カタナ、閃く   作:金枝篇

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紫電の記憶

 ――それは、今から二年ほど前の、話。

 

 「ちっ……! その辺の下っ端かと思っていたら中々鬱陶しいじゃない……! そこっ!!」

 「……………」

 

 頬を掠める紫電の一撃。繰り出される雷撃。

 かすかな痺れを無視して、私は動く。

 

 相手の方が速く、気配を読む術も上だ。

 限りなく気配を消しても下手に動けば捕まる。そして捕まるという事は無力化されるという事だ。それだけは避けねばならない。

 既に一緒に行動をしていた面々は戦闘不能。

 残りは私一人。援軍が来るまでの時間は分からないが、私がここで無力化されてはならない。

 だが様子を見続けているだけではいけない。相手は私を潜り抜けて先に進んでしまうだろう。

 だから、標的として振る舞わなければならない。出来る限り足止めをしなければならない。

 

 「―――――」

 

 音を立てず、ただ彼女へと刃を放った。

 投擲。飛苦無(とびくない)だ。色は黒。闇に隠れる鋼。

 視界が限定される薄暗いトンネルの中、オマケに煙幕も焚いている。

 しかし彼女は、容易くその攻撃を避ける。

 そして刃が飛んできた方向に、銃と身体を向けて。

 

 「! フェイント……っ!」

 

 ()()()()()()()()()()

 刃が投げられた方向に私が居たのではない。

 彼女、サラ・バレスタインを挟撃するような位置取りから、私が()()()()()のだ。

 それを恐らく軌道と、背後で動いた風の流れから悟った。

 

 一瞬で身体を反転させ、背中を向けていた方向に連続して弾丸を射出。

 当然、そこには引き寄せた獲物を、再び投擲しようとしていた私が居る。

 

 (――回避、不可能)

 

 結論が出た私は、回避を諦め、迎撃に切り替えた。

 手に握っていた飛苦無を、引き寄せるためのワイヤーごと、敢えて空中に放り投げる。

 最後の瞬間、ワイヤーを指先で弾いて撓らせ、軌道を不規則に変化。

 まるで網の様に動いたワイヤーが、迫る弾丸に触れる。

 

 バシン! と爆ぜるような音がした。

 弾丸が纏っていた紫電が、ワイヤーを経由して周囲に伝導。周囲の壁に炸裂。

 銃弾は、側面からの衝撃に弱い。ワイヤーに引っかかったそれらも、四方八方に分散。

 体を掠めていく。幾つかが肌を裂いた。

 致命的に命中しなければ、良い。

 

 「痛みは、無視。戦いは可能と判断……。戦闘、継続」

 

 呟くように現状を確認。

 周囲には倒れた同僚(肉の盾)が転がっている。ジェスター猟兵団の雑魚なら、所詮はこんなものか。

 ここはさる地下道の中。ノーザンブリアからエレボニアに向かう途中にある通路の中。

 帰省中の彼女は、危機を聞いて必ずこの道を通る。その判断を元に、罠を張った。

 その狙いは的中し、私はここで彼女を足止めしている。

 ……私以外の全員は、とっくに戦闘不能というのは、笑えない。

 

 サラとの距離を測る。相手の方が早く、射程も長い。

 踏み込んだらアウト。此処で踏み込めば彼女に捕まって拘束される。

 下がってもアウト。下がると遠間から削られて追いつめられる。

 であれば、取れる方法は一つ。

 

 「……――ゥ」

 

 す、と無音のまま息を吸いながら、その場で姿勢を変える。

 動かない事だ。張ったワイヤーに指と脚をひっかけ、僅かに呼吸を整えると同時。

 ()()を吹いた。

 

 「! ……嫌な事してくれるじゃない……!」

 

 ひゅっという風切音と共に、一直線に進んだ()()

 彼女は、首を軽く傾けて避け、背後の壁にぶつかってカランと落ちた、()()を確認し、憎々しげに罵声を吐きだした。

 

 何をしたのか?

 戦闘で口の中に溜まっていた唾液を吹いたのだ。彼女の弾丸と一緒に。

 それはダメージこそない。だが『挑発』という意味では十分だ。

 誰だって自分のした攻撃に対して、ツバを吐かれたらイラっとする。

 しかも回避しなければ目に命中し、視界を一時的に奪っていただろう。

 

 ――それが狙いだ。

 

 返事は、刃だった。

 視界の中、サラ・バレスタインが加速して、迫る。

 眼で辛うじて追える中、私が取れるアクションは少ない。だから出来ることを、少しだけ。

 仕込んでおいた第二の煙幕を張り、相手の視界を遮る。

 互いの姿が煙に消える中、私は相手の動きを見た。

 

 (――流石は最年少の、A級)

 

 片手のナイフで、彼女の動きを牽制していたワイヤーが断ち切られていく。

 微かな腕の動きだけで、瞬く間に進路妨害用の糸は無効化された。

 踏み込んでくる。

 斜めに。

 ()()()()()

 

 (床を踏まないで接近とか、化け物だ)

 

 少々挑発が強すぎたかもしれない。

 右の壁、左の壁を足場に、まさに迅雷の如く。

 ワイヤーを斬る剣が、側面を向く。その側面で空中を薙ぎ払い、煙幕を断ち切っていく。

 持っている飛苦無を彼女へと投擲するが、それらを全て回避するか、撃ち落とされていく。

 

 (――ここじゃ不味い)

 

 一度に幾つもの攻撃を此方に繰り出してくる。

 ナイフで煙幕とワイヤーを無効化するだけでなく、雷を宿した銃弾で壁や床に穴を開け、転がっている猟兵達を電撃で強制的に動かし、私の動きを封じていく。このまま此処に居ては逃げ場すら失うだろう。

 向こうに読まれていることを承知で、私は前に出る。

 彼女は、天井を蹴った。私が前に出るよりも早く、彼女の脚が見える。

 進行先にある彼女の足に、自分から突っ込んでいく形。威力を抑える為、速度が乗るよりも早く踏み込み、受け止めるしかない。そうやった。

 ――弾き飛ばされた。

 

 「せぇいっ!!」

 

 天井にあった僅かなでっぱりを掴み、彼女は身体を支えていた。

 そして振り子の要領で、私の方へと蹴りを放った。威力を殺しきれず、私は下がる。

 先と同じ場所に。

 其処に、今度こそ――落下の速度が重なった、強烈な振り下ろしが、襲い掛かった。

 

 「……――っ!」

 

 タイミングを失った私は、彼女の攻撃を真正面から受け止めるしかない。

 両腕を咄嗟、頭上で交差させる。二つの直刃、小太刀は収納。この速度で蹴られたら折れる。

 衝撃の瞬間に合わせ、膝と腰を緩め――。

 同時、仮面を外す。

 

 「……若、い……!?」

 

 上から襲いかかった衝撃を受け、比喩ではなく、一撃で私は地面に叩きつけられていた。

 勢いが強すぎて殺しきれなかった。

 それでも何とか呼吸が出来て、意識があるのは、彼女が僅かに勢いを緩めたからだ。

 私が――私が、まだ10幾つの子供だと知って、本気での攻撃を一瞬だけ緩めた。

 

 だから耐えきった。

 今の今まで自分の姿を、強化装甲服で誤魔化していた甲斐があった。

 そして耐えきれたのならば。

 

 「……アハハ、……もう少し……付き合って、貰うよ? サラ・バレスタイン……?」

 

 私は、嗤う。

 額から血が流れている。そのぬるりとした感触を感じながら、私はゆっくりと立ち上がる。

 がんがんと耳の奥で悲鳴が上がる。腕の骨が軋んでいる。体中が震えて燃えている。

 ああ、痛い。

 痛い痛い。痛い。痛いなあ。と他人事のように思う。

 今の一撃で普通に体力を半分以上は持っていかれた。脳内が混乱し、耳元の音が狂い、向こうの言葉もとぎれとぎれで、視界はちょっと歪んでいる。だけど、まだ戦える。

 

 まだ私は任務を全うできる。

 頭の中で、言葉が響く。

 

 ()()()喰らえ。ならば牙を以て相手を食い破れ。

 《蛇》の名の通り、その咢の中に獲物を仕留めるのだ!

 

 「……あはっ」

 

 私は嗤った。口元を歪め、身を低く下げ、全身をくねらせるように弛緩させる。

 それは恰も、蛇が構えを取るような姿勢だ。

 

 「……あはっ……!!」

 

 きっと邪悪な顔をしていたのだろう。きっと狂ったような顔をしていたのだろう。

 目は爛々と輝いて、己を省みず、ただただ「任務」を全うするためだけに動く『道具』。

 ぞわりと蠢いた髪が、目の前の女性を――ほんの少し、やりにくそうな顔をしたサラ・バレスタインを――捉えて。

 私は、彼女に向かって牙を抜く。

 

 二つの小太刀を抜き放った私は、彼女へと躍りかかった。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 ――そこで、目が覚めた。

 

 小鳥の囀りが響く中、時計の針は6時手前。目覚ましよりも少し、早起きだったようだ。

 目を開けて見えたのは、やっと見慣れてきた天井。

 枕元には、寝る直前まで読んでいた『イストミア異聞』。

 クロスベルで受け取った、表紙を意図的に消したままのタイトルの古書だ。

 

 ああ、さっきのは夢だったのだ、と認識する。

 ほんの二年。言葉にすればたったそれだけだ。

 たったそれだけの間に、幾つもの事件があった。

 

 ……人間、過去に何があったのかを変える事は出来ない。

 過去に残した傷痕は、必ず未来に届く。望もうと望まざろうと、だ。

 

 「……良い気分じゃ、ないね」

 

 ベッドから起き上がって、べっとりとした寝汗を拭う。

 軽くシャワーを浴びておこう。服を脱いで洗濯籠へ投げ入れ、そのまま蛇口を捻った。

 冷たい水で、頭の中が冴えていく。

 

 「サラ教官。……そうだね、まさか、サラ・バレスタインが教官になるなんて『空の女神(エイドス)』様は、意地が悪い」

 

 ざあざあと流れる水を肌で感じながら、私は自嘲する。

 全く持って自業自得だ。恨みたいのはサラ教官の方だろうに。

 紺色の髪と、白い肌が、濡れていく。

 過去に思いを馳せた。

 

 

 《身喰らう蛇(ウロボロス)》という組織がある。

 このゼムリア大陸で暗躍を繰り返す組織。簡潔に『結社』と呼ぶ人間も居る。

 一般人は知らずとも、ある程度以上に世界情勢に精通している人間ならば知る、秘密組織。

 歴史はそこまで古くない。しかし浅い歴史の割に、大陸への関りは非常に深い。

 

 時として結果的に利益を生むこともあるが、大体の場合は『黒幕』だ。

 様々な事件の裏で暗躍し、多様な犯人達を手助けし、同時に自分達の目的も達成する。そんな秘密組織。

 私、カタナ(エカターニャ)・N・アルビーは、その一員だった。

 

 一員と言っても、別に特段、優秀だったわけではない。

 優秀という意味ならばヨシュアさんやレンちゃんの方が遥かに優秀だった。

 彼ら彼女らは『執行者(レギオン)』という立場を得て、番号(全部で22個ある)と二つ名を持って、活躍していた。……暗躍やら暗殺やらテロ行為を『活躍』と呼んでいいのかは、ちょっと疑問だが。

 ともあれそんな優秀なエージェントの皆さんに比較して、私はその見習いだった。

 『執行者候補生』という奴だ。

 

 『執行者』になるにも幾つかのパターンがある。

 一つは既に優秀な才能を有している場合、そのままスカウトを受けて任命されるパターン。

 ヴァルターさんとか『月光木馬團』の皆さんとか、そういう組織がそのまま『結社』に取り込まれてエージェントになる場合がこれだ。

 例のマリアベル嬢、IBCがクロイス家も勧誘を受けている組に入る。

 

 もう一方が、養成されて就任するパターン。

 『結社』に加わったり拾われたりしたが、力が足らず鍛錬を重ねる必要があったり、才能があってもそれを十全に発揮する手間が必要だったりするタイプだ。

 ヨシュアさんや、あのレオンハルトさんだってこのルートである。

 彼らの場合、凄まじい勢いで『執行者』に登り詰めたが、それでも養成機関時代はあった。

 ……そう言えば《教授》こと《白面》ワイスマンは、エステルを勧誘したらここに入れるみたいな話もしていたか。

 兎に角、私は修行中の身だった。そして修行中の身から抜け出せないままだった。

 記憶がある幼い頃から私はずっと《蛇》に居た。10年以上は在籍していた。

 

 だけどその10年間、延々と『執行者候補生』。

 それだけで、私の才能の無さが分かるという物だ。

 

 

 シャワーの水を止め、タオルで身体を拭いた後、丁寧に髪を乾かす。

 同時に櫛を通し、先端部近くを補助導力器のブレスレット二つで止める。

 下着と制服を着こんで、鏡で自分の顔を見れば、寝起きよりはマシな顔をしていた。

 ……少し、誤魔化すか。

 

 

 「……そう言えば、化粧の方法を教えてくれたのは、ルシオラさんだったっけ、な」

 

 特別な化粧ではない。ほんの少しだけ、目の下にある隈を隠す程度に。

 恋愛に関する相談を除けば、ルシオラさんは常識人だった。

 色香もまた女の武器の一つだよと、教えてくれたものだ

 私が大きくお世話になった女性は二人。ルシオラさんとクルーガーさんだ。

 

 (そのルシオラさんも……リベル・アークでの戦いの後、……消えてしまったし)

 

 士官学院では、余りけばけばしいのは歓迎されない。知っている範囲で、割と美容に気を使う生徒と言えばヴィヴィさんくらいだが、それでも殆どナチュラルメイク。

 肌荒れや唇に注意するくらいが精々。私もそれくらいに留めておこう。

 

 

 『執行者』の皆さんとは、それなりに付き合いがあった。

 見習いだったが、色々と教わった。少なくとも、玩具なギルバートよりは雲泥の差だと思う。

 指導内容は多岐に渡った。戦いに関することがあれば、勉強を教わったこともあれば、こういうレディの嗜みを教わりもした。

 『色々教えると反応する面白い小娘』くらいの扱いでは、あったのだろう。

 

 加えて『使徒(アンギス)』――つまり『執行者』の上に居る、『結社』最高幹部の面々にも、それなりに会話したり関わったりする機会があった。10年選手だから、それなりに機会は多かった。

 ノバルティス博士とかは、実験材料以上の興味はなかったようだけど(ゴルディアス級の神経制御の適合実験にも連行されたが『全然役に立たない』数値だったと語っておく)。

 

 そうして10年育成をされている間に……まあ、色々あった。

 《D∴G教団》の拠点を壊滅させたりとかもした。

 そういう「色々」の中に、二年前の事件がある。

 

 

 鞄の中身を確認する。今日は『自由行動日』。特別に持っていく物はない。

 手帳、ARCUS、その他に身の回りの財布や筆記具なんかを確認して、自室を出た。

 丁度アリサが同じタイミングで出てきたので、挨拶をする。彼女はラクロス部に入ることを決めたそうだ。運動部ということで、朝ご飯をしっかり食べていくとの事。一緒にどう? と誘われたが――さっきの夢だ。食欲がなかったので、伝えて断った。

 

 

 当時、ワイスマンがあれこれと謀略を重ねていた。

 その中に『エレボニア帝国における遊撃士協会を麻痺させよ』という作戦があった。

 大まかな使い捨ての駒として《ジェスター猟兵団》をカンパネルラさんが指揮したが、私はそこに同行していた。支部を地下から盛大に吹っ飛ばし、解決に搬送する遊撃士達を倒していった。

 当時の帝国遊撃士は、流石に巨大国家の中だけあって、非常に優秀な人材が揃っていた。

 そうした人々に動かれては、あっという間に混乱は収束してしまう。

 それは『結社』にとっては防がねばならない出来事だった。

 

 『結社』としても。後()()()()()()()()()()にしても、遊撃士は邪魔だった。

 『民間人の保護を第一』に掲げ、どんな政治的理由も「知るか!民間人が大事だ!」で行動してしまう遊撃士は目の上の瘤だった。だから何としても排除をしたかった。

 

 事件解決に、リベール王国から《剣聖》カシウス・ブライトが飛び込んできたが、それすらも以後の帝国における『遊撃士の脅威』を認識させると共に、リベールの騒動から彼を引き離すことも組み込んでいたのだから、ワイスマン――性格が捻じ曲がった『()()()()』の悪意には感心する。

 

 かくして作戦は決行された。

 そして私は――当時の最年少A級遊撃士:サラ・バレンスタインと、対峙したのだ。

 彼女は故郷ノーザンブリアに帰省しており、事件を聞いて慌てて戻ろうとしていた。

 適度に協会を吹っ飛ばした後、移動をして、彼女を妨害する。

 それが私に課された、その時の命令だった。

 

 

 トリスタの街に出て、士官学院へと歩く。

 あの頃からは考えられないほど、私は平和な場所に居る。

 ライノの花もそろそろ散り始めていた。風に青く染まった花吹雪が舞っている。

 朝食を食べる気力はなかったが、何か口寂しい。鞄を漁って、飴玉を口に含む。これは……珈琲だ。かすかな苦味が口に広がっていく。今の気分に、ぴったりの。

 

 

 戦いは私の圧倒的劣勢だった。どんなに頑張っても勝ち目はなかった。

 だから私は兎に角、時間を稼ぐことを頭に入れて戦った。

 えげつなく、嫌らしく、鬱陶しく、何処までも神経を逆撫で、判断力を鈍らせ、時に己の命を捨てるような戦い方までして、時間を稼いだ。稼ぎきった。そしてその稼いだ時間で、援軍が追い付いた。《死線》、あるいは《告死戦域》とも呼ばれる『執行者(尊敬している先輩)』が来るまでの時間を。

 

 その決戦を見届けることも無く、私はその場を離脱した。

 そしてそれからはリベールに入って――うん、まあ、続きはまた今度話そう。概要だけ言うならば、そのリベール入りの後、エステル達に出会って、心が変化して、今に至る。

 

 私は、その時から――自分で言うのもなんだが、成長をしたと思う。

 弱くなったが、私はあの時の自分よりは、今の自分の方が好きだ。

 

 ただ、それで私がやったことが帳消しになるわけではない。

 サラ教官に対してしたことが許されるわけでは無い。

 そのしっぺ返しは、どっかで必ず支払う事になる。

 

 サラ教官に怒りのまま撃たれ、斬られる。

 入学式のオリエンテーションで、彼女が教官だと知った時から、覚悟している事だ。

 それは……私が背負わねばならない、逃げてはいけない事だ。

 

 4月18日。日曜日。『自由行動日』。

 私は心の中と同じ味をする苦みを、歯で噛み砕いた。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 「うふふ。それじゃあ、まず話をしながらでも、ちょっと占いでもしましょうか」

 

 由来は定かではないが、アルカナというカードの名前は、一説には『机の引き出し』転じて『隠されている物』という意味を表す単語ARCANUMから派生したそうだ。

 全78枚。最も基本的な占いで使われるカード枚数は22枚。

 シェラザードさんはよくシャッフルした後で五枚を並べる方法でやっていた。

 枚数が多いと読み解くのは難しくなる。逆に枚数が少ないとシンプルでこれまた意味を捉えるのが難しくなる。時と場合で差は出るが、初心者は4枚くらいから、中級者上級者は7枚から10枚くらいまでを使ってやるのが一般的らしい。ベリルは全て出来るそうだ。

 

 「今は、簡単にやるわ……。はい、2枚引いて。その後、上下を決めてね」

 

 私の顔色が微妙に良くない事を悟ったベリルがしたことは、気分転換も兼ねての占いだった。

 薄い化粧で隠してもいたのだが、『意気消沈してるわよ』と一発で見抜かれてしまったのだ。

 

 机の上に裏向きでざーっと広げられたカードから、私は2枚を選ぶ。

 私が選び、上下を指定したカードを受け取って、ベリルはそれを表返した。

 

 「1枚目が《魔術師》の正位置。2枚目が《塔》の逆位置。……1枚目は簡単ね。貴方は今、物事の始まりに居る。あらゆる可能性があり、出会いが待っている。しかし――2枚目はこう続けているわ。それはじわりじわりと崩壊に進んでいくのと同じである……」

 

 《魔術師》か。『執行者』のNoⅠか。マクバーンさんか。

 外見こそちゃらちゃらして不良っぽいけど、話は出来るし常識的で、紳士的なんだよね。

 そう言えばリィンにちょっと雰囲気が似ているかもしれない。

 

 ……カードの意味は、よく分かる。

 《魔術師》。入学式で皆と出会い、これから新しい可能性を歩んでいく。

 《塔》。だがそれは同時に()()()()()()()なのだ。誰かを傷つける道なのだ。

 主に私の過去とかが原因で。結社とかが暗躍することで。

 

 「カタナ、ものすごーく心当たりがありそうな顔をしているわね。……じゃあ次」

 

 やはり私の顔色は隠すまでもなく、雄弁に内心を語っていたらしい。

 ベリルは残った20枚を再びシャッフルし、その中から適当に1枚を引いて見せた。

 

 「助言はこう語る。《力》の逆位置。無謀な事で自信を失うだろう。然らば一人ではなく仲間と乗り越えるべし……。正解しているんじゃない? 貴方へのアドバイスになるか、それともならないのか、曖昧な意味でしかないけど、部員へのフォローはしたいからね……うふふ……」

 

 ……言いたい事も、分かる。

 

 「……そ、それを全部、素直に出来るなら、私は……楽なんだろう、けど」

 「そうね、人には色々あるわ。だから私が力になれる事は力になる。……文芸部に入部した貴方のお友達や、園芸部の女の子や、リィン・シュバルツァーになら、頼って良いんじゃない?」

 

 そこまでダイレクトに私が頼れそうな人間を的中させるのも明らかに異常じゃなかろうか。

 しかしベリルがやると「ベリルならあり得る」と思ってしまえるのも恐ろしい。

 

 私はあれからすぐにオカルト研に顔を出していた。ベリルも既に登校していて、紅茶を片手にのんびり朝ご飯のクリスピーピザ(《キルシェ》名物)を食べていた。

 メンバーは私とベリルの二人きり。どちらも一年生で、設立したのもつい一週間前。

 だから他の部活動より、幾分気楽だ。

 話をしながら紅茶を飲んだら、少しばかり気分が落ち着くのが分かった。

 

 「なんとなく気になってね……園芸部から、ハーブを少し戴いて来たわ」

 「……き、気を使わせちゃったかな」

 「お礼はフィーさんとエマさんにね。私は二人から話を聞いて混ぜただけよ」

 

 早めに登校したのもその準備だったから、と彼女は微笑む。

 参ったな、本当に気を使わせてしまったらしい。どっかでお礼をしなければいけないだろう。

 今日のランチでもと提案をしたら、ベリルは怪しく笑って頷いた。私がそう言いだすのは分かっていたわ、と返事が来る。今日の昼食は何も準備をしてこなかったらしい。

 

 よ、読まれている……!

 驚いたけれども、少しだけ、素直に笑えた。

 お陰で私の精神状態は大分回復した。やはり悪い夢は、良い現実で修正するのが一番だ。

 改めて心の中で感謝をしよう。

 

 アリサと別れた時、台所ではサラ教官が食事をとっていた。

 朝から健啖家振りを発揮していた彼女を、見た限りでは様子は何時も通りだった。

 夢が早々に的中することも無かろう。

 少しは時間がある。何かを考え、実行するまでの猶予はある。

 

 「さて、それじゃあラジオ放送の話よ。昨日、貴方に大体のプロットを見て貰ったし、トリスタ放送局まで足を運んでみると良いんじゃない? 向こうには大体話が通っているわ。挨拶も大事でしょう?」

 

 うふふと笑ったベリルは、昨日、互いに確認した資料をすすっと差し出した。

 昨日、ジェニス王立学園の怪談を互いにチェックして『良く調べたな』と思いつつ『怖いわ』と思った。二重の意味で。怪談は怖いし、ベリルの動きの速さも怖いわ。

 

 時計の針は、まだ10時を少し回った辺り。午前中のうちに放送局に行って、自己紹介とか大まかな話を聞いてしまえば、午後は空き時間が出来る。

 いってらっしゃい、と見送られて私は席を立った。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 エレボニア帝国におけるジャーナリズムは中々複雑だ。

 

 もっとも有名な『帝国時報』。

 歴史が古く、国民に広く読まれており、帝国全土、どこに居ても読むことが出来る。勿論発行部数も帝国一位だ。ただその分、色々とハードルがある。

 具体的に言えば、帝国の批判が出来ないのである。

 

 非常に多くの目に触れる為、刺激をする内容を書くことが出来ない。

 他国の批判(特に共和国への風当たりは凄く強い)、自国への賛美、また祝日や記念祭・国際的行事における活躍、あるいは帝国を揺るがす「悪」――テロリストのみならず反帝国主義者など――への批判記事はしっかりしている。

 その一方で『鉄血宰相』オズボーンを始めとする改革派への批判、《四大名門》ら貴族への批判、そうした物は中々書かれない。大々的な検閲が入っている訳ではないのだが(ゼロとは言わない)新聞社側が気を使って書かないのだ。忖度という奴である。

 

 その一方で、部数は余り多くないが『革新派』『貴族派』に偏った新聞もある。

 これまた面倒くさい新聞社だ。自分の勢力を誉め、相手の勢力を批判する。

 正当な批判や、裏付けを取った記事もあるのだが、一歩間違えれば偏向報道になりかねない側面があり、ゴシップ記事が混ざっていることも多い。これらのバックには勿論、革新派/貴族派が付いているので、殆どネガティブキャンペーンの模様を呈している。

 

 因みに一番賢い情報の確認方法は、帝国時報を買い、革新派と貴族派の新聞をそれぞれ買い、出来るなら中立国家(リベールとかレミフェリアのね)の新聞も複数購入し、それらを比較して客観的な判断をするプランである。

 私はそうしている。

 トリスタ放送局は、そうした色々な柵から逃れようと設立された局だ。

 

 「ご、ごめん下さい……。士官学院のオカルト研究部から来ました……」

 

 少し緊張して中に入る。

 内部は意外と広い。室内の四分の一が、スタジオというのか。パーソナリティがラジオを読む場所と、それを発信する機械が置かれた部屋がガラス越しに見えている。残った四分の一が受付だ。

 それ以外は、普通に生徒が入っても良いようにと椅子や掲示板が置かれていた。

 こういう建物は部外者の立ち入りを禁止しているイメージがあったが、ここは割とフリーらしい。実際、平民の男子生徒が掲示板を丹念に眺めていた。

 

 受付で用件を伝えると、女性(ララさんと名札があった)はすぐに頷いて、責任者を呼びに行ってくれた。仕事があるので数分だけ待っていて欲しいと言付けてくれる。

 

 ならば、と折角なので掲示板を見る事にした。

 どうやら設立まもない放送局とはいえ、既にある程度の人気は出ている様子。聞く人間が学生というならそれも頷ける。若者は反応が速い。

 多分、若者向けの色んな番組(音楽番組とか俳優の情報とか運動大会の中継とか)もやっているのだろう。掲示板にはリスナーからのネタや採用葉書が展示されている。

 

 「えーと……めんどうくさいラジオ……、キセキラジオ……、なんか変わった内容のもあるんだね。……で、ええと、あ、これ予告がある。新番組が2つ……?」

 「そうなんだよ……!」

 

 私の隣で掲示板を眺めていた彼が、突如として反応した。ちょっとびっくり。

 そ、そうなんですか? と尋ねてみると、そうなんだよ! と妙に早口になって語り始める。

 横目でララさんを見ると、「ああ、また始まった」と苦笑いを浮かべている。どうやら彼はかなりコアなラジオファンらしい。新しい番組が楽しみという以上に、ラジオが好きな同好の士を発見できたことが嬉しいのかもしれない。

 

 彼:ムンク氏は、ちょっと引いてる私に頓着せず詳しい話をしてくれる。

 それで大体の事は分かった。ここを毎日訪れては放送局の手伝いまでしているようで、このままトリスタ放送局に就職でもしそうな勢いである。

 だがお陰で事情も分かった。

 新規枠の片方が私達『オカルト研究部の枠』。

 もう一つは、放送局の肝入りの『新番組』ということか。

 私の事情を話すと、そちらにも反応をしてくれた。楽しみにしてるよ、だそうだ。

 彼、割と視聴者としてはコアだろうから、評価を聞ける相手が増えたと思っておこう。

 

 さて、やって来たディレクターさんは、黒髪の中年男性、マイケルさん。

 フリースペースの椅子に向かい合って座り、こちらも自己紹介をする。

 そしてベリルから渡された封書を手渡す。

 中にあった放送内容のプロットを見て、彼は満足そうに頷き、言ってくれた。

 

 「いやあ、トールズとはいえ、学生さんだからどんな内容が来るのかな、と身構えていた部分もあったのだけどね、逆に驚かされたよ。ちゃんと番組にできるだけの構成になっている。それに、ベリルさんも、カタナさんも、良い声をしているね。静かに人に聴かせるには十分な色だ。こればっかりは生まれついての物、活用できるように私も力を振るわせてもらうよ」

 「ベ、ベリルに、伝えておきます……。それを作ったのは、彼女なので……」

 「いやいや、ラジオ番組もそうだけどね、何かを作るのには一人きりという訳にはいかない」

 

 マイケルさんは中にあった1回目のテーマを私に見せてくれた。

 内容は『学校の怖い話』。架空の学校と名義されているが、ジェニス王立学園に、トールズの裏話も多少混ざっているらしい。読んでいて非常に面白かった。

 

 「こちらの……白い幽霊、このネタを提供したのはカタナさんだと書いてあったよ。物語の構成、表現なんかは文芸部にも協力を依頼したんだろう。そうして何人もの生徒さんが協力をして番組を作っている。これは何も、番組だけに言える事じゃあない」

 

 マイケルさんは丁寧に私に言ってくれた。

 

 「元々私は帝国時報のデスクについていてね。その時の待遇は決して悪くなかったし、幸運にも何度か新聞社の賞を頂いたこともある。だが同時に、若かりし頃の熱が冷めていくのも感じていたよ……。帝国の中にあって、重要な記事を、意図的に我慢して差し止めるしかない事もあった。書くべきだと訴えても上司に握り潰されることもあった。それを恨んではいない。恨んでもしょうがない事だからね。だけど私は諦めきれなかった。そして独立して、此処に放送局を立てた」

 

 同じように諦めきれなかった人は居た。放送局を一緒に立ち上げたのは、同じ志のラインフォルト社の技術者さんなのだそうだ。そうして二人で資金を出し合い、施設と機材を揃えた。

 最初は誰も聞き手が居なかった。しかし二人は諦めず営業を続け、各地のパブやビアホールに導力ラジオを設置。音楽、スポーツ中継、報道番組などを配信し、ようやっと軌道に乗せたのだと語ってくれた。

 

 「その放送も、最近じゃあ『帝国時報』からの圧力を受けつつあってね。「公共の導力電波の独占」に関する規制が行われ初めてもいる。……相手が元の職場というのも皮肉なものだけど、同時に私は確信をしているよ。『私達の行動が正しいからこそ邪魔を受けるのだ』と。……番組を立ち上げるのも、政府や帝国時報への一種の抵抗活動なのさ」

 

 そしてそれらはマイケルさん一人では出来ない事。いろんな人間の協力で出来ている事だ。

 だから私も、ベリルが全部やってくれたことを恥じる必要は無い。出来る事をやれば良い。そいう風に語ってくれた。……私は話を聞いて、むしろ逆に、少し恥ずかしくなった。

 

 ――ああ、そう言う考え方もあるのか、と。

 

 「何かをしないと」と思っていた私だったが。

 「実はもう何かを始めているのだ」という視点は、新鮮だ。

 

 ベリルの占いが頭の中で繰り返される。

 

 ――「助言はこう語る。《力》の逆位置。無謀な事で自信を失うだろう。然らば一人ではなく仲間と乗り越えるべし……。

 

 ベリルは、この辺の事まで見抜いて私を放送局へ送り込んだのかもしれない。

 これは――お昼のグレードを上げる事にしよう。そう決めた。

 

 「第1回、いやこの場合は第0回かな? の放送は来月の頭になる。現場の空気に慣れる為にも、《アーベントタイム》に何回かゲストとして参加して貰った後での本番だね。ミスティさんには許可を取ってあるし、トーク内容も難しい事ではなく、インタビュー形式から始める。士官学院を見学してきました、という体で行うからね、リスナーもそこまで変な顔はしないだろう。生徒会長さんにも出てもらうしね。その後、五月末の日曜日に第一回目の放送という形だ」

 「わ、分かりました。では、それまで、定期的に、顔を出させて、いただきます」

 

 なるほど。つまりこの後何回か見学を挟み、五月の頭に第0回目を行い、五月後半に第1回目。

 リハーサルや練習期間は、ざっと一月ある。これなら焦る必要は無さそうだ。

 

 ぺこりと頭を下げた私に、マイケルさんは頼んだよと返してくれた。

 因みに話を盗み聴いていたムンク氏は、『更に熱心にファンレターを送ろう』と別の決意を新たにしていたのだが、まあそれは関係のない話ってことで。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 そんな感じで放送局から戻った私は、ベリルと共にランチにした。

 私が元気になったのを見て『計画通り』と悪い笑顔をしていたが、その笑顔に感謝をした。

 これからもよろしく、と。

 

 尚、今日の午後は自由時間らしい。時間を潰したいならオカルト研究部に戻ってくればいいわ、と告げてベリルは颯爽と帰ってしまった。

 ……ふむ、じゃあ、さて何をしようか。

 という所で。

 

 「リ、リィンさん。……どしたの? ギムナジウムから出てきて」

 

 リィンに遭遇した。彼がトワ会長から依頼を任される事になったことと、自由行動日の今日はその解決に当てるらしいとは聞いている。しかし何故またギムナジウムから出てきたのだろう?

 乾いた唇をぺろりと舐め、塩素の匂いを感じ取る。

 

 「ああ。依頼をこなす以外に時間があったから、折角ならクラスの皆と一緒に過ごす時間を取ろうかなと思ったんだ。ただ皆、都合が合わなかったり……断られたりしてな」

 「マ、マキアスさんとの仲は……やっぱり?」

 「折角だから絆を深めようと思ったんだが……向こうから拒絶されてしまって。……エリオットは練習に熱が入ってて声をかけそびれた。他に空いてる人間は、と探したらラウラに会ってな」

 「な、なるほど? それでプールに……。だから匂いが着いたんだね」

 「多分な。……それにしても鼻が良いんだなカタナは。自分じゃ全然気付かなかった」

 「ん。まあ、感覚は鋭敏にしておくに、越したことはないから」

 

 ラウラのタイムを計る手伝いをして来たそうだ。

 タイムは驚きの22秒34。……無茶苦茶速い。正直物凄く速い。

 男子でもその速さを出せる人間は中々居ないぞ?

 ちょっと競争心が刺激される速度だ。泳がないけど。

 

 次は何をする予定か聞いてみると、今度は技術棟に言ってジョルジュ先輩からの依頼を片付けるらしい。彼はかなり優秀な技術者で、学院に限らず、トリスタの街中での様々な機器補修を請け負っているとのこと。

 それがトワ会長からの依頼、という奴か。

 

 「ああ、それが二つ目だ。最後に旧校舎の探索がある」

 「な、なるほど? ええと、落とした学生手帳……、導力器の配達、それに――地下?」

 「一つ目のはラウラに声を掛けられる前に終わってる。で、地下のそれが最後だな。旧校舎の調査……ヴァンダイク学院長に話を聞きに行くんだが……、どうもまた地下で異変が起きているらしいんだ。手が空いてるクラスの何人かに手伝ってもらおうかと思ってる」

 「あ、じゃ、じゃあ私も、行くよ。午後は開いてるから……。私は、他の手が空いてる人を探しておくよ。ええと、じゃあ1時間後に、旧校舎の前で待ち合わせね?」

 「分かった。こっちもそんなに掛からないと思う。よろしく頼んだ」

 

 リィンと別れた私は、さてどうしようかとメンバーを頭の中で考えた。

 運動部はまだ運動をしている――というか、今からが本番だろう。昼ご飯を終え、休憩した後、午後からの練習が始まるはずだ。であるならばアリサとラウラは難しい。

 

 考えながらグラウンドを見ると、厩舎の方で2年の先輩と話をしているユーシスが見えた。

 馬術部か。……彼らしいのだろうか?

 どうやら話が盛り上がっているようだし、彼も誘うのは難しそうだ。そしてそのライバルであるマキアスも同じ。リィンでダメだったのだ。(一応同じ貴族である。忘れそうになるが)私が誘ってもうんとは言ってくれまい。となると残りは。

 

 「ということで……フィーの元に来たんだけど……、楽しそうだね」

 「……ん、楽しいのかは、良く分からない。木陰に入って寝ようかなと思ってたら、誘われただけだから。でも良いよ? 何か手伝うなら抜ける」

 

 フィーは土を弄って種を植えていた。

 彼女を部活に勧誘してくれたのは、園芸部部長のエーデルさんだ。

 かなりのプロポーションに麦わら帽子を被り、土を弄ってミミズを素手で掴む……貴族生徒さんである。中々に豪胆というか、惜しみない愛情を注いでいるお方だった。

 元々フィーは、特に部活を決めてはいなかったらしい。

 ただ屋上からずっと景色を眺めていたら、この中庭が『昼寝に丁度良さそうだった』と感じて降りてきたのだ。その後、実際、何をするでもなくベンチで横になって居たら、『じゃあやってみませんか?』とエーデル先輩に勧誘されたのだという。

 

 「お友達? 良いですよー、フィーさん、また顔を出して下さい。何時でも園芸部は歓迎します。用事があるなら、そちらに行ってあげて」

 

 と、言ってくれた。

 ……正直、私は少し迷った。

 フィーを連れて行けば、まず間違いなく戦力という意味では申し分ない。

 私とのコンビネーションも悪くない、というかむしろ調子が上がっている。クロスベルで一緒に走り回って、ARCUSのリンクが強化されている。

 

 しかし、だ。折角のフィーの自由行動日。しかも彼女が浸れる日常の大事な一コマだ。

 その切っ掛けが、今目の前にある……というのに、それを私が強引に借りてしまっても良いのだろうか? フィーとて、本当に園芸部に興味が無かったら、エーデル部長にイエスと言わずに無視して寝ていたに違いないのだから。

 

 「……顔に出てる。……その心配は、問題ない」

 

 そう告げたフィーは、エーデル部長の元に小走りで駆けていく。そして彼女から紙とペンを受け取ると、そこに何やらを書き込んで、手渡した。遠目だったが見覚えがある。つい先日、私もベリルに提出した紙だ。

 

 「入部届け、出してきた。地下の事件を解決したら、戻って来て、種に水を上げるって約束してきたよ。――これで大丈夫、行こうか。……姉としては妹分の手伝いは大事」

 「だ、から。私が、姉の方だよ……? わかってる……?」

 

 やいのやいのと何時もの如き掛け合いを、エーデル部長さんはうふふと笑って見送ってくれた。

 さて、次はエマだ。多分大丈夫じゃないかなーと思って話をしに行ったら。

 

 なんと断られてしまった。

 

 いや、部活動そのものを抜けるのは大丈夫だよと話してくれたのだ。

 怪しい笑顔を浮かべる文芸部長のドロテ先輩(ベリルとは別の意味で怪しい。どっちかというとムンク氏にも似たマニアックでディープな感じの人だ)も良いと言ってくれた。

 しかしである。当初は頷いてくれたエマは、事情を説明すると首を横に振ったのだった。

 

 『……リィンさんが一緒ですか? ……それなら――やめて、おきます』

 「「??」」

 

 私とフィーは揃って首を傾げたが、彼女が小さく言ったのだ。“オリエンテーリング”と。

 

 それで私は把握した。

 あの時のエネミーは、明らかに私達が倒せるレベルでは無かった。

 ARCUSの効果があって本当にギリギリの勝利だったのだ。その原因は未だに分からない。

 サラ教官は「予定通りよ」という顔をしていたが、本当に予定通りだったのかは不明のままだ(私はサラ教官の予想外だったと読んでいる)。

 

 エマは――彼女の《魔女》としての力が、悪い方向に働いたのではないかと言いたいのだ。

 フィーも、無論エマの魔女が云々という背景こそ意味こそ知らないが、しかしあの時の戦いに関して彼女が関係あるという言葉を理解したようだった。

 無言のうちに『今度同じことを起こすわけにはいかない』――そう語ったのである。

 

 これには私もフィーも素直に引き下がった。

 クラス全員で連携できるなら兎も角、リィンと男子2人(エリオットとガイウスだ。この2人はほぼ大丈夫だろうと踏んでいた)、あのレベルが再登場した時、私とフィーだけ同じ事をしろと言ったらまず無理だ。そして安全だという保証はどこにもない。

 

 「とすると、いざって時にサラを呼べる準備をしておいた方が良いね」

 「ん、そう、だね。エマが居なくても敵が強くなる可能性は十分、あるから」

 

 フィーがサラ教官へと話をしに行く間に、私は吹奏楽部と美術部に顔を出す。

 

 美術部の活動において、休憩は各自のタイミングで取れるらしい。

 人間が集中力を保てるのは、常人の場合は最大で2時間くらいが限界。

 ごく一部、それを超えて集中できる人間も居るが、これは一握りだ。一心不乱に根を詰め過ぎても良くないし(客観的な判断が出来なくなるし)、同じ姿勢で動かないままだと健康にも悪い。

 部長のクララ・ヴォーチェさんは一心不乱に彫刻に向かい、彼女自身が石になるのではないかと思えるほどに微動だにせず作品に向かい合っていた。彼女は一握りの例外の人かもしれない。

 が――流石にそれは他の部員は真似できない様子だ。話しかけても反応が無かったので、ガイウスに話をしに行ったら、丁度身体を動かしたかったと快諾してくれた。

 

 で、吹奏楽部だ。エリオットは譜面と睨めっこしていたのでちょっと躊躇った。

 どうも彼は音楽に対する情熱には並々ならぬものがある様子。五線譜に引かれた山ほどの音階を前にバイオリンを弾いていた目つきが尋常ではなく怖かった。……彼が一息ついた時を見計らい、リィンが手伝いを欲していると伝えると、こちらも快諾してくれた。

 

 「そう言えば……、カタナさんは楽器、出来るんだよね? 暫く前に運び入れてたし、時々夜にチェンバロの良い音が聞こえてきたから“そうかな?”とは思ってたんだけど」

 「出来る、よ。……「保護者(あいつ)」がね、居るんだけど。それが楽器とか得意だったんだ。旅が多い上にあっちこっちで仕事していたけど、そういう技術があると路銀に困ることも無いし……。私も、だから少しだけ習った。楽譜は読めるし、一通りの知識はある、かな」

 「へえ、じゃあ今度一緒に演奏とかしてみる?」

 「わ、分かった。お願いするよ。ピアノでも、同じことは出来るし、部屋来ても、良いし」

 「あはは。女の子の部屋に入るのは少し照れるかな。でもチェンバロって、実物を見る機会ってあんまり無いから興味は湧くかな。大きさとか相場も全然知らないし」

 「ん、楽器だからそこそこはするよ。でもチェンバロって、大きいのは大きいけど、まだ小さく出来る楽器だし。良く旅芸人の一座とかでも、持ち運んでいるから……。そう言うのはお値段よりも、すぐ手に入って、頑丈ってのが大事だから。私もそう言うのに近い。ええと、ヴァージナル・タイプって奴。リーヴェルト社のカタログに、あったかな」

 

 チェンバロ。クロスベルに行く直前、カプア運送に頼んで運び入れてもらった楽器だ。

 鍵盤を叩くと、内部に張られた弦を爪が弾くような構造をしていて、これで音が出る。

 サイズは様々だが、私の部屋にあるのは小型。ガイウスくらいの体格があれば、頑張れば持ち運べるくらいの大きさだ。……思い出の品、と言えば思い出の品であるのは、語った通り。

 

 でも何故、あれを送り付けたのか――荷物と一緒だったのかは、分からない。

 ただ確かに、時折だが、私の指は自然と楽器に向かう。何かあった時に奏でると頭の中が妙に()()()()するのだ。不思議な物だ。体に染みついてでも居るのだろうか?

 

 さておき。

 ……思えば私の部屋の中の物は、大体が全部「保護者(あいつ)」からの贈り物ばかりだ。

 チェンバロもそう。学院に通うお金もそう。クロスベルで受け取った秘密書籍もそう。超高級品のローゼンベルクドールもそう。全部、向こうからの贈り物で、私はそれを享受している。しかもどれも値段は高い。

 『結社』から離れたと自分に言い聞かせているにも関わらず、それを受け取っている。

 それは。その理由は。

 

 「――……なのかな……それとも……もっと別の……」

 「どうしたの? カタナさん」

 「あ、ご、ごめん。少し、考え事を、してたんだ。それより、急ごうか。そろそろリィンさんも用事を済ませて旧校舎の前に行ってると思うから」

 

 私はエリオットに誤魔化して、話題を逸らした。

 うん。今は……リィン達と、友人たちと、旧校舎の探索をする事にしよう。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 結局、旧校舎の敵はミノスデーモンという、例の石像(鎧が載ってないガーゴイル単体)と大して変わらない敵で、そんなに苦労することも無く倒せたという事を追記しておく。

 オリエンテーリングの鬼強化は、なんだったんだろうか?

 




 カタナ「サラ教官はまだ気付いていない……。考える時間はある……!」
 サラ 「…………」

 Q:カタナの《蛇》在籍期間。
 A:10年以上。ただし10年以上を費やしても『執行者』になれなかった。ずっと候補生である。
 レーヴェ、ヨシュア、レンなどにも追い抜かされている。三人が三人とも事情が特殊とはいえ(レーヴェは意思と執念、ヨシュアは教授の洗脳、レンは《教団》の成果でそれぞれブースト)割とあっさりと抜かされている為、自己評価は低い。

 Q:リィン/エマ/フィー/カタナのチーム → 鬼強化。
 A:リィン/エリオット/ガイウス/フィー/カタナのチーム → 通常:ミノスデーモン。
 この状況から導かれる答えは……?

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