リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

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第六話

 

 

 

 鈍い衝撃。

 

 瓦礫と化すコンクリート。古菲の身体は木偶人形のように力なく落下し、大学病院の屋上を砕いて鮮血の赤を撒き散らした。

 

「ぐ……っ……ぉ……」

 

 肉と骨が、水気を帯びた音と共に砕ける。

 

 地面へ叩き付けられた衝撃に全身の骨が軋み、靭帯が千切れ、関節が割れ、内臓が爆ぜる。

 

 控え目に言って、満身創痍。

 

 炎と雷、二種の広域殲滅魔法を前に古菲の放った渾身の拳は容易く呑み込まれてしまった。

 

 当然と言えば当然のことだ。人の身一つで自然現象へ挑むような無茶無謀。仮に超一流と称される域の魔導師が全力で護りを固めようとも、塵芥の如く消し飛ばされていただろう爆炎と轟雷。 『燃える天空』と『千の雷』という極大魔法を相手取りまだ息があるだけでも、奇跡のような所業だ。

 

 しかしそれでも、

 

「げぅ、ぁ」

 

 致命傷だ。

 

 片方の肺と腹部、左腿を貫通した風穴からは、滂沱の如く命の赤が流れ出ている。極大魔法によるダメージも合わせて、全身に負った傷は大小数えることが馬鹿らしくなるほど。

 

 このまま放置されるだけでも死ぬだろう。数分も命は保つまい。

 

 ……それでも

 

 全身全霊の咸卦の気を集束させた一撃により、気も魔力も枯渇した。絞りカスすらも無い完全な零。己にはもう、素の生身しか残されていない。

 

 ……それでも

 

 肺に空いた穴のせいで呼吸が満足に出来ない。心臓の鼓動も今にも止まりそうなほど弱い。

 

 死が、近い。

 

 ……それでも

 

「何故だ」

 

 瓦礫に身を預けたまま倒れる古菲に注意を払いながら、一歩一歩ゆっくりと(ニィ)が歩み寄る。その顔には驚愕と困惑が浮かんでいた。

 

「何故貴様は、まだ立ち上がろうとする」

 

「ぁ……が……?」

 

 気付けば、古菲は立ち上がっていた。

 

 自分でも何故立ち上がれたのか、不思議だった。指一本動かすことすら難しい重傷、致命傷を幾重にも負った身で、それでも尚、古菲は自身の両脚で立っていた。

 

 ……もう十分戦っただろう

 

 そんな内心の呟き。

 

 十一騎の使徒を相手取り、九騎を核ごと壊したのだ。手も足も出なかったあの頃とは比べ物にならない大健闘と言える。だから、もう良いじゃないか。

 

 そう想いながらも、何故か身体は動く。

 

 視界は、無。

 

 音も、無。

 

 五感の何もかもが須らく、無。

 

 白く染まった世界の中でそれでも、自己の認識が作り出す肉体のみがそこにある。

 

「貴様は、危険だ。確実に排除しなければ、我が主の障害となるだろう」

 

 背後に降り立った長髪の男(クゥィンデキム)がそう言いながら魔力を滾らせるが、古菲にはもう聴こえていない。

 

 目前で業火を纏う弐の姿も、背後で稲妻と化す男の姿も、そもそも、五感の死んでいる古菲には感知しようもないのだ。

 

 それでも、

 

「ぁ゛……、ぅが」

 

 口元から鮮血を垂れ流し、全身から赤を噴き出しながら、それでも構えた。

 

「「死ね」」

 

 重なる使徒の声。

 

 翳された両手から迸る魔法の奔流は、高位の魔導師ですら防御の上から消し去る威力だ。そんなものを受ければ、気も魔力も枯渇した古菲がどうなるかなど火を見るよりも明らかだ。

 

 ……ぁあ、こんな終わりも、悪くない。が、

 

 自身を殺すだろう魔力の胎動を第六感的な知覚で捉えながら、ふと、古菲の胸の内に疑問が過った。

 

 それは、彼女自らが無意識の内に考えないようにしてきた原点。血に塗れ、それでも尚、高みを目指した原風景。

 

 私の最初は何処だったか。

 

 そんなことを最期に想う。

 

 何故、血で血を洗うような終わり無き螺旋に足を踏み入れたのか。何故、あの温かな学園から、仲間達から離れ、己の肉親すらも手に掛けて高みを目指したのだったか。

 

 死を前にした古菲の脳裏で、瞬きのような光景が過る。

 

 走馬灯のように、記憶が遡る。

 

 光のように過ぎ去っていく記憶のフィルム。

 

『古菲さん』

 

 ノイズ混じりの古いフィルムを覗くように朧気な光景の中で、

 

『古老師』

 

 それでも一際鮮明に刻まれている、一人の少年の姿。

 

 齢十と言う若さであっさりと己を追い抜き、高みへ駆け上がって行った教師であり、初めての弟子であり、英雄の姿。

 

 ネギ・スプリングフィールド。

 

 吸血鬼の試練。幾度も地を這いつくばりながら、それでも圧倒的戦力差の人形へと挑み掛かっていった姿。

 

 武道会で必死に応援してくれた、弟子の姿。

 

 絶大な敵として立ち塞がった大英雄へ、知略の限りを尽くして立ち向かった勇姿。

 

 一年に満たない刹那で天に輝く星々へ至った英雄。

 

 ……そんな英雄に、私は

 

 何てことのない憧れ。

 

 或いは、恋慕。

 

 初めての弟子が最強と呼ばれる領域へと至り、師としての誇りがそんな自身の無様を許せなかったから。

 

 好きな人が立つ領域へ、自身もまた同じ域に立ちたいと、駆け上がろうと凡人の身で手を伸ばしたから。

 

「なんだ、こんなことアルカ」

 

 音もない白い世界で、古菲は思わず声を漏らした。

 

 どうしようもなく格好のつかない始まりだ。好きな者に追い付きたいから血にまみれた外道を往くなど、本末転倒も良いところ。しかも、そんな始まりすら忘れてしまっていたのだから。

 

 前後から解き放たれる雷撃と火炎。塵一つ残りはしない魔法の猛威がスローモーションで迫り来るが、古菲に出来ることはなにもなかった。砕けた関節、穴の空いた腿、骨には亀裂が走り、立っているだけでも奇跡だ。そんな状態で、いったい何が出来るだろうか。

 

 故に、古菲と言う女はここで死ぬ。

 

 一人の英雄に焦がれ、道を踏み外した女の道程はここで途絶える。

 

 そうして残ったのは、

 

「ぁあ……」

 

 拳の魔物と呼ばれた、化け物だけだった。

 

 

 

 

 

 

 確かな手応えを感じ、クゥィンデキムは静かに吐息を漏らした。

 

 まさか、たかだか人間一人に此処まで自分たち使徒が追い詰められるなど思いもしなかった。人間として極限まで研ぎ澄まされた肉体と、超高難度技法である咸卦法を自在に御する技術。彼の怨敵、千の呪文の男(サウザンドマスター)千の刃(ジャック・ラカン)ですら到達出来なかった次元に足を踏み入れているとすら感じた。

 

 だが、

 

「それが我らが神に楯突いた報いだ。魂さえ残っていれば問題ない。後悔と共に、完全な世界へ堕ちるが良い……」

 

 それもここまでだ。

 

 気も魔力も枯渇し、満身創痍の状態で二騎の使徒による業火と雷光に晒されたのだ。もはや生きていられる道理がない。

 

 大学病院の屋上で盛大に上がる爆煙。クゥィンデキムとニィの二人が放った魔法の余波により、その着弾点は覆い隠されている。

 

「……主よ、いかがなさいました?」

 

 気配を感じて背後へ振り向けば、そこには魔導書を掌握するために戦闘を俯瞰していた主が、鋭い視線を爆煙に包まれた屋上の一画へと向けていた。

 

「…………」

 

「……主?」

 

「……恐るべきは人間の可能性、と言うことか」

 

 そんな、訳の分からぬ呟き。

 

「……いったい、っ!?」

 

 そこで、クゥィンデキムは異変に気が付いた。挟み撃ちにしたニィが戻ってこない事に。彼女の魔力を感じることも出来ない事に。

 

 風が吹く。

 

 掻き消えていく爆煙。

 

 そしてその先に、

 

「馬鹿な」

 

 胸を貫かれその肉体を崩していくニィの姿。満身創痍、死んでいる筈の女がそこに居た。

 

「何故、動ける」

 

 あの状態からどうやって反撃に転じたのか。意味がわからなかった。わからなかったが、敵がまだ死んでいないことだけは確かだ。

 

「……今しばらく、時を稼ぐのだ」

 

 そう言い残し、空へと浮かび上がる造物主。

 

「了解しました、主よ」

 

 言われるまでもなく、クゥィンデキムはあの存在を完膚なきまでに滅ぼすつもりだった。慈悲深い神は、死した女の魂が消える前に『完全なる世界』へと招くつもりであろうが、クゥィンデキムはそんな主の意に背いてでも、古菲と言う女を消滅させるつもりだった。

 

 あんな化け物は、この世に存在してはいけない。

 

 確信があった。

 

 故に、死に体の敵を相手にクゥィンデキムは容赦なく雷化を用いた全霊の戦闘態勢を取る。

 

 猛り狂う魔力の波動。造物主の使徒として与えられた絶大な力を遺憾無く発揮した彼の能力は、オーバーSランク級魔導師のそれすらも凌駕する。正に世界最強恪と呼ぶに相応しい圧倒的な性能であった。だと言うのに、

 

 ……なんだ、この言い様のない不安は

 

 こちらを振り向く女の視線は、もはや世界を映していなかった。

 

 焦点の合わぬぼやけた瞳孔。

 

 溢れ出ていた鮮血は優に致死量を越えているだろう。もはや噴き出すほどの血液量が無いのか、僅かに垂れるだけだ。

 

 死んでいないのが可笑しい状態。幽鬼の如き佇まいでゆらり、とこちらへ歩み出す。

 

 距離二十メートル。亀のような鈍間さは欠伸が出るほどだ。

 

「ははっ、既に死に体ではな……!?」

 

 最後まで言葉を発することは出来なかった。

 

 気付けば、目の前に拳がある。

 

「くぅ!?」

 

 突き込まれた女の拳を寸前で躱し、後方へ跳躍すると共に雷撃の槍を解き放つ。その数、五十。瞬時に虚空に整列した槍衾が霞む速度で大気を穿ち、

 

「ぬぅ!?」

 

「ぁ、」

 

 その時には既に、離した筈の距離がいつの間にか詰められていた。今までの超音速機動でも、瞬動術でもない。トップスピードでも音速の半分にも届かないだろう。だと言うのに、意識を縫うようなその動きを捉えることが出来ない。

 

 繰り出される古菲の拳を、身を捻ることで辛うじて躱す。

 

 気も魔力も籠らぬ単なる素の拳を恐れることなどない。にも拘らず、クゥィンデキムの本能が警鐘を鳴らしていた。

 

「ちぃっ!」

 

 雷速の超高速移動。

 

 百分割した一瞬の次の刹那には、空間を迸ったクゥィンデキムが古菲の背後を取る。咸卦法どころか気も魔力も纏っていない女に、こちらの動きが察知できよう筈もない。だと言うのに、

 

 ……何故だ

 

 どういうわけか思考を読まれたように、こちらの拳が空を切る。

 

 後頭部を狙った拳撃が、首を傾げるだけで躱される。

 

 こちらを見ぬままに雷と化している筈の右腕を取られ、肩で関節を極められる。肘関節を砕かれる刹那、咄嗟に振り払わんと入れた力を逆に利用され、どういう力の流れか、気付けば頭から地面に叩きつけられていた。

 

「が、ぐっ!?」

 

 視界に星が散る。屋上の床を盛大に砕き、無様にも地を転がされたのだ。

 

 多重障壁越しに鈍く響く衝撃は、仮に生身であったなら頭蓋が砕けていただろう事実を教えてくれる。

 

「な、んだ」

 

 転がるクゥィンデキムの頭部を弾かんと目前まで迫る蹴り。総身で螺旋を描いたそれは、当たり前のように障壁をすり抜けて、男の額へ直撃した。

 

「がァッ!?」

 

 雷化を当然のように突き抜ける強烈な蹴りに、再び錐揉みしながら吹き飛ばされる。

 

 良い様にあしらわれている。そんな自分への憤怒と、相手への困惑に頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。

 

「なんなんだ貴様はっ!!?」

 

 吹き飛ばされた身体を空中で立て直し、一際魔力を高めて雷撃の槍を解き放つ。相手は既に突けば倒れる満身創痍だ。面での制圧で、

 

「ぁ゛」

 

「ぐ、ぷっ!? な、め、るな!!」

 

 と、展開した槍が放たれる寸前には、既に古菲の拳が腹部に突き刺さる。ベキベキ、と肋骨がまとめてへし折れる音を感じながら、それでも無理矢理に距離を取って魔法を放つ。

 

 百を越え、千に達する槍衾。

 

 包囲するように展開した雷撃の檻が狭まり、

 

「ぉ、ぅ゛」

 

 あっさりと捌かれた。

 

「な……?」

 

 正面から突貫する槍を優しく流れるような手捌きで受け流し、背後からの槍にぶつけて相殺。それを何十と同時進行し、遂には無傷で凌いで魅せる。まるで全方位に視界があるかのような化け物じみた女の行動に、言葉が出ない。

 

 大気を蹴る古菲。

 

 気も魔力も無い女が、どんな理屈で虚空瞬動じみた真似を可能としているのか。そんな疑問すら浮かべる余裕もなく、迫る褐色の影に理解できぬ恐怖を感じた。

 

 そんな恐怖を無理矢理呑み込み、拳を握る。

 

 全霊だ。雷を纏った拳撃が、大気を引き裂き突き抜ける。

 

「ぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 秒間千撃に達する超速の連打。機関銃の一斉掃射すら生温いと感じさせる雷光の拳が迸り、

 

「ぉぁ゛あ」

 

 弧を描くように捌かれた指先に流され、そのまま態勢を崩される。あらぬ方向を突き抜ける一打目につられた瞬速の拳撃は、鋭く空を穿つだけ。

 

 無様を晒すクゥィンデキムの背に、女の回し蹴りが叩き込まれた。

 

「ぐぉ……」

 

 衝撃。爆撃じみた重低音と共に、クゥィンデキムが叩き付けられた屋上が崩壊。轟音を撒き散らしながら大学病院が瓦礫の山の如く崩れ去っていく。

 

 いったい幾度地面に叩きつけられただろう。軋む肉体へ鞭を入れ直ぐ様立ち上がれば、視線の先には相変わらず満身創痍の古菲の姿だ。降り注ぐ無数の瓦礫の雨の中を、ゆらりゆらりと幽鬼の如く歩み寄ってくる。

 

 いや、

 

 ……本当に、こいつは人間なのか

 

 肉体は確かに死に掛けだろう。それは間違いない。だと言うのに、クゥィンデキムの攻撃をあっさりと捌き切り、あまつさえ反撃してくるなどもはや人間とは思えなかった。

 

 まるで、不死の肉体を持つ超常の存在。或いは、肉体ではなく精神体のみでこの世へ干渉する上位存在、格が高いが故に世界から弾かれたといわれる精霊王や神々の如く。

 

「貴様、まさか我が主の……」

 

 それは、主である造物主の御業に連なる魔法の深淵。

 

「…………ありえぬ」

 

 魔法の秘奥を己が身一つで体現したとでも言うのか。そんなことは有ってはならない。そんな事象が有り得て良い筈がない。

 

「あぁぁぉおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

 ここにきてクゥィンデキムは完全に傲りを捨てた。莫大な魔力。大河の如きそれを右の手刀、ただそれのみに集束する。

 

 振動する大気が甲高い金切り声を奏で、プラズマの如く眩い輝きをその手に宿した。

 

 万象一切、遍く焼き切る必殺の一手だ。

 

 雷光の踏み込み。

 

 頭上からの振り下ろし。

 

 万物を両断する手刀の一閃が視界全てを縦に割断し、

 

「……ぃいネ」

 

 横から女の声が響いた気がした。

 

 同時、肘が埋まり脇腹に炸裂。内から弾け、クゥィンデキムを形作る肉の器が爆ぜる。

 

 それが最期。

 

 全身を駆け巡る激痛に、男の意識はあっさりと掻き消えた。

 

……

 

……

 

 空間全ての因果が、まるで自分の一部のようだった。

 

 空気に浮かぶ砂塵。空気分子の震動。魔力や気、電磁波や重力、その他諸々の星に満ちる力の流動。色はなく、音もなく、けれど全てが認識出来た。

 

 何故だろう。

 

 何故、こんな簡単なことが出来なかったのだろう。

 

 一人の女が死に、一個の魔物と成った古菲は、踏み越えてはいけない境界線を人の身を超えることで越えてしまったのだ。

 

 ふいに大地が不確かに、世界にノイズが走るように感じた。いや、逆か。不確かな存在と化したのは世界ではなく古菲の方。この世界というテクスチャから弾かれるようにして、古菲の存在が薄れていく。

 

 その様を、どう言葉にすれば良いのだろう。

 

 この世のありとあらゆる楔から解き放たれ、頂の更に先の領域に達した存在。何者にも縛られぬ代わりに、世界と言う万物に対して普遍的な地平すらも見失い掛けている、その異様。

 

 天衣無縫。

 

 そんな域に、個人の力として存在できる閾値を凌駕した場所に到達しながらも、目前の存在は尚も敵としてあってくれることに、古菲は純粋な笑みを浮かべた。

 

「そ、れが……お前の……不滅の種、アルカ?」

 

 動かぬ筈の口を動かし、そう問い掛ける。

 

 動かぬ筈の肉を動かし、ゆらりと拳を握った。

 

 ただそこに在るだけの自然体。立ち姿がそのまま先を取る、『武』という概念そのものの姿。

 

 視えない筈の眼で、天へと浮かぶ造物主を古菲は見据える。

 

 この域に達してようやく理解できる造物主の異様。万に、億に、兆に、天を覆い尽くさんばかりの無数の亡者の群れを幻視した。

 

「……」

 

 ピクリ、と五百メートル上空の造物主の右人差し指が五ミリ程動き、

 

 ……デアボリック・エミッション

 

 発生する暗黒球体。漆黒の空間攻撃が視界全てを埋め尽くす。そんな極大の広域魔法を、

 

「は、ははっ」

 

 笑みと共に殴り蹴散らす。

 

 爆発的な勢いで肥大化する暗黒球体が裂ける。古菲を起点に球が円錐状に削れ、消し飛ぶ。刹那、『魔力』も『気』も何も用いずに、ただ己の力のみで大気を蹴り、古菲は造物主目掛けて空を往く。

 

 ……ブラッディダガー

 

 展開される鮮血を押し固めたような深紅の刃。それはさながら天の裁きか、或いは終末の日を思わせる光景だった。幾万にも達する刃が深紅の雨と化して降り注ぐ。迫る刃の雨。避ける隙間など微塵もないそれにすら、古菲はなんら脅威を覚えない。

 

 捌き、弾き、投げ返すことで迫る刃を相殺し、幾百幾千の直撃軌道のみを無為とする。

 

 そして、造物主は目と鼻の先。

 

 全身を駆動させ、上段からの回し蹴りを事象をすり抜けるように解き放つ。

 

 頂の更に先の領域へと到達した古菲にとって、対象が不死であろうが不滅であろうが関係がなかった。

 

 二次元が三次元に干渉出来ないのは当然であるし、三次元の存在が四次元の存在を認識出来ないのも至極当然のことだ。物語の登場人物がその本の読者を直接攻撃など出来ない……そんな当たり前を嗤い飛ばし、存在そのものを消し去る業に彼女は至っていたのだ。

 

 籠めるは絶殺。防ぐこと叶わぬ不可逆の破壊。世界を塗り替え、無理矢理付与した概念すら捻じ伏せるそれ。威力もさることながら、その一撃は敵性存在そのものに影響を及ぼし、打ち砕いた存在を概念ごと滅ぼす。始めから存在しないものを修復など出来ない。

 

 何故そんなことが可能なのか、なんて疑問に意味はない。この域に達した存在は息するように容易く世界を改竄するのだから。

 

 ならば、そんな世界にとってのバグとすら言える古菲の蹴りを、頭上で交差させた腕で以て凌いで魅せる造物主とは何なのか。

 

「「……ッ!!」」

 

 轟、と弾けた大気が激震する。

 

 不壊の意を含んだ障壁が、古菲の蹴りを受け止めたのだ。不壊と破壊。相反する意と意の衝突は、矛盾となって超絶の大爆発を引き起こした。

 

 結界内の空間を遍く照す不条理の極光。

 

 地へと墜ち、崩れた大学病院跡地をさらに爆散させて瓦礫の山を吹き飛ばす造物主。

 

 天へと堕ち、その存在を更に薄れさせる古菲と言う存在だったナニカ。

 

「く、かっ……こんな次元があったなんて、知らなかったアルヨ」

 

 肉体にノイズが走り、初めから存在しなかったように薄れていく。その対価と言わんばかりに、古菲の生物としての格が急激な進化を遂げていく。

 

 このまま行けば造物主の不滅を越えることも不可能ではないだろう。あと幾度かの交錯で、天を覆わんばかりの屍の群れすらも掻き消す領域に手が届く。だが、

 

「……そのまま進めば、戻れなくなるぞ」

 

 闇の書の管制人格の姿を借りた造物主が、その銀髪を土煙で汚しながらも平然と立ち上がって呟いた。

 

「世界から弾かれ、終わってしまう」

 

 なんて、敵からの憐憫すら感じさせる声音に古菲は嗤って返す。

 

「ならば、最期にお前を滅ぼしてから終わるアルヨ」

 

 空間を蹴る。もうもうと爆煙を立ち上らせて、瓦礫と化して崩れていく建造物の残骸へと古菲は駆ける。

 

 終わりが近い。

 

 古菲の生物としての終わりが。

 

 存在が薄れ、世界から放逐されていく。

 

 掻き消えていく肉体を気合いで押し止め、握った拳に破壊を籠めて、生涯最期となるだろう一打に全霊を乗せる。如何に不滅の存在と化している造物主と言えど、この一撃を受けてはただでは済まない。

 

「ぁあ」

 

 漆黒の外套の裾が閃き、長大にして鋭利な刃となって極音速の斬撃の壁を形成するが、それら一切無意味とすり抜け、銀髪赤眼の女へと絶壊の拳撃を解き放つ。

 

 引き伸ばされる刹那。

 

 無限に等しい一瞬。

 

 世界が、固唾を呑んだように静寂に包まれる。

 

 そして、

 

「「っ!!」」

 

 大地を砕く物寂し重低音が、哀しく響いた。

 

 半身となった造物主。拳を振り下ろし、地を砕いた姿勢で動きを止める古菲。

 

 紙一重の差であった。拳が掠めた黒衣は半ばから消し飛び、その拳撃の余波だけで強靭な封鎖結界の核が壊れ……そこで終わり。

 

「ぬぅっ」

 

 呻いたのは造物主だ。

 

 超絶の魔法だけにとどまらず、武術すらも造物主は練磨していたらしい。

 

 最期の一打。消滅までの時間に追われ、僅かに出来た古菲の隙を、彼或いは彼女は見逃さなかった。如何に破壊の概念と言えど、当たらなければただの拳打に過ぎない。あの刹那、確かな足捌きでもって体を捌いたことで、造物主は存在の破壊を免れたのだ。

 

「……まったく。最期の最後まで、私の前に立ち塞がるアルネ」

 

「……眠れ。そして、異界にてその生を改めるが良い」

 

 翳される手のひら。

 

 完全なる世界へ誘う魔法的干渉をしかし、古菲はあっさりと拒絶した。

 

「偽りの夢などまっぴら御免アルヨ。私は、次の次元で戦い続けるとするネ」

 

 世界というテクスチャから弾かれ、繋がりを見失った肉体が掻き消える。

 

「……」

 

 一瞬後、そこには何も残っていなかった。

 

……

 

……

 

 ここに魔拳と造物主、二柱の超越者による衝突は終結した。

 

 残ったのは造物主。そして、その身を縛るシステムの楔に抗いながら、防御を固めることで戦いの余波を凌いでいたヴォルケンリッターとその主の少女。

 

 手駒とする使徒は、その全てが核ごと壊されて修復不能。中空に浮かぶ闇の書を見据え、長い銀髪を造物主は揺らす。

 

「完全掌握までは、今しばらくの時が掛かる」 

 

 掻き消えていく漆黒の結界を見上げ、

 

「…………さて、どうするか」

 

 そう、静かに呟いた。




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