「いや、駄目だ、これ」
頭を抱えるというより頭を押さえつけているとったほうが適切な表現だ。
そう思えるくらい、プロデューサーは苦悩していた。
――お、お疲れ様、凛世。
――はい……。
――撮影、どうだった?
――いえ……どう、ということはなく。
――そ、そうか……。
昨日の夕方から夜にかけての数少ない会話の記憶が蘇る。
――じゃあこれ、部屋の鍵。何かあったら連絡してくれ。明日も朝早いけど大丈夫か?
――はい。それでは、プロデューサーさま……。
それっきり。
本当にそれっきりである。
非常に事務的な打ち合わせは二人きりではないときに行ったため、彼女と一対一での会話はこの二回だ。今朝も起床後すぐに話しかけはしたが、やはり一日経ったところで様子が変わる気配はない。
素っ気なく、冷たく、必要最低限の返事。おそらく踏み込んだ言葉を口にすれば、また拒絶されるのだろう。
何か、彼女を今の状態にしてしまったことがあるのなら謝りたい、しかし心当たりがない。最近は本当に、特に何事もなく過ごしていた筈だ。凛世の様子の豹変具合はあまりにも唐突過ぎた。
悩んでも悩んでも分からない、ただ答えのない深い思考の海に沈んでいくだけだ。
プロデューサーは悶々としながら、旅館から街までの道のりを進んでいた。
「まーだそんなに悩んでいるんですか~?」
「……あ、昨日の」
「名前言ってませんでしたね、奏でる子と書いてそうこって言います。呼び捨てで呼んでやってください!」
「奏子、か。どうしてここに?」
秋風の如く、音もなく現れたのは昨日の少女だ。彼女――奏子は上機嫌に体を揺らしながら隣に立ち、空を見て答える。
「そりゃあ、私の家、この辺りですから。団子屋のバイトがあるから、今は通勤中ってやつですかね~?」
唇に人差し指を当てて視線を流し、奏子は目を細めた。
「その様子だとなんにも解決してないっぽいですね、昨日のこと」
「はは、お恥ずかしいことに、その通りだよ」
「一つ気になったんですけど、お兄さんが気持ちを寄せている……杜野凛世ちゃんですよね。どんな子なんですか?」
言いながら彼女は懐から一枚の紙を取り出す。裏面は白紙、表には五色で鮮やかに彩られたデザインの『放課後クライマックスガールズ』が写っていた。宣伝広告のポスターのように見える。
「それは……」
「田舎ですけど、調べればこのくらいの情報は入ってきます。このユニットの子で、私が色々動画とかで見たところ……比較的に静かな人だって印象なんですよ。だから、アナタと関わる時の『杜野凛世』ちゃんが知りたいんです」
「俺と関わる時の、凛世」
草や葉っぱを踏み鳴らして歩く。一歩、一歩と足を前に出すたびに、乾いた自然の音が耳に届いてくる。
返答を待つ少女の栗色の髪が揺れ、ただ静かに言葉を受け入れようとする姿が一人の少女と重なった。いつも隣にいた存在、いつも隣で、自分のことをずっと見つめていた存在。
彼女の深みのある色合いの髪や瞳が視界を横切ったような気がして、気付けば勝手に口が開いていた。
「凛世……は。他のアイドルに比べれば口数も少ないし、言動に感情が現れるのも良く知っている人じゃないと分からないところが多いと思う。いつも大人しくて、どこか周りと違う雰囲気があって」
制服姿で公園のブランコを漕いでいた姿を思い出す。
天が落ちるような、昇っていくような感覚。二人で味わった『近い空』の景色を、想起する。
「色んなことに柔軟で、何事にも熱心に取り組むし丁寧で。一人で世界を渡れるんじゃないかって思えるくらいしっかりしていて――だけど、年相応の女の子なんだなって感じる姿も見ることがあるんだ」
花柄の風鈴を手に、嬉しそうに微笑んでいた姿が脳裏に浮かぶ。
あの青色を彼女は何度も優しい表情で見つめ、満足げに息を吐いていた。雅な雰囲気をもつ少女だが、笑顔は青春真っ只中の少女のものなのだ。
「俺といるとき、凛世はよく未来の話をする。遠くない未来だったり、実現するかも分からないくらい先の話だったり……俺との未来の話だったり」
少女漫画にある台詞を告げられたときの事を思い返す。
不意打ちすぎる言葉にドキリとして、「そういうことは本当に大切な人に」と言ったのを覚えている。彼女はそれに対して何か言おうとして、止めた。
とても大切なことを言うつもりだったような気がしてならない。
「どんな話も嬉しそうに語ってくれるし、俺の知らないことを沢山教えてくれる。たまに、少しだけ落ち込むことがあって……でも、自分なりの答えを見つけられる、強い心をもっている」
彼女との思い出は鮮やかで優しく、柔らかい色で描かれ、いつまでも心に。
感情のたゆたう心の世界にあるのは、物静かで大人しそうに見えながらも、感情豊かで年相応の表情や反応を見せてくれる少女の姿。無表情だと感じていた頃がひどく懐かしく感じられる。
そのくらいには親密に、彼女を知れる間柄になれたのだと思いたかった。
「勿論、俺と話している時よりもユニットの皆と居る時の方が色んな表情が見れるんだけど――」
「……ぷっ、あは、あはははははははっ!」
歩きながら熱弁していると、傍らの少女が突然噴き出して笑い声を上げ始める。大袈裟とまで言えるほどに分かりやすい爆笑にプロデューサーは困惑した。
「ど、どうした?」
「あはははっ、はー……ふぅ。いや、だってお兄さんがあんまりにも熱心に語るものだから……あー駄目ですね、笑いが、ふふふっ」
目尻に浮いた涙を拭う奏子。どうやら相当面白かったらしい。
「まさかこんなに真剣に話してもらえるとは、って感じです。でもおかげでわかりました。やっぱりお兄さん、その人のこと、すっごく大切に思っているんだなって」
「……それは、まあ、な」
「照れてる~。やっぱり恋バナじゃないですか!」
「いや……違うんじゃないかな、やっぱり」
「ちがうんですか?」
はらりと舞う落ち葉が視界を横切った。
横に居たはずの奏子は目の前に立ち、穴が空くほどの勢いで視線を向けてきている。見開かれた両の瞳は言葉通りの疑念と、心臓を貫きかねないくらいの圧力を発していた。
「なんで、違うって思うんですか?」
「……なんで、って」
「私の目を見てよーく考えてみてください。どうしてそこまで、その人のことを分かっていて、悩んでいる自分も見えているのに、『恋じゃない』って思うんですか?」
彼女は目線の逃げ場をなくすためにプロデューサーの両肩に手を置いて身体を引き寄せ、お互いの息が鼻にかかる距離にまで詰めてくる。若干の恐怖が芽生えて身動ぎするも、肩に置かれた手に力が込められて「動くな」と威圧されているような感覚に陥った。
「そっけない態度、嫌なんですよね。頭を抱えて悩むくらい」
「……」
「お兄さんには何か、自分の感情を認めたくない理由があるように思えます。それが何なのかは分からないですけど」
そこまで言うとぱっと手を放して一歩後ろに下がる。鷹揚に腕を広げてくるくる回る姿には、先程の威圧感は全く残っていなかった。
「とりあえず、杜野凛世ちゃんが今の態度を続ける理由をはっきりさせましょう! そうしないと悩みっぱなしですよ!」
「……そうだよな。仕事もあるのに、いつまでもこのままは良くないよな」
「ちょっと苦しいかもですけど、直接聞くか謝るかした方がいいですね~。……でも、よかったですね、お兄さん」
「よかった?」
「はい」
木々から風に乗って運ばれてくる落ち葉を抓んで遊びつつ、奏子は天を仰いだ。
「この土地には、人と人との仲を取り持ってくれる神様がいるんです。姉妹の神様らしくて。気に入られれば、杜野凛世ちゃんの様子だけじゃなく、お兄さんの悩みも解決してくれるかもしれないですよ~?」
「へえ、そんな神様がいるのか」
「多分旅館のパンフとかにも載ってるんじゃないでしょうか? 気が向いたらご覧になってみては?」
「分かった、今日やることが終わったら、見てみるよ」
今日やること、といって少しだけ気が重くなる。二日目の撮影等が完了すれば、最後の一日は夕方までほとんどフリーだ。仕事自体はいつもと変わらず、気合いを入れて取り組むつもりである。
その仕事が終わったら、凛世と真面目に話をしよう――どんな反応をされるか考えるだけで胸が痛いが。
気がつけば旅館からの道は既に通り抜け、時代劇のような街並みがそこにはあった。秋の香りが流れる穏やかな空間で、プロデューサーは一つ伸びをする。
「――よし、じゃあ俺はそろそろ行くよ。なんか、何でも話しちゃってわるいな」
後ろに振り返って奏子に謝罪するが――そこに少女の姿はなかった。
「……あれ? もう団子屋に行ったのかな……俺も、行くか」
少しだけ心にあった曇りがとれたような気がして、プロデューサーは次の撮影地に向かう。
ゆらゆら舞い降りる紅葉と共に、風は頬をなぞって通り抜けるばかりだ。
◇ ◇ ◇
――そして、夕方。
前日に様々な場所の風景と共に凛世の写真を撮り、今日も似たような作業が行われ、何事もなく仕事が終了した。二日目は着物姿での撮影、つまり凛世が最も着慣れている服装だったため、撮り直しなどはほとんど起こらず。
二日目で仕事が終わるにも拘わらず二泊三日の予定になっているのは、天井社長の優しさだ。本当は今すぐに帰ろうと思えば帰れるのだが、田舎での交通手段は限られている。あまり慌ただしくすることなく、最後の一日は休息にあてろという心配りである。
仕事を終えたということは、やるべきことを終えたということは。
「……」
街外れの場所から戻り、既に現場から去っていた凛世を探す。
おそらくまだ、彼女は旅館には戻っていないだろう。
「……あ」
ぽつりと一つ声が出る。前方、夕焼けに照らされながら遊ぶ小さな子どもたち。その中に一人、長く長く影を伸ばす少女の姿があった。
凛世だ。彼女は昨日から街の子どもたちと関わりをもっていたようで、とても懐かれている様子が窺える。今は達人の如く剣玉さばきを披露して、子どもの目を釘づけにしていた。
「すごいな、凛世」
カン、カン、カンと、一度も落とすことなく跳ねては静止する赤の玉。持ち手を回転させてリズムよく動かす姿はなかなか絵になる。途中から糸の部分を持って回したり小指に玉を入れたりといった高度な技術を用い始めて、ますます子どもが離れられなくなっていく。
しかし時間は残酷で、いくら楽しい時間が流れていても終わりを告げるものだ。どこからか寂しげなメロディが鐘の音で流れ、それを聞いて子どもたちは名残惜しそうにしながらその場を離れていった。
最後の一人、おかっぱの子が凛世とハイタッチしてから去っていき、凛世は流れる音楽に耳を澄ませて目を閉ざす。別れの余韻に浸っているのだろうか。余計に声をかけづらいが――プロデューサーは、一歩踏み出して近寄る。
「凛世。今、いいか?」
「――っ、プロデューサー、さま」
びくりと一瞬だけ身を震わせて反応。表情は申し訳なさそうな、話したくなさそうな、なんともいえないものになっていた。
その顔を見てあまり長く話すことはできないと感じ、プロデューサーは頭を下げる。
「……? プロデューサーさま?」
「すまん。何にも、分からなくて」
ロートーン。口から出るのは純粋で率直な謝罪。
凛世の表情も見えないままに続ける。
「俺、多分凛世をまた悲しませるようなことをしたんだよな。けど何をしたのか、なんで怒っているのか……全然、わからなくて」
皮肉なくらい綺麗に腰を折ったまま話し続ける姿は、傍目から見ればかなり異様に映るだろう。西日から訪れる風が冷たく、空虚な心を痛々しく刺激する。
口から出る一文字一文字が苦しい。彼女は今どんな顔をしているのだろうか。
しかしあれこれ考えたところでどうにもならないことはすでに出た結論だ。今できることは誠意をもって謝罪すること、正面から向き合うことであると、プロデューサーは理解していた。
「だから、分からなくて、すまん。もし大丈夫なら……どうして怒っているのか、教えてほしい」
ただひたすらに重く、余計な言葉を取り除いた謝罪。
それに対して、凛世は。
「……ぷ、プロデューサー、さま……」
顔を上げる。視界に映るのは眉根を顰めて胸に手を当て、悲哀の色を灯した瞳をもつ少女。深い色の赤が二つ揺れ、プロデューサーも心臓をわし掴みにされたような痛みを覚えた。
困惑、後悔、疑念―――様々な感情が入り乱れているように見えるが、彼女が何を思っているのかは分からない。ただ凛世は遠慮がちに、苦しげな表情をしながら、静かに。震える声で、静かに告げる。
「違うのです…………プロデューサーさま、凛世の、出来心で……ございます」
静かに、静かに。
懺悔を口にするように、わずかに許しを乞うように。
「……っ、失礼、いたします……っ」
それだけ言い残すと彼女は踵を返し、苦痛に歪んだ表情を隠して足早に去っていった。
秋風の残滓が肌を撫でる。胸中に残った暗い気持ちは消えることなく、新たな疑問を芽生えさせてしまった。沈みゆく夕日、黒の深みに嵌まっていく天蓋。それらと同じくらい落ちていく心を抱えたまま、プロデューサーはぽつんと一人の世界に取り残された。