カタナ、閃く   作:金枝篇

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分割した結果長くなるというのは良くあること!
しかしやりたかったサラ教官との仲直りは詰め込めるだけ詰め込んだ!
あれもこれも使っての決着です。

では、どうぞ!


三つの思惑と一つの心(下)

 三つの思惑と一つの心(下)

 

 

 頭の横を通り過ぎた紫電が、旧校舎近くの木々を薙ぎ払う。

 混乱の最中。だが身体は動いていた。動くのが遅かったら、間違いなく命中していた。

 サラ教官の攻撃は、ただ回避をするだけではダメージを0には出来ない。

 導力によって付与された電撃が、常に二次的な攻撃を齎す。刺激がビリビリ来る。

 

 「ぃ、っ……」

 「教官――!! しっかりして下さい!」

 「サラ!? サラ……っ! 一体どうしたの……っ!?」

 

 自分へのダメージは出来るだけ無視で良い。

 委員長とフィーの声がする。

 だが返ってくる言葉は無い。言葉に出来ない、呻きとも咆哮とも付かない声が漏れるだけ。

 目元が隠れ、動きがぎこちなく、けれども殺意だけは格別にある。

 

 私にだって分からない。

 放課後になる前に、教官を呼び出した。

 フィーと委員長に同伴して貰い、背中の荷物にはベリルからの助言通り古書を入れていた。

 だが――やって来たサラ教官は、会話をするや否や、まず銃を抜いたのだ。

 余りにも唐突な一撃に、不意を打たれた。回避出来たのは――教官の腕がかすかにぶれたから。

 それが無かったら、私の頭が倒されたトマトマンの如く爆ぜていた。

 

 私はそこで、違和感に気付く。

 ……ぶれた? そう、ぶれた、だ。

 本来ならば、彼女が弾丸を外すことはない。

 威嚇のために撃つならば、そもそも不意打ちをしない。

 何かが違う。何かが食い違っている。ここで私は理解する。

 

 「……お、おかしい! フィー! サラ教官を、抑える!」

 「いやおかしいのはわかるよ! 何、この殺気……! こんなの私だって感じたこと……!」

 「そっちじゃない! 殺気なのに、命中しなかった、から!」

 

 殺意は凄いのだ。圧がヤバいのだ。

 髪に隠れて見えない瞳から、切り裂くような憎悪が迫っている。

 なのに()()()()()()()

 威力は高いのに動きが鈍い!

 腕の動きを先読みし、身を屈める。頭より上を弾丸が飛んでいき、旧校舎の屋根を破砕。

 やはりそうだ。私程度で()()()()()()()

 つまりそれだけ、彼女の攻撃が雑だという事だ!

 

 「ど、どういうことになってるのかさっぱりですけど……!」

 「幾らカタナが過去に悪いことしてても、初手から生徒の顔面に弾丸叩き込むような性格は、サラはしてないよ!」

 「そうであって欲しい!」

 

 言っている間に、私とフィーは駆けた。

 互いの呼吸をほんの一瞬だけ、意図的に遅らせた、時間差での突進。

 サラ教官の速度は、私やフィーよりも上だ。だがあっさりとその動きに先手を取れた。

 まずはフィーが教官の右腕を捕まえる。次いで私が、懐に潜り込み、肩を頭で抑え、腕で足を掴んで引っ張り、体重をかけて押し倒す。

 フィーとの二人で、両方の足を強引に浮かせ、そのまま地面に抑え込む。 

 やはり、そうだ。本来ならばこんなことは出来ない!

 

 「っつ……でも、何このパワー……強……っ!」

 「暴れ――げ、まっず」

 「―――――――!!」

 

 だが猛烈な力だった。

 声にならない咆哮と共に、指が銃へと掛かったのが分かる。

 やばい。何がヤバいって、この状況を見られたら詰む! サラ教官も私も詰む!

 一発は気のせいで誤魔化せても、二発目三発目ともなれば別。連射ともなれば被害も増える。

 動きは遅いのに力が強いのも明らかに異常!

 咄嗟、サラ教官と向かい合うように絡んでいた、己の体を反転。彼女の左肘関節を、外に回すように体重をかけ、間接を固める……!

 だが、脳の何かが外れた教官のパワーは、予想を超えていた。

 

 (……げ……私の体重、決して重くはないけど! それを持ち上げ……っ!?)

 

 関節が痛むのも無視したように、彼女はトリガーに指をかけて、引き金を再度――。

 

 「ぼーっとしてないで結界を張りなさいっ! エマっ! まずはそれが先よ!」

 

 少女の声がする。聞き覚えのない声だ。木々の方から聞こえる声の出所は分からない。

 微かに黒猫のような影が見えた気がしたが、詳細を追いかける余裕はない。

 切迫した叫びで、委員長が我に返った!

 

 「! そ、そうでした! ――この場を、隔離しますっ!」

 

 委員長の言葉と同時、周囲が灰色に染まる。

 直後、弾丸が連射される。灰色の世界の中、忠告を飛ばした相手が居そうな方向の木々に命中。

 反響の具合からして――音は外に、漏れて居まい。

 切り離された空間の中に、私と、フィーと、委員長と、そして正気を失った教官が1人。

 私達を蹴り飛ばすような動きで、教官が体の下から抜け出た。

 視界の中、教官はアンデッドのようにゆっくりと立ち上がる。

 押し寄せる殺意は強いのに、その目に光が見えない。

 

 「……っぅ、ふう、……一先ず――!」

 

 痛い。腕の振り払いが顔の良い場所に入った。

 だがまあ、これで、周囲への被害は抑えられた。

 状況がさっぱり分からないことには変わりがないがな!

 

 「正気を、失ってる……。私の声も、届かないなんて」

 「ちょっと、ショック、かな」

 

 私もフィーも委員長も、流石に衝撃を受けている。

 そりゃ勿論、多少のいざこざになるのは覚悟していた。

 怒ったり殴ったりもあり得ると思っていた。

 しかしこの状況は余りにも、余りにも不自然で不可解だ。

 昨日約束をしたサラ教官からは――いや、そもそも私達が知る彼女からは、かけ離れている。

 

 フィーの言葉にも反応をしない。親しい彼女の言葉にも、全くの反応をしないのだ。

 彼女の顔が歪むのが見えた。

 猟兵から学院生徒へと転向させてくれたサラ教官の変貌は、さぞ痛かろう。

 

 ゆっくりと向けられた銃口を、努めて冷静に確認する。

 あの雑さなら、向きにだけ注意していれば、まだ対処できる。

 フェイント出来ない心理状態の様だし。

 委員長に動くように指示して、発射だけはさせない様に注意する。銃声と着弾被害は結界で覆ったが、人間へのダメージは防ぎようがない。

 しかし、この動き、この挙動。まるで何時ぞやのヨシュアさんの様な――。

 ――ヨシュアさん?

 

 「……合点がいった」

 「簡潔に」

 「多分、頭の中に何かいる」

 「簡潔すぎます! もう少し詳しく!」

 

 委員長が叫んだ。……まあじゃあ、状況を整理しよう。

 ここは旧校舎の前。今日は五月の自由活動の日。オカルト部は休みにしてもらった私は、サラ教官を呼び出した。人の気配が少ない、密かに誰かと会話をするには丁度良い場所だ。

 

 『私と教官の確執を解決したい』

 

 フィーと委員長に告げ、部活動のキリが良い所で同伴して貰った。

 フィーは、無論、私の諸々を知っている(クロスベルで話しただけで、全部ではないけど)。

 委員長も同じだ。何かと私の事情を察知して動いてくれそうで、尚且つ途中でちょっと時間を作れる文化部を選んだ結果である。《魔女》としての力を頼りにしたい気持ちもあった。

 そうして喧嘩覚悟で、サラ教官を待っていたのだ。

 しかしやって来た教官は、会話もしない内に目が虚ろになった。

 昨日までは確かに正気だったのに、まるきり変貌してしまっていたのだ。

 こういう図を、私はあのクソ眼鏡(ワイスマン)の傍で見たことがある。

 

 「……お、思えば、ちょっと奇妙な部分は、あった。ケルディックでの実習とか、その辺から」

 

 あの時、サラ教官の態度は、酷く恐ろしかった。怖かった。

 勿論彼女が、私に根深い感情を抱いているのは確かだ。

 クレア大尉にすら苦々しい態度だった。実行犯の私を許せないと、彼女自身が話していた。

 だが――恐らく徐々に徐々に、それが()()()と変化をしていったのだ。

 『方法』は分からないが、『結果』は分かる。

 

 「誰かが憎悪を煽ってる。それも、普通じゃない奴が。で、恐らく限界を超えた」

 「サラの精神が限界を迎えるってよっぽどだね」

 「……いや、むしろ今日の、今の今まで耐えきった、その精神の方が凄い」

 

 フィーの言葉を訂正した。

 精神という物は、勢いで曲げることは出来ない。

 説得なのだ。丁寧に、丹念に、徐々に心を説得して、やがて折らせる。

 鬱病を想像すれば分かりやすいか。急激な変化には耐えられても、長時間の刺激で歪んでいく。

 この一か月、それを全く悟らせず、表に出さずに耐え続けたサラ教官の精神を称賛すべきなのだ。他人に相談してないのは問題? ……それはそうだろうけど、私との事情を、大っぴらに話せる相手もいないのだろうから仕方がない。

 

 「で、そのトリガーが、さっき……弾け飛んだ」

 「カタナとの仲直りで?」

 「仲直りしようとする心と、反発する心で、板挟みになった結果――だと思いたい!」

 

 委員長を咄嗟に引っ張る。彼女の居た場所を、弾丸が通り過ぎた。

 教官の形をした別の者は、弾丸を装填しようとして、動きが止まる。

 ……繰り返す。殺意は本物だ。

 だが行動がぎこちない。ぎこちないというのはつまり――体が付いてきていない。

 ()()()()()()()()()()という防壁が、働いている。

 本能的に、最後の最後、その一線だけは守っている。

 教員として生徒へしてはならない禁忌を、犯してはいない。

 

 「……実際、かなり隙が大きいしね」

 

 私はすっと掌を開く。ばらばらと地面に転がったのは、サラ教官の剣と、その他装備品だ。

 本来ならば盗みようがない道具を、さっきのどさくさでスリ取った。

 弾丸の再装填は出来ない。さっきから調子に乗ってバンバン撃っていたその銃は、もう空だ。

 手癖の器用さ(悪さ)には自信がある。元工作員の面目躍如という奴だ。

 

 「状況は分かった。で、どうする? 言葉は届いてないようだけど!」

 「……今考えてる!」

 

 ヨシュアさんの時は、エステルの決死の対話で何とかなった。

 加えて、ワイスマンが精神操作をしてくる、という嫌な意味の信頼感を、ヨシュアさんが逆手に取った。

 あの場面は私も同伴していたから覚えている。

 ……同じ方法は難しい。言葉が通じないだけならまだしも、サラ教官を操っている『何者か』への干渉方法が限られ過ぎている。じりじりと焦る心を落ち着かせるように、教官から盗んだ物らを地面に埋める。使えないようにはしておこう。

 剣を埋め、回復薬はこっちで飲んで消費し、何か青い錠剤が入った瓶を割――。

 ――錠剤の、瓶?

 

 ――閃いた。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 「……委員長。この結界、どれくらい持つ?」

 「数十分。頑張って一時間くらいです。今の私ではそれが精一杯です……!」

 

 十分すぎる。

 下手に長すぎても、旧校舎に近づけませんと騒ぎになっても困るし。

 

 「サラが体力尽きるまでここで追いかけっこする?」

 

 意図的に軽口を叩いて、不安が無いようにフィーが呟く。目は全く笑っていないが。

 ……先ほど話したサラ教官の状態は、推測でしかない。

 今はまだ、私への攻撃をギリギリで押しとどめているが、これがずっと続くとは限らない。

 それにそもそも、私が無事でも、教官が無事でなければ意味がないのだ。

 

 「委員長。直球で聞くけど、相手への精神干渉の術って、使える?」

 「…………それは」

 

 おそらく。これは『おそらく』の話になる。

 体力が尽きるまで教官と戦っても、それでも彼女は正気に戻るだろう。無茶が出来なくなって、暴走が収まる。ただそれは飽くまでも()()()()正気に戻るだけ。再び暴走する危険は付いて回る。

 教官が、自身のその状況を認識すれば、自分から学院を去りかねない。

 二回目の暴走が、公衆の面前でない、という断定すらも出来ないのだから。

 そうなれば解決することは不可能となる。

 だから、ここで何とかするしかない。

 

 「フィー、ちょっと、無茶に突き合わせるんだけど良いかな」

 「良いよ」

 

 いつも通りの表情で、私と教官を見て、彼女は続ける。

 

 「サラもカタナも大事だからね。ここに来た時点で、覚悟は出来てる。……委員長は?」

 

 有難い。

 フィーも、後押しをしてくれた。

 

 「ま、迷っている最中、本当に、ごめんって、思う。だ、だけど聞かせて。出来る?」

 「……出来ます。難易度は、高いですが」

 「分かった。お願い」

 

 《魔女》であるならば、多分出来ると踏んでいた。

 ワイスマンには出来て、《深淵》様やらマリアベル・クロイスらにも出来て、そもそもルシオラさんやブルブランでも軽度の幻惑が出来るのだ。

 『幻』属性のアーツが使える委員長なら、出来ると踏んでいた。

 この切羽詰まった状況で、可能か否か、の選択を突き付けるのは本当に、申し訳なく思うけど。

 

 思い出すのは『影の国』。

 人間の精神を反映して構築された世界。人々の想念で構成された、闇の塊だ。

 

 あの世界は積もり積もった《輝く環》の怨念と、ケビン神父の精神が結びついて形なっていた。それを一同で撃破した。ケビン神父は、トラウマを乗り越えた。

 であるならば。

 私らがサラ教官の精神に接触すれば、どうだろうか?

 

 「フィー、これ飲んで。私も飲む」

 

 拾った瓶と、僅かに残った錠剤(グノーシス)を見せる。

 

 「……これどう見ても危ない奴」

 「だ、()()()()()……! これが、鍵になる」

 

 ……私は、誤解をしていた。推測混じりだが。

 ルナリア自然公園への襲撃も、今のこの服用も、感情的な、衝動的な物だと思っていた。

 

 だがそうじゃないのだ。

 もしも()()()()()()()()()()()()()だったとしたら?

 

 『蒼い薬(グノーシス)』は、無論危険な麻薬。『遊撃士』として《教団》の情報を知っていても、その内部で開発されていた実物を見るのは初かもしれない。

 

 しかし致死量かどうかくらいは教官なら勘でいけるのではないか? 

 そして、致死量でない程度の服用をしたならばどうなるだろうか?

 

 《大いなる叡智》へと接続する過程(プロセス)は、サラ教官の頭の中に情報を流し込むだろう。

 鋭敏な感覚と、僅かな変化すらも見逃さない集中力――それらは()()()()()()()()

 

 導力端末を想像すれば良い。

 あれを機能不全に陥らせる方法は三つ。

 筐体そのものを壊すか、電源を落とすか――()()()()()()()()()()()

 

 法律に照らし合わせれば違法である。ケルディックへの領邦軍襲撃も違反だろう。

 だが彼女は、支配する囁きの中で、行動をしたのではないだろうか?

 グノーシスで、反射的な行動を。咄嗟の衝動的な行いを、阻止することが出来るならば。

 それは()()()()()()()を、防げるという意味に等しい……!

 

 「委員長、それ、使って」

 

 不安げな委員長に、鞄の中にあった古書を投げ渡す。ベリルの助言通り、持ってきた。

 クロスベル図書館で修繕をお願いしていた、あの古い書物。

 発禁処分とされている、タイトルを表示出来ない代物。

 ――『イストミア異聞』。

 

 「まさか……これが《里》以外にあったなんて……」

 

 委員長は驚き数瞬だけ迷ったようだが、やがて気合を入れるように、大きく深呼吸をする。

 古書を手に取ってページをめくり、空いた片手で魔導杖を握る。

 

 「行きます! 準備を!」

 「この薬、サラにも飲ませるんでしょ?」

 「そ、それは私がやる! だから飲んだら、教官を抑え込んで! 出来るだけ……物理的にではあるけど……教官の心に触れれるような感じで!」

 

 私の言葉で、狙いは察してくれたようだ。フィーは意を決し、青い錠剤を飲む。

 瓶を受け取った私は、残った錠剤を、全部、纏めて口に放り込む。口の中が薬で満杯だ。

 唾液で錠剤を溶かし、じんわりと己の中に薬効がしみ込んでくるのを感じながら。

 

 相も変わらず、銃をこちらに向けたままの教官の懐に、飛び込む。

 銃声は響かない。代わりに、銃に備え付けられていた刃が私の頬を掠めていく。

 ばさあっと髪の何本かが斬れて飛ぶ中、委員長に「精神干渉をお願い!」と目で合図。

 

 「ん、ぐんん!!」

 

 口の中でペースト状にまで溶かしたグノーシスを飲み込まず、舌で攪拌。

 フィーがサラ教官を抑え込み、しがみつくようにして目を閉じる。

 頭痛と同時に、自分の中にも()()。フィーの心に己が共鳴していく錯覚。

 あとはこれを――この感覚を――教官に与えて――委員長の技で――補う……っ!

 

 どろり、としたそれを。

 顔を捕まえて、教官の口の中に、それを流し込んだ。

 

 口移しで。

 

 「………ん、……るぅ……!」

 

 そのまま舌をねじ込んで、濃縮させたグノーシスを喉に送り込む。

 びくり、と教官の体が震えた。

 見ていた委員長が思わず固まる中、私はべっと地面に残薬を吐き出した。必要分はこれで良い!

 『結社』で薬物耐性は付けていても、強引に濃度を上げた代物を摂取したからか、意識がくらくらする。いや正確に薬が効果を発揮していると判断しよう!

 女同士のキスとかノーカンだノーカン! キスで動揺するほど私は(ウブ)じゃないし!

 それよりも。

 

 「い……意識を、集中、させて。多分、これで、教官と、感覚の共有が――」

 

 きいい、と耳の奥で、何かが響く音が聞こえた。

 頭の痛みと共に、ぐにゃりと視界が歪む。情報量に此方の頭も割れそうになってくる。

 視界の中に、私達が見える。

 サラ教官の視界と私らの視界がごっちゃになり、感覚が二重になる。

 微かに。微かにだが、抑え込んでいる教官の感覚を、察知――。

 

 同時に、委員長が術を使った。

 僅か数フレーズの言葉を綴るのに、額に汗が滲むのが見えた。

 だけど彼女は成功する。小さく、しかしはっきりとした詠唱が耳に届く。

 

 ――Mare Spiritus(精神の海よ)……!

 

 瞬間。

 視界が闇に覆われた。

 委員長の魔力が、私とフィー、そしてサラ教官を包み込んでいく。

 

 教官にしがみつく身体の感触はそのままに、まるで大渦に飲み込まれるように視界が回る。

 三半規管への異常はないのに、何処かに流されていく感覚。見えないのにぐるぐると歪む景色。

 まるでどこかに沈んでいくような感覚。

 それらが続いた後。

 

 ぼふ、っと何かに顔から着地した。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 「―――――っ、ふぁ!」

 

 顔に当たるのは、冷たい土の感覚。

 身を起こすと、其処は荒涼とした大地だ。僅かに点在する木々は、環境の過酷さを表している。

 見覚えがある景色だ。

 それもあまり良くない意味で、見覚えがある景色だ。

 ぶるり、と震えが走る。視界からの情報が、余りに寒い。

 制服姿のまま、私達は地面に落下してきたのだ。

 

 「ふわっぷ……。どこ……此処……? ……北?」

 「……教官の――精神世界……です……、お二人とも……動けますか?」

 

 一緒に落ちてきたフィーが身を起こす。

 委員長はといえば、半透明で、服の代わりに光の衣を纏った姿をして空中に浮いていた。

 私達を此処に送り込んだ後、なんとか同伴出来た様子。

 肉体全てを実体化させるのが無理だったのか、上から下までめりはりと弾力性しか感じない身体が浮かんでいる。光で隠されて全体的なフォルムしか見えないが……なんだあの超絶我儘ボディ! ……いや、それは良い。今は置いておく。羨ましくないし!

 

 「き、北で、あってる。……ノーザンブリアから、帝国に繋がる、さる小路だよ、ここ」

 「詳しいね」

 「……嫌でも記憶に残ってる場所だからね!」

 

 サラ教官がノーザンブリア出身であるという情報は、委員長には初耳の筈だ。

 道すがら説明するとして、今は――走ろう。

 急がなければならない。

 サラ教官の精神に入り込んだことは、すぐに『教官を支配する何者か』に勘付かれる。

 私の予想が確かならば、多分、こっちの方向だ。

 

 「こっち! 道をまっすぐ! そうすると多分……トンネルがある――!」

 

 そういえば、とトンネルの情報を頭から引き出した。

 元々は『ノーザンブリア公国軍』によって作られた、一種の塹壕だったと聞く。

 ある程度の暖を取れるだけの乾いた空間を確保し、機動力を確保し、物資の運送をする――雪原が多い地域では必須の設備として運用していたという。街道の代わりだったのだ。

 公国軍が使っていたそれらは、ノーザンブリア崩壊後に再利用されたのだ。

 新しく道路を整備する資金も人手もない。だから《北の猟兵》が、自らの軍務に便利というだけでなく――被災した人々も使いやすいように改造した場所なのだ、と。

 

 私とフィーの速度に、ふよふよ浮かぶ委員長も遅れずに付いてくる。

 そして――やはり、見えてきた。

 記憶通りの地下へのトンネル。そこに続く階段が、見えている。

 

 「……ここも?」

 

 ああ、知っているとも。

 フィーの言葉に、無言で頷く。

 記憶の通りに駆け下り、記憶の通りの天井と、壁を確認する。

 

 ――あの時は、地面に何人もの強化猟兵が転がっていた。

 ――あの時は、壁にワイヤーを貼っていた。

 ――あの時は、あの天井を掴んだサラ・バレスタインに――叩き潰された。

 

 ここは!

 ここは私が、教官と初めて戦った場所なのだ!

 

 ……至極当然の話ではないか。

 私へ感情とは、あの襲撃事件に関与しているという憎悪が根幹にある。

 ここはあの、帝国の《遊撃士協会》襲撃事件で、帰還する教官を、押し留めた場所だ。

 クルーガー先輩が来るまでの時間を稼ぎ切った、私と教官の出会いの場。

 ならば、今の教官の精神世界で、これ以上にふさわしい場所は無い。

 

 「……確か、この角を――右に……!」

 

 出来るだけ簡潔に、短く伝えながら、トンネルを駆ける。

 私の過去に、フィーも委員長も色々納得した顔をしながら、それでも否定せずに聞く姿勢だ。後でまた色々と突っ込まれたり質問攻めにあったりするかもしれないが、後の話!

 角を曲がった先で、発見する。

 

 「居た、サラ教官……!」

 

 見つけたのは、教官だ。

 私達が知る、士官学院の教員としての姿の、サラ教官だった。

 彼女は壁に磔にされていた。

 蔦とも岩とも付かない、黒くて蠢く何かが、その全身を覆っている。

 近寄って確かめる。

 

 「……これ……まさかサラ教官の意識ですか!」

 「そ、そういうこと。これが正気の部分。――フィー、これを強引にでも引っぺがすよ!」

 「もうやってる!」

 

 ガンブレードを駆使して、黒い触手をざくざくと切り取っていくフィー。私も手を動かす。

 幽体(アストラル体)――というらしい――の委員長は、物理的な力が無いので、周辺警戒だ。

 

 くっそ、しかし、頑丈だな! なんだこの黒いのは!

 しかもよく見れば蔦の一個一個に眼球のような模様すら見える。気色が悪い!

 おぞましいそれらを、順々に、兎に角急いで排除していく。数が多いし!

 一度剥がした《黒》は塵になって消えていく。

 

 「サラ! 起きてサラ!」

 

 フィーの声に――感情が込められていた。

 今迄が無表情だったのではない。けれども声と動きに、熱が込められた。

 サラ教官を見て実感したのだろう。

 ここは精神世界だが、目の前の彼女は本物である、ということを。

 自分の身近な人間が苦しみ、意識を失って、倒れているということを。

 助けるべき相手がすぐ傍にいて、あの狂った姿から解放できるのだと、言うことを。

 ――ああ、連れてきて良かった。

 

 「よっし、足と腕は外した! あとは身体に巻き付いてる一番太――!」

 「誰か来ますっ!」

 

 委員長の言葉で、振り向いて、刃を抜いて、通路の奥を見る。

 ……サラ教官の意識を解放するのは、フィーに任せよう。

 

 「……誰かじゃないよ。こんなところに来る奴なんか、一人しかいない」

 「あら、良い推理じゃない」

 

 ゆっくりと姿を見せた、亡者の如き()()()()()()()を、見据える。

 その顔には、サラ教官ならば絶対に浮かべない、歪んだ笑顔が張り付いていた。

 歩き方、銃の向き、目付きまで、全てが酷く不快で、おぞましい。肌で悪意を感じ取る。

 さっきまでと違って会話も出来るらしい。性悪なことだ。

 

 「フィー! 気にせず、教官を解放して。ここは奴の住処でもある! 教官を起こさない為ならなんでもやってくる! それこそ言葉での、混乱なんか、当然のように!」

 「酷いわ。邪魔をしているのはカタナの方よ」

 

 けらけらと嘲るような声がする。

 

 「ここはサラ・バレスタインの心の中。私はその中にある感情の一部。それを強引に排斥するだなんて。非人道的なのはどちらかしら?」

 

 ゆっくりと触手を伸ばすように、偽教官の背後から闇が迫る。

 一緒に睨んでいた委員長が、その邪気に押されて僅かに怯む。

 その隙を逃がさず、()()()()()()は進み出る。

 

 「貴方にその権利はあるの? 貴方が生み出した物なのに。貴方が消そうというの?」

 

 ぬるり、という擬音が付きそうな動きで、私に告げる。

 瞳の中に澱む、真っ黒で滲むような悪意を、たっぷりと言葉に込めながら。

 

 「――最初から、貴方が居なければ良かっただけなのに」

 

 ………。

 私は無言で、その()の顔元に、刃を突きつけた。

 怒りはない。どこまでも目の前の女の言うとおりだとも。

 事実を言われて激昂するほど、私はプライドを安売りしちゃいない。

 

 「……そうだよ。私が居なければ、教官は、私に憎悪は抱かなかっただろうね」

 

 だけど。

 

 「その言葉も、その思いも、私はサラ教官から聞きたい。――お前じゃ、なくて!」

 

 目の前の女が、教官の負の側面だ? 馬鹿め。妄言も大概にしろ。

 心をそんなにきっぱりと分割など出来ない。良心も悪心も一つの延長線上にある物だ。

 私の中にある、どうしようもなく情けない過去が、今と切り離せない様に。

 

 「だから、少し――黙らせる!」

 

 フィーがサラ教官を起こすまで、そう長い時間は必要が無い。

 思わず、私の口の端に笑顔が浮かぶ。

 

 ……ああ、此処まで状況が似なくても良いだろうに。

 状況はあの時とそっくりだ。

 あの時と同じように、私は時間を稼ぐ役目を、自分に課した。

 

 違うのは。

 あの時は仕事だったということ。考えずに動いていたということ。

 今の時は、自らの意思で、この目の前の障害を排除しようと決意していること。

 小さくても決定的な違いを前に、私は飛んだ。

 リベンジだ!

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 ――そして、地面に叩きつけられていた。

 ……分かってたけど、私は弱い。

 啖呵を切って、それで偽教官を倒せるような強さがあったら、もっと楽に生きている。

 蹴られた瞬間に、口の中を派手に切ったらしい。鉄の味が気持ち悪い。

 

 「大口を叩いておいてコレは、流石に弱すぎない?」

 

 ぱん、という音。咄嗟に掌で受けた蹴りが、骨に響く。

 対する偽教官と言えば、余裕綽々、健在なままだった。

 

 戦闘開始から数分で、これである。

 情けないが、無様だとは思わない。

 

 ……今の私は、過去のあの時よりも弱くなっている。人間らしく弱くなっている。

 そりゃそうだ。教官の精神世界でも、入り込んだ私達の強さは、今の私達の主観の強さ。痛覚の無視もなければ、撹乱する武器もない。

 それは、著しく不利にもなる。

 

 (――だけど、まだ……!)

 

 軋む身体に檄を飛ばし、蹴られた勢いを利用。強引に横に転がって、壁を支えに立ち上がる。

 まだ、立てる。立てて動けるならば、問題はない。

 

 「カタナさん……!」

 「ダメ、だよ。……い、委員長は、こっちに来ちゃダメ。そこでフィー達を、守って、て!」

 

 息を吐き、大きく吸って骨を緩めて、痛みを逃がす。

 口の端から流れた血が地面に滴っていく。だけど痛みは、まだ生きている証拠だ。

 委員長の力で、フィー&サラ教官と、私の間に、障壁を張ってもらった。

 今、最も注意すべきこと――それは私の敗北ではない。断じて違う。

 

 眠るサラ教官の心を、《黒》が完全に支配してしまう事だ!

 それだけは――何が何でも、防がなければならない!

 

 委員長と私の間に結ばれたARCUSのリンクを確認。

 結びつきは弱いが、ないよりはずっと良い。

 

 「《イセリアルエッジ》!」

 「――しぃっ!」

 

 委員長の作り出した微細な刃と共に、私は、鋭く息を吐き、獲物を飛ばす。

 飛苦無(とびくない)にもならない、精神世界の中で拾った、タダの石礫。

 それは無論、容易く偽教官に回避をされる。

 委員長がアーツ詠唱を始めたのを確認し、続けざまに二発。さらに続いて三発。

 最初は避けた『黒い教官』だが、所詮はただの小石に過ぎないと分かったら、ただ手で防ぐだけの動きになった。

 ……それが狙いだ。

 

 「《ヒートウェイヴ》!」

 

 空中に跳んだ最後の一発が、爆ぜる!

 軽い音と共に砕けた最後のそれは、小石ではなく――瓶だ。グノーシスが入っていた空き瓶だ。

 その中に、サラ教官からすり取った弾丸から、更に火薬を抜き出し、詰め込んで投げたのだ。

 刺激を与えれば――燃やせば、破裂する!

 

 怯んだ一瞬で、相手が崩れた。

 

 ビシィッ! という音と共に飛び散ったガラスが、暗闇に舞う中。

 私は、破片が肌に当たるのを承知で、間合いに踏み込んだ。

 不意打ちに怯んだ偽教官の首を、横薙ぎ――!

 

 「甘いわよ、その攻撃が通るとでも思っ――」

 「読んで、ないと、でも?」

 

 横薙ぎにした、私の掌が握っていたのは、鞘だ。

 自然公園で片方が砕けてから、新品の小太刀はまだ目途が立っていない。

 だから私が使える刃は片方だけで、もう片方は鞘での補助。ぶん殴るしか出来ない代物だ。

 その鞘で、相手の首を狙った。

 必然、もう一本が、何処にあるのかという話になる。

 

 「《イセリアルエッジ》!」

 

 二回目の刃が飛ぶ。

 それらに合わせ、鞘を右から左へと振った勢いに逆らわず、体を斜めに回す。

 下から上へと飛び上がる軌道を描く、私の髪。そして――()()()()小太刀!

 それが偽教官の身体を縦に――。

 ――裂かなかった!

 

 (くっそ、今のは良い作戦だったのに! ……って不味い、着地――!)

 

 咄嗟に飛び退った偽教官の、その胸元だけが僅かに切り裂かれた。だが血すら流せていない。

 しかも今ので、油断が消えた。

 地面に着く寸前に、脚を狙われ、そのまま大きく払われる。

 攻撃後が外れたらカウンターを受けるのは、必然。大きく地面へとすっころんだ。

 ――このトンネルの地面に叩きつけられるのは、これで二回目だな!

 

 「カタナさん!」

 「大丈夫……、まだ、……いける」

 「……油断したわ。さっきまでの弱さも、擬態ってことかしらね」

 

 それは油断じゃない。本当に弱いだけだ。結果として迷彩になっただけだ。

 ゆっくりと身を起こす。もう苦痛を隠すことも出来ない。だが、それでも。

 それでも私は――倒れるつもりなんか、なかった。

 転んだ拍子に散らばった、タロットカードを握りしめる。

 

 「……『吊るされた男』」

 

 ……ああ、そういうことか、と理解する。

 今私がここで必死になったって、サラ教官に許して貰えるわけじゃない。

 そういう意味で、この私の行いは、ただの無駄な努力なのかもしれない。

 徒労で、無意味で、痩せ我慢なのかもしれない。

 

 自然と言葉に出ていた。

 心の中にある、この気持ちを吐き出したくて、しょうがなかった。

 

 「……わ、私は――許して欲しいわけじゃ……ないんだよ」

 

 私の声に、偽教官が怪訝そうな顔をする。

 まあそうだろうさ。どう考えても私の勝ち目は残されていない。

 趨勢を此処からひっくり返すのは無理だ。私が一番、良く分かってる。

 だけど忘れていない。時間を稼げれば、それで良いのだから。

 

 「謝ったって、何をしたって、……それで、許されるなんて、思ってないんだよ」

 

 どの顔が、どの口が、今更と言うのだ。分かっているさ。何度、自問自答したと思ってる。

 私の行いを、許して下さいだなんて傲慢な物言い、最初から言えない。

 一生許されないかもしれない。考えるだけで不安になる。

 それでも。

 

 「ただ、……もう、……同じことは……、したくないだけ……!」

 

 『吊るされた男』は、正位置では、試練や忍耐、新しい可能性という意味もあるらしい。

 それが今の私に合致するかと言えば、そうでもない。そんなに希望がある意味じゃないさ。

 ……あるのは、ただ『認める』という意志だけだ。

 

 ――どんなにやったって、過去はなかったことになんか、出来ない。

 ――過去を覆すことも、過去を清算するのも、過去の罪を注ぐことも、出来ない。

 ――だけど諦めず、進むことだけは、出来る。

 ――過去の為でなく、過去の傷を癒す為でもなく。

 ――未来を良くするために、傷を受け入れて、進むことだけは、誰にだって、出来るのだ。

 

 「だからお前は、此処から、進ませない!」

 

 ガチリと委員長とのリンクが嵌った。

 開けた世界の中、私は進む。

 この偽物に、この道を進ませないために。

 

 後で聞けば『ほんの少しでも未来をよくしたい』――という言葉が、心に響いてくれたという。

 帝国の情勢を見聞きし、世界を見極める《魔女》の役目として、賛成すると。

 その時はそんなことは分からず、ただ強まったARCUSの連携に喜んで、前に出ただけだ。

 

 炎が舞う。炎の波と風がトンネルを照らし、影を動かしていく。

 委員長の狙いが分かる。

 それらを受け、鞘を捨て、両手で柄を握り、最後の一撃に意識を込める。

 私は剣技なんてものは使えない。

 それでも、今すべきことは――分かっている!

 

 「……なにそれ、くだらない話を

 

 詰まらないようなものを見る目で《黒》は吐き捨てた。

 

 「そんな小さな物で、全てを持つ私に対抗できるなら思い上がりも良いところだ

 

 お前にはそう見えるのか。

 そう見えるならば、きっとお前は――大きな力を持っているのだろう。

 お前は強くて、色々な力を手にしていて、それでいて傲慢なのだろう。

 《黒》い何かよ。お前は何時か、小さくても強い絆で、身を滅ぼすのだ。

 

 「ふ、ふふ、なら、断言してあげるよ。……その思い上がりを、人は倒す!」

 

 踏み込む。刃を真っすぐ。他を見ることもなく。

 単純明快な、突き。

 それを偽教官は事も無げに避け、私に銃口を向ける。

 

 知っている。

 集中しても私の技じゃあこの程度だ。

 

 姿勢を崩した私を嘲るように、偽教官が引き金に手をかけて。

 引いた。

 銃声が、響く。

 何かが貫かれる音がした。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 流れる血は、私の上から。

 穴の開いている、偽教官の胸元を見て、静かに小太刀をしまう。

 

 「……な、に?

 「そこまで頑張った生徒の声聞いて、静かに寝てられるほど、私は温い生活しちゃいないわよ」

 

 何が起きたのかを理解できない偽教官は、胸元の致命傷を確かめ、膝をつく。

 だから言っただろうが。思い上がっていると、隙を突かれると。

 

 まさか一度眠らせた意識が、もう一回起き上がって自分に対抗してくるなんてことを。

 お前は予想出来たのか?

 

 背後を検める。

 胴体の黒い、最も太い蔦は、今も破壊されないままだ。

 けれども腕と足が自由になったサラ教官が――片手に銃を握っていた。

 その銃口からは微かに硝煙が漂っている。

 そのまま、彼女は、大きく罅割れた蔦を強引に引き千切る。

 倒れこみそうになったところを、フィーが支えて、ゆっくりと歩いてくる。

 消耗はしているが、油断なく、黒い教官へと銃を向けたまま。

 

 「サラ・バレスタイン! 貴様……!

 「確かにお前の言う通り、私の中に……この娘への負の気持ちがあるのは、認めましょう。お前の話は確かに一理あったわ。だけど」

 「なら分かるはずだ。ならば私の言葉が正しいと分かるはずだ。だから私に従い委ね

 「だけど私はね。()()()()()()()()()()()()()も無視して語る奴には、なりたくないのよ」

 

 教官の目は、激しかった。

 

 「大馬鹿な生徒が、必死になった姿を見て!」

 

 銃弾が叩き込まれる。

 ――やめろ。お前の感情を、ヨコ

 

 「教師として、それを認めずにいるなんて!」

 ――お前程度の精神、我のモノ

 

 「そんな、みっともないことを無視できると思う!?」

 ――そこから逸脱するナド

 

 《黒》に口を挟ませず、教官は続けた。

 胸に空いた穴からは、血と共に、黒い粒子が流れ出ていく。

 偽の教官の姿が、どんどんと朧気になって実体が透明になっていく。

 

 「私とカタナの関係に割り込んだそのツケ、払ってもらうわ。そして」

 

 崩れていく『偽教官』を蹴り飛ばし、その顎に銃口を突きつけると。

 

 「出ていけ。もう二度と、同じ手が通用すると思うなっ!」

 

 宣戦布告にも似た言葉と共に、引き金が弾かれた。

 長い長い反響音が終わった時には、偽教官は……もうそこに存在した痕跡さえ、見えなかった。

 

 ……倒したようだ。

 尤もあの《黒》は、所詮、教官に取りついただけの本体の『一部』。

 大本が何で、どこにあって、そして何を企んでいる物なのか、知りようが無い。

 いや、それは――今後調べれば良いことだ。

 

 私は息を――やっと、大きく、深呼吸が出来るようになった――吐く。

 そのまま壁に寄りかかり、ずりずりと座り込んだ。ごめん、限界。体力が尽きる。

 委員長とリンクが結ばれた時に、サラ教官が動きそうだと察せられたのだ。

 だから全身を使って、偽教官の視界を塞ぐことにした。

 至近距離まで迫り、長い髪を広げれば、相手の視線を自分に集中させるくらいは出来る。

 

 「……おはようございます。サラ教官」

 「ええ。……ありがと、助かったわ。カタナ。――立てる?」

 「ちょっと、難しい、です」

 

 手を伸ばして貰ったが、立てない。

 私の苦笑い混じりの言葉に、そう、と教官は頷くと、座ってくれた。

 目線を合わせて、全く仕方がない奴、という顔をする。

 

 「無茶したわね。キスするわ、薬飲んで精神に入り込むわ、私を縛ってたあいつに啖呵切るわ」

 「……かも、しれません」

 「でも分かってるわよね? それで貴方のしたことを、私が許すわけじゃない」

 

 教官の言葉に、委員長とフィーとがぎょっとした顔をするが、手で制する。

 大丈夫。教官の顔は、昨日出会った時とは比較にならないくらいに優しくて、穏やかだった。

 頷いた私に、よろしい、と教官は続ける。

 

 「私も色んな罪を犯しているわ。学院に来る前に。遊撃士になる前に。命を奪ったし、消せない傷も付けた。もしもその代償を払えと誰かがやって来たら――何も言えないわ。謝って済む問題ではない。その罪は背負っていくしかない」

 「……はい」

 「そして言うしかないわ。『これから先はもうやらない』。痛さも辛さも学んだから、同じ事は出来ないって。……カタナ、さっきの言葉は、ちゃんと聞こえていた」

 

 教官は、小さく笑う。

 

 「だから、この先に許せるように努力するわ。そして、今度こそ貴方とちゃんと向き合いましょう。あの変な《黒》に邪魔されないように――生徒と教師として、対等にね」

 

 そう言って、手を差し出してくれた。

 私はそれを握り返す。握手をした教官の手は、私を真摯に心配してくれたベリルのように暖かかった。

 

 ぐらり、と地面が揺れる。

 おっと、これはどうやら――精神世界からの離脱の時間、ということだろうか。

 

 「そろそろ撤退しましょう。術が解ける時間です」

 「そだね。続きはまた学校でやれば良い」

 

 委員長が言うには、精神世界への入った術が解けることには結界も解けるらしい。

 フォロー役も待機しているから、その辺の後始末は問題が無いそうだ。

 そう言えば木の上から、少女の声が助言で飛んでいた。あれはいったい誰だったのやら。

 

 「それとカタナさん。……思ったのですが」

 「ん、はい」

 「皆さん、私を『委員長』呼びしていますけど、そろそろ変えても良い頃だと思いませんか?」

 「……かもしれないね、エマ」

 

 これで良い? と目で問いかけると彼女も大きく頷いた。

 

 やれ、色々あったけれども。

 これでようやっと一つ、気苦労が消えてくれた。

 さあ安心して――学院生活に戻るとしよう。

 

 ふわりと浮き上がり、そのまま委員長の誘導で、元の世界へと案内されていく。

 私は安堵と疲労から、地上に出るや否や、そのまま目を閉じて休むことにした。

 真下にサラ教官が居て、甘えて休みやすかった――なんてことはない。多分、きっと。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 5月23日:自由行動日。

 午後17時。旧校舎前にて。

 

 「扉の化け物は中々に手強かったな……。こちらを惑わせて来るとは、対策を講じなければ危うく同士討ちになるところだった」

 

 ラウラの感想に、旧校舎を探索していた面々は頷いた。

 タイミングよくアクセサリ(フローラルボトル)が落ちて居てくれて助かった。

 五人での探索はやりやすかった。遠近のバランスが良く、何よりそれぞれへの信頼感が違う。

 前衛組への安心感があれば、アリサとエリオットの行動も落ち着いての物になるというものだ。

 

 「さて俺は学院長に、変化の顛末を伝えるから皆は解散で――」

 「皆! 見て! サラ教官達が倒れてる!」

 

 口々に感想を言いながら旧校舎探索から出てきた《Ⅶ組》一同が見たのは、倒れる四人である。

 教官のサラに、フィー、エマ、カタナ。四人がそれぞれ重なるように、意識を失っている。

 慌てて駆け寄って、何があったのかと声を掛ける。

 そこで気付いた。

 

 「…………なんか、凄く安心した顔で寝てるんだけど」

 

 三人分の体重が乗っかって重いのか、サラ教官の顔は魘されている。

 一番上の委員長に潰されているフィーは、胸に埋もれて苦しいのかもぞもぞ動いている。

 しかして、サラとフィーとの間に挟まっているカタナは。

 実に呆けたような、馬鹿みたいなノーテンキな顔で、寝息を立てているのであった。

 

 「すわ事件かと思ったぞ。……いや、何かあったようではあるが……」

 「……風邪を引かれても困るな。起こして、具合が悪いなら保健室に運ぼうか」

 

 若干荒れた大地に、散乱している道具に、武器の様子に、とラウラが首を傾げている。

 何があったかを知るには本人らを起こさないとダメだろう。

 

 地面に転がる四人のARCUSは、仄かに輝いている。

 何があったのかは分からないが――きっとそれは、悪いことではないに違いない。

 




Q:グノーシス+『イストミア異聞』
A:ケルディックの時から考えてた組み合わせ。
この二つを合わせれば、閃Ⅰでの委員長でもいけるかなーと判断しました。
こっそりセリーヌも手伝ってます。

Q:まさかの初キスシーン。
A:サラ教官への人工呼吸みたいなもんである。因みに教官も気にしない。
……この先のサービスシーンも、果たして色っぽくなるのかは、謎である。
相手が男子だったらどうなるんだろうか。

Q:今回のリンク。
A:カタナ―エマ―サラ教官のリンクが強化されました。
実はフィーとの強化もありますが、これは半分くらい。次に一緒に行動する時に育ちます。

Q:結界の解除と、全員の移動やら、片付けやらの小細工諸々。
A:セリーヌ「後で文句を言っても許されると思うわ」


さあちょっと間を挟んでバリアハート篇
今度はユーシスとマキアスとの関係にも触れつつ、邪悪な貴族の罠に挑みましょう。

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ではまた次回。

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