子供は日曜学校に通っている。自由行動日は日曜日。特別実習は日曜日にかかっていることもありますが例外なので参考にならない。夏休み等、連休はありますが、詳細は不明。
ただ、規律に厳しい帝国。法整備がなされていて、近代的な工業生産システムが稼働している以上、どっかに休みはあるんじゃないかなと推測しました。
国家総動員法の施行以後はさておき。
山猫と仔猫とお祝いと
さて、当たり前の話をしよう。
私は「士官学院」の「生徒」である。月曜日から土曜日までしっかり机に向かい、空いた唯一の日曜日は休日となっている。なっているがしかし、普通は学友と交流を深めたり、日頃の疲れを癒したり、予習復習に時間を費やしたりと、学生として有意義な使い方をする事が推奨されている。
加えてまだ4月が始まったばかりだ。
ここで学院を離れて何処かにふらっと出掛けるのは、正直言って『調子に乗っている』のではないだろうか。真面目にそう思う。
だがしかし、来ないといけない理由があったのならば、来るしかないのだ。
土曜日と日曜日。休日を利用してたった一泊の短期(強行)旅行。
朝一番の始発列車で帝都ヘイムダルに向かい、降りるや否や導力タクシーを捕まえて空港に急ぎ、即座に手元のチケットを利用して飛行船に乗り込む。
国境を越えて隣国に到達するまで僅か1時間!
まだ太陽が昇り切っていない、午前9時。
トリスタを6時前に出発して僅か3時間で到着である。
かつては徒歩で2週間近くもかかったという距離を、あっという間に踏破できてしまう文明の進歩は恐ろしい。
「ね、ねえフィー、なんで私は入学して初めての連休に国境を越えてるんだろうね……? 普通さぁ、ラウラの散歩に付き合うとか、アリサとブティック見るとか、エマと勉強するとか、そういうのあると思うんだ……」
「…………(すやすや)」
「し、しかも入学して10日目だよまだ……。な、慣れない学院生活で体が疲れてるんだよ……。なのになんでこんな大賑わいの、より疲れそうな場所に私は来ているの……?」
疑問を問いかけても、フィーはのんびり目を瞑っている。
朝早く出発した私に同行したフィーだったが、途中で眠りに落ちてしまった。そのまま放置しておこうかと思ったが、彼女は半分眠ったままフラフラと歩いて付いてきたので、手を引っ張って、此処までやって来たのである。
一部の海の生物は、泳ぎながら脳を片方ずつ眠らせて危険を回避するというが、彼女のこの状態も似たような物なのだろうか。
私はこんなことになった『手紙』に怨みを抱きながら、空港から出る。
空は快晴。イラッとするくらいに快晴。そして辺りには色取り取りの紙吹雪が舞い、道行く人々は皆どこか浮かれていて、一瞬の非日常を楽しむかのようだ。
目の前の街灯に、旗が翻っている。
『クロスベル自治州創立70周年記念祭』
「き、今日明日中で予定を終わらせて帰らないと、私達、月曜日から普通に学校だよフィー」
「んー、いざって時は……私1人で帰るから……良い……」
友人も現実も薄情であった。
ここはクロスベル自治州。帝国と共和国の間にある緩衝地帯にして、発展と陰謀が続く魔の都。
祭りは本日で2日目。これから更に盛り上がるという時分であった。
話は昨日の夜に遡る。
○ ○ ○ ○ ○
4月9日、金曜日。
入学式と、旧校舎1階におけるオリエンテーリングを踏破してから9日。
先生の挨拶や大まかな勉強スケジュール、一年の行事予定の説明。身体測定、先輩からの歓迎会や、部活の勧誘等も大体落ち着いてきた。
各種の歓迎会も一通りが終わり、本格的な授業に移り始めている。
授業の進行速度に驚いたり、まだ一部クラスメイトとの関係がよそよそしかったり。
身体のリズムを合わせるのに馴れるまでもう少し掛かりそうだが、平和な生活を送れそうだというのは、とても実感が出来ていた。
士官学院のスケジュールは中々タイトである。6日間の通学に加え、濃くて専門的な話も多い。
途中に休憩があるとはいえ一日を終えると結構疲れるのだ。
無事に金曜日を乗り切った私は、死ぬ寸前のドローメのようにべたーっと机に倒れこんでいた。
日曜日以外には祝日や、幾つかの特別な日に休みが追加されるだけ。
「そ、その特別な日、というのが明日な訳です……。ど、土曜日が休みとか、滅多にないから、満喫するよ、私は……。何か……予定が、あるわけじゃないけど……」
「そんな風に机にべったり顔を付けると痕が付きますよ、カタナさん。ほら、髪もくしゃくしゃです。せっかく綺麗な髪なんですから、丁寧に」
床にまで届いていた長髪を手早くまとめて、椅子に掛けてくれる。
汚れないようにという彼女の配慮が嬉しい。
エマは真面目さと人柄、そして優秀な頭脳を見込まれ、先日に行われたホームルームにて、クラスの委員長に全会一致で決まっている。副委員長はマキアスだ。
私はリィン辺りがなるのかなーとか思っていたのだが、サラ教官の見解は違ったらしい。
その日の夜、ちょうど夕食の準備中に遭遇したので尋ねてみたら、曰く『リィンは中心じゃなくて重心よ。リーダーシップはあっても纏め役ってわけじゃないわ』とのこと。
首を捻った私に「そのうちわかるわよー」と笑顔で答えて去って行った。
序に私が作っていた夕食の『鶏肉のマグマ焼き』――鶏肉をたっぷりのオリーブオイルで煮込み、粗挽き岩塩とレッドペッパーでアクセントを加えた辛い奴。パンに合う――を器山盛りに攫って行った。
「……み、皆はなんかあるの?」
「私は来週からの授業の予習をするつもりです。授業速度も分かりましたし、図書館の蔵書も多いので楽しみです」
「寝てる」
「私はこの辺りを散策するつもりだ。座学も苦ではないが、やはり体を動かしておこうと思う」
「私は……そうね。ゆっくり休みながら部屋の片付けをして、それから《ル・サージュ》とか回ってみようかな。カタナも一緒にどう?」
わいわい、と女子で固まって話をする。
フィーはあんまり会話に加わるのが得意ではないのだが、私とは仲が良い。
昼間、一緒に食事をするようにもなった。クラスの人からも良いコンビだと認識されている。
そして私が、良い具合の緩衝材になって、フィーと他の皆の距離も縮まってきている。
ラウラやアリサとの会話にも、多少遠慮がちではあるが混ざっていた。
周囲も『人との関わり合いが苦手なだけ』と評価に落ち着いたようだ。
特にエマとアリサは世話焼き体質が発動したのか、割とぐいぐい引っ張っていく。昨日今日と見て居る限り、フィーも満更ではないらしい。
春先とはいえ寒暖差も結構あるし、まして新しい環境で、人間関係も一新されている。
実感は薄くとも身体が抱えたストレスはかなりの物なのだ。それを学院側が気遣ってくれた。入学式(31日水曜日)の後は3日授業をして日曜日が休み。その後、5日授業をして土日が2連休だ。
この時期、やはり帰宅して直後にベッドに倒れこむ、という人間が貴族平民問わず多いとは養護教諭のベアトリクス教官の言。
各々の予定を聞きながら話をしていると、学院の予鈴がなった。
窓から差し込む夕日も良い感じに斜陽となっていた。下校の時間だ。
話をしながら席を立ち、一先ず寮へ足を向ける。
その途中《ケインズ書房》に寄り道していくとエマが抜け、《ブランドン商店》で今晩の食材を購入していくとアリサが抜け、私達は3人で街の中を歩いて行く。
咲いているライノの花が夕日に照らされ赤く染まっていた。春の晩は風情がある。フィーはまだ眠そうだった。
「授業中に寝るのは感心しないぞ、フィー。隠し方が上手だから、まだ先生は気付いていないようだが、それとなく起こしては授業のフォローをするエマとカタナが大変そうだ」
「…………努力はしてる……」
「は、春だから眠くなるのは分かるけど、もうちょっと、頑張ろ」
「…………カタナが意外と授業にすいすい付いて行けるのが意外だった……」
さらっと失礼なことを言ったフィーだった。
オリエンテーリングの時から分かっていたが遠慮なく色々と口に出すタイプだった。
『頭が良い』には色々な捉え方がある。
エマやマキアス、ユーシスやアリサは根本的に頭が良い。エマは頭二つ分くらい抜け出ていそうだが、地頭が良いといえる。言われたことをすぐ吸収し、一を聞いて十を学べ、正しくアウトプット出来る。そういうタイプだ。エリオットも分類すればこっちだと思う。
対してラウラやフィー、私は、本質的な部分を直観で見抜くタイプだと思っている。
最初に「こうかな」と答えを漠然と認識し、そこに至るまでの過程を考えて補強する。ラウラの場合、それがかなり高い次元にあるので、成績優秀な皆と肩を並べているのだろう。
リィンはその中間くらいか。努力も出来るし直観もある。
……いや、中間というよりは良い所取りだ。あいつハイスペックだよ。
考える、答えを見つける、というのは反復練習が必要だ。
フィーは日曜学校に通った回数も少ないだろうから、必然、考える
こればかりは本人の試行回数に左右されるので、フィーが努力しなければいけない。
飲み込みは速いので、ある程度まで回数を重ねれば一気に伸びるだろう。多分。
私は答えが正しいか間違っているかは兎も角、その試行回数だけは多かったのだ。
「そういうカタナは顔に出ているぞ。怖い顔をしているが何かあったのか?」
「え? ……あ、うん。し、思考の回数と、それを教え込まされた、『家庭教師』の顔を思い出してちょっとムカッと……」
「なるほど。旅が多いとは聞いたが家庭教師付きだったのか……」
あんなに性格が悪い教師には二度と会いたくないけど。幸い物理的に会えなくなったし。
苛立った神経を宥めるために適当に鞄から飴を取り出して舐めた。紅茶味だ。美味しい。
納得した二人と共に公園を抜け、喫茶店《キルシェ》でコーヒーを片手に帝国時報を呼んでいるマキアスに片手で挨拶して、寮に向かう。
彼は複雑そうな顔で無言を貫き、手だけで挨拶をした。
マキアスは、今も皆と仲が悪い。ユーシスとは常に反目しあっていて、私・リィン・ラウラとは必要最低限の交流だ。コミュ力に自信がない私は、ちょくちょく彼の地雷を踏みかけている。
そのうち、大きな爆弾を破裂させそうで怖い。
私達の住む『第三学生寮』は、階級差が無いクラス故に、貴族寮平民寮のどちらでもない、新しい建物を用意しての使用だった。
トリスタ駅に近い三階建てで、一階が共同フロア(玄関/食堂/厨房/物置など)、二階が男子、三階が女子。地下にも設備があって、そっちは水回りが集まっている。
多少古い建物だったが、頑丈で、内装も悪くない。部屋も広めで人数分あるし、机や椅子、ベッドは年代物だが高級品が備え付けだ。寝具が粗末で寝られないという文句は出なそうである。
強いて問題を言えば埃っぽかったくらいだろうか。
おかげで寝る前に雑巾掛けを各自部屋でする事になり、翌日のサラ教官に文句が噴き出た。
「あれ、誰か居るね。入口のところ……、あれは……業者さんかな?」
「ん。……んー、んんん?」
駅前まで来たところで、寮の前に一人の少女が居た事に気付いた。
学生ではない。深い緑色をベースにした作業着に、青髪にバイザーを付けた少女だ。
私はその顔に見覚えがあった。とっても見覚えがあった。
向こうも私が戻ってきた事に気付いたのだろう。
「毎度どうも!『カプア運送会社』だよー。カタナ、頼まれていた荷物、届けにきた!」
ジョゼット・カプアが、待ってたよと笑っていた。
○ ○ ○ ○ ○
入学式の日にリィンに語った、後から送ってもらう荷物が届いたのだった。
日常生活は持ち込んだトランクで不自由が無かったが、欲しかった諸々はやっと手元に来た。
それほど分量は多くないが、幾つかの物は重い。そして女一人が3階まで運ぶのは大変だ。
運送員のロッシさん、アロンさん、レグさんの3人が寮の前まで台車を使い、そこから3階まで息の合った連携で荷物を運ぶ中、ジョゼットは伝票と請求書を手早く準備して渡してきた。
そういやレグさんもよく顔を見るな。リベール以後、毎回どっかで遭遇してる気がするぞ。
「じゃ、内容に不足がないかの確認はそっちでお願いね。料金は先んじて払って貰ってるから、請求は無し。領収書だけ渡しておく。連絡先は知ってると思うけど、一応領収書にも書いておいた。なんか荷物に不備があったりとかした時には一言頂戴。クレーマーはお断りだけど補填はちゃんとするよ。今後もご贔屓によろしく」
「ん、あ、ありがと。知人友人で、便利な運送業者を探している人が居たら紹介、しておく」
少し前からトリスタ近辺に到着していて、こっちの授業が終わるまで待っててくれたらしい。
この季節、いくら春とはいえ夕方ずっと待っていては大変だったろう。お詫びとして食堂に招き、お茶とお茶菓子を出して色々話を聞く。作業が終わるまで多少の時間はあった。
彼女と出会ったのは、もう2年は前になる。
リベールの異変を巡る中で遭遇し、時に敵になったり味方になったりして、今では何とか友好関係を築き上げた。
『山猫号』はどちらに? と尋ねると、東トリスタ街道の平地に着地中とのこと。ドルンさんとキールさんは船で荷下ろしの指示と飛行艇の警備、今後の配達予定の確認やらをしているそうだ。
挨拶に――と思ったが、ジョゼットは「もう直に夜だし、そこまでしないで良いよ」と遠慮されてしまった。彼女の口から私が元気でやってることを話してくれるという。
私も何かと彼らには迷惑をかけた身だ。
顔を出そうかと思ったが、まあ、そういうならば、甘えよう。
がらがらと台車が遠ざかったり近付いたりする音を背景に、あれこれ話をする。
エステル達がクロスベル方面に向かったよとか。
帝国領土内に入る時に許可を取る手続きがまた面倒になったとか。
関税がしょっちゅう変化するから大変だとか。
情報交換をする中、ラウラの態度が奇妙だった。フィーは黙って聞いていただけなのだが、ラウラは何かを思い出すように首を捻ったり、違和感の原因を探ろうと考え込んだりと忙しい。彼女のこういう態度を見るのは初めてである。
そうこうしていると、ユーシスが顔を出した。
リィン達(リィン・エリオット・ガイウスの3人)は割と仲が良く一緒に行動をしていて、まだ今日は戻ってきていなかった。彼は一足早く家に戻り、机で宿題を終わらせていたらしい。
引っ越しの物音が気になって、文句を言いに来たのだ。
「騒がしいと思ったら今頃に荷解きとは、計画性が無いな、お前は。中身はそれなりに貴重品らしいのは見て分かるが、ならば尚の事、時間に余裕をもって行動を」
「…………ぅゎ」
「ん? ……お前、……………………………………ジョゼット・カプアか?」
ユーシスの顔を見た瞬間、ジョゼットは物凄く嫌な顔をした。嫌いな相手を見るという顔ではなく、面倒くさい相手に出会ってしまったというような苦い顔。
対するユーシスは、ジョゼットの顔を見て、少し考え、私の領収書に書かれた「カプア」の名前を確認。まじまじと特徴的な青い髪を記憶と照合させ、そう告げる。
……ああ、思い出した。そうだよ、すっかり忘れていた。
「…………そういや帝国貴族だっけ、ジョゼット」
「それだ! 何か引っかかっていたと思ったが、カプア家と言えば、リーヴス一帯を治めていた男爵家。道理でどこかで聞いた覚えがあった訳だ」
「……貴族?」
「元だってば、元!」
フィーの確認するような顔に、ジョゼットは首を振って大きく息を吐く。
ユーシスも詳細が気になったのだろう。適当な椅子に腰かけると、それで? と先を促した。
当然のように空のティーカップをこっちに向けたので、私は無言で丁寧に注いでやった。
かつては貴族だったからか、全く彼らに気後れすることなく、ジョゼットは口を開く。
「元々ウチはリーヴスっていう、ヘイムダル西にある一地方を治めてたんだよ。僕――もう貴族じゃないから言葉遣いに関しては無しね――の兄、ドルン・カプアが領主だった。でもミンネスっていう悪徳商人に騙されて大損を掴まされてね。莫大な借金を背負わされて、お家は取り潰し。爵位を返上して、家臣には暇を与えた。それでも僅かに残ってくれた忠臣と残った財産で立ち上げたのが、今の運送会社ってわけ」
「立ち上げた」と「運送会社」の間に「空賊をやっていた」の一文が抜けている。
でもこれは言わぬが花だ。基本的に小さな仕事をしていたカプア一家を利用したリシャールさん(彼も唆された側の人間だったが)と、その背後の『
それに彼らは恩赦を貰っている。リベールの上空に出現したアレを解決するために頑張った功績で、きちんと許されたのだ。今更蒸し返すのも良くない。
ジョゼットの言葉に、ユーシスは、腕を組んで思い出すように頷く。
「……確かに……俺は何回か、昔のことだが……ドルン・カプアを見た覚えがある」
私の頭にも、豪快なおじさん(年齢は若いんだけどね)の顔が浮かんだ。
「あれは確かカイエン公の一派が主催した時のことだ。黙っていると威厳はそれなりにあったが、同時に嘘を付けない男でもあったな。社交界の居心地が悪そうで、仮面を被っての腹芸は苦手だろうと印象を受けた……。事件があった時、後方で指示を出すのではなく、嬉々として現場に乗り込むような男だった」
「そういうこと。今じゃあ毎日楽しそうに空を飛びまわってるよ」
ユーシスの発言は的を射ていた。
カプア一家は基本、人が良すぎるのだ。
頭脳派であるキールさんとて、頭の回転は速く優秀だが、こと
その素直さが商売では良かったらしい。堅実に良い仕事をしていると、評判もイール登りだ。
「最後の財産」という事もあり、彼ら一家が使う『山猫号』は大陸屈指の速度を持つ。
リベールの高速巡洋艦『アルセイユ』にも匹敵するだけあって、積載量こそ少ないが、帝国の巡航飛行艇より加速力があるだろう。
軌道に乗った商売、また何処かで詐欺にあわない事を祈るばかりである。
因みにその後、リーヴスは、カプア家が爵位を返上した後、皇帝直轄領とされたそうだ。
今でもミンネスとやらは暗躍しているらしく、リーヴスどころか、大陸各地の土地を入手しようとあの手この手で詐欺を繰り返しているそうだ。
ドルンさんが迂闊だったのはそうだろう。
だが、しかし――そのミンネスという男は随分と悪辣な奴らしい。
何時か天罰が下って警察に捕まりでもしてくれないだろうか。
○ ○ ○ ○ ○
同時刻。
――っくしょん。
クロスベル『特務支援課』に、小さなくしゃみが響いたそうな。
○ ○ ○ ○ ○
ジョゼットは気楽な口調で、経緯を話していく。
「フロラルド伯爵家とかには心配されたし、ハドック町長にも丸投げしちゃったからね。正直心苦しいんだけど、権利書が奪われてるから何もできないんだ。どの面下げてってのもあるし」
その名前に、再びユーシスが反応をする。
「……フロラルドなら居たぞ。入学式で見た覚えがある。確かフェリス……だったか?」
「え、本当!? うん、そうそう、そのフェリス・フロラルド。もう1個上にヴィンセントっていうお兄さんもいるかもしれない。それじゃあ伝言だけお願いするよ。カプア家は元気でやってるって伝えてくれる?」
「それはまあ、構わないが……」
ジョゼットの勢いに、思わずユーシスは頷いていた。
やはり貴族として自然と傲慢そうな振る舞いこそしてしまうものの、根は親切で優しいのだろう。権威を盾に取らないのは立派だと思う。
見てて飽きない。ぼそっと私にだけ聞こえる声でフィーが言った。気持ちは分かる。
暫し話を続けると、やがて食堂の扉が軽く叩かれて声がする。
「カタナさん、お嬢、荷物の積み込み終わりましたよ。最後の奴だけやったら重かったんですが……、あれは何の機械です?」
「き、機械? ……ああ、あれは機械じゃないよ。楽器だよ楽器。私の「
カプア一家は精密機器の運送も得意だし、故障はないだろう。
それにしても相変わらず「お嬢」って呼ばれてるんだね。
「何回否定しても止めないんだよ。一生言われる気がするよボクは。――あ。そうだ入学祝。それで思い出した。はいこれ」
ジョゼットは手に持っていた鞄から、一通の手紙を取り出した。
シールで封をされ、丁寧に『エカターニャ・N・アルビー様』と宛名が書かれている。
その筆記体を見て、私は、「ああ、厄介ごとが舞い込んできたんだな」と察した。
こういう時に渡される手紙の内容が、穏便に済んだ記憶は1回もない。
「……頑張ってね?」
「…………うん」
「
しかし、よく手紙の配達を請け負ってくれたな?
引っ越しは、私が依頼したからOKしてくれたとしても、「
私の疑問にジョゼットは「仕事だからね」と手をひらひらさせる。相手が誰であれ、それが悪意あっての物でなく、料金を支払われた上での依頼であるならば、ちゃんと引き受ける。そういう事を言いたいらしい。
また顔に出ていたようだ。
「じゃ、そういう事で。そろそろお暇するよ。今日はこの後、リベールに戻る予定があるからね。あんまり遅くなると暗くて危ない。兄貴たちも心配してる」
彼女はくるっと振り向いて、私の額を指でつんと突き、笑って言った。
「次に会う時は、もう少し成長してなよ?」
と、年上ぶって(実際に彼女の方が年上だが)背を向ける。途中、玄関前でマキアスとすれ違い、何やら少し話をしていたようだが、すっかり夜になったトリスタの町に踏み出して、最後にもう1回だけ私の方を向いて手を振って、彼女は帰って行った。
……世の中には、顔出すと雰囲気が明るくなる奴は居る。太陽娘が1番だが、こうしてみるとジョゼットもそういう片鱗はあるのだなあと思った。
○ ○ ○ ○ ○
「すまない、少し、良いだろうか」
「ん? 何かな。ええと?」
「僕はマキアス。マキアス・レーグニッツだ。盗み聞きをするつもりはなかったんだが、聞こえてしまったんだ。ジョゼットさんに、尋ねたい事がある」
食堂から出たジョゼットは、一人の男子に声を掛けられた。
眼鏡をかけた利発そうな男子。レーグニッツ、という名前で確認する。帝都知事の長男か。
「ボクのスリーサイズとかお店の情報は無理だよ?」
「いや、それは如何でも良い。――ジョゼットさんは、帝国の貴族だったと言っていたが」
「まあ昔の話だけどね。今でも化けようと思えばお嬢様の真似くらいは出来るよ。それが?」
マキアスは、言葉を選びながら、静かに口に出す。
その眼には迷いがあった。目の前の女性は、貴族なのか、平民なのか、区別できない。
「その、帝国や貴族に未練とかは、ないのか?」
「……」
「僕は貴族が、旧態依然として、権力を駆使して、他人を傷つけてばかりだと思っている」
そのまま彼は続ける。
「平民を見下し、利益を独占し、ただ昔から血筋があるというだけで、持て囃される。その中で研鑽を積む人間は僅かで、名前だけが大きくなった木偶の坊も多い。だが貴族であるというメリットは分かる。僕はそれらが嫌いだ。――ジョゼットさんは、何か思わないのか?」
――貴族という身分を失って、庶民として労働に汗を流す生活を選んだ理由は。
――本来は持っていた土地や民を失って、国籍まで変えて、それを過去の話だと笑って語る。
――その存在は、マキアスを混乱させるのに十分だった。
そんな人間が居るのかと思った。彼女にとって、貴族であった自分はもはや過去の話なのだ。
『鉄血宰相』も、父カールも、革新派として、貴族を相手に対立を深めている。
彼らの目指す、貴族の持つ既得権益や、腐敗した政治の一掃は、正しいことだと思っている。
心のどこかで『良い気味だ』と思っている自分が居る。
だが、ジョゼット・カプアを見て、ふと思ったのだ。
多くを奪われた後、それでも彼女と同じように笑える貴族がどれだけいるのだろうか、と。
「……んー、ボクの言葉だから、マキアスさんの欲しい答えになるとは限らないけど」
その眼の中の混乱を指摘するように、彼女は微笑んだ。
「失ったのは兄貴達がドジ踏んだからだよ。ボク達が貴族でないことを悔やむとすれば、リーヴスの人達を、貴族として庇護できなくなった、ってことくらいだ」
資産を差し押さえられても、大事な身内や、親の形見だけは死守して、逃げ出せた。
「風の噂で、リーヴスは平和だっていう。これで無茶な再開発をされて、過重労働されてるとか聞いたら流石に見てるだけじゃすまなかったと思う。でも、そうじゃない」
ここまで前向きに意見を言えるようになったのは――
あの気に食わない「ノーテンキ女」のせいだ。
「ボクは兄貴達と、慕って付いてきてくれた皆が居れば、それで良いよ。確かに失った物は大きかったし、苦労もした。だけど一番大事な物は、残ってる」
マキアスより、一歳か二歳年上なだけ。
その彼女の瞳には、幾つもの修羅場を乗り越えてきた芯の強さと、満足感があった。
貴族という立場を失った誰かは。
いや、革新派が負け、地位を失って、平民の最下層まで落下した自分らは。
同じように、這い上がって、笑えるだろうか?
反骨心を力に立ち上がり、貴族への恨みを募らせることは出来るかもしれない。
だが切り替え、新しい道を歩んで、それで楽しいと笑う事が出来るだろうか?
「……そう、か。……時間を取らせて、悪かった」
「良いよ。あ、じゃあボクの名刺渡しておく。何かご入用があったら宜しく。割引するよ」
マキアスの言葉に、彼女は何事もなかったように頷いて学生寮から出ていく。
「……僕の志は、間違っていないはずだ」
言い聞かせるように彼は呟く。
貴族に翻弄されて、自ら命を絶った姉の顔が頭に浮かぶ。
奪われた彼女を思うたびに、貴族への怒りが湧いて収まることはない。
けれども――。
――と、頭に浮かんだ考えをマキアスは振り払った。
ユーシス・アルバレアは気に入らない。
リィンも、ラウラも、カタナも、貴族だ。それは変わらない。
胸に浮かんだ感情を飲み込んで、言い聞かせる。
彼がこの日、ジョゼットとした会話が形として結実するのは。
麗しき翡翠の都での、試練の時である。
○ ○ ○ ○ ○
あれこれ付き合って貰ったラウラ達にお礼を言い、部屋に入って荷物を確認する。
すっかり夜になってしまった。適当に夕食を済ませて、やる事だけやって寝ないと体が辛い。
確認した限りでは、頼んでおいた荷物は過不足なく全て揃っていて、楽器も支障がなく動く。
(さて、手紙の内容……)
意を決して便箋を開封すると、ひらり、と同封されていた紙が床に落ちた。
少し分厚いそれは――……飛行艇のチケットだ。
『背景、可愛い娘へ。今宵も月が綺麗だが君の髪も同じくらい輝いている事だろう……』
という思わず破りたくなる書き出しで文章は始まっていた。
芸術家気取りはこれだから困るんだ。
月が綺麗とか言っても今日の空は曇り空だし、私の髪は深い紺色。
月明かりに映えるような変な色じゃないぞ。
『入学祝いとして幾らかの手付金と贈り物を用意した。残念ながら手配の都合で、全てはカプア便に乗せることが出来なかったので、申し訳ないが自分で取りに行ってくれたまえ……。具体的な内容は以下に記しておく。チケットも同封したので時間がある時にでもよろしく頼むよ。 PS:口座は特殊なので直接IBC本社まで行って確認する事』
「……………」
ここで大事な問題を語っておこう。
人間はミラが無ければ生きていく事は出来ない。
私の手持ちは、一先ず財布と、鞄の中に入れたある程度のまとまった分を除けば無い。
学費や初期投資分は既に支払っているが、生活費となると自分で稼ぐか、仕送りに頼らねば成らないのが現状である。
……アルバイトとか、魔獣退治で稼ぐとかでも良いよとは伝えてあったのだが、ミラに関しては不自由してない人なので、振り込んでくれたらしい。
正直、そこはもう少し、帝都で手続きが出来るようにしてほしい、とか。
一緒にカプア急便にお願いしてよとか。そういう色々とツッコミはある。
あるが、このこと自体には深く感謝をしておかねばなるまい。
加えて、入学祝の贈り物――プレゼントであろう――は、手間暇がかかる品ゆえに、間に合わなかったという。ブランド品とかその類は、出来上がった品を顧客に直接渡すことを信条にしている店もあるから、これもまあ、しょうがないと言えばしょうがない。
「でも、飛行機のチケットが今週末までしか使えないのはどうかと思う……」
肝心な部分がダメな奴である。
いや、「
明日からの二日間の予定は確定した。チケット代が勿体ない。疲れた体に鞭打って、何とかクロスベルまで往復してこなければいけないようだ。
そういう訳で、予定が埋まってしまったと、教室であれこれ話した友人達に断りを入れ、早朝に備えてさっさと休むことになったのである。
控えめに言っても、スケジュール的に地獄になりそうだと心の中で嘆きながら。
○ ○ ○ ○ ○
回想終わり。
「クロスベル自治州は今年で創立70年を迎え、五日間の日程で記念祭を行う事となりました。ゼムリア大陸の各地から大勢の観光客が訪れて賑わっています! お嬢さん達はどちらからいらっしゃいましたか?」
「て、帝国からです。朝早く出てきました。……予想以上の人で、少し驚いています」
「帝国から! 遠い処をありがとうございます! この後のご予定などをお尋ねしても?」
「え、あ、ええっと……、港湾区からの、景色とかは、少し気になって、ます」
「良いですね! とするとお二人の目的はミシュラムワンダーランドでしょうか?」
「あ、あうあうあう」
駅前で降りたところで、黄色いジャケットを着た、灰色髪に青い目の新聞記者のお姉さんに突撃インタビューをされ、何とか無難に答える。どうやら目立つ風貌の美少女2人というのが彼女の興味を引いたらしい。物凄い勢いと熱量で、思わず私は固まる。
こ、こういう積極的過ぎる人は、苦手だ!
傍らに付き従っていた年若いカメラマンが「グレイスさん~、女の子たちが困ってますよ~」とフォローをしてくれなければ、あのまま暫く質問攻めにあっていたかもしれない。
誤魔化すのが下手な私にとっては渡りに船。
何とか切り抜けて、序に町の地図をお礼に貰って、混雑する人込みの中を歩き始める。
まあ、そういう訳で、クロスベルにやって来たのである。
フィーはなんか……付いてきた。
元々の背負っている
別にうんとお喋りをする仲ではないが、自然と連れ立って行動出来る距離感が生まれたのだ。
エマ達は、私とフィーを揃って「まるで仲のいい姉妹ですね」と見ているらしく、眠いと言って予定を断っていた彼女が、私に同行すると言った時、微笑ましいと目で語っていた。
……どっちが姉でどっちが妹なのかは気になるところだ。
「とりあえず、何処に?……ふわぁ」
「まずは今晩の宿と、IBCでお金の準備だね。……このまま歩いて、中央広場を東に向かうと、港湾区っていうところに出る。そっから北に向かうと本社ビル――あれだね、あの高い奴――あそこが目的地。その後は、……ゆっくり回ろう。……ふわぁ」
何は無くとも、今日の宿である。
IBCは暫くやっているだろうが、拠点探しには苦労しそうだった。
この混雑。予約で埋まっている店も多いだろう。急がなければ全滅してしまう。今日中に帰るならそれでも良いかもしれないが……それは最悪の場合だ。宿があるなら一泊していきたい。
仲良く欠伸をした私達にとって、火急の問題だ。
「でもこの混雑だよ? 宿が空いてるかな……?」
「……そうだねぇ」
かくして私とフィーの二日間だけクロスベル探索は、幕を開けたのである。
具体的な創立際の日付は不明なのですが、
1:『特務支援課』の発足は1月。エステル達のクロスベル到着が2月末で「特務支援課の発足から一月ちょっとが経過している」。つまり発足は1月4日~1月25日くらいの範囲。元旦から仕事はしない筈。
2:発足から一か月後に一章。一章から一か月で二章。二章から一か月で三章。
3:5月22日の『帝国時報』に「クロスベルでの暴動事件(ロイド達が『太陽の砦』突入)」が解決されたと記載。またこの日は『創立際』から一か月、インターミッションから三週間が経過している。
4:『碧の軌跡』の10月24日に、ディーターが大統領就任演説。そして『黒のオークション』が「半年以上前」。
つまり逆算すると
零『クロスベルの一番長い日』:帝国時報より5月21日以前。『黒のオークション』の一月後。
→ 零『インターミッション』:『黒のオークション』の一週間後で、『一番長い日』の三週間前。つまりどんなに時間がぴったりでも4月30日以前。
→ 零『黒のオークション』は4月23日以前。ただしこの場合、ディーターの「半年以上前」の言い回しがちょっと不自然になるので、もう少し前と推測。一週間~二週間ほど開けて、4月17日~4月10日。
→ 創立祭は五日間で、『黒のオークション』は創立際の最終日に実施。
『閃の軌跡』の入学式が、3月31日水曜日なので、4月10日が土曜日。
なので、この日に創立際二日目、土日でカタナ達が来訪はいけると判断です。