ーⅣ 魔力ー
ニューヨーク決戦から一週間。
世界は未だ混乱の中にあった。
空から現れた宇宙人。
神を名乗る存在。
街を駆ける鋼鉄の男達。
あの日を境に世界は確実に変わり始めていた。
そして、その変化はナターシャ・ロマノフ自身にも訪れていた。
「また徹夜か」
ヘリキャリア内の食堂。
コーヒー片手に現れたスティーブ・ロジャースは席に座るナターシャを見て眉を寄せた。
ナターシャは軽く肩を竦める。
「少し寝付きが悪いだけよ」
「顔色が良くない」
「気にする程じゃないわ」
そう言いながらも、自分でも分かっていた。
身体がおかしい。
数日前から続く微熱。
妙に鋭くなる感覚。
神経が張り詰めているような違和感。
それだけではない。
時折、自分の身体の内側を何かが流れていくような感覚を覚えるのだ。
血液とは違う。
熱に近い何か。
「本当に大丈夫か?」
「心配性ね」
ナターシャはコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「任務があるの。後でね」
「ナターシャ」
呼び止められ、ナターシャは振り返る。
スティーブは真っ直ぐ彼女を見ていた。
「無理をするな。」
「……」
「君は一人で抱え込み過ぎる。」
ナターシャは小さく笑う。
「優しいのね、キャプテン」
「当然の事を言っているだけだ。」
その真っ直ぐ過ぎる言葉に、ナターシャは少しだけ目を細めた。
「最近の君は少し変だ。戦場での動きも前より鋭かった。」
一瞬だけ、言葉に詰まる。
あの異常な感覚を思い出す。
「気のせいよ」
「ならいい。」
スティーブはそれ以上追及しなかった。
だが去り際。
「頼れとは言わない。だが、倒れる前には言ってくれ。」
そう言い残して去っていく。
ナターシャは静かにその背中を見送った。
数時間後。
東欧某国。
S.H.I.E.L.D.が追跡していた武装組織の拠点。
崩れかけた工場内部をナターシャは静かに進んでいた。
ハンドガンを構えながら、僅かな物音すら聞き逃さないよう神経を張り巡らせる。
すると。
足音。
二人。
奥から接近。
「――ッ」
ナターシャは遮蔽物へ滑り込むと同時に銃を構えた。
次の瞬間。
武装兵士が姿を現す。
「誰だ!」
発砲。
火花。
銃声が工場内へ響き渡る。
ナターシャは床を滑るように移動すると、流れるような動作で一人目の喉元へ蹴りを叩き込んだ。
鈍い音。
男の身体が吹き飛ぶ。
その瞬間だった。
「……え?」
明らかに飛び過ぎた。
人間の蹴りではない。
コンクリート壁へ激突した男はそのまま意識を失った。
一瞬の困惑。
だが戦闘は終わらない。
背後。
別の兵士。
ナイフ。
咄嗟に振るったワイヤーが鉄骨へ食い込み、そのまま切断した。
金属音。
崩れ落ちる鉄骨。
「何なのよ……」
自分の身体ではないような感覚。
神経だけが異様に研ぎ澄まされていく。
銃弾の軌道。
敵の重心。
呼吸。
心拍。
全てが手に取るように理解できる。
数分後。
工場内には気絶した兵士達だけが残されていた。
ナターシャは荒く息を吐きながら自分の手を見下ろす。
微かに熱い。
まるで皮膚の下で何かが脈打っているようだった。
ヘリキャリア帰還後。
ナターシャがラボ前を通り掛かると、中から騒がしい声が聞こえてきた。
「だからもう一回スキャンさせろって!」
「断る。」
「減るもんじゃないだろ!?」
「尊厳が減る。」
ナターシャが呆れながら中を覗く。
そこではトニー・スタークとアーチャーが睨み合っていた。
ブルース・バナーは完全に疲れ切った顔で椅子に座っている。
「何してるの」
「聞いてくれナット。この幽霊、協力的じゃない。」
「誰が幽霊だ」
「じゃあ何なんだよお前」
アーチャーは腕を組みながら平然と答える。
「英霊だ」
「意味が分からん。」
「私もそう思う。」
ブルースが遠い目をした。
トニーはモニターを指差す。
「見ろよこれ。観測する度に数値が変わるんだ。」
モニターには意味不明な波形が映し出されていた。
生体反応、不安定。
質量、一定せず。
エネルギー反応、解析不能。
存在しているのに成立していない。
「最高だろ!?」
「全然理解できないわ」
「だから面白いんだよ」
トニーは少年のような笑みを浮かべる。
そんな彼を見ながらアーチャーは小さく呟いた。
「……君は変わった男だな」
「天才と言え」
「普通の人間は理解不能な存在を前にここまで楽しそうにはしない。」
「未知ってのは最高の娯楽だ。」
その言葉にアーチャーは僅かに目を細めた。
「なるほど。」
その声音には少しだけ感心したような響きが混じっていた。
格納庫へ向かう途中。
ナターシャはブルースと遭遇した。
「ブルース」
「ナターシャ……その顔色、本当に大丈夫か?」
「みんな同じ事言うのね」
ブルースは苦笑する。
「君は隠すのが上手い。でも限界まで無理をするタイプだ。」
「あなたにだけは言われたくないわ」
「違いない。」
少しだけ空気が和らぐ。
だが次の瞬間。
ブルースの表情が僅かに変わった。
「……妙だな」
「え?」
「君から変な反応を感じる。」
ナターシャの眉が動く。
「反応?」
「上手く言えない。静電気みたいな……」
そこまで言ってブルースは首を振った。
「いや、気のせいか。」
ナターシャは何も言えなかった。
自分でも分かっていたからだ。
“何か”が起き始めていることを。
格納庫。
人気の無い空間の奥。
コンテナに腰掛ける赤い外套の男がいた。
「来たか」
「あなた、私を監視してるの?」
「護衛と言ってもらいたいものだな」
ナターシャは小さく溜息を吐く。
「今日の任務……身体がおかしかった」
アーチャーは静かに目を閉じた。
まるでその言葉を待っていたかのように。
「限界だな」
「何の話?」
「魔力だ」
ナターシャは眉を寄せる。
「……またそれ」
「君の身体の内側で循環している力。それが魔力だ。」
「そんなもの感じた事ないわ」
「今まではな。」
アーチャーはコンテナから降りる。
「サーヴァントとの契約によって刺激されたのだろう。眠っていた回路が無理やり起こされ始めている。」
「回路……」
「魔術回路。魔力を生成し、扱う為の器官だ。」
ナターシャは黙って聞いている。
「本来なら魔術師達はそれを継承し、秘匿し、管理する。だがこの世界にはその文明が存在しない。」
「つまり私達は、使い方を知らないまま持ってるってこと?」
「あぁ。」
アーチャーは頷いた。
「君はその適性が高過ぎる。」
「褒めてる?」
「警告している。」
声色が変わる。
冗談の響きが消えた。
「関わるな、ナターシャ。」
「……」
「神秘は人を壊す。魔術師という連中は、その最たる例だ。」
ナターシャは静かにアーチャーを見る。
その横顔は酷く苦しげだった。
まるで過去を思い出しているように。
「でも私はもう巻き込まれてる。」
アーチャーは何も言わない。
「逃げろって?今更?」
「……」
「無理よ。」
ナターシャははっきりと言い切った。
「私は戦う。その為に必要なら、使うだけ。」
沈黙。
格納庫に低い機械音だけが響く。
やがて。
アーチャーは深く息を吐いた。
「……後悔するなよ」
「しないわ」
「魔術は都合の良い奇跡じゃない。」
アーチャーはナターシャへ歩み寄る。
「むしろその逆だ。」
そして。
その手首を掴んだ。
次の瞬間。
「――ッッ!!」
全身を灼熱が駆け抜けた。
血管の内側へ焼けた鉄線を無理やり流し込まれるような激痛。
神経を直接掻き回される異物感。
呼吸が止まる。
膝が崩れる。
「が……ぁ……ッ!!」
床へ片膝をつく。
視界が揺れる。
心臓が暴れている。
「それが回路だ。」
アーチャーの声だけが妙に冷静だった。
「ふざ……け……ッ……」
「だから言った。」
ナターシャは荒い呼吸を繰り返す。
それでも。
悲鳴は上げなかった。
アーチャーの目が僅かに細くなる。
「……耐えるのか」
「スパイ……舐めないで……」
汗を流しながらナターシャは笑う。
強がりだった。
それくらいアーチャーにも分かっていた。
だが。
それでも立ち上がろうとする姿が、どうしようもなく目についた。
かつての自分を見るようで。
「……全く」
アーチャーは小さく呟く。
そしてナターシャの手へ視線を向けた。
指先。
微かに。
本当に微かに。
青白い光が灯っていた。
「成功だ」
「……は?」
「魔力が流れた。」
ナターシャは自分の指を見る。
だが次の瞬間には光は消えていた。
「こんなの誤差でしょ」
「初回でそこまで辿り着く方が異常だ。」
アーチャーは真剣な声音で言った。
「君は想像以上に適性が高い。」
その時。
格納庫入口から豪快な声が響いた。
「おお!ナターシャ!」
ソーだった。
ナターシャは反射的に指を隠す。
「こんばんは、雷神様」
「その呼び方は気に入った!」
ソーは豪快に笑う。
だがふと、その視線がナターシャへ向いた。
「……む?」
「どうしたの」
「お前、妙な力を纏っているな」
空気が僅かに張る。
そこへ。
「気のせいだ、雷神」
いつの間に現れたのか、アーチャーがソーの背後に立っていた。
ソーは目を丸くする。
「おお!弓兵!」
「突然現れるな。心臓に悪い。」
「ハハハ!英霊に心臓はあるのか?」
「あるにはある。」
ソーは楽しそうに笑う。
だが次の瞬間、その目が僅かに細められた。
「……しかし、お前からは妙な気配を感じるな」
アーチャーは黙ってソーを見る。
神。
神秘そのもの。
Fate世界なら神代の存在。
本来、人の時代に残っていいものではない。
「なるほど……」
アーチャーは小さく呟いた。
この世界の異常性を改めて理解するように。
「何だ?」
「いや。この世界は本当に規格外だと思ってな」
ソーは豪快に笑った。
「気に入っただろう!」
「頭痛がしてきたよ。」
ナターシャは思わず吹き出した。
深夜。
誰もいないヘリキャリア外壁。
アーチャーは夜空を見上げていた。
「契約の影響だけではない……」
ナターシャの回路。
あれほど自然に魔力へ適応する人間など滅多に存在しない。
それだけではない。
数日前から感じる微弱な揺らぎ。
聖杯の気配は未だ無い。
だが。
神秘が確実に集まり始めている。
そして。
その瞬間だった。
微かだった反応が一瞬だけ強まる。
アーチャーの表情が険しくなる。
「……近いな」
夜空の向こう。
まるで何かが目覚め始めているようだった。