地上に溢れる極光。
万象一切を消し去る滅びの虹、アルカンシェル。それは時空管理局の艦船武装の中でも飛び抜けた殲滅力を誇る魔導砲だった。本来なら特定条件を満たした状況や対象にのみ行使を許されるそれには、幾重もの管制機構によるセーフティーが掛けられ、発射までに多くの認証と責任者による始動キーを必要とした。
その、筈だった。
いや、誰がハッキングを掛けてきたかなど、そんな議論をする段階には既にない。滅びの光は、既に地上へ向けて輝いてしまったのだから。
着弾地点から半径百数十キロを空間歪曲と反応消滅でもって消し去る虹。その消滅に抗う術はない。暴走したロストロギアによる世界の危機を、その周辺地域ごと消滅させることで未然に防いできた管理局の最終兵器だ。
あの輝きで、一体幾つの命が消え去るのだろう。
発射を未然に防げなかったリンディは、茫然と停止した思考でそう思う。
最低でも海鳴の街は確実に地図から消える。
その、筈だった。
「……ぇ?」
呼気に乗せた小さな声音。
その呟きは誰のものだったか。
モニターの向こうで広がる絶望的な滅び。
天の裁きすら彷彿させる、輝く終わり。
そんな何もかもが消え去る悪夢のような光景に、異物が割り込んだのだ。
爆発的に膨れ上がっていく虹の光球を握り潰さんが如く、血のように赤黒い何かが蠢いた。
『それ』は全長百メートルを超える巨大な、翼のような腕だった。
地獄の底から這い上がってきた亡者の如き異様。血闇色の、数値化不能な程莫大な密度の魔力で編まれた二本の腕が、裁きの光を地の底へ貶めるように広がり、握り締めていた。
膨れ上がる空間歪曲と反応消滅の嵐に正面から拮抗し、あまつさえ押し潰していくなど、如何に造物主が類稀な魔導技巧を有しているとはいえ不可能だ。
故に、アレは造物主個人が成せる業ではないのだろう。ならば、一体…………
理解不能。
意味がわからない。
だが、覚醒めてはならないナニカを自分達は目覚めさせてしまったのだ、と。
馬鹿げた悪夢のような光景から眼を逸らすことも叶わず、リンディはそう確信するより他なかった。
☆
小鳥のさえずりが、何処か遠くから聞こえた。
柔らかな優しい風が頬を撫でる感触に、はやては目を開ける。
「主はやて、お目覚めですか?」
「お、目が覚めたのか、はやてっ」
草が揺れる何処かの草原。
視界の端で揺れる桃色のポニーテール。膝枕してくれていたシグナムが柔らかな笑みを浮かべ、駆け寄ってくる赤毛のヴィータも嬉しそうに満面の笑みを浮かべている。
「もう、はやてちゃんったら。あんまり気持ち良さそうに寝ているもんですから、遅くなっちゃいましたよ? 早く帰ってお夕飯の支度をしませんと」
そう言って差し出されるシャマルの手に掴まり、はやては立ち上がった。
自分自身の両足で確りと立ち上がり、空を見上げる。
何処までも澄み渡る青空。
「どうかしましたか、主?」
狼の姿でそう声を掛けてくるザフィーラに、心配性だな、と苦笑を返す。
もう自分の足は治ったのだから。胸の奥が締め付けられるような原因不明の病気はいつの間にか治癒し、足の麻痺も消えた。
リハビリは苦しかったけれど、ようやくこうして皆で出掛けられる位には元気になったのだ。
「主はやて」
「はやて」
「はやてちゃん」
「主」
シグナム。ヴィータ。シャマル。ザフィーラ。
皆、大切なはやての家族達。優しい笑みに包まれて、柔らかな風を感じながら、心の中ではやては祈る。
……どうか、こんな幸せがずっと
と。
目覚めは、唐突だった。
頬を撫でる凍てつく風。地面に倒れる伏した自分に、はやてはようやく気が付いた。気が付いてしまった。
「ぁ、?」
可笑しな光景だ。
直径にして一キロ程だろうか。特大のスプーンで掬ったように抉れた大地。
入院していたはずの病院は跡形もなく消え、その中心に二つの人影が見える。一つは黒いローブに身を包んだ、魔法使いのような格好の誰か。もう一つは、金の長髪を揺らめかせ、赤黒い燐光で形成された翼を背から生やす幼い少女。
二人の佇む場所だけが何故か無事で、抉れた大地の底から細長い柱のような地面が伸びている。
いや、
「……ぁ、え?」
はやて自身が倒れている場所も、何故か無事だ。
何故だろう、と浮かんだ疑問の答えは、すぐそこに。
「ぅ、そ、やろ。なぁ……」
シグナム。
ヴィータ。
シャマル。
ザフィーラ。
はやてにとって、何よりも大事な家族。生きる理由をくれた、そんな愛すべき四人が目前に……在った。
「なぁ、返、事して…………」
ひび割れた彫刻のように全身に亀裂が走り、一様に笑みを浮かべながら光の粒と化して崩れていくその姿。
返事はない。
はやてには分かってしまった。
もう、四人とも生きてはいない。ここに残っているのは、己の肉体すらも削りきることで何らかの猛威から自分を、はやてを護ってくれた家族達の残り火なのだ、と。
「ぁ、ぁ…………」
心が、音を立てて崩れていくようだった。
信じない。
信じたくない。
「シ、グ、ナム……」
それでも、四人の身体の崩壊は止まらない。
「ヴィー、タ……」
手を伸ばし、それでも足が動かずに地面を這いずった。
「シャ、マ、ル……」
光る魔力の粒と化して、風に乗って掻き消えていく。
「ザ、フィー、ラ…………~~~っ」
どうして。
なんで。
嘘だ。
夢だ。
酷い悪夢を見ているに違いない、と必死に思い込もうとして、それでも感じる風の冷たさと、地面に転がる体の痛み、圧倒的な現実感に打ちのめされる。
家族。
わたしの、たったひとつの、たからもの……
☆
泣き叫ぶ少女の声で、なのはは目を覚ました。
「ぅ、ん」
状況を理解するのに数瞬の間を要した。いつの間にかアースラのブリッジに移動している。
何が起きたのか、巨大なモニターにはつい先ほどまでなのは達が戦っていた筈の場所が、巨大なクレーターと化している。確かにそこにあった筈の病院は消え去り、残されたのは三つの人影だけ。
「ぅ、ぁっ」
それで、思い出してしまう。
敵に全否定された己自身の在り方。自分を庇い、砲撃に呑まれて完全なる世界へと取り込まれてしまった親友の姿を。
胸の奥が、心臓が握り潰されるのではないかと錯覚するほど軋み、目の奥が燃えるように熱を持つ。視界が滲み、零れそうになる涙を、それでも堪えて、なのはは前を向いた。
何が起きたのか。
自分が気を失ってまだそう時間は経っていない筈である。数分といったところか。その数分で、何があればこんな地形が変わってしまうほどの事態が起きるのか。
少しでも状況を把握しようと周囲を見回すと、アースラのスタッフやクロノ達も、目を見開いてモニターを凝視していた。
つられるように動かした視線の先、砂嵐の混じるサーチャーの映像。戦場を俯瞰しようと幾つも表示されるモニターの一つに映し出されていたのは、何処か見覚えのある少女の姿だった。
「……は、やて、ちゃん?」
すすり泣くのとも、声を殺すのとも違う。大切なものを失ない、タガが外れ、何もかも分からなくなった少女が張り上げる絶叫。
そんな倒れる少女の元へ、見慣れない金色の少女を伴った造物主が虚空を渡り、手を翳す。
『眠るがいい。完全なる世界にて、その魂を癒せ』
そうして、はやては消えた。
完全なる世界へと取り込まれ、アースラに響いていた哀しみの絶叫もおさまる。
そんな一連の動きを見て、
「……ぁあ、そっか」
なんとなく何故、造物主が『完全なる世界』なんて夢物語を現実にしようとしているのか、なのはには分かってしまった。
確かに、世界は
乗り越えられない哀しみは、確かにあるのだ。
不撓不屈。倒れても倒れても立ち上がる事が出来る者なんて、物語の中にしか存在しない。もし仮に現実に存在するのだとすれば、それは何処か精神の壊れた異常者に他ならないだろう。
故に彼/彼女は、そんな不条理に屈した者の魂を癒すために、世界を書き換えようとしているのだ。
見方によっては、それはどうしようもないほどの悪だ。だけれど不条理の中、たった今まで涙していたはやてのように絶望に身を浸す者からすれば、あれは救世主に他ならないのだろう。
どちらが正しいのだろう。
「…………」
いやきっと、どちらも正しく、どちらも正しくはないのだろう。そこにあるのは立場による主観の違いのみなのだ。
首を振るう。
だからと言って肯定する訳にもいかない。今ここで諦めてしまっては、一体誰がフェイトを助けるのだ、と。
モニターを見据える。
そうして、
『……………………』
「……っ」
背筋を走る悪寒。
サーチャー越しに、造物主の真紅の瞳と視線が交差した。
☆
「なにアレ」
思わず、フィーはそう呟いた。
『分からない。けれど、あの力……』
モニターの先、造物主の横に佇む幼い金の少女。赤黒い翼を背から生やす、その力。恐らくは、魔導砲アルカンシェルの弾殻を正面から握り潰してみせたのは、あの少女の力だ。
何故、アルカンシェルが放たれたのか。一体今ので何人の一般人が巻き添えとなって亡くなったのか。病院一つとその周囲。直径一キロの範囲内に存在したものは、人も物も、消えた。封鎖結界などアルカンシェルの空間歪曲と反応消滅を前には無意味だ。あのクレーターは、現実の空間すらも抉っているのだ。そのことに気付きながらも、名も知らぬ幾百の命よりも目前の脅威の方が今のフィーには重い。
疑問を上げれば切りがない。だが、今もっとも重要な問題は、あの少女の姿をした化け物だ。
「……あれが、砕け得ぬ闇か」
そう呟いたのは、隣で佇むユーノだ。
「なにそれ?」
「……あの後、僕が発掘した情報に含まれていた……闇の書の奥底に封じられている筈の存在だよ。あいつ、どういう訳か知ってたんだ。アレが封じられていることを」
ユーノが吐き捨てるように言う。
「無限魔力生成機構……永遠結晶エグザミア。不味いね。これは、非常に不味いよ。只でさえ造物主だけでも手に負えないのに、あんなものを掌握したって言うのか……?」
少年の焦躁が嫌になるほどフィーには感じ取れた。無限の魔力。その言葉だけで、今の状況が如何に危険か察せるだろう。
只の魔導師ならば無限の魔力を持っていようが大した脅威ではない。自滅するのを待つだけでもいいし、いざとなれば正面から叩き潰すこともフィーなら可能だろう。だがアレは、あの組み合わせだけは駄目だ。
かつての大魔導師、プレシア・テスタロッサ。高次元の領域に達した者にしか理解出来ぬ魔導の真髄を手にしていた彼女。それすらも越えかねない、人類の枠に収まらないほどの化け物。
彼の存在を魔導と言う技巧の頂点とするならば、あの金の少女は魔力と言う力の頂点だ。
技と力、二つの頂点。
まさに鬼に金棒。そんな存在に勝てるものなど、果たして存在するのだろうか。
「どうするの?」
撤退も考慮に入れなければならないだろう、とフィーは艦長であるリンディ提督へ声を掛ける。
最早、事態はアースラ単体であたってどうこうなるものではなくなってしまったのだ。時空管理局という組織の総力を持ってあたらなければ、蹂躙されて終わりだ。
それが分かっているのだろう。
「…………」
無言のリンディ。
そこへ、なのはが声を上げる。
「ちょ、ちょっと待ってください! そしたらフェイトちゃんはっ、はやてちゃんは……地球は…………みんな、は…………っ」
そんな少女の悲痛な叫びは、言葉尻に徐々に小さくなって消えた。
なのはだって分かっているのだろう。フェイトを助けることは、今の戦力では不可能だ。はやてと言う少女は、助けることが彼女のためになるのかすら分からない。そして恐らく、無制限の魔力を手にした造物主は、地球と言う世界を夢へと閉じる。
フィーだってフェイトを助けたい。だけれど、この状況でどうにか出来るなんて思えるほど、少女の思考はお気楽ではなかった。
遺跡発掘、乗り越えてきた修羅場と死線の数々が、希望的観測を持つことすら許してくれない。
そして残念なことに、充分な思考と議論を重ねる時間はフィー達に残されていなかった。
アースラブリッジに鳴り響く警報。オペレーターのエイミィが、悲鳴をあげる。
「戦闘域での魔力反応、急激に上昇っ!! 百万、千万……億……測定不能な高濃度の魔力が海鳴市に……っ」
「…………艦長、決断を」
クロノの言葉にリンディは静かに目を閉じ、一拍の間を置いて口を開いた。
「……徹底します。次元航行開始、同時に本局へ次元通信を」
了解、とアースラスタッフ一同の声。
アースラが次元空間へ沈み込み、通常空間から掻き消えていく。
次元航行へ移る数瞬前、サーチャーが拾った造物主の声音をフィーは確かに耳にした。
……次元魔法・
それは世界を、惑星一つをそのまま異界へと取り込む神技。次元を異次元へと封じる、無限の魔力と造物主の魔導があって始めて可能となる神代の魔法。
アースラが次元空間へ撤退して約一時間。第九十七管理外世界『地球』は、完全にその座標から姿を消した。
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