ーⅢ 違和感ー
ニューヨーク決戦から数日後。
その一室ではモニターに映し出された数値を見ながら数人の研究員達が困惑した表情を浮かべている。
「……異常なし?」
「はい。身体能力、神経伝達、脳波。全て正常値です。」
「ならこの反応はなんだ」
研究員が指し示したモニターには不規則に脈打つ不可解な波形が表示されていた。
「戦闘時から断続的に観測されています。原因は不明ですが……既存エネルギーとは一致しません。」
「ガンマ線でもテッセラクトでもない、と」
「はい。」
研究員達の視線の先。
椅子に腰掛けていたナターシャ・ロマノフは小さく溜息を吐いた。
「つまり、何も分からないってことね」
「現状は……」
「十分よ。」
ナターシャは立ち上がると検査用のコードを外して部屋を後にした。
ヘリキャリア内部の通路を歩きながらナターシャは小さく眉を寄せる。
……視線を感じる。
数日前からだ。
誰かに見られているような感覚。
だが背後を確認しても誰もいない。
スパイとして鍛え上げられた直感が警鐘を鳴らしているにも関わらず、気配の正体を掴めない。
「……気味悪いわね」
「気配に敏感だな」
「ッ――!」
ナターシャは咄嗟に腰元へ手を伸ばした。
しかし、背後に立っていた男の姿を見て動きを止める。
白髪。
浅黒い肌。
赤い外套。
数日前、自分を救った男。
「……驚かせないで」
「気配は消していたつもりなのだが」
「十分怖いわよ。」
アーチャーは小さく肩を竦める。
その姿は数日前と変わらない。
まるでそこだけ別の世界の人間が紛れ込んだような異質さを放っていた。
「検査は終わったのか」
「ええ。異常なしですって。」
「ほう」
「その顔、絶対信じてないわね」
「当然だ。」
即答だった。
ナターシャは呆れたように息を吐く。
「君は既に普通ではない。」
「あなたに言われると複雑ね」
「否定はしないさ」
そう言ってアーチャーは通路脇の窓へ視線を向けた。
窓の外には雲海を切り裂きながら飛行するヘリキャリアの巨大な機体が広がっている。
「空飛ぶ要塞とはな……」
「気に入った?」
「驚いているだけだ。」
アーチャーは静かに目を細めた。
「この世界は妙だ」
「妙?」
「神が空を飛び、怪物が街を破壊し、人が鋼鉄を纏って空を駆ける。」
ナターシャは黙って聞いている。
「それだけの神秘が表に出ているにも関わらず世界が崩壊していない。」
「……よく分からない話ね」
「本来、神秘とは隠されるものだ。」
アーチャーは続ける。
「秘匿され、人知れず継承される。人々に認識されれば神秘は薄れ、やがて消える。」
「つまり私達はそのルールを無視してるってこと?」
「あぁ。」
アーチャーはヘリキャリアを見上げながら呟いた。
「この世界は歪だ。」
一方その頃。
ヘリキャリア内のラボではトニー・スタークが大型モニターを睨みながら楽しそうに笑っていた。
「いや最高だろこれ。」
「どこがだ……」
隣でブルース・バナーが疲れたように額を押さえる。
モニターにはアーチャーをスキャンした際のデータが映し出されていた。
だが内容は滅茶苦茶だった。
生体反応、不安定。
質量、一定せず。
細胞組織、確認不能。
エネルギー反応、未知。
存在しているはずなのに観測結果が成立していない。
「幽霊だぞ?しかも武器庫付きだ。最高じゃないか。」
「君は楽しそうだな」
不意に聞こえた声。
トニーが振り返ると、いつの間に現れたのかアーチャーがラボ入口に立っていた。
「お、出たな幽霊。」
「その呼び方はやめたまえ。」
「で?解剖はいつさせてくれる?」
「断る。」
「まだ何もしてないだろ」
「目が危険だ」
トニーは吹き出す。
バナーは深く溜息を吐いた。
「……本当にどういう存在なんだ、君は」
「私にも完全には分からん。」
「は?」
「記憶が曖昧でね。」
そう言いながらもアーチャーの視線はどこか遠くを見ていた。
まるで何かを思い出しかけているように。
夜。
ヘリキャリア甲板。
冷たい夜風が吹き抜ける中、ナターシャは一人柵にもたれ掛かっていた。
ニューヨークの灯りが遥か下で瞬いている。
「こんな所にいたのか」
背後から聞こえる声。
振り返らなくても誰か分かった。
「あなた、本当に気配消すの上手いわね」
「褒め言葉として受け取っておこう」
ナターシャは小さく笑う。
数日前なら考えられない事だった。
「聞いていい?」
「なんだ」
「サーヴァントって何なの」
アーチャーは少し黙った。
そして静かに口を開く。
「戦う為の存在だ」
その声音は酷く淡々としていた。
「人々に語られ、祀り上げられた英雄。死後に英霊となり、召喚される。」
「あなたも?」
「……さぁな」
「曖昧ね」
「曖昧だからな。」
ナターシャはその横顔を見る。
初めて会った時から感じていた。
この男はどこか壊れている。
何かを諦めきったような目をしている。
「でも、あなたは私を助けた。」
「成り行きだ」
「嘘。」
即答だった。
アーチャーは少しだけ目を見開き、それから小さく笑った。
「君は勘が鋭いな」
「スパイだから。」
沈黙。
風の音だけが響く。
その時だった。
ナターシャは突然、指先に熱を感じた。
「……っ」
一瞬だけ。
まるで血管の奥を熱が走ったような感覚。
「どうした」
「……何でもないわ」
アーチャーは目を細める。
だが、それ以上は何も言わなかった。
深夜。
誰もいないヘリキャリア外壁。
アーチャーは一人、夜空を見上げていた。
「聖杯の気配はない……」
だが。
次の瞬間。
微かに。
本当に微かに。
遠く離れたどこかで、何かが脈動した。
魔力。
神秘の揺らぎ。
アーチャーの表情が僅かに険しくなる。
「……始まるのか?」
夜風だけが静かに吹き抜けていった。