~~~~~~side「箒」
「あっ、チャンプの新刊じゃーん。一夏が週刊誌買って読んでるなんて珍しいわね、あたしにも見せてー」
「だーっ! 見せてやるから引っ付くなってっての! いや、数馬の奴が今週の呪術、ネタバレ踏む前にチェックしとかないと後悔するから絶対に見ろってうるさくってさ」
「ふーん……ま、そう注意するようになっただけマシじゃない? アンタ、前に〇条が死ぬのサラッと数馬にネタバレされた時は弾と二人がかりでシめてたじゃん」
「世の中にはやっていいことと悪いことってのがあるんだ」
「そんなことよりウィッチヲッチんとこ開いてよー」
「俺のだぞ! 少しは待つってことを覚えろ!」
「だからサービスしてあげてんでしょ?」
「……ハッ!」
「ねぇ……? なんで今で鼻で笑ったのかあたしにわかるように三十字以内で説明しなさい?」
「悪いけど、俺に背中にまな板押し付けられて喜ぶような性癖はなヌグアァァァ!? だから首はよせっつってんだろギブギブギブっ!!」
放課後のアリーナの観客席で、二人でじゃれている一夏と鈴を遠巻きに見る。
……あの二人は元々お互いに遠慮のない仲だったが、一夏が戻ってきてからは更に距離が近づいたように感じるのは、多分気のせいではないだろう。
一因として、一夏が鈴の接触をあまり拒まなくなった。
以前は度を過ぎた接触はそれとなく引きはがしたりやめさせたりしていたのだが、さっきだって後ろからいきなり抱き着かれたというのに、鬱陶しそうに言葉で窘める程度に留めていた……今は余計なことを言って首を絞められているが。
一夏は、変わった。
雰囲気が、どことなく粗野になった。
ある意味では、私の知っている昔の一夏に戻った、とも言える。
実際ここで再会したばかりの頃の一夏なら、戻ってきて早々に揉めることになったあの偽物とのことだって、もう少し穏便に収めた筈だ。
一学期初頭にセシリアに色々言われた時だって、一夏は冷静だった。寧ろ、私が激発しないように敢えてセシリアの注意を自分に向けていたところがあったように感じたくらいだ。
そんな一夏が……あいつの前で露骨に千冬さんの悪口を言うのは確かに逆鱗に触れるのに近しいとはいえ、あの偽物をいきなり蛆虫呼ばわりしたのには驚いた。
その後も激昂した相手と口汚く罵り合いながら唐突に殴り合いを始めたかと思えば、最後には互いにぼろ雑巾のようになりながら遠回しに相手を認めるようなことを言い出すし。
あの時は一応私も当事者ではあったが、瞬く間に進んでいくやり取りに一人置いてけぼりを喰らったような気分だった。
まぁ、あの偽物に歯の浮くような台詞で言い寄られるのは、最初こそ一夏が絶対言わないような言葉ばかり飛び出してきて少し面白かったものの、いい加減ウンザリしていた時期でもあったので、奴が去ってくれたのは助かったのだが……
一見大人しくしているようで、怒りが許容量を超えると問答無用で手を出す悪癖があるのは知っていた。
良いことではないが……似た傾向がある姉の千冬さんほど苛烈ではなかったし、私自身、一夏のそういうところにかつて助けられたことがある身としては複雑に思っていたところはある。
今の一夏は、そういう時に発する怒気に似た気を常に薄っすらと纏っている……あいつが相手を明確に敵認定したときに感じるものに近い。
あいつ自身は殆ど無意識の内に発しているようだが、ただでさえこの学園で唯一の男子ということもあり、周囲はそういった変化を敏感に感じ取り、避けるようになる。
そのこと自体は一夏も実感しているようで、ここ最近はどうにも所在なさげに一人で行動することが増えた。
まぁそれでも私をはじめ、専用機持ちの面々は気にせず声を掛けているが……今の一夏に全く違和感を感じていない様子なのは、恐らく鈴だけだろう。
鈴は物事をはっきり口に出す方ではあるが、あれで意外と気遣いが出来る奴でもある。
一夏は大変な目に遭ったばかりだし、一夏の気持ちを優先して自分の感情を表に出していないだけかもしれないが……そうだと、するなら。
「ああいうのが……善い女、ということなのだろうな」
鈴がああだからこそ、一夏は気負うことなくいられるのだろうと、思う一方で。
私はどうあっても、鈴のようにはなれない。それが否応なく理解できてしまうからこそ、胸の奥で静かに抱える仄暗い気持ちに嫌悪感が湧く。
――――私は、結局。
一夏が試練に直面したその時に、傍にいてやれないのか、と。
「うおっ!?」
「ぎにゃあっ!?」
不意に至近距離で爆音が響き渡り、一夏と鈴の悲鳴が聞こえて、ふと俯いていた顔をあげる。
状況を見るにアリーナ内で対戦中だったセシリアとシャルロットが、ほぼ同時に一夏達が座っていた辺りにレーザーとロケットランチャーを同時に撃ち込んだらしい。
当然攻撃は遮蔽シールドによって阻まれたが、それでも衝撃が揺れとしてアリーナに伝わり、先程までの騒ぎをなんとか収めて再び週刊誌を読み始めた二人を襲った。
一夏はいきなりの爆音と振動に驚いて声をあげた程度だったようだが、一夏の背中にのしかかる体勢で週刊誌に集中していた鈴はそれによってバランスを崩して一夏の背から転げ落ち、しこたま背中を打ったようだ。
今は拳を振り上げて、対戦中の二人に抗議している。
「いったぁ~……どこ狙ってんのよこのあんぽんたんども! 射撃実技学年総合一位と二位の成績は学園の忖度だったの!?」
「あっ、ごめーん。手が滑っちゃったー」
「シャルロットさんに同じく。ですが人が訓練に勤しんでいる横で碌に見学もせず遊んでいるような方達には、良い刺激になったのではなくて?」
「休憩中になにしてようがあたし等の勝手じゃない!」
「いやまぁ、鈴。確かに放課後とはいえ、やっぱこんなとこでチャンプなんて読んでた俺らが悪いって」
「別にいいのよ一夏。あいつら、あんたにいいとこ見せようとしてんのに見向きもされてないのが気に食わないだけだから。魅せる試合もできない癖に八つ当たりしないで欲しいわよね」
「それは悪かったね。毎回アリーナを壊すような、非常識な戦い方できなくて」
「良いではないですの、シャルロットさん。わたくし達はきちんと自身の専用機の力を制御出来ている証ですわ……誰かさんと違って」
「オッケーその喧嘩買った。あたしもすぐそこ行くから待ってなさい。逃げんじゃないわよ?」
売り言葉に買い言葉。
見る間に熱くなって、終いには弾丸のように観客席を飛び出しピットに降りていく鈴を、一夏はまたプロレス始まったよ、と呆れ半分に頭を抱えながら見送っていた。
……あの三人も、元々代表候補生同士で付き合いが浅い、というほどではなかったものの。今までは一夏を通じた繋がり、といった面が強かったのだが。
今回一夏が亡国機業に攫われて以降、皆でジョゼスターフ氏の合同訓練を受け、三人纏めて何度もアリーナの床を舐めている内に、急に距離を詰めていったように感じる。
まあ、その過程は決して平坦ではなかったが。一時は訓練中に誰も言葉を発しない程関係性が悪化して、皆での訓練を受ける頻度の少なかった私でさえ、空気の悪さがはっきりとわかったほどだった。私の忍耐が限界を迎える前に、訓練中にラウラが自分を責めながら泣きださなければ、恐らくもっと拗れていた。最後には雨降って地固まる結果で終われたのは、不幸中の幸いであったかもしれない。
だが結果的には、それで互いの間にあった、遠慮のようなものが消えた……今回のように衝突することも増えたが。
特に一夏が戻ってきてからは、このような小競り合いが頻発している。まぁ基本的に模擬戦で発散しているので、陰湿さは全く感じないやりとりであるのがせめてもの救いか。
一方で、私は赤椿の特殊性もあり、他の代表候補生達とは別々に手ほどきを受けることが多くて、気づけば輪の中に入りそびれてしまっていたように感じる。
別に不当に扱われるようになったわけでも、以前より関係性が悪化したというわけでもない。実際に身になった自覚もあるので、ジョゼスターフ氏の個別指導に不満があったわけでもないが……こういう時は、少し寂しさを覚えるのも事実だ。
偏に、一夏がいなければ碌に交友も広められない自身の要領の悪さのせいだとはわかっていても。
「勝った人がさっきの鈴と同じことを一夏にやってもらうってことでいい?」
「そ、そんな……殿方の背中に圧し掛かるなんて、淑女がそのようなはしたない真似、許されませんことよ」
「それ、あたしにはしたないって言ってる?」
「……鈴さんはもっと淑やかさというものを学ぶべきですわ!」
「今時男の三歩後ろを歩くだけの女なんて誰も求めてないのよ。てかラウラならともかく、あんたらには絶対に許さないから駄肉ども」
「ひどくない? ただ同じことをやってもらいたいだけで、他意は一切ないんだけど?」
「あたしの目を見てもう一度言ってみなさいよシャルロットっ! あんたみたいのが一番油断ならないのよっ」
「? まぁ、はしたないですけれども……わたくし達が同じことをすると何か他に問題がございますの?」
「セシリア……? 嘘でしょ? 貴族ってみんなそうなの? 箱入りっていっても限度ない?」
「カマトトぶってんでしょ。人に貞淑だのなんだの言っておいて卑しい女よね」
「二人揃ってなんですの!?」
すぐにピットから甲龍が飛び出していき、空中で三機のISが三つ巴の戦いを始めた辺りで、一夏と目が合う。
その目はあいつら訳わからんよな、と如実に語っていた。
……今の連中がああなのは、こいつにも多分に原因があるのではなかろうか?
特に意識しなかったが、そんな思考が顔にも出ていたらしい。
意味わかんねぇ、とでもいった様子で、一夏が不貞腐れたようにブスッとした表情を浮かべながらそっぽを向く。
それは、かつて互いに幼かった頃、一夏が勝負に負けて臍を曲げたときの仕草そのもので。
一夏は変わったのかもしれない。
けれど変わらないところはあるし、寧ろこれまでよりも
そのように認識した途端、少しだけ、胸が軽くなったような気がした。
でも、今の一夏は前よりわかり易くなったからこそ、ずっと気になっていることがある。
――――あのレイシィとかいう、前回IS学園を襲った亡国機業の構成員の一人。
今回の救出作戦で、シャルロットが当時の雪辱を果たす形で単身で打倒、そのまま海中に没して死ぬはずだったところを、一夏が自ら海に飛び込んでまで助けてきたという、シャルロットによく似た少女。
彼女は一夏に少し遅れる形で目を覚ますことになったが、その後のやり取りで直ぐに全ての記憶を失っていることが明らかになった。
それが判明したときの、一夏の顔。
――――当時私はまだ幼児で物心すらついていないような年齢だったが、それでも何故かあの時の父の表情だけは、はっきりと覚えている。
幼少期から付き合いがあったという幼馴染が、亡くなったという知らせを受けたときの、父の顔は。
――――千春……
父は、亡くなったという幼馴染の名を呟きながら、胸の中心にぽっかりと空いてしまった穴から生じる耐え難い程の痛みを、それでも必死に耐えているような、そんな顔をしていた。
あの少女の記憶のことを知った一夏の顔は、あの時の父の顔と重なった。
――――そういう、ことかよ……畜生……
何か取り返しのつかない大事なものを、失くしてしまった者の顔だった。
一夏が明確に弱みを見せたのは、その時だけだ。
以降は、少し様子が変わって周囲も戸惑いを見せているものの、それでで努めて明るく振舞っているように感じる。
皆が、どこまで一夏の変化に気づいているのかはわからない……いや、鈴の様子を見るに、奴だけはある程度は察していそうだが、私が察せたのはそのくらいだ。
あの時の一夏の顔を見たのは、私だけだ。
眠っていた一夏が目を覚ました時、たまたま私が傍についていた。
それからしばらくの間とりとめのない話をした後、山田先生からあのレイシィという少女も目を覚ましたという連絡があり、一夏はすぐさま面会を希望した。それに付き添った結果、私だけが、恐らく一夏が長くの間胸に秘めていたものに触れてしまった。
あの少女は、何者なのか。
私達の誰も知らないという事は、IS学園入学前からの知り合いなのか。
彼女が記憶を無くしたわけを、知っているのか。
もしかしたら――――お前がずっとその服の下に隠している傷跡を背負うことになった事件の、関係者なのか。
聞きたいことは、いくらでもあった。
私だけが気づいてしまった以上、私が聞かなければいけないという、ある種の使命感めいたものさえ感じていた。
このままでは、一夏はまた、あの体の傷と同様に心の傷を、誰も見えないところに隠してしまう、と。
事実、今の一夏は既にそのように振舞ってしまっている。
なのに、私は未だに聞けずにいる。
……怖いのだ。
一夏とは幼いころからの付き合いだからこそ、言葉を交わさずともわかることがある。
その筈、なのに……
――――そういう訳だ……悪いな、箒。
一夏を救出しに、ハワイ沖まで向かい、再会を果たして。
急に意識を失ってしまった一夏を抱えながら戻る途中、突如目を覚ましたあいつの表情が、ずっと頭の中で引っ掛かっている。
あの時。
直後に見たこともない武装をすぐさま呼び出して、あっという間に飛び去ってしまったけれど。
あの一夏は、間違いなく。私の知っている、どの一夏とも違っていた。
まるで初めて出会う他人のように……何を考え、思っているのか。全く、わからなかった。
もし、私の中の疑問を一夏にぶつけたとき。
私の知らない一夏になってしまうのが怖い。
だから――――未だに、ずっと二の足を踏み続けている。
我ながら情けないのは百も承知だが……これが、今の私。篠ノ之箒の、限界だった。
「……?」
そんな不甲斐ない自分に対する失望や叱責もまた、知らずの内に顔に出ていたのか。
こちらを見ている一夏の瞳に、私を心配するような色が混ざる。
そういうところも変わらないのだな、と、妙な安堵を覚えつつ。
居たたまれなくなった私は、つい逃げるように席を立った。
「一雨来そうだな……」
アリーナから出ると、一番最初に分厚い灰色の雲に覆われた空が目に入った。
……嫌な天気だ。
あのCBFの日。当日の試合中はずっと快晴だったが、亡国機業の襲撃以降、敵が使用した広範囲熱量攻撃の影響で一気に天候が崩れ、一夏が連れ去られたと知らされた時には、こんな雲が空を覆い激しい雨が降っていた。
奇しくもあの時と同じ空……いや、違う……?
「くっ……!?」
雲の流れが早い。
途端、突風が吹いた……これは大雨どころか、ちょっとした嵐になるかもしれない。
逃げるように出てきた手前気まずいが、アリーナに引き返すべきか。
そんな考えが頭を過った矢先――――
「……!?」
突然の突風に、思わず目を閉じた、僅かな間。
その言葉通り瞬きのような間に、見知った景色に変化が訪れていた。
まるで最初からそこにいたかのように、自然に。気づけば、目の前に見覚えのない人物が静かに佇んでいる。
第一印象は、兎に角
純白の修道服を思わせるローブに身を包み、フードの下からも、僅かに白金色の髪と、病的とさえ感じる程青白い肌が覗く。
私よりも低い身長とローブの上からでも僅かに浮き出た体格から、辛うじて女性であることがわかる。
更識生徒会長のISを思わせるような衣装だが、黒地に水色の幾何学模様が浮かび上がるあちらに対し、こちらは白地の裾部分に、鮮血で描いたような赤い十字がいくつも連なっているような意匠が施されており、分厚い雲がかかって薄暗くなり始めた景観の中で、仄暗い光を放っていた。
恐らく、ISを展開した何者かが、いつの間にか目の前に立っている。
その文字にすれば危機的な事態でしかない状況に、私は何故か自分でも不思議なほど、脅威を感じていなかった。
それくらい……目の前の人物からは、気力というものが感じられなかった。
なにより、今際の際の病人や老人でさえこれ程ではないだろうというくらいに、生気が薄い。あのような目立つ格好でなければ、これ程目の前にいてさえ何かの見間違いで済ませてしまいそうになったかもしれない。
正直、化生の類かと一瞬疑いそうになった。
しかしすぐにあり得ないと思い直し……かといって生者にしても立っているのが不思議なくらい、生きている感じのしない不気味な女を、いつ動かれても対応できるよう身構えながら観察する。
――――やはり、気力がない。
気力は、人が行動する上での一つの指針だ。
相手が敵であるのなら、嫌悪であれ、敵意であれ、殺意であれ……そういった
この女は、それらの源が一切
無いものは現れない。どんな色に変化することもない。
普通であれば、そんな人間に気を遣ったりすることこそあれ、恐れることなどあり得ない。
気力の喪失は、そのまま肉体にも顕れる。気力を失った人間は、実際に想像する以上になにもできなくなるものだ。
その筈、なのに。
――――こちらに何もできない筈の女を前に、冷や汗とこの肌が粟立つような感覚が止まらないのは、どういうことだ……!?
『ご主人様!』
私の意識で無く、体が感じ取った違和感の方が、どうも正解であるらしかった。
異常を感じ取った紅焔が、咄嗟に紅椿を展開する。
『こ、これ……だ、ダメです、ご主人様……戦っちゃダメですっ! 逃げてっ、逃げてくださいっ!!』
「っ……!?」
そして――――即座に、逃走を促してきた。
紅焔はそそっかしいところこそあるが……ここまで切迫した、悲鳴に近い声で逃げろとまで言われたことは今までにない。
だが、それでも尚意識の方が疑っている。ここまで気力を感じない女が、そんなに危険な存在なのかと。
「――――初めまして。篠ノ之箒さん、ですね?」
女が口を開く。
少女らしい可憐さと、思わず聞き入ってしまうような魅力、母を思わせる包み込むような包容力が同居した、聞いた者全てから翻意や敵愾心と言ったものを尽く拭い去ってしまうような、そんな声だった。
私もその声が持つ魔力に抗えず、初見の相手からの確認の声に、何の警戒も抱かず思わず応えてしまいそうになる。
「あなたのお姉さんに、ちょっと死んで欲しくてですね。なので――――少しだけ。彼女をおびき出すための、餌になってもらえませんか?」
「……!」
まるで、天気の話でもするように。
最早一種の神聖さすら感じるその声に対して反比例するかのような、悍ましい言葉を口にするまでは。
「っ……!? キサ、マ……!?」
その美しい声と、反吐が出るような言葉のあまりの落差に、私はその内容を頭の中で受け止めるのに若干の時間を必要とした。
しかしやがて完全に理解すると、一気に頭に血が上り、ほぼ反射的に眼前の、この邪悪な女に斬りかかった。
更識先輩のISの件もあるので油断できないが、相手は殆ど生身に近い状態に見える……本気で切り捨てる気はない。
だが例え冗談だとしても、口にしてはならぬものというのはある。何者かは知らないが、二度と私の前でそのような口を利けぬ程度には、脅しつけなくてはならない。
「嗚呼、そういえば、忠告が遅れてしまいましたが――――」
だが。いくら、そう思っても。そう、望んでも。
「私を打ち倒したいのなら、
――――体が、動か、ない……!?
今まで手足のように動いたISの手足が、まるでそのまま原寸大の鎧を纏っているかのように重い。
背負っている装甲やスラスターの重量もそのまま背中に圧し掛かってきて、私は立っていられず自らのISに潰されるかのように、その場に倒れ込んだ。
『そ、そんな……ご主人様っ!?』
「くぅっ……!? 紅焔、これは、一体……!?」
「――――奴隷。家畜。機械……今ではAI。そして――――IS」
身動きが取れない私を余所に、白衣の女は変わらず感情の篭らぬ、美しい声で、歌うように告げる。
「人類の文明は常に。人が担うべき仕事、役割……重荷を、他者や物に
「技術の進化、叡智の深化、時代の更新……それもまた、進歩ではあるのでしょう。一概に、否定はしません。人間という生物の、宿命であるのかもしれません」
「ですが――――私は、常々思うのです。自らの足で歩み、自らの手で掴み、自らの背で重荷を背負ってこその、人だと……かつて神の子が、自らを磔る十字架を背負い、ゴルゴタの丘まで歩んだように」
「時に、頼るのも良いでしょう。寄りかかるのも良いでしょう――――ですが、今のまま時代が進めば何れ、人々は自ら歩むことすら忘れてしまう――――それが、どれ程倖せなことかさえ、知らぬままに」
女は語る。
語るうちに、その言葉に今まで感じなかった、諦めとも怒りとも、悲しみともとれるようで違う何かが入り混じる。
「ふふ、わかっています……所詮、その半生を自らの足ですら歩めなかった、落伍者の戯言だと。ですが――――その戯言にこそ、全てを捧げるだけの価値があるのだと、既に私は定めました。最後まで、決して止まるつもりはありません」
「今一度。全ての人に。かつて神の子が一身に引き受けた原罪を、背負い歩んでいただきます。そのために――――あなたの姉君は、邪魔なのです」
音もなく、女が倒れた私の傍まで歩み寄る。
せめて一太刀とばかりに体を動かそうとするが、やはり指一本動かない。
それどころか私を圧し潰すかの如く、上から圧し掛かってくるISの重量以外の
「嗚呼……私としたことが。聞こえているかどうかわかりませんが、名乗っておきましょう。私はウェザー――――あなた方が亡国機業と呼んでいる組織。僭越ながら、その一部隊の統率を務めさせていただいております。短い間でしょうが、どうかお見知りおきを」
『ご主人様っ!! お願いですっ!! 目を覚ましてっ!! う、うぁ、うあああぁぁぁっ!!』
紅焔の泣き声と、まるで感情の起伏のない敵の声が聞こえる。
気持ちを奮い立たせ、せめて紅焔に大丈夫だ、と伝えたいと願うも、息ができない。目も翳んでいく。
「さて……本来の目的も達したところで。IS学園……織斑千冬の隠し札、ですか。事が済んだ後、後腐れを起こしても面倒です―――― 一度、
「……!?」
が、敵が最後の言葉を口にした途端、一瞬だけ沈みかけていた意識が引き戻された。
それほどに――――全身に、怖気が走った。
尤もそれは、私だけに留まらない。
空が。
大地が。
この場に存在する遍く存在が、何の気も発していない、死にかけの病人のような女に
それが……何の気なしに敵が発したその言葉を、容易く実現できる証明のように思えて、全身から血の気が引いていくのを感じた。
――――動け、動け……! 皆に、知らせ、なくては……!?
「いえ……せっかちはいけませんね。先日も、気が逸って失敗をしたばかりだいうのに。とはいえ、スコールが暴けなかったものを、私が今更探り当てられるとは思えませんが……まぁ、折角来たのです。学園見学でもしながら、しばしの時を過ごすとしましょう」
敵がその悪意とも殺気ともとれない異様な雰囲気を収めてしまったせいで、このまま落ちるわけにはいかないう決意も空しく、どうしようもなく体から力が抜けていく。
ああ、もう、なにも、見えな――――
「――――どうせ、
――――もう、私は、どうなってもいい。だから……一夏……逃げて……ここに、こな、いで……姉、さ……