うつろふものは瞬過愁灯   作:蘭花

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凍蝶-Winter-
見えない寒さと。過:現


 

 凍蝶、という言葉を知っているだろうか。

 

 凍蝶、読みはいてちょう。

 それは『寒さのため凍てついたようになる蝶』のこと。飛んでも鈍く翅は固まり、逃れられぬ極寒を前にほとんど動くことはない。俳句では当然冬を指す季語である。

 

 冬まで生き延びるもその後動くことはなくじっと世界に溶け込む。微かな命が今にも消えそうな、もしくは既に落命して動かなくなってしまった――そんな儚くも美しい、大自然の創り出した芸術品。冷淡で冷酷で、けれども消えることのない生命の輝きを感じることだろう。

 

 

 『凍蝶に なほ大いなる 凍降りぬ』

 

 

 小さなたったひとつの命へ向けた句ですら、果てしなく広がる自然の神々しさと厳しさを感じさせてくれるほど、この言葉は美しい。降り積もる雪を見て身を寄せる生き物の傍にはそんな情景も描かれているのだ。

 

 凍る冬は切なく、春の暖かさも夏の輝きも秋の風も消し去って、奪い去っていく。

 足元に生えた草花は潰える。木々は枯れ絶える。厳しくも綺麗で容赦のない、むき出しになった大地が教えてくれる静寂と終末の冬空は、緩んだ心すらも覆い尽くして。

 

 

 それでも尚、心に灯す熱に意味があるというのなら。肌に触れる冷たさも祝福の一部となるだろうか。

 

 死にゆく凍蝶にも、儚く失われるだけの命にも大いなる意味が残されているのなら。意地悪な雪も春風になるだろうか。

 

 

 答えのない白銀の空と大地。

 すべてに等しく降り注ぐ雪が白に染め上げていく。街も木々も、人類の歩んだ轍も纏めて白に還すのだ。優しく包み込んでくれる安寧はもう終わりだと告げんばかりに、ただ非情に。

 世界が姿を変え、季節が失われる。訪れた冬を前に静かに、静かに一陣の風が吹く。

 

 

 

 足音を鳴らす寒気を前に、秋は静かに息を引き取った。

 

 

 』

 

 

 

【過:見えない寒さと。】

 

 

 

「今更になって寒くなってきたな……」

 

 窓の外を恨めしそうに見ながらプロデューサーが言う。

 

 快適で過ごしやすい秋の後にやってくる冬という季節は、雪と寒さを引き連れて世界が自然の厳しさを教えてくれる機会である。家庭に導入される暖房器具や重ね着といった手段で人類は圧倒的な極寒地獄を逃れてはいるものの、年々その寒気は訪れる時期にずれが生じ始めている。

 

 いつ寒くなるかと思えば年を越しても雪が降らなかったり、もうすぐ春になるというのに雪が降り始めたり。降り積もった雪の中で過ごすクリスマスを迎えられない地域も既にあるほどだ。

曖昧な季節の境目。プロデューサーは2月半ばになって降り始めた雪を前にため息を吐いた。

 

「わぁ……っ! 雪が降ってきました……!」

「そうだな、積もらないといいんだけど」

「……雪、積もったらだめなんですか?」

 

 事務所内から目をキラキラさせて外を見る果穂が、億劫げに返すプロデューサーに対して純朴な視線を向ける。

 それを受けてプロデューサーは「しまった」と言葉に詰まった。

 

「いや、ダメなんてことはないぞ。積もったら綺麗だろうし、俺も楽しみだ!」

「そんな微妙な顔して言っても説得力ねーだろ……」

 

 空元気に拳を振り上げる様子に呆れるのは樹里だ。彼女はプロデューサーが何を懸念しているのか分かっているようだった。

 

「あんまり降りすぎると、今度のイベント中止になるかもだしな。気持ちは分かるぜ」

「あっ……そっか、積もったらお客さん来られなくなっちゃいますよね……」

 

 今度は果穂が目に見えて分かるほど落ち込む。

 

 イベント、というのは一週間後に迫っているライブと洋菓子の販売会のことである。放課後クライマックスガールズの行う冬季のミニライブと、有名なスイーツ店が出張する販売会の合同イベント――双方のPRを目的に行われる――もので、前もって重ねている告知により期待値はなかなかのものだ。

 

 「もう降らないかもしれない」といわれていた雪に喜びたい気持ちと、天候によってみんなで準備してきたイベントが中止になるのを懸念する気持ち。果穂の中にはどちらの思いも同じくらい強くあるに違いない。

 

「そんなに降らないって聞いてるから、大丈夫だとは思うよ。……すまん、余計な心配させちゃったな」

 

 プロデューサーは申し訳なさそうな表情でフォローする。実際、今回の積雪量はそこまで多くはならないと予想されているので、あまり心配する必要はない。もう一度窓の外を見ても、優雅に舞い降りる牡丹雪が映っているだけだ。

 

「でもこんな時期に初めての雪か。アタシも積もらないとは思うけどさ、季節がズレてる感じはするよな」

「まだまだこれから寒くなるだろうなあ。明日からもう少し重ね着してこようか……」

「プロデューサーさん、寒くないですか? あたしのマフラー使いますか?」

「ありがとう果穂。だが今日はな……カイロを持ってきたんだ! 帰りがどれだけ遅くなってもいいように!」

「あんま無理すんなよ、プロデューサー……」

 

 ポケットからカイロを取り出して得意げにしてみせると、樹里に憐みの視線を向けられてしまった。

 

「今は来週のイベントに向けての準備がメインだし、俺もそんなに遅くならないうちに帰れるとは思うよ。……というか、今何時だ?」

「はいっ! 今はー……16時10分です!」

「アタシらはそろそろ練習の時間だな」

 

 彼女のいう練習はライブ時のダンスの自主練のことだろう。果穂と樹里が同じ動きをするパートがあるため、二人で合わせる時間を作っているらしい。通常のレッスンや学業に加えて大変だろうに、と少女たちの熱心な視線に感心する。

 

「んじゃ、そろそろ――って、そうだ」

 

 荷物をまとめて外へ出ようとした樹里が足を止めて振り返る。視線はプロデューサーでも果穂でもなく――座って黙々と作業を続けていた凛世へ向けられた。

 

「凛世はいつ頃帰るんだー? 時間が合えば一緒に帰るか?」

 

 少し大きめの声。

 凛世はぴたりと動きを止め、やや遅めの動作で首をもちあげる。深く澄んだ瞳が樹里へと向いた。

 

「樹里さん……凛世はおそらく、あと一時間ほどになるかと」

「ん、了解」

 

 それだけの短い返事をして樹里は事務室の外へ出ていき、果穂もぴょこぴょこと可愛らしい動きで後を付いていく。二人が室内から姿を消したことで、事務所は凛世とプロデューサーだけになった。

 先ほどまで話し声がしていたとは思えないほど静か。窓際にいたプロデューサーが凛世に歩み寄ると、足音が強く響いた。

 

「順調か?」

「……はい。滞りなく進んでおります」

 

 返事をしながら凛世は手を動かす。しなやかな手指は色のついた折り紙を畳んでは広げ、一枚の薄い紙の形を丁寧に変えてゆく。既に机の上には様々な花の形をした折り紙が大量に並べられていた。

 

「もうこんなに作ったのか! 確か小さい頃からよく作っていたんだよな……綺麗にできてる」

「凛世も、昔を思い出しておりました」

 

 音を立てず数々の花々を作り出す姿は、彼女の容姿も相まって“雅”と呼ぶべき雰囲気を醸し出している。

 以前、彼女が事務所で同じように紙を折っていたことがあった。聞けば、昔から手持ち無沙汰なときによく折っていたのだという。

 

「椿、菖蒲、紫陽花、向日葵、朝顔……同じ一つの紙が、たくさんの形に成りました。幼い頃も……このように」

 

 また一つ作り終え、手を休めることなく凛世は次の作業へと移った。戸惑うことなく形を変えていく紙の姿が見ているだけでも気持ちよくて、しばらく無言で見つめてしまう。

そうしてプロデューサーが棒立ちしている間にもう一つの花が完成した。

 

「プロデューサーさま……よろしければ、こちらを」

「え、俺にくれるのか?」

「はい。桃色の胡蝶蘭です」

「へぇー、コチョウランか。紙一つでそんなものまで作れるんだな。ありがとう、凛世」

「……いえ」

 

 プロデューサーの言葉を受け取ると、凛世が何か言いづらそうに俯く。表情こそ曇っていないけれど、躊躇いがあるような顔をしている。

 

「ど、どうしたんだ? 何かあったか?」

「その……プロデューサーさま……」

 

 十秒。

 二十秒。

 三十秒、と。

 数えればすぐに過ぎていく時間が永遠にも感じられるほどの沈黙が響く。樹里も果穂も出て行ってしまった今、二人きりの事務所でプロデューサーは凛世の言葉を待つことしかできなかった。

 

 彼女は時々、何かを口にしかけては飲み込むことがあるように思える。それがなんなのか今はまだ分かっていない。

 

「……いえ、なんでもございません」

 

 分かりたいけど言葉にしてもらえないことは全然分からなくて、けれどその沈黙に踏み込んでいいのかも自分では判断できなくて。

 結局その日も、凛世の心を聞くことはなく終わっていった。

 

 

 

【現:見えない寒さと。】

 

 

 

 すっかり冬色に染まった舗装道路を歩きながら、智代子は白い息を弾ませて歩いていた。

 かなり遅い雪の到来、平日の午前の道に人の気配はない。既にイルミネーションやクリスマスといった冬らしいものは、昨年の12月に全て置き去りにされている。淡い雪が降り注ぐ街は殺風景で、けれども美しい景観をもたらしていた。

 

「ら~ら~ら~てぃ~んく~るすの~ふれ~♪」

「あら智代子、随分ご機嫌ね」

「えへへっ、わかる? また雪が降ると思ってなかったから、なんかテンション上がっちゃうんだよね!」

 

 くるっとその場でターンを決めてポーズをとってみせる智代子。夏葉がそれを見て優しげな笑みを浮かべる。

 

 雪が降るといえど、現在は二月の半ば――もう3月に差し掛かろうとしている時期だ。

 年越し前の12月に一度雪が降って、少し積もってすぐ止んで。中途半端な白と排気ガスに汚された雪ばかりが見える寒い冬は、春を目前にしてようやく雪景色を作り上げてくれたらしい。

 

「ふーりーはーじーめたんだー♪ って歌ったら止んじゃったんだもん! もう降らないと思ってたよ~」

「確か一年前の冬もこのくらいの時期に降っていたんじゃなかったかしら。これはこれで、いいものだけれど」

 

 屈んで足元の雪を一握り、夏葉が純白のボールを作った。彼女は見惚れてしまいそうなくらい整ったフォームで振りかぶると、少し進んだ地点の大地に向かって剛速球を繰り出す。

 

 擦過音と共に雪玉がめり込んだ位置の雪が抉れ、夏葉は満足げに頷いた。

 

「果穂も喜ぶわね。これで今年も雪遊びができるわ」

「うん! また雪像とか、作っちゃう?」

「いいじゃない。もっとクオリティの高いものを作るわよ、智代子!」

「よーし、今年も頑張っちゃうぞー!」

 

 足跡を一つ一つ刻みながら会話に花を咲かせていると、ふと智代子が立ち止まる。

 

「……12月といえば、年末に花火上がってたよね。夏葉ちゃん」

 

 季節外れな単語、ではない。花火は夏の夜の風物詩という印象が強いが、冬の夜空に打ち上げ花火を行う地域は日本中にたくさんある。

 

 夏のように気軽に外出できる気温ではないため、あまり馴染みのない人も多いという。しかし凛と張り詰めた空気に咲く炎の花は、格別美しいものだ。智代子の言うように昨年末、都内で大きな花火が空に上がった日があった。

 

 あの日の赤は、青黒い夜空と相まって最上の輝きを放っていた。

 

「ああ、そうね。すごく綺麗だったわ」

「雪が降ったのってあの日あたりだったよね? 花火もまたやってくれないかなあって」

「流石にこの時期には上がらないんじゃないかしら。近々イベントがあるわけでもないし……」

「でもでも! 雪が今みたいに積もってるときの花火ってすっごく綺麗だと思うんだよ!」

 

 かじかんだ手先に白い息を当てて温める智代子。柔らかい雪と過酷な寒さに包まれて、しかし彼女はとても楽しそうに笑っている。

 

「だからね夏葉ちゃん! 提案があります! 今度の休みの日に――って、あれ?」

 

 会話に夢中で気づかなかったが、雪に足跡をつけているうちに二人は事務所の前に到着したらしい。日常的に目にしている建物が視界に入り込んだことで智代子は言葉を中断する。

 

 しかし疑問符を上げた理由はそれだけではない。彼女の視線の先、二階へと続く階段をのぼり切ったところには二つの人影があったのだ。

 誰なのかは目を凝らすまでもなくわかる。プロデューサーと凛世だ。

 

『……で、――から……?』

『はい……――。…………』

 

 智代子は無意識のうちに二人を下から覗き込むように壁に張り付いた。夏葉は唐突な行動に首を傾げる。

 

「……何をしているの?」

「なっ、なんか、邪魔しちゃまずいかなって思って……!」

 

 口ではそう言いながら覗き見の姿勢はやめない。

 凛世は事務所に来る日は必ずといっていいほど一番にやってくるらしい。智代子も夏葉も今日は時間に余裕をもって早めに到着したつもりだが、それでも彼女のほうが既に着いているあたり、杜野凛世という少女の勤勉さと熱意がうかがえる。

 

 おそらくプロデューサーには「仕事熱心」程度にしか思われていないのだろうけれど。

 

「二人とも中に入らずに、何の話してるんだろう……?」

 

 会話の内容が気になる。耳を澄まして二人の会話に意識を集中させ、智代子は目を瞑った。

 

『――んとに俺でいいのか? もっと他に……』

『いえ、プロデューサーさま……凛世は貴方さまと――です』

『そ、そうなんだな。じゃあえっと……この日は――だから……から、なら』

『……! はい、ありがとうございます……プロデューサーさま……』

 

「……ん、んんー?」

「智代子。眉間のシワ、とれなくなるわよ」

「えっ!?」

 

 よく聞こえないからどんどん険しい顔つきになっていく智代子を呆れた様子で夏葉が見つめている。思わず素っ頓狂な声が上がり、小柄な体が飛び跳ねると同時に声があたりの枯れ木に木霊した。

 

「……? 智代子さん、いらしていたのですね」

「お、夏葉もいるな。おはよう、二人とも」

 

 さすがにボリュームが大きかったのか、上にいる二人にもしっかりと聞こえていたらしい。

 

「おっ、おおおおはようございます凛世ちゃんプロデューサーさん!」

「ど、どうしたんだ? ……あー、寒いから震えてるのか。すぐに中を暖めるからな二人とも!」

 

 動揺を寒気と勘違いされ、プロデューサーは急いで事務所の中へと駆け込んでいく。凛世も凛とした佇まいで彼の後に続いた。結局何の話をしていたのか分からず仕舞いだが、これ以上首を突っ込むと罪悪感が芽生えそうだ、と判断する。智代子は今回の件のことは綺麗さっぱり忘れ去ることにした。

 

 階段を上りながら見えた、屋内に入っていく凛世の手元。

 

 握られている二枚のチケットは、おそらく映画館のものだった。

 

 

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