日差しが強い。空から無遠慮に降り注ぐ熱光線がアスファルトを焦がし、身体を覆う外気は常に生ぬるい。それは直射日光を浴びる屋外で泣くとも同じことで、むしろ室内は空気がこもって逃げられない分、余計に暑く感じた。
「今冷房をつけたから、しばらくの間暑いかもしれないわね。平気かしら、凛世」
「はい……然程、暑さを感じませんので」
「そう、なら良かったわ」
額の汗をタオルで拭いながら凛世をじっと見据えるのは有栖川夏葉だ。放課後クライマックスガールズに所属するアイドルの一人で、ユニットの中でも最年長、緻密なスケジュール管理をし、毅然とした態度を崩さないといった点から、皆から頼られたり、レッスンの予定調節を自ら行ったりするというリーダー的存在となっている。
彼女はジャージ姿でスタジオに突如現れ、有無を言わさぬうちに凛世を連れ出した。状況が把握できていないままジャージに着替えさせられ、普段はダンスレッスンで使用する部屋に連行され、今に至る。
「夏葉さん……これは、一体」
「いきなりごめんなさい。今日アナタには、私からのレッスンを受けてもらうわ」
「…………凛世の至らぬ点を、指導してくださるのですか?」
「あー、えっとだな。そういうのじゃねーんだ」
短く切り揃えた金色の髪に手を当て、西城樹里が言う。やや億劫げにしているがしっかりとジャージを身につけているあたり、彼女も夏葉に呼ばれてここにいるのだろう。
「アイドルの話は一旦置いといてな、ちょっと……もう少しその、なんつーか……」
「何を恥ずかしがっているの樹里。そんなに恋愛話は苦手なのかしら?」
「う、うるせーよ! 悪かったな苦手で! 縁がないんだからしょうがねえだろ!」
「……恋愛?」
荒っぽい口調で言いながら顔を真っ赤にするという可愛らしい一面を見せる樹里。腕組みして余裕そうな態度をとる夏葉。仲睦まじく微笑ましいやりとりを余所に、凛世は首を傾げた。
恋愛。ユニット内では、智代子以外からはあまり聞かない単語だ。
「そう、恋愛……あなたがプロデューサーに対して抱いている感情の話よ」
「――!」
ぴくり、と体が小さく跳ねる。
プロデューサーに対する想い。それは憧憬や尊敬だけではなく恋慕の情もあり、「あなたと永遠に添い遂げたい」と臆面もなく口に出せる程度には、本気だ。初めて出会った日に掛けられた言葉と優しさに惹かれ、アイドルとして活動するようになってからも想いは増すばかり。
日を跨ぐたびに心から彼を強く想い、時間が立つほどに甘酸っぱく切ない気持が強くなる。きっとこれからもこの気持ちが変わることはなく、いつか届く事を願っている――まさしく、恋だ。
「本当は、人の恋路に口出しするのは気が引けるのよ。だけどアナタたち、お互いにすれ違いが多いし、見ていてハラハラしてしまって」
「申し訳……ございません」
「謝らなくていいの。智代子も、進展がない原因はほとんどプロデューサーにあると思うって言っていたし、あなたを責めるつもりはないわ。ただ――」
一度言葉を区切り、夏葉は凛世の肩に優しく手を置いた。
「どっちが悪いとかじゃなくて、凛世。アナタはもう少し自分の言いたいことを言えるようになるべきだわ」
「要するに。……夏祭り、まだ誘えてないんだろ? アタシらも手伝うぜって話だ」
「い、いえ……そのような、お手を煩わせることは……」
「いいから。私たちも力になりたいのよ」
いつも以上に真剣な表情。全員分のレッスンスケジュールを立案したときと同じ顔をしている。
果たして素直に気持ちを受け取るべきか、迷惑がかかることを懸念して断るべきか。凛世の心の中で二つの意見がぐるぐると渦巻く。確かに夏祭りには誘いたい。想い人と二人で楽しみたいと思っている。しかし、自分の欲だけで、多忙なプロデューサーを振り回すのはどうだろうか。
――自分の気持ちは迷惑になるのではと、いつもそればかり気に掛けている。
いつだって自分のために考えてくれて、いつだって自分のために動いてくれて、いつだって最善のアドバイスを与えてくれる存在。自分はもうアイドルとして輝ける世界に、最高の舞台に連れてきてもらっている。これ以上を望むべきではない、浮ついた心は全てを滅ぼす、そう考えてばかりで前に進むのが怖いのだ。いつか伝わって欲しいと思う気持ちすら、今の関係に終止符を打ってしまうのではと、いっそ伝わらない方が幸せなのではと考えてしまう。
けれども、もし。胸を焦がす熱い気持ちが伝わるのなら。想いの丈を伝えられるのなら――。
……。
…………。
……………………。
「……お願い、いたします」
凛世は、他者の意見を多く取り入れることも必要だという結論に至った。
「任せなさい! まず手始めに、祭りに誘えないと何も始まらないから……今から樹里をプロデューサーだと思って、誘うのよ」
「はぁ!? なんでアタシなんだよ! 聞いてねーぞ!」
「私はもう少し凛世の様子を客観的に見る必要があるのだから、アナタしかいないでしょう」
「…………あー、わかったよ。じゃあ、凛世。いつでもいいぜ」
「樹里さんを、プロデューサーさまに……」
本番を想定したシミュレーション。言いたい言葉を遠慮して引っ込めてしまうのは、確かに改善すべき点である。目の前で堂々とたつ樹里を無言で見つめ、凛世は自分自身の世界へ没入していく。
――樹里さんは、プロデューサーさま。樹里さんは、プロデューサーさま。樹里さんは――
「…………プロデューサーさま……」
「お、おう。何かね凛世くん」
「樹里、それ本気でやっているの?」
「えっ? ど、どんな感じだ……?」
「とりあえず喋らない方が似ているわね」
「……わかった」
ここにはいないはずの人物がいつのまにか現れたような気がして、少しばかり顔が熱くなるのが分かった。凛世は凄まじい集中力で、樹里をプロデューサーに置き換えることに成功したのだ。
「……凛世は」
何を言えば良いか、祭りに誘うのだ。
それは何故か、彼と二人で行きたいから。
どうして二人で行きたいのか。そんなことは決まっている、決まりきっている。
好きだから。この世の何よりも愛おしく、かけがえのない大切な存在だからだ。恋蛍は恋を知らない、しかし杜野凛世は恋を知っている。生きる糧となるほどの原動力を知っているのだ。
「貴方さまと、二人で、祭りに行きたいのです」
胸の奥からこみ上げる炎のように熱い想い。感じる度に幸せで、けれど心は寂しくて。収まりきらず抑えられないものを吐きだすために、今まで何度も、等身大の愛を口にした。何度も何度も、何度も、何度も。時には少女漫画の台詞を借りて、時には敢えて遠回しな表現をして、時にはわざと真意を捉えにくいように伝えて。心の奥底で「きっと伝わりはしない」と諦観して、溢れる愛を吐露し続けてきたのだ。
今までのそれはただの自己満足。けれど――
「どうか凛世に……お付き合い……いただけないでしょうか……」
もっと前に進みたい。吐き出さなければ溢れてしまうこの愛を、受け止めて欲しいと思った。
きっと届かない、今はまだ伝わらない。そう思い続けているのはきっと、胸に秘める想いが本当に伝わった時、今という幸せが変化してしまうのが怖いから。言い方が悪いだけ、伝わりにくいだけ、彼の受け取り方がかたいだけ、今はまだ今はまだと現実が大きく変わるのを、本当は恐れている。
だから届かなくても仕方ない。いつか届けばと後回しにしている。心の中では、想いに気付いてもらえないことを少しだけ安堵していることにも、気付かない。
(もう……恐怖に怯えている場合では……ないのでしょう)
想いを成就させるには覚悟を決める必要がある。
今に満足している時間も、そろそろ終わりが近いのだろう。
「おっ、おぉ……なんか、告白でもされた気分だ」
「完璧ね。これならプロデューサーにも伝わると思うわ」
照れ隠しに樹里が背を向け、夏葉も満足げな顔で頷いている。凛世はようやく己と対面する夢から醒め、意識が現実へと戻ってきた。ふわふわしたまどろみの中に身を委ねていた感覚が残っている。
「夏葉さん、樹里さん……」
二人の名を呼ぶ。シミュレーションは終わったはずなのに、胸中には今までよりもずっと、ずっと強い想いが宿っていた。心臓に火でもついた気分だ。
「凛世はプロデューサーさまが…………好き、です」
『お慕い申しております』
いつもだったなら、そう言っただろう。しかし思ったのだ、もう抑えられないと、いつか必ず伝えたいと。考えれば考えるほど強くなる気持ちを自分のもので収めるのは嫌だと、思ったのだ。
「……大丈夫そうね。それじゃあ私は走りに行くわ。あなたたちもどうかしら?」
「もう終わりでいいのか?」
「自分の気持ちに整理がついたみたいだし、これ以上私が割って入るのもお節介じゃないかと思ったのよ」
言われて、ようやく気がつく。本当は、夏葉のスケジュールではランニングをする時間帯だったのだろう。
その時間を凛世のために割いてくれたのだ。
「でもよ、外かなり暑そうだぜ?」
「あら、随分消極的ね。また私に走り負けるのが怖いのかしら」
「はぁ? アタシの勝ちだったはずなんだけどな? 良いぜ、もう一回やってやるよ」
春のことを思い出す。果穂も凛世が悩んでいた時に、悩みを打ち明けたわけでもないのに励ましてくれた。
自分が真っ直ぐにプロデューサーを想っていられるのはユニットの皆のおかげなのだと、改めて実感する。
「……凛世も、ご一緒させていただきます」
きっと外は暑い。ランニングの距離がどの程度のものか見当もつかないが、日頃から鍛えている夏葉の事だ、楽観視できる距離ではないだろう。終わった頃には汗も疲労感も、相当なものになるに違いない。
それが魅力的だった。大好きな人たちと一心不乱に身体を動かすことができる時間はおそらく限られており、それは逃してしまえば永遠に戻ってこない時間だ。プロデューサーと同じくらい、ユニットの皆との時間も大切にしたい。
欲張りだろうか、あれもこれも欲しいというのは間違っているだろうか。否、この世界は彼が導いてくれて、皆がくれた幸せで溢れている。遠慮することの方が間違っているのだ。
そうして幸せを噛みしめながら、少女は淡い心を鮮やかに彩っていく。様々な色が混ざり合う様は感情のぶつかり合いでありながらも美しく、やがて暖かな一つの色にまとまって静かに溶けていった。
そろそろ蛍が舞う頃だ。曇った心を照らす光のように、小さな命が暗がりで輝いている。
それは儚く、しかし輝きは永遠に。
闇に沈んでいく世界を照らす小さな希望は、弱々しく、けれども強く舞っていた。
◇ ◇ ◇
夏の宵、そこは閑散とした空気と孤高な静寂に溢れている筈の世界。
虫たちのさざめきが時折聞こえ、暗い闇がただ広がるばかり。空には星々が輝き始め、うっすらと月が世界を照らし出す。街の大通りから少し外れた道を歩けば人の気配は少なく、その場所も本来は寂れた商店街の一部に過ぎなかった。塗装の剥がれ、降りたシャッター、めくれたタイル、消えかけの街灯。人で溢れ返る街の裏には、悲しいくらい廃れた場所もある。
しかし、その日の商店街は普段からは想像もつかないほど賑わっていた。
賑わうといっても、普段がほとんど無人である状態に比べて、という話ではあるが。
「チョコバナナ! やっぱりお祭りと言えばチョコバナナだよね!」
「あーっ! ジャスティスファイブのお面があります!!」
「……思っていたより賑やかね」
夏葉による凛世の特訓(?)から三日後の夜。放課後クライマックスガールズは、ユニットの五人で揃って、小さな祭り会場へと足を運んでいた。
女五人で訪れた祭りはお世辞にも大規模とはいえないが、一本道にずらりと並ぶ屋台を見ているだけで一時間は潰せそうなくらいには会場が広い。
「張り紙だけ見たときは、屋台が十個くらいだと思ってたな」
「これくらいの規模なら皆で浴衣を着てもよかったわね……」
浴衣で祭りという夏を象徴するような楽しみを逃してしまったことを夏葉が悔む。祭り会場を発見したのは偶然で、彼女のランニングに同行した際に樹里が張り紙を見かけ、それに興味を抱いたのがきっかけだった。どう見ても無人に近い旧商店街を見て、大したビッグイベントではないが折角だから行ってみよう、という話になったのである。
しかし蓋を開けてみれば想像の十倍近くは広い会場。通りが人で埋め尽くされるほどではないにしろ、思っていたより来客数も多い。地元民に愛され続けている年に一度のイベント、といったところだろう。
「とりあえず、一度端まで行ってみましょう。どんな屋台があるか見てから、何を買うか決めるのが良いわ」
「え? 普通に欲しいものあれば買えばいいじゃねーか」
「手当たり次第にモノを買うのは、金銭感覚が狂う切っ掛けになりかねないわよ?」
「そんなこと……いや、ちょっとあるかもな」
夏葉と樹里が今後の動きについて意見を出し合っている。だが果穂と智代子は既に少しずつ進み始めており、視界に映る限りの屋台全てに目を輝かせていた。主に果穂が。
凛世も、なんとなく二人についていく。
「ヨーヨー釣り、金魚すくい、しゃてき、あてくじ……どれも面白そうです!」
「折角だし、一緒に何かやってみる?」
「はいっ! 凛世さんも一緒にやりましょう!」
「はい……是非」
祭りの屋台の種類には飲食系と遊戯系の二つがある。飲食系は目当てのものを購入して味を楽しむだけだが、遊戯系というものは実力や運次第では単なる金銭の浪費にしかならない場合があるため、人によっては存在自体を嫌うこともあるだろう。
特にあてくじは完全に運任せな上、あたりくじを予め抜くという悪質な経営者もいるため、当たるかもしれないというワクワク感を純粋に味わうことができる子どもでなければ、楽しむことは難しい。
「……あてくじは、やめようね?」
「どうしたんですか、ちょこ先輩」
「あてくじは当たらないと思うから! やめよ!?」
どうやら約一名、苦い思い出があるようだ。
「では……金魚すくいは、いかがでしょう」
「はいっ! あたしもやりたいです!」
「よしっ、じゃあいこっか」
まず始めに三人は金魚すくいの屋台へ赴く。祭り会場の入り口から少し離れた位置にあるソレは、通常の屋台のデザインを守りながら、木でできた金魚の看板や流れる水のイラストなどで見栄え良く彩られている。張られた薄い屋根の下、年季の入った三脚椅子にどっしりと腰を据えた中年の男が細い目で三人を見た。
「みんな、やってくかい? ポイによって値段が変わるよ」
「ポイ? って、すくう網のことですか?」
伸ばした人差し指を顎に当てながら果穂がたずねる。
小学生といえど、金魚すくいという文化にそこまで精通しているわけではないのだろうか。
「ああ、三種類だ。一番破れやすい……まあボロだな。これが百円だ。次に普通のやつは小赤が七匹くらいはとれるやつで、二百円。んで……ちと値が張るが、そう簡単には破れねえがっちりとしたやつが五百円だ」
「ひ、一つだけ値段全然違う……!」
「びっくりするだろ、茶髪のお嬢ちゃん。けどこの一級品は他二つと同じ場所で使えば、多分全部掬えちまうんだわ。だから」
「――わぁっ」
どっこらしょ、と男が身体を捻り、奥の方に潜んでいた大きめのタライを持ち上げる。腰に負担がかかっているのか、やや辛そうな顔をして、既に店頭に置かれていたタライの隣に置いた。
置かれたものは同じ、しかし中身の違いに果穂が声を上げ、智代子も中を覗きこんで驚く。
「五百円払ったら、こっちでやってもらうぜ」
タライの水が波紋を生む。隣の金魚たちより一回りも二回りも大きい個体のものが悠々と――否、暴れ狂うように水中を乱舞していた。中には小さな金魚もいるのだが、やはり気性が荒いのか凄まじい速度で泳ぎ回っている。
あまりの猛烈っぷりに智代子が若干引き気味になり、逆に果穂は興味津津といった様子で目を輝かせていた。無自覚だが凛世の視線も荒れる金魚たちに釘付けだ。
「えっと、なんでこんなに元気なんですか?」
「ぶっちゃけ、わからん! けどこいつらは今はこんなだが、誰かの手に渡ればそりゃあもう人懐っこくて可愛いもんだぞ。この暴れ具合も感情が豊かってことなんだろうな」
「金魚に人懐っこいとかあるのかな……?」
「生き物であれば、感情は命と同じもの。凛世は……そう思います」
「どうする? やるかい?」
ニィ、と口角を吊り上げて笑う中年の男に、果穂が真っ先に手を上げる。シュバッ! と効果音が鳴りそうなほどストレートに掲げた右腕と輝く表情からは、好奇心と同時に幾らかの自信が感じられた。
「はいっ! あたし、五百円の――」
「ま、待って果穂!? 積極的だね!?」
「だってちょこ先輩! あんなに元気な金魚! 欲しいじゃないですかっ!」
興奮しているのか、それとも似たような気配を金魚たちから感じ取ったのか。何にせよ彼女は一番上等な得物で金魚すくいをやりたいらしい。
しかしここで安易に許可するのも如何なものだろうか。いくら勢い良く暴れ回っている個体が欲しいとしても、金魚すくい一回に五百円は些か高いような――
「果穂さん……お金に余裕はあると思われますが……使い過ぎは、控えましょう」
と、思ったので凛世は可愛らしくぴょんぴょん跳ねる果穂を宥める。
一般のこどもと同列に扱うわけではないが、夏葉が先程言っていたように無計画な出費は金銭感覚に狂いが生じかねない。大人になるまでは、ある程度自制をきかせておいた方がいいのだろう。
「そう、ですね……分かりました! じゃあ、二百円のでお願いします!」
「それじゃあ、私も同じので!」
「凛世も、そちらで……お願いいたします」
「おう。しっかりとれよお嬢ちゃんたち!」
それぞれ二百円を支払い、縁の色が果穂は赤、智代子は黄、凛世は青のポイを手に取る。三人が覗き込んだ水面には大人しくも悠々と泳ぎ回る金魚たちがおり、小さい赤や小さい黒、大きめの赤や白と赤色など、カラーのバリエーションもなかなか豊富なものだ。
横一列に並んで屈む。小さな世界を縦横無尽に駆け巡る魚たちをしばらく眺め、どれを取るべきか決める。やはり金魚も生物ゆえにそれぞれに個性があり、全く同じ動きをする存在はいなかった。
「てぃやぁっ!」
「それっ!」
「……えいっ」
――結果からいうと、惨敗。金魚は予想以上に素早く逃げ回り、その小さな体で三人を翻弄した。果穂は間髪入れずに水につけすぎてポイが破れ、智代子は最初の一手で金魚に突撃されて穴を空けられ、凛世は同時に三匹を掬いあげて確保しようとするところまではよかったものの、網の上でのた打ち回る金魚の重みでポイがダメになってしまった、という結果だ。
「……で、一匹だけお情けでもらってきたってわけか」
「はい……今日の金魚さんは、すごく調子が良かったみたいです……」
参加賞兼敢闘賞として手に入れた赤い魚を見ながら樹里が苦笑い。肩を落として戻ってきた三人に、夏葉もなんともいえない表情をしている。
ちなみに情けの一匹は果穂が持ち帰ることになった。手ぶらで終わるよりはマシな結末といえるだろう。
「あんまり気にしていてもしょうがないわ。次に行きたいところを探しましょう」
「皆元気出せって。そうだ、さっき美味しそうなジュースの屋台があったから、そこ行ってみねーか? 隣にチョコバナナもあったぜ」
「はっ、チョコバナナ! そうだった! 私はそれを楽しみにしてたんだったよ!」
「あたしもチョコバナナ食べたいです!」
切り換えが早い。金魚すくいの失敗はそこまでダメージになっていないようだ。
顔色を明るくして次なる目的地へと足を運ぶ果穂と智代子、肩を竦めて微笑みながら二人についていく樹里。足早に駆けていく三人を保護者のように見守る夏葉が、口を閉ざして前を真っ直ぐ見詰めている凛世の隣に立った。
「どう? 良い案は浮かびそう?」
「……よく、分かりません。凛世は、何をすればよいのでしょう……」
「難しく考えすぎよ、プロデューサーと来た時のこと」
少しずつ足を進めながら夏葉が呆れたように言う。
寂れた商店街で開催される夏祭りに来た真の目的、それは『シミュレーションパート2』である。プロデューサーを夏祭りに誘った後、実際にどのような行動をするべきか把握したいという凛世の要望を、夏葉は快く承諾してくれたのだ。
誘うべき祭りはもっと大規模なもの。しかし男と二人で祭りにいくという経験は凛世にとって初めてである。予習をしておいて損はないだろう。
「まず、アナタは根本的な考え方が少し違うんじゃないかしら」
「根本的……」
夏葉は橙色の髪をバサリ、と掻き上げて、信念の籠った力強い視線を凛世に向けた。
「多分だけれど、『どうすればプロデューサーに喜んでもらえるか』を考えているんじゃない?」
「はい……凛世が誘い、プロデューサー様にお付き合いいただくので――」
「それが違うのよ。いや、素敵な考えだけど……まずは凛世。アナタが楽しいと思える事を見つける必要があるわ」
焦げた匂いが食欲をそそる。容赦なく火に焼かれたイカの匂いだ。
たちこめる煙が屋台から漏れ天まで昇り、涼しい風が吹く中で暑苦しさを思い出させる。夏の夜というものは、涼しさと蒸した暑さが混在しているものなのだろう。
カラフルなリンゴ飴には艶のかかったコーティングが施され、「どこからでも齧りついて良い」と言わんばかりの完璧な丸々とした形状が愛おしく思える。少し離れた位置で樹里たちがチョコレートのかかったバナナを買い終え、楽しげな表情を浮かべていた。
やることもできることも、此処にはたくさんある。夏にしかできないことが山のように存在しているのだ。
「凛世が、楽しいと思えること……」
「アナタなら多分、プロデューサーと一緒に居られれば全部楽しいと思うけれど……折角一緒な時間ができるなら、もっと楽しい時間にした方が有意義になるわよ?」
「……では、夏葉さん」
「何かしら」
「凛世の『楽しいこと』探しに……お付き合いください」
じっと、まだまだ続く道の先を見つめながら凛世は言う。
夏葉はその言葉に対して、ただ短く答えた。
「勿論」
熱気と静かな寂しさと、心の温まるような優しさと。全てが混ざり合って溶けてゆく。この感覚を彼と味わうことができたらどれだけ幸せか――そう思うと、凛世の胸の中にふつふつと思いが浮かび上がってきた。
その思いは欲望。彼と、こんなことができればという願い。彼女は胸の内に漂う欲が真実であるかどうかを調べる為、無言のまま本能の赴くままに足を進めた。
「では――」