うつろふものは瞬過愁灯   作:蘭花

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本来は全部まとめてひとつの話だったものを分けて投稿しています、ご了承くださいませ。


二枚目、春宵

 杜野凛世は『放課後クライマックスガールズ』に所属するアイドルだ。大和撫子を絵に描いたような人柄で、冷静沈着で慇懃かつ実直、アイドルとして高みを目指そうとする志も人一倍もっている。

 口数はユニットのメンバーと比較しても少なく大人しいため、周りの人間とあまり関わらないように思われがちだが、実際は違う。他のメンバーにはない個性と素直すぎる性格は、彼女を取り巻く環境にしっかりと受け止められ、彼女も周囲を快く受け入れている。ユニットとしての活動は実に円満であり、問題点を見つける方が難しいくらいだ。

 

 しかしどうやら、彼女自らが通う高校でも同じようにはいかないらしい。

 

 とりわけ目立った問題があるわけでも、彼女自身が悩みを抱えているわけでもなく、寧ろ平穏な学校生活を過ごしている。通う高校はイジメや不登校といった世間の学校が内包する悪しき面も少ないし、地域からの評判はとても良好。

 ではなにが『放課後クライマックスガールズ』と違うのか、と聞かれた場合。

 

「なんといいますか、アイドルとして活動しているときとは違うんですよね」

 

 凛世を撮影するためのカメラマンが言う。

 『ワンウィークドリームステップ』の撮影期間の初日。さすがに一日中凛世に張り付いておくことはできないが、せめて少しだけでも彼女の様子を確認できればと思い、午後から学校に訪れたプロデューサーに告げられた言葉である。

 

 昼休憩の最中にやってきた彼の目に映ったのはいつもと変わらぬ凛世――に見えたが、しばらく眺めていると確かに様子が違う。

 見慣れている着物がブレザー型の制服になっていることではない。そこにあったのは、感心せざるを得ないほど完璧な佇まいで椅子に座り、何かの本を黙読しつづけている少女の姿だった。

 

(……いや、まさか、さすがにそれはないと思うけど……)

 

 もしかすると凛世は、学校では話す相手がいないのではないだろうか。

 しかし物腰柔らかで誰にでも分け隔てなく接する彼女のことだ、いくらなんでも孤立しているなんてことはないはずだ。

 

「今日一日、あんまり誰かと話している姿は見られなかったんですよ。たまーに会話したかと思えば、すぐに終わってしまうし」

「そう、ですか」

 

 そういえば彼女の学校生活について尋ねたことはあまりない。

 俗世に疎く、会話のペースが若干ゆったりとしている部分が現代の若者とは噛み合っていないのだろうか。

 それともアイドルとして活動しているが故に、一般人には近寄りがたいオーラでも放たれているのか。実際彼女は新人アイドルの祭典である『W.I.N.G』で優勝という輝かしい実績を収めており、その辺りにいる人々とは異なるステージを歩んでいる。

 加えてアイドルというものは、人気が出れば出るほど多忙になるため、学校を休みがちになってしまう。その辺りが彼女と周りに壁を作っている可能性も十分にあるだろう。

 顎に手を当てて思考を張り巡らせていると、カメラマンが肩を竦めた。

 

「凛世ちゃん、そこにいるだけで絵になるんですが……もう少し、青春っぽさがほしいかなあ、と」

「もしかして一日中、こうやって教室の後ろで構えていらっしゃるんですか?」

「まさか。そんなことしたら皆気が散ってしょうがないでしょうし、時折様子を見に来ては撮影しているんですよ」

 

 乾いた笑いが零れる。昼休憩ということもあって校内はガヤガヤと喧騒に包まれており、程良く心地良い騒がしさが鼓膜を揺らす。教室の後ろの方から黒髪の少女を眺めながら、プロデューサーはぼんやりと先日の言葉を思い出していた。

 

(問題なく、快適に……か)

 

 学校での様子を尋ねた際、表情に陰りも曇りもなく、何か遠慮したようにも見えなかったと記憶している。本人が大丈夫だと言っているのなら、これ以上の邪推は野暮というものだ。

 

(とりあえず、もう少し様子を見ようかな)

 

 春の麗らかな空気と、暖かな日差しが眠気を誘発する。膨大な睡眠欲を含んだ欠伸を一つすると、何とも言えない不思議な感覚に陥った。

 

 高校の教室。騒がしい室内、学校全体。平和な日常の一欠片。社会人になった今ではもう戻ることのできない空間。そのどれもがただ過ぎ去っただけの記憶となってしまっているのが妙に口惜しいと感じるのは、何故だろうか。

 もう一度戻りたいと感じている――否、それは断じて無い。懐かしさを感じることはあれど、プロデューサーとしてアイドルたちをサポートするべく日々奔走している「今」に十分満足しているのだ。過去を渇望する気は一切ない。

 ならば綺麗な姿勢で本を読む少女を見て、何を残念に思うことがあるだろう。

 

 ――嗚呼、自分があの場所に今、居ることができたなら。

 

 ――手を伸ばして、声を掛けるのに。

 

「…………えっ?」

 

 深い深い思考の淵に陥った意識がはっと呼び戻された。自分は今何を考えていたのか、ぼんやりとしか思い出せない。

素っ頓狂な声は割と大きめな声量を持っていたようで、室内の生徒が何人かこちらに振り返った。恥ずかしい。

 凛世も羅列する文字から目を離してこちらを一瞥するが、再び本の世界に入り込んでしまった。

 

「――っ、!?」

 

 と思った直後に再度振り返った。二度見だ。それも、かなりの勢いで。

 首を痛めないかと心配しているプロデューサーを目を丸くして凝視していた凛世だったが、数秒後には我に返り、読みかけの本に栞を挟んでから静かに席を立ち上がった。

 制服のスカートを揺らしながら、これまた静かに近寄ってくる。

 

「……プロデューサーさま、いらして頂いて、いたのですね」

「あー悪いな、読書の邪魔しちゃって」

「いえ、お気になさらず。本日も、お顔を見ることが出来て……凛世は、幸せでございます」

 

 プロデューサーは彼女の声を聞いて少し安堵した。予想以上に平常運転で、特に変わったようにも見えないいつも通りの凛世。それだけで十分すぎるほどの安心感が身を包んだ。

 しかし立場上、気になるものは気になる。

 

「えっと……凛世。普段も学校ではさっきみたいな感じか?」

「さっきみたいな……凛世が、小説に読み耽っていたことでしょうか」

「そう、だな。いつもはどんな感じなのかと思ってさ」

「普段ならば――……どうやら凛世は、プロデューサーさまに、不要な心配を、お掛けしてしまったようですね」

「え?」

 

 揺るがない真面目な表情で凛世が目を伏せ、何かを悟ったようにゆっくりと両眼を開く。

 握り拳をつくった左手は胸に、右手は正面に伸び、何かを求めることを躊躇い伸びきらずに虚空を掻く。弱々しく震えた指先は、隠すように華奢な身体の後ろに仕舞われた。

 

「あれは、学友の方に、お借りしたもの。折角、勧めていただきましたので……早く感想を伝えたいと思い、夢中になっていた次第で、ございます」

「なんだ、そういうことだったのか……なるほどな」

 

 「雑誌に載るからといって、何か特別なことを意識する必要はない。いつも通りの学校生活を送ってくれ」――前日に彼女に掛けた言葉である。

 要するに今日という日は、たまたま借りた本を読んでいただけで、別に孤立しているとかそういうことではないようだ。これが彼女にとってのいつも通りの学校生活で、普段も読書に集中する日があるのだろう。

 心配が杞憂に終わり、心のつかえが完全に払拭された。

 

「ちなみに貸してくれたのはどの子なんだ?」

「はい、あちらの方々でございます」

 

 そう言って凛世が振り返った視線の先、教壇付近には、二人の女子高生がにこやかな笑みを浮かべながら楽しげに会話している姿が。見た目から既に明るい子と、前髪で目が隠れた子だ。

 

「変な心配しちゃったな。困ったことはなさそうでよかったよ」

「はい。……ですが、一つだけ」

 

 それまではっきりと見開かれていた凛世の紅玉の瞳がうっすらと細められ、口端が軽く吊り上がった。

 

「大切な方の……お傍に居られないことが。それだけが……苦しいのです」

 

 真意の見えない発言に当惑する。苦しいと言いながら、何故少しだけ嬉しそうな顔をするのだろう。何故嬉しそうな顔に見えるのに、どこか寂しげな雰囲気を醸し出しているのだろうか。

 

 何か言葉をかけようと思ったが、口を開くと同時に予鈴の音が鳴り響いた。懐かしいメロディがまるで眼前の少女との間に立ちはだかるように空間を制圧する。もうすぐ授業が始まるという合図が教室内の僅かな生徒を動かし、楽しい時間の終わりを告げた。

 凛世も、ぺこりと丁寧に礼をしてから自分の席へと戻っていく。

 

「……なるほど、そういうことなんですねえー……」

 

 一連のやりとりを黙って見ていたカメラマンが独り言を呟いているが、その顔はニヤついている。なんとなく嫌な予感がしたが、とりあえずは考えないことにした。

 

(そろそろ俺も帰るかな――って、あれ?)

 

 教室を去ることに若干の名残惜しさを感じていると、席に向かっていったはずの凛世が未だに腰を下ろしていないことに気付く。見れば、彼女の前には背の高い男がいた。

 おそらく同じクラスの生徒なのだろう、男子生徒はブレザー服をゆるく着崩し、ズボンのポケットに手を突っ込み、立ち姿が軽く猫背になっている。表情からはこれでもかというくらいに倦怠感が滲み出ており、背丈の高さも相まってかなりの威圧感がもっていた。お世辞にも、人柄が良さそうには見えない。

 

(り、凛世はああいうタイプとも交流があるのか……?)

 

 同じユニットのメンバーのうち二人くらいはビビりそうな相手だ。どこからどう見ても不良の道を進もうとしているようにしか見えない生徒だが、凛世の言う『学友』に彼は含まれているだろうか。

 

 と、思ったのだが、凛世が男子生徒に若干皺が寄ったプリントを手渡しているのを見て、なんとなく察する。落とした物を本人に渡しただけなのだろう。男子生徒は差し出されたプリントを乱雑に受け取って顔をしかめ、さっさとその場から去ってしまう――あまり気分の良い受け取り方ではなかった。

 しかし凛世は相手の様子など歯牙にもかけず、今度こそ席に戻る。あからさまに柄の悪い生徒にも臆せず話しかけられるのも彼女の美点だ。

 

(合宿の時も、肝試し、全然怖がってなかったもんな)

 

 度胸というべきか、肝が据わっているというべきか。感情の起伏があまり激しくないため、驚いたり焦ったりする姿はなかなか想像できない。

 

(っと、本当に授業が始まりそうだ。流石に帰ろう)

 

 カメラマンに目配せをして足早に教室を立ち去る。

 背中から視線を二つ感じたような気がしたが、おそらく気のせいだろう。

 

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