私が目覚めて最初に見えたのは、見覚えがあるような無いような天井だった。
ホテル・エスメラルダが営業中止なのは当然として……どこだ、此処は?
寝台もシーツも布団も上質な物。寝台の上に天蓋こそないが、精緻な彫刻や天井画が見える。
確か私達は――地下水路で、アイリ・アドラーと戦って……。
電撃を受けて気を失って……。
それで……えーと……リィンが立ち上がったのは覚えている。
「……サ、サラ教官らが、間に合った、のかな」
「彼女と、私達だな」
隣から声が聞こえた。
身を起こして、そっちに顔を向ける。
……正確に言えば
ビシィ!っという音がして、体の芯に痛みが走った。
「んっが……! っつぅ……!?」
外的な痛みではなく、内的な、非常に強い疼痛。要するに。
(こ、これ、筋肉つ……う……!)
じたんばたんと動くと余計に響く。
悶える私に、声を掛けた女性は、私をベッドに休ませる。
「そのまま横になっていると良い。……私の自己紹介は必要かな?」
筋肉痛と言うことは、覚悟して我慢すれば動けるということだ。
が、今は言葉に甘えさせていただこう。
首だけを何とか横に向ける。
女傑が居た。
《七耀教会》の制服に身を包んでこそいるが、存在感がその辺の司祭やシスターとは別格だ。
長い緑が掛かった髪が、片目を隠すように伸びている。垣間見える瞳は、強く鋭い。
「……ひ、ひょっとして、アイン総長さん、ですか?」
「カーネリアだ。ここではそう呼んでくれ。その様子だとケビンから私の話を聞いていたかな」
「な、何かと、有名な方なのは、確かだと、思います」
《七耀教会》所属《星杯騎士団》の、総長。
リベールでの一件で知り合ったケビンさん曰く――色々と別格な人。
私の目ですら、立ち振る舞いを見ただけでわかる。『執行者』より格上。アリアンロード様には一歩劣るだろうが、アリアンロード様が本気にならないと勝てない、そんなレベルの人だ。
「ま、まさか私の、看病を?」
「いいや、偶然だ。起きる頃かと思って様子を見に来て、タイミングが合った」
「……助けてくれて、ありがとうございます」
「間に合ったのは、君達が頑張ったからだよ」
軽く微笑んで、さて、と彼女は私に切り出した。
途端、表情が真剣になる。懐から小瓶を取り出す。そこには数個の青い錠剤が残っていた。
「確認しておかないといけなくてね。君はこの錠剤が何かを、知っている。そうだね? ……よろしい。では君はこの瓶以外に、これの心当たりはあるかな?」
「……えーと」
私の、どう答えたものか、という目線に、アイン総長は軽く苦笑して。
「バレスタイン教官の持っていた残薬は全て回収した。ルーファス氏の助力も得て、目下領邦軍に流れた品も処理を進めている。空いている人員を割いて、栽培場所が他にないかも確認中だ」
「そ、それなら、無いです。アイリが持ってたのは……多分ですけど、本当にいざという時のドーピング用だったと、思うので」
私の正直な言葉に、彼女は、それなら良いかと頷いた。
そして理由を説明してくれた。
「先日の……クロスベルでの《教団事件》。あの事件で、これが乱用されてね。私の部下から連絡が来たんだ。これも『
ケルディックや田舎ならば、アイン総長が出てくる必要もなかったのだが……流石に《四大名門》ともなると、相応の立場の人間でないと色々難航するかも、ということらしい。
「元々トビーに捜査の手伝いを依頼するつもりだったんだが……まさか逆にトビーから、一緒に君らを助けるのを手伝ってくれと言われた時は驚いた。結果的に、バレスタインさんと三人で行動出来たおかげで、かなり迅速に動けたがね……」
とはいえ相当面倒だった、と彼女は教えてくれた。
アイリが手配した魔獣だの、身分不明の兵士などは鎧袖一触だったが、それ以外が大変だったそうだ。ヘルムート卿、かなり鬱陶しい妨害を用意していたらしい。
身分確認だの、どこどこへの移動や調査へのご協力をお願いしますだの、バリアハートの街中で武器を振り回すための許可だの、書類が多いだの、書類手続きに異常に時間がかかっただの。
仕方がないので、最終的には『地下水路で爆発が起きています。猟兵が民間人に危害を加えるでしょう』と強引に押し切り、鉄コンテナを無視して壁を切り刻んで、突入した、とのこと。
「アイリ・アドラーは逃がしてしまったけれどもね……。おそらくもうバリアハートには居ないだろう。ひょっとしたら帝国にも居ないかもしれないな。ただ君らが頑張って撤退させたお陰で、私達は6人全員を
「無事に、……なんです?」
アイン総長の目が一瞬、凄まじく鋭く私の胸を観察した……気がした。
訝しむ前に、彼女は表情を和らげ、微笑みで隠してしまった。
「いや。無事に、救助出来たというだけだよ。ルーファス氏の手配で、此処に運ばれたというわけさ。さ、皆と合流すると良い。そろそろ目を覚ます」
差し出された手を遠慮しつつも借りて、私は立ち上がり。
「ったぁ……! 痛ぃ……! うぅぅ……!」
やはり全身の筋肉が悲鳴を上げている。
幾らアイリとの激闘と、感電が重なったとしても、ちょっとばかり酷すぎないだろうか。
涙目になりながら、生まれたての小鹿のような足で、歩を進めたのであった。
○ ○ ○ ○ ○
「おお、おおはよう……み、みんな……」
「カタナさん! 目が覚めたんですね! ……なんかプルプルしてません?」
「き、筋肉痛で、死に、そう……!」
大部屋に入ったところで、此処が何処なのかが把握できた。
アルバレア公爵家の邸宅だ。
そして今は、あの地下水路の戦いの、翌日の昼間。
5月31日。
月曜日だ。
(……学校始まってるじゃん!!)
本来なら早朝に此処を発ち、授業を受ける計画だった筈なのに!
「無理をするものではない。……シュバルツァー君も休んでいる」
ルーファス・アルバレアが居た。
恐らくは一番大事な執務室だろう大部屋の、一番奥まった席に彼が座っている。
他の皆は椅子に座って――座っていても疲労困憊の状態で――サラ教官と、トヴァルさんと、アイン……じゃなかった、シスター・カーネリアが壁際に佇んでいる。
リィンだけは不在だ。なんでも今も昏々と眠っているらしい。
「さ、流石に、話は、聞けますので」
「……こう言っています。兄上、説明をお願いします」
私はエマとフィーとの間に腰を下ろした。
太腿をぺしぺしとフィーに叩かれる。やめろ、くすぐったい、痛い。
代わりに私もぺしぺしとしたらエマに怒られた。解せぬ。
そんな様子を見て「大丈夫そうだな」と確認し、ユーシスが促した。
ルーファスさんは、ではまず、と口を開いて。
「父上が申し訳ないことをしたね」
と、立場ある人間としては非常に珍しいことに、軽く頭を下げた。
驚く私達に「言い訳になってしまうが」と前置きをして、話し始める。
「何か良からぬことを企んでいたのは察していた。ただ何が起きるかまでは掴めていなくてね。……情報がおかしい、と気付いて戻ってくるまでに、時間がかかってしまった」
「情報統制してた、みたいだけど」
「そう。父上は私に余計な情報を渡したくなかったようだね。……だが、世の中には『届かないこと』で異常を知らせるメッセージもある。私は逐一《Ⅶ組》の実習に問題は無いのか、と確認を取っていた。どの答えも毎回『何も問題が無い』としか返ってこない」
だから気付いたよ、と説明してくれた。
ルーファスさんの言葉に、フィーは納得したように頷いた。
事前に打ち合わせた
「慌てて戻ってきたら、サラ教官らが兵士らと揉めている。聞けばたった今、地下への入り口を壊したというじゃないか……。その一件は私の権限で無かったことにして、君らを急ぎ運び入れ、治療を施したというわけだ。――ホテルの事件で何かと混乱も大きかったが、幸い優秀なシスターが居てくれた」
壁際のシスターが不敵な笑みを浮かべてくれた。
皆への手当は、彼女が法術で行ってくれたらしい。
(そう言えば、変な色のリィンの治療もしてくれた、で良いのかな)
……あの一件、機を見てクラスメイトとして、確認しておかねばなるまい。
リィンに秘密があるのは察していたが、とんでもない爆弾だった。
そこまで話した後、ルーファス氏はさて、と話を変える。
「諸君らも知っての通り、今は月曜日だ。――この件に関しても、私の方で補填をしたいと思っている。父上の行いに対する謝罪もあるが……トールズの理事の一人としても、生徒にこれ程の怪我を負わせるのは、決して看過出来ない問題だ」
「その通り。流石に担当教諭としても、そこは主張させてもらいました」
サラ教官は、ヘルムート公の行いにきちんと抗議したそうである。
勿論、口頭だけでなく、ヴァンダイク元帥からの正式な書面も一緒に。
私達が一日寝込んでいる間、今日の午前までで、大体の面倒な後処理はやってくれたらしい。
「補填の具体的な内容は……君達から直接聞こうと思って、こうして集まって貰った形だ」
「書面とかではなく、ですか」
「ではなく、だね」
エマの問いかけに、ふむ、と納得する。
(……あー、これテストなのか)
私達は被害者だ。要求しようと思えば、要求できてしまう立場。
ルーファスさんも、負い目があるから、大体の要求は飲む。……ちょっと小狡い子供ならば、欲を出せてしまう状況なのだ。
サラ教官が目を光らせていれば、正当であり、且つ『適度』かどうかを確認できる。
一日授業を休む分、少しでも別の場所で経験を積ませておこうという魂胆だろう。
「ではまず自分から」
ユーシスが先陣を切った。
「自分から兄上への要求は1つです。今回の一件で……発生するだろう、カール・レーグニッツ帝都知事を始めとする《革新派》への非難を防いで頂きたい。今回の件、彼らは被害者です」
「……意外だな。君がこっちを庇うとは」
「こんな身内の不祥事で、同級生の顔に泥を塗るほど俺は愚かじゃない」
ユーシスの要求に、マキアスは意外そうな顔をして反論した。
ルーファスさんは二人のやり取りを楽しく見守って、頷く。
そして「他の皆はどうかな」と促した。
マキアスが続いた。
「……自分からは、移動費と治療費、それと課題の締め切りを伸ばして頂ければ十分です。……授業の振替に関しては、其方とサラ教官が既にお話されているでしょうから。きつくなったスケジュールは、
これまた意外な発言が飛び出した。
一同、揃ってマキアスを見る。彼はなんだその顔は、と憮然として言った。
「少しくらいは成長したということだ。……悪いか?」
「良いんじゃない? あ、私は今回で消費された、武器弾薬・医薬品、つまり戦闘での消耗品のミラを要求かな」
マキアスへの生暖かい視線が集まる中、フィーが手を上げた。
「全員、武器がほぼおしゃかになった。リィンの太刀、マッキーの銃、委員長の杖、カタナの小太刀もだね。私も相当、弾も火薬も使った。ちゃんと領収書渡すから」
「分かった。負担しよう」
辛うじて使用可能な武器は、フィーの銃剣だけ、という状況だ。
リィンの太刀は折れ、マキアスの導力ライフルは銃身ひしゃげて使い物にならない。
ユーシスの長剣も、アイリのワイヤーを斬った際にかなり欠けてしまったそうだ。
エマの魔導杖は爆発までしてしまった――これは元々エプスタイン財団からの貸与品で、定期的に他試作品と交換して使っているわけだが、流石に『全損』は費用が掛かる。
「……そう、ですね」
少し考えた後、エマが、では、と切り出した。
「私達が地下水路で戦った一件、猟兵アイリとの戦いらの情報を、出来るだけ隠して頂けませんか? 本来ならば、表彰でもされるのでしょうけど……そういうのは必要ないかと思いまして」
(……あー、色々あったもんなぁ)
リィンの変貌もあるし、エマの『魔眼』もある。他にもあるかもしれない。
そうした情報を表に出さないで欲しい、という遠回しな要求だ。伝わったようだった。
後は……私か。私は――。
「……か、かし……」
「菓子かい?」
「い、いえ。『貸し』を1つ、で、お願いします。リィンが居ない今、ここで全員分、決める必要も、無いでしょう、から」
正直、何か要求しようにも、皆が欲しいモノを言ってくれたので、頭に浮かばなかったのだ。
ルーファスさんのことだから、目覚めたリィンにもきちんと話を通すだろう。
だから後でどんな風にでも出来そうなワイルドカードにして貰ったのだ。が……。
「……君のことだ。きっと予想もしない所で切ってくるんだろうね」
「ご、ご想像に、お任せ、します」
なんか感心されてしまった。
別に『結社』時代の経験であれこれするつもりとかは全くないのだが。
まあ、ブルブランとの仕込みを見破った報告は受け取っているだろう。更に言えば領邦軍相手への立ち回りとか、オーロックス砦でのあれこれとかも知っているなら、私への評価は多少高いのかもしれない。
損ではないかと計算する。素直に受け取っておこう。
「さてそれじゃ、話も終わったし、帰る準備をしましょう。B班はとっくに帰って授業を受けてるわ。今日中にそれぞれノート借りるなりなんなりしておきなさい。……ルーファス閣下は」
「分かっている。次の実習に関しては要相談しよう。近い内に、理事会で」
サラ教官に促され、私達は退室することにした。
タイミングよく、廊下でメイドが報告をしてくれる。
リィンが無事に目覚めたようだ。
(出迎えに、行ってやろう)
皆で、だ。
皆の姿を見れば、アイツも少しは安心するだろう。
○ ○ ○ ○ ○
「僕は貴族が嫌いだ。だが、殺したいほど憎んじゃいない。……その辺の貴族以上に怖い奴らが居ることも学べたからな。――だから……今迄の件は、謝る。すまなかった。――その上で、今後は……まあ、まだ抵抗が無いと言えば、嘘になるが………同じクラスメイトの一員として、やっていけたらと思う」
「そうか。そう言ってくれて嬉しく思う。これからもよろしくな、マキアス」
「ああ。……待てリィン! 誤解の内容に言っておくが、そこの
「呼び捨てとは良い態度だ。俺もこれからマキアスと呼んでやろう」
「私これ知ってるよ。ツンデレって奴でしょ」
「「違う!!」」
ここは、トリスタへと向かう列車の中。
既に日は落ちて、窓からは星空が見えている。
乗客の目がこっちに向いたのに気付き、男子らは慌ててボリュームを調整した。
フィーの言葉に、揃って否定を返した二人だった。
入学式の時も思ったが、彼女の自由な態度は、肩肘を張っている二人には特攻らしい。
流石は《西風》の《妖精》。奔放さで言えばクラス一番だ。
……まあ、その奔放さ故に、しっかりお説教を受けたのだが。
『フィー? 良い? 確かに今回、アンタの判断でA班は猟兵の襲撃を乗り越えたわ。だけど、勝手にB班から離れてこっちに来た件、結果オーライでスルーは出来ないからね?』
『分かってる。叱られるのを覚悟してた』
『OK。良いわ、じゃ宿題を出します。次は無いわよ』
フィーはA班B班両方の実習レポートを書く、というペナルティを受けることになった。
ラウラらに任せてしまった分の仕事を取り返しなさい、と言う意味もある。
「ですので、フィーちゃんが書ける内容と言うと……」
「んー……そうだ。バリアハートの防衛構想とか行ける?」
「都市の治安維持や、兵士の行動……紛争を見据えた備え、とかですか? 良いと思います」
フィーは、エマと一緒にレポート内容を詰めていた。
レポートとして纏めるのは帰宅してからだが、今の内に整理をしておこう、というわけだ。
リィン、マキアス、ユーシスらはサラ教官と共に、やいのやいのと言いながら仲良くしている。
私は、それら二組をBGMで聞きながら。
「どうしよっかなぁ……」
一枚の封書を眺めている。
ルーファスさんから預かったものだ。
内容は……簡潔に言えば『『貴族派』に来るなら歓迎しますよ』という物。
ご丁寧に、アルバレア家の家紋だけでなく、ログナー侯爵家の家紋まで入っている。
まあ、そりゃまあ、トールズでもサロンに出入りしているし。
バリアハートで夜会に出席した時に、名前と顔は覚えられてしまったし。
都合が良い時にだけ「貴族ですよ」という顔をしているのは、良い顔されないことも確かだ。
「でもなぁ……『貴族派』なぁ……」
「貴族の助力を得られるのは悪いことじゃないぜ?」
悩んでいる私に声を掛けたのは、トヴァルさんだった。
これからアルスターという帝国の田舎まで足を運ぶらしく、私達に同伴したのである。
彼も、レグラムと言う湖畔の街で、アルゼイド家(つまりラウラのお父様だな)の庇護の元、遊撃士として今も、細々とだが活動出来ているという。
シスター・カーネリア――アイン・セルナート総長とは、別れを済ませてきた。
いざという時に使うと良い、という教会のお墨付きも一緒である。
近い内にまた会うかもしれないね、と話していたが……流石に2回も3回も、あの人が出張ってくるような事件に遭遇したくはない。頼むから6月の実習では何も起きないで欲しいと真剣に思う。
「便利なのは本当だろ?」
「まあ、それは、そうなんですけど」
「顔に出てるぜ。自分が『貴族派』だって表明した時、クラスの皆に不利益が無いかって心配してるんだろう?」
「……おっしゃる通りです」
ぶっちゃけ、受け入れる理由もないが、拒否をする理由もない。
情報を入手するのにも、非常に都合が良い。誘いを蹴ったら、再び誘われるまでにどれ位掛かるか分からない以上、「嫌です」というのは……かなり勿体ない。
ただ、私の根っこに『それがクラスの皆との軋轢を生まないか』という懸念はある。
「大丈夫だと思うけどな。向こうの男子三人の様子を見て、まだ不安か?」
「……そ、れは」
以前のままのマキアスなら、私が所属するなんて伝えたら、どんな反応するか分かった物では無かった。
だが、今はそうではない。
目的と意思を以て決意したならば、皆はそれを歓迎してくれるだろう。
「……み、皆の為に、頑張るっていうのも、あり、なんでしょうか」
「ありかもしれないな。……サラから君のことは聞いている。過去を自分なりに償おうとしているんだ。同じように、何か選んでみるのも悪い話じゃないだろうさ」
私は『結社』に未練がある。
欲張った場合――全部、頑張って成功した場合。
『結社』に所属する『帝国』の『貴族派』という、なんとも……面倒な立場になるわけだ。
いや、逆か。そこまで行けば、帝国で起きている計画の妨害にまで手が届く立場になるだろう。
ならば――まだまだ、超えるべきハードルは高く、多いけれども。
「ま、前向きに……考えてみようと、思います」
そういう選択も、悪くないかもしれない。
こうして私達は、何時もの学校生活に戻っていく。
○ ○ ○ ○ ○
泳ぐ。
泳ぐ。
水の中を、薄暗い通路を、防水性ヘッドライトで照らして、潜り抜ける。
「……っ……はぁ!」
ざぱり、という水音と共に、一つの影が草むらに這い上がった。
水路を泳ぎきり、地上に顔を出したアイリ・アドラーは、大きく息を吐く。
体が冷たいのは、決して水泳が理由だけではない。
脇腹の傷跡は血が止まらないまま。
ドーピングの副作用で、心臓の鼓動は激しく、頭は割れそうだ。
全身の悪寒は、少しでも気を抜いたら自分が気絶することを表していた。
ここはまだ魔獣の生息域。倒れたらそのまま死ぬ。
必死に足を動かし、藪をかき分けて進むと、一台の自動車が目に入った。
「……手配の、通り……ですねぇ……」
後部に大きな収納スペースを備えたトラックだ。
水路工事に使っていた盗品で、脚が付かないように手配は済ませている。
合図をして《ニーズヘッグ》だと確認して、殆ど倒れこむように乗り込んだ。
「……手当、……寒……」
マントを脱ぎ、胴体を貫通している太刀を見る。
引き抜いたら出血が酷くなる。服を破き、大きな血管をまず結紮した後で、肉を切って取り出さねばなるまい。のんびりしていると傷から感染症にもなりかねない。麻酔を……まず、麻酔だ。
「これかい?」
「……それです……」
内容を確認して脇腹に――。
注射しかけて、自分に声を掛けた相手の方を見た。
「女性が服を脱ぐのは頂けないと思うがね?」
「……追い打ちでも仕掛けに来たんですか、泥棒野郎ぉ……」
トランクには、持ち込んだ椅子に優雅に座るブルブランが居た。
白い服、仮面という『怪盗B』スタイルだ。
「いやいや、君の状態を確認しに来ただけさ。何せ」
優雅な態度で、真実を告げる。
「
「……ちっ。……敵意が無いなら、良いです。私は治療しないとヤバいんです。それともなんです? アンタがやってくれるんですかぁ?」
「そうだね。ふむ、まあこれくらいしか出来ないが」
怪盗Bは、指を伸ばし、そのままパチリと鳴らす。
一瞬後、折れた太刀はアイリの身体から抜け出ていた。
「……お礼でも言えば良いんです?」
不思議なことに出血も殆ど無い。
これ幸いと手早く応急手当を済ませ、肉と血の処置をし、抗生物質で解毒を済ませていく。
車がバリアハートから遠く離れる頃には、アイリの状態は何とか持ち直していた。
未開封のパックを開けて輸血をしつつ、痛み止めを飲んで、調子を整える。
「いいや。代わりに尋ねよう。――成果はどうだったのか?」
「……」
大きく息を吐いたところで投げられた質問に、不機嫌そうな顔を隠すこともなく、黙った。
アイリ・アドラーは優秀な猟兵だが、それがイコール『貴族派』へのコネになるわけでは無い。
ヘルムート公に接触するための口実として「カイエン公と繋がっている方々から」と告げた。
それは、真実だ。
アイリは、何とかしてリィンら《Ⅶ組》の実習に関わりたかった。
ヘルムート公は、《革新派》の急所になるような情報が欲しかった。
その仲介を行ったのが『結社』だった。
「……残念ながら、望んだ情報は
「それだけの怪我をして?」
「
リィン・シュバルツァーの情報を伝えることは、出来た。
だがそれはしなかった。する気がなかった。
アイリの弱点になる、という理由は勿論ある。
だが理屈なく……なんとなく、そう、本当に何となく、教えたくないと思ったのだ。
アイリの断言に、ブルブランはふっとキザったらしく笑うと、そうかと頷いた。
「では、その旨をカイエン公には伝えておこう。今後、帝国で仕事をやりにくくなるだろうが」
「良いですよ。暫く帝国には寄り付きません。リベールでもレミフェリアでもクロスベルでも適当な場所で仕事しますよ。色々上から指示されるでしょうし」
そもそも「リストラ計画」も「グノーシス売買」も無事に完遂している。
余計な欲をかいた結果のツケを、自分が支払った。それだけの話だ。
次の依頼に支障が出ないように努めれば、文句を言われる筋合いもない。
「……代わりに聞きますがね、なんでアンタはカイエン公からの依頼を受けてるんです? 今回は私が失敗しましたが。……どうもそっちが得してるようには思えないんですけど」
「そうでもない。実は一カ月くらい前に、カイエン公に一筆書いて貰ったことがあってね。その代わり、《革新派》の弱点探しを手伝う旨を約束したのだよ」
君が失敗したから、また別の方法で情報を提供しなければならないな、と笑う。
カイエン公との交渉の矢面に立たされる、損な役回りの筈だが、彼は余裕を崩さなかった。
「……何が楽しいんです?」
「何。白蛇は可愛いだろう? と思ってね」
ブルブランの笑みに、アイリは『うっわ』と内心で毒を吐いた。
この態度で分かった。怪盗の顔には、先ほどまでと違う
――この男は、カタナ・N・アルビーの中に化け物が居ることを知っていた。
――そして、知っている癖に、それを彼女に教えていない。
何を目指しているのかさっぱり分からない。だが碌なことではないだろう。
……そしてアイリが口を挟んでも、多分何も言わない筈だ。
更に言えば、もう自分には関係が無い話だ。
「報告も終わったんでしょう。……アンタはとっとと消えて下さいよぉ」
しっしっと追い払うと、彼は肩を竦めて指を鳴らす。
一瞬後、彼の姿はトラックから消えていた。
痕跡らしいものと言えば、彼の居た場所に、薔薇だけが残されているだけだ。
完全に姿を消したのを確認して、溜息を吐く。輸血も終わった。
トランクの片隅に積まれた毛布を広げ、近くにあった軍用レーションを齧りながら、運転席に指示を出した。すべきことは全部終わった。後することは、休むことのみ。
「私は寝ます。後は《
運転手が頷いたのを確認して、毛布にくるまった。
暖かさと、車の揺れが、限界を迎えていた意識を一瞬で眠りに誘っていく。
(……この先も苦労するんでしょうが、せいぜい頑張る事です、学生ども……)
眠りに落ちる瞬間。
自分らと渡り合った学生らに、別れの挨拶を告げた。
○ ○ ○ ○ ○
深い、深い、少女カタナの心の奥底で、ゲオルグ・ワイスマンは、嗤う。
名前は身体を表すという。
仮に少女が本当に貴族となったら、その家名は無論「アルビー」となるだろう。
即ち《
故に蛇は、その時を密かに待ち続ける。
かくして戦場は移り変わっていく。
季節は夏へと向かい、舞台は都から辺境の遺構へと変わっていく。
全ての歯車は徐々に――蠢く帝国の闇へと、迫っていくこととなる。
カタナ、未だ閃かず。
閃の軌跡Ⅲにおけるカタナの立場にフラグが追加されました。
・「特科クラス《Ⅶ組》」
・「執行者」
・「帝国貴族」New
因みに執行者になったらどうなるのか? 数字は? というのは既に頭にあります。
まだまだ実力不足なので相当先の話なんですがね!
Q:クロスベルの部下。
A:勿論《蒼の聖典》さんのこと。現在5月末。『特務支援課』入りまで後三カ月。
Q:カイエン公からの一筆。
A:ケルディックで《Ⅶ組》を解放する代わり、《Ⅶ組》に属する面々の情報を渡すことを約束。
リィンを探っていたアイリを雇い、ヘルムート公と引き合わせた、というのが今回の事件の全容。
つまり大体ブルブラン及び『結社』が悪い。
さて長かったバリアハート篇、これにて終了。
次回は閑話を挟み、ブリオニア島の実習……の前に!またあれこれ!色々!やりますよ!
色々伏線を貼ったり逆に回収したり修行したりと、堅実に邪悪に進めていこうと思います。
ルーファス周りの描写してないですし、あちこち足を運びたいですしね。クロスベルとか。
次回「割と暇な学生たちの一日」。
それではまた。