カタナ、閃く   作:金枝篇

50 / 60
祝、50話。
いつも感想、評価、誤字報告等有難うございます。
これからも頑張っていきます。

後半戦開始というだけあって《黎の軌跡》には大変満足。
色んな描写が従来の軌跡と違って私は好き。
《A》くらい徹底的に悪役やってくれると逆に清々しかったですね。
今後もちょいちょい反映させる部分があると思います。
それにしても共和国、もうちょい横の連携なんとかしないとやばい……。
頑張っているのは分かるのですが、ヴァンとレンが居なかったらどうなっていたか……。
考えるのも恐ろしい……。


ラン・乱・嵐

 ブリオニア島。

 ラマール州から西に暫く行った先にある孤島だ。

 紺碧の都オルディスの領土内だけあって、自然が豊か。

 思わずテンションがあがってしまうくらいに、とっても豊か。

 

 「うみー! やまー!」

 「いぇーい」

 「なんでそんなにテンションが高いんだ君達は」

 

 フィーとハイタッチする。考えてることは一緒だった。

 慣れない操縦を終え、なんとか接舷した私は、無事に島へと降り立った。

 顔色の悪いマキアスが呟く。私の運転で若干酔ったらしい。

 

 「都会じゃ難しい鍛錬の匂いがするからね」

 「分かる……」

 

 島入口から頂上までかなり高低差が有り、魔獣の気配も多い。

 ルナリア自然公園よりも厳しいだろうか。

 あちこちひび割れているが、石畳で舗装されている波止場には、管理小屋が建てられている。

 ……古びているが、実用面では支障がなさそうだ。

 いやーやっぱ自然豊かな世界で大きく伸びると気分が上がるね!

 荷物を降ろして、白い波止場に集まる。

 

 「さて、一同、整列!」

 

 オーレリア伯が手を叩く。

 大声ではないが、思わず背筋が伸びる凛とした言葉だった。

 

 「そなたらはこれから二日間この島で過ごしてもらう。――だが孤島ということで、何かと不測の事態も考えられるだろう。そこで、ミュゼは島に滞在させておく」

 

 ふふっと笑うミュゼ――もう呼び捨てで良いや――が小さく頭を下げる。

 ……良いのかな……安全管理とか……。

 と言っていたら、そっちにも言及してくれた。

 

 「バリアハートやセントアークでの実習時、何かと課題に妨害を受けたことは耳にしている。若者の学習機会を奪うとは、同じ貴族として忸怩たる思いだ。――そこで私も、何か遭った時即座に行動できるように準備は整えた。そなたらが実習を終えるまで、近辺に滞在している」

 

 ラマール州の実家には、数日家を空けると既に手配を済ませてあるそうだ。

 そして伯爵本人は、この辺りでしか出来ない諸々の雑務を終わらせるとのこと。

 

 「《銀鯨》の運用する大型船で、実習は常に確認できるように備えてある。向こうの――」

 

 私達五人+ミュゼが過ごすには十分だろう管理小屋を指差して。

 

「小屋の中に、通信設備も入れておいた。そなたらの実習こそ手伝わないが、ミュゼが定期的に、私達に連絡を入れる手筈となっている。――定期連絡が来ない、もしくは設備が壊されたと把握した状況になった場合、即座に駆け付けるから安心せよ。たとえ嵐だろうが暴風雨だろうが、泳いででも島までやってくるからな」

 

 ……実際に出来そうなのが怖い!

 ラウラは『出来”そう”ではない。実際に出来るお方だ』と目で教えてくれた。

 オーレリア伯が『何が何でもすぐ駆けつけてくれる味方』であることは、心強かった。

 

 「さて、前置きはこれくらいにして課題を配ろう。受け取るが良い」

 

 トールズの押印がなされた封書を開ける。

 一日目、ということで課題が2つ。

 

 課題1:生活環境の確保。

 課題2:船舶の臨検手伝い

 

 これは、中々、どっちもやり甲斐がありそうだ。

 オーレリア伯は楽しそうな目で私達を観察している。その挑戦的な瞳に、負けては居られないと各々に火が灯った。私達は互いに円陣を組んで、気合を入れたのである。

 それじゃあ頑張るとしましょうかね!

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 生活環境の確保、という課題は、そのままだった。

 建物だけしかないこの島で、まっとうに生活できる様に諸々を調達しろという課題だ。

 

 「緊急用の水と、携帯食料だけ置かれていた。後は干物と、薪、火種があるだけだな」

 「多分、島にやむを得ず来た人用の備蓄なんだろうね」

 

 室内の備蓄を確認したのは、マキアスとフィーだ。几帳面な彼の字で、リストが作られている。

 波止場にあった建物は2つ。管理小屋と、その隣に敷設された大きな建物だ。

 大きい方は施錠されている。

 施錠されているということは『使うな』というお達しなのだろう。窓から軽く覗いた感じ、嘗ての住人の持ち物とか、軍の備品とか、外において置けない船のパーツとかのようだった。

 小さい小屋に、薪と着火剤だけはあるということは……多分、煙を立てると巡回の船や軍が気付いてくれるのだろうな。

 

 「ベッドはあったけど……。6人が雑魚寝するのはちょっと大変かな……」

 

 私とフィー、あとラウラならば外で厚着して寝ることも出来るだろう。

 だが、それは『課題を終えた』ことにはならない。

 生活基盤を整える、とは言い換えれば衣食住を揃えるという意味だ。もっと言えば『水の確保』と『寝床の確保』になる。家はあるし、服もある。寝床のスペースは足りないけど。

 

 「ふ、船は手漕ぎが一隻。あとは、網があったくらい。……頑張れば海まで運べる、けど……」

 「釣りの方が効果的だねってカタナと話してたよ。ラウラは?」

 「野生の魔獣は多いし、植物も豊富だ。調達は出来ると思う。……問題は、水源だな」

 

 因みに、ミュゼはミュゼで、ちゃんと食料と水を持ち込んでいる。

 勿論これらを私達が使うことは出来ない。

 一方、私達が調達した物資を彼女に分け与えるのは何も問題がない。

 余裕があったらで良いですよ、という笑顔を浮かべているが。

 彼女の分まで調達したほうが、評価点が高くなることは、言うまでもない。

 

 「ラウラどうする?」

 「……二手に別れよう。不慣れな島の探索だから……全員で行きたいところだが……ミュゼさんを連れ回すわけにもいかない。放置しておくわけにもいくまい」

 「了解。私とラウラだけじゃ不安だね。エリオットも私達と一緒に来て。杖あれば、魔獣の生態系も解析出来るでしょ」

 「じゃ、じゃあ私とマキアスが、波止場に残るってことで。掃除して、火を熾して、魚も、確保しておく。水もまあ、出来る範囲で何とかしておくよ」

 

 とはいえ水源を確保してもらうのが一番なのだがな。

 寝床についても……何とか確保しよう。

 

 「じゃーよろしく。私達はぐるぐる回ってくる」

 

 手を振って気軽に歩いていくフィー。先陣を切るラウラ。エリオットは若干緊張気味だ。

 無理もない。彼もルナリア自然公園で、野生の猛威を体感した身。それよりも手強い獣が彷徨っているのは肌で感じているだろう。……それでも付いていく辺り、彼も成長している。

 

 「それでカタナ。何からするんだ?」

 

 経験豊富な私の指示を聞いたほうが良いだろう、とマキアスは即決してくれたらしい。

 やらないといけないこと、やっておきたいことは色々あるけれど……。

 取り敢えず、時間が必要とされることから、だ。

 

 「ひ、火をおこして、鍋を2つ用意するところから、始めよっか」

 

 食器類は木棚に収納されていた。これを使おう。

 飲料水は、幾らあっても困らない。

 これだけ自然豊かな島ならば、どこかに水源はあるだろう。だが安々と水を運べるとは限らない。急勾配の斜面を長距離移動しないといけない、とかになったら、それだけで大変だからな。

 だから私らの方でも、水は確保する。

 

 「こう……大きな鍋の中に、小さな鍋を入れるでしょ? で、大きな鍋に、海水を入れます。……蓋をします。後はゆっくり、煮ます」

 「分かった。蒸留するんだな?」

 「せ、正解」

 

 流石に理解が早い。

 大きな鍋から立ち上った湯気を、蓋で受ける。その蓋から小さな鍋に雫が落ちるようにする。

 そうすると小さな鍋の中には、純粋な水だけが残るという仕組み。

 割と古典的な方法だが、ぱっと思いついて実行するのは難しい。

 

 「火を、熾火にして、あとは時々、沸騰しないように、様子を見ます」

 

 周囲には沢山の樹々がある。薪の材料には、事欠かない。

 後は定期的に、小さな鍋の水を、煮沸消毒した別の器に移していけば飲料水の完成だ。

 海水を煮詰めるから、大きな鍋には塩の塊が残るだろう。こっちはこっちで料理に使えば良い。海水そのままだと汚れとかが心配だけど、まあしっかり火を入れれば大丈夫。多分。

 

 「次、寝床」

 

 管理小屋の中には、ベッドが2つだけあった。布団もシーツも埃っぽいが、掃除すれば使える。

 だが幾ら頑張っても2人から4人が限界だ。私とフィーとミュゼとラウラがぎゅうぎゅう詰めになれば辛うじて行けるかくらい。その場合男子には床で寝てもらうことになる。それは不味い。

 天井を確認する。

 立派な梁が幾つも掛かっていた。

 

 「マキアス、網、持ってこよう。結び方は、教えるよ。……分かる?」

 

 これだけ立派ならば、ちょっとくらいの荷重ではびくともしまい。

 掛け布団とか梯子を、別途用意する必要があるが……。

 私の、ぶらぶらさせた指の動きで、察したようだった。

 

 「ハンモックか?」

 「はい、またまた正解。それなら、寝るのに十分でしょ」

 

 網を広げて、端で解けないようにしっかり結んで、吊り下げる。

 ちょっとコツが必要だが、非常に便利な寝具だ。サバイバルにおいては、最悪、その辺の木の枝とか繊維だけで作れてしまう。漁用の網は頑丈だからな。全く問題は無いはずだ。

 

 「で、後は、……魚の確保かな……。マキアス、釣り出来る?」

 「体験したことがあるくらいだな」

 「オッケー。なら後で教える。一先ず、火の管理しながら、ハンモックから、やろう」

 

 ミュゼは大人しく座ったまま、穏やかに本を読んでいる。

 彼女が何もしないということは、危険が無いと捉えて良い筈。

 ラウラ達が戻ってくるまでの間、さっさと課題を片付けておこうっと。

 こういう小技を振るえるのは、割と楽しい。器用貧乏の面目躍如だ。

 

 それから、大体1時間くらいは経過しただろうか。

 

 「ただいまー、……あれ、カタナ何してるの?」

 「魔獣避け用の、組み立て式の、据え置き街灯、用意、してる」

 

 おかえり、とエリオットらを出迎える。

 私は外で作業中。

 魔獣避けの灯り――よく道の両側に、一定間隔で置かれている、あれを作っていた。

 普段は魔獣が近寄らない波止場でも、人の匂いを嗅ぎつける可能性はある。

 

 即席の組み立て式で、あまり光も強くないが、管理小屋近くに魔獣が近寄らなければ、それで良い。地面に置かれたそれに、クオーツをセットして、蓋を閉じる。後は暗証番号とスイッチを入れれば――。

 

 「ほ、ほら、点いた。……これで夜も、安全。……そっちの収穫は?」

 「水なら、ご覧の通り」

 

 ほら、と背中のリュックを開けて見せてくれる。

 一見すれば到底持てない大きさの、リュックの中に詰め込まれたボトル。

 その中には、綺麗な水が蓄えられている。

 

 「滝があった。こっからじゃ見えないけど、少し歩くとすぐ目に入ったよ。かなり大きな滝で……魚も泳いでた。途中から道の舗装は無かったから、ちょっと魔獣が面倒だったけどね」

 「怪我はしなかったか?」

 「あはは、なんとか。ラウラとフィーに助けられたよ」

 「独自の生態系、と言うのだろうな」

 

 掃除中だったマキアスも顔を出す。マスクと頭巾が意外と似合っていた

 同じく荷物を降ろしたラウラが、エリオットの記した魔獣ノートを片手に説明してくれる。

 

 「予想よりも、獣の数が少なかった。居るには居るが、凶暴で大型の獣だ。ゴーディオッサーやササパンダ―の近縁種だろう。毛皮も分厚いし、肉も硬い。食肉を採るなら鳥からだな。――自然が深い分、植物も虫もかなり鬱陶しい。一人で別け入るのは止めておいたほうが良い。一番簡単なのは魚だろうな」

 

 軽い偵察だったので、島の反対側までは足が伸びていないそうだが……。

 島の反対側には砂浜があって、貝類や甲殻類はそっちでならば取れそう、とのこと。

 更には謎の石像がちらっと見えたとか。

 

 石像。……そう言えば、あったね、石像。

 予習で確認してある。この島は、古くからの精霊信仰が色濃く残っている。

 その象徴たる最たる例が、島の中央部に置かれている『石像』である、と。

 ……古い遺跡と一緒の石像という時点で、私の中のワイズマン知識は『きっと古代ゼムリア文明の遺産なんだろうなあ』と結論を出している。が、文献でも、昨今の資料でも、オルディスのガイドでも、殆ど名物というか観光名所扱いだったので、特に気にはしていない。実際にアレを見るツアーとかあるらしいし。

 

 「衣食住の確保は、出来たと見ていいだろう。では昼食を食べながら、2つ目の課題を考えようか」

 

 肉は取れなかったが、自生している根菜や葉野菜、卵等は集めてきたそうだ。

 釣った魚と合わせれば、5人+1人が食べるには十分な分量が確保できる。

 竈には火を入れてある。強弱の調整は難しいが――。

 

 「う、腕、ふるいます……!」

 

 袖をめくった私は、油を敷く。

 切り分けた魚(毒はない筈)を投げ入れると、皮目が焼ける香ばしい匂いが立ち込めていく。

 こういう時でも美味しさを提供するのが、小間使い(元)の仕事だ。

 午後からの活動に備えて、ちょっと腕を振るうとしよう。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 「船の臨検だったか。普通はラマール州の領邦軍が行っているのか?」

 「どうだろう。陸での列車での運送に関しては、鉄道憲兵隊がやってると思うんだけど」

 

 根菜類を蒸して、柔らかくする。それらを潰して小麦粉と混ぜ、良く捏ねる。

 出来た生地を適度に切り分けて、茹でる。これで主食のニョッキが出来る。

 

 「レグラムでは我が家がやっているな。湖を経由して運ばれてくる品のチェックも仕事の内だ」

 「課題には、既に通達はしてある、って書いてあるね」

 

 釣って炙った魚と野菜を煮込み、塩と香草でスープを作る。

 濃い目に取ったスープには、小麦粉を追加してとろみを付ける。卵は……溶いて、混ぜ入れるか。後はニョッキを入れれば完成だ。

 

 「パスタじゃないけど、『潮風のスープパスタ』、アレンジバーションです。ミュゼもどうぞ」

 「あら。では、遠慮なく」

 

 深皿に6人分。取り分けて味わいながら課題の話を続ける。

 海は広い。

 ブリオニア島くらいまでならオルディスの軍で目が届いても、それ以上となれば難しい。

 どういう理屈かこの世界の海には《限界》があり、そこから先には進めないのだが(この辺の理由も、多分《蛇》の上層部の皆さんは知っているのだろうが)、それでも広いものは広い。

 

 極端な話、レミフェリアやオレド自治州、ヴァリス市国から、北の海をぐるっと迂回して、帝国の領海に入らず南下し、リベールを超え、カルバード共和国や、エルザイム公国、はては南方の群島方面まで行こうと思えば行けてしまう。

 やるメリットがないから、商船はやらないだけだ。単純に航続距離とか利益の問題もあるし、港/河の整備状況でも結構違いがあるし。その距離なら帝国回らず東回れってのもあるけど。

 

 ちなみにエルザイム公国とは、カルバード共和国の東に位置する、月の旗を掲げた砂漠の国だ。私も行ったことがあるけど面白い国だよ。

 

 ともあれ、帝国も、見える範囲できちんと検査しているわけだ。

 確かに人手が欲しそうな仕事だ。

 

 「と、飛び込み、じゃないってことかな」

 「そだね。臨検の監督さんというか、手解きをしてくれる役人さんには話が通ってると思う。乗り込む船には伝わってないかもだけど。手順とかは教えてくれると見た」

 

 くにくにと口の中でニョッキが躍る。うん、良い噛みごたえだ。

 ミュゼも満足そうな顔をしているところを見るに、公女様の舌にも適う味になっている様だ。

 

 「となると、オルディスと往復してる商船とかかな」

 

 オルディスに着陸した際、コンテナを山程積載できる大型船舶が泊まっていたのは確認した。

 ああした類の船のチェック、というのは割とありそうな仕事だ。

 内部の荷物管理、航路、商船の経営、護衛手配などなどレポート内容には事欠かない。

 

 「ともあれ、食べたら出発するとしよう。火の取り扱いだけ頼む」

 「も、戻ってきたら小屋が焼けてたとか洒落にならないものね……」

 

 因みに臨検にはミュゼも同伴するということだ。

 活動には口を出さないが、通信機器を携帯して、逐次オーレリア伯に報告をしてくれるとの事。

 

 (護衛を1人か2人くらいこっそり派遣してくれても良いだろうに……)

 

 とは思うが。

 居ないならば、しょうがない。

 私達が全員課題をこなしている間、島に一人で留守番させておくのは良くないからな。

 鍋のスープは……しっかり蓋をして、保存しておこう。夕食のスープでも良いし、穀物を入れてリゾットにしても良い。オーレリア伯の課題だ。きっと疲れる内容に違いないのだから。

 

 課題にはしっかりと海図も同封されていて、『ここで合流すること』と記されていた。

 これを読むのも課題、ということらしい。

 管理小屋の本棚には、この課題に使え、と言わんばかりに航海方法を記載した書籍が数冊置かれていた。かなり分厚い専門書だ。

 

 「私が読むよ。地形図や天気図を応用すれば、だいたい分かるから」

 「分かった。じゃあ、先導をフィーに任せて……船の運転は私と――カタナ、頼めるか?」

 「ん。じゃ、エリオットこっちで。さっきまでそっちと一緒だったから今度は交代しよう」

 

 先行する船に、フィーとラウラとマキアス。後発の船に私とミュゼとエリオットだ。

 話がまとまったところで、各自食事も終わりだ。

 器に装ったスープパスタは全員綺麗に完食してくれていた。……やったね!

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 こうしてブリオニア島を出発した私達だったが、指定されたエリアに近付くにつれ、速度を落とすことになった。

 視界が悪くなったのだ。立ち上る靄が、徐々に濃くなり、周囲を包んでいく。

 もう数十分で指定されたエリアだと思うのだが、乳白色の世界では速度も上げられない。

 

 「海霧って奴かな……」

 「離れ過ぎるなよ!下手に迷って漂流となったら目も当てられん!」

 「そっちにこれ結んでくれ!」

 

 マキアスが投げてくれたロープを、此方の船に結ぶ。これで逸れる心配はない。

 

 「ミ、ミュゼさ……ミュゼ、この辺で海霧が発生することは多いんですか?」

 「……いえ。……珍しいですね」

 

 ミュゼ公女も、考えていた。

 自然現象故、これが偶然の可能性は十分あるのだが――つい深読みしてしまう気持ちも分かる。

 とはいえ、方角は分かるし、通信機器も普通に使える。磁石、船の機械、その他に異常はない。じっとしていて魔獣に襲われるのも何だ。ゆっくり進むことにした。

 それから10分程。

 フィーの案内によれば、この辺の筈……。

 

 「居た!――いや、居たけど……緊急事態だ!」

 

 双眼鏡で周囲を観察していたマキアスが声を上げる。

 

 「()()()()()()!」

 

 ――そりゃ不味い!

 狩猟経験がある彼に、双眼鏡を渡し、何か異常がないかを確認させていたのが良い方向に転がった。

 指示された方角に進む。霧はますます深くなっていく。

 それでも何とか声と指示を頼りに近付けると、確かに転覆している船が見えた。

 荷物が散乱し、横に倒れた船体も見えている。転覆して、まだ間もない。

 波間に漂う人影が見えた。

 

 「あそこだ、人が居る!」

 「っ……船任せた!」

 

 即決した。

 エンジンを切る。そして制服とスカートと靴、靴下も脱いで下着姿になる。

 エリオットが「!?」とかいう顔をしたが、そんなことはどうでも良い。準備運動は、船の運転で済ませてきた。この季節なら水温もそこまでじゃない。――飛び込んだ。

 

 

 ――「用心しておきなさいね。……そういう場合、またとんでもない事件に巻き込まれてそうだから。フフ」

 ――いやいや、流石に全員の前で素っ裸になるなんてことは、無い筈だ。

 ――それが常識的に考えてヤバいことは理解している。だから起きない!

 

 

 ごめん、起きたわ! いや、下着姿ならセーフだセーフ。多分!

 髪と手足を駆使して一瞬で泳ぎきり、人まで辿り着く。意識は――無い。だが呼吸はしている。

 

 「低体温……じゃない。なにこれ……!?」

 

 回収した男性は、まるで全身が石になったように緊張していた。

 目こそ閉じているが、その強張った顔は、一体何を見たというのだろう。

 転覆してから時間が経過しているなら、低体温症で意識を失うことはありえる。

 だが様子からそんなに時間が経過しているとは思えない。水温がとびきり低いわけでもないし……魔獣の気配も無い。

 

 「取り敢えず、他にも、居ると思う……、お願い!」

 

 そのまま泳いで、ラウラ達に男性を引き渡す。

 倒れた船舶の大きさ的に、他にも乗組員が居るはずだ。

 この船が……臨検の課題用の船ならば、尚更。

 既にミュゼが、通信を入れているだろう。

 濃霧にさえ注意すれば、そう遠くない内に《銀鯨》が駆け付ける。

 

 「でも普通、転覆する前にSOS信号くらいは出すと思うんだけどな……!」

 

 それが出来なかった? それをする暇もないくらいに一瞬の出来事だった?

 考えにくい。仮に転覆したとしても、船員が救急信号を出すくらいの時間はある。というか脱出前に、最低限の報告を入れるのは船員の義務だ。

 

 (――それすらも出来なかった?)

 

 漂流している船員を、更に2人発見。回収。

 泳ぐ内に全景が把握できる。船はかなり大きい。

 これが転覆するなんて生半可な事では起きない。

 接近したら警笛くらいは鳴らすだろうし、衝撃に備えることも可能の筈。

 あの男性の様子――まるで何かやばい奴に遭遇したかのような。

 

 「カタナ、背後だっ!」

 「何!?」

 

 ラウラからの言葉で、振り向く。

 気配はなかった。魔獣の気配も、人の気配も無かった。

 断じて油断はしていなかった!

 だというのに、それは出現していた。

 

 「船 ……っていうか……これどう見ても……!」

 

 ぞっとした。

 背筋に湧き上がった悪寒に、凍りつきそうになった。

 視界がモノクロに変わる。一瞬までまで濃霧でこそあれ、穏やかだった海が。

 出現と同時に、どこまでもおぞましい恐怖となって周囲を包んでいる。

 

 どうみても、()()()……!

 木造船に装甲を貼り付けたような古い意匠の船。

 霧の中から出現したそれは―― 一切の速度を緩めず ―― 私を()()

 同時に感じるのは、全身の感覚を狂わせるような波動。

 

 ――上位、三属性……!?

 

 なるほど、ああ、それなら船が転覆するのも納得だよ!

 レーダーや視界に映らない速度で突き進んだこれが、転覆の原因。そして上位三属性の効果で、乗組員は皆、不調(バッドステータス)を叩き込まれて行動不能ってか!

 轢かれた私も、例外ではなかった。

 私の二の舞になるな、とラウラらに目で合図を飛ばすが、どこまで通じたかは分からない……!

 

 瞬く間に全身が重くなる中、全身を振り絞って小太刀を抜く。

 黒い刀身が、微かに邪気を払った気がした。

 

 「沈んで……たまるかってのぉ……!!」

 

 それを根性で船体に突き刺した。

 私の意識は、そこで途切れる。

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 ――夢を見た。

 

 今より何年も後。

 20歳を越えた私が、影の中を駆けていく。

 光と闇が交錯する大都会。光の側にはフィーが居て、私は闇の中にいる。

 けれどもそれは断じて対立や、不安による物ではない。

 《執行者》になった私は影の中から、遊撃士になったフィーは外から――互いに協力しあい、(あおぐろ)い世界で一緒に戦っている。

 帝国の動乱を乗り越えて、経験を積んだ私達は、相変わらずのやり取りで、相変わらずの態度で、強く繋がった絆の力で――多くの人種と組織と思惑とが絡み合う中、駆けていく。

 確かな未来。そんな、夢を――。

 

 

 「……なに……今の……」

 

 ぎい、という木が軋む音で私は目を覚ました。

 ゆっくりと揺れる室内は薄暗く、錆びた鉄の匂いの中で、微かにランプが揺れている。

 意識を取り戻したと理解したが、体は動かさない。()()()()()()()()()()()()()()()――その鍛錬が、体に染み付いている。周囲に危険がないと判断しつつ、出来る限り静かに頭に手を伸ばす。

 頭が痛い。

 病気で、ではなく、外傷で痛い。

 反射的に触ると大きなたんこぶが出来ていた。こりゃ痛い。

 血は……出ていないようだ。

 

 「――つぅ……」

 

 体を起こすと、あら、という声が聞こえた。

 

 「起きられましたか?」

 

 声をかけてくれたのは、ゆるふわな髪をした自称オーレリア伯爵の従者。

 

 「……ミルディーヌ公女!? ……逃げられませんでしたか……!?」

 「ラウラさん達は、何とか回避しましたよ」

 

 咄嗟に舵を切り、拾った数人の救助者と、ラウラ、フィー、マキアスらは船の衝突を回避したそうだ。

 だが、私の舟はそうではなかった。

 エンジンを切ってしまっていたからだ。

 ミュゼと、エリオットは、轢かれたという。

 ……やべーよ。どうするんだよ。ミュゼ公女の命を危うくさせたとか、それだけで重罪になりかねねーよ。

 

 「お気になさらず。怪我はしていません。オーレリア伯と口裏を合わせれば、問題にはならないかと」

 「わ、私が気にするんですよ。私と《貴族派》の繋がりを、強固にして下さいって言ってるような、物です。……必要だから『それでも良い』と、割り切れはしますけど」

 

 自分の周囲が、勝手に自分の立場を構築していくというのは、あんまりいい気分ではない。

 だがまあ、その話はおいおいだな。今此処でしても、意味がない。

 立ち上がる。舟の中、だろう。

 倉庫のような粗雑な部屋だが、一応、人が逗留できるだけの空間はある。

 

 「どういう理由か……私達は、ここに運ばれたようです。人の気配が無いのに、運ばれた、というのも不思議な話ですけれどね」

 

 どっちかと言えば、幽霊船に()()()()()()と言ったほうが良いだろうな。

 ……此処に居るのは私とミュゼだけ。

 エリオットと……転覆した舟の船員は、どこかに居ると思って良い。

 首から駆けていたARCUSからは、微弱だがエリオットの存在が伝わってきている。

 幽霊船の外の――ラウラ達とは、切れているようだ。

 

 「携帯していた通信機器は、使えましたか?」

 「乗り込む寸前に連絡は入れました。今此処では、使えていませんけれどね」

 

 咄嗟の判断にも優れているようだった。

 護身用に持っていたライフルを片手に、彼女も探索モードだ。

 オーレリア伯経由でARCUSも入手している辺り、そつがない。

 私とのリンクも出来た。……最低限の自衛は出来るか。

 

 「まずは、……他の人を探しましょう。この舟の謎も、解明したいところですが……」

 

 内部から見た感じ、そこまで大きな船ではない。

 更に言うとかなり古い。腐って沈没していても不思議ではないくらいにあちこち朽ちている。

 それなのに動いている。

 魔獣の気配は無いが、上位三属性の気配は、ある。

 ……そっちの方が苦手なんだよなあ私。威嚇とか通じない奴が多いし。

 この手の類の物は、脱出する方法か、止める方法のどっちかは設定されているものだ。動いている理由を解明すれば、大体の場合、静まってくれる。経験則だ。

 

 ――かくしてここに、私とミュゼ公女の幽霊船探索が幕を開けたのである。

 

 「それよりもカタナさん」

 「はい」

 

 出口らしき場所に手を掛けて、一歩出ようとしたところで、突っ込まれた。

 

 「……服は着なくて平気なのですか?」

 

 ご安心を。

 小太刀と髪とARCUSがあるなら、下着だけでも十分です。




Q:カタナの現状
A:小太刀、ARCUSと髪留め以外は、ブラとショーツだけ。貧相なスタイルが丸見え。
しかし本人が今一番欲しいのは、服ではなく、靴である。

Q:謎の幽霊船
A:次回くらいでさくっと片付けられたらなと思います。実習はまだ続くのじゃ。

Q:共和国で活躍する夢
A:そこまで書くことはないですが、イメージとしてはそんな感じ。無事《執行者》に就任。
やろうと思えばナイトクラブでポールダンスくらいは楽勝。やらないけどね。

例え国民全部を巻き込んで薪として焚べる状態であっても、遊撃士ら余計な干渉を排除し、軍民問わず一致団結させた手腕はマジでヤバかったのだと、視点が変わって分かったよ、宰相閣下。
だからこそ、オリビエが《Ⅶ組》を作っていなかったら対抗できずに詰んでいたという事実も大きいのですがね。
この作品でも、原作描写に恥じないシナリオを提供できればいいなと思います。

次回51話「紅き偽帝の呪縛を破って」

タイトルで幽霊船のネタバレしてる気がしますが!ではまた!

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