IS/SLASH!   作:ダレトコ

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第百二話~暗雲、急を告げる~

 

 

~~~~~~side「シャルロット」

 

 

 イブさんが立ち止まったのは、校舎の最南端にある窓の脇。

 そこで彼女は、午後を回り中天を過ぎた、夏が過ぎても未だ元気な太陽に向けて、手をかざし始める。

 

 「なにをしている……!?」

 

 「……黙って見ているといい。すぐにわかる」

 

 その挙動を不振に思ったのかラウラが噛み付くも、彼女はどこ吹く風で僕たちには目もくれずに淡々とそう告げた。

 異変が起きたのは、その直後だった。

 

 「……!?」

 

 天高くで輝き続ける太陽が放つ光の『色』が変わった……今僕たちがいる場所。そこで周囲に時折走る、緑色のノイズ。それと同じ、どこか寒々しく不気味な色に。

 それに気がついた時には、再び世界が反転していた。

 

 「っ……!」

 

 「なに、これ……」

 

 時々緑色のノイズが走るものの、それ以外は無人のいつもの校舎。そこは最早何処かしこに時折光が走っていく、電子回路のようなラインが血管のように張り巡らされている完全な異界と化していて。

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 今まで校舎にいた人たち、だろうか。無数の人型の『影』が、僕たちに気づく様子もなく通り過ぎていく。何か楽しそうに話しながら歩いている人たちもいるけど、その会話は僕たちには届かない。

 そして、全員、では、ないけど……校舎じゅうに走るラインがどういうわけか、シルエットから多分IS学園生と思わしき人たちの影にも繋がるように、連動しながら走っているように見えて……それがなにより、僕の中の嫌な予感を、掻き立てて止まなかった。

 

 「……疑問に思ったことはないか? ISを扱ううえでの格付けの根底になる『IS適性』……それを量る際ISを用いないなら、それはいかにして行われているのか、と」

 

 「……!」

 

 「その答えがこの場所だ……目を凝らして見てみるといい。一目瞭然だろう?」

 

 唐突にイブさんから投げかけられた言葉に、つい従って見て、しまう。

 絶えず這い回る蛇のように動き回り、道行く『影』たちに繋がる無数のライン……よく見るとそれは、『影』そのものにも走っていた。そしてその形は人によって走っている数、ラインの太さ、ラインに時折走る光が流れる頻度と、どれ一つとして同じものが存在していない。

 これって、一体……?

 

 「まさ、か……!? だがそんな、そんなこと、が……!」

 

 ラウラは何かに気づいたのか、愕然とした表情で道行く影たちを見ている。そんな彼女の反応に、イブさんは相変わらず感情の読めない表情のまま目を細めた。

 

 「ISによる優位性? 女尊男卑? ……全て、くだらないまやかしだ。例え曖昧な事実だとしても、『他者より優位に立てる』ことによる権威や利益が周知されれば流されてしまう人間は多い。結果、少しでもおこぼれに預かろうとして、簡単に『生贄』を差し出してしまう」

 

 「……イブさん。それは、どういう……?」

 

 「これを見ても理解できないのか? ……いや、理解できていても認めたくないのか。簡単な話だ。ここは最初から、『ISの教育施設』などではないというだけのこと――――」

 

 「……貴様! それ以上は……!」

 

 「――――ここは『実験場』なんだよ。何も知らない、哀れな少女たちをモルモットに見立てての、な」

 

 「……!」

 

 ラウラが何か僕のほうを見ながら慌てた様子で大声をあげて、イブさんの言葉を遮ろうとした。

 けれど、イブさんはそれより先に、言葉にしてしまった。僕が多分何処かで気づいていて、それでも認めたくなかった、その事実を。

 

 

 

 

 「……くだらない! 耳を貸すなシャルロット。この女は私達の内部の不和を招くために正確な言葉を口にしていない」

 

 「否定自体はしないのだな、ラウラ・ボーデヴィッヒ。さては、君も知ってはいたか……このIS学園『そのもの』が、ここの学園生のほぼ全員を搭乗者とする、一個の巨大なISであることは」

 

 「っ……!」

 

 ……ちょっと、待って欲しい。あまりにも衝撃的なことが立て続けに起こりすぎて、理解がついていけない。

 でも、一方で冷静に今の状況と照らせ合わせて考えている自分もいた。なら今この場所自体を作り出しているのは、イブさん自身では、なくて――――

 

 「ああ……その通りだ、シャルロット。元来私には使用権限がない機能だが、とある裏道を使って一時的に権限を借り受けた……余計な邪魔を排するという上では、この上なく都合が良かったのでな」

 

 「……僕たちをここで孤立させてどうする気なの?」

 

 「君たちがここに囚われたのは私の意志によるものではない。私が選択した量子空間にいたのが偶々君たちだったというだけだ。君たちは自身のISを持つが故に、同じISである『ISスクール』による干渉を受けず、検証用の量子空間に送ることが出来ないからな。まあ『世界乖離(ワールドパージ)』発動時の強いSEを当てられてコアが活性し、逆に君たち自身のISの一時的に覚醒した自意識に当てられるくらいのことはあったかもしれないが」

 

 本当にこの人は見てきたみたいに話すな。いや、この空間の管理権が彼女にあるなら、実際最初からみていた可能性だってあるのか。でも、予想はしてたけど……こんな、大規模なISの力を運用するだけのノウハウがあるってことは。

 

 「イブさん……あなた、まさか」

 

 「そうだ……私も今やIS搭乗者、ということになる。とはいえ、まだ慣れていなくて、使うとなると加減が利かなくてな。一度展開してしまったら私自身の意思に拘らず君たちを殺害せざるを得なくなる。頼むから下手な気は起こさないでもらいたい。特に、先程から殺気立った目で見てくるそちらの君は」

 

 「……やれるものならやってみればいい」

 

 「ラウラ……ダメだよ。さっき約束したよね、話を聞く、って」

 

 「む、シャ、シャルロット……だが」

 

 ラウラがむくれた顔でこちらを見てくるけど、こっちだって譲れない……確かに彼女から見れば、いや、何処からどう見ても怪しい相手で、まともに話を聞くなんて馬鹿らしいって言われるかもしれないけど。

 けど僕は……元々そこまで饒舌ではない彼女がここまで話をする以上、多分先程のことも含めて、これは僕が彼女と相対する上で避けて通れない、絶対に『知らなきゃいけない』ことなんだと、思う。彼女が、どうして今になってこういう形で僕の前に現れたのか知る上でも。

 

 「……この場でどうするべきかは、わかっては、いるようだな。多感な時期に苦労をかけてしまったせいか、君は幼い頃から歳不相応に賢明な子だった」

 

 そして出来る限り真剣な眼差しを作ってイブさんに向き合うと、彼女は珍しく少しだけ頬を緩めながらそんなことを言う……むぅ。もう僕だって子供じゃないんだけどな。それにこんな時にいきなりそんな昔みたいな態度を取られると調子も狂う。

 なんて、そんなことを考えたのも表情に出たのか、イブさんは僕を見ると首を振りながらすぐにいつもの無表情に戻った。

 

 「君たちも知ってのとおり、ISは女性にしか起動できない。それはこのISと人を繋ぐ『ライン』が、女性の肉体でなければ構築できないからだ。理由は未だに知られていないがな」

 

 「この……光の線のことだよね?」

 

 「ああ……そしてそれが深く体に浸透していくことでIS自体が馴染んでいき、IS自身が完全に適応したと判断したところで『第二次形態移行』が起きる。が……ISが適応する過程で『馴染まない』と判断すれば、どうなると思う?」

 

 「…………」

 

 「……肉体、精神含め、適応できるように搭乗者を『作り変える』。ISの自我の性質によっては、搭乗者を壊してでも、な」

 

 「っ……!」

 

 「IS誕生の黎明期にはそれによって廃人同然にされた搭乗者が何人もいる。そのような犠牲を経て、今のISスーツに当たるものが出来た。君たちにはどう説明されているか知らないが、あれはISとの直接接触を抑え、ISからの過度の肉体への干渉を防ぐために作られたものだ」

 

 「で、でも……今ここにいる人たちは、ISスーツなんて、着てないん、じゃ……」

 

 「……さて。何らかの安全マージンは取られているのかもしれないが。実験場だといったのはそういうことだよ。彼女たちはここですごしているだけで、日々得体の知れないオーパーツに心身ともに侵食されている。何も知らないままな」

 

 続く彼女の言葉を受け、思わず僕は自らの体に視線を落とした。

 すると僕自身にも、周囲の影同様幾何学模様を思わせるようなラインが体に走っているのがわかる。ただしその色は周囲の影たちの緑がかったものと違い、僕のIS展開時のノイズを思わせる優しい白い光を放つラインが、待機状態のISを中心に伸びている。

 それはラウラも同じで、足のアンクレットを中心に赤い光を放つラインが走っている……それは、今までだったら荒唐無稽と否定しただろうイブさんの言葉を正しいものだと裏付けているかのようで。

 先程の意識を失ったラウラと、明らかに自身の心境に影響を及ばされた時のことを思い出し、僕の胸の中で、徐々に不安が広がりだした。

 

 「……仮に、それが全部事実だとして。そんな世界を相手どって騙すようなことをしてまで、こんな大掛かりな施設を作って実験をして得られる『益』っていうのは、いったい何なの? それを求めているのは誰?」

 

 「………………すまないが、それは私の口からは言えない。君たちが私の話を聞いたうえでここに留まるならいずれ知ることになるかもしれないが、少なくとも今『ここ』で知ってしまえば、もう後戻りできなくなる」

 

 「……!」

 

 「ただ私に言えるのは……今後安穏とした人生を送りたいのなら、そんなことを知ってしまう前にISからは手を引いたほうがいいということだ。この学園における専用機持ち……即ち君たちの役割は、一定の秩序下に置かれた箱庭に投げ込まれた異物だ。内側から刺激を与えて様子を見て、『都合が悪ければ』排除される。これからどう転んでいくにせよ、いいことになるとは思えない」

 

 最後にそう結論付けたイブさんの目は、何処までも本気だった。元々冗談を言う人ではないし、強制でこそないけど彼女がこうして僕に対して選択ではなく明確に何かを薦めてくるのは初めてのことで驚いてる、けど……だからといって、僕はすぐには彼女の話を全部鵜呑みにする気にはなれなかった。

 それはラウラも同じなようで、明らかに不審なものを見る目をイブさんに向けながら反論する。

 

 「ふん……肝心な情報は伏せておきながら、自分の主張は通すのだな。大体、貴様の話が事実だとして、そのようなことを教官が許す筈がないだろう!」

 

 「織斑千冬は今私が話した程度のことは全部知っている筈だ。他の教師陣はどうだか知らないが、少なくとも彼女は間違いなく全部知った上でこの学園にいる」

 

 「なっ……! ふ、ふざけるな! 貴様が語るような『悪』に、あの人が加担していると言うのか!」

 

 「ふ……さて、な。ここの現状に対し、彼女がどのような想いを抱いて今の立場に収まっているかなど、私には預かり知らぬことだ。だが……果たして織斑千冬は、君が思っているほど清廉潔白な人間だろうか?」

 

 「何っ……!?」

 

 明らかに織斑先生に疑惑を向ける言葉。それに対して、ラウラがいよいよ耐えられないといった様子で殺気立ち始める。

 僕にしても、前にここを去るときお世話になった彼女を貶められて平気なわけじゃない。ない、けど……仮にイブさんの言う通りなのだとすれば、彼女は何故こんなことに関わっているんだろう。

 ……ISの生みの親、篠ノ之束とともにIS誕生の一助を果たした、一番最初の『戦女神』で、一夏のお姉さん。今ここの先生と生徒という形で再び関わりを持ってはいるけれど、考えてみたら僕たちはあまり、あの人のことを知らない。彼女は知識も教養も間違いなく普通の人以上にあるけれど、自分のこととなると殆ど何も話さないからだ。

 僕の目を見て少なからず僕が話しに関心を持ったことがわかったのか、イブさんはラウラから向けられる殺気を事も無げに受け流しながら、言葉を選ぶようにゆっくりと再び語りだした。

 

 「……十年前。すなわちISの歴史の黎明期の話になるが。君たちは当初、ISがなんという名目で発表されたのかは知っているか?」

 

 「っ! いきなり、何をっ! 今は教官の……!」

 

 「ごめんラウラ、気持ちはわかるけどちょっと待って! ……宇宙開発を目的にした万能型パワードスーツ、だった筈だよね?」

 

 「それは答えの一つに過ぎない」

 

 「え……?」

 

 「『世界という名の可能性を拓く鍬』……篠ノ之束はISを指して当初言った言葉はこれだけだ。何を思ったのかは未だにわからないが、彼女はその言葉の答えを使い手側に求めた。それ故に様々な根拠のない憶測が飛び交い、答えとしては一番無難なものとして広まったのが、今君が言った答えというわけだ」

 

 「じゃあ、本当はISって何を目的に作られたものなの?」

 

 「さあな。それは未だに篠ノ之束しか知らないことだろうが……それと異なる『兵器』という答えを出した者がかつていた。それ自体は篠ノ之束本人の声無き抗議(しろきしじけん)によって否定されたが、結果は変わっていない……安全な檻の中で行われる競技? 檻があるからなんだという? 君たちがISを纏いながら扱っているものはなんだ? 血が流れなければ武器ではないのか?」

 

 「……!」

 

 ……イブさんの言葉は多分、ここにいる誰もがわかっていながら目を背けていることだ。

 絶対に傷つかないパワードスーツを着用して対戦をする。それだけ言葉にすれば大したことじゃないようだけど……ISの武装に、『訓練用』なんていうのは殆どと言っていいくらいない。ただ怪我こそしないだけ実質的にやっていることは殺し合いに等しい。

 最初の頃こそ、怖かった時期は僕にもあった。けど……それを試合としては気負いがなくなっていったのは、いったいいつから、だっただろう?

 

 それを思い出そうとして思わず両手を見つめる僕を、イブさんは何処か少しだけ悲しむように目を細めて見ているのに気づいて、何か嫌な震えが僕の背中に走った。

 

 「そうだ。最終的に、ISは多くの欺瞞を孕んだ兵器になった。このISの製作者すら望んでいない結果を生んだ答えを出した人間は……織斑千冬の父親だ」

 

 そしてその時何故か思い出したのは、かつてここを去ろうとした時に出会った人だった。『彼』にとても良く似た容貌を持ち、それでいて何処か、何かが欠け落ちたように空虚に笑うあの人は、更識さんが僕のいるところにやってきたあの日を最後に僕のことをミーティアさんに任せると、

 

 『……出来ればもう、出遭わないことを願っているよ。幸せになりな。俺みたいな、後ろ向きな大人にならないようにな』

 

 最後にそんな言葉だけを残して僕の前から姿を消した。最初の出会いのときの印象がある意味最悪だったのと、なにより彼に似ているが故のところから来るその雰囲気の違いからつい苦手意識を持ってしまって、色々とお世話になったのに避けてしまい、碌にお礼もできていない中での、突然の別れだった。

 織斑先生の父親。その言葉でなんで彼のことを思い出したのかはわからないけれど、今彼はどこで何をしているんだろうか?

 

 「何を言い出すかと思えば、そんなことか。仮にそれが事実だとしてなんだ? それを行ったのはあくまで教官の父親であって教官ではない。それとも父の罪は娘のものでもあるとでも言うのか?」

 

 ラウラの方はそのイブさんが告げた言葉に思うところは無いようで、僕が違うところに意識を向けている間に相変わらず険悪な目でイブさんを睨みながら彼女に詰め寄る。

 ……いや、思うところはあるのかもしれないけど、それだけ、彼女にとって織斑先生の存在を貶められるのは我慢なら無いことなんだろう。

 

 「そんな時代錯誤な主張をする気はないが……君自身、そこまで織斑千冬に陶酔しているのなら彼女のことは知っているだろう? 現状での区分は第一世代機とはいえ篠ノ之束から直接機体の提供を唯一受けたIS搭乗者。篠ノ之束と繋がりのある彼女に、篠ノ之束が望まなかったやり方とはいえISの普及に大きな貢献をした彼女の父親。どちらもこの界隈では重要人物、これでまったくの無関係と主張するのは少々苦しいのではないか?」

 

 「……だとしても、私の答えは変わらない。仮にISを兵器として扱い、この場所を生み出したのがあの人の意思だとしても……それを、あの人が間違ったことに用いる筈がないと信じている」

 

 「……盲信は危険なことだ」

 

 「そんなんじゃない。あの人だって、時には間違えるって、私にはわかっている。そう、それがもうわかっているくらいには、私はあの人のことを知ってる。お前なんかよりも、ずっと」

 

 イブさんを真っ直ぐ見つめるラウラの左目が、爛々と金色に輝く。

 頭痛にはまだ苛まれているみたいで、彼女の額には脂汗がいくつも浮かんでいるのがわかる。けれど、ラウラはそれが彼女が信じているものを信じ続けるという意思表示のように、一向にその目を閉ざして楽になろうとしない。

 ……この子は、本当にしばらく見ていないうちに強くなったと思う。いや、元々心身ともに強い子ではあったんだろうけど、今は出会った当初に感じた、その強さの根底に見えた未熟さというか、精神的なぐらつきがもう感じられなくなっている。

 ラウラの強い意志が伝わったのか、それとも最初からラウラを説得する気が無かったのか。イブさんはそんなラウラの態度を見て左右に小さく首を振ると、少し視線を下げてラウラから目を逸らした。

 

 「そうか……君がそこまで自らの道を決めているのなら、私としても横から口を挟む気はない。だが……ISの持つ異常性を、君たちはもう理解した筈だ。仮に織斑千冬が君が信じている通りの人間だったとして、彼女はここでこの大掛かりな人体実験を何故黙認する?」

 

 「それ、は……」

 

 「最初から君たちにこの答えは求めていない。知りたいと思うならこれから本人に聞いてみることだ。彼女もここでなら、下手な言い逃れはできまいよ」

 

 「え? それって、どういう……」

 

 「……そうだろう? 織斑千冬」

 

 「……!」

 

 そして……イブさんの注意が、不意に僕たちから僕たちの後方へと向けられた。

 それにつられる形で、僕とラウラはついその場で振り返る。すると、そこには……

 

 「あっ……!」

 

 「っ……!」

 

 当時はあんなに怖かったのに、今まで一組の皆が騒いだ時に見せた彼女の怒りなんて、本当なんでもなかったって思わず思ってしまうくらいに。

 静かに。それでいて爆発直前の火山のような、思わず危険を感じずにはいられないほどの熱気を肌に感じるほどの強烈な怒気と殺気を身に纏った織斑先生が、真っ直ぐにイブさんを睨みつけていた。

 

 

 

 

 「……思っていたより、駆けつけてくるのが遅かったな。お陰で随分と余計なことまで喋ることになった」

 

 「本当、随分と余計なことをベラベラと喋ってくれたな。前に会ったときはこんなに饒舌な女だとは思わなかったぞ」

 

 「あの時は互いに暢気に話してる場合ではなかっただろう。尤も……それは、今も同じか。久しいな、織斑千冬」

 

 「ああ……会いたかった。私の敵……今回は貴様一人か」

 

 「ウェザーはもう、『その時』までは動くまい。予定通りではあるが、ある意味では君が原因とも言える」

 

 織斑先生の放つ強烈な殺気。その余波に過ぎないものをぶつけられているだけの僕たちだけど、それでも最早満足呼吸することもままならないくらい体が固まってしまっている。

 けれど、それを直接ぶつけられている筈のイブさんは平然と、先生と会話できる余裕すらある。そんな、明らかに自分たちとはランクの違う二人のにらみ合いに挟まれる形なった僕たちに、織斑先生は何も無い空間からいつの間にか一振りの刀を手元に出現させて駆け寄ってこようとするが、

 

 「あまり変に動いてくれるな。何故ここにこの二人をわざわざ連れてきたのかわからない君ではないだろう?」

 

 「チッ……!」

 

 それよりも先に、黒い手袋を嵌めた手を僕たちの方に突き出したイブさんの警告に、舌打ちをしながらその場に留まった。

 

 「貴様ァ……!」

 

 織斑先生に対する人質にされている。その事実を悟ったラウラが激昂した様子でイブさんに向かおうとするが、動けない。

 それより前に織斑先生同様……いや、彼女とは全く正反対の、思わず凍えるような絶対零度の殺気をラウラに向かってイブさんが叩きつけてきたからだ。

 ラウラは竦みそうになった足を何とか踏み止まらせたが、その足はどうしても前に出ない様子だった。僕もあの厳しくもなんだかんだで優しかったあのイブさんのものとは思えないような、冷気を孕んだ視線に震えが止まらなくなる。

 

 「……お前たち、そこから動くな。あの女は危険だ」

 

 「君に言われたくはないな。一年前、いやもうすぐ二年前になるが……あの時、私のこの右腕を挽肉にしてくれたのは誰だったか」

 

 「ふん……もう二度と戻らないようと思っていたがな。よくあの状態から元に戻せたものだ、忌々しい」

 

 「これは義手だ。自身の体の一部を失う経験は流石にあれが初ではあったが、これはこれで色々融通が利いて便利でな。今となっては感謝してもいいと思っているくらいだよ」

 

 「抜かせ……次は首だ」

 

 「やってみればいい。そこからではどうあっても、そうなる前に哀れな犠牲者が二人出ることになるが」

 

 「……お前たちは! 毎度毎度、人を盾にしやがって、それ以外に芸が無いのか!」

 

 「君みたいな強くても甘い人間を相手にするには誂え向きだからな。あの時も、君の弟の存在は大いに私たちの役にたってくれた。めでたく君は試合に負け、舞台と国と肩書きに泥を塗った責任を取るために表舞台に立てなくなった。〆に君が死んでくれればさらに言うことはなかったのだが」

 

 そして……震えは、違う意味でもますます酷くなっていった。

 ラウラもまるで耳を疑うようにイブさんを見て……けれどとうとうその場に立っていられなくなってしまった僕に気がつくと、心配するように寄り添ってくれる。

 でも……それでも震えはとまってはくれなかった。怖いのは、今にも殺されそうになってるからじゃ、ない。あの人は……イブさんはさっき、なんて、言った?

 

 「私の前にノコノコとまた現れたのは、そういうことか、貴様」

 

 「そうだ。まあ、君が大人しく聞き入れるとは思っていないが……二人の命が惜しければ、君が代わりに死ぬことだ。織斑千冬」

 

 聞きたく、ない。やめて、イブさん。

 信じられない。信じたく、ない。

 

 ――――ああ……今、お前の目の前にいる奴はな、大事な人を嘘つきにした、お前なんか目じゃない位の糞野郎なんだよ。

 

 いつか、二人で星を見た夜。彼が打ち明けてくれた秘密。

 話す前、覚悟を決めるように何度も息を吐いて、それでも何かを恐れるように震えていた彼。そんな、大事な人に未だ拭い去れないくらいの大きな傷を与えた事件が、よりにもよって。

 

 僕の、姉代わりだった人によって、引き起こされていた、なんて。

 

 「ふ……ふざけるな! ふざけるな、貴様……! あれだけ……あれだけ教官から奪っておいて、弟をあれだけ深く傷つけておいて! また……また、教官から奪おうというのか!」

 

 息も詰まるよう様な濃厚な殺気の応酬の中、それでもイブさんの語る事実が許せないといった様子で、青白い表情のままラウラが激昂して叫ぶ。

 そんなラウラの様々な感情の乗った叫びに、今まで織斑先生に向けられたままのイブさんの意識が微かにこちらに向いたことを感じる。けれど、感化された様子は全く無く彼女の瞳はどこまでも冷たい色を宿したままだ。

 

 「イブさん! どうしてっ……!」

 

 彼女のその目が嫌で、彼女の語る残酷な言葉も受け入れたくなくて、他に言いたいことなんて山ほどある筈なのに頭の中がグチャグチャで、僕はラウラと違ってとっさにそんな言葉しか出てこない。

 

 「…………」

 

 前だったら、僕が泣いたら頭を撫でて慰めてくれて、不器用な言葉で慰めてくれたイブさん。

 もう彼女は何も答えてくれない。けれど、ほんの微かに……その時僕たちに注意を向けた彼女の冷たい瞳が揺れた。

 

 「……!」

 

 一瞬の、けれど確かに生まれたイブさんの隙。

 そしてそんな、僕でもわかるくらいの彼女の揺らぎを、先生が見逃す筈がなかった。

 

 「待っ……!」

 

 気がついたときには遅かった。

 一息の間に、織斑先生がイブさんの懐に踏み込んでいた。その手に、いつの間にか一振りの刀を携えながら。

 

 ただ踏み込んでから斬るという、この上なくわかりやすい単純明快にして、織斑先生の現役時代から一度も破られたことのないその一撃。今の彼女は生身とはいえ、今まさに抜刀する瞬間に至るまで、まったく一連の動きを『認識』出来なかった。

 

 ――――正直、思っていた以上だ。あんなもの、くるのがわかっていても対応できるわけない……!

 

 ほんの一瞬。それでいて長い、凍りついた時間の中で、織斑先生の剣が振り抜かれる。対するイブさんは、動くことすら出来ずにその白刃を受け――――

 

 「……え?」

 

 「なっ……!?」

 

 鮮血が迸り、緑色の光に満たされた廊下が赤く染まる。

 

 「――――呆気ないな。一年前、まだ未完成だったとはいえ君はこれを初見で凌いでみせたというのに」

 

 異形。

 人目でそうとわかる、まるで悪魔のような鋭い爪の生えた黒い左腕が、織斑先生の胸の中心を背中から貫通している。

 織斑先生は動かない。動けるはずがない、明らかに致命傷だ。

 何が起こったのか、全くわからない。織斑先生の剣は確かに振り抜かれて、イブさんはそのとき全く動いていなかった筈なのに……いつあの人は、先生の背後に回りこんだ?

 

 「まあ、いい。これで私の役目は終わった。後はオータムが上手くやるだろう」

 

 腕の主である、返り血で真っ赤に染まったイブさんのどこまでも冷えた呟きが響く。

 

 「きょ、教官……!」

 

 一拍遅れて、ラウラの悲痛な叫び声が聞こえて。

 僕は。かつての大事な人が取り返しのつかない罪を犯したその瞬間を、ただ、見ていることしか、出来なかった。

 

 


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