~~~~~~side「鈴」
――――ずっと、言えなかった言葉があった。
尤も、それは今も同じだ。
あの忌々しいモンド・グロッソのせいで、あたしにとっての一世一代のタイミングを逃したというのが最初は大きかった。
以降は一夏がずっと傷心中だったのもあるし、あたしも打倒ブリュンヒルデという新しい目的が出来てからはそちらにかかりきりで、それどころではなくなったというのもあった。
けど、見ている限りでは大分一夏の傷も癒えてきたように感じるし――――ブリュンヒルデの背中は未だ遠いが、少なくともIS搭乗者として地に足の着いた一定の身分は手に入れた。
なら……もう一度チャンスを作ってみてもいいんじゃないか?
そう考えなかったことが、一度もないといえば噓になる。けど結局、一夏と再会してから一回も実行に移せたことはない。
一番の理由はわかってる。あたしに、勇気がないせいだ。
この気持ちを伝えてどのような結果に終わるにしろ、今の関係性のままでいられることはきっとない。
あの時は別れ際で、ここでどんなことをしてでも気持ちを繋ぎ留めておかないと、二度と会えないかもしれないという、不安と焦りが、良くも悪くもあたしの背中を押してくれた。
けどこうして、弾と数馬にこそたまにしか会えないけれど。昔の四人でバカをやって過ごしてきた日々がまた戻ってきたら、本来の臆病なあたしがまた顔を出し始めた。
――――今のままで、いいんじゃないかって。そんな気持ちが頭を過るたびに、ずっと用意していた言葉は遠くなった。
間違いなく、一番の理由はあたしにある。そこを、言い訳するつもりはない。だけど――――
―――― 一夏は、変わった。
どこが? と、具体的な部分を求められると言葉にし辛いんだけど……違和感のような何かが、再会したときからずっと喉の奥に引っ掛かっていた。
それが悪い、なんて言うつもりはない。あれだけのことがあって、一夏は体にも心にも一生残る大怪我を負った。本当なら、違和感なんてレベルじゃないくらい人格が歪んでも不思議じゃなかった。最初は、まだあたしの知ってる一夏のままでいてくれたと安堵を覚えたくらいだ。
そう、わかっているはずなのに。この心のしこりみたいなのは、いつまで経っても消えてくれなくて。
一夏だって大変だった筈なのに。あたしはなんて狭量なんだと、何度も自己嫌悪して。
それにあたしより前に一夏と幼馴染だっていう、箒がなにも感じていないみたいだったので、一時は気のせいなのかもしれないとさえ思って。
でもお母さんはあたしと同じものを感じたそうで、一夏に対する態度がどこか余所余所しかった。一夏もそれに気づいていたのか、苦笑しつつも何か覚悟を決めたような目をしていたのが、今でも忘れられない。
あのモンド・グロッソが、どこまでも祟る。
あの事件のせいであたしは思いを告げられなかったに留まらず、一夏に与えた傷のせいであたしの大好きな人は変わってしまった。
結果、あたしは一夏を守ってくれなかった、肩書だけ大層なあいつの姉に、一層恨みを募らせることになった。
そう、全部、モンド・グロッソと、
ずっと、そう思ってきたけれど――――
「っ……!?」
天使のような、青い翼が音もなくはためく。飛べなかった筈の白式が、飛んでいる。
光の翼の合間から一瞬だけ見えた一夏の顔は、紛れもなく
すれ違う瞬間、確かに一夏と目が合った。
一夏は――――あたしを見て、どこか寂しそうに笑った。
それを見て、あたしは――――何故か、このまま一夏を行かせてしまったら。
もう二度と、会えないような気がして――――
――――もし。
もし、変わったのではなく。
今あたしの生きている世界が嘘か夢で。
あたしの大好きな人は、
「――――待って!」
とんでもない速度で、全てを置き去りにして飛び去って行く白式を追いかけるべく、甲龍のスラスターに火を入れる。
どんなに速くたって、あたしの
……犯人は、疑問に思うまでもなく、一人しかいない。
「甲龍!! アンタ、なにしてんのよっ!?」
『……主よ。行かせてやるが良い……今ゆかねば、雪白は正しく終われぬのじゃ』
――――終わる。
甲龍の言葉は、先程の一夏の顔を見た途端、わずかに過ったあたしの最悪の予感を、裏付けるようで。
……うそ、だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だっ!!!
「待ってよ、一夏……」
遠ざかる。
ISのハイパーセンサーでも捉えられないほど、青い翼が遠ざかっていく。
「一夏あああぁぁぁぁぁ!!!」
青い翼が、空に溶けていく。
見えなくなる白式を前に、あたしはただ叫ぶことしか、できなかった。
~~~~~~side「織斑一夏」
――――犬も歩けば棒に当たる、なんていうが。
……姉の応援のために生まれて初めて海外に行って、そこで命を失うのも、棒に当たったということになるんだろうか?
ふとそんなことを思い至って、思わず自嘲する。
今更、被害者面するつもりはない。ただこの短い時間で、改めて過去の自分のクソみたいな行いのせいで失ったものの大きさを噛み締める羽目になったというだけだ。
――――箒……鈴……
……これは未練、なのだろう。
一時はどうでもいいとさえ思ったあいつらに、今更未練を抱くなんて、我ながら女々しくて嫌になる。
大体……俺がこんな怨霊になり果てるにまで至った特大の未練が、この先にまだ残っているってのに。
格言の通り、俺は犬だ。
あれこれと押し付けるようで悪いとは思うが……この未練は、
俺は――――せめてかつて、水面に落としてしまった
「え、いち――――!?」
シャル――――いや。これはあいつだけの呼び名か。
シャルロットの声が聞こえるや否や、迷うことなく海に飛び込む。
反応はここよりずっと下――――深く深く潜っていく。
幸い、白騎士特有の大型Eウィングによる推力は水中でも問題なく機能した。追いつける……!
「っ……」
だが、潜っていけば潜っていくほど、視界が闇に覆われていく。冷気が襲い掛かってくる。
訪れる闇と体が冷たくなっていく感覚は、図らずもかつて一度通った
――――なあ、神様。
この際、身の程知らずの馬鹿なガキを終わらせたことは別にいい。
あんたを恨んだこともあったが、もう吞み込んだ。
俺ごときが死んで嬉しいってんなら好きなだけ祝杯でもあげればいいさ。
だけど――――これは、違うだろ。
ここで、あいつを連れていくのは、ナシだろ。
わかんねぇなら言ってやる……
――――レイシィは、俺の
死神だかなんだか知らんが、後からしたり顔で来て横入りしてんじゃねぇブチ殺すぞ……!
――――いた……!
敬虔で真摯な俺のお祈りが神様に届いたのか、この広い海の中で割とあっさりと、深く沈んでいくISを見つける。
大型Eウィングを再展開。
闇の中に落ちていくボロボロのISを、青い光の翼が下から掬い上げるように引き戻す。
そして冷たくなったレイシィの体を、ISごと抱きしめた。
「いち、か……?」
か細い少女の声が聞こえた。
意識が朦朧としているのか、目の焦点が合っていない。
レイシィは死にかけだった……そんなことは、もうとっくにわかっていた。そして、ここから救い上げるだけでは根本的解決にならないことも。
だけど、今は。
「――――ああ、俺だよ……ったく。どっかの死にたがりのせいで死に迷って、このザマだ。どう責任を取ってくれるんだ?」
「あ――――」
次第に目が見えてきたのか、レイシィの目が見開かれる。
そして……水の中だから涙こそ見えないが、それでも泣いているのが、わかった。
「ごめん……ごめん、ごめんなさいっ! ボク、ずっと、謝りたくて……!」
「そうか。わかった。もういいよ」
「だけどっ!!」
「もう、いいんだ」
こういう結果にこそなったが、レイシィを助けるという自分の決断自体に後悔はない。
あの時は救えなかったと絶望したが、実際は最低限の結果は、残すことができていたのだと知った。
だから、レイシィに不満が、あるとすれば――――
「だから――――俺の最期の望みを……どうかこれ以上、貶めないでくれ」
「っ……!」
「変に未練を抱えて現世に残るってのも辛いんだ……いい加減、地獄で寛がせてくれないか?」
こいつがあの日の後悔を抱えたまま、死にたがってることくらいだ。
ただそうはいっても、たとえ俺自身が許したとしても。そう簡単に割り切れるもんでもないってことくらいはわかる。
俺だって、似たような後悔を抱えたばかりに死に損なって怨霊同然の何かになり果てた。
レイシィがこうして生きていると知らなかったら、未だに自分を許すことが出来なかっただろう。
レイシィの状況は、実際のところ俺よりも悪い。レイシィは、色々あったんだろうがこうして生きていたけれど。
俺がいくら許したところで、織斑一夏が死んだという事実は最早覆すことができない。
その辺の事情を全部承知した上で、自分のせいで死んだはずの俺が己を許せと言う。どれだけ残酷なことをしているかなんて百も承知だ。
それでも――――俺、ではなく。
かつての織斑一夏の残滓として。一回は言わなければいけないと、思ったのだ。
――――我ながら、どこまでも綺麗事で。上手くなど行くはずもないと、わかっていながら。
悪いな、一夏。
ごめんな、レイシィ。俺は――――
「ダメだよ……一夏。ボク、一夏の最期の望みなんかに、なれないよ……ボク、そんな立派な、綺麗な人間じゃ、ない……」
「そう、か……ならさ、レイシィ」
「……?」
「お前がどうしても、自分のことを許せないってんなら……俺と一緒に、地獄に落ちてくれるか?」
「……!!」
――――俺は、卑怯者だ。
『なっ……! テメエ、一体何考えっ……!?』
――――おいおい。人様の逢瀬を、覗き見は野暮だぜ?
頭の中で響いた自身の声を、搭乗者権限で黙らせる。
……お前はもう、俺に任せると言った……精々、そちらで歯軋りでもしながら見てるんだな。
「……悪いな、レイシィ。昔だったら、何が何でも守ってやるとでも言えたんだろうが……生憎、今の俺は死人でね。お前にやってやれるのは、水先案内ぐらいなもんだ……行き先地獄の、片道切符のな」
「ううん……いいよ。連れて行って、一夏」
「いや、少しは迷えよ……一つや二つくらい、この世に未練、あるんじゃねえの?」
「ふふ、どうかな……一つ、あった気がするけど。もう、どうでも良くなっちゃった」
「そうかい……じゃ、後悔するなよ?」
――――レイシィは、死にかけている。
それは上でシャルロットに今さっきやられたというのも多分にあるが、元の事情はもっと根深い。
一言で言っちまうなら、あの自傷行為同然の自爆単一仕様能力のせいだ。
レイシィのISは絶対防御の機能が半ば麻痺しており、機体が暴走によって発する高温で、体の大部分に火傷を負っている。
人間は、体表の皮膚を三割失うと死ぬという。レイシィの全身のそれは既に致死量に達しており、ISのバイタルセーブ機能を常に起動し続けなければ生きていられない。
だがレイシィの専用機はこの頭のおかしい単一仕様能力が、起動と同時に強制的に発現するクソみたいな機体であり、ISを起動させればまた命を削ることになる。
レイシィのISの自意識の言葉を信じるなら、今は外部協力者とやらによって一時的に単一仕様能力を差し止めている状態らしいが、これも恒久的にできることではないとのこと。
今のレイシィは自らのISによって命を削られている状態だが、かといって無理矢理ISを剝ぎ取れば死んでしまう。
現状ではISを止めることしかできない
どうせ助からないなら。救えないなら。
――――こいつ一人くらい、俺の好きにしたっていいだろう?
さあ、こいつが白式の
最初で最後のお披露目だ――――来い。『夕凪燈夜』。
「……!」
雪片を鞘から引き抜く。
本来は青雷を纏う純白の白い刃を持つ、『零落白夜』が構成されるはずのそれは、今回に限り違う趣を見せた。
――――茜色。
夕暮れ時の空のような色を持つ、光の刃が深海をそれ一色に染め上げる。
……俺にとっては、一年半余りも閉じ込められることになった、あの辺獄の色だ。
いっそ闇の中だったほうがマシに思えるほど、忌々しさしか感じない。
こんなモンが自身の唯一無二の力とは……こいつを授けたのが神様か運命かISか、それとも束さんかは知らないが……ただ一つ、言えることがあるとすれば。そいつは俺のことが、余程嫌いなようだ。
「きれい……」
だが、レイシィにとっては違ったらしい。
俺の辺獄に目を奪われている様子を見て、俺はなんとか、自身の力に対して言いたい諸々を呑み込んだ。
……これだ。
俺がいくら織斑一夏を憎み呪おうが、こいつはたった一言で織斑一夏を救ってしまう。
かつての織斑一夏を呪うことで成り立っている
こいつは、微塵もわかっちゃいない。
だが……それで、いい。
それでこそ、忌まわしい織斑一夏の怨霊が、この世から一つ確実に消えるというもの。そのために――――
俺は彼女を――――レイシィを、殺す。
自他共に、そのことを思い知らせるように。
顕現した光の剣を、抱き締めたレイシィの首元に突きつける。
「あっ……」
「……怖気付いたか? やめるなら今だぜ?」
「……ううん。やって」
「いい度胸だ……先に行ってろ。すぐに追いつく」
『おい、ふざけんなっ……! やめろっ、やめろよっ……!!!』
……折角抑え込んだのに、また頭の中で聞こえ始めた声を、聞き流しつつ。
俺は雪片をレイシィの後ろで逆手に持ち替えると、そのまま背中から彼女に突き刺した。
『あ。あああああああああああぁぁぁぁぁ!!!』
茜色の光の刃が、レイシィの胸を突き破って飛び出す。
それを視認した途端、頭の中であの一夏の絶叫が響いて――――その悲痛の声に吞まれるように、俺の意識は薄れていった。