さて、そんな夕食会から更に三日。4月24日、土曜日。
早朝、朝6時前に、私は目を覚ました。
日課の柔軟体操をしながら、持ち物を確認する。
ARCUSや学生手帳などの装備品。衣服の替え、外泊用の諸々を詰め込んだ小型トランク。
脚を180度開いて股関節を伸ばし、そのまま上半身を床にぺたり。ぺたりという擬音語が……悲しくないもん。全身がほぐれたところで立ち上がり、髪にブラシをかけて、纏める。
制服を着て、部屋を出た。
床にぶつかるゴツゴツした響きは、昨晩、慎重に準備をした靴の音だ。ストレガー社の頑丈な逸品だ。登山や軍で使用される、足首までフォローされるタイプ。底に薄い鉄板やら何やらを仕込んである。
私は耐久力に難がある。火力も足りない。けれども重装備は、私の速度の邪魔だ。
だから動きを邪魔しない、靴とかグローブで少しでも耐久性を上げるしかない。
手元にある道具を駆使してやりくりする。ないものねだりをしてもしょうがないのだ。
装備にはミラを惜しまないのが私のポリシーである。
「……おお、まだ空が白い」
太陽は出ていないが、晴れていて、清々しい空気だ。
うん、これは絶好の実習日和。穏やかな晩春の中、列車に乗って勉強に――とは、中々素敵なイベントかもしれない。……あのサラ教官の事だ、絶対向こうで何かハプニングを用意しているに違いないがね。
深呼吸をすると、胸に空気がすうと入り、同時にお腹がくうと鳴った。
……これは何か入れるか、買って列車内で食べなければな。
春から秋くらいまで、太陽が昇る時間が人々の活動時間である。商店なんかは仕入れを受け取るし、掃除なんかもある。そして一般課程では普通に今日も授業だ。
だから学院そのものは既に開いていて、食堂も動いている。今から行けば何か買えるだろう。
「せめて実習中には髪留め、動くようにならないかなぁ……ふぁふ」
欠伸をしながら、飴を一つ。うん、これは林檎味だ。良い奴を引いた。
準備運動がてら学院に向かい、学生会館に入ると、そこでは既に良い匂いが漂っていた。
これは……今日のスープの仕込み……じゃないな。これは昼の仕込みだ。
「お、おはようございます……。卵のサンドイッチ、4つ」
「朝早くから勤勉だね。しっかり食べて頑張るんだよ?」
とりあえずしっかり食べることにしよう。
まだ卵サンドが残っていたので、それを注文し、更に柑橘系のジュースも頼む。
用意されたそれらを手早くお腹に収めていると。
「おはようございます、卵サンドをくださーい」
可憐な声が聞こえた。この声は聞き覚えがある。
振り返ってみれば、トワ会長が同じようにサンドイッチを注文していた。
「お、おはよう、ございます。こんな時間から、生徒会ですか?」
「おはようカタナさん! 今日は偶々かな。昨日の夜はアンちゃん達と一緒だったから、少しやっておくことが残っちゃって。カタナさん達は今日は特別実習だよね! 頑張ってね!」
「は、い。……あれ、特別実習のこと……ご存知でしたか」
「知ってるよー。去年も私達、同じことやったんだー。今年の皆の事前テストって形だったんだけどね。私と、アンちゃんと、クロウ君と、ジョルジュ君の4人であちこち回ったりしたんだよ」
ははぁ、なるほど。それで《Ⅶ組》に関することにも詳しかったし、理解があったのか。
ジョルジュ先輩が親切なのにも得心が言った。後輩達を応援してくれていたのだな。
頷いていると、サマンサさん(食堂のおばさんだ)が、声をかけて来た。
「トワさん、ごめんなさいね。さっきそこの生徒さんが買っちゃったから、卵を焼くまで少し時間をくれるかい」
「あ、はい。待ちますよー」
「と、ごめんなさい。タイミング、悪かったみたいで」
「ううんー良いよー気にしないでね。この時間帯、先生とかはもう授業の準備始めているから、意外とモーニングセットとかもはけちゃうんだ」
言っている傍から、白衣にぼさぼさの髪をしたマカロフ教官が、新聞を片手にコーヒーを注文しに来ていた。序にモーニングのセットを頼み、机に座って新聞を読み始める。
あれでもルーレ工科大学の首席卒業生というのだから世間は謎だ。
……闇組織だった私が言えた話でもないか。
「学生寮でも人気だから、買い出しに来る人も多いんだよ」
「なるほど。朝ご飯用、ですか」
そうそうと会長は頷いた。
この購買の卵サンドは美味しい。ただ美味しいのではなくちょっとアレンジされている。
普通、卵サンドと言えば、潰した半熟卵とレタスなんかが主流だが、此処のサンドイッチは『オムレツ』のようになって出てくる。これはパンの柔らかさと合い、ふわふわで提供される。
勿論、普通の半熟サンドも出来る。
どっちにも人気があるが、味が濃厚な半熟型は男子の人気が高く、ふわふわサンドの方が女子受けは良い。口当たりが軽い上に、小さな口でも十分にパンを噛めるお陰で大人気だ。
更に言えばトリスタの町の人にも人気で、中には生徒に頼んで買ってきてもらうなんて人も居るらしい。数だけで言えば日に数百個はけることも、そんなに珍しくないのだとか。
……時計を見る。まだ時間は……結構あるな。
「あ、ええと、じゃあ、卵焼くの……手伝い、ます。私が買っちゃったんで、せめて」
生徒数二百人を超える学院の台所は、たった数人で切り盛りするには負担が大きすぎる。学食で提供される料理の下拵え(野菜の皮剥きとか)は、実はバイトになっていたりもするのだ。
サマンサさんに、言葉が拙いながらも説明して、フライパンを借りてオムレツを作る。その手腕と味は「パンに挟むには十分だ」との評価を頂いた。
トワ会長から、サンドイッチの感想を聞きたかったのもある。
私は購買で、ジェイムズさんから『とれたて卵』と『あらびき岩塩』を山ほど購入。
フライパンに溶き卵を流し込み、せっせと手を動かしながら提供すると、会長は『美味しい』と頷いてくれた。うん、やはり感想を貰えるのは嬉しい。
かくして私は、時間ぎりぎりまでオムレツを作る作業を繰り返したのであった。
お駄賃で沢山ミラが貰えた。サンドイッチも沢山入手した。やったぜ。
「美味しかったよカタナさん!実習、頑張ってね!」
笑顔で送り出してもらった。やっぱりあの会長は素敵な人だ。
○ ○ ○ ○ ○
こうして良い具合に時間を消費して駅に向かえば、丁度リィン達もやってきたところだった。
「お、おはようございます。アリサとリィン、良い感じ?」
「心配かけたわね。大丈夫よ」
リィンの隣にはアリサが居て、その態度は随分と柔らかい。どうやら仲直りできたようだ。
まあアリサも、リィンのあれが故意ではなかったと頭で理解していたし、嫌悪ではなく恥ずかしさが先に立ってしまって中々柔軟に行動できなかっただけなのだ。
実際、この前の夕ご飯の時は、互いに素直にやり取りしていたのだし。
あの二人、中々お似合いだと思う。
……まあリィンが女ったらしなのは、確かだと思うけどね。なんとなく。
「おはようございます。……A班の皆さんもお揃いですね」
既にB班が居て、まとめ役のエマがこっちに挨拶をしてくれた。
B班の実習地、パルムは此処からかなり遠い距離にある。
まずヘイムダルまで向かい、その後乗り換えて遥か南までだ。
かつては早馬でも数日掛かっていたという距離で、鉄道が走った今でも遠い事は遠い。
なにせ帝国を半縦断するわけで……。
マキアス&ユーシスコンビは、互いに背を向けて知らない顔をしていた。
今から苦労が偲ばれる。
とはいえ先日の夕食会以後、マキアスはガイウス等とは会話を増やしつつある。
ユーシスはマキアス以外とは会話をするし、フィーもエマとの関係は良好。
激励の意味も込めて、私はサンドイッチを手渡した。
折角、沢山あるのだ。道中のおやつにでもして貰おう。
パルム市まで行くには、今から出ても夕方までかかる。元気出してね、委員長。
「あはは、ありがとうございます……」
「カタナが居ないのは残念だし、後ろの二人は鬱陶しいけど、まあ、じゃ、行ってくる」
「ああ。そちらも気をつけてな。良い風の導きがあらんことを」
フィーはマイペースだから良いとして、委員長とガイウスの2人は、果たしてこの数日間で胃を壊さないだろうか。この前の夕食会で少しは柔らかくなってくれていれば安心なのだけど。
「彼女たちの心配をしてもしょうがなかろう。我らは我らの研修をこなせばいい」
「そ、だね。そうしよっか……」
ラウラの言葉に頷いて、私達も乗車券を購入することにした。
私は勿論、窓際の席。列車の車窓から移り行く景色を堪能しよう。
目指すは、ケルディックだ。
○ ○ ○ ○ ○
(時々、フィーよりも子供っぽく見える……というか……)
アリサはカタナを見た。
窓から見える光景に表情がころころ変わる。幼い子供が「わーい」と列車に乗ってはしゃいでいるような感覚。率直な感想を、言葉悪く言えば、実にアホっぽい。
列車に乗るのが初めての筈がない。
しかしどうにも、ほけーっとしている。
確かに良い陽気で、気分が高揚するが、それにしても、ちょっと精神年齢が低くないだろうか?
はしゃぐだけはしゃぎ、途中でエネルギーが切れて、車中で寝入ってしまうまでがセット。
流石に靴を脱いで膝で席に座って、という恰好はしていない。
いないが、それをしても不思議ではない態度だ。
今の時期、青々と実を茂らせる柔らかな黄金畑が、絨毯のように平野部に広がっている。
風が走る姿が見え、畑仕事に精を出す人々が見え、のんびりと放牧される牛や羊が見え、流れては消えていく。
カタナは、それらの一つ一つを見るたびに、表情が変わっていく。
元々、顔に感情が出るカタナは、今日は殊の外であった。
見ていると沸き上がる感情は悪い物ではない。
ただ微笑ましい気持ちと、不思議な子だなという感覚を得る。
この少女は、なんというか、ちょっと変わっている。
個性的な《Ⅶ組》において、風変りというよりは。
「感受性が豊かっていうには、ちょっとオーバー……だよな、カタナ」
「やっぱりリィンもそう思ってた?」
リィンも、アリサに同意する。席は隣同士。
向かいに座るラウラとエリオットは、リィンが貰って来たカードゲーム『ブレード』で対戦中。
カタナは独り窓際の席でアホっぽい(※カタナなら自分をそう評するであろう)顔だった。
ひそひそと――別に悪口を言っている訳ではないのだが、自然と静かな声になる。
「こう……白いのよね。なんでも受け入れちゃう」
「俺も入学式の時に思った。なんというか……こう……生まれたてとでも言うような」
「人生経験は積んでいる筈なんだけど……。うん、なんかこう……チグハグしてる感じ」
なんというか、こう――と曖昧な表現だが、互いに意味は通じ合う。以心伝心である。
拒否感を有しているのではない。ただ違和感がある。
話してみれば、普段の生活の中では、頼れる友人であり、ちょっと会話が苦手なだけの女の子。
言葉の始まりをちょっとドモったり、返事が頓狂な事があるだけで、そこまでコミュ力が低いとは思わない。彼女自身は低いと評価をしているようだけど、周囲に合わせないという意味ではフィーの方がずっとマイペース。カタナは彼女なりに交流を取ろうとする心構えが見えている。
ただ、そうした行動の中で時々、確かにカタナは、顔に不安が現れる。
(……私の居場所は、ここなのか、っていう不安みたいな……)
アリサにも分かる感覚だ。
『トールズに来たいから来た』というよりは
『ちょうど良い場所がトールズだから選んだだけ』。
目的があってやって来たのではなく、やって来ることが目的。
カタナの顔に浮かぶ戸惑いは、それに対する反省に近い気がする。
言ってしまえば、アリサはまさにその理由で学院に来た。母との確執に、父との離別に、シャロンとの距離に。意地を張って、反発して、やって来た。一歩間違えば別の場所に通っていたかもしれないし、ひょっとしたら国外に留学していたかもしれない。
……ただ、同時に。
その不安感の割に、学院生活は楽しそう。
アリサも確かに新鮮な日々を送っているが、カタナはそれ以上に毎日が新鮮だと感じている。
許容範囲というよりは受容範囲が広いのだ。良くも悪くも『純粋培養』。
(……そうね、私がそんな風に思っていたのは、うんと昔の事で)
そこで気付く。
どこかでアリサが持っていた、しかし今は持っていない物。
あんな風にキラキラ目を輝かせている時代が、私にもあった。あったのだ。
技術者だった父フランツが居て、母イリーナはまだ柔らかくて、祖父の家に遊びに行って、ノルド高原の池に沈む夕日を皆で眺めていた。
あの頃のアリサと、今景色を見ているカタナは、きっと同じ顔をしている。
それなら彼女の子供っぽさにも、合点がいく気がした。
つまり、順番が逆なのだ。
アリサはあの日々が失われたことを認めたくなくて、学院に来た。
カタナは、学院に来て、本来はあったはずの毎日を、今、受け取っている。
(……ああ、だから皆、カタナが子供っぽく見えるのかもしれないわね)
外見の幼さより、精神年齢の低さを、皆が感じ取っているからかもしれない。
ならば彼女の成長に手を貸したくなるのも、分かる。
「……アリサ? どうしたんだ? いきなり黙りこくって」
「え? あ、ってリィン近いわよっ! もう……っ!」
ふと気づくとリィンの顔が目の前にあった。
声を潜めて会話している途中で考え込んでしまったから、彼はこっちを心配して覗き込んでいる。それも至近距離だ。端正な顔が目の前にあって、思わず声を荒げてしまった。
唯でさえ、今朝のやりとりで距離が縮まっていた状態でこれだ。しかも下心が無いのもずるい。なんとなく頬に血が集まるのを感じながら、慌てて顔を逸らすと同時に話題を逸らす。
――別に恥ずかしくはないんだけど! なんとなく! なんとなくねっ!!
「そ、それよりケルディックはもう直じゃない!? ほ、ほら何となく家も増えてきた感じだし? 『特別実習』で何が起きるかは分からないけど、た楽しみよねっ?」
「うん? ああ、士官学院である以上、きっと厳しい内容のものだろうな……」
「うむ。そうでなくてはわざわざ出向く甲斐がない」
アリサの『もう直じゃない?』という言葉にエリオットとラウラは『ブレード』を終わらせていた。エリオットが器用な手付きでカードをシャッフルしてケースに入れ、リィンに返却。
窓に張り付いていたカタナも「ふぇ?」と謎の鳴き声をして向き直った。アリサの声で、どうやら呆けていた自分を取り戻したらしい。
「取り合えず到着したら宿に立ち寄ろう。そこで実習内容を記した封筒を受け取る手筈だ」
「ああ、そうだったわね。――しかしさっきの駅といい、妙に準備が良すぎるというか……」
「それだけ士官学院も、君達に期待してるってことよ」
にこにことした笑顔で通路を歩き、アリサたちの前で止まったのは、「見送りにも来ないなんて何をしてるんだ」とマキアス&ユーシスに愚痴られていたサラ・バレスタインその人だった。
アリサの目線に、ウインクして微笑む。
あ、ちゃんと改札の中で見送ったらしい? ……それは、失礼。
○ ○ ○ ○ ○
B班の方に付いて行くと面倒臭そうだから、という理由でA班に同乗してきたサラ教官は。
一通りの説明をした後、席に座って眠ってしまった。
私の前ですやすやと寝息を立てているという事は、やはり私が過去に戦っている事には、気付いていない……という事で良いのだろう。再三になるが、少し安心する。
窓の外の景色がライ麦畑へと変わり、家に備え付けられた風車が回っている。
まるで絵みたいだな、とリィンが言ったので、私も頷いた。
通路を挟んだ向こう側と話をするので身を乗り出したら、じゃあこっちに座りなよとアリサが席の交換を言ってくれたので、感謝して座らせてもらった。彼女の頬がどことなく赤かったので、ひょっとしたらリィンの隣に居るのが気恥ずかしかったのかもしれない。
「秋播きのライ麦が、丁度収穫期を迎えたらしい」
「へえ……麦って秋に収穫する物だと思っていたけど……」
「この辺りは温暖で、土壌も肥沃らしいからな」
「ん、リィン。……正しいんだけど、ちょっと違う。……ええと、家庭教師の先生から、教わった話です。間違いもあるかもしれないけど……こほん」
口を挟むと、皆の目がこっちを向く。
「ラ、ライ麦は、肥えた土壌でも勿論育つけど、実は痩せた土壌でも育つ。……そして小麦よりも生命力が強いの。ラウラの言う通り、秋に播くと、冬を超えてから急成長する……。しかも根っこが強くって……普通の植物が育ちにくい、泥炭層とか砂地でも、深くどっしり根を張って、ぐんぐん栄養を吸い取って育ってくれる」
「なるほど、つまり育成管理が楽なのか」
「ん、そうとも言える。でも、同時に厄介でもある。土壌の栄養分をガンガン吸い取っちゃうから、ライ麦ばかりを植えると連作障害を起こす。……連作障害っていうのは、えっと」
分かりやすいように、と意識して言葉を選ぶ。
「……つ、土の中の栄養が偏って、うまく成長しないって奴。どの野菜も、栄養の好き嫌いがある。そして食べ残しだけが土の中に残っちゃう……。だから、ライ麦を収穫した後は、そこに、その残った栄養で育って、それを収穫して、それが枯れた時にライ麦が好きな栄養を土に戻してくれる作物を植えるってする。お豆とか丁度良いらしいよ」
そうすると、大抵の場合は美味しく育つ。
土のバランスが崩れないから、不作や病気、虫の異常発生とかも起きにくい。
ライ麦ともう一種類の作物を育てられるから、手間暇はかかるけどお金にもなる。
例えば豆の場合、油も搾れるし、牧畜の飼料にもできるという訳だ。
「……うぅ、そんなにマジマジ見られると、て、照れる。ごめん、じ、自慢げに話すつもりは、なかったのだけど」
「いや。良い勉強になった。そう言えば入学直後の時に言っていたな。旅の最中は家庭教師の先生が一緒だったのだったと」
「ん、まあ、そう。家庭教師が……ノーザンブリアの出身で――」
まあソイツはゲオルグ・ワイスマンっていうんだけどな!
この話は珍しく、あの眼鏡が、真面目な顔で話していた内容だ。
旅の中で美味しいご飯を作る為にも、そういう知識はあって損はなかったので、聞いていた。
『塩の杭』事件で人生を狂わせて『結社』に走ったという経緯がある。そこだけを見れば、外道極まりない人間だが、少しだけは同情し……無理だな。アイツ煉獄でもうきうきしていたから、同情は無理だ。ただ憐れな人だなとは思う。今はそう思う。
そして表向き大学教授を名乗っていただけあって、人に講義するのは上手かったのだ。
更に言えば腹立たしい事に、私に対しては妙に執拗に教育を施した。
ヨシュアさんは良いように『駒』として使われていたが、私は良いように『小間使い』させられていた。同じコマでも大違い。その理由は今もって不明だが、大方、私が苦しむ姿を見たかったとか、そんな理由に決まっている。
その一言で、皆は大体納得してくれたらしい。
ノーザンブリアが『塩の杭』で壊滅し、土壌だって酷いものというのは周知の事実。自国の生産量がガタ落ちしているのだから、食料も加工品も、ミラで買うしかない。
それこそ綿が無ければ木綿は作れず、桑が無ければ絹は作れない。木が育たなければ家を作ることも出来ない。だからそれらを賄うために《北の猟兵》なんて組織も作られる。
『結社』だった私が言える話でもないが、世の中は無情だ。
国家の為に、国を守る為に武器を取った正規軍が、他国で傭兵をするなんて。
どんな気持ちだったんだろうか?
サラ教官を見て、私は首を振った。
彼女がノーザンブリア出身であるとは聞いている。
《北の猟兵》を立ち上げた男性が、バレスタインという名前を持っていることも、知っている。
であれば恐らくは親子。
そして、親を失った子供は、新たに出来た仲間を失った。
寝ているサラ教官の様子を伺う。恨んで当然だ。恨まれて当然だ。
だけど、まだ私は教官に気付かれていない。
ならば信頼を得るように頑張るしかない。
いざ表に出た時に、ほんの少しでも罪滅ぼしが出来たと言えるようにしなければ、ならない。
――本日はクロスベル方面行き、《大陸横断鉄道》をご利用頂きありがとうございます。
――次は、ケルディック、ケルディック。バリアハート方面にお越しの方は次でお乗り換えとなります。
列車が減速していくのが分かった。
サラ教官を起こすとしよう。
私が声をかける前から、彼女が目を覚ましていて。
私に鋭い目線を向けていることに、気付いていなかった。
○ ○ ○ ○ ○
交易地ケルディック。
トリスタの東、帝国の東部クロイツェン州にある、古くから交易が盛んな街だ。
帝都とバリアハート、更にはうんと東にあるクロスベル自治州を結ぶ中継地点としても知られている。アルモニカ村の農産物なんかも輸入されているとか。
エレボニア帝国屈指の大穀倉地帯としても有名で、穀物や農産物、畜産物も非常に豊富。それらを扱う業者が街に軒を連ね、それらと各地の特産品をやり取りする業者も加わり、更にはバリアハートからの宝石加工品やら他国の商人が顔を見せるやらで、景気盛んな街だ。
近代化の波はそこまで押し寄せていない。
昔ながらの風車が建ち並び、大地と共に生きる事を常としている人々が今でも大勢いる。
――聞いてはいたけど……実際に見ると、全然違うね……。
長閑な田舎みたいなのに大賑わいだし、大市への入り口の門構えは立派だし、大市の真ん中の塔が木造りだったりで、凄く――町の人は誇りを持っているんだろう、と感じられる設備が沢山だ。
トリスタよりも、より濃い土の匂いがしている。
「さて、取り合えず今日の宿まで案内してあげるわ。と言ってもすぐそこなんだけどね」
駅から、井戸がおかれた町の十字路を右に歩いていく。宿がすぐに見えた。
ふと、視線を感じる。誰かに見られているのだ。
何処かなと思って、周囲を見物しながら辿る。
ファサァ
仮面をしていない仮面の変態がうざったく笑っていた。
自分に言い聞かせる。
私は、何も見なかった。良いね?
《風見亭》。1階がレストラン兼ビアホールになっていて、2階が宿屋になっている。
サラ教官はささっと中に入ると、カウンターに居た中年女性に軽いノリで挨拶をして、私達の説明を始めている。事前準備は万端という事か。
しかもどうやらここに来るのは初めてではないらしい。準備の為に足を運んだというより、また飲みにきたんだよ、みたいな会話の弾みっぷり。……さては地ビール目当てで何度も足を運んでいたな? と私達一同が若干呆れる中、話はどんどん盛り上がる。予想の通りビールを頼み、ウエイターさんに肴を注文までしている始末。
話にならないので、少々強引にリィンが割り込んだ。
教官と話していた中年の女性はマゴットさん。
ここの女将さんをしていて、今回の実習でサラ教官が頼った人物とのこと。
毎日汗を流して働く男たちで賑わうだろう酒場の女将さんだけあって、気風が良い。
さばさばはきはきと部屋に案内してくれる。
飲んでいる教官は放置して、私達は階段を昇っていく。
再び視線を感じた。背後からの視線だ。ちらっと振り向く。
ファサァ
仮面をしていない仮面の変態が、前髪を掻き上げる変なポーズで格好を付けていた。
私は、何も見なかった。見なかったら見なかった。
○ ○ ○ ○ ○
「……これはまた」
「ちょ、ちょっと!本当に!?」
「寝心地良さそうなベッドだね」
順番にラウラ、アリサ、私。
案内された部屋には、ベッドが5つ。つまり男女相部屋だった(5つ目のベッドだけちょっと無理して突っ込んだのか半端な位置だったが)。私は「へー」というくらいの感覚だったのだが、アリサは違ったらしい。見るからに慌てている。
マゴット女将も、最初は別部屋を用意してくれていたらしいが、教官が「一緒で良い」と押し通したそうだ。
この年で、男女で、同じ部屋の就寝かぁ、という突っ込みは、理解できる。
出来るがしかし野暮でもある。ラウラも気付いていて、アリサを窘めた。
私達は『士官学院』の生徒だ。裏を返せば軍人という道が開かれている学院の一員である。そして軍人には、何でも食べられて、何処でも寝れるだけの素質を求められる。
実際に軍人になるのは極一部だとしても、いざという時に男女一緒は無理ですは通用しまい。
あとは――ARCUSの効果強度を上げる為ってのもあるのだろうか。
私? 私は別に。異性と寝るのは大丈夫だ。……色んな意味で。
「貴方達、不埒な真似は許さないわよ? 特に誰かさんには前科もあるんだし……!」
「だ、大丈夫だよ。仮にリィンがこっそり忍び足でアリサに近づいて、なんかこう……言葉にできない事をする……が仮にあったとして……、音と気配で、ラウラが、あと一応私も、気付くから。だから、ダイジョブ」
きっ! と腕を組んで男子一同を強くに睨んだアリサだったが、一先ず、同じ部屋で寝る事は同意したらしい。此処で、もしもリィンとアリサの二人きりだったらどうだったんだろう、とか妄想した私は悪くない筈。
話が一段落したところで、マゴット女将は何やら書類袋を手渡してくれた。
きちんと封がしてある。それも士官学院の封だ。という事は、これもサラ教官が手を入れているとみて間違いはないだろう。これが実習の課題という奴か。
「なになに? 『東ケルディック街道の……スケイリーダイナの討伐』……?」
「ふむ、こっちは『壊れた街道灯の交換』だな。もう一つが『薬の材料調達』」
「ま、まだある。『一日ごとにレポートにまとめて、後日担当教官に提出すること』だって、さ」
「これ、魔獣退治やら街灯交換やらより、最後のが一番辛い奴じゃないかしら……」
「…………。そういう事か」
私達が各々、出された課題を確認し合っていると、リィンは得心したように頷いた。
取り合えず荷物(着替えとかね)を部屋において、我らが重心に従って再び1階へ。
再び視線を感じる。
ファサァ……キラキラキラ……
仮面をしていない仮面の変態が、空中から降り注ぐ花弁の中で回転していた。
大道芸に道行く人々が拍手。
だから何も見てねえっつってんだろ!!
必死に表情で平静を装い、サラ教官に近寄る。
そこにはご機嫌な様子の教官が居た。既に、ビールを豪快に飲み、名物のハムとソーセージを齧りながら、カウンターで息抜きをしている。この瞬間、全員が同じ感想を抱いただろう。
ARCUSのリンク効果を使うまでもなく。ジト目で「何やってるんだこの女(二回目)」と。
さておきリィンは少々呆れつつも今回の実習に関する問いを投げた。
「つまり、どの実習をどこまでやるか、どのように動くか、あるいはどこまで我儘を言うか……そうした判断を含めての『特別実習』という事ですか」
「うふふん♪ 実習期間は二日間。A班は近場だから、明日の夜にはトリスタに戻ってもらうわ。それまでの間、自分達がどんな風に時間を過ごすのか……。精々話し合っておくことねー」
話は終わりーと彼女はビールのお代わりを注文。話すことは全部話したわ、とそれ以上は話を聞くつもりもないらしい。余程しつこく問い詰めれば話してくれそうな気がしなくもないが、それはそれで彼女の課題をクリアできなさそうで嫌である。
いってらっしゃいーという気楽な応援を背に受けて、私達一行は外に向かう。
まだ昼前、依頼は三件。とはいえケルディックの街中を駆け回るのは間違いない。あんまりのんびりもしていられないなあ……、と考えながら、私はリィンの説明を聞く。即ち、依頼を解決することで、ケルディックという地域を実体験することが出来る、という言葉を。
リィンを『自由行動日』に働かせたのは、今日のこれに繋げるためだったのかもしれない。
「地域の情報が多いね。この辺の人に、色々と話を聞かないといけないんじゃないかな?」
「なるほどな。初対面の人に対しての礼儀も鍛えられそうだ。……カタナ、何を複雑な顔を」
「つ、常の如く、苦手」
「そう? もう少し自信持っていいと思うけど」
『出来る』と『得意』の間には隔たりがあるのですよアリサさんや。
というか此処に居る面々、皆私よりも社交性が高くてコミュ力に秀でていて、ちょっと眩しい。
ラウラが『また其方は』と目で窘めていた。いやだってしょうがないじゃん! 昔みたいに機械的で義務的な会話に終始する態度は嫌じゃん! やりたくないと思う心くらいはあるぞ。
「ははは、まあまあ。なら代わりに色々と教えて欲しい。トビネコの時みたいに魔獣の説明をしてくれると皆、助かるからな。適材適所で良いじゃないか」
「そ、そう。そう言う感じで! そういう感じで行こう」
リィンのフォローに感謝だ。
やり取りをしながら、宿を出る。
視界の中に、ブルブランの姿は見えなかった。ちょっと安心。
「あ、いけない。カタナカタナ、ちょっと伝言あったのよ。良いー?」
安心していた私の背後、サラ教官が呼び止める。
皆に『ちょっと待ってて』と断って引き返すと、教官は私達の部屋で手招きしていた。
笑顔に促され、中に入る。
そして。
――次の瞬間、首元を掴まれ、壁際に叩き付けられていた。
――浮かれていた私を、現実に引き戻す音が聞こえた。
○ ○ ○ ○ ○
何時だって運命の刃が振り下ろされるのは唐突だ。
何回も何回も私はそれを味わって来た。
最初に「
そして女神様から、裁きを受けることも、覚悟していた。
だけど。
「……っが、……っ……! ……ぃ、き、が……」
ぎり、と締め付けられる首元。呼吸が辛うじて出来るだけの気道は確保されている。
だが呼吸を忘れるほど、壁に叩き付けられたのを流せるほど、私に襲い掛かった衝撃は強い。
殺意。憎悪。憤怒。そうした諸々が詰まった負の塊が、押し寄せる。びくりと心が総毛だった。
それを放つサラ教官は、私を、爪先立ちでやっと床に届く高さまで片腕で持ち上げている。
一瞬、理解が、追いつかなかった。
何故自分が、こんな風に壁に追い込まれ、あまつさえ――殺気を身に浴びている?
目の前のサラ教官の目は、酷く恐ろしい。
身体からは黒い波のようなオーラが微かに揺らめき、立ち上り、虚空に溶けていく。
必死に首と、サラ教官の掌の間に指を入れ、僅かでも酸素を維持しようと抵抗をする。
だが私の抵抗を無視しながら、彼女は私に囁いた。
ぞっとするほどに冷酷で、凍てついた凍土の如き眼光を讃えながら、私を逃がさない。
「さっき、貴方が、あの《怪盗紳士》とアイコンタクトを取っていたのを見たわ」
その一言で、理解をする。
断じてアイコンタクトでは無いのだが、それを否定する余裕はない。声が出せない。だが――。
呼吸が出来ない苦しさよりも、胸中の苦しさの方が勝った。
サラ教官の目を、見ることが出来ない。
何を言っても無意味で、何を告げても無駄なのだと、思ってしまった。
こんなに早く、こんなに即座に。
ほんの数週間しか日常に浸れないなんて、本当に神様は残酷だ。
――彼女はとっくに気付いていた。
――私の心構えは、培われる前に、伝わることなく終わってしまった。
心の中に、残念さはある。
悲しいと思った。私の思いが教官に伝わらないこと以上に、皆を悲しませてしまうなと思った。
クラスメイトの皆の顔。皆は、消えた私を少しだけでも惜しんでくれるだろうか、と。
――私には過ぎた感情だ。
断罪される側に、そんな想いを抱く資格なんかない。
同じように笑っていた人々を、私はサラ教官から奪ったのだから。
だから、私は、心の中の小さな気持ちを押し殺した。
そして目を瞑って――
「――――」
……銃声も、斬撃も、来なかった。
恐る恐る目を開けると、サラ教官の、その眼は変わっていない。私への激情を隠してもいない。
私に突き付けた、『ディアボロ&ベイン』も、そのままだ。
けれど、闇に包まれたような、不快感の塊のような黒い波動だけは、僅かに収まっている。
彼女の手が緩み、私は壁から床に崩れ落ちた。
「……っく、っごっほごほ! げほっ……!!」
呼吸が再開する。どっと噴出した冷や汗と、動悸が収まらない。必死に呼吸を整えるが、震えが収まらない。だけどどうして中断されたのだ。疑問に、顔を上げると、サラ教官は部屋の入口に目を向けていた。
扉が閉まっている。賑わうビアホールなら、部屋の騒音も届いていまい。
だが彼女は何かを感じ取ったらしい。
「…………リィンとラウラがこっちに向かっているわね」
どうやら私がサラ教官と個室に入り、すぐに戻ってこなかったから、様子を見に来たらしい。
先の殺気は、あの二人なら『何となく嫌な気配だ』と感じ取ってもおかしくはない。
教官は、流石に生徒にこの光景を見せるのは不味いと判断をしたのだ。おかげで私は助かった。
微かに舌打ちをした。そして私を引きずり起こすように立たせる。
武器を収め、厳しい目はそのままに、告げた。私よりもずっと上背がある彼女は、まるで噛みつくように。
「……信じて貰えると思うな!」
絞り出すような声だった。
教師として生徒に向けてはならない筈の言葉。
それを言う彼女の顔は、ただ激情に支配されている以上に、心と体が突き動かされているようで。
纏う
「信頼されると、信用されると、思うな……! お前が何をしたのかを知っている私が、気を許すと思うんじゃない……! お前はそれだけのことをしたのよ……!」
私を掴む教官の手は震えていた。
私が、反論できるはずがない。
彼女の慟哭を聞くたびに、どうしようもなく、私の罪を実感する。
実感してしまえば、何か出来るはずがない。
過去は変わらず、女神は罪を放置させてはくれない。
「この実習中は見逃す。だけど行動次第では、即座に相応の対処をする。心して動きなさい」
鋭い言葉が、釘の様に私の中に打ち付けられていく。
物理的な痛みよりも、痛い。
「……わ、わかり、ました」
私の小さな頷きに、教官は、突き飛ばすように距離を取り、身を翻して、部屋から出て行った。
その息は、私以上に荒れていて、その身に疲労が重なっているように見える。
何故、そんな風に、なっているのか――この時の私に、理由が分かるはずもない。
丁度、階段を上っていたらしいリィンとラウラに、何事も無かったかのように振る舞う声が聞こえた。
私は独り、部屋の中で、身を起こす。
立ち上がって、今ので乱れた服装を、整える。
――行動次第では。
見逃され、心の中で消した、微かな『願い』が軋む。
少しだけでも良いから、私を惜しんでくれるような関係を作りたい。
……ARCUSで皆と繋がった時の、あれを、失いたくない。
サラ教官に、たとえ断罪されるとしても。
せめてほんの少しで良いから、何かをなさねば、ならない。
たとえ我が身を犠牲にしたとしても。
私は立ち上がる。胸に決意を秘める。
扉を開ける。何事もなかったかのように、リィン達に合流をする。
さあ実習をしようと皆に促した。
Q:信じてもらえると思うな。
呪いは蝕む。
Q:例え我が身を犠牲にしても。
それはそれで大馬鹿者の思考。近くに同じことをする男子が居るけど。