リリネギカルま! 改訂版   作:藍上 尾

6 / 57
第五話

 

 第一管理世界ミッドチルダ。その、発展開発の進む都会から遠く離れた辺境の地にて、今にも沈まんと地平の彼方で霞む陽光が、空駆ける二つの影を照らし出した。

 

 日没までもう間もなくの紅色に染まる世界で、稲妻を思わせる閃光が走る。

 

「はああぁぁぁっ!!」

 

 雄大な自然の残る辺境都市の更に郊外、森の木々を軋ませるような、大気を引き裂く音がした。

 

「ぬっおおぁぁぁ!」

 

 機関銃の連射をすら思わせる帯電した拳の豪雨に、ゼストは己が鍛え上げた槍術でもって真っ向から衝突する。

 

 霞む拳速。

 

 空間に焼き付かんばかりに鮮やかな、赤毛の長髪。

 

 足下から、頭上から、三六〇度、全方位から迫り来る、鋭利な拳撃。

 

 魔導師ランクS+、古代ベルカの騎士であるゼストをして容易には見切れぬ領域に、フィー・T・N・スプリングフィールドは足を踏み入れていた。

 

 が、

 

「軽い」

 

 槍が猛る。

 

 縦横無尽の閃光が弧を描き、少女の繰り出す拳の悉くを捌く。捌き切れなかった拳が数発、ゼストの身体を叩くが、それだけだ。速さを重視した攻撃では、膨大な魔力を支えとしたバリアジャケット、常時展開型の障壁を突破するには至らない。

 

「ぬんっ!!!」

 

 閃光。

 

 拳撃を受けながらも、ゼストは槍を少女へ向けて薙払った。

 

「っ!?」

 

 ピンクのジャージが袈裟懸けに裂け、中に着た黒いインナーシャツが顔を覗かせる。

 

 あと一瞬、反応が遅ければ今ので終わっていただろう。

 

 確かに動きは速い。だが、それ故に一撃一撃が軽い。並の者ならば、十分以上に通用しただろうが、それでもなおゼストを倒すには程遠い。

 

 ……そのままでは、次で終わるぞ

 

 なんて思考に、苦笑する。これではまるで、自分が相手を応援しているようではないか、と。

 

「カートリッジ、ロード」

 

 ガシャン、とデバイスの機構が作動し、空薬莢が宙へと排出される。

 

 体内を駆け巡る魔力が、爆発的に増大する。

 

 目前の少女が使っている術がどんなものか、詳細はゼストにもわからない。が、魔力付与《エンチャント》によるブーストの類であることは間違いないだろう。特殊な防護は飛来物を弾く風の鎧のみと判断。

 

 刹那、音の壁を踏み越える不可視の速度でもって、ゼストは間合いを詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 まるで、強化も何もしていない素手で鋼鉄を叩くような手応え。

 

 どれだけ打っても通らない自分の攻撃に、かつて戦った父の盟友、極限の『気』に練り込まれた肉体を誇る伝説の傭兵剣士、千の刃のラカンの姿が頭を過ぎる。

 

 あそこまで出鱈目ではない。

 

 バリアジャケット……常時展開型の障壁を突破しうる威力を直撃させれば、ダメージは通る。出力的には未だ心許ないが、障壁貫通術式を攻撃に乗せれば、そこから決定打に繋げることも可能だろう。しかし、

 

「……くぅっ」

 

 焦る心を押し殺し、ネギは思考を廻す。

 

 速度を重視した攻撃では、相手の強固なバリアジャケットを突破できない。かと言って威力を重視すると、致命的な槍撃の回避が危うくなる。

 

 先程から返事がないフィーのことが心配なネギとしては、一刻も早く決着を着けねばならないというのに、状況は困難を極めた。

 

 すると、

 

「カートリッジ、ロード」

 

 なんてゼストの言の葉が鼓膜を叩く。

 

 背筋が凍った。

 

 堰を切ったように、瞬間的に跳ね上がる魔力。山吹色の魔力光が火山噴火の如くゼストの全身から噴き出し、周辺一帯の大気が魔力圧によって軋みを上げる。

 

 ……不味い

 

 本能が危険だと警鐘を鳴らすが、回避が追いつかない。

 

「……っ!?」

 

 二十メートル以上離れた位置関係に居たゼストが、瞬きの半分の半分にも見たない刹那の内に間合いを蹂躙し、眼前で槍を振り下ろしていた。

 

 身体が、動かない。

 

 加速された思考だけが、音速を遥か彼方へ置き去りにした一撃を、朧気ながら認識する。

 

 目前まで迫る受け入れ難き終わりに、脊髄反射が最速の回答を弾き出していた。

 

「ク、」

 

 ……最強防護《クラティステー・アイギス》

 

 無詠唱で発動した呪文は、極めて高位に位置する防御魔法。強力な対物及び対魔法防御効果を持つ魔法陣を、多重かつ広範囲に展開させるものだった。が、槍の衝突まで百分の一秒もない。

 

 辛うじて展開された魔法障壁は、三枚。ゼストの一撃を前に、あまりにも頼り無い護りだ。一瞬の抵抗もなく一枚目が裂かれ、二枚目が砕かれ、三枚目が破られ、自身が常時展開している障壁までもが紙のように貫かれ……

 

「ッ!!!」

 

 左の肩口に凄まじい衝撃を受け、ネギは木々が生い茂る森林へと叩き落とされた。

 

 

 

 

 

 

 ……ねぇ、フィフティス《五十番目》

 

 その瞬間、心臓が大きく脈打つのをフィーは感じた。

 

『あれ、どうしたの? まさか、忘れてた? ……ぁあ、忘れようとしてたんだね。それもそうだよね~、もし少しでも娘のように愛してくれてたなら、番号なんかで呼ばないもんね』

 

「……」

 

 何も、言い返せなかった。

 

『ここで管理局の人に捕まった方があなたのためだよ。今なら罪もそこまで重くないだろうしさ。闇の魔法《マギア・エレベア》がこっちの魂まで侵食しないように抑えてるから、今ならまだ手遅れにならずに済むよ? お母さんのために化け物になるなんて、割に合わないでしょ?』

 

 一瞬、闇が何を嘯いたのか理解できなかった。

 

 一拍の間を空け、呟く。

 

「……抑え、てるって、なにを……?」

 

『だから、侵食をだよ。なんとか拒絶してるわけ。まあ、そのせいでお兄さんは上手く制御出来なくて、苦戦してるみたいだけど』

 

「な……っ」

 

 ズン、と世界が激震した。

 

『あ、そろそろ決着がつくかな? よかったね』

 

「……や……」

 

 自分の我が儘に付き合ってくれているネギの足を、その本人が引っ張っていることが、悔しかった。

 

 フィーは自分の不甲斐なさに愕然としつつも、なけなしの勇気を奮い立たせて辺りを覆う闇を睨みつけ、

 

「抑えるのを、やめてっ!!」

 

 そう声を張り上げた。

 

 しかし、少女の決意の籠もった言葉に返ってくるのは、心底おかしいと嘲笑う嘲笑の響き。

 

『ぷっ くく、うぷっぷ、アハハハハハハ~』

 

「何がおかしいの!」

 

『くく、なにがって……わからないの? 始めに言ったでしょ、わたしはあなただって。侵食を全力で拒んでるのは、わたしの意志であり、つまりはあなたの意志なんだよ』

 

「え……」

 

 闇の言葉が理解出来なかった。

 

 自分は決意を固めた筈だ。なのになんで、と。

 

『あなたがお母さんを身体を張ってまで止めようとすることを躊躇ってるからだよ。むしろ、わたしとしては何で止めようって気が起きるのかすら疑問なんだけど? あの人なんて放って置けばいいじゃん』

 

 鉛のように重い感情が、足元から這いずってくる気がした。

 

 何故、自分は止めようなんて思ったのか。なんで自分を捨てた相手のために、人をやめるようなことをしなければならないのか。

 

「……」

 

 一度生まれた疑問は消えることなく頭の中を巡りに巡り、フィーの身体から力を奪い去っていく。

 

『さあ、一緒にお兄さんにもう良いって言いに行こう』

 

 目の前に、闇よりも暗い影で象られた、フィーそっくりのヒトガタが姿を現した。

 

 そして、握手を求めるように手を伸ばしてくる。

 

『さあ』

 

 もう、良いのでは。そんな諦めの気持ちが少なからず胸裏に渦巻く。

 

「……そうだ」

 

 ふと思い出したのはあの研究施設、生きる気力の無かったフィーが始まった時のこと。

 

「バカだね、わたし……」

 

 ぽつりとそう呟き、闇の手を取る。

  

 暗い影の口が弧を描く。笑みを浮かべたその顔に向けて、

 

『……え? がっ!?』

 

 拳を突き出した。返ってくる重い手応えに、なんだ殴れるじゃあん、と笑みが浮かぶ。

 

「わたしがどうしてお母さんを止めたいのかなんて、わからない」

 

 再び、殴る。

 

 仰け反る己の闇を繋いだ手によって引き寄せる。絶対に離さないと言わんばかりに強く握りしめ、もう一発。

 

 だがしかし、闇もただ殴られているばかりではない。

 

『っ、なんでわからないの!? そんな曖昧な理由で、化け物になるなんて割に合わないでしょ!』

 

 剃刀じみたキレのあるアッパーカット。たまらず顎を跳ね上げられる。脳が揺さぶられ、倒れそうになる身体を気合いで持ち直す。

 

「曖昧なんかじゃ、ないっ!!!」

 

『どこがよっ!!!』

 

 暗黒の空間がフィーとフィーの闇が殴り合う度、罅割れていく。

 

「はあ……はぁ……あなたがわたしなら、わかるでしょ。お母さんを止めるって目標が無かったら……わたしは、生きる目的も見つけられなくて、研究所で死んでたでしょうね!』

 

『けれど、今は違うでしょ。お兄さんと共に生きる。そんな人生もありだと、あなたは思っているはず!』

 

 息も絶え絶えに両者は肩で息をしながら、しかし、固く結ばれた右手だけは意地でも離さない。

 

「どっちも、わたしは諦めない!!!」

 

『お兄さんも言ってたよね? 親しい友が老いて亡くなる。それが精神が死ぬまで続くって。大人になりなよ、五十番目。この状況でなお、お母さんを追い求めたら、あなたは人として死ぬことが出来なくなるんだよ!?』

 

  ゴキン、と鈍い音を響かせ、フィーが仰け反った。

 

「お……おとなになれ、とか……わたしはまだ、子供だもん!!!」

 

 仰け反った状態から勢いをつけ、頭突きを繰り出す。ズゴ、と頭と頭がぶつかったとは思えない、痛々しい重低音が空間を揺るがし、

 

『……っ~、ば、バカだね、あなた。一時のことしか考えないなんて……』

 

 闇がついに膝から崩れた。

 

「はっ、はっ、はぁ……ふんっ、やらないで後悔するより、やって後悔する。それがわたしのポリシーでしょ? そんなこともわからなかったの?」

 

『……わたし《あなた》がこんなにバカだったなんてね。……もういい。好きにすればいいさ。せいぜい後悔して、泣きわめけばいいんだよ。そしたらわたしが思いっきり笑ってあげるから』

 

「そしたら、また殴ってやるからね」

 

 そう嘯くと、黒いヒトガタは苦笑と共に薄れて消えた。

 

 あとに残ったのはもとの白い世界に一人立つ、フィーだけだった。

 

 

 

 

 

 

「がっ……ぁ……」

 

 薙ぎ倒された樹木。

 

 大量の砂塵が立ちこめる巨大なクレーターの中心で、ネギは膝をついていた。

 

 左肩から全身を駆け巡る痛みに、脂汗を滲ませながらも堪える。

 

 ……なんとか、脱臼だけで抑えられたか

 

 明滅する視界に頭を振るい、一息に外れた左肩をはめる。体内で鈍い音が響き、一際強烈な激痛が襲ってきた。

 

「ぁ、あぐ、く……」

 

 気休めの治癒魔法を施し、震える呼気を無理やり吐き出した。

 

 紙一重だった。おそらく最強防護の発動が不完全ながらも間に合っていなければ、鎖骨が折れ、肩甲骨は砕かれ、肩鎖関節は引きちぎられていただろう。

 

 だが、それでもダメージは甚大だった。

 

 左腕の稼働速度は半減、拳の連打はもう出来ない。さらに問題なのが、

 

「術式兵装が……」

 

 完全に解除されていた。

 

 確かに凄まじい一撃だった。しかし、外的な衝撃で兵装がキャンセルされてしまうなど、闇の魔法の習得過程にあった遥か昔ならばともかく、今のネギならば有り得ないことだった。それこそ意識を刈り取られでもしないかぎり……

 

「ぐ、ぅあ……」

 

 胸の奥底で脈打つ反動。魂魄を食い荒らされるような、言葉に言い表しがたい感覚に歯を食いしばる。

 

 闇の魔法を行使するうちに、先程から少しずつ感じ始めていた不協和音。体内で響くそれが運用効率を著しく低下させていた。フィーの肉体に馴染まないためか、それともネギの思慮の外にある要因のためか。理由はともかく、最大の危機に違いはない。

 

 この状況を打開し得る方法をネギの頭脳がフル回転で模索するも、答えは出ない。

 

「見事だ」

 

 荒く息するネギの頭上から、そんな賞賛の言葉が投げ掛けられた。

 

 顔を上げれば槍の男、ゼストが空から地上へと降り立つ。

 

 ……もう、無理だ

 

 理性がそう訴える。

 

 しかし、それでもなお、

 

「……立つか」

 

 息を吐き出し、魔力を練り込む。

 

 小刻みに震える足に活を入れ、ネギは右半身を前に構えた。

 

「止めておけ、フィー・T・N・スプリングフィールド。既に限界の筈だ」

 

 ゼストの言葉。それはネギの理性が喚き散らす言葉と同じだった。

 

 諦めろ。もう無理だ。不可能。限界……ふざけるな。

 

「ははっ」

 

 思わず笑いが込み上げる。

 

 ……それが、いったいなんだっていうんだ

 

「……何が可笑しい?」

 

「限界? そんなこと、知ったことか」

 

 怪訝な眼差しを向けてくる男に、ネギは不敵な笑みを隠そうとしなかった。

 

 限界。そう、確かに限界だ。身体はボロボロ、魔力はガス欠寸前。だが、人間の強さとは、いつも限界の先にある。

 

 それにネギは一人ではない。

 

 根拠もなく信じられるのが本当の仲間。根拠も何もないが、ネギは信じていた。大丈夫、そう笑って不確定な未来へと踏み出した相棒を。

 

 そんなネギに、ゼストはただ一言。

 

「そうか……」

 

 それだけ呟くと口元を引き締め、再び槍を構えた。

 

 ビリビリと滲み出す闘気だけで、膝をついてしまいそうだった。

 

 決着が近い。それだけを悟る。緊張が上限を超えて際限なく高まる。時間がひどくゆっくり流れているようだった。

 

 と、何の拍子もなく、正に唐突に、

 

 カチリ

 

 そんな、歯車の噛み合うような音がネギの頭に木霊した。

 

 不協和音を生み出していた最後の要因が消えた。喉の奥に刺さっていた魚の骨がとれたような、ちょっとした解放感。

 

『おまたせ、ネギ!』

 

「あぁ、おかえり、相棒」

 

 小さく呟く。

 

 次の瞬間、二人は動いた。

 

 ガシャン、とゼストの槍から弾き出される空薬莢。また、あの超速の一撃が来る。

 

 そんな思考が走ると同時、ネギは縮地の域に達する瞬間移動じみた踏み込みと並行して断罪の剣を右腕に纏わせる。下段からの掬い上げる一閃。先の先、虚を突くタイミングで攻撃行動そのものを行わせない。

 

 十メートルほどの距離を刹那で零にしたネギの一撃は、

 

「「っっ!!!」」

 

 空を切った。

 

 最小限の動きでゼストが身体を捌き、回避したのだ。

 

 振り上げ、体が伸びたところで瞬き一つの間もなく槍が走る。狙いはネギの脇腹。真空の刃すら生じさせるそれは、カートリッジシステムのブーストも合わさり、正しく必倒の一閃と化す。

 

 受けられない、避けきれない。

 

 振り上げた剣を変化させ、ネギが選択したのは迎撃だった。

 

「がぁ……!!」

 

 衝撃。

 

 凄まじい圧力が右腕を襲う。まだ痛みの残る左腕を無理やり力比べに加えることで、ギリギリ拮抗に持ち込む。魔力と魔力、まるで金属同士を擦り合わせるかのような甲高い音が周囲の空間を震わせる。それは断罪の剣の魔法効果に槍が上げる悲鳴か、或いは魔法の刃が圧力に耐えきれず砕ける寸前の断末魔か。

 

 否、

 

「ぐ、ぬっ」

 

 槍が止まった。

 

 断罪の剣が槍に半ば近くまで亀裂を入れたため、ゼストの側が力を緩めたのだ。

 

 ゼストのデバイスが高ランク魔導師用の特注品ではなく、管理局の支給する量産品を手直ししたものだったためか……この時の両者にわかるはずもない。

 

 両断を嫌って拮抗が崩れる。そこへ活路を見出し、ネギは魔法を瞬時に解除。槍の苦手とする超至近距離へと踏み込んでいく。しかし、ゼストもこちらの思惑を読んでいた。断罪の剣を解除する刹那の差で間合いを離される。

 

 拳の届かぬ間合いの外。再び槍を繰り出そうとゼストは力を込め、

 

「っ!?」

 

 息を呑んだ。

 

 コンマ数秒で離された三メートル以上の間合い。ネギの間合いの外と読んだであろうゼストの思考の間隙を突き穿つように、たったの一歩、あたかも地脈を縮めたかの如き動きで間合いを埋めたのだ。

 

 縮地の域まで高めた高速移動・瞬動術《クイック・ムーブ》と、数ある中国拳法の中でネギが秘門まで極めた八極拳の歩法・活歩。二つを合わせた踏み込みに反応出来るものは、全次元世界を見渡しても極少数だろう。しかし、

 

「ぐぬぅっ!!」

 

 その少数にゼストは含まれた。視線がこちらの動きを追っている。構うものか。赤毛の長髪を棚引かせ、ネギは男の懐へと滑り込む。八極拳が得意とする至近距離。

 

「シィッ!」

 

 鋭い呼気。踏み込んだ震脚が大地を陥没させ、繰り出す中段突きがゼストの腹筋を蹂躙するかに見えた刹那、巧みに操られた槍の柄が拳の先に割って入る。

 

 大地を踏む脚の力、重心移動、腰の回転、肩の捻り、全身の瞬発力を余すところなく爆発させた勁力は身体強化によって累乗され、槍型デバイスを容易にへし折る威力を有した。だがしかし、軋みを上げて折れる寸前、

 

「おおおおおっ!!!」

 

 ゼストは槍を撓ませながら背後へ跳ぶことで衝撃を受け流し、あまつさえ間合いを離してみせた。

 

「「……っ!!!」」

 

 間合いは再び、十メートル。

 

 赤毛の少女と巨躯の男、二人の視線が交錯する。

 

 踏み込んだのは、間合いを離したゼストからだった。

 

 これで終わりだ。そう言葉の外で告げるような、可視領域を遥かに超えた全身全霊の踏み込み。音の壁を超え、光の速度にすら並び立たんばかりの神速の突き。槍の基本にして究極。ゼストという男がこれまでの生涯を掛けて錬磨してきた、一つの極限。

 

 ネギの目ですら影すら追えぬ絶技を前に、覚悟を決める。この機を逃せば次はない。死中に活を求め、男の極限に真っ向から挑むしかない。

 

 回避は間に合わない。受けることも不可能。魔法を発動させる猶予すらない。

 

 全身を巡る魔力を増大。後など考えぬ全霊の身体強化を施し、脳が焼き切れかねぬ精神集中でもって絶技に挑む。一秒が十秒にも百秒にも感じられる遅滞した世界の中にあってなお、霞む速度で迫るゼストの一撃。

 

 あとは自身の積んできた功夫に託すのみ。

 

 勘と経験、何もかもを総動員して軌道を予測し、ネギは右腕を振りかざした。鈍色の手甲が螺旋を描き、大気を巻き込まんばかりの回転が生み出される。

 

 それは、地下闘技場から逃げ出す際の一幕の再現。

 

 ゼストの絶技に対するネギの神技。

 

 神速域で煌めいた槍を絡め取らんと超速の腕が閃く。

 

 甲高い金属音。手の甲から前腕の半ばまでを防護する手甲型デバイスが刹那の接触で罅割れ、耐久限界を超えた。

 

 それでもなお、槍の直進は止まらない。

 

 捲り上げられたジャージの袖が吹き飛び、インナーシャツが引き裂かれる。

 

 腕と槍の鎬の削り合いは、名状しがたい物理法則の断末魔によって彩られ、

 

「「っっっ!!!」」

 

 背を打ち付ける轟風に、会心の笑みを浮かべる。ネギは自身から槍の軌道を逸らすことに成功した。背後で爆撃じみた大音響と共に吹き飛ぶ樹木の悲鳴。噴き出す鮮血。右の手の甲から肩口に掛けて一直線に走った裂傷は幼い身体にはあまりにも痛々しく深い傷だった。が、あの一閃を捻り曲げるのには安い代償だ。

 

 槍から伝わるゼストの驚愕。

 

 そこへ付け込み、傷を負った右腕を無理やり動かし、槍の柄を掴む。ネギの左体側がゼストの腰に密着すると同時、左肘を男の鳩尾へ叩き入れる。

 

「ぬ、がっ……」

 

 しかし、流石はゼスト。驚愕冷め止まぬ内の一撃にすら咄嗟に反応し、紙一重でシールドを展開することでネギの頂肘を凌がれてしまった。なんとかシールドは砕いたが、左肩の負傷もあり力が乗りきらない。バリアジャケットと合わせてほぼ全ての威力を防がれてしまった。決め手を防がれ万策尽きたかに見えたネギだったが、その瞳は未だ力を失っていない。

 

 接触状態での硬直。この瞬間を待っていたのだ。

 

 刹那、ゼストに接触している肘を起点に魔法が解放された。

 

 ……魔法の射手・戒めの風矢《サギタ・マギカ・アエール・カプトウーラエ》

 

「なっ!!?」

 

 無詠唱で発動した戒めの風矢が、ゼストの四肢をバインドの如く拘束していく。

 

 そう、何も敵を倒すことだけが唯一の勝利条件ではなかったのだ。一時的に足止めし、逃げる時間が稼げればそれでよかった。

 

 零距離射程で直撃させることで、どんなに強力な障壁、バリアジャケットも効力は最小となる。脱出に掛かる時間はまともに受けた以上数十秒……いや、或いは数秒で脱出してくるかも知れない。しかし、それだけあれば転移ゲートを開き、この場から逃走するには十分だ。

 

 ……次は、逃がさん

 

 微かな賞賛の響きを帯びたゼストの呟きを背に、ネギは影へと潜っていった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。