うつろふものは瞬過愁灯   作:蘭花

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ここから第2章、夏編となります。
春編より文字数が多いですが五話構成に変わりはありません。


恋蛍-Summer-
いたつき


『人殺す 我かも知らぬ 飛ぶ蛍』

 

 魂の舞踏。死界に漂う夏の夜。荒涼とした人の近寄らぬその場所は、世界がとうの昔に置き去りにした生命全ての終着点。誰もが見捨てた孤高の墓場、誰もが恐れた孤独の墓場。ふらふらゆらゆら笑う影、くらくらきらきら遊ぶ影。

 立つは寂れた墓標。揺れるは光の百鬼夜行。暗闇照らす灯りが一つ、闇夜に煌めく星々二つ。

 

 何人たりとも邪魔立てさせぬ、何人たりとも生かして返さぬ。一度訪れたが最後、骨の髄まで貪り尽くさん。

 心は此処に在りはしない。

 ゆえに心臓型の穴が空いた肉体が、上質な心を、魂を求めるのだ。

 

「……こんにちは」

 

 少女は来訪者の足音を聞き、静かに嗤う。

 整った美しい顔に、怖気すら感じさせるほどの嘲笑を浮かべて、侮蔑の念に満ちた視線を向ける。彼女は来訪者をヒトと見なしていない、尊い命を宿す者と理解する気もない。寂れた墓地に足を踏み入れるものは全て例外なく、ただの獲物に過ぎないのだから。

 肉を喰らい尽くそう。心を貪り尽くそう。そうして心を満たすのだ。そうして、穴の空いた心は満たされていくのだ。

 

「こんな所まで、わざわざご苦労様。……何をしに来たのでしょう?」

 

 悪戯めいた口調で尋ね、頬に手を添える。長い間雨に打たれたその体はきっと、氷のように冷たいのだろう。触れるだけで凍らされてしまいそうだ。

 冷酷、残酷。けれども少女は美しい。嘲るような優しく辛辣な微笑を刻み、針のように鋭く刺さる言葉を連ね、気付けば身も心も溶かされ虜になってゆく。

 

 彼女の名前は『恋蛍』。墓地に漂う無数の光を自在に操り、怪しげな死地にヒトを誘き寄せ、美貌という名の魔法で恋に落とす。

 そして、恋を喰らうのだ。熱を持った心身を、自分だけに捧げられる膨大な気の昂り、愛を。魂の往く最果てで永久に愛され続ける、それが彼女の生き様だった。

 

「……美味しい」

 

 口に付着した生暖かい『赤』を舐める。裂いた肉から溢れ出た生命の源は、いつだって新鮮で絶品。次に肉を喰み、骨を砕き、最後に残した心を丁寧に味わう。心はいつだって胸を焦がす程の恋の味がする。酸味と甘味の入り交じった、筆にも舌にも尽くしがたい味だ。

 

「いらっしゃい、幾万の魂達……」

 

 今日も恋蛍は恋慕を喰らう。

 小雨に濡れた黒髪揺らし、夜を照らす赤目を光らせ、黒百合の髪飾りが死を唄い、青白い光の渦に包まれる。不敵に微笑むその様は、まるで三途の川を渡る死神のよう。

 しかし満たされない穴はいつまでも、風穴のように空いたまま。

 

 自分は何処へ向かうのか。

 何を求めて彷徨うのか。

 

 少女は、恋が知りたかった。

 味わう恋ではなく、自らの心に灯した恋が知りたかった。

 誰も理解はしない、きっと自分すらも理解していない。帰る場所も戻る場所も、全てわからない。わかろうともしない。愛を灯すその日までは、何もわかりはしないだろう。恋を喰らう魔物は誰よりも恋が知りたかった。恋の味を知っている怪物は、自分の恋を味わってみたかったのだ。

 

「…………いきましょうか」

 

 恋。

 

 死。

 

 恋。恋。恋。死。

 

 恋。死。恋。恋。恋。恋。死。恋死恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋死恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋死恋恋恋恋恋恋恋死恋恋恋死恋恋恋恋恋死恋恋恋死恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋死恋恋恋恋恋恋恋恋恋恋――――恋。

 

 いつの日か、味わえる日は、来るだろうか。

 縋るものもない微かな願いを胸に秘め、今日も哀れな恋が死んでいった。

 

 

 

「――はい、カーット!」

 

 

 

 張り詰めた空気を一つの掛け声がばっさりと切り裂く。緊張しきった場の雰囲気は、声一つで弛緩する。

 

「オーケー! 良かったよ凛世ちゃん!」

「……ありがとう、ございます」

 

 おどろおどろしい雰囲気から解放され、舞台の中心にいた凛世が深く頭を下げた。先程までヒトを喰らう怪物、「恋蛍」を演じていたとは思えないほど丁寧な動作で、口から出る言葉は柔らかな声音で奏でられている。

 彼女は一話限りのスペシャルドラマ『人喰い蛍』の主役である、冷淡で他人を見下す性格の人物を演じていたのだ。

 

「プロデューサーさま……いかがでしたでしょうか」

「お疲れ様。俺も良い演技だったと思うよ、すごくハマっていた。なんというか……こういう役もできるんだな」

 

 純粋に心からの賞賛を送るが、少女の秘める無限の可能性に身震いする。普段の凛世は礼儀正しく真っ直ぐな人物だが、「恋蛍」は間違いなく常識の範疇から外れた狂った人物像をもっていた。杜野凛世といえば大人しく清楚に振る舞うキャラクターが似合っているとばかり思われていたが、これを機にその評価も変わっていくだろう。

 これまでとは明らかに違う、新たな可能性を見出すことが出来た。今後の方針も少し組み直す必要があるかもしれない。

 

「凛世は……プロデューサーさまや……ファンのみなさまのためなら……どんな役でも、演じてみせます」

「頼もしいな……なあ、さっきの演技、もう一回見せてもらえないか?」

「……?」

 

 可愛らしく小首を傾げる凛世。頭上に疑問符が浮かびそうなほど不思議そうにするが、数秒もしないうちに「畏まりました」と言って姿勢を正す。

 

「プロデューサーさまは、今は……凛世ではなく、『恋蛍』が……よろしいのですね」

「え? いや――」

「ふふ……冗談でございます」

 

 珍しくからかうような言い回しをするあたり、気分が良いのだろうと察する。今回の撮影はリテイクなしの一発終わりだ。誰だってうまくいけば気が良くなるだろう。凛世はにこりと微笑むと、胸に手を当て静かに息を吸った。

 

 刹那、空気が変わる。

 

「これで、よろしいですか」

 

 軽いキャラ崩壊だ。

 口調は普段とほとんど変化がないように思えるが、内に秘めた気質と表情が凛世のものではない。完全に墓場に漂う蛍の主になりきっている。

 他者を蔑むような眼差し。嘲るような声音。同じ空気を吸うことですら唾棄すると言わんばかりの表情。優しく、尊敬の眼差しを向けてくれる姿はそこにはなかった。

 

「……いつまで、こうしていれば良いのでしょう」

「おぉ、まだ収録してないところのセリフもやってくれるのか……」

「この心が届かず……いつになれば、理解してもらえるのでしょうか」

「……ん?」

 

 覚えのない台詞だ。台本ではたしか「来る日も心を貪り」で始まるはずだが。

 

「実は、楽しんでいるのですか」

「り、凛世……さん?」

「私の心を見て見ぬふりをして。もう十分ではしょう? 貴方の気持ちが、知りたいのです」

 

 ずい、と遠慮なしに距離を詰められる。表情はサディスティックなため変な性癖が芽生えそうになるが、風変わりした様子に怖気付いている気持ちの方が若干強い。いつもより少しだけ砕けた言葉遣い、冷酷だが嗜虐的な雰囲気をまとった演技、覚えのない台詞。もしかすると、台詞ではなく――。

 

「……失礼、いたしました。二つの場面の台詞を……混同して、記憶しておりました」

「…………あっ、そうなの……か? いや……俺も、急に演じてくれなんて言ってすまない」

「良いのです。やはり……婉曲な物言いでは、届きません」

 

 張り詰めた糸が解けたように凛世が演技をやめた。謝罪の言葉に畏れ多いと首を振るが、どこか不満げな顔をしている。

 

「凛世、言いたいことがあったら遠慮せず言ってくれていいんだぞ?」

「遠慮せず……」

「ああ。なんでも聞くからさ」

 

 掛けられた言葉に、不満で曇りかけていた顔が明るくなった。感情表現に乏しいと思われがちだが、明るくなったり暗くなったりする時は他のアイドルよりも分かりやすい場合がある。

 遠慮せずに、と言われながらも凛世は目を逸らし、どこか別の方向を見ながらなんともいえない顔になった。何か言いたげ、ということは分かるのだが、それ以上は分からない。

 

「……プロデューサー、さま……凛世……は」

 

 ゆっくり、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 恐らく前々から言おうとしていたことがあるのだろう。言いたいことは頭の中ではっきりしているのだが、口にするのが憚られるといった様子だ。

 

「…………あちらの」

「あちら? ポスター……夏祭りの?」

「はい……」

 

 『雷火來耶! 業火聖結祭!』と、デカデカと漢字が存在を主張しているポスター。大仰な名前だが要するに近辺で行われる夏祭りの告知であり、今までも何度か目にしていた。

 夏祭り。ポスター。物申したそうにしているが言いづらそうな凛世。近いうちに夏祭りに関連する仕事はないため下見ではない。導き出される答えは――

 

「ああ、皆で行くから休みが欲しいってことか? もっと早く言っておけばよかったな。そうだと思って休みの日も調整するつもりだったんだ」

「…………プロデューサーさま」

「ん?」

「…………………………。…………」

 

 沈黙。不満がある、といった感じではない。何を考えているのだろう。撮影用のスタジオには既に凛世とプロデューサーしか残っておらず、閑散とした空気が溢れていた。

 

 少し肌に擦れるようなピリピリした空気感。更に、凛世が口と目を閉ざしてしまったことにより、居てもたってもいられなくなる。何か間違ったことを言っただろうか。ユニットのメンバーで夏祭りに行くという話を、どこかで耳にしたはずなのだが。

 

「いえ……なんでも、ございません」

「そ、そうか? じゃあスケジュールはまた後で組むから、一旦事務所に戻ろうか」

「……はい」

 

 穏やかな笑みを浮かべる凛世を疑問に思いながらも、ひとまず行動することにした。

 二人は照明が完全に落とされ暗くなったスタジオを後に、

 

 

 

「ちょっと、待ちなさい!!」

 

 

 

 自信に満ちた表情でドアを開け放ち、曖昧な現実に喝を入れるべくよく通る声が突き抜けてくる。橙色の長い髪が爽やかに流れ、突風のごとく現れた人物が二人を見据える。

 もどかしい時間は終わりだと、停滞した世界に一石を投じるかのように、その瞳はどこまでも真っ直ぐだった。

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