うつろふものは瞬過愁灯   作:蘭花

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今回も長めです。次回で夏編は完結となります。


どろん

 縁日の日の催し物は地域や主催する組織によって少しずつ異なるが、細部の違いを差し置いて明確な差が出るのは、規模の大小による客の数だろう。小規模なものでは「人が少なくていまいち盛り上がらない」という意見が出ることもあり、逆に規模が大きいと「人が多すぎて身動きがとりづらい」「駐車場から会場が遠すぎる」などの不満があがることもある。どちらが良いと一概には言えないが、必ずしも人は多い方が良い、ということではない。

 

 そして、凛世が入ろうとしているのは、規模が大きいほうの祭りである。

 装いは紅の浴衣。持ち得るモノの中で最も紅く、情熱的な色合いをしている。お気に入りの下駄と小鬼百合の髪飾り、そして藁人形。

 前方には燃え盛るように広がる祭りの明かり、後方には静かに広がる暗い道。賑わいと静寂のちょうど境目に立ち、彼女は口を閉ざして夜空を見上げていた。

 

「お待たせ、凛世」

 

 不意に声がかかってくるりと振り返る。いつも聞き慣れている声だと思い心躍らせて振り返った凛世は、良い意味で絶大な衝撃を受けた。脳天から足のつま先まで落雷が走って痺れたような感覚だ。

 

「プロデューサーさまも……浴衣を……」

「俺だけラフな格好でいくのもどうかと思ってさ。あとはほら、この方が夏っぽいだろ?」

 

 青の浴衣。どこまでも透き通り澄み渡る空色と、大らかなる深い海の色。二つの色が上半身と下半身の間に引かれた一本の白線で住み分けられている。背の高く顔立ちも整っている彼と穏やかな青色は非常に噛み合っており、大人らしい気質を感じさせた。

 夏場の熱にやられただろうか。いつも以上に彼のことが愛おしく見えてしまう。

 

「というか、俺結構早く着いちゃったかなって思ったんだけど……いつからそこに?」

「凛世も、先程到着したばかりでございます」

「そっか。待たせてしまったわけじゃなかったなら良かった」

 

 ちょっぴりと嘘をつく。本当は三十分ほどまえからこの場所に居たが、そんなことは一々報告する必要もない。楽しみすぎて予定時間まで我慢ができなかっただけなのだから。

 

「割と早い時間なのに人が凄いな。とりあえず何の屋台に行くか決めるか?」

「……あの、プロデューサーさま」

「どうした?」

「凛世は……貴方さまと行ってみたい屋台をいくつか、考えております」

「お、凛世からそういうことを言ってくれるのは珍しいな。じゃあその屋台を探そう」

「はい」

 

 夏の冷たい夜風に頬を撫ぜられながら、二人は祭りの中へと足を踏み入れていった。既に月が昇っているとは思えないほど明るいその場所はとにかく多くの人で溢れ返っており、待ち合わせの時間が早かったためにまだ動きやすいが、あと一時間もすれば前に進むのにも時間を要するようになるだろう。

 

 左右を屋台に挟まれた通りはどこまでも長く続いている。微かに聞こえる音楽は和太鼓や尺八を用いたもので、飄々としていながらもどっしりとした音の重みが心地良い。聴覚が吸収する音のほとんどは個々を認識することすら困難なほどの声の群れ。人々の会話が様々な角度から飛び交い、混ざり合い、暴力的に鼓膜を叩くも、それすらも夏の祭りの様式美に感じられる。

 そんな中で、隣にいる彼の声だけはしっかりと、はっきりと耳に届くことが凛世にとってこの上ないほどの幸せだった。

 

「まずは、あちらのものを」

「金魚すくいかぁ、懐かしい」

 

 人混みを順調に進んでいった先に見えたのは、果穂と智代子と挑戦して惨敗した金魚すくい。屋台の造りが非常に見覚えのあるソレは、以前のときと同じであることがすぐにわかった。三脚椅子にどっしりと腰を据えた中年の男は、今日も腕組みして流れていく人の群れを眺めている。

 二人が屋台に近寄ると客だと分かったのか、腕を解いて此方を一瞥した。

 

「いらっしゃ……どこかで見た気がするな、お嬢ちゃん。まあいいか、やってくかい?」

「二人分お願いします。ここはポイが選べるタイプなんだな。凛世、どれにする?」

「凛世は……。……」

 

 二百円のモノを選んで失敗したのを思い出す。店側に不正はないと思うが、三人全員あっさり破られたことを考えると思いきって五百円払ってしまった方がいいのではないかとすら思考してしまう。流石に二回連続で金魚が掬えないのは凛世としても少し悔しくなる。

 口に手を当てて悩んでいると、プロデューサーが肩をちょんちょん、と小突く。

 

「俺結構得意だから、コツ教えようか」

「ご指導いただけるのでしょうか?」

「はは、そんな大層なものじゃないけど。一回見ていてくれ」

 

 彼は百円を払って一番安いポイを受け取った。二百円のモノですらかなり破れやすく感じたのだが、楽しげに微笑む横顔には絶大な頼もしさがある。

 

「うーん、どうしようかな。あの辺にするか」

 

 そう言って素早く水の中にポイをつける。狙いを定め、一匹の金魚目掛けて放たれた一手は惚れ惚れするほど美しい動作で、見惚れているうちに狙った金魚を掬いあげてお椀に移し終えた。

 流れるような掬い方に凛世は目を丸くする。一番安いポイであっさりと成功できるのは、彼の腕前だろうか。

 

「こう、斜めから入れて、できるだけ網を一気に素早く水に浸からせる感じかな。俺は小さい頃からだいたいこれで上手くいっていたと思う。ほら、こんな感じで」

 

 今度は水中を泳ぐ金魚たちをちらと一瞥したかと思うと、先程よりも速くポイを投入してもう一匹の金魚を掬い上げた。反対の手に持ったお椀には二匹の小赤が悠々と泳いでいる。

 

「達人並みの……腕前でございます」

「いやいや、本当にそんな大したものじゃないから。凛世もやってみれば分かるよ」

「では…………あ……」

 

 再び水面に向き直って自分も再挑戦してみようと思った矢先に、凛世の脳裏に一つの思考が過った。

 プロデューサーが獲った二匹の金魚。彼らは小さな世界でしっかりと生きて、持てる力を発揮して自由気ままに泳いでいる。だがどちらも元気に泳いではいるものの、以前目にしたような活力のあり余った暴走、といったかんじの動きではない。どちらかというと控えめで、見ていて微笑ましくなる。

 あの二匹はもう客が自らの実力で勝ち取った金魚。つまりこのまま持ちかえることができる。その二匹を無意識になにかに重ねたのか、凛世の頭の中ではなぜか「これ以上増やしたくない」という謎の思考が生まれてしまっていた。

 

「凛世は、遠慮させていただきます」

「えっ、どうした?」

「いえ、少々気の迷いが生じました。プロデューサーさま……一つ、凛世の身勝手を聞いてはもらえないでしょうか」

「勿論いいけど……なんだ?」

「……」

 

 なんだろう。

 彼のもつお椀の中で泳ぐ片方が欲しくてたまらない。一度「祭りに誘う」という最大の難所を突破し終えた後だからか、欲が遠慮なしに次々と生まれてしまう。いつから自分はこんなに欲深くなったのだろうと、少しだけ恥ずかしさに反応して体温が上がった。

 しかしこんな欲を表に出してもいいものか。自分の気持ちに素直になり、楽しいと思えることをしようとしても、こんな自分勝手すぎることを頼んでもよいのだろうか。

 

「お嬢ちゃんが一匹欲しいってよ、兄ちゃん」

 

 暫し逡巡していると、ニヤニヤと二人の様子を見守っていた屋台の男が割って入る。

 プロデューサーはばしばしと割と強めに肩を叩かれ、お椀の中身が零れないように両手で抑えながら凛世を見た。

 

「あ、そうだったのか?」

「いえ、その……。……はい」

「身勝手なんかじゃないだろ。俺がとったのでよければ譲るよ」

「ありがとう、ございます……」

 

 そんなこんなで、よく分からない欲が浮上したが故に金魚すくいは再挑戦することなく終了した。しかし一匹ずつ小さな袋に入れられた金魚たちを見ていると口元が思わず緩んでしまう。愛嬌のある二匹の小さな生命は別の部屋に閉じ込められながらも、近い距離で存在している。今まで近いようで遠かった、彼と自身の距離を彷彿とさせ、お揃いで袋を持っているという現状にすら嬉しくなった。

 ここにもう一匹別の金魚が混じっていたとしたら、きっとこんな気持ちにはなれなかったと思う。凛世は以前智代子から借りた少女漫画で、今の自分達のように一匹ずつ金魚をもつ男女の絵をみたことがあるのを思い出した。

 

(凛世は……あの姿に、憧れていたのですね)

 

 金魚すくいの屋台に行ったのにすくっていない、おかしなことだ。けれども心は十分に満足した。

 

 次に二人が目指したのは射的の屋台。射的は前々から気になっていたため、夏葉と二人で挑んだものだ。あまり扱いが分かっていないがまあまあな成績を残した凛世と、ほとんどの的を正確に撃ち抜けるが目玉の景品だけは簡単にはとれず、取れるまで挑戦した夏葉と。初めての経験だったがかなり楽しかった。あの楽しい時間を是非彼と過ごしたい、そう思ったのだ。

 

「射的かぁ、懐かしいな……へー、あれ結構昔のゲーム機だ! ああいうのも置いてあるのか……凛世はなにか欲しい景品見つけたか?」

「はい。凛世はあちらのぬいぐるみを狙います」

 

 コルク銃を受け取って、横並びになって銃を構える。縦横に組まれた木の板にはいくつもの景品が並んでおり、凛世が狙うのは橙色の柴犬のヌイグルミ。どことなく果穂に似ているし、凛々しい表情は夏葉にも似ている。サイズは少し大きめで簡単には落とせないように見えるが、注視すると置かれている木の板からいくらか後方に下がっているのが分かった。運が良ければあと数発で落とせそうだ。

 

「大きいの狙うんだな。じゃあ俺はあのゲーム機を狙ってみよう」

「ふふ……勝負、でございます」

「望むところだ!」

 

 テンションを上げて乗ってくれる優しさに、温かな気持ちになる。深いことも細かいことも全て忘れて楽しめそうな雰囲気で、周囲の喧騒と道行く人々で緊張する空気などは一切ない。だというのに彼と会った瞬間から、心臓はトクトクと少しだけ速く脈を打っている。幸せの中に妙な照れくささもあり、きっと顔も赤いままだ。彼の笑顔を見るとそれだけで幸福が胸に舞いこんでくる、隣に居てもらえるだけで身体が浮くような気分になる。でもほんのりと帯びた熱も赤くなった頬も恥ずかしいから、全て夏や祭りの熱させいにして誤魔化したい。

 

 いつからこんな風に想えるようになっただろうか。誰かのために全てを捧げたい、誰か一人のためだけに己の全てを注ぎたいと、いつから自分はここまで他人を慕うようになったのだろう。想いが強すぎて悩むことも胸が締め付けられることも、数年前までは考えられなかったことだ。

 

(この気持ちこそが……幸せなのでしょう)

 

 ポン、ポン、ポン。

 高い音が鳴って真っ直ぐ飛ぶコルク。僅かに後方へとずれていくぬいぐるみ。「大きいものは頭を狙いなさい」と夏葉に教えられたとおりに狙撃すると、どしんと構えていたはずの柴犬は存外あっさりと落下した。全弾を使い切ることなく標的を撃ち落とすことに成功――なかなかの達成感だ。

 

「すごいな凛世、俺の方は……あれ動くのか? 全然動く気がしないんだけど」

 

 プロデューサーが渋い顔をして唸っている。全部の弾を撃ちこんだようだがあまり動いているようには感じない。どうやら彼が狙うのは小型の機械らしく、一目見ただけでもかなりの重量があることが分かった。機械が箱に内包されている上に横に平たいせいでなかなか落とせないように見える――そもそも落とせるのだろうか、あれは。

 

「プロデューサーさまは、あの景品をご存じなのでしょうか?」

「あれは俺がまだ子どもの頃にハマっていたゲームなんだ。かなり遊んだんだけど今はもうどこ行ったか分からなくて、久々にやりたいなと思って……凛世?」

「凛世に……お任せください」

 

 傍らに立つプロデューサーに半歩近寄って銃を構える。銃口をしっかりと標的に向けて一発。軽い音を立てて飛行していった弾丸は過たず命中、しかし同じように軽く頼りない音を立ててくるくると回転しながら大地へと転落していった。

 

「ちょっと落ちそうにないよな。凛世、残りの弾は取りたいものに使って――」

「凛世が落としたいのは……あの景品のみでございます」

「い、いつも以上に真剣な表情だ……」

 

 彼が欲しがっているのだ。先程の金魚のお返しをするなら今しかない。

 しかし機械の入った箱はびくともせず、ひょっとして底の面が木の板に固定されているのではと疑いたくなるほどの強度を誇っている。生半可なやり方では絶対に落とせない、あまり大きくないためにパッとしない印象だが、実はこの店の目玉だったりするのかもしれない。

 凛世は以前の射的で、夏葉が言っていたことを思い出す。

 

 ――景品だけを見ていたら、落とせないこともあるの。全体をよく見ることよ、凛世。

 

「全体を……よく見る……」

 

 一度景品から視線を外してその周辺を見回す。他の景品が組まれた木の板の上に並び、板は少し古いものなのか若干曲がっていたり傾いていたりと心許ない。

 成る程、狙うなら其処だろう。

 

「プロデューサーさま……見ていて、ください」

 

 残り二発のうち一発を撃ち込む。狙うのは景品ではなく乗っている板の、縦と横が交差している部分。狙い通り弾は命中し、古びた板はコルクが当たった衝撃だけで傾いた。間髪いれずにもう一発撃ち込んで追撃――グラグラと斜めになって傾いていた土台は二回にわたる衝撃でガコン、と音がして外れ、景品ごと落下する。

 屋台の中で様子を見ていた男性が「あ~やっべ、さっきの子たちが撃ちまくったからか……?」と呟きながら板と景品を回収。プロデューサーは驚愕した表情で凛世を凝視していた。

 

「すごいな凛世、こんな特技があったのか!」

「ふふっ、特訓の成果が出たようです」

「特訓?」

 

 プロデューサーが欲しがっていた機械は無事に渡すことができ、続いてアクセサリー屋、お面屋、ヨーヨー釣り、あてくじ等、様々な屋台を回り、食事以外のものはある程度制覇できたため、ひとまず飲み物を買うことにする。最初の金魚から始まり射的の景品、お面や水風船などでかなり持ち物はごちゃついてきたが、お互いに収納用の道具を持っていたために隙はなかった。

 飲み物も祭りだから、ということで『電球ソーダ』なるものを購入。電球型の容器に注がれた炭酸飲料水がカラフルに発光し、様々な明かりが灯る中でも一際存在感を放っている。その光は幻想的というよりは現代的だ。

 

「てっきり電球みたいなやつにソーダが入っているだけだと思っていたけど、ちゃんと光るんだな」

「とても……綺麗です」

 

 凛世はメロンソーダを、プロデューサーはレモンソーダを。緑色と黄色が主張の激しい光を見せつけている。一口飲めば甘く冷たく、それでいて口の中で弾ける強烈な炭酸が味覚を刺激。容器が特別なためか、飲んでいるものも風変わりしたもののように感じられるのが面白い。

 

「飲み物買えたから、さっき話していたトルネードポテト買いに行くか?」

「はい。参りましょう」

 

 と、口内で奔放に弾ける炭酸を感じながら、凛世はプロデューサーの袖を引いて足を止めた。

 

「プロデューサーさま、あちらの方々は……」

「え?」

 

 凛世の視線は二人が今歩いてきた方を向いている。その目線に誘導されてプロデューサーも振り返り、意外そうな顔をして「おぉ!」と声を上げた。その先にいるのは人だかりから手を振ってやってくる数人の男性で、彼らは息を荒げて全員こちらに走ってきている。

 うち一人の茶髪の男が肩で息をしながら一番乗りで到着し、表情を喜色に染めて声を張り上げた。

 

「おぉい! 久しぶりだな! こんなところで会うなんて!」

「お、お前らなんでいるんだ!? ココ住みのやついないだろ?」

 

 プロデューサーの声が少し違う。根本的な部分は何も変わらないが、声音に一切のかたさを感じない、男性同士の会話だからだろうか――否、この声音はきっと、気を許し合っているからこそのものだ。複数人の男性は学生時代の旧友、といったところか。

 

「一丁前に浴衣着て彼女とデートかよ! 俺らむさ苦しく野郎で集まってるのにな!」

「全然顔変わってねえなー。なんだ、まだ学生みたいな面してるぞ! ハハ!」

「そうかねえ? 隣に可愛い子いるからちょっと大人びてみえるけどな?」

 

 活気が有り余って溢れ出るほどのテンションで次々に話しかけられ、プロデューサーも久方振りの再会を喜んでいるのか、心の底から楽しげな表情を浮かべている。

 

「あーもー、同時に話しかけてくるな! 落ち着け! すまん凛世、こいつら中学とか高校の頃の友人でな……」

「……プロデューサーさま、とても楽しげなお顔をされております」

 

 自分も見たことのない表情ではあるものの、新しい一面を垣間見ることができたのは純粋に嬉しい。

 ――が、なにか胸に突如として靄が棲みついたような感覚がある。あまりにも唐突すぎて何が原因なのか見当もつかない。

 不思議に思っていると、最初に話しかけてきた茶髪の男が今度は凛世に話を振ってきた。

 

「こいつの彼女さん、でいいんかな? どうよー、結構鈍いやつなんだけど振り回されてない?」

「い、いえ……凛世は……」

「こらやめろ。まずこの子は彼女じゃないから」

「違うのか? 浴衣デートって完全にカップルだろ?」

「確かに浴衣着てはいるけどな、だから――」

 

 困惑した表情でプロデューサーは腰に手を当て、反対の手を前に突き出して制止のポーズをとる。彼がその姿勢をとるとそれまで各々で騒いでいた男性たちが一気に静かになり、周囲の空気が祭り全体の熱さから取り残されたような感覚に陥った。

 

「――この子は仕事仲間だ。そういう関係じゃないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピ     シ     リ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 破壊。空気が木端微塵に打ち砕かれた。

 何の空気が? プロデューサーの一言が投じられた直後に、彼らはそれまでと同じように和気藹々と会話を楽しんでいる。別に壊れていないしどこもおかしな点はない。ならば何の空気が? 何が壊れた? ヒビが入って亀裂が刻まれ砕け散ったのはなんだ? なんだ、なんだ――。

 

「……プロデューサーさま、折角の機会です。旧交を温めてください」

「え、でも凛世」

「凛世の心配は……不要です。今の内にとるねーどぽてとを、買って参りますので……っ」

 

 今すぐこの場を離れたい。

 今すぐこの場を離れたい。

 イマスグコノバヲハナレタイ。

 

 脱兎の如く勢いで、苦しさに締め付けられる胸を抑えながら凛世はその場を足早に去っていく。

 そこまで傷付くようなことを言われたわけではないし、彼の言葉は真実であり覆しようのない事実だ。仕事仲間、その通り。何一つとして間違っていない、何一つとしておかしな点はない。

 それでも彼の言葉で崩れてしまったモノはある。何気ないさらりと出た発言だったとしても、それが当たり前の現実だったとしても、これほどまでに心を焦がすほどの想いを抱えながら――仕事仲間と、ただそれだけの関係だと断言されてしまうことは、耐えられなかった。

 

 自分の気持ちに素直になる。伝えたい事をしっかり伝える。

 もしかしていくら恋に積極的になったところで、アイドルとプロデューサーという『立場』が足枷になって全てを邪魔するのではないだろうか。彼と出会えた切っ掛けであり彼と関わることができるようになった切っ掛けが、自分の想いを通すことを妨げてしまうのではないか――どうすればいいのか、分からなくなって。

 好きだとしっかり言葉にしたにも拘わらず、杜野凛世の心は不安で再び揺れ動く。脆く淡く、悲しいくらいに足元が覚束ない想いを抱えながら、彼女は祭りの会場を抜けだした。

 

 最後に聞こえた彼の声を聞き入れることなく、熱さも幸せも全て置き去りにして。

 

 

 

 

 

「なあ夏葉、本当にこれやる必要あるのか……?」

「当然じゃない。無理やり練習させて本番の様子を見守らないなんて、そんな無責任なこと出来ないわ」

 

 祭り会場の木の陰から声がする。其処には二人の浴衣を着た女がおり、彼女たちは喧騒と人混みで絶え間なく動いている祭りの様子をひっそりと見ていた。

 一度関わって後は当人に任せるということが性格上許せなかったのか、祭りに来るついでに凛世とプロデューサーを見守ることにした夏葉と、半ば強引に連行された樹里だ。

 

「い―だろ別に。上手くやってるじゃねえか。なんつーか……申し訳ない気持ちになってくるよ」

「私もそう思うけど、あのプロデューサーはアクアリウムの時のことがあるもの。もしもやむを得ない事情で抜けたら、その後の凛世はどうなるかしら?」

「心配しすぎだろ……」

 

 いつになく過保護になる夏葉に樹里が辟易して溜め息を吐く。とはいえ彼女の考えていることに全く賛同できないというわけではない。

 凛世とプロデューサーの関係は傍目から見ていてもすれ違いの連続で、近いようで常に一定の距離を保っているように見える。お互いが深層心理で考えることは不明瞭だが、想いと配慮の行き違いでかなりトラブルが発生しやすいため、周りの者は割とハラハラしているのだ。

 今までは無関係故に口を出す者はいなかったが、今回は「第三者の介入」という今までにないケースになっている。関わった以上最後まで見届けたくなる気持ちは痛いほど分かっていた。

 

 そもそも樹里自身もシュミレーションと称して凛世から率直な想いを述べられた身なのだから、気にならないわけがないのだが。

 

「とにかくもうしばらくは身守るべきだと思うわ」

「その後はどうするんだよ?」

「夏祭りを満喫するに決まってるじゃない」

 

 予想通りの答えに笑みが零れる。なんだかんだ言って夏葉的には祭りの方がメインだったりするのかもしれない。初めから分かっていれば智代子や果穂も呼んだのだが、と少し後悔する。

 

(でもあの二人は今回のこと知らねえし……うーん、やっぱ皆で来れればよかったかな)

 

 手始めにゲットした水風船をビヨンビヨンと弄びながら、口を閉ざして思考。前回五人揃って祭りにいけたとはいえ、どうせなら規模の大きい方にも行くことが出来れば良かったと思う樹里であった。

 

「まあ何にせよほどほどにしろよな、あんまり遅くなると明日もレッスンだし……夏葉?」

 

 喋りながら横目で一瞥すると、夏葉の表情が強張っているのがわかり、疑問符を上げる。

 何があったのかと思い凛世たちを見て――ああ、そういうことかと、理解した。

 

 知らない男性数名。楽しげに会話していたプロデューサー。そして、一人抜け出した凛世。

 俯いていて表情は見えなかったがとても穏やかな雰囲気だとは思えない。プロデューサーが話していた男たちのことは分からないけれど、夏葉が危惧していたことが起こってしまったことだけは瞬時に理解出来た。

 

「――樹里」

「なんだ?」

「ちょっと、行ってくるわ」

「……ああ」

 

 ひどく落ち着いた声音の夏葉に短く返事をして、人混みの中に毅然とした態度で入っていく様子を見届ける。何が起きてこの後どうなるのかは分からないが、悪い結末にだけはならないでほしいと、西城樹里は夜空を見上げながら願った。

 

 

 

 自分は何をしているのだろうと己の愚かさを呪うのは、これで何度目になるか分からない。揺さぶられて落ち着かない心に平静を取り戻そうと拳を握りしめるが、力んだところで得られるのは途方もない虚しさだけだ。冷えた夜に相応しい冷風と乾いた空気が慰めるように優しく肌を撫でた。

 

「…………」

 

 此処は墓場。数えきれないほどの人で賑わう世界から少し離れた位置にある、小さな小さな墓石の集落。誰が眠っているのか、どれほど長い間眠っているのか何も分からないけれど、祭りにあるような暖かい空気がここには存在しない、そして自分は今、そんな空気を欲しているということだけは分かる。

 何も浮かばず何も考えられない。お面、水風船、電球ソーダ、ぬいぐるみ――それらを持つこともやめてしまった。今は何もないただの地面に無造作に置かれている思い出に過ぎず、輝かしいモノのはずなのに目を背けてしまう。

 

 唯一すぐには手放せなかった水の入った袋をぼんやりと眺める。赤く小さい金魚が相変わらず好きなように泳いでいるが、その世界は少し窮屈そうに感じた。早く帰って水槽にでも移してあげなければ。

 

「なぜ、凛世は……このようなことを……」

 

 

 誰に届くわけでもない呟きが漏れて閑散とした墓地に虚しく散っていく。墓石に生えた苔は根元から徐々に浸食をすすめ、いつしか全体を覆い尽くすだろう。自分の心も苔のような不安に覆われ、押し潰されて諦めてしまう日がくるのかもしれない。

 

 逃げてきてしまった。夏葉や樹里に手伝ってもらって勇気を得たと思っていたのに、伝えられないのは嫌だからいつか必ずと覚悟も決めたというのに、全部蔑ろにして葬り去ってしまったのだ。

 だって分かってしまったから。結局自分はアイドルであり、職業柄一緒に居るだけの人物で、他意は一切ないと認識されていることが。どれだけ想い焦がれて憧れようと、結局は叶わない恋であることを理解してしまったから。今日だってきっと、精一杯の想いで誘った祭りすら、「ただそういう付き合いでしかない」のだということを。

 

 諦める、いやそんな考えは浮かばない。何年も届かず叶わないとしても自分は永遠に、何度でも彼に恋をする。だからこそ辛いのだ。

 思い返せば今まで何度もこんなことがあった。自分の気持ちは迷惑になるだとか、邪魔な存在なのではないかとか。春には果穂にもプロデューサーにも励まされ、そうして今度は夏に思い悩んでいる。難儀な性格だと、自分で自分を嘲笑してしまいそうだ。

 

 虚しさ、苦しさ、切なさ、痛み、憂い、陰り、曇り。

 恋とは前途多難である。生まれも育ちも考えも、何もかもが違う人間二人が同じ想いを抱えなければ成立しない。しかし片想いは苦しく、辛いことばかり。もしかすると恋に向いていないのではないか、いちいちこんなことを気にする心さえなければ、自分は彼や周りに迷惑をかけることなくアイドルとして活動できるのではないか――正解が分からない。問いかけても全て虚空に吸われて消えてゆく。やるせない心と同じように、全て夏の夜に溶けて消えていくのだ。

 

「……恋とは……なんなのでしょう」

 

 遠くで愉快で軽快な音が響いている。あそこには楽しさも幸せも暖かさもあった。逆にこの場所には何もなく、闇を照らす月明かりすら心を刺してくるほどだ。

 ふいに凛世は、眼前を漂う光の粒に目を奪われた。闇夜を照らすこともできないほど弱々しく淡い光がふらふらと舞い、懸命に輝こうとしている姿――蛍だ。

 

「あなたは、どちらへ向かいますか」

 

 か細く強い意志がこもった光に、まだ収録されていない台詞を投げてみる。虫に言葉が通じる筈がないのはわかっているが、今は話し相手がほしかった。

 しかしこうして口を動かしていると気を紛らわすことができるような気がして、続ける。

 

「……いつまで、こうしていれば良いのでしょう」

 

 答えはない。

 

「この心が届かず……いつになれば、理解してもらえるのでしょうか」

 

 答えはない。

 

「実は、楽しんでいるのですか」

 

 答えはない。

 

「私の心を見て見ぬふりをして。もう十分でしょう? 貴方の気持ちが、知りたいのです」

 

 答えはない。答えはない。答えはない。答えはない。答えはない。答えはない。答えはない。

 何を何度言ったところで答えはない。これが物語ではなく自身の台詞で、伝えたい人に伝えられる気持ちのすべてであったのなら違ったかもしれないが、臆病な心から引き出せる言葉はもうなくなっていた。

 一通り言い終え少しだけ気分も落ち着いた、これ以上虚しさが増す前に、金魚が苦しくなる前に、帰ろう。

 

「――ここにいたんだな」

 

 帰ろうとした瞬間、背後から声をかけられてゆっくりと振り返る。その声を聞いただけで心臓が跳ねてしまうのを自覚し、本能に忠実な心に呆れてしまう。

 青い浴衣。頭にかけた狐のお面。ゴムひもが伸びきった水風船。蛍より強く光る電球ソーダ。機械の入った箱。そして、袋の中を泳ぐ金魚。夏祭りの楽しさが具現化したような出で立ちのまま、彼は確かに其処に居た。

 

「ごめん、凛世。俺のせいで折角の祭りがこんなことになってしまって」

 

 口から出る言葉は切れがよく、しっかりと耳に入り込んでくる。首筋を伝う汗や乱れた吐息で、彼がどれだけ全力を尽くして走ったのかが分かった。けれど時間は然程経っていないことを考えると――

 

「どうして、凛世がここにいると……お分かりになられたのでしょうか……」

「なんとなくというか、ほとんど勘だった。今の凛世がどこに行くかって考えて、ここじゃないかと思ったんだ」

 

 祭りを抜けだして墓場に来る者などそうそういない。それだけ考えを読みとられたということか。

 それならばこの恋心にも気付いてくれればいいのに――と良くない感情が浮かび、俯く。想いが伝わるだけでは駄目なのだ。想いを伝えるその先を望んでいるというのに、成就しないことを恐怖している、叶わない恋を恐れている状態で、伝わってはいけない。

 結局は失恋という未知なる魔物が怖いだけだと、心を蝕む痛みに涙がこぼれた。頬を伝う一筋の水滴はひどく冷たい。

 

「り、凛世!? 泣くほどだったのか……本当にすまない」

「いえ、プロデューサーさま、凛世にも理解出来なく――」

「訂正させてくれ」

 

 言葉を遮って神妙な面持ちで、彼は一歩前に出た。

 

「凛世のことを俺は仕事仲間って、さっきのあいつらに言った。けど言い方が悪かった。悪過ぎた」

 

 もう一歩、もう一歩前に出て、徐々に歩み寄る。距離を詰められ、相変わらず高鳴る鼓動と若干の恐怖に身動ぎしてしまう。視線は彼の真剣な表情に吸い込まれて離れない。

 

「凛世は俺の仕事仲間だ。でもそれはただ仕事のときに一緒にいるだけとは、思ってないよ。辛いことも苦しいことも、楽しいことも嬉しいことも共有できて、色んな新しいことを発見していって、一緒に成長していける――そんな、かけがえのない大切な仲間だと思ってる」

「……はい」

「俺もさっき色々あってさ。俺と凛世の関係ってなんだろう、なんで俺は凛世に誘われたんだろうって。分かってないことがすごくたくさんあって、理解してあげられないことがいっぱいあって」

 

 持っていたものを全て丁寧に、下ろし、プロデューサーは此方の肩を両手で掴んだ。

 がっしりと、しっかりと。離れないように、離さないように。

 

「凛世は俺のことどう思ってくれているのか、まだはっきりと分かっていないけど……俺は大切な存在だと思ってる。今回誘われた時に、もっと真剣に向き合いたいって思ったよ」

「…………はい」

「不安にさせてごめん。けど俺は今日みたいに誘われたらすごく嬉しいし、なんというか……その、最近は、凛世と一緒にいる時間がすごく楽しいってよく思うよ。だから良ければ――そうだな」

 

 手を離して、恥ずかしげに顔を少し逸らして言う。誘った時にも似たような表情を見たが、彼が気恥ずかしさから頬を赤くする姿はかなり珍しい。そんな顔が愛おしくて、狂おしいほど愛おしくて、先程まで悩んでいたことや苦しんでいたことが嘘みたいに吹き飛んだ。

 そうだ。好きだから、一緒に居たいのだからそれでいい。きっと今はまだ振り向いてもらえないけれど、いつか想いが届いた時、彼からも同じ想いを貰えるように頑張ればいいのだ。彼は自分のことを大切におもってくれている――なぜこんな簡単なことが分からなかったのだろう、ただの仕事仲間で割り切れるほど淡泊な関係ではないことくらい、凛世自身が一番理解していたはずなのに。

 それとも、プロデューサーの言葉を聞いて初めて理解出来たのだろうか。浅い関係で簡単に断ち切れてしまう縁で、自分は何とも思われていないのだと、消極的な思い込みをしていたのは自分のほうなのかもしれない。

 

 しかしもうどうだっていい。

 杜野凛世はプロデューサーのことが好きで、想いが届くまで、いつか想いが実るまで待ち続けるのだ。

 その事実さえあれば、他は何にもいらない。少なくとも今はそれだけで十分。

 

「まだ祭りが途中なんだ。これから花火もある。俺と一緒に最後まで付き合ってくれないか?」

 

 だって、慎重に言葉を選んでくれる彼のことがこんなにも好きでたまらないのだから。

 それで十分だ、それ以上を望んだらきっと、幸せで身が張り裂けてしまう。少しずつ歩み寄っていけばいいじゃないか。

 

「はい、プロデューサーさま――では」

「えっ、ちょ、ちょっと、凛世?」

 

 直立したままふわりと前方に倒れ込むような形で、目の前の胸に飛び込んだ。両腕を背に回して少し力を込めて抱きしめる。強固な胸板がとても頼もしく、柔らかで薄い浴衣の生地が良い肌触りをしていた。香るだけで心臓が破裂しそうなほどの興奮を覚える彼の匂いが鼻孔をくすぐり、あらゆる方向から幸福が押し寄せてきて脳が麻痺しそうになる。

 

「ど、どうしたんだ凛世……?」

「こうしていたいのです」

「え?」

「花火の時間まで、暫く。こうして……密着していたいのです」

 

 顔を押し付けたままくぐもった声で答え、安堵で再び流れる涙を見られまいと誤魔化す。頭上では慌てふためいた彼の声がする。上擦った声音からして、きっと顔はさっき以上に赤く染まってくれているに違いない。もう少ししたら照れている様子をしっかりと視界に収めよう。

 万感の思いを胸に、凛世は目の前にある大好きな存在を強く抱きしめ続ける。多分まだ想いは伝わっていないし、おそらく彼の中では「尊敬されている」程度の認識に落ち着いていると思うけれど、そんなことはもう、どうだってよかった。

 

「貴方さまが、凛世をお傍に置いてくださるのなら……それだけで凛世は、世界一の果報者で、ございます」

「~っ、この場合はどうしたらいいんだ? 今どういう状況なんだ?」

「花火待ち、です。それまでは……凛世の頭を撫でてください」

「頭を撫でるって。なんで……こう、か?」

 

 頼んだ通り、頭部を覆う大きな感触が広がる。それから優しく何度も撫でられ、凛世は何度も最上級の幸せを噛みしめて笑みを浮かべた。

 これが幸福。もっと味わいたい――もっと、彼の心を知りたい。

 一度出た欲望は戻せない、引っ込みのつかない思いは叶うまで消えることはないだろう。

 

(夏葉さん……凛世はこれから……より一層、精進して参ります……)

 

 その後凛世は三十分近くプロデューサーを抱きしめ続け、花火が始まる時間には後からくる恥ずかしさで、燃え尽きそうなほど顔を真っ赤にしていた。夏の夜に広がる花火を見る二人には、反動で妙な距離があったという話だが――もう問題は起こらないだろう。

 

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