うつろふものは瞬過愁灯   作:蘭花

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今回から秋編となります。


爽籟-Autumn-
それはとても綺麗だった


「……プロデューサーさまとお話しすることなど、一切ございません」

 

 身に覚えのない鋭利な言葉。それはあまりにも唐突だった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 秋風がそよそよと木々の間を流れる。

 揺られる草花はすっかり秋色に染まり、燦然と光り輝いていた太陽は優しく空に鎮座する存在となっていた。身を焦がすような暑さはどこかへ消え去っている。あるのは心地良く吹く風と、赤や黄、橙色や茶色で彩られた自然の世界だ。

 

「大自然って感じがするなあ」

 

 草木に囲まれた空気は美味いとよく言うが、なるほど確かに口から肺に伝う酸素はどこか清々しい。解放感に溢れている場所では大きく息を吸うことに対して一切の躊躇いがなくなる。日頃からビルなどの建物に囲まれ、どこまでもアスファルトの続く道ばかり歩いてきたからこその感覚だろうか。

 大自然の豊かさを全身で味わいながら、プロデューサーは大きく伸びをする。大して特別なことはしていないのに、日々の生活で身体に蓄積した疲労やストレスが抜けていくようだった。

 

「……って、こんなにのんびりしている場合じゃないか」

 

 頭上に伸ばして組んでいた手をほどき、くるりと回転して背後に振り向く。後ろには先程から美しい紅葉を見上げている凛世がいる。いつかの秋模様の着物を身に纏っているその姿は、いつどんな場所で見ても絵になるほど美麗で、絶佳の世界に一切の違和感なく溶け込んでいた。

 思わず見惚れてしまいそうになる視線をなんとか操作して、落ち葉の小道を音を立てて進んだ。二人の物理的な距離が人一人分空いている程度までになった時、凛世も目線を此方に向けた。

 

「――っ」

 

 ――また、この感覚だ。

 

 心臓が一瞬だけ上空に引っ張られるような、弾んで浮き上がるような感覚。頬も僅か数秒のうちに熱くなり、顔面が熱を帯びたことを自覚すると何ともいえない羞恥心が込み上げてくる。

 

 なぜ今、唐突にこんなことになるのかと考えると、原因は一つしかない。凛世の真紅の瞳と目がしっかりと合ったからだ。恥ずかしさから目を逸らしたくなるが、不審がられるわけにもいかないので吸い込まれそうな瞳孔を見続けることしか出来ない。

 

 プロデューサーは、夏祭りの一件以来ずっとこんな調子だった。

 

「あー、えっとだな。そろそろ行こうか、凛世」

 

 どうにかして言葉を絞り出して顔の熱が早く消えろと念じながら目を伏せる。

 毎回目線が交わる度にこうなるわけではない。この感覚は生活の中である時ふいに、突然病のように舞い降りて自分の肉体と精神を支配するのだ。時と場合も法則も何も決まっていないが、見慣れているはずの凛世の顔を見ると心が軽やかに跳ねてしまう。

 

 まだ夏だった頃こそ対処法も分からず硬直していた。しかし何度も経験すれば流石に多少の慣れが生じてくるので、彼女自身に悟られていることはないと思いたい。

 ――何故悟られたくないのか、それは湧き上がる感情に“答え”が既に見つかっているからである。

 

「…………」

 

 一人で勝手に悩んでいるプロデューサーに対して、凛世は呼びかけに反応することなく口を閉ざしていた。視線だけはしっかりと合わせ、いまいち感情の読みとれない二つの瞳を少し揺らして。

 時間が経って落ち着きを取り戻したプロデューサーはその様子に気付いて、軽く手を振ってみる。

 

「どうした凛世? おーい」

「……」

 

 しかし返答はない。

 また何か悩みでも抱えているのかと心配しそうになるものの、以前のように瞳の紅は悲哀や困惑を宿していない。純粋に呆然としているだけなのだろうか。

 

「体調でも悪いのか? 何かあったならいつでも――」

「プロデューサーさま」

 

 言葉を遮った短く強い響き。反応があったことに安堵するが、相変わらず無表情を貫いている姿に疑問を抱いた。何を考えているのか表情から読みとることが、いつもに比べて全くできない。

 ひとまず名前を呼ばれたことに対して何の言葉が続くのかと待機するが――

 

「凛世に、あまり、近寄らないで……いただけますか」

 

 放たれた言葉は、日頃の彼女からは想像もつかないほど冷たかった。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

 某日。杜野凛世とそのプロデューサーはとある田舎町を訪れていた。

 とある老舗旅館とその周辺の商店街のPRのため、凛世が広告のモデルに選ばれたのだ。

 

 少ない人口、建物を囲む大自然、アスファルトすら敷かれていない土の道。秋の彩りが視界にこれでもかというほどに映り続ける和の空間。商店街、とはいったものの、規模は都会に比べてかなり小さかった。

 はっきり言ってしまえば超がつくほどのド田舎である。最寄りの駅からバスを用いて数十分のところに位置する田舎町は、車も滅多に通らないような場所だ。自分達が今いるところだけ過去にタイムスリップしたのではないか――そう錯覚してしまうほどに、とにかく田舎だった。

 

「……」

 

 プロデューサーは江戸時代の街並みのような建物を眺めながら、腕を組んで難しい顔をする。

 彼の見る先には数人の大人たちと、一人の少女の姿があった。

 

「…………大丈夫そう、だな」

 

 プロデューサーは周囲の景観に全くといっていいほど合わないスーツをしっかりと着込み、背筋を伸ばした姿勢で呟く。吐息同然に漏れた言葉は誰に向けたものでもないが、意識は全て凛世に向いていた。

 

 今日の彼女はいつもどおり、いや、それ以上に綺麗だ。

 

 彼女の出で立ちは普段目にするような着物姿とはかけ離れたものだった。

 ベージュ色のトレンチコートに赤のプリーツスカート、清楚感のある黒のスニーカー。髪色よりも黒いキャスケット帽を被り、縛られることなくストレートに降りる髪は僅かにゆったりとした雰囲気を内含している。

 交通機関が軒並み機能していない田舎町で、凛世は都会のファッションを引き抜いてきたかのような格好をしていた。

 

「うーん……」

 

 彼女も年中着物姿というわけではない。洋服もそれなりに購入していることはプロデューサーも良く知っている。今回は二泊三日という期間の中で様々な服装で活動してほしいとのことで、「洋服と和服のどちらも用意してほしい」と頼まれていたため、現在のような格好をしている、というわけだ。

 何らおかしな点はなく、彼女は真面目に仕事をしている。

 

 だというのに。

 

「……あー、なんだろう……」

 

 溜め息に似た独り言が漏れる。

 これまで凛世の洋服姿は何度も見てきたが、あんな服装は見たことがない。知っている着こなしと方向性が違いすぎるのだ。

 端的に言って、非常に新鮮で、綺麗だった。

 

 ――プロデューサーさま……本日の凛世の服装は、如何でしょう……。

 

 きっと、恥じらいを持ちながらどこかしらのタイミングで聞いてくる。

 普段ならそうだ。いつもならこうなる。言いづらそうに、しかし反応を聞きたいといったふうに問いかけてくるに違いない。以前「洋服も似合うと思う」と意見を口にした際、嬉しそうに「少し調えてみます」と言っていたのだ。少なくともあのような服装は今まで一度も見たことがない。何かしら会話の種になってもいいはずだ。

 

 普段なら、そうなるはずなのだが。

 

 今日の凛世はどこか違った。記憶に間違いがなければ、笑っている様子を一度も見た覚えがない。

 此処に来るまでの道中も飛行機、電車、バス、徒歩と様々な空間を彼女と共に過ごしてきたが、いつ話しかけても愛想なく視線だけ向け、短く返事をするだけだった。

 

 

 ――プロデューサーさまとお話しすることなど、一切ございません。

 

 

 突き放すような冷たい言葉。何かの聞き間違いかと思ってスルーしていたが、後に話しかけてもやはり似た反応しか返ってこなかった。

 怒っている、確実に。何かに立腹している。そうでなければ彼女の現状を他に説明する手段がない。

 無表情に、無感情に、どうでもよさそうに、本当に凛世なのか疑いたくなるくらい鋭い刃を口から吐く。そんな状態を改善することもできずに初日の撮影は始まってしまった。

 

 観光協会の人々との接触・スケジュールの確認などを終え、近辺での撮影の最中――初日の活動はもうじき終了するだろう。凛世から近寄りがたい雰囲気を感じ取ったプロデューサーは、団子屋の前に置かれた赤い縁台に腰掛け、一人悶々としながら唸っている。

 

「うーん……何かしたか? 駄目だ、心当たりがない」

 

 凛世が不機嫌になっている原因を突き止めようとするも、考えても考えても脳内には何も浮かばない。寧ろ真面目な思考にすら切り換わらず、今日の凛世の服装のことばかりが浮かんでいる。

 いつもならもっと近くで見ているはずの少女の姿が、今日ばかりは遠い。新鮮で、いつも以上に美しいと感じるのはおそらくこの『距離感』が原因なのだろう。

 

 その原因がわかったところで、どうしようもないのだが。

 

「は~いお待ちで~す。みたらし団子になりま……お兄さ~ん? どうしたんです?」

「えっ、あ、あぁ……ありがとうございます。大丈夫です」

 

 どうやら相当難しい顔をして思い悩んでいたらしく、暖簾を押して出てきた店員に目を丸くされる。注文した団子を持って出てきたのは栗色の髪色をした少女で、凛世よりも少し背丈は高いがなんとなく同年代っぽい雰囲気を感じられる。

 

「ん~? なにか……お悩みでも? すっごい顔してましたよ」

「悩みっていうか、なんといえばいいのか。人に話すほどでもないので本当に」

「そうですかね。びっくりするくらい渋い顔でした。話したら楽になることもありますよ? どうです~?」

 

 「ま、無理にとは言いませんけどね!」と、少女ははきはきとした口調で付け加える。にこやかな笑みを浮かべる様はどこか飄々としており、初対面にして思いきった踏み込み具合にも嫌悪感を抱く事はなかった。一人で悩んでいても仕方がない、少し話してみるか――そう思える程度には、気を許せたのだ。

 

「……最近、ある人との関係について悩んでまして」

「あ。敬語やめましょ? お兄さんどう見ても年上の方ですし、堅苦しいのはなしで!」

「分かりまし……分かった。本当に誰かに相談するべきか分からないから、嫌だと思ったら止めてもらえないかな?」

「あはは、人の話聞くの好きだからいーんですよ。でもまあ、了解です」

 

 必要な前置きを済ませて何を口にすべきか考える。

 悶々としているのは、凛世について。凛世への感情について。それと関連性は不明だが、今日の彼女の様子について。

 

「……仕事仲間、みたいな人がいるんだ。いつも慕ってくれて、何でも俺のためって言って頑張ってくれる人が」

「ふむふむ」

「今までずっと、俺はその人の進むべき道のために出来ることを取り組んできたつもりだった……悲しそうな顔をしたり、悩みがあったりしたときに、全部取り除いて自分のやりたいことのために走れるようにって」

 

 どんなスケジュールも黙々と懸命に取り組む姿は、アイドルとしての優等生のように思えていた。しかし彼女には明確な『やりたいこと』が見つかっておらず、見えない心にどうしたものかと悩む時期もあった。様々な経験を経て見つめる先にあったのは『プロデューサーとファンのどちらものために頑張りたい』という、まっすぐで純粋な思い。揺れる瞳に映ったのはそんな、優しく美しく、強い感情だった。

 

 だから、アイドルとしての在り方を見つけた彼女にもう大きな悩みはないと思っていたのだ。その他に何度も表情を曇らせることはあったが、ほとんどの原因が分からなかった。

 夏祭りで彼女が抜け出した理由。それが『自分にただの仕事仲間だと思われていた』と思い込んだことに対するショックであったこと――それを知った時に、ひどく心が揺れたのを覚えている。

 

「けど、ちょっと前にその悩みの原因の一つが、俺だったことを知って……その人との関係についてもう少し真面目に向き合って、考えることにしたんだ」

 

 

 ――凛世は俺の仕事仲間だ。でもそれはただ仕事のときに一緒にいるだけとは、思っていないよ。辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも共有できて、色んな新しい事を発見していって、一緒に成長していける――そんな、かけがけのない大切な仲間だと思ってる。

 

 涙を流す彼女にかけた言葉が記憶の水面に浮き上がる。勘違いさせないようにと思って発した言葉はしっかりと届き、凛世も納得してくれた様子だった。

 この発言を機に、プロデューサーは凛世のことをどう思っているのか、自分と凛世はどんな関係にあるのかを深く考えることにしたのである。

 

「……」

「それから、関係がよく分からずに悩んでいるってことですか?」

「あぁ、そうなんだ……自分がどう思っているのか、考えれば考えるほど分からない」

 

 杜野凛世。夏祭りの一件以来、彼女を見る時の感情に動きがあるのは理解出来た。

 見つめ合うと少し気恥ずかしくなり、日常の中でふとした瞬間に脳裏に彼女の姿が浮かぶこともある。今までにはほとんどなかったことだが――不思議と、違和感はない。まるでずっと前から同じ気持ちを抱えていたかのような感覚だ。

 

 この感覚がいつからのものなのか、そもそもどんな感情から生じているものなのか。それを探ろうとするほどに思考は迷宮入りしてしまう。プロデューサーは凛世のことをどう思っているのか――凛世はプロデューサーのことを、どう思っているのか。

 団子屋の少女はそこまで聞くとニヤニヤと笑みを浮かべた。

 

「ははーん、恋バナってやつですね?」

「恋バナっ!? 違う……と思うけど……」

「で、お相手はあそこのオシャレな人、と」

「……」

 

 否定できずに、団子を食べながら黙りこむ。何故見透かされたのだろう。

 最初の打ち合わせが終了し、凛世は店の正面の離れた場所で一人佇んでいた。休憩時間だが特にすることもない様子だ。

 

「だってお兄さん、さっきからずーっとあの人のこと見ているじゃないですか。誰の話かなんて直ぐに分かりますよー」

「そ、そんなに見てたか……?」

「そりゃーもう。口が動く度に目線もチラチラと」

 

 自覚の無かったことを指摘されてなんとも言えない気分になる。それほどまでに彼女のことを意識してしまっていた、ということだろうか。

 

「じゃあ隠していても仕方ないか……そう、だな。あの子のことだ」

「悩むことでしょうか? 十分、相性よさそーに見えますけど」

「俺もそうであってほしかったし、最近までは普通に会話もできていたんだよ」

 

 遠くの凛世をぼんやりと眺めながら言う。夏祭り以来、彼女と過ごす機会が増えたのは間違いない。以前よりも積極的に、はっきりと自分のしたいことを口にするようになった彼女は、プロデューサーと行きたい場所ややってみたいことを教えてくれるようになっていった。

 その願いに応じていくうちに、彼女とはより親密になれたのだと思っている。最近はユニット単位での活動が多かったため、彼女と二人での仕事は久しぶりだったが――今回も楽しく、上手くやれるとばかり思っていた。

 

「……なんか急に、冷たくされるようになったんだ」

「心当たり……なさそうですねえ。もしかしてそれが一番の悩みですか?」

「いや、えっと……そうなるな。冷たくされる理由が分からないことと、急過ぎて関係が余計に分からなく――」

 

 と、喋っている最中。どこか他の場所を見ていた凛世も此方を見て、目が合った。彼女は一瞬だけびっくりした様子をしたがすぐに表情を消し、少し視線を逸らす。普段なら手を振るくらいはしてくれそうなものだが、と考えると余計に心が痛んだ。

 

 プロデューサーは凛世に冷たくされると、想像の数倍ダメージを受けている自分がいることに気付いた。様子がおかしい、どうしたのだろう、という心配の前に漠然とした不安が過るのだ。

 その理由すらもよく分からない。

 

「なるほど~、今みたいな感じですか。ふーん……」

「っと、そろそろ戻らないと。いきなりこんな話して悪かったな」

「いーえ! なんならまたお話しください! ド田舎の人間は暇なんですよ~」

「はは、また機会があればな」

 

 乾いた笑いを口にしながら団子の代金を支払って立ちあがる。愛想よく微笑んで手を振る少女を尻目に、プロデューサーは宿泊先の旅館に向かって歩き出した。

 これから行う段取りや打ち合わせは、凛世がいなくとも可能なものだ。二人で行ってもいいのだが今は彼女には休んでいて貰おうと思った――否、きっと、声を掛けるのが少しだけ怖かったのだろう。

 その場を後にするとき最後に見えたのは、凛世が近くで遊んでいた子どもたちに話しかけられて輪に参加している姿だった。今日やるべきことを一通りやり終えたら、もう一度話しかけてみよう。少し痛む胸を抑えてプロデューサーは足を進めていく。

 

「初対面の女の子に、話しすぎたな……」

 

 そういえば何故『相性が良さそうに見える』と思ったのだろう。そう感じて振り返った時、既に少女の姿はなくなっていた。

 

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