筈だ

 

 どうにも計算が合わない。

 

 だが、そんな疑問をセクンドゥムは一秒で捨て去った。どうでもよいことだ。どちらにせよ、使徒四騎を同時に相手して、多少強くなった程度の雑魚など話にならない。

 

「いや、貴様など私一人で十分すぎるな」

 

 女を包囲するように四方を囲んだ他の使徒、水のアダトー(セプテンデキム)火のアートゥル(ニィ)地のアーウェルンクス(プリームム)へ目配せで合図し、稲妻を纏う。

 

 肉体雷化。

 

「ハハッ」

 

 自信満々で飛び込んできた女の伸びた天狗の鼻をへし折る。完膚なきまでに蹂躙し、神に楯突いたことを後悔させながら、異界へとその魂を肉体ごと封じてみせよう。

 

 そう、嗤う。

 

「自分の愚かしさを後悔して、散るがいいッ!」

 

 踏み込む。

 

 雷光の拳撃が女の顔面を打ち抜かんと迸る。桁外れの速度、膨大な魔力を基に跳ね上がった膂力から繰り出されたそれは、一流の魔導師ですら認識する間もなく挽き肉に変えるだろう。

 

 そして、

 

「遅いアル」

 

 セクンドゥムの視界の端に、褐色の肌が閃いた。

 

 それで終わり。剥き出しの素手が積層多重障壁を素通りし、胸の中央を抉り貫く。核を破壊されたセクンドゥムはその瞬間、機能を停止し永久にこの世から退場したのだった。

 

……

 

……

 

 雷化。

 

 確かに雷速の攻撃は速いが、それだけだ。

 

 先行放電ありの突撃など、古菲にとっては隙だらけも同然だった。如何にも殺してくださいと言わんばかりの馬鹿を一蹴し、肉を貫いた右手を一閃させて砕け散った人形の残骸を散らす。

 

 核を壊された人形は、そのまま中空で粒子と化して霧散した。

 

 ……一人目

 

 辺りを見回す。

 

 僅かな動揺を感じさせながらも、それだけだ。残る三人の使徒は無言で纏う魔力を猛らせた。

 

 ……それでこそ

 

 大気が張り詰める。

 

 周りを固める造物主の駒は、その一人一人がオーバーSランク級の魔導師と同等かそれ以上の化け物だ。そんな化け物達が本気になった。一人ですら強力無比、一騎当千の強者が三騎。どんな英雄豪傑だろうとも死を免れぬ死地だ。だが、それですら今の古菲には生温い。

 

「……ふむ」

 

 そんな古菲の願いを感じ取ったのか、それとも予想以上の戦闘力に保険を掛けたのか。システムに縛られ、動けぬヴォルケンリッターの脇で佇んでいた造物主は、何を思ったか更なる修羅場を用意してくれた。

 

 魔法陣が展開される。

 

 その数、七。

 

 一瞬の発光を経て絶望がその身を起こした。

 

 顔を仮面で隠した長身痩躯のローブ姿の魔術師、デュナミス。

 

 火のアーウェルンクスを拝命する制服姿の少年、四番(クゥァルトゥム)

 

 風のアーウェルンクスを拝命する制服姿の少年、五番(クゥィントゥム)

 

 水のアーウェルンクスを拝命する制服姿の少女、六番(セクストゥム)

 

 火のアートゥルの初代、炎を操る筋骨隆々の大男、壱。

 

 風のアダトーを拝命する雷を操る長髪の男、十五(クゥィンデキム)

 

 水のアダトーを拝命する水を操る長髪の男、十六(セーデキム)

 

 新たに現れた七騎を合わせて計十騎。もはや管理局の特務機動隊ですら相手にならないだろう化け物達が古菲の周囲を取り囲む。たった一人に向けるには、過剰戦力も甚だしい。これから戦争を始めると言われれば、そのまま信じてしまいそうな猛威だ。

 

 それに囲まれ、

 

「……は、ははっ、想像以上アル」

 

 嗤う。

 

 目の前に広がるのは、如何なる英雄だろうとも絶望してしかるべき陣容だ。

 

 そんな化け物共を容易く従える超越者。漆黒のローブに身を包んだ造物主を、古菲は見据える。

 

「改めて名乗るアルヨ。我が名は古菲。元・白き翼にして今はただ一人、頂を目指す者」

 

 周囲から放たれる凄まじい威圧を中で、それでも彼女は頬を吊り上げる。

 

 何を今さら躊躇うことがある。恐怖することがある。この時、この場こそが自身の夢見てきた修羅場なのだから。

 

 圧倒的な、常人では心停止に陥るだろう重圧の中でも臆さぬ古菲を見て、周囲の使徒達はたかが一人だと言う侮りを捨てた。単純に倒すべき主の障害だと認めてくれたようだ。

 

「…………始まりの魔法使い(ライフメーカー)。世界に救済を齎す者だ」

 

 造物主からの返答。

 

「人の身で、よくぞそこまで練り上げた。それもまた人の可能性と言うことか」

 

 高まる圧。

 

 吹き荒ぶ魔力の猛りが漆黒のローブと古菲の民族衣装をはためかせる。

 

 どれほど対峙しただろう。それは一瞬にして永遠。零にして無限。永劫の刹那を越えて、造物主は古菲へ手を翳す。

 

「では越えて見せろ。我が二千六百年の絶望を」

 

「無論。お前達を越えて、私は頂へ至るアル」

 

 それが合図となり、戦闘が始まった。

 

 古菲が今までに経験したことのない、圧倒的な戦力差に挑む死闘が。

 

 

 

 

 

 

 はやては泡沫の微睡みを漂っていた。

 

 いつの間に寝てしまったのだろう。

 

 ぼやけた思考でそんなことを思う。

 

 ひどく眠かった。

 

 あれほど身を苛んでいた苦痛が、欠片も感じられない。

 

 心地がいい。

 

「主はやて」

 

 と、誰かが声をかけてきた。

 

 女性の声だ。

 

 眠りの中で、よく聞こえる声。

 

 だが、それが誰なのか考えられないほどに、少女は疲れていた。

 

 眠い。

 

 目も開けていられぬ程に。

 

 すると、女性の声がまた響く。

 

「お眠りください。どうかそのまま、目覚めることなく、辛い現実に直面することなく……」

 

 頭を撫でられた。

 

 優しく、慈しむ、まるで母のような愛に満ちた手。

 

「どうか、そのまま…………」

 

 そんな時愛に満ちた声に導かれ、はやての意識は更に深い眠りの底へ落ちてしまう。

 

 何が起きているかなど、もうなにも考えられず、意識が途切れた。

 

 

 

 

 

 

 結界にたどり着いたフィーは、そのまま転移装置によって次元航行艦アースラのブリッジにまで通されていた。

 

 やあやあ久しぶり、なんて気軽な声音で挨拶してみると、クロノ、なのは、フェイトの三人から壮絶なジト目が返ってくる。

 

「よくもまあそんな軽口が叩けたものだな、この赤毛娘。僕がどれだけ報告書に手を加え、徹夜を何度繰り返したと思う?」

 

「フィーちゃん、この前はよくもにゃのはにゃのはってからかってくれたの」

 

「……フィー、私はちょっと庇えないよ」

 

「……ぁ~」

 

 今が非常時でなければ正座+説教のコンボを三時間コースは確実だっただろう。そこだけは不幸中の幸いか。

 

 ペコペコと頭を下げるフィーは辺りを見回して、

 

「……ゆーのん」

 

「……フィー」

 

 なんだか随分と久しぶりに相方の少年と目があった。

 

 本来ならパーティーで再会するはずだった少年、ユーノ。

 

「ひ、久しぶり、ゆーのん。元気?」

 

「う、うん。フィーも元気かい?」

 

 なんて、何故か互いに体調を確認し合う。

 

「「…………」」

 

 身体の事を言う。その覚悟を決めていたのに、いざとなると言い出しずらい。そもそも今は非常事態の真っ只中なのだから、あまり混乱させることを言うのは控えた方がいいだろう……そんな現実逃避じみた思考がグルグルと頭の中を巡っていた。

 

 少年の方も、何か言おうとして口を開閉させては躊躇ったように重く口を閉じたままだ。

 

 いざ言うとなると、タイミングやら話の流れやらが掴めない。

 

「なにやってるんだ、二人とも?」

 

 なんて空気の読めない執務官の横入れに、少女と少年は見詰め合って溜め息を吐いた。

 

「これだからクロのんは」

 

「執務官殿はビミョウに空気がリーディング出来ないよね」

 

 なんだか懐かしい掛け合いだ。

 

 それもそうか、とフィーはブリッジ内を見渡して頷いた。

 

 母、プレシアの事件を最後に、このアースラから逃げるように飛び出したのだ。

 

 まだあれから一年も経っていない。何処と無く感慨深い心地になって、

 

『ごめん、フィー。少し代わってもらえるかな』

 

 そう、真剣なネギの声音が頭に響いた。

 

 

 

 

 

 

 先に仕掛けたのは古菲からだ。

 

 足が空間を噛む。

 

 「カッ!」

 

 刹那を百分割した次の一瞬には、既に五十メートルの距離を削り取った古菲の身体が仮面の魔術師デュナミスの懐にあった。

 

「ヌゥッ!?」

 

 一歩目から音速の五倍を超える加速と、草木一本揺らさぬ静寂を合わせた矛盾。極音速域の踏み込みから繰り出す右拳。脱力と力みの狭間から生み出される絶大な打撃力を、京都神鳴流が奥義『弐の太刀』から盗んだ技法で以て障壁を素通りさせる。

 

 その一撃で、デュナミスの右半身が消し飛んだ。いや、僅かに芯から外されて即死を避けられた。世間で一流と呼び称される熟練者ですら反応できぬ業に、造物主の駒は確かに初見で反応してきたのだ。そんな、自身に不利である現実が古菲にとっては何よりも狂喜すべき事だった。

 

「貴様、やはり障壁を……ッ」

 

「破ッ!」

 

 驚愕するデュナミスに立て直す暇など与えない。次の刹那に左の裡門頂肘で胸部を抉り核を壊す。

 

 一切の抵抗を許さずに二人目の使徒を仕留めた古菲。それは、なにもデュナミスが弱かったわけではない。古菲の業が余りにも圧倒的過ぎただけだ。

 

 目にも映らぬ神速域での戦闘は、本来なら凄まじい余波を周囲に撒き散らす。それも当然だ。超音速で踏み込めば足は大地を砕き、拳は大気を割断する。だがしかし、一見派手に見えるそれは自身の速度、力を減衰させるだけに止まらず、攻撃の種類までも敵に教えてしまうのだ。

 

 ならば、どうする。

 

 簡単な発想だった。減衰させる要因を全て無くしてしまえばいい。本来は音の壁を破らないように亜音速で行う瞬動術の上位、瞬間移動の如き高速と静寂を両立させた縮地法を、超音速で行えばいいのだ。

 

 虚空瞬動。大気を足場とする瞬動術の派生系は要は周囲の空間、大気へ干渉する技法だ。ならば、己の行う全ての動作に同種の技術を付与し、踏み込む足の裏、大気を割る肉体の挙動や攻撃が生み出す衝撃を相殺すればいい。

 

 そんな机上の空論を、古菲は実現していた。

 

 必要とされるのは針の先程の誤差もない自己認識と、超音速下での行動全てに衝撃相殺を行う脳の処理速度だ。

 

 狂気じみた修練の果てが、超音速機動でありながら行動の起こりを最小限まで抑えると言う、意味の分からない業を成立させる。

 

 だが、忘れるな。

 

 敵は造物主。そしてその使徒なのだ。たかだか早く動ける程度で越えられるほど、低い壁ではない。

 

 吹き飛び、霧散していくデュナミスを最後まで確認することなく、古菲はその場から飛び退いた。百分の一秒差で自身の立って居た場所に突き刺さる黒曜や雷撃、炎と氷の槍。

 

 大地が砕け、大気が爆裂した。

 

「ッ」

 

「死ね」

 

 背後に気配。

 

 振り向き様、迸る轟炎を携えた弐……二代目火のアートゥルの炎拳を腕の円運動に巻き込み、捌くと同時に大気を蹴る。超音速のまま三次元、立体的な機動で背後を取り、その背中へ手刀を繰り出さんとして、

 

「ちぃ!?」

 

 バチリ、と感じる先行放電。雷を操る長髪の男(クゥィンデキム)による不意打ち気味の膝蹴りが雷速で迫る。

 

 防御するものの、威力を殺し切れずに空中を吹き飛ばされた。

 

 錐揉みする肉体。上下左右が目まぐるしく切り替わる視界の中で、勢いに逆らわず大気を蹴る。頬の先を掠めて鮮血が散る。突き抜けて行く無数の氷刀。その鋭さは、AAランク級魔導師の集束砲撃すら無意味とした『気』の防御、それとは比にならぬ咸卦の護りを突破する。

 

 大気を蹴るのとほぼ同時、古菲の両脇から迸る炎と稲妻。

 

 右には両の豪腕に地獄の業火を纏わせた一代目火のアートゥル、左には雷と化したクゥィントゥム。鉄を蒸散させる灼熱の拳撃が弾幕を張り、雷光の拳が一条の雷撃と化して迸る。

 

「ォオオオオオオッ!!!」

 

「終わりだ」

 

 千分の数秒先んじて迸る稲妻の拳撃を横合いから絡めとり、肘関節を雷化など関係無しに粉砕、そのまま腕を掴み右から迫るイチへと投げる。

 

「……ガッ!?」

 

「バカな!?」

 

 秒間にして百を優に超える灼熱の拳撃。壁と化して迫るそれへ、クゥィントゥムは巻き込まれて砕け散る。

 

 ……三人目

 

「くふッ」

 

 壱の驚愕。刹那に逸らされた思考の狭間を縫い、拳撃の間隙を極音速の抜き手で切り貫く。

 

 ……これで四人

 

 この時点で戦闘開始から五秒。

 

 刹那の連続が永遠と続く死闘は、まだ始まったばかりだ。

 

 大学病院の上空二百メートルの中空。大気を蹴ることで常時超音速で動き回り、使徒達に狙いを定めさせない古菲を次の瞬間、

 

 ……万象貫く黒杭の円環(キルクルス・ピロールム・ニグロールム)

 

 ……紅蓮蜂(アペス・イグニフェラエ)

 

 万物を貫通する漆黒の杭と、触れた瞬間に大爆発を起こす轟炎の火蜂が周囲一帯を埋め尽くす。

 

 巻き込まれれば死を免れぬ絶死の檻。

 

 三百六十度全方向から魔法の猛威が襲いかかってきた。

 

「ハハッ! これこれ、これアルヨッ!!」

 

 死に物狂いで修得した極音速の縮地を使徒達はこうも短時間で捕捉してきた。それが古菲にとっては嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。

 

 音の壁を突き抜けて槍が迫る。それは数千を越え、古菲を確実に仕止めんと未だに数を増して行く。同時にその隙間を縫うように、爆裂する幾百の蜂が複雑な軌道を描いて羽ばたく。

 

 直線と曲線、殺到する死を前に古菲は歯を剥き出して獰猛な笑みを浮かべる。僅か一刹那にも満たない時の中で、確かに嗤った。

 

 戦闘開始から十秒足らずでこの有り様だ。絶望はない。嘆きもしない。沸き上がる感情は狂喜のみ。あれほど渇望した強敵が、窮地が、今自分を包み込んでいるのだから。

 

 だから、目の前の敵を越えていこう。

 

 その先に、頂がある気がした。

 

 何故、その場所を目指していたのか、理由など忘れてしまった頂が。

 

「ッァァァアッッッ!!!!」

 

 凄惨な笑みを浮かべ、古菲は自ら幾百幾千幾万の大魔法の坩堝へと突っ込む。

 

 黒杭を受ければ肉を貫かれ、紅蓮蜂の爆発が至近距離で直撃したなら体勢が崩れる。どちらにせよ、次の刹那かその次の瞬間の追撃を躱し切れず、連鎖的に死への旅路に導かれる。

 

 ならば、どうする。答えは始めから出ている。全て打ち砕けば問題ない。

 

 此方へ手を翳す地のアーウェルンクス、プリームムへ目掛けて大気を駆ける。

 

 脱力と力み。丹田で交わる陰陽二気が炸裂し、膨大な咸卦の気を拳へ集中させる。

 

 打ち砕く。

 

 その一点のみを突き詰めた拳は、もはや人間のそれではない。上位存在である真竜や炎帝、高殿の王や氷の女王本体と同格の、人智を超えたナニカの領域へあと一歩で踏み込もうとしていた。

 

 集束する咸卦の猛り。

 

 流星の煌めきが空間を砕き、その一撃が大気を抉る。

 

 ……流星崩拳

 

 古菲の進行方向にある魔法全てが空間ごと拳の奔流に掻き消され、打ち砕かれる。そして、何もなくなった空間を一条の漆黒と化して抜けた。

 

「っ!!」

 

 ……千刃黒曜剣( ミッレ・グラディー・ オブシディアーニー)

 

 虚空より出現する無数の黒曜剣。

 

 千に達する黒曜の煌めきが、豪雨と化して天より降り注ぐ。

 

 空を蹴り、回避に撤すれば無傷で凌げるだろうが、その隙に周囲の使徒がフォローに入る。背後から迫る黒杭と紅蓮蜂の残り、右からは巨大な氷刀が大気を引き裂き、左からは雷の神槍が群れを成して迫る。

 

 避けた先に道はない。ならばどうする。回避すれば死ぬと言うなら、

 

 ……前へ!!

 

 超音速と超音速の衝突。相対速度は第一宇宙速度にすら達するだろう、閃光のような刹那の一瞬を、引き伸ばす。咸卦の精密制御でもって脳神経パルスを強化し、電気信号の代わりに全身を咸卦の光が駆け抜ける。跳ね上がった処理速度が限界など容易く超えて、刹那を永劫へ。

 

 毛先程でも制御を誤れば脳が焼き切れる。だが、それだけだ。たったそれだけでこの修羅場を越えられるなら、安いものだ。

 

 捌く。

 

 手で、脚で、傍から見れば錐揉み回転しているのか分からない程の立体機動で、漆黒の線と化した黒曜剣の豪雨を正面から潜り抜ける。

 

 弾ける鮮血。

 

 致命にならぬ刃が古菲の迎撃をすり抜け、紅い線を彼女の肉体へ刻み付ける。

 

 一瞬刹那、プリームムの懐へ。

 

「くぉおお!?」

 

「カカッ!」

 

 後退する制服姿の青年を捉えんと、拳と拳、脚と脚が交差する。

 

 掠め、捌く度に大気が炸裂する応酬。刹那の内に交わされたそれは千を越え、万に届かんとして一瞬の内に古菲の勝利に終わった。

 

 胸の中央を捉えた拳撃が、プリームムの核を破壊しその肉体を爆散させる。だがしかし、時間を掛けすぎた。

 

 背後から飛来する黒杭。追い付いてきたそれを振り向き様に両の手捌きで受け流すものの、千分の数秒迎撃が遅れ、直撃を許してしまった。

 

「ガふッ!!」

 

 腹部を貫通する黒杭。咸卦の護りを貫いたそれを、古菲は辛うじて内臓の隙間へ通した。だが、そこまでだ。直撃した反動で僅かに停止する身体。更にそこへ迫る巨大な氷刀と雷の神槍。両手両脚、全身運動で以て致命は捌くものの、威力を完全に受け流すことはできず、捌いた腕に、弾いた脚に、鮮血が散った。

 

 全身を駆ける激痛に頬を吊り上げ正面へ。そこに迫る数十の紅蓮蜂が古菲の視界を爆裂に染め上げる。

 

 半径二キロの大結界。その内部の上空一キロ地点にて、紅蓮の大爆発が大学病院を紅く染め上げた。

 

 

 




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