【過:ひとつ咲いた】
見渡す一面に雪化粧。
優しく募る白は、結果的に大した量にはならなかった。イベントの開催にほとんど影響しないどころか、美しい雪景色を作り上げてくれたので当日は想像以上に盛り上がりそうだ。
良かった、と安堵から胸を撫で下ろすプロデューサー。
「……」
「あっ、いや! 雪、積もってほしかったなー!」
「アタシにそれ言ってもしょうがねーだろ……」
突然慌ただしく首を振る彼に樹里は溜め息を吐いた。数日前に果穂が落ち込んでいたときのことを、彼なりに気を遣っていたようだ。
しかしこの場に果穂はいない。いるのは樹里とプロデューサーの二人だけである。
「……まあ積もらないおかげで、こうして準備もできるわけだし……アタシは良かったと思う」
「はは、今頃大雪だったら逆に大急ぎで片付けだな」
パイプ椅子をいくつかまとめて運びながら言う。屋外でのイベントは観客席を用意する必要があるため、手の空いた者たちで設営なども行わなければならない――わけではないが、樹里としては会場の準備を手伝えるところは手伝いたかったらしい。
どうやら設営スタッフに街中での知り合いがいるようで、それが理由かは分からないが樹里はいつもに増して張り切っていた。現に本来の集合時間より一時間早くやってきて準備を始めてしまっている。
「この勢いだと、みんなが来る頃にはほとんど終わってそうだな。なんて」
「椅子はこれで全部だよな? 次は何すればいい?」
「本当に張り切ってるな、樹里……!」
力が漲っているようだ。本番に向けての意気も十分。
感動するプロデューサーを尻目に、彼女は肩を回して次の仕事へと移る準備体操をしている。
「色んな人が見に来るんだろ。お年寄りから子どもまでだっけ」
「逆かな」
「子どもからお年寄りまで、か。おばちゃんも楽しみにしてたし、頑張らねーとって思ってさ」
「終わったらチョコフォンデュもあるもんな」
「そうそうチョコフォンデュも――って、ちげーよ! いや、楽しみではあるけどさ……!」
からかうように問いかけてみせると、噛みついてきそうな視線を返された。
スイーツ店との合同イベントということもあり、無事に終了した暁にはスイーツパーティという名の褒美を用意してもらっているのだ。メインとなるのは巨大なチョコフォンデュで、味は絶品との評判だ。
果穂や智代子はもちろん、夏葉や凛世もそれを楽しみにしている。聞かされた時は微妙な反応だった樹里もなんだかんだいって楽しみにしているようだった。
「すまんすまん、でも俺も楽しみだよ。スイーツパーティなんて滅多にできないし」
「チョコが毎日のように魅力を語ってくるから、その……ちょっとだけな、ちょっとだけ興味が出てきたっつーか……それはいいんだよ! アタシは成功するように、頑張るだけだしな」
「皆頑張って練習してきたし、大丈夫だ!」
合同イベントとはいえ、放課後クライマックスガールズが行うのはいつもステージでやるように歌って踊ること。五人揃っての実施であるため、少なくとも今回はトークショーなどを挟むことはない。出番が終わった後にスイーツ販売で売り子をするくらいだ。
だがそれだけに留まらないのが、彼女たちの良いところである。
「……他の準備もしてきたしな」
「凛世が作ってくれた折り紙、すげー量だよな」
段ボール箱いっぱいに詰められた折り紙を二人で覗き込む。子どもの客も多くなるだろう、という声を聞いて、何かスイーツと一緒に持ち帰れるものを作りたいとなった皆の総意だ。手際が良い凛世がスケジュールの合間に熱心に取り組んだので、予定していた量を凌駕する折り紙の山が出来上がっていた。
整然たる様子で咲く紙の花々が、冷たい冬に凛々しく開いている。
「どうやったらこんな綺麗にできるんだろうな。凛世はすげーよ」
「綺麗すぎて、手に取ることすら躊躇いそうだな、これは……」
「……」
非の打ち所がない出来栄えに嘆息していると、何かに引っかかったのか隣に立つ樹里が眉をひそめた。随分と、ここ最近で一番といえるほど難しい顔をしている。
「大丈夫か!? 具合が悪くなったとか」
「ああいや、そういうんじゃなくて」
過保護気味な反応をするプロデューサーに対し、彼女は落ち着き払った様子だ。既に設営の大部分が完成したステージのほうを見やって、形容しがたい微妙な表情で口を閉ざしている。
寂しげ、というには複雑な感情の入り混じった顔。意気揚々と準備に勤しんでいた覇気は何所かに置いてきたかのように静かで、物憂げだった。
「アタシが言うべきことじゃねーだろうけどさ……」
もう一度、ため息を一つ。相当込み入った事情が彼女の中にはあるようだ。
「プロデューサー、明後日のイベントの後に他の予定が入ってるとか……ないよなぁ……」
「えっなんだ!? どういう質問!?」
「予定空いてない?」的な問いと真逆の言葉に困惑する。予定が入っていないとまずいことでもあるのだろうか。
「いーけどよ。皆でスイーツパーティできたらアタシは楽しいし」
「待ってくれ樹里。話が全く見えてこないんだが……」
「なんでもねーよ! 終わったらプロデューサーも一緒にチョコフォンデュ食べろよな」
勢いよく首を振られて話を切られてしまい、彼女はそのまま折り紙が大量に入ったダンボールを持ち上げてステージへ歩き始めた。
作業続行、と言わんばかりの姿勢だ。とるべき行動としては素晴らしいのだが、不明瞭な言葉を投げかけられてプロデューサーは頭に疑問符を浮かべたまま立ち尽くしてしまう。
「やっぱ、誘えなかったんだな……」
当然、去り際の呟きなど彼の耳には入るはずもなかった。
【現:ひとつ咲いた】
積もり始めたばかりの雪が既に溶け始めている。頭上を烏の鳴き声が通過する現在の時間は17時37分、数か月前ならとっくに日も暮れている頃合いだ。
凛世は夕日に追い縋る黒鳥を無言で見つめながら歩いていた。
「日も長くなったよな、まだ寒いけど」
傍らを並んで歩く樹里が呟く。おそらく視線は同じ方を向いているのだろう、凛世を通り抜けて夕焼けへ飛ばされた呟きは、僅かな哀愁を交えて黄昏の街へと消えていった。彼女の言う通り、最近はすっかり日が落ちるのが遅くなってきている。
「まだ寒さを残してはおりますが……冬らしさを見つめるのは、難しくなりました」
「雪があちこちに残ってなかったら、もうなんの季節か分かんなくなっちまいそうだよな」
地平線の彼方へ沈む大きな大きな橙色。更に上を見やれば、昼間は高く開いていたはずの天蓋が少しずつ夜色に変化しているのが分かる。夕日を望める時間はあと一時間弱といったところか。
事務所からの帰り道、馴染み深くなった制服に袖を通した二人は、何度通ったかも忘れた商店街に足を踏み入れる。寮までの道のりでここを通り、他愛もない会話に花を咲かせることができるのは凛世と樹里だけが持つ時間だった。
昼間に一度通った時とは異なって、流石に人の数も減っている商店街。まだ店仕舞いには気が早いが、客の雪崩に忙殺される時間帯も過ぎている、微妙に手持ち無沙汰な頃である。
二人にはこの時間に通る商店街の空気が心地よく、活動で蓄積した疲労を街が浄化している気さえしていた。
「今日も寄ってく、のはどうだ?」
「ふふ、賛同いたします」
屋根に乗った雪が落日に浮かされ流れ落ちる。
主語のない会話だが、似たようなやり取りは何度も行っているものだ。。二つ返事でこくりと頷く凛世を見て、樹里は嬉しそうに頬を緩めた。
「アタシは今日はカニクリームかな、凛世は?」
「……凛世も、同じものを考えておりました」
「お、奇遇だな。じゃあカニクリーム二つで――」
「ですが、気が変わりました」
「え?」
珍しく強い口調で付け加える凛世。街路を蹴る靴音は止まぬまま樹里が凛世の方へ振り向くと、同じくして頬を緩めた可憐な少女の横顔があった。
「肉じゃがにいたします」
「あー、うめーもんな。でも急にどうしたんだよ?」
「味は、二つのほうが……楽しめますので」
「……」
目を細めて微笑む凛世の表情と、建物の隙間から差す日差しが重なって樹里の瞳を強く刺激する。彼女は思わず片手で日差しを遮った。
勢いよく腕を振りかぶるものだから、今度は凛世が樹里を見る。小首を傾げて数秒見つめていたが、すぐに納得と言わんばかりにふっと表情を和らげた。
それはまるで、薄日が差すような微笑で。
「眩いですか、樹里さん」
「え、あぁちょっとな。気にしなくていーからな、この時間帯はしょうがねーし……って」
目をこすりながら返事をしていた樹里だが、正面に咲く笑顔を確認して気恥ずかしそうに口端を吊り上げる。
「……なんか、機嫌良いな、凛世」
「……そう見えますでしょうか?」
「そりゃあ、な」
はっきりいってびっくりするくらい上機嫌だ――とは言わないけれど、少なくとも笑顔を真っ向から受け止めた樹里が謎の羞恥心を感じる程度には幸せそうな顔をしている。余程良いことでもなければ、ここまでの笑みを日常の欠片で零すことはできない。
そして樹里は、そんな眩い笑顔の理由に見当がついた。
「なんか楽しみなことでもできたのかって顔してるよ、今の凛世」
「……!」
「いや分かりやすいな」
心を見抜かれて赤の瞳孔が丸くなる。
夕日に照らされながら、樹里が苦笑した。
「……樹里さんの仰るとおり、プロデューサーさまと、その……」
「あーなんだっけ、映画のチケットだったっけ」
「はい。五日後でございます」
「予定近いな!? なるほどな、でもそっか……」
樹里は頭の後ろで両手を組んでズカズカと歩く。もうすぐ目的の精肉屋に到達する、というところまできていた。
映画のチケット。三日後。
凛世がどこからかペアチケットらしきものを入手したのは知っていた。おそらく商店街に住む知人から受け取ったものだ。どういう意図でペアのチケットを渡したのか、相手の思惑は分からない。しかし樹里はそれを知ったとき、凛世の不安げな表情も見た。
――そういえば去年の同じ時期にも同じことがあったと思い出す。
確かあの時も映画のチケットだったと思う。福引で当てたチケットをどう使うかと悩んでいた凛世の姿は、今でもよく覚えている。ユニットのメンバーは時間的に都合が合いづらく、では誰を誘って行くのか、となって。
「もう一年前なのか」
結局、誰も誘えずにチケットは別の人に譲渡した。
丁度同時期に開催された、スイーツ店との合同イベント。時間的にかなりの空きができるため、凛世はその後に誘って映画を観に行くはずだったのだ――プロデューサーと。
奥手だとか立場だとか双方の想いだとか、きっとあの時の凛世は様々な思考が入り混じってしまい、誘うに至らなかったのだと思う。
「じゃあ、今年は誘えたんだな」
凛世にも聞こえない声で呟く。
杜野凛世が抱えるプロデューサーへの感情は彼女自身の問題。樹里は基本的に、それらに首を突っ込むような野暮な真似は(突っ込んだところで経験のない自分が役に立つかという点も含めて)しないと決めている。そもそも周りが手を出していい話ではないのだ。
けれどあの日、たくさんの折り紙を作り終え、樹里の自主レッスンが終わるのを待って、いざ帰ろうとしたときの凛世の寂しげで苦悩に満ちた横顔を見たとき。
ただ純粋に心配だった。
ただ純粋に不安だった。
彼女の原動力は間違いなくプロデューサーだ。ゆえにプロデューサーのためなら何だってできる。
だからもしも二人の間に確執でも生じたら、凛世はどうなるのだろうと。下手に手を出さないと決めた樹里ですら不安になるほど、その時の凛世の横顔がひどく印象的だったのだ。
「なんか、安心したよ」
「安心、ですか?」
「おう! 変わっていくんだなって、安心した」
夏ごろに夏葉が、奥手な凛世の手助けをした。
――言いたいことも素直に言えない状態が続いたら、いつか溜め込んだものが抑えられなくなる。
一年前の冬から春、そして夏へと移り変わる季節の中で、彼女も同じことを考えたようだった。二人の仲に直接介入はしないけれど、少しでも悩む彼女の手助けになれば――そんな思いがあったのだろう。
凛世はよく思い悩んでいた。触れがたい顔をして口を閉ざしている彼女の姿を、樹里はよく目にしていた。
友が苦しんでいるときに何もしないでいられるほど、西城樹里は我慢のできる人間ではない。だから夏葉と共に、凛世が「言いたいことをはっきりと伝えられる」よう協力したのだ。
「変わる、か」
「……」
凛世が何を考えているのか、その全容を把握することはできない。様々な季節を経て、その後彼女がどうなって、自身の感情と置かれている立場にどう向き合っていったのかも、彼女以外が知る事はなかった。
だから嬉しかったのだ。一年前に叶わなかった彼女の想いが、今こうして現実になっていることが。
「……凛世は、変わることができたのでしょうか」
ぽつり、と。
街の空気に添えるように置かれた呟きが耳に入り、二人は自然と足を止めていた。
精肉屋がすぐそこにある地点で、制服を着た少女たちは金色の街に照らされる。樹里が視線を巡らせると、いつもと同じ街並みがあって。変わらないものを感じながら彼女は淡く息を吸い込んだ。
「……商店街から店がひとつ消えても、あんまり景色が変わるわけじゃないし」
想像に任せるように瞳を閉じ、脳裏の過去に思いを馳せる。記憶の視界には、今はもうない一つの店と、皆でのぼった階段と、坂道ばかりの見慣れた景色が浮上した。
「なくなったんだ、くらいに思う人もいるんだろうけどさ」
ふわりとまぶたが上がって現実が見える。眩しい。
「ちゃんと変わってるんだよな、アタシらとか……いっつも見てる人からすれば、違って見えるんだよな」
「……はい」
「だからさ、凛世……あー、なんていえばいいんだろーな、こういう時……」
上手くまとまりきらない言葉をどうにか紡いで、樹里は自身の金髪を軽く揺らしながら凛世に向き直った。
「変わってるんだと思うぜ、アタシは」
五拍くらい置いて、凛世がふっと微笑む。
「……ふふ、ありがとうございます、樹里さん」
「え、えっと……アタシ、変なこと言ってねーよな?」
「はい――凛世も、変わっているのだと、思うことができました」
その笑顔を見て「そっか」と安心したように息をつく。凛世の後ろに見える夕日が更に小さくなっているのを視認して、夜が近くなったのを感じた。樹里は目の前にある精肉屋へと、凛世の手を引いて足を運んだ。
なんだか今日は、暗くなる前に帰りたいと思ったのだ。
「あ、そうだ」
慣れ親しんだおばちゃんに声をかける前に、言い忘れそうになった言葉を凛世に向ける。
「別の味にしてくれてありがとな、分けて食べよーぜ」
「……はい……勿論です」
おばちゃーん、と樹里の一言から始まるいつもの光景。変わっていないように見えてその実、彼女たちの世界は少しずつ前へと進んでいるのだろう。樹里自身も、もっとアイドルを頑張ろうと思えたのだった。
夕日がまだ眩しい。でも、そんな眩しさが大好きだから。