――――ふと目を醒ますと、最初に目に飛び込んできたのは、薄暗い中でギラリと光る、刃渡り30cmはあろう立派なサバイバルナイフだった。
腹に馬乗りになられて、ナイフを振り上げて俺に突き刺そうとしている奴がいる。
赤い隈取が施された、白い猫のお面のようなバイザーをつけた隻腕の女。
黒いライダースーツのようなISスーツを纏っていて肌は殆ど見えないが、それでいて尚僅かに見える部分には顔も含めて包帯が巻かれており、その間からは火傷の跡が見えて痛々しかった。
……間違いない。あの千冬姉のパチモンと戦っている中に乗り込んできて、シャルとラウラを人質にしてきたIS乗りだ。
に、しても……なんでこんなになってまで、あんな拷問器具みたいなISに乗っているんだ……?
あれのせいでこっちは散々な目に遭った。恨みも怒りもある。あるが……
何故か。あのことに加えて、今現在そいつに殺されそうになっている、この現状で――――
――――俺は……この敵のしようとしていることが、どうして
こんな訳もわからないまま、殺されたくなんてない。
けど、そんな確かな自分の意思とは裏腹に……やれよ、とばかりに。俺の体は目を閉じてしまう。
「っ……!!」
視界が暗転して尚、猫の仮面の女が息を吞む音が聞こえた。
馬乗りになられた体から、女が体に力を入れたのを感じる。だが――――
結局、ナイフが俺に向けて振り下ろされることはなかった。
女はしばらく俺の上で逡巡した後、やがてナイフを投げ捨てると、怒りと悲壮感が綯交ぜになったような、強い感情を滾らせるような剣幕で俺の上から飛び降り、走り去っていった。
その後姿を見送りながら、俺はどうしてかこの時。
一年前のモンド・グロッソ以降、ずっとあの日のことを夢に見るたびに悩み続けて……ここしばらくは思い起こすことがなかった、一つの後悔が頭を過った。
あの、レイシィといた廃ビルが崩壊したとき、俺たち二人の運命は明確に別れた。レイシィは潰れ、俺は瓦礫の下から救い出された。あの時、せめて――――
――――俺とあいつに訪れた運命が、せめて
少しの間感傷に浸ったところで、改めて周囲を見渡す。
照明が消されていて薄暗いが、先程猫の仮面の女が出ていった扉から光が入り室内であることはわかる。
俺が寝かされているベッドと、金属の机と椅子だけが置かれている、窓のない殺風景な部屋だ。
……何処かはわからないが、IS学園での最後の状況とあの女がいたことから、亡国機業の拠点のどこか、なのだろうか。
取り合えず、敵の情けか白煉かどうにかしてくれたのかはわからないが、俺はあの黒光に呑み込まれて猶、粉微塵になって死なずに済んだらしい。
服は白式に量子収納していた筈の、IS学園制服のままだが……流石に、白式は取り上げられているようだ。
携帯も同じく没収されているようで、白煉との連絡も封じられてしまった。
手足が拘束されていないのはせめてもの幸いだ。そして、少し心許無いものの武器もある。
先程走り去っていた敵が投げ捨てていった、サバイバルナイフを拾う。
まぁこんなもんがあったところで、ISが出てきたらどうしようもないわけだが……なにもないよりは多少はマシだろう。
俺はナイフを片手に、僅かに開かれた扉の隙間からすり抜けるように外へ出た。
部屋にいた時は特に何も感じなかったが、廊下と思われる場所に出た途端機械の駆動音と思われる音が断続的に耳に飛び込んでくる。
一面の金属で覆われた通路といい、大きな船か何かの中を思わせる場所だ。
……何はともあれ、まずは白式を取り戻さねばならない。なるべく音を立てないように、通路を進もうとすると――――
「――――お目覚めになられたのですね。織斑一夏様」
「!?」
不意に声をかけられて、咄嗟に逆手にナイフを構えて振り向く。
――――ラウラがそのまま中学生くらいになったような、銀髪の少女がそこにいた。いや、あいつ一応同年代だし、なんなら歳上なんだが、見た目がね……
ただ目に何らかの障害があるのか、両目は固く閉じられており、杖をついている。
けど……どっから出てきた!? こんな人気のない場所で、見るからに非力そうな盲目の少女が近づいてきて、気づかないほど気を抜いていなかった筈だが……姿を見るまで、全く気配を感じなかったぞ!?
困惑する俺を余所に、少女は俺がナイフを持った男ということすらわかっていないのか、不思議そうに首を傾げるだけだ。
……困ったな。エンカウントするにしても、あのニセ千冬姉みたいな、殺意バチバチのヤバい奴を想定してたから、最初がいきなりこれだと調子が狂う。
この子も亡国機業……なんだよな? 俺みたいな、何処からか攫われてきた一般人とかでなく?
「? とても困っておられるのを感じます……わたし、なにか粗相をしたでしょうか?」
「い、いや……君、は?」
「あ……申し訳ございません、名乗りもせず。わたしはクロエ・クロニクル。今回この潜水艇『パーシアス』へお招きすることになった、織斑一夏様のお世話係を仰せつかっております。どうぞ、お見知りおきを」
自ら名乗った後、丁寧にお辞儀をしてくるクロエと名乗る少女。
潜水艇……? じゃあここ、海の中なのか……元より白式を取り戻すまでは逃げる気はないが、脱出のハードルが上がったな……
しかし、うーむ……お世話係ときたか。となると、この子は亡国機業については何も知らされていないのか?
だとしたら、上手いこと話せば白式の奪還とここからの脱出に協力して貰えないだろうか……?
――――なんて、相手が見るからに非力そうな少女なのをいいことに、少しでも気を抜いたのが失敗だった。
いくら一見武器を持った男相手なんてどうにもならなそうな盲目の少女でも、女性には変わりない。
そして女性なら、そんな戦力差なんてあっさり引っ繰り返せる武器を扱えることを、俺は未だに心底から理解できていなかった。
「――――そして、重ね重ね申し訳ないのですが……」
いつの間にか。
クロエという少女の手元から杖が消え、代わりに金属で形作られた、異様な装丁の大きな本が現れていた。
そのいきなりの変化に俺が対応する間もなく、本が開かれる。
「誠に失礼ながら。これからこの艦内をご案内し、あなた様との面会をご希望している方の元へお連れする前に、あなた様の為人を図れと仰せつかっておりまして……どうか少しだけ。お時間を頂戴したく存じます」
「なっ――――!!」
そしてその本の開かれたページから、まるで解き放たれるように溢れ出した、若葉色の眩い光に。
「『
俺は内心この展開何度目だよと愚痴りながら、一切抵抗できずに呑み込まれた。
「――――はっ!?」
周囲を覆いつくすような光が消えると、俺は先程までとは全く違う場所にいた。
一面金属張りの通路から一転、木で作られた格調高そうな台が立ち並ぶ、厳かな空間。
世間一般で言うところの、『法廷』の証言台に、気づけば俺は立っていた。
そして……急に放り込まれたこの場で何より異様なのが、この法廷に出席している、俺以外の何者か達だ。
そいつらは、『馬』だった。
ひどい馬面だとか、馬みたいに嘶いてるとか、そんな比喩じゃない。そのままの意味で、だ。
自らの後ろ脚二足で立ち上がり、人のような服装を纏った馬が、判事席、検事席、弁護士席……果ては傍聴人席にまで当然のような様相で席についており、法廷の中心にいる俺に目を向けている。
その中で唯一……判事より一段低いところにある席に、先程までと様子の変わらない人間のクロエが、一人でついていて……馬たちの息遣いの音が響き渡るこの法廷の中、いきなり手を挙げたかと思うと、一番最初に声を張り上げた。
「陪審は被告人、織斑一夏様を『
――――……!!
クロエの宣言に、傍聴人席からザワッ、と無数の声があがる。
「静粛に!」
それを咎めるように、クロエの後ろ、一番高い位置にある判事席についた馬人が、
甲高い音によって傍聴人達が静かになると、判事の馬人は何も言わずに検事席についている馬人へと視線を向ける。
「……検事側、異議なし」
検事席側の馬人は、いかにも気に入らないといった態度で、どうも被告人らしい俺のことを一睨みするも、低い声でそう告げた。
すると今度は判事馬人が、弁護士席にいる馬人に目をやった。
弁護士席の馬人は、検事馬人とは対照的に機嫌良さそうに数度頷き、
「弁護側、異議なし!」
ひょうきんな調子の声で、検事馬人と全く同じ言葉を告げた。
二人の馬人の意見を聞いた判事馬人は、重苦しく頷く。
「……では、判決を下す。本法廷において、被告人織斑一夏を
「いや、ちょっとまっ……!」
「閉廷!」
結局被告人である俺が何一つ発言できないままのスピード判決。
このままではまずいと咄嗟に声をあげようとするが、既に遅く。
判事馬人の蹄が振り下ろされ――――甲高い音と共に、再び周囲が若葉色の光に包まれた。
また光が消えると、今度は青い空と、緑の平原が一面に広がる場所に立っていた。
見渡す限りの草原には、所々で様々な毛並みの馬が草を食んだり、思い思いに寛いでいるのが見えるが……馬たちはこちらに興味を示さず、近づいてこない。
目の前には真っ白なガーデンパラソルの下に、白いティーテーブルと木製のアンティークチェアが二つ置かれており、そこでクロエが何事もなかったかのようにお茶の準備をしていた。
「こ、今度は一体……!?」
「先程は失礼しました。ですがご安心ください。『馬人裁判』においてあなたが
そう言ってクロエはお茶の準備を終えると、椅子を引いて椅子の片方に俺に座るように促してくる。
その目が見えていないとは思えないほど自然な所作に、俺は引き寄せられるように近づき、思わず席についてしまう。
俺が席に座ると、クロエはカップに注がれたお茶を俺の前に置き、自身も反対側の席についた。
「よろしかったらどうぞ。ここは現実ではありませんが……味覚は感じられると思います。宜しければ、感想をお聞かせ願えませんか?」
「あ、ああ……」
どういう訳か、俺という人間はここまで素直だったか、なんて怪訝に思いながらも、勧められるままお茶を口に運んでしまう。
操られている……という訳ではない。何故か、自分からそうするべきだと、自然と思い込んで行動に移してしまうのだ。
まぁ、お茶は何かが入っているという訳でもなく、普通に美味しかった。
「うん、美味いな」
「そうですか? ……良かったです。最近、練習し始めたばかりなので」
思わず感想を口にすると、クロエは一切毒のない顔で綻んだように微笑む。
ラウラに似た面持ちでそんな顔をされると、思わず癒されそうになるが……待て、待て。流されるな、織斑一夏……!
「なぁ、クロエ、さん? ……君は、亡国機業の人間なのか?」
「クロエ、でよろしいですよ。織斑一夏様……そう、ですね。構成員ではありませんが……関係者である、とは言えると思います。あの、わたしの方からお聞きしても?」
「ああ。俺のことも、一夏でいいぜ。何が聞きたいんだ?」
「はい。では一夏様――――『神城秋一』及び『織斑千春』という名前に、聞き覚えはありますか?」
「え……? いや、特に、覚えは……!?」
――――「お前さえ……お前さえ、いなければっ!!」
――――「一緒に行きましょう? あなたはこんなところにいてはだめ」
――――「なんなんだよお前……! なんでこんなことができるんだよ。弟、なんでしょ……?」
――――「うるさいっ! お前に私のなにがわかるっ!!」
――――「……知るか。一人で行け。私は関係ない」
――――「……そうかい。なら……死ね。それが一番、千冬は喜ぶからさ」
「っ……!?」
――――俺には、小学校に入る前の記憶がない。
それを不審に思ったことはない。俺くらいの年齢になれば、それは自然なことだと認識していた。
なのに……クロエが口にした名前を聞いた途端、今までほんの欠片すら頭を過ることのなかった記憶が、急に蘇った。
ただし、結局思い出したのは断片的なことだ。
今からすると、信じられないくらい冷たい目で俺を見下ろしてくる千冬姉。
心配そうに俺を覗き込んでくる、雪子おばさん。
千冬姉に殴りかからんばかりの勢いで、怒り狂っている束さん。
そして――――まるで路傍の石でも見るような視線を俺に向けてくる、何処か俺や千冬姉に似た男。
俺は……あの男に言われるまま、あの場所で、確か――――
「――――様! 一夏様っ!!」
「!?」
自分でも、開けてはいけないと感じる記憶の扉を開こうとしたところで、クロエの声で現実に引き戻される。
「今の、は……? 俺は……?」
「……ごめんなさい。クロエは、いけないことだとわかってこの名前を口にしました。恨んでくれて構いません」
正直、まだ自分のものかどうかすら曖昧な過去の記憶に戸惑っている。クロエの言葉は、殆ど俺の中に入ってこない。
「協力者としてここに潜り込んで、機があれば……あなた様を殺せと、秋一様は仰いました。でも……それがあの方のためになるとは、クロエにはどうしても思えませんでした。だから、知りたいんです。あなた様のことを」
俺は……千冬姉に恨まれていたのか?
千冬姉から……何を、奪ってしまったんだ?
なぁ……なんで、何も言ってくれなかったんだよ……千冬姉……
「――――『
逃、避……? 自分の記憶から、今まで逃げてきたのか? 俺は……
俺、は――――
「……酷なことをしていると、わかっています。それでも……わたしは、知らなくてはならないのです。ですから――――」
「――――どうか、対話を。織斑一夏様」