リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第五話

 

 

 

「「「「「……」」」」」

 

 アースラの会議室に静寂が満ちていた。席に着いた誰もが固唾を飲み、佇む赤毛の少女の、いやその内に宿る英雄の話に耳を傾けていた。

 

「ライフメーカー、だと?」

 

 思わずクロノはそう呟いた。

 

 話がある。フィーの口を介してそう告げてきた異界の英雄、ネギ。あの結界に関する重要な情報だと告げてきた彼の話を聞くために、再び会議室に集まったアースラの主要スタッフは、十数分ほどだろうか。かつて英雄が駆け抜けた戦乱を、その元凶とも言える存在に関する情報を、少女の口を介して告げられることとなった。

 

 信じがたい話だった。何千年もの悠久を生きる不滅の存在が存在することも。その存在が世界を創造し、掻き消そうとしたことも。そして、世界を巻き込んだ悲惨な戦争の最中で、現実世界すら異界へ閉じようとしたことも。

 

 だが、淡々と感情を廃して口を動かすネギの言には、欠片の冗談の響きもない。

 

「そうだ。そして僕達は最上位の……こちらで言うところの、人為的な次元断層を発生させる秘術によって、アレを世界から弾き出したんだ」

 

「「「…………」」」

 

 思い沈黙が、会議室に帳を下ろす。

 

 ネギの話が本当ならば、あの結界内に籠る存在は、生半可な次元犯罪者とは一線を画する。もはやアースラだけで対処できる範疇にはない。早急に本局へ支援を要請しなければならない事態だが、

 

「艦長」

 

「……ええ。本局からの応援は期待できないわ。超一流の魔導師ともなると管理局でも人数が限られるわ。そして、そんな高ランク魔導師は、担当する事件に駆り出されているのが現状よ。私のつてを当たっても……中継ポートをフル活用して、最短でも三日は掛かるわね」

 

 圧倒的に時間が足りなかった。

 

 三日。それだけあれば、何が起きても可笑しくないのだ。

 

 闇の書。造物主。魔拳。一つでも重大な危機が、同時に三つも勢揃いしているのだ。メーターの狂った爆弾を目の前にして、ただ手をこまねいているようなものだ。

 

「……そうだ。ネギ・スプリングフィールド、君はこの人物を知っているか」

 

 そう言って、クロノはつい先ほどサーチャーによって撮影された魔拳の画像を少女の姿をした英雄へ確認させた。

 

 たまたまの思い付きだった。これだけの化け物が一ヶ所に集まるなど偶然とは考えづらい。ならば、このタイミングで現れた魔拳、そしてネギには何かしらの縁があっても可笑しくないと思ったのだが。

 

「彼女は……やはり、さっきの爆発は……」

 

 見開かれる瞳に、クロノは頷いた。

 

「こいつは魔拳、広域次元指名手配犯だ。その様子だと、やはり何か知っているのか?」

 

「……かつての、僕の師の一人だ。戦乱の中で行方知れずになったきり表舞台から姿を消していたんだが……何らかの方法で、こちらの次元世界へ迷い込んでいたようだね。……少くとも、僕が最期に会った時には、要人暗殺に手を染めるような人じゃなかったけれど……」

 

「…………そう、か」

 

 事態は切迫している。

 

 しかし、こちらには打って出るだけの手札もない。結界を突破する為には今しばらくの時間が必要だ。確実に何かが起きていると言うのに、指をくわえて見守ることしか出来ない口惜しさ。

 

「くそっ」

 

 小さく毒づき、クロノは拳を握りしめる。

 

 なにか、運命の輪が存在しているようだった。そして、その輪の中に、自分達は入ることが出来ない。

 

 ……いや、そんなことがあって堪るものか

 

 脳裏を過ったそんな戯れ事を、頭を振って掻き散らす。

 

 英雄を宿す少女も仲間に加わったのだ。これで主戦力はクロノとなのは、フェイトを合わせて四人。サポート役としてユーノやアルフも参加すれば、その力は闇の書の防衛プログラム、ナハトヴァールにすら届き得るだろう。

 

 通常ならば過剰戦力も良いところだが、今回ばかりは心許ないにも程がある。

 

 どうにかこうにか造物主対策の作戦を詰めること一時間。なんとか形になった計画をディスプレイにまとめ上げると、すぐに出撃できる状態で待機することをリンディ提督が指示し、一先ず会議は終了したのだった。

 

……

 

……

 

 なのはは会議室の席に座り、呆然と目前の空間を眺めていた。

 

 結界を張った張本人、造物主に対する情報開示は既に済み、スタッフの皆は各々の持ち場に戻っている。

 

「なのは」

 

 そう隣から掛けられた声に振り向けば、そこには心配そうにこちらを見つめるフェイトとその使い魔アルフの姿。それでようやく、自分が何かを考え込んでいたことを思い出した。

 

「あはは、なんだか大変なことになっちゃったね、フェイトちゃん」

 

「……うん、そうだね。と言うか、フィーってネギさんが表に出てるとあんな風になるんだね。少し驚いちゃった」

 

 そう言うフェイトの言葉に確かに、と頷く。

 

 キリッと引き締まった表情はまさに出来る女の子と言った風体で、普段のおちゃらけた姿からは想像も出来ない。

 

「そうだ。ネギ……フィーちゃんはどこに行ったんだろ?」

 

「そう言えば……ユーノも居ないね」

 

 辺りを見回すと、アースラスタッフと同様に二人の姿がなかった。久しぶりに話したいこともあったのに、とため息を吐き、この後どう過ごすかを考える。

 

 いつ結界に動きがあるか分からない以上、アースラから離れるわけにはいかない。しかし、そうなると待機室で待つか、それとも……

 

「少し、身体を動かしとこっか?」

 

「訓練室? でも、あんまり魔力を使うのは……」

 

「魔力は極力使わないで、体術だけでもいいの。少し、頭をリフレッシュさせたいだけだから」

 

 身体を動かせばこの、ぐるぐると同じ場所を空回りし続ける思考も少しは打開できると思った。

 

 そうしてなのはとフェイトは会議室を後にして、訓練室へと向かったのだ。

 

 そして、それを目にした。

 

「……!!」

 

 それは、無限にある完成の一つだった。

 

 ゆっくりと、なのに鋭く突き出される拳。肉体を完全に意識の制御下に置いた者にしか許されぬ、芸術的な螺旋軌道を描く脚。それは、膨大な積み重ねと幾多の死線を抜けた先にしか辿り着けぬ套路だった。

 

 そして、そんな精神を集中する動作の中にあって尚、同時進行で行われる高度な魔力制御。訓練室の天井部を埋め尽くす拳大の魔力弾は五十を越え、百にも届かんばかりだ。

 

 踏み込んだ脚を軸に身体を回転させた少女は、滑るように左足を踏み出しつつ掌底を突き出す。刹那、これまでの遅々とした動作が嘘であったかのように突き出された腕が瞬時に引き戻され、身体全体が螺旋を描く。繰り出された回し蹴りが大気を引き裂き、続いて着地すると同時に高速の拳がなのはの視界から消えた。あまりの速度に魔力で強化していない動体視力では、捉えることが出来なかったのだ。

 

 更に恐るべきは、そんな高速の拳打の中にあっても、天井で浮かぶ無数の魔力球が僅かも揺らがないことだ。

 

 今のなのはでは想像もつかない次元の制御力。思わず、少女はその姿に目を奪われてしまった。

 

「ぁ、なのはにフェイト。君達も来たんだね」

 

 そう、いつの間にか隣に立っていた少年、ユーノの声。

 

「もう、ユーノ。なんで急に居なくなっちゃったの? 少し心配したんだから」

 

「いや~、ごめんごめん。ちょっとフィーに話があったんだけどね……」

 

 二人の会話に言葉を挟まず、なのははただ突き出される拳を、蹴り出される脚を、欠片の無駄もなく集束され循環する魔力の流動を眺め続ける。

 

 どれほどそうして眺めていただろう。不意に少女の身体は止まり、長い呼気を吐き出すことで体内の熱気を霧散させる。同時に、天井で浮かんでいた魔力球が幻のように掻き消えた。

 

 ……凄い

 

 そんな感想しか浮かばなかった。

 

 これが、異界で英雄と呼ばれた者の実力。先ほどの話を鑑みれば、なのはには想像もつかない苦難や窮地を乗り越えてきたに違いない。

 

 だからだろうか。なのははこちらを振り返った赤毛の少女に、気付けば問いを投げかけていた。

 

「やっぱり、魔導師でも格闘技が必要なんですか?」

 

「うん? 君は確か、なのはちゃんだったね?」

 

「ぁ、訓練中にごめんなさい」

 

 訓練中のネギヘ何故か急に声を掛けてしまったなのはは、自分でもどうしてそんなことをしたのか分からず、恥ずかしさに頬を紅潮させてうつ向く。

 

「いや、もう終わりだし大丈夫だよ。えっと、格闘技が必要かどうかだったね? そうだね……」

 

 何処か遠い目をする少女の姿。その瞳の奥に存在する英雄の姿に、何故かなのはは胸を打たれた。

 

 この気持ちは何だろう。恋と言うほど甘くはなく、憧れと言うほど彼を知らない。ならそう、これは……

 

「ベルカ式の騎士みたいに、僕が魔法拳士型のスタイルだってこともあるけど、より強くなりたいなら必要だと思うよ。君もフェイトちゃんと棒術で打ち合ってるだろう? それの延長線さ」

 

「そう、ですか…………」

 

 話はそこで途切れてしまった。

 

 口を開閉させてはうつ向き、なのははネギの様子をうかがう。これで話は終わりだ、とフェイトと予定通り訓練を始めるのも良い。だけれど、何故か身体が動かなかった。

 

 聞かなければならないことがあるだろ、と。そう言うかのように。

 

 このまま黙って場を離れるのは気まずいし、何よりも勿体無い。

 

 目前に佇むのは己と同い年程の、幼いフィーの姿をしているとは言え、人間としても魔導師としても自分よりも先を行く英雄。

 

 胸に手を当てて考え込んだなのはの脳裏に、そんな英雄へ聞きたいことが一つだけ思い浮かんだ。それは、シコリのように胸に残る疑問。

 

 ……強さって、なんですか

 

 何故、そうも強く在れるのだろう。

 

 造物主による世界救済を独善だと断じ、人々の為に戦場を駆け抜ける。どちらにも意見はあり、どちらもが世界を救おうとしている。なのに、どうして自分の意を世界へ通すことが出来たのか。

 

 迷いは無かったのか。

 

 相手が正しいと思うことはなかったのか。

 

 ネギを非難したいわけではなく、そうやって己の道を迷いなく貫くにはどうすればいいのか。

 

 なのははそれをどうやって尋ねればいいのか逡巡し、

 

「…………英雄になるって、どんな気持ちなんですか」

 

 なんてある種、失礼な言葉を口にしていた。

 

「えっと」

 

「ご、ごめんなさいっ! にゃ、何でもないの、です、はい」

 

 なのはの言葉に首を傾げたネギはそのまま小さく苦笑すると、腕を組んで応えてくれた。

 

「う~ん……英雄になる、ね。僕は自分から英雄になりたかった訳じゃないし、自分がそんな上等な存在になれたとは思えないけど……」

 

 何処か遠くを見つめるネギは複雑な、それでいて哀しそうな表情だった。

 

「英雄なんてものは自分から名乗るんじゃなくて、いつの間にか周囲にそう呼ばれてなるものなんだと思う。譲れないもののために、自分勝手に突き進んだ先でね」

 

「譲れないもの、ですか?」

 

「うん。僕の場合は……ある人の犠牲を無駄になんて絶対にしたくなくて、だったかな。……そんな自分勝手に世界を巻き込んだだけだよ」

 

「そう、ですか」

 

 納得出来るような、出来ないような、曖昧な気持ちのまま呟いたなのはのほっぺたをパチン、と挟み込む小さな手のひら。

 

「そうなんですよん」

 

「!?」

 

 いきなり変わった声の調子に驚いて顔を上げてみれば、そこには変わらぬ赤毛の少女の姿。いや、

 

「そのしまらない顔はフィーちゃんぐむぐひょっとやめへ~」

 

「だーれがしまらない顔だって~の? なんか真面目な話してると思ったら、にゃのは、あんた英雄に憧れる少女だったのね」

 

 ほっぺたを引っ張るフィーの暴挙をなんとか止めようとするが、なかなか離してくれない。

 

「えいゆぅじゃなくへ、……ひょっと、やめへっへば~」

 

 有耶無耶になってしまった話で、それでも、あの英雄の複雑な表情がなのはの目に焼き付いて離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 古菲の身体が宙を舞う。

 

 全身に刻まれた裂傷、刺傷、凍傷、火傷。大魔法の直撃を受けていったい幾度吹き飛ばされただろう。十から先は数えるのを止めていた。例え超一流の魔導師であろうとも、優に百度は死んでいなければ可笑しい攻撃をその身に受け、それでも尚、彼女は生きている。

 

 身に纏う咸卦の猛りが。

 

 人外の領域まで鍛え上げた内臓機能が。

 

 行動不能にならねばならぬ致命傷を、単なる重傷へと落とす。

 

 襲い来る魔法の猛威。

 

 絶対零度の広域氷結魔法。

 

 灼熱の広域焚焼魔法。

 

 幾百の雷撃殲滅魔法。

 

 鋭氷の、灼熱の、轟雷の、数多の槍衾。

 

 それら全てを鮮血を迸らせながら古菲は乗り越えた。だがそれでも尚、勝利は遥か彼方。夜空の星々をその手に掴むような無茶無謀の戯れ事と同義。

 

 故に、

 

「流星崩拳」

 

 凡人にすぎぬ己がそれでも星を手にする為には、流星の如く墜ちてもらうしかあるまい。そう口にして、吹き飛ぶ古菲に炎熱加速で追い付いてきた火のアーウェルンクス(クゥァルトゥム)目掛けて、大気を蹴りつつ拳を繰り出す。

 

 業火と咸卦、灼熱と流星の交錯。掠めるように内側を走る古菲の拳がクゥァルトゥムの拳打を捌きながらも直進し、

 

「ガァアアアアッ!?」

 

 胴を真っ二つに割断する。

 

 また一人、使徒が霧散した。

 

 ……これで、六騎目

 

 残るは、五騎。

 

 二代目火のアートゥル(ニィ)

 

 十七代目水のアダトー(セプテンデキム)

 

 十六代目水のアダトー(セーデキム)

 

 水のアーウェルンクス(セクストゥム)

 

 風のアダトー(クゥィンデキム)

 

 ようやく使徒の半数を越えたところ。それだけでも一個人が単騎で成し遂げたとは思えぬ壮絶さだが、しかし、それでもまだ半分だ。その後には闇の書という凶悪極まる魔力源を手にした造物主までもが控えている。

 

「勝ち目なし、アルカ」

 

 コンディションは最悪寸前だった。

 

 間断無き全力戦闘により、気も魔力も既に平常時の十分の一を切っている。通常ならば一日二日は戦い続けられるスタミナは、この短時間で急速に削られていた。

 

 息継ぎ無しで全力疾走しているようなものだ。刹那の弛緩も許されぬ精神と肉体が悲鳴をあげている。

 

 虚空に、全身から噴き出す鮮血が弾ける。

 

 視界は混濁し、歪んでいる。

 

 酷い耳鳴りが鼓膜を麻痺させ、聴覚も半ば死んでいる。

 

 鉄の味と匂いが、口内と鼻孔を満たしていた。

 

 こんな有り様で勝てる道理がない。敵は殆どが無傷。己は既に死に体。ここから挽回するなど、それこそ生身の人間が台風や地震、天変地異に挑むほどの困難であろう。

 

 もはや勝負にすらならない暴挙に他ならない。

 

 だからこそ、古菲はその口元に凄惨な笑みを浮かべた。

 

「この窮地を前に、勝ちを探す…………私も、業が深いアルネ」

 

 視界を埋め尽くす氷の槍と刃。十六代と十七代目水のアダトー、そして、セクストゥムが古菲の左右と下を位置取り、十字砲火の如き弾幕を張って見せたのだ。

 

 更に五百メートル眼下の地上では、二代目火のアートゥルと風のアダトーが膨大な魔力を滾らせて呪文詠唱を開始する気配を見せている。恐らくは、広範囲殲滅の極大魔法。

 

 敗北が、目と鼻の先まで迫っている。

 

 だと言うのに、あるわけもない勝ち目を探していた。負けると分かっていながら、勝利へ続くありもしない筋道を必死に見出ださんとしていたのだ。

 

 そんな無謀が、愉しい。

 

 死を前にした恐怖など無い。絶対的な窮地を前にした興奮だけがそこにあった。

 

 生物として、既に古菲は壊れているのだろう。己の死に直面し、それを越えることに興奮するなど、そんな精神を常軌を逸していると言わずなんと言う。

 

「今の私では、負けは必然アル」

 

 そこに何ら間違いはない。

 

 木から落ちたリンゴが地面を転がるように、流れる川の水が下流へと進むように。ただの人間に過ぎない古菲では、超絶の力を誇る造物主の駒を複数相手取って勝利を掴み取る道理など、はなから存在しなかったのだ。

 

 だがそれでも、と古菲は口を開く。

 

「案外、やってみないとわからんアルヨ」

 

 なんて嘯き、宙を蹴る。

 

 超音速機動により、下方に陣取るセクストゥム目掛けて距離を詰める。

 

 そんな動きなどお見通しだと言わんばかりに、氷の槍が古菲の周囲を隙間なく覆った。

 

 音を越えて、槍が襲い来る。

 

 歪んだ視界では、もはや見て対処することは出来ない。ならば魔力の流れ、迫る槍によって震える大気の震動と敵から感じる視線を肌で感じれば問題ない。

 

 捌き、砕き、弾く。

 

 だが、弾幕が濃密すぎた。

 

 致命にならぬと対処仕切れなかった槍が肌を裂き、肉を抉る。

 

 三百六十度、全方位から迫る槍の数は千を越え、万を越え、億に届かんばかり。三人の使徒が各々の全力を振るったそれは、もはや氷の檻などではなく球体だった。古菲を中心として超音速で縮まる球体の如く、槍が迸る。

 

「ぉおおおおお!!」

 

 振り抜くは集束する咸卦の轟拳、一条の流星。

 

 もはや最初のような超絶の威力を失いつつある拳の一打は、されど包囲に孔を開けて見せた。

 

 か細い生存の道を駆け抜けた先、呆然と目を見開くセクストゥムの胸を貫き、その核を破壊して、

 

「ぅぐ」

 

 追い付いてきた氷の槍が背中に突き立った。

 

 右の肺と左腿を貫通。鮮血が口から滂沱と溢れ、激痛が全身を駆け巡る。

 

「ぁ、が」

 

 落下する。

 

 そんな古菲目掛けて迫る十六代と十七代目の水のアダトー。角を生やした女と長髪の男は、各々の魔力を集束した魔法刃を、その腕に纏っていた。

 

 断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)……対象を相転移させることで極低温による超絶の殺傷能力を誇る高難度魔法である。

 

 逆さの視界。古菲の首を左右から両断するかのように閃く相転移の刃。生物に対して凶悪な殺傷能力を有する高等魔法が二条の斬閃と化して、

 

「なっ」

 

「バ、カナ」

 

 あらぬ軌道を描き、互いが互いを刃で引き裂いていた。

 

 合気。咸卦の気で相転移から逃れた両手を微かに刃へ触れさせ、古菲は肉体の主導権を一時的に両者から奪い取ったのだ。既に死に体、と水のアダトー達が侮っていなければこうも容易くは行かなかっただろうが……振るわれた刃の軌道を僅かにずらす程度なら、今の古菲にも可能だ。

 

 霧散していく二人を背に、更に落下。

 

 地上まで後百メートル。

 

「くはっ」

 

 その先で此方へ手を翳す二人。ニィとクゥィンデキム。猛り狂う魔力は絶大。もはや回避は間に合わない。打ち合いはどうか。今の咸卦の出力で、あの死線を越えられるのか。

 

「はっ、あははははははははっ!!!」

 

 いつの間にか、古菲は無垢な幼子のように無邪気に嗤っていた。

 

 この死地を乗り越えれば、頂へ届く気がした。

 

 頂を目指していた理由など、もう覚えていない。そもそも頂とはなんなのか、それすらも分からなかった。だけれど、

 

「あの、星を……」

 

 開いた手のひらをゆっくりと握る。

 

 脱力。

 

 全身が液体になったかと錯覚する程の弛み。完全に零となった力。丹田にて練り上げる咸卦の気。全身からかき集めた残りカスのような全霊を全て拳へ集束させて、

 

「……この、手に」

 

 そして、古菲は生涯を掛けて積み上げてきた極みを解き放つ。

 

 脱力からの爆発的な力み。

 

 負った傷から鮮血が噴き出すのも構わない。今はただ、かつて見上げた星へ手を伸ばすように、拳を振り下ろす。

 

 ……流星崩拳

 

 ……燃える天空(ウーラニア・フロゴーシス)

 

 ……千の雷(キーリプル・アストラペー)

 

 己の拳と極大呪文の奔流が衝突する刹那、

 

 ……私は何故、こんなにも頂を欲したのだったか

 

 古菲の脳裏にそんな自問が浮かび上がった。

 

 

 




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