放課後というものは、その絶大な解放感と青春の象徴のような存在感により、生徒たちの個性が最も表出しやすい時間である。何時間も同じ場所に拘束され続けていた何十人・何百人もの若者が一斉に解き放たれ、彼らを縛るものも引き止めるものも何もない(勿論例外もあるが)、思い思いに行動を開始する瞬間。放課後の楽しみのためだけに学校へ通う人間もいるほどである――それは些か学生として問題がある気がしないでもないが。
「おーい、凛世ー」
校門に佇む、すらりと背筋の伸びた後ろ姿に声を掛ける。日が傾き始めた放課後に校舎から出るなんていつぶりだろうか。もう二度と訪れなかったはずの光景は、信じられないくらい眩い。
まどろみから覚めた視界に差し込む朝日のように鋭い日差しはひどく幻想的で、一時的にでも世界の時が過去に巻き戻されたのでは、とさえ錯覚してしまう。
「――プロデューサー、さま」
短い呟き。降り積もった新雪の如く白い肌の上には、柔らかそうな桜色の唇と二つのルビーが乗っている。顔立ちは若干の幼さを感じさせながらもある種の妖艶さを醸し出し、それでいて尚文句のつけようがないほど整っていた。爽やかな微風に揺られる黒髪もまた、凛とした雰囲気を漂わせている。
彼女は昨日と同じ制服姿で校門の前に立ち、優美に振り向いた。
「えっと、どうだ。変じゃないか?」
「ふふ……よく、似合っております……プロデューサーさま」
凛世は誰が見ても一目で分かるほど上機嫌だ。その理由は、いつものスーツではなく“制服”を身につけているプロデューサーである。
「まったく、これはいくらなんでもやりすぎじゃないか……?」
凛世の通う高校の男子用制服は、妙にフィットしている制服に謎の違和感を覚えた。もう二度と着る機会はないと思っていたせいだろうか――なんにせよ、いい歳した大人が着るとただのコスプレにしかならないことに違いはない。
――プロデューサーさん、凛世ちゃんとデートしてあげてください!
前日の電話で、凛世の様子を見ていたカメラマンから受けた指示を思い出す。
――今日一日見ていて思ったんです、良い写真は撮れるんですが……一番良い顔していたのがプロデューサーさんと話している時だったんですよね
――え、そうなんですか? そんなことは
――そんなことありますよ。というわけで、上からの許可も取ってきたので……明日から凛世ちゃんとデートしてあげてください。プロデューサーさんも制服を着てですよ!
無茶ぶりにも程がある。
そもそも「凛世の学校生活のありのままを撮影する」ことが目的だったというのに、制服コスのプロデューサーが介入してアイドルとデートをしている様子を撮影なんてした日には、企画の趣旨のズレどころか炎上しかねない。
言われるがままに制服に着替え、校門で待つ凛世に駆け寄るといういかにもな登場の仕方をしたわけだが、本当にこのまま進んで行っていいのか疑問だ。
「…………」
どうしたものかと凛世の方を見るが、何やら浮かれたような熱っぽい視線をしている。自分が歩き出すのを今か今かと待ち望んでいるかのようだ。
「……あの、どうすれば?」
『ではそのままデートコースへ! 大丈夫、変な噂が立つことはありませんよ! 数人で撮影しますから、スキャンダル問題はお気になさらず!』
どこかから自分達を撮影しているカメラマンにスマホで呼びかける――が、どうやら企画はもう、そういう方向に進んでいるらしい。今更抗議の声をあげたところで現状を覆すのは不可能だろうし、何より嬉しそうに待っている凛世を放っておくのは心が痛む。
「でも、やっぱり趣旨がズレてきていませんか……?」
『何をおっしゃいますか、折角一週間も撮影期間があるんですよ! もし凛世ちゃんが恋人だったらっていうシチュエーションの写真集とか、絶対需要あるじゃないですか!』
「やっぱり企画変わってきてる!? いや、さすがにそれは――」
「……プロデューサーさま」
スマホを片手にその場で右往左往していると、凛世が制服の袖をくい、と遠慮がちに引っ張る。
思わず反射的に振り返ると、凛世は眉根を下げて沈鬱げに視線を落としていた。悲しそうな顔にどう対応して良いか分からず硬直すると、彼女は不安げな顔を上げながらこちらを見据えてくる。
上目遣いというやつだろうか、潤んだ瞳が半分ほど隠れ、いつもより鋭い視線が扇情的で、普段とはまた異なる魅力が潜在していた。
「凛世では……役に、不足しているでしょうか……」
「……あー、えーっと。うーん……あー分かった、行こうか、凛世」
「……! プロデューサーさま……」
彼は懇願するような視線に完全に打ち負けた。
話によると凛世しか映らないよう調整するらしいし、こうした方がいいというのなら、彼女の良い表情を引き出せるのなら、あまり否定的な意見ばかり出し続けるのも無粋だろう。
うっすらと微笑む凛世の横に並び、「行こう」と合図をして歩き始める。制服を着た男女が夕暮れ時に二人で出掛ける姿はもうどの角度から見てもカップルだが、あまり気にしないことにしたプロデューサーであった。
「これから放課後はだいたい毎日俺とどこかに行くことになると思うけど、大丈夫か?」
「毎日…………。はい、この上ない幸せで、ございます」
「はは、それは言い過ぎだと思うけどな――」
他愛のない会話を続けながら歩く事数分。時折傍らを歩く凛世の様子を気に掛けながら会話に花を咲かせていると、二人は目的地のカフェに到着した。
商店街の中ほどにある、平日の夕方でもそこそこ繁盛している店だ。何度か訪れたことがある店とは異なり、若干和風のインテリア等を取り入れている少し変わった見た目をしている。
店頭に置かれたメニューを見て、「今だけ!」と大きく書かれた商品を指差した。
「期間限定の『ハルザクラ』っていうやつを頼めばいいんだっけ……お、これだな」
「桜味……」
「美味しそうだな。えーと、座る前に頼めばいいのか」
開放された入り口から中に入り、メニューで目当ての品を確認してからカウンターへ向かう。注文待ちの列はなかったため、スムーズに進むことができた。
「ハルザクラを二つ……あ、サイズどうする? 凛世」
「大きさは……普通のもので、お願いいたします」
「じゃあ、トールとグランデを一つずつ」
「かしこまりました~! お客様はカップルでいらっしゃいますか~?」
「はい――え!?」
反射的に肯定してしまった。
店員は何食わぬ顔であっけらかんと聞いてくるが、カップルではない。
「ではカップル限定の『逢引割引』を有効にさせていだきますね~!」
「ネーミング! いやそうじゃなくて!」
「かっぷる……」
「いや凛世? なんでそんな嬉しそうなんだ?」
営業スマイルでバリバリに割引をきかせようとしてくれる店員と、恍惚とした表情を浮かべて呟く凛世。うっかり返事をしてしまったことで収拾がつけられない状態になってしまったらしい。
スキャンダルは気にしなくて良いと言われたし、あまり気にし過ぎるのはよくないだろうか――。嘘にはなるが、割引がきくならそれは誰にでも有り難い話だ。何より“そういう風”に見えたのなら、否定するのは空気が悪くなるように思えた。
「じゃあ、はい。その割引でお願いします」
「畏まりました~! あちらでお待ち下さい~!」
その後は特に何事もなく、プラスチックの容器に入れられたハルザクラを受け取り適当な席につく。向かい合って座れる場所が空いていなかったため、凛世とは細長い形状の机の隅に座ることにした。
「へー、なんか綺麗だな」
ハルザクラ。
名前からして桜をイメージしていることは間違いないのだが、想像以上に『春』の印象が強い。透明な容器は桃色に染まり、容器の外側に映る枯れた木々がまるで色づいた桜のように生き生きとしている。上部分に丁寧に乗せられたクリームと花弁状のチョコレートはとても柔らかそうだった。
ストローを咥えて吸い上げる。容器に収まった桜色が濃い緑色のストローを通過し、口腔内にひんやりとした感触が訪れる。ほんのりとした甘酸っぱさが舌の上で転がり、弱い力で音を立てて砕けるパフが良いアクセントになっていた。
「……美味しゅう、ございます」
「期間限定って、なんだか特別な感じがするな。俺あんまりこういうところ来ないから、新鮮だなあ」
「……では、またいずれ――」
と、言いかけた凛世が口をつぐんだ。
「どうした?」
「いえ、なんでも……ございません」
実は味が気に入らなかったのだろうかと彼女の顔を覗き込むが、どうやらその視線は容器に映った木々に向いているらしかった。飲めば飲むほどピンクから透明な色に戻っていき、元の枯れた枝が露出してしまう様子に、彼女は寂しげな顔をする。
「…………。飲み終われば枯れてしまう……少し、悲しく……思います」
「そっか、なるほどなあ。言われてみれば確かに、だ」
「けれども美味、このままというわけには……参りません」
「――凛世、ほら」
その豊富な感受性に感心しながら、謎のサービスで付け加えられたクッキーを指差す。ハルザクラとセットで注文すると安くなる、と記述されていた割に一年中販売されていそうな、普通のクッキーだ。真っ白な皿に一枚だけ乗せられている。
「気持ちは分からないでもないけど……とりあえず、それ食べて元気出そう? な?」
「……はい、ありがとうございます――では」
穏やかな目つきとしなやかな手つきでクッキーを摘み、少し大きめなソレを彼女は自分の口には運ばず――何故か、こちらに向かって差し出してきた。 粉が零れ落ちないよう、もう片方の手も添えて。
「えっと、これは?」
「……あーん」
短い響きが桜味の何千倍も甘ったるい感触をもたらした。
いくら鈍感でも流石にどういうことなのか、理解するに時間はかからない。
「り、凛世……それは、ちょっと」
「かっぷる……でございます」
「へ?」
クッキーを持つ手を僅かに震わせて凛世が言う。いつも通りの穏やかな目に少し微笑んだ口、そしてほんのりと紅潮した頬。そんな表情を目の当たりにして、ますます小っ恥ずかしさが込み上げてくる。
が、一向に止める気配はなかった。むしろだんだん甘い香りが近付いて来ているきがする。
「恋人というものは、このくらいして当然と……学びました」
「どこで!? いやあんまり間違ってないけど!」
「プロデューサーさま……あーん」
「わ、分かった……あ、あー……んんぐっ!?」
羞恥心を覚えながらも口を開くと、想像以上に力強くクッキーが押し込まれた。否、押し込まれたというかねじ込まれたというべきか。
力の加減が把握できていないせいか、かなり勢い良くズボっと入り込んだ。自分の口って意外と横に広がるんだなーなどと一瞬放心しかける。一枚丸ごと投入されるのではないかと恐れ、強引に噛み砕いてハルザクラを流し込んで食べきった。
「むはっ! ちょ、ちょっと多かったかな……凛世?」
「……………………じーっ」
「今度はどうし……凛世さん?」
本番前と同じくらい真剣な眼差しで半分になったクッキーを凝視する凛世。何を考えているというのだろう。
「凛世は……どこから食べれば良いのかと……思考しておりました」
「ごめん、俺の食べかけはいやだよな。もう一枚買ってくるから待ってて――」
「間接キスというものでございます……間接……」
「え? おーい凛世? 凛世ー! 戻ってこーい!?」
平和そのものの穏やかな時間が過ぎていく。天下泰平、世はこともなし。普段のアイドルとプロデューサーという関係とは少し違った束の間の休息を、二人はきっと楽しめたのだろう。
――そんな放課後が。
「プリクラ……ってあんまりやったことないんだけど、凛世わかるか?」
「はい、何度か。ですが、使い方はあまり……」
「多分ここで絵を描いたり文字を入れたりするんだよな、えっなにその達筆! 俺の名前まで!?」
「ふふ……完璧に仕上げます……お任せください」
――しばらく続き。
「ターキー! 凛世結構ボーリング上手いな!」
「要領が掴めて参りました……制覇いたします」
「よし、俺も負けないぞ! ――あぁっ、一ピン残った!」
――撮影は順調に。
「なんかこのオムライス呼吸してないか……? ビームで薙ぎ払いそうな見た目してるぞ」
「プロデューサーさま……はい、ちーず」
「えっ今? ぴ、ピース! ……こんなにテンション高くていいんだろうか」
「とても活き活きと……お映りになって……おられます」
「って、俺の写真いる?」
――順調に、終わりを迎えた。